Moonlight Mythology   作:かんべー

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※人が死んでいる表現、生々しい流血などの残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。


叛逆者の挽歌

ダーザイン本部、特務部隊ムーンライトミスに充てられた部屋にて。

「しょおいぇば...んく、ずっと戦っていかなくちゃいけないのかと思ってましたけど、そうでもないんですね」

「うん、そうだね。ムーンライトミスは史料編纂室所属だし、メインの仕事は《世界》の情報や文化の収集。イクスでの仕事みたいなのの方が稀なんじゃないかな?」

「イクスの時...は、沢山のバースセイバーが必要だったとはいえ、私達は本当に必要だったんでしょうか...?」

「必要だったんでしょうね」

「特に誰かさんが、ね?」

「ふん...」

午後に割り振られた仕事も一息つき、3時のティータイム。ミスお手製のお茶請けをつまみながら軽くお喋りをしていた。

あの後、晴れて正式にムーンライトミス所属になったルナは、思っていたよりずっと平穏な暮らしを送っていた。

時々イクスのような《最前線世界》に送られることはあっても、大半はその《世界》の情報を集める月とミスの護衛役、または月の情報整理の手伝いがルナの仕事だった。護衛役と言っても、月とミスは自衛…を超えた戦闘能力を持つため、ルナは己の身を守っているだけでその戦闘は終わっていった。

「わ、私って…この部隊に必要、ですか…」

この数週間、自分が行ってきたことを思い返し、ムーンライトミスに自分は必要ないのではないかという結論に至る。

「何を言っているんだい?」

「必要も必要よ。だって二人で書類を一から並べるような仕事が、1.5倍の効率よ。アナタが居なければあたくし達、揃って過労死するわ」

「私もミスも過労死することは無いけどね」

「それもそうね」

乾いた笑いで人外ジョークを二人が笑い飛ばす。が、ルナは気が気ではなくなっていた。

「それじゃ…それじゃ!私、戦闘エージェントとして所属しなくても、キルシュさんみたいな、情報補佐官とか…そういう情報管理系のお仕事をする人として、所属していれば…!」

「そういうわけにもいかないのよ」

「へぁ…?」

「そういう特殊な役職に就くにはね、時間がかかるし色々面倒なのよ。だからムーンライトミスに直接所属してもらって、表向きは戦っててもらった方が処理も楽なの」

「超グレー!!」

ミスが放ったギリギリの思考に、ルナは泣き叫ぶ。今更ながらとんでも無いところに来てしまったのかもしれない。やることは楽だけど。楽だとしても!かなり危ないのではないか?

長閑な昼下がりに投下された爆弾にルナが身震いしていると、硬くもどこか軽い足音が聞こえてきた。

足音の主は、部屋の前で止まると、タッチパネルを操作する機械的な音が聞こえてきた。

「こんにちは!隊長さん。新しいお仕事の依頼です!」

空気の抜けるような軽い音を立てて開いた自動ドアの向こうには話題にも出てきた情報補佐官であるキルシュが立っていた。

「こんにちは、キルシュさん。今ティータイムに入ったところなんだ。貴女も一緒にどうかな?」

「お誘いありがとうございます。ですが、またこの後にもやらなければならないことがあるので遠慮させていただきますね」

フレンドリーながら慇懃さも持ち合わせている彼女は、月からの誘いを人当たり良く断る。

「T-M+の世界で《原始緑生世界》ルクスフィルという世界があるのはご存知ですか?新しく支部を置いた世界なのですが、そこからの依頼でとある文明の情報を収集してほしいとのことです」

「なるほどね。何かありそうな気がするけど…その文明っていうのはもう滅びた物なのかな?」

「それが…分からないんです」

「…分からない?」

月はキルシュの言葉に眉根を寄せる。事前の調査を欠かさないダーザインを通しての依頼にしては、珍しく情報が少なそうなことを月は感じ取り、キルシュに向き合う。

「詳しい説明を求めたのですが、断られてしまい…」

「ふうん…説明を拒否する、と…」

青と金の目を伏せる。

「わかった。その世界に向かおう」

「え!?行くん、ですかぁ?」

静かに二人の会話を聞いていたルナが驚く。

「ぜったい、絶対!危ないですよ!行かないでおきましょうよぉ!!まだ部隊ランクもDの条件満たしたばっかりですし!なんか危なそうなのはAとか、それこそSのすごいお方が揃ってるところが行くべきですよぉ!」

「じゃあAかSの前衛職の人をお誘いして行くかい?」

「それも怖いのでいいですぅ…」

ずびずびと鼻を鳴らすルナに失笑しながら月はキルシュにアイコンタクトをとる。

「調査と情報の収集、整理。あとはその支部に報告。それだけでいいんだよね?」

「はい!戦闘のお願いはされていません。モンスターは出現する《世界》ではありますので、多少の戦闘はしなければならないかもしれませんが、これまでと同じような任務ですよ」

「ズっ…ほんど、ですかあ…?」

「はい!本当ですよ!」

お姉さんから慰められたルナは涙を拭う。嫌がりながらも覚悟は決めたらしい。

「それではお願いしますね」

 

 

────────

《門》を潜ったルナは、目を輝かせた。

「比較的最近見つかった世界だと聞いていたけど、《門》はすごく安定しているね」

「T-M+の世界は似通っている世界が多いもの。自然が多くて、未開拓地である場所があれば《穴》も開きやすいわ」

月とミスの会話も気にかけず、ルナはパピヨンを召喚する。

「広い…!広いね、パピヨン!エルブにそっくりな場所!」

草原を駆け回り、両手を広げて回転し、そのまま倒れ込むように寝転がる。

パピヨンは心配するかのようにパタパタと飛び回る。

「私、わたし…!エルブみたいなところで、お花屋さん、開き、たかったんだ…」

両手で目を覆う。

もう無理、なのかなあ…?

ルナの口からその言葉が出てくる前に、喉が詰まり、嗚咽が漏れる。

「…ルナの出身世界は?」

「《神獣守護世界》ゴルテア。M軸は分かってた通りミスティック。T軸は…ニュートラルだけど、技術はあまり進歩してなくて、多く自然が残っていた」

あまりにも突然に親元を離れて、しかも帰れなくて、これまで知ってきた人とも会えなくなった。

そんなルナの境遇を気遣ってか、月もミスもルナに故郷の話を聞いたことはなかった。

月は歩く、ルナに向かって。

月は寝転がる、ルナの隣で。

「無理じゃありません」

ルナはハッとして月を見る。

月は真っ直ぐに真っ青な空を見ていた。

「やりましょう。時間はかかるかもしれません。ですが、絶対にできます」

ただひたすらに真摯に。正面からルナの悲しみを受け止めるように。

「月さん…」

「私も、ミスも。ルナの味方ですよ」

優しく温かい瞳だった。正面から月の優しさを感じたルナは涙をこぼした。

「う、ぐ…ひ、っく…」

「る、ルナ?!大丈夫ですから…泣かないでください!」

ミスはため息をついた。ルナの涙もろさと、月の偶に発揮される鈍さに。

「泣くのも良いけど、人が来てるわよ。早く起きなさい」

「あはは、すみません」

手を頭に当て、人の良さそうな壮年の男性はそう笑う。

「私はここ、ルクスフィルのダーザイン支部で働かせていただいている者です」

「すみません、気づかず…お見苦しいところを見せました」

「いえいえ、お気になさらず」

ルナを起き上がらせながら服についた草や土を払い、職員に対応する。

「本当でしたら街で歓迎するのが良いのですが、こちらの事情もありすぐに現場に向かってほしいとのことです。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。けれど、調査対象であるその文明、というものが我々に詳しい説明がされていないのはどういうことですか?」

途端に職員は苦虫を噛み潰したような表情をする。

「とある《神格級観測者》の暴走が確認されました」

月と、ミスの、表情が一変する。

「エルフの一族が犠牲になり、今は力を使い過ぎてしまったのか休眠しています。その《神格級観測者》によって滅ぼされてエルフが築いていた文化を、記録できる分だけで大丈夫ですので収集をお願いします」

「まだ居住跡等が残っているのですか?」

「わかりません。私たち人間とエルフは違う生活をしています。だからこそ、記録しなければならないと思い依頼させていただきました」

ぐっ、と、緊張した雰囲気。あまりバースセイバーとして慣れていないルナでも、この《世界》が危機に瀕していることがわかった。

「この世界が長くないこと、わかってるのかしら?」

「…いいえ。《神格級観測者》には手を出さないようにお願いします」

「はあ?何を言っているの?自我を失った《神格級》ほど危ないものは無い。ダーザインならなんとかできるかもしれないっていうのに、そういうふうに隠して…どうするつもりなの?」

「こちらの問題です。ダーザインが手を出す問題では無い」

「アナタねえ…!!」

「ミス!」

感情的になったミスは職員に食ってかかるかのように責め立てるが、職員は一歩も引かず主張を続ける。

月が手で制止してミスはようやく口を閉じる。

「了解しました。わかっていることはそれだけですね?」

「…はい。すみません」

「いえ、ご心配なく」

ピリピリとした雰囲気に、ルナは涙も乾ききらない目をこすりながら口を噤むしかなかった。

 

 

────────

「本当に、本当に!あの職員…!ここじゃあそれなりの立場があるのかも知れないけど、本当に《世界》、《可能性》…《神格級》!!分かってない!わたくしが真剣に忠告してあげてるってのに、本当に…」

「ミス」

ブツブツと文句を呟き続けるミスに、月が声を掛けた。

「この《世界》を知らないのは私達の方だ。あまりそういうことは言わないでくれ」

「…分かってるわよ…」

既に先の職員と別れてから小一時間ほど、足元が僅かに見える程度の暗い森の中を歩いていた。

その間ミスはずっと口を止めなかった。ルナの表情がだんだんと曇っていくことを見た月が見かねて、忠告をしたのだった。

「《神格級観測者》に出会ってしまうかもしれない、んですよね?」

「…そうね。そうしたらアナタはすぐに逃げなさい。わたくしと月のことは顧みなくていいわ」

それでも、とルナは言いたかったが、己よりよっぽど戦闘に秀でている月やミスを助けたいと言うのも憚られ、口を開かない。

「貰った地図によると、もうそろそろ居住跡のはずだけど」

重い空気を気遣って、月が現状をアナウンスする。

「光だ。あの先に…」

暗闇に慣れた瞳には刺激が強い日中の光が木のない開けた場所を指し示す。

「これは…」

「ひ、ひどい…」

屍臭が鼻をつく。黒く焦げついた木材は放置されたまま。肉を焼き尽くされた骨が至る所に転がっていた。

道のように草が抜かれ平らになったその地獄へ向かう一本線だけが、かつて行われていた日々の営みを表していた。

「ルナ、安易に足を踏み入れないで。呪詛が残ってるわ」

横に手をかざし、ルナの行動を制限する。ミスの瞳は先ほどまでと違う方向で力が入っていた。

『玉打平那夫:書』

腰に下げていた『聖書』を手に取り、ぶつぶつと何かを唱えると、光が禍々しく警告を成した。

「《神格級》が残した呪詛を光らせたわ。ルナ、いい?絶対に踏まないで、触れないで。できるだけ凝視するのも避けなさい」

ルナは生唾を飲み込む。辺り一面、ほとんどが呪詛に覆われている。《神格級》がこの《世界》の法則に従って残した呪いは本来の呪いで害される上に、異世界人であるルナは、VS能力で守られているとしても在り方を歪ませられかねない。

「私が先陣を切ります。ミスはルナの後ろに。何か書物など見つけたら教えてください」

月は2人の前に立ち、生物の居住の跡として残っている草が生えない地面に足を踏み入れようとし…

ミスが月の首裏の襟を掴み裏に放り投げた。

「?!…な、ッ」

「チッ」

瞬間、月が立っていた地面が爆発した。

否、誰かしらが放った『魔法』が地面を抉った。

「ピャあ!」

ルナが短い悲鳴を上げて跳び上がった。ルナが安全圏にいることを確認したミスは、その魔法が飛んできた方向をキッと睨みつける。

「我らが里に立ち入らんとする人間どもめ…」

「あら?旅人を歓迎するにはたいへん物騒なお出迎えね!」

恨みがましい響きの声に、ミスは声を張り上げる。

「姿ぐらい見せなさい!それが最低限のマナーよ!」

ルナの目にも黒い影が動くのが映った。

姿を現したのは女のエルフ。醜いわけでは無いが、肩ほどでざんばらに切られた茶色の髪、ボロボロの布を纏った肢体、鬼気迫る怒りを滲ませた顔、どこをとっても土や泥、血で汚れている。左目は閉じたまま、開く様子は無く、左上半身にはツタのようなアザが這っている。

「アナタは…エルフ?ここに住んでいたのかしら?」

「…言葉はいらない。立ち去れ」

ねじ曲がった木をミスに向け、先ほど月へと放ったであろう魔法を放つ。

「月!いつまでも寝こけてないで立ちなさい!」

ミスは大げさに右手を振り上げる。

魔力の玉がミスに差し迫り…

銀色がそれを弾いた。

「確かに…対話は難しそうですね」

「いいえ?混乱してるだけよ、きっとね」

ミスを敵から守るように立つ月は、己の得物に残った衝撃を逃すように金属製の棒を回した。

「チッ…」

思い通りにいかない不快感に眉を寄せながら、エルフは杖を構え直す。

「させま、せん!」

突然背後に現れた声に反応して、エルフは振り向き、右目を見開いた。

藍色の髪の、女!!

「パピヨン!」

『月夜に飛び立ちし揚羽!』

あんなに遠くに離れていたのに、と考えている間に、意識はルナに刈り取られた。

 

 

────────

木の、燃える匂い。

「…」

「…ぱ、ぃ…ぇす、ね」

誰かが談笑する声が聞こえる。

「直前で合図を決めたのに、アナタもよく反応できたものね」

「い、いえっ…えへ、ミスさんが、考えてくれて、指示してくれたおかげで、えへへ…」

長閑な野営の時間…じゃない。

「ぴゃあーー!!!」

突然上半身を起こすと、藍色の女はオーバーなリアクションをとる。

「起きたわね」

「アンタたちは...」

灰色の子供...にしては妙に老獪な女の人間に向き合う。

地面に手を這わすが、思っていた通り己の武器は見当たらない。心の中で舌打ちを漏らす。

「アナタに制限を設けた」

灰色の女はカップの中の液体をすする。

「あたくしたちの質問に虚偽を述べたら、即座に頭部を爆破する。つまりアナタはあたくしたちに嘘を伝えたら頭を失って即死。分かったかしら?」

「キャ...?!?!」

ごくり、生唾を飲み込む。...甲高い悲鳴を上げたのは藍色の女だ。

「シッ、ルナ、静かにッ...」

「貴女はエルフでしょうか?お名前を伺っても?」

灰色の女が目を三角形に釣り上げて藍色の女を叱りつけるのを横目に、青と金の瞳の人間が問うてくる。

「...マルテュール」

正直に、自分の名前を答える。相手に嘘を告げられている可能性もある、それは分かっているが、志半ばで倒れる訳にはいかない。

「私は月と申します。蝶の髪飾りの彼女はルナ、リボンをつけている彼女はミスと言います」

そして...穏やかな微笑み。変に丁寧な口調で、こちらに毒牙を抜かれているような気分になる。男か女か見分けのつかない風体もおかしな感覚を与えてくる。

「私たちはルクスフィル支部の要請を受けてエルフの文化を記録するために来ました」

ルクスフィル…確か、人間たちの国の名だったはずだ。

「里にはもう近づくな。人間どもにはどうにもできない。森にももう来ない方が良い、あの《神》が今どうしてるか、私さえ知らない」

「かの《神》は現在沈黙しています」

「尚更だ。今すぐ立ち去れ」

取り付くしまを持たせずあしらおうとすると、月と名乗った人間はす、っと視線を冷やした。

「あの集落に居住していた、かつ現在生存しているのは貴女だけですね?」

「…は?」

「正直に答えてください」

──嘘を伝えたら頭を失って即死。ミスとか言うらしい女の言葉を反芻する。

「わから、ない…」

「貴女が知っている範囲で答えてください」

「…ッ、あ、あ。そうだ」

「貴女は貴女方が残した書物、文書等を所持していますか?」

「持っていない。本当だ」

「一定の場所に貴女方に関する記録を残したことはありますか?」

「…ある」

「そこへの案内はできますね?」

「私は…ッ!」

「はい、またはいいえで答えてください」

案内役を探そうとしている。突っぱねようとした。

無機質で、生気の無い瞳に、何か異常な物を感じた。

「は、い」

ふっと、張り詰めた雰囲気が緩んだ。

「安心してください。私たちも元より長居しようとは思ってはいません。三日ほど、貴女達が残した物を記録させていただければすぐにでも帰りましょう」

「は…っ、あ、ああ」

元通りの笑み。だが、瞳の奥はまだ無機質だ。

なんなんだ、目の前のコレは。

片目しか開かない目で必死に凝視するけれども、何か見えるわけでもなく。

「…ふ、」

唇に人差し指を当て、更にその秘密を守る壁を厚くした。

 

 

────────

じょき、じょき...

寝静まった森の中で、少しだけ自然と異なる音が鳴っていた。

「土汚れで茶色に煤けているの?!ありえない…!!ルナ、洗浄の魔法は使えるかしら?」

ミスはマルテュールの髪を一房手に取って、その不潔さに悲鳴をあげた。土汚れの隙間からは甘い金糸が覗いていた。

「えっ、な、無いですぅ...」

「仕方ないわね...髪を洗うのは後よ!まずはこのザンバラ切りをどうにかしなくちゃ」

マルテュールの頭髪はそれはもう酷いものだった。

所々鋭利なもので斬られていたり、千切られていたり、焼け焦げていたり。酷い戦闘を思わせた。全体的に見れば肩の下の辺りで長さはまとまっているが、身なりを整えるには今以上に短くしなければならないのは明らかである。

「髪はあまり切らないでほしい。美しい髪は私の...」

「あああ、黙らっしゃい!ボブカットぐらいじゃないとご自慢の“美しい髪”は残らないわよ!」

マルテュールの頭髪以外も、彼女の状況を表すかのように汚れていた。

生成りの地であろうワンピースは所々破け、千切れ、擦り切れ。足裏には土がこびり付いていて、手先はボロボロ、腕には擦り傷、切り傷、打撲痕。

ルナはマルテュールの手を取る。

「回復系の魔法は苦手ですけど、じっとしていてください…」

『日影にて静かに佇み

我らを眺む

慈愛を抱く鹿の癒士よ

今ここにかの日の奇蹟を』

『木陰の小休止』

じわり、じわり。暖かな光はマルテュールの腕を肘の辺りまで覆う。

ルナの魔法が霧散した時、丁度覆われていた部分の傷がすっかり綺麗になっていた。

「これが…魔法か?」

すっかり綺麗になった己の掌を見回し、マルテュールは疑問をこぼす。

「魔法は…狩りの武器だ。命を奪うもの…あなたの魔法は見たことがない。呪言も聞いたことがなかった。今はそれが人間の魔法の主流なのか?」

「あ、は…?ど、どうでしょう?私の故郷…故郷!だとぉ、これが、普通、デスヨ…」

ルナは目を泳がせながら嘘で取り繕う。ミスはじっとりと見てくるし、月の生暖かい目が逆にルナを責め立てた。

「はい、これで髪は終了。この近くに水源は無い?」

「…里の近くならば」

はあ、とミスはため息をつく。《神格級》の呪詛を嫌がったミスの希望で里があった場所から20分ほど歩いた場所で野営地を探していた。見上げると、頭上の丸い月が深夜を告げている。

「じゃあ明日になるわね…」

ミスはやれやれといった感じで首を振る。

「アナタはこの辺りで寝れるわよね?」

「…あなたたちは私を疑わないのか?」

ぽつり、とマルテュールが零す。

「疑う?何を?アナタがあたくしたちの寝首を掻くこと?それともあたくしたちから離れていくこと?」

「私は会った人間をその日のうちに信頼することなど出来ない」

「あのねぇ…アナタがあたくしたちの不意を突けるんだったらとっくにアナタはこの場所から逃げ出してるんじゃないの?あと、あたくしと月は眠ってるぐらいで異変を察せないほど鈍くは無いわ。それじゃ、また明日。おやすみ」

それだけミスは言い終わるとちんまりとしたスツールに腰掛け、目を閉じる。

「おやすみなさい、ミス。ああ、マルテュールさん、呪いは元から掛かっていませんので安心してお眠り下さいね」

「…は?」

「それでは私も、お先に」

月も座ったままスリープ状態に入る。

ルナはマルテュールと顔を見合わせてハッとした。

(き、きまずい…!)

人見知りで、しかも初対面の異世界人と用事も無いのに話しかける勇気はルナは持ち合わせていなかった。

「え、えと!じゃあ、私も寝ますね!おやすみなさい!」

強引に別れを告げたルナは、寝袋に潜り込んだ。

ギュッと目を瞑っていると、やがて眠気はすぐにやって来て、ダーザイン謹製どこでも快適野営セットふかふか寝袋の暖かさに包まれながら意識を落としていった。

 

 

────────

冷たくて、悲しくて、夜空を引き裂く獣の咆哮のような、音色。

演奏が、止まった。

「起こしてしまったか」

マルテュールさんが私に気付いた。

「あっ、えっあ、あわ、わわわ...」

上手く言葉が出なくて、身振り手振りで自分の事を気にしないで、と伝えようとするが、マルテュールさんは訝しげな目をするだけだった。

「...寝る時には火を消せ。森の木々に燃え移ったらどうする」

「ご、ごめんなさい...」

マルテュールさんはため息を吐くばかり。

「別に謝罪を求めている訳ではない」

「は、はい...」

私の目は、マルテュールさんの両手にあるセットに引き寄せられていた。

「そ、れっ、て...」

緑色だがよく見た事のある楽器を指差す。

「ああ、フィドルだ」

「ふぃ、ふぃどる...?バイオリンじゃないんですか?」

「バイオリン...そんな名の人間が居たな。フィドルを授けたはずだが、己が名でフィドルを人間に広めるとは...」

「えっ?!あっ、た、多分勘違いかな、あはは...」

ここは異世界、ここは異世界!私の常識は通用しない...

なるたけ違和感を持たれないように意識はしても、驚きや疑問を隠すのは難しい。反省を重ね続けている。

「このフィドルは先祖の祝福が宿った遺物だ。時を待たずに去っていってしまった同胞たちへの慰霊として奏でていた」

寂しそうに、何処かを見つめる。

「もう幾日かで月が満ちる。これほど明るい夜であれば、仲間たちも道を見誤らないだろう…」

私たちを静かに見守るように佇む月はいつもよりも大きく見えて、確かに丸くなっている。

「柄にも無いな、本当だったら伝統の旋律を奏でるのに。ただ、こんな夜には人間が残していった音楽が、よく似合う」

マルテュールさんはまたフィドルを構え直す。

暖かくもどこか寂しくて、マルテュールさんの激情が隠された旋律は、私にもよく聞き馴染みのある曲。

良い音楽は、どこの《世界》でも共通するのかもしれない。

「パピヨン」

そっと囁くと、パピヨンがひらひらと姿を現した。

私の心を難なく読んだパピヨンは、体を魔力に変えてフルートの形を作った。

…この音楽の伴奏は、体に染み付いている。

息を細く出すと、甘い音が響き出す。

マルテュールさんは目を丸くするが、調和した音楽を奏でていることに気付いて何も言わない。

寂しい2人のソナタが、犠牲になったエルフたちを慰められますように。

 

 

────────

青い晴天が、いやに明るくて、瞼を開いた。

「あら、ルナが起きたわよ」

パチっとミスと目が合う。

「ふあ…おはよ、ございます…って、だれ?!」

体を起こして周りを見回すと、見慣れない金髪が目に飛び込んできた。

「私だ、マルテュールだ」

「えっ、あ…マルテュールさん…?髪の毛…」

記憶の中にある昨日のマルテュールの髪の色は土のような茶色。今は輝くようなホワイトブロンドを持っている。

「ゆっくり寝れたのならよかった。先ほどマルテュールさんとミスが水浴びをしてきたところですよ。ルナも行きますか?」

正直に言うと、とても体を洗いたい。昨日はあまり汗をかいていないとはいえさっぱりしたい。でも…!

森の中の開放的な場所で裸になることは恥ずかしい。

「あ、ああ、どう、しましょ、う…や、やっぱり…やめ、いき…うう…行かないです…」

迷いに迷って、恥を取ったルナは月の提案をお断りすることにした。

「ふふ、それではもう出発できますか?」

「ひゃ、い!」

髪の毛を手で梳かして、服をはたき、身だしなみを少しでも整える。

「言っておくが、本当に案内しかしないからな。私は護衛も中の説明もしない」

「ええ、それで良いわよ。言ったじゃない、『文化の記録』って。あたくし“が”アナタたちの文化を知りたいわけじゃないの。良いから黙って案内なさい」

「…こちらだ」

キツいミスの言いように眉根を寄せながらも、マルテュールさんは歩き出す。

先頭を歩くマルテュールさんのすぐ後ろを着いていっていたら、皮袋を渡された。

「干し肉だ。今日はまだ食ってないだろう、何か腹に入れておけ」

「え、あ、ありがとうございます…?」

口を縛っている紐を緩めて中に手を入れると、カラカラに乾燥した茶色い物体が出てきた。

「硬い…」

とにかく噛みちぎろうとすると、歯が立たない。しかも塩っ辛い。

一口大にできないため、一片を頬張り柔らかくしようとするも、塩味が強すぎて頭がくらくらする。

「それは私の残り少ない食料だからな、無駄にしたらただじゃおかない」

「ひょえ…」

とんでもないものを受け取ってしまったかもしれない。

仕方なく噛み続けていると塩分が取れて、噛みちぎれる程度の柔らかさになってきた。あ、案外おいしい、かも…

どこまでも冷たい目の前のエルフの、見えない優しさに触れた気がした。

 

足元が悪い道なき道を進んでいくと、やがて明らかに人の手によって作られただろう巨大な扉が姿を現した。

「ふむふむ、崖にこんな大規模な扉を…不思議な幾何学模様だね。洞窟の入り口とかになっているのかな」

「先の《神》の霊廟だ。私は外で待っているから好きに見ていけ」

マルテュールさんはそうぶっきらぼうに言い放つと崖下に腰を下ろす。

「よし、じゃあ私たちは行こうか」

柔らかな笑みで月さんは扉を押した。

 

洞窟の中はひんやりしていて、湿った土の匂いがした。

「ミスさん、霊廟って…」

「マルテュールがどういう意図で言っていたかは知らないけど、言葉通り受け取るんだったら、今暴走している《神格級》の先代の死んだ《神格級》が祀られているんじゃないかしら?…この世界の《神格級》は死ねるのね」

「死なない世界もあるよね。代替わりとかするのかな?今貰ってる情報からだと、暴走とかがトリガーになって《神》の継承が起こりそうだけど。代わりになる《神格級》がまだ居ないのかな」

足音が反響する。

ミスさんと月さんが世界への考察を深めていると、やがて赤い明かりがぼんやりと見えてきた。

パチパチ…と爆ぜるような音が聞こえてくる。薪を燃やしているのかな?

「風は…無い。酸素が関わった燃焼じゃ無いわね。ルナ、あなたも着いてきて。でも、ちょっとでも体調の変化があったらすぐに言いなさい」

「ひゃい」

きっと、マルテュールさんが私たちに案内してくれた本体。

霊廟っていうぐらいだから棺桶とかが置かれていそうなものだけど、そこにあったのは祭壇。

暗いが、両脇に篝火が焚かれていて捧げられているものはよく見えた。

下段には何も置かれておらず、中段には剣と盾、そして弓が置かれている。矢は見当たらない。上段には一際輝く指輪と、おそらく宝飾類であろう煤けた金属たちが丁寧に飾られていた。

「武具と他のアクセサリーは錆びてるけど、中央の指輪はちっとも汚れていないね」

「祝福された遺物じゃないかしら?《神格級》が関わった魔法は祝福と呼ばれているみたいね。基本的に攻撃的な魔法以外は《神格級》が関わってると見て問題なさそうじゃないかしら?」

「そうなんだね。…剣に何か彫られている?模様、でもなさそうだな。一応記録しておこう。もしかしたらダーザインの知らない言語かもしれない」

「一定性が見られるわね。古代言語か魔法関連の言語じゃないかしら?ほら、こことここの形同じよ」

「本当だ。マルテュールさんは読めるかな?…時間をかければ私の方で解読できそうだ」

置かれた物を見回しながら写真を撮ったり筆記で記録したりと月さんとミスさんは大忙しだ。だが、その間も指一本どころか髪の毛先さえ触れないように気を配っている。

私は…見ているだけだ。

二人とも、すごいなー、私にできること、何にもないなー、と思いながら見てるだけ。

帰ったら手伝えることもあるけど、特にこういう場所は触ったらお叱りが来る場合もあるので下手なことができない。だから、何もしないことが1番なのだ。

「よし、他に何か記録すべきところはなし、隠し部屋とかもなさそうだね。ルナ、地上に帰ろう」

「あ…はい!」

 

 

────────

それからの二日間、一行は数多の遺跡を巡った。

幸いなことに強敵は現れず、《神格級》も息を潜めたままだった。

月やミスとマルテュールの距離は相変わらずであったが、引っ込み思案だが明るく優しいルナの性格にマルテュールは少しずつ絆されているのが、他の二人から見ても明らかだった。

 

 

そして、月とミスの両名はある事実に辿り着いた。

 

『マルテュールは次代の《神格級》の候補者である』

 

 

────────

谷間の方に日が沈んでゆく。真っ赤に照らされた空気はどこか冷たさも孕んでいた。

「月さんとミスさんでここの残りは記録できるそうです。…この2日、お世話になりました。ちょっとの間だけでしたけど、明日別れるのが寂しいですね」

そう言ってルナはマルテュールの隣に腰掛けた。

「…そうか」

「綺麗な《世界》…場所、ですね…私の故郷もこんなふうに、夕方は空がオレンジになってました」

「あなたは…呑気な、人間だな」

ぽつり、とマルテュールは口にする。

「呑気で、温室育ちが丸見えだ…愛されて、大切に育ってきたんだろう?アンタにこの森の厳しさは分からない…!」

「まっ、マルテュールさ、」

「気安く触れるなッ!」

ルナが伸ばした手をはじき、マルテュールは立ち上がる。

「ここはアンタが、人間共が立ち入って良い場所じゃない…!」

唖然とするルナを置いて、マルテュールは決壊した感情でルナを突き刺す。

「私の大切な場所なんだ、赤子だっていた、守るべき仲間が居た!!それが突然…神に壊されたッ!」

マルテュールの言葉は止まらなかった。

「帰れッ!アンタには帰る家があるだろっ」

キン…

両耳が聞こえなくなって、現実が遠くなっていく。

…帰る、家?

パン!

「は、…?」

ルナに頬をぶたれて冷水をかけられてような気分になったマルテュールは、ルナを見つめ直す。

「知ってるみたいな口、きかないで…っ」

ルナの唇は震えていた。

「私も、帰れるなら、かえってるよ…」

全身がこわばって、瞳を揺らす。

「産んでくれて、育ててくれて…愛してくれて!ありがとうって…わたし、ママにもパパにも言えてない…っ!わたし、ダメな子だから…いっぱい迷惑かけて、心配させたのに、何もしてあげれてないのに!わたしだって、かえりたい…ただいまって、おかえりって…」

それきり、ルナの嗚咽は言葉にならず、ただ赤子のように泣きじゃくる。

ただ、毒牙を抜かれたマルテュールは、茫然と泣きつくルナの背中をさすっていた。

その様子を、二人が見ていた。

「…二人には、言わないほうが良いかもしれない」

「あら奇遇ね。…あたくしもそう思っていたところよ」

 

 

────────

────とあるエルフの儀式場に刻まれた言葉

 

『神が死ぬ時、神は次の仔を殺さむとす

 神を下せ

 己を神と成す為に

 新たな穏を齎す為に』

 

────────

「アイツ…現地職員が大丈夫だから手を出すなって言った理由が分かったわね」

俄かに、焚き火が音を立てる。

「下手に外部の人間に討伐されちゃうと、一つの《世界》で完結していた《法則》が乱されてしまう...って言っても、素直に伝えてくれなかったのはどうしてかしら?」

ずっと小骨のように引っ掛かっていた、初日の現地職員の言動に筋が通ったようだった。小さな炎がミスの白い顔を照らしていた。

「マルテュールさんが継承についてほぼ知らなそうなのも気になるね。奇しくも彼女は継承に必要な段階を踏もうとしているけど」

マルテュールと行動を共にしている間、月は何度か遺跡に刻まれている古代文字…神聖文字と呼んでいるらしい、の読解を申し込んだのだが、にべもなく断られていた。その断り方は翻訳の拒否というよりは、知らない出来ないように見えたのだ。

この《世界》のシステムに関わるような文章が書かれた遺跡に案内していることからも、神聖文字の内容をマルテュールは知らない。

「まあ...私たちやダーザインの介入が無くてもこの《世界》の存続は可能であること、それと、記録できたデータの2つを報告すればこの件は終わりかな?」

「マルテュールが今の状態で《神格級観測者》に勝てると思わないわ」

ミスが断言した。

「《可能性》の利が向こうにある分、“普通の”強者よりも苦戦を強いられる。少なくとも...ルナとあたくし、二対一であたくしにVS能力を使わせる位にならないと歯が立たない...と思ってもいいわね」

人差し指を立ててくるくると回す。頭の中で、断片的に知っているマルテュールの戦闘能力と照らし合わせているようだ。

その様子を見て、月はミスを見つめ直す。

「VS能力持ちであれば保護するのも手...って言いたいんだね?…VS能力者は滅多に居るものじゃない。私たちにできるのはこの《世界》の他の団体への合流を促すことぐらいが関の山じゃないかな。エルフの集団は他にもいくつかあるみたいだし、そことか」

考えを見透かされたのか、ミスは動きを止めた。ダーザインでの保護…つまりムーンライトミスに迎え入れて彼女の面倒を見るには、VS能力の有無という何よりも大きい壁があった。

「...たらればよ、たられば。あたくしも...神位についてとやかく言うつもりもないわよ。ただ...いいえ、何でもないわ。...あたくしはもう寝る」

ミスに睡眠は必要ないのでは、などと野暮な指摘はしない。

「うん、おやすみなさい」

月に背を向けて寝袋に入ったミスを月は温かな目で見ていた。

 

この世界に来てから3日続いた晴天は、最終日だけが翳りを見せた。

気が重くなるような曇天の下、一行は最後の遺跡へと向かっていた。

「最後の聖域は...いや、その身で味わった方が良いな」

「聖域に何か仕掛けでも?」

マルテュールは答えない。ただ、その足を少しだけ早めた。

「...ここだ。入れ」

マルテュールが案内した場所には透明だがオーロラに輝く薄い膜が張られていた。

マルテュールは躊躇無く、膜を手で押して入る。膜は何事も無くマルテュールを飲み込んだ。

「あたくしから入るわ。アナタ達は下がりなさい」

ミスが二人を手で制し膜の内側に入ると、驚いたような表情をする。

「これは...月、ルナ。二人とも入って大丈夫よ」

くるり、と振り向いて二人を手招きする。躊躇なく入っていく月にびくびく身を縮こまらせながら、ルナも恐る恐るといった感じで膜の内側に足を踏み入れた。

「ふむ、《感染源》か...」

月が顎に右手を当てて、外側とは隔絶した空気感に考えを巡らせた。

「《感染源》...?ここにあるのは聖具だ。開闢の《神》の心臓を基にして作られた魔力の杯がある。霊圧が強く、限られた者しか近づくことができない。この祝福によって張られた結界で霊圧を押さえ込んでいるんだ」

へー、と相槌を打つルナを横目に、月とミスは耳打ちをし合う。

「良いか?今回は中まで私が付き添う。下手に近付きすぎて気絶でもされたら困るからだ。少しでも気分が悪くなったら引き返させるからな」

マルテュールの表情がいつになく険しい。反対に月は、ルナにもマルテュールにも聞こえないようにミスとの話をつけて、穏やかに笑った。

「わかりました。最後の案内もお願いしますね、マルテュールさん」

 

 

────────

妖しく、脈打つ。

《神》の心臓が、光り輝く。

「あらまあ、これは見事な《感染源》ね!こんな爆弾抱えてたなんて、あたくしでも気づかなかったわ!」

苛立たしそうに声を荒らげる。

「これを抑え込む…祝福?思ったよりもこの《世界》の《神格級》は強権を持っていそうだ」

対照的に月は冷静な分析を口にしている。

そんな二人を交互に見ながらおずおずとルナが疑問を出した。

「あの…これって、ダーザイン案件じゃ無いですか…?」

「そうだね。でも…こんなにも見事に封印ができているのであれば、逆に手を出さないほうが得策かもしれない」

何かしらの力で《法則》の歪みを一切外に出さないあの薄い膜を思い出す。ダーザインにはない、ルクスフィルだけの…おそらく《神格級観測者》由来の結界。

「アンタら、先程から、一体何を…」

知らない単語を口にしだした三人にマルテュールは眉根を寄せる。

月はくるりと振り返って、事務的な笑顔でマルテュールと相対した。

「申し遅れました。私は異世界間互助を目的とした団体、ダーザイン本部より、ダーザインルクスフィル支部からの要請を受けて派遣された、ダーザイン特務部隊『ムーンライトミス』の部隊長、月」

「は?は、は…は?」

全ての単語が理解できないといった反応である。当たり前だ。

その様子に数週間前の自分を重ねたルナが口を挟んだ。

「えっと、つまり私たちはこことは違う《世界》から来たんです。生まれた《世界》と違う《世界》で活動するにはVS能力っていう、魔法とはまた違った特殊能力が必要で…」

どうやら月はこういった『未知』を説明するのがどうも苦手らしい、ということはルナもわかってきていた。それ以外は優秀なんだけどなあ…

「VS能力者はとても希少です。是非ともダーザインにご助力お願いしたい」

ルナの補足を遮って月が本題を伝えた。

「待て、ルナ、こいつを黙らせろ」

 

「つまりは、私がそのVS能力とやらを持っているからアンタらを手伝えと?断る」

ルナの細やかに気の利く説明を全て飲み込んだマルテュールは取り付く島もなく断った。

「ですよね…」

予想できた答えにルナは肩を落とした。どっと疲れた気さえする。

「私にはまず復讐の使命がある。それが終わらない限りは絶対にこの地を離れない」

「って言ってますよ、月さん」

ルナとマルテュールが話している間記録作業に勤しんでいた隊長にパスした。

「話が通じないロボットだと思われるなんて心外だなあ…まあ、説得はミスに任せるよ」

話を振られたミスは、少し月と目配せした後、ふよふよと浮遊したままマルテュールの目の前に移動した。

「アナタ、その程度の力で《神》を斃せるとでも思っているの?アナタの敵は思っているより強大よ」

とん、とマルテュールの胸元を人差し指で押す。

「元より相討ち覚悟だ。狂った者の戦闘能力なんてたかが知れている…あの時。《神》が私たちの村を襲撃した時。私は《神》と戦った。左頬の痣はその時に受けた呪いだ。左目も、《神》の呪いで開かなくなった。だが…一撃を喰らわせた。これ以上の対価を支払えば、私は《神》を殺すことができる」

覚悟が決まりきったその視線に、ミスは何かを思い出したように天井を見上げた。そしてゆっくりとその深緑色の瞳を見つめ返した。

「倒錯してるわね。…『神が死ぬ時、神は次の仔を殺さんとす。神を下せ。己を神と成す為に。新たな穏を齎す為に』この言葉に聞き覚えはある?」

ぴくり、と眉が動いた。

「…いいや」

「あら、不勉強ね。昨日最後にまわった遺跡に書き残されていた言葉よ」

嘲るような表情。

「アナタは、今の《神格級》を討ち取り、新たな《神格級》になることが定められている」

当てたままの人差し指を更に強く押し込む。

マルテュールはミスからの圧に一歩後退した。

「いや…エルフだったら他の一族も居る。それらが成れば良いのでは?」

「鈍いわよ」

間髪入れない返答にマルテュールは更に表情を強張らせる。

「今集まってる情報から見るに、先代の《神》を殺すことが代替わりのトリガーになる…アナタが相討ちで死んだら《世界》の機能が上手くいかなくなって…最悪の場合この《世界》は滅びるわ。アナタが愛する森も、死んでいった仲間との記憶も、全てが無かったことになるの」

「…全てが」

「ええ、そうよ」

ルナはその様子を固唾を呑んで見守っていた。《世界》、崩壊、全てが無かったことになる…一つ一つの言葉が心臓に突き刺さっていく感覚がした。

「どう?あたくしたちについてこない?一緒に来てくれるんだったら、アナタを強くさせてあげる。アナタと共に戦う仲間を授けてあげる」

右手を差し出した。まるで自分の手を取れと言うかのように。ミスの夜明け前の空のような瞳が揺れた。

「口説き文句はこれで終わり。ついてくるかついてこないかは…アナタに委ねる」

マルテュールはその言葉を聞いて俯いた。葛藤があるのだろう。ミスに表情を見せないようにしていた。

「…断る」

顔を上げて絞り出したのは、結局変わらない答え。

「やはり弔いとして、私自身の力で仇を討ちたい…そう、願ってしまう」

「…そう」

色々な感情が混ざった相槌がミスから漏れた。

くるり、とミスの後方で見守っていた月に振り返った。

「月、記録は?」

月は相変わらず薄く微笑んでいた。

「できてるよ」

「それじゃあ帰りましょう」

 

「ミスさん…ミスさん!…本当に、良かったんですか?」

「…無理強いしても良いことは無いでしょう。アナタも、無理矢理故郷と引き離させられるのは嫌でしょう?…そういうことよ」

ルナは両手を胸の前で握った。まだ胸の内で燻る絶望が顔を覗かせる。

その様子を見たミスはルナを引き寄せて抱き締める。

「…ダーザインに、カノニカルに、帰りましょう」

まだ日は落ちていない。早めに街へ出られれば今日中にはカノニカルに戻ることができるだろう。

三人は帰路を急いだ。

 

 

────────

ずるり。

目を覚ます。

体の痛みに咆哮する。

憎い。

何かが憎い。

無性に、狂ったように、何かのことが憎くて仕方がない!

…滅ぼさなければ。

エルフを。

私の神座を脅かす者を。

 

 

────────

野原を駆け巡って遊んだ。長老たちの口うるさい説教なんて聞き流して、遺跡の掃除もまともに手伝わなかった。

大人が子供たちを連れて遺跡で神聖文字の勉強をさせてた時も、私だけ逃げ出して遺跡の外で座ってた。

「マルテュールは勉強しないのか?」

見回りをしてた狩人のお兄さんに見つかった。別に叱るでもなく、持っていた弓を下に置いて私の隣に座って一緒に空を見上げた。

「神聖文字を読めなくとも生活には困らない。それよりも私は早く狩人になって村を守りたい」

「おう、良い志だな」

否定はされなかった。彼は歯を見せて笑っていた。

その後も勉強なんてほっぽり出して森の中で遊び呆け、大人になったら狩人になった。生活はあまり変わらず、森や野原を駆け回る日々だったが、遊ぶだけではなく野獣や魔獣を狩るようになった。

私は誰よりも魔法に長けていて、ほとんど負け知らずだった。

平和で、何もなくて、何よりも愛おしい日々だった。

 

その日々が崩れた日は、私は遠征から帰ってくる日だった。

何故かは覚えていないが、一緒に遠征に出ていた仲間二人は私より先に帰路についていた。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…」

気持ち悪さが全身を襲って、柄にもなく急いでいた。早く帰らなければ、と本能が警鐘を鳴らしていた。

穏やかに紫色に染まっていくはずの空は真っ赤に燃えていて、やがて弾けるように闇に染まった。

「里が…!!」

暗くなったことで遠くからでもよく見えた。私がその日帰るはずだった場所が、燃えていた。木材の焼ける臭いが遠くまで来ていて、顔を顰めることしかできなかった。

脚がもつれても、言うことを段々と聞かなくなっても、全力で走った。

《それ》は突如として私の前に現れる。音もなく、光も影もなく。

そのせいで避けることが出来なかった。

「ガ、ハ…ッ?!」

腹部に直撃しそうになったのを、手と杖でなんとか防ぐ。それでも衝撃は止まることはなく、後方に吹き飛ばされた。

すぐに体勢を立て直す。呼吸を整えながら相対する《敵》を見た。

我が一族の金の頭髪、エルフ特有の長い耳、頭に被った茨の冠に鹿の角。その姿は、エルフで信仰されている先祖神。

「緑主…?」

唯一言い伝えと違うのは、その肌が真っ黒に染まっているということ。…明らかに正気とは思えなかった。

「緑主様が、やったのか…?」

問いかけは空を切る。

緑主らしき存在はこちらを見ていた。私を、警戒している。舐めるような視線に、殺気が交じっていることが分かって、体が震えた。

杖を構え直した。ついさっきまで崇拝していた相手に刃を向けるという矛盾に、吐き気がする。だがそうしないと死ぬのだ、深く息を吸って魔力を溜めた。

先に動いたのはあちらだった。

「…ッ!」

黒い腕が伸びてくるのを間一髪で避ける。太い、速い…!

「不定形か…!」

舌打ちは心の中に押さえ込んだ。魔獣もそうだが、不定形は間合いは測り難ければ挙動も見誤りやすい。試しに魔力を打ち出してみれば、弾道に合わせて体の形を変えて流された。

 

──緑主様はお優しい方なのよ。

 

…うるさい。

 

腕を振るって木々諸共私を吹き飛ばそうと横薙ぎ。

 

──いつでも私たちを見守っていてくださる。

 

うるさい。

 

なんとか避けても次の攻撃は髪に当たった。

 

──ほら、手を合わせて、お祈りを捧げるの。

 

うるさい!

 

自分の千切れて舞う髪に気を取られていたら、上に避けた所を追撃された。

 

──私たちが未来永劫繁栄できますように。

 

うるさいうるさいうるさい!

 

上方向へ吹き飛ばされて、緑主を超えて地面へ叩きつけられた。

まともに受け身も取れず、息が詰まる。

「ゴホ…ッ!ゲホ、ゲホッ…!ぅ、う…ッ!!」

それでも緑主を睨め付けて立ち上がる。

呼吸を整えるために、深く息を吸った。

…血の、匂いがした。

急いで辺りを見回す。

「マル…ラル…?」

先程まで一緒に行動していた狩人仲間の一人の弓を見つけた。駆け寄れば彼の金の頭も見えた。

地面に頽れた彼は…彼の首は何者かに折られ、千切れかけ、両腕も関節が無い場所でおかしな方向へ曲がって、下半身は見当たらない。

「マルラル…?おい、マルラル?!しっかりしろ!おい…」

頬を持って顔を覗き込んでも、反応は無い。血が口から垂れて、視線は定まらない。温かさは無く、夜風に晒され冷たさを纏っていた。

…仲間が死んだ、さっきまで一緒に居た仲間が、殺された。

実感を伴った絶望は、思っていたより私の心を蝕んだ。

「あ、あああ、ああああああああああ!!」

獣のような咆哮が喉から出て行くのを聞いて、身を灼くような激情を自分が持ち合わせていたのか、とどこか他人事のように思った。

こんなにも心臓が締め付けられているのに、涙は一滴も溢れず、《敵》と向かった。

「『祈りを』…いや、『怒りをもって打ち倒さん』…」

なぜこの言葉が口をついて出たのか、分からない。ただ、祈りを捧げる対象が斃すべき相手になった時には、いつもの詠唱よりはずっと相応しいと思う。

「...『祈りをもって希わん』...」

『花占いの凶兆』

緑主が身の危険を感じてか魔法を打ち出す。避ける気は起きない。

『 』

己の口から出たのは知らない魔法だった。何かが導いてこの魔法を発動した、そんな気さえした。

緑主の魔法が迫る、禍々しい瘴気を纏ったそれは当たれば無事では居られないだろう。だが...

左上半身に直撃した。思っていたような衝撃は感じないが...魔力が心臓に絡みつく。根を張るように私を縛り、苦痛を与える。

「ぐぁ...ッ...!」

堪えるように左目を瞑る。その目はついぞ開くことは無かった。

弾けるような音が響いた。

「ギャアアアアアアァァァァアアア!!!」

私が放った魔法が《神》を貫いた悲鳴が大地を揺らす。胴の右半分が大きく抉れた姿はより一層異様なモノに見えた。

悲鳴は止むことなく、ずるりずるりと歩くよりも遅い速度でこの場を去っていこうとする。かという私も魔力不足で視界が白く弾けていて、追いかけることはできなかった。

「待て…今、とどめを…」

力が入らない手足に鞭打って、這いつくばってでも《神》に最後の一撃を入れようとするものの、体が言うことを聞かなかったのだ。

どれぐらい時間が経っただろうか、悲鳴はとっくに彼方に消えた、里を燃やしていた火の音も無くなっていた時になってようやく、立ち上がれるようになった。

胴を重たくする疲労感を無視して、マルラルの遺体を背負って里へと歩き出した。

冷たい、重い。まだ彼の体内に残っていた血が私の髪や胴体を伝っていく感覚が気持ち悪かった。

「マルラル…勇敢なる風の子よ…目を覚ませ、さっきまで…」

息が切れて、足元が覚束ない。雨は降っていないはずなのに所々にぬかるみがあって、足を取られそうになりながらも、彼を里へ運んだ。

里の手前に、もう一人の仲間が倒れていた。マルエイナという名前の彼女もまた《神》に殺されたのであろう。

「マルエイナ…」

嗚咽を溢して泣いた。

二人とも私と歳が近く、よく一緒に仕事をした仲間だった。優秀なエルフだった、私よりもずっと。これから里を、一族を率いていくことができる、頭の良い二人だった。

マルエイナの側にマルラルを降ろし、里の焼け跡に足を踏み入れた。

誰の声も、音も聞こえない、寂しい里だ。未だ小さく火が残っているのに、元が祝福であるからか熱くはなかった。

三日ぶりの自宅。里の外側に位置するため、火の手は及んでいなかったが、色濃い《神》の祝福の魔力が残っていた。ドアを開けると母を守るような格好をしている父の背中が見えた。

…馬鹿だ。私の父が一人であれば《アレ》を倒すことはともかく逃げおおせることなど容易かったはずだ。体の弱い、母を庇わなければ。

母は体こそ弱かったが気丈な女で、私はよく幼少期から叱られていた。

二人はでも有名なおしどり夫婦で、一人娘の私に手をかけてくれた。遠征に出る日の朝にも、食料の堅パンや干し肉を持たせてくれた。もう私は大人なのに、よく面倒を見てくれて…

父を背負って立ち上がる。祝福によって命を奪われたのだろうか、外傷は見当たらなかった。重い、足がふらつくが、村の中央へ運んだ。母は軽かった。父の隣に寝かせた。

里の至る所を探して里の住民の遺体を集めた。両親のように外傷一つない遺体もあれば、炎に焼き尽くされ骨しか残っていない者も居た。骨しか残っていない者たちは頭部の骨だけを集めた。

遺体が回収できた者の人数を数えた。何人かの子供が居ない。もしかしたら逃されていて村の外で息を潜めているかもしれない。

そんな希望的観測は翌朝に打ち砕かれた。

泣きながらみんなを埋めた。《神》の呪いが残ってしまった里から、少し離れた場所に。

一人一人の名を石に刻みつけて墓石にした。

涙が止まらなかった。

あまり感情が顔に出ない性分だった。自分で言うのもなんだが、感情が揺れ動きにくい性分でもあったのだと思う。

それをいつでも仏頂面だと笑ってくれた仲間も家族も、もう居ない。

水に反射した自分の顔は、左目が開かず左頬に忌々しい《神》の祝福の跡が這っていた。

この顔を見るたびに吐き出した言葉がある。

「殺す。絶対に復讐する」

そう口に出すと、少しだけ気が楽になった。

 

 

────────

うーん…なんだか喉元に溜まったモヤモヤが一向に晴れてくれない。

ミスさんの真剣な説得で靡かなかったということは、それだけマルテュールさんの意思が堅かったんだなぁ、と思う。私が一人で残されて、ミスさんや月さんに手を差し伸べられたらすぐにでもその手を取ってしまいそうだなぁ、とも思った。

…あんなに悲しい音をしていた人を放っておいて、大丈夫かな。

初めての夜の後からマルテュールさんのバイオリンを聞くことは無かったけど、あの日の演奏を思い出す度にまるで死んでしまいそうな音だ、と感じてしまう。

無意識にフルートの指をしていた。

「ルナは横笛が得意なのかい?」

「ヒャぁっ?!あ…はい。兄が…フルートの演奏者で。ちっちゃい頃から一緒にレッスンに通ってたんです」

「フルート。いいね、私にはできない楽器だから羨ましいよ。また今度聞かせてもらえたら嬉しいな」

「はい…!私にできる範囲であれば、いくらでも…!あ、でも、お兄ちゃんみたいに上手にはできないんですけど…」

またこの出撃を通して、少しだけ月さん、ミスさんの二人との距離が縮まった気がする。

「召喚獣の魔力を実体化して楽器にする?不思議な魔法ね」

ミスさんは相変わらずふよふよ浮いている。浮いている時は顔が私よりも上にあるのに、私より背丈は小さくて可愛い。

「はい…!でも、自分の召喚獣の魔力に起因するので一番扱いやすくて馴染みやすいんですよ」

『パピヨン』

約三日ぶりの召喚。パピヨンは私の周りをくるりと一周した後、私の手の中でフルートの形を取った。

「へぇ、すごいね。ルナの《世界》の召喚獣はそんなこともできるんだね」

「待って構えて」

す、っと月さんとミスさんの目線が冷えた。

「この気配…間違いない。来る」

ガキィインッ!

「キャアッ!」

金属が打ち付けられた音が木霊した。

「《神格級》…ッ!」

目を開けると真っ黒な生き物が月さんに襲いかかっていた。

「何、故…休眠しているはずじゃッ!」

押し負けそうになりながらもなんとか攻撃を弾いた月さんはすぐさま構え直した。

「ルナッ!臨戦体制!」

「は、はイ!『パピヨン』ッ!」

ポカン、としていた私を叱咤する声に、返事が裏返る。

急いでパピヨンを召喚し直すが、どうしたらいいのかわからない。

「...ルナ、よく聞いて。後ろに気をつけながら真っ直ぐ街へ向かいなさい」

「...え」

「良い?あたくしたちだけじゃどうにも出来ないから、救援を呼ぶの。アナタの脚の速さだったら間に合う」

最悪を想像して、呼吸が浅くなっていく。

内臓が引っ掻き回されているような不快な圧迫感が足を竦ませる。

ちらり、と《神格級》と打ち合っている月さんを見る。まだ攻撃を受けていない、安定している、だが思うように攻勢に転じれていないようだった。

「そ…そんな、こと…」

ミスさんに肩を掴まれた。

「ルナ!早く行って!一番早く出撃できるSランクの部隊を連れてくるの」

「…はい」

恐怖で指先が震えている。けれど、私には私ができることしかできないから。

《神格級》と二人に背を向けて走り出した。パピヨンの力も借りて、風よりも速く限界まで速く。

 

「ミスも悪い人だね」

「…もう人じゃないもの」

「拘束手段は?」

「あるにはあるけど」

「了解」

 

 

────────

走って、走って、走って。

ミスさんと月さんは私を逃がしてくれた。それに応えなくちゃ、絶対に助けなくちゃ、とひたすらに思いながら足を動かす。

パピヨンの魔法で風よりも速く走る。が、幾ら走っても森が開けない。焦り始めたところで、見覚えのあるひとが目に入った。

「マルテュールさんっ!」

「ッ、ル…?!」

勢いそのままマルテュールさんの胴に飛び込んだ。

「マルテュールさん!助けてください!月さんが!ミスさんが!うぇえ〜ん!!」

お腹に抱きついて押し倒してしまったが、謝るよりも先に、それまで押さえていた涙が知っている人に出会って決壊した。

「ルナ!落ち着け、何があったのか言えていない」

「ふうぇえ…ズビッ」

マルテュールさんに肩を掴まれ、起こされる。

「《神格級観測者》と出会ってしまってぇ…ズッ、わたしはぁ、ミスさんにぃ、逃がされてぇ…今人間の街に向かってる途中だったんですけどぉ…ヒグッ…」

「ハァ…ルナ、落ち着いて聞け。人間の街は逆方向にある」

衝撃の事実。ミスさんに背中を押された方向に走ってきてしまったけれど、よく考えてみれば歩いてきた道を戻ってきただけだった。

「えぇっ?!逆?!ですか…?どうしよう、私、焦りすぎてて…ふぇ…」

森の中で景色が変わらず、気づかなかった。この失敗で二人が死んじゃったら…と考えるとまた涙が溢れてきた。

「泣くな。落ち着くんだ」

マルテュールさんが背中を摩って慰めてくれた。困惑しながらも優しい手つきで、だんだんと涙が少なくなっていく。

「良いか?森の中でおーばーどとやらに三人が出くわすしたんだな?おーばーどとは何だ?」

「ひっく、え、ぇっと…オ、っバード、っていうのは…ヒクッ、神、ッ様の、こと、でぇ…」

しゃくりあげながらの言葉は聞こえづらいかもしれないが、なるべく聞き取りやすいように伝える。

「神…」

マルテュールさんの表情が抜け落ちた。

「ルナ、その場所へ案内しろ」

「…え」

マルテュールさんの硬い手が私の手を取って走り出す。

「こちらか?走るぞ」

 

 

────────

カンカンカンカンッ!

連続して出てくる触手を月は金属の棒で弾く。

バースセイバーはその世界への干渉は基本的に禁じられている。そのため、《神格級》の討伐など以ての外なのだ。つまりは…全力を出した攻撃をしてはならない。

それ以外にも苦戦を強いられている理由がいくつもある。

隙を見計らって胴にフルスイングを入れるが、妙な手応えだけが残ってダメージを与えられない。攻撃を避けながら回路を巡らせた。

物理攻撃が効かないなら魔法攻撃は?いやいや、それともこの《世界》由来のモノでしかダメージを受けない?マルテュールさんは一撃を喰らわせた、と言っていた。彼女の武器を見る限り何かしらの魔法でだったらダメージを喰らうはず。

「ミス!魔法由来の攻撃はできるかい?!」

「できたらとっくにしてるわよ!」

こちらを睨みつけているミスに月は声をかけた。彼女はいつも腰に提げている『聖書』を開いて、とある『魔法』をいつでも発動できるようにスタンバイしている。

──ミス・ミスは攻撃魔法が使えない。

常に『聖書』に縛られている身である彼女は、味方の支援でのみ参戦している。

「体力が削れない?…チッ、早くあの子が救援を連れてきてくれないと…」

今取ることができるであろう手札を頭の中で並べた。今準備してある魔法以外でこの《世界》の《神格級観測者》にも通用するであろう魔法は…影響力が大きすぎる。かといってこの魔法では、ほぼ完全体に近いこの《神格級》を完璧に封印することはできない。

ミスが考えた手段はこの《神格級》を封印することだった。一時的に被害を無くし、マルテュールが十分に討伐できるようになるまで眠らせる魔法。

完全に魔法がかかりきるまで、抵抗されない程度に弱らせる必要があった。そのために裏でスタンバイしていたが、月の攻撃が効かないと分かるとミスは歯噛みした。本当にルナの救援要請に頼ることになるとは思ってもいなかったからだ。

足の速いバースセイバーが捕まれば良いが…そんなに上手くいくとも限らない。もしかしたらルナよりずっと足の遅いバースセイバーが救援に来る可能性だってあるのだ。その場合、《神格級》を永遠といっていいほどの時間、月一体で相手取らないとならなくなるかもしれない。流石に分が悪すぎる。最悪の場合…を考えたところでミスは頭を振った。

「月、気休めかもしれないけれど魔法をかけるわ」

「了解、頼むよ」

月は涼しい顔で《神格級》からの攻撃を捌いているが、いつ機体に限界が来るとも分からない。人間相手と比べると本当に僅かしか効果が無いが、ミスは補助魔法を月にかけることを決めた。

その時だった。

『祈りをもって希わん!』

緑の光が《神格級》の頭を貫いた。

《神格級》の頭部が弾けて…確実に月とは違ってダメージを与えている。

「ルナ、よく案内してくれた」

「マルテュールさん!これが貴女の言っていた《神》で間違いないですか?!」

涼しげで通るマルテュールの声に、月は振り返って確認する。マルテュールはしかと頷いた。

「ミスさぁん!ごめんなさい!道を間違っちゃってぇ…!」

マルテュールの後ろに隠れるように立っていたルナは、ミスに向かって走りながら泣きそうな謝罪の言葉を口にした。

「…よくやったわ、ルナ」

「…へ?」

それに対してミスは、丁度必要としていた存在を連れてきたルナに笑みを向けた。

「マルテュールさん、《神》に私の攻撃は効きませんでした。補助をしますので攻撃をお願いします」

「願ってもないことだ」

ぎり、とマルテュールの杖を握る力が強くなる。

月とマルテュールは反対方向に分かれて攻勢に転じた。

「ルナ、アナタはあたくしの後ろに隠れて」

ミスはルナの腕を掴んで自分の影に隠れるように守る。

「ふぇ、行かなくていいんですかぁ…?えっと、街の方に」

「先にやってもらいたいことがあるの。ここから《神格級》に攻撃できるかしら?」

自分より高いところに浮かんでいるミスを見上げて、言われたことを困惑しながらも飲み込んだ。

「え…で、できます、けど…」

「やってみて、お願い」

「は、はい!」

右肩にとまっていたパピヨンを手に移す。そっと両手を握り合わせて詠唱をした。

『満ちたる望月を背に

万物と共に舞う

自由を知る蝶の踊子よ

今ここにかの日の奇蹟を』

『自由なる月の蝶の踊子』

黄色に光り輝く蝶たちが《神格級》の頭上に群れを成した。そして次々と《神格級》に突進していって全貌を覆い隠す。

ルナの魔法の中から再び現れた《神格級》は傷一つつかず、また月に腕を伸ばした。

「えぇ…?!効いて、ない…?!」

「やっぱりね」

その《神格級》の様子を見たミスは不敵な笑みを浮かべる。

「私、私…!うぅ、ごめんなさい…弱いし、役立たずだし…」

「あのね、ルナ、気にしなくて良いのよ。月も攻撃が通用しなかったの」

頭を抱えて自分の非力を嘆くルナの頭を押さえながら、ミスは端的にルナが居なかった間に分かったことを伝える。

「月の攻撃も効かなくてアナタの攻撃も効かないってことは…?」

「…異世界由来の干渉を受けない?」

「そう見て良いわ。つまりこの場では──マルテュールがカギとなる。ルナ、マルテュールを連れてきたこと、大手柄よ」

後ろ手でミスはルナの頭を撫でた。

「マルテュールさん、何か大きい技はありますか?」

一斉に襲いかかってくる《神格級》の腕を受け流しながら、月はマルテュールに問いかけた。

「あるには、あッ、?!」

返事のために足元を疎かにしたマルテュールは、《神格級》の腕に足を取られて転びかける。その肩を支えて月はマルテュールの体勢を立て直させる。

「あるんですね?幾らか時間が必要ですか?」

視界が回った後もしっかりと足で立っていることに目を白黒させる。

「あ、ああ」

「私が引き付けます。その間に準備を」

そう言葉を交わしている間にも《神格級》は腕を伸ばしてくる。まるでマルテュールを絡め取ろうとするかのように。その全てを月は棒で鮮やかに流しきった。

「『祝福』が欲しければミスに声をかけてください」

「…は?」

「早く!」

切羽詰まった声を聞いて、マルテュールは突き飛ばされるようにミスの方向へ走って行った。

それを追いかけるように一本の黒い腕がマルテュールを追いかける。

月は躊躇なく自分の得物を振りかぶり、その腕を地面に縫い付ける。

「私が相手ですよ」

地面に突き刺さった棒をまた手に取り《神格級》に正面から向かっていく。

「あれは、何だ?一体何者だ?」

「さあね、一体何だと思う?」

転がるようにやってきたマルテュールを尻目に、ミスはくすくすと笑った。

自分の身長よりもずっと長い武器を振り回して微塵も軸がぶれない、全て計算し尽くしたように攻撃を避け、受け流し続ける。

「さあ、最後の仕上げよ。あたくしの力を貸してあげる。だからアナタの欲望、夢、意思、希望、正義…アナタを突き動かす物全てを言いなさい」

開いたままの『聖書』が空中に浮く。その上からミスは手をかざした。

「私は復讐をしたい」

「何のために?」

「殺された同族のため」

「それ以外には?」

「…やりきれない私自身の気持ちを晴らすため」

「誰を?」

「《神》、緑主…かつて信仰していた先祖神を」

「どうやって?」

「…殺す」

ミスは鼻でふん、と笑った。

「良いじゃない、上等な『神話』の種になるわ」

『聖書』から光が溢れ出してマルテュールの体にまとわりつく。

『神武羅比売記:織』

パタン、と『聖書』が閉じられた。

それと同時にマルテュールを隠していた光が霧散した。

ずっと纏っていたワンピースと同じ色のローブに、マルテュールの瞳の色と同じ緑で膝丈で切られたコルセットワンピース。白いアームカバーにはミスの加護が刻まれたレースがふんだんに使われていた。

「アナタの『神話』をあたくしに見せてみなさい」

一瞬で変わった自分の服装を見てから、マルテュールは深く頷いた。

「月、避けていろ」

静かに言い放つと自分の杖を確りと握り直した。

月が戦線を離脱したところを見届けてから目を閉じる。

自分が放つべき魔法は既に心の中にあった。あの日に天啓のように降ってきた魔法を、全身全霊で撃つ。

『怒りをもって打ち倒さん』

何かに魅入られたかのように動かない《神格級》へ杖を向けた。

『叛逆者の挽歌』

輝かしい光線が《神》を、その後ろの森林ごと貫く。全ての魔力を抜き取られていく感覚を味わいながらマルテュールはその光景をどこか他人事のように見ていた。

大地を包んだ光が晴れた時、地面を力強く踏み締めていたマルテュールの足が力を失って、マルテュールは倒れ込みそうになる。間一髪で月が駆け寄り彼女の体を支えた。

「…気絶している」

マルテュールの顔を覗き込んだ月はマルテュールが目を開かないことを確認してそう言った。

蠢く。

まだ《神》は死んでいなかった。

地面付近に僅かに残った黒い体から触手を伸ばし始めていた。

「月さん!まだ《神格級》が…!」

それを視認したルナが声を上げた。ところでミスが魔法を解放した。

『玉打平那夫:縛』

灰色の帯状の魔力が残っていた《神格級》の体に巻き付いて行動を縛る。

「やっぱり、と言ったところかしら。マルテュールにまだ《神》を殺す実力はついていない。ここまできたんだったら最後まで面倒見てあげたいところだけれど」

ミスは月とマルテュールへふわふわと近づいて、マルテュールの顔にかかっていた髪を払ってやる。

「あと一踏ん張り?」

「…マルテュールさんはかなり頑固な人だから、意見は曲げないと思うな」

月はマルテュールの体を地面へ横たわらせた。

「あら、月はそう思う?」

眠っている顔もいつものしかめ面のような表情のマルテュールをちらりと伺う。

「マルテュールさんは、無事ですか…?死んで…とかは…」

「安心して大丈夫だよ。ちゃんと呼吸も脈動もある」

「…んっ…」

「ほら、起きるよ」

「マルテュールさんっ!大丈夫ですか?!」

やがてマルテュールはパチリと目を開いた。しばらく視線が彷徨った後にルナに焦点が合った。

「ルナ…泣くな。ただの魔力不足だ」

その後周りを見渡してミスと月を視認した。起き上がると三人に向き合うように起き上がって片膝をつく。

「あなたたちの助力がなければ私は今日死んでいただろう。感謝する」

一瞬ふらつくもルナに支えられてまた姿勢を直した。

「ええ、そうね。でもアナタの《宿敵》はまだ死んでいないわ」

「…ああ」

光の帯で結ばれた《神格級》をちらりと窺う。黒い塊となっているその《神》は言われなければ《神》だと分からない。

深く考え込むようにマルテュールは瞼を閉じる。

次に開けた時に、瞳の奥で宿っていた覚悟にミスは深く笑った。

「一度断ってしまったが、あの申し出はまだ有効だろうか。…実はあなたたちのことを疑っていた。3対1であったから遅れを取っただけで、まさか自分より強い人間が居るなんて思ってもみなかった。自惚れていたんだ。でも…今回ではっきりと分かった。私はあなたたちに遠く及ばない」

自白のような言葉を吐き切ったあと、息を吸った。

「本当に強くしてもらえるなら、私はいくらでもあなたたちに着いていこう」

月とミスは目を見合わせる。

「勿論だ。貴女の願いのために、私たちはいくらでも助力しよう」

月はマルテュールの目の前に手を差し出した。

「アナタを強くすることなんて造作も無いわ」

「一緒に頑張りましょう!マルテュールさん!」

月の手を取ってマルテュールは立ち上がる。

「これから、よろしく頼む」

その言葉を聞いた三人は、心が晴れたように笑った。




「えへへ、まだマルテュールさんと一緒に居られるの、嬉しいです」
「…よく私の頬を張っておいてそんな口が利けるな」
「うぐ、ッ…そ、その…ご、ごめんなさい…あの時は、カッとなっちゃって…」
「いい、あんたにも事情があるんだろう。その…私もあんたに余計なことを言ってしまってすまなかった」
「…ふふふ、これで仲直りですね!そうだ、お友達の証としてあだ名で呼び合うのはどうですか?」
「ルナ…あんたはあだ名なんて付けない方が呼びやすいだろう」
「そうですか?私、マルテュールさんのこと、マル、って呼びたいんですけど…ダメですか?」
「…ふん、好きにしたら良い」
「やったー!マル!」
「…おい!あんたらその目で見るのはやめろ!言っておくがあんたらには許可していないからな!」
「隊長として、メンバー同士の仲が良いことは喜ばしいね」
「ふん、どこまでもツンデレなんだから」
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