手にはスマホ。画面をタップした指先はそのまま。座っているのは同じだが、木の椅子から緑の丸椅子に変わっていた。
左に長机があり、パソコンとキーボードが置いてある。その上の壁に、巨大なモニターが取り付けてある。
何が起きたのか。状況が理解できない。
「……へ?」
向かいには立派なオフィスチェア。女医と思われる格好の人物が足を組んで座っていた。
腰まで伸びたプラチナブロンドの髪が、陽光を束ねたかのように輝いている。透明感のある白い肌。紫色のリップを引いた、ぷっくりとして艶やかな唇。この世のものとは思えない美しさだ。
しかし、こめかみのあたりから湾曲した黒い角が生えている。白目の部分が黒く、瞳孔が縦に割れた真紅の瞳が私を見つめていた。同じ人間とは思えない。
その妖艶な女性が口を開く。
「お名前は?」
「あっ、木村雅です」
混乱した頭のまま、反射的に答えてしまった。
彼女の左胸には、白い樹脂素材の名札――〝メラ・ゼルバプフ〟と書いてある。
「……あの、ここはどこですか?」
「ダンジョン美容クリニックよ。あなた、無料カウンセリングを希望したでしょう?」
押した。たしかにボタンを押した……が、まずは予約からではなかろうか。いきなりクリニックに飛ばされるなど聞いていない。
どうやらカウンセリングはもうすでに始まっているようだ。メラ先生はキーボードを操作して〝ミヤビ・キムラ〟と打ち込み、カルテを作っていく。
モニターに、両手を広げて立つ私の三次元画像が映し出された。
「ではミヤビさん、目を瞑って。理想の姿を、しっ……かりと思い浮かべるの。目は、鼻は、口の形は? 今のあなたと比べて、身長も体型も違うはずよね?」
頭の中で自分を作り替えていく。好きな女優を元にして、そこからカスタマイズ。二度と秋田美人を引き合いに出されて馬鹿にされない、完璧な姿を目指す。
目はやはり、ぱっちりとした二重がいい。タレ目気味なので、目尻は少し持ち上げようか。長いまつ毛と涙袋も欲しいところだ。これでクールな印象がありつつ、可愛らしさも両立できた。
低い鼻をもっと高く。鼻筋が真っ直ぐな小鼻にしたい。
口元は難しい。唇は薄くても可愛いし、ぽってりしていても魅力的だ。化粧映えするのは後者だろうか。自然体でも微笑んで見える形がいいかもしれない。
輪郭、胸、お尻……全身隈なく調整していく。何度も試行錯誤を繰り返し、ようやくスーツが似合う絶世の美女を作り上げた。
「できました……」
「そのイメージをちゃんと固定していてね? ちょっとおでこに触れるわよ?」
メラ先生の人差し指が私の額に触れた。冷たく、体温を感じられない指だ。そこから、低周波のようなピリピリした刺激が脳に向かって流れていく。無理やり中身を覗かれているような。ぞわぞわと背筋が粟立つ不快な感覚だ。
「いいわよ、目を開けて」
「はい……」
刺激が収まり、目を開く。
モニターに、今の自分と想像した自分がいた。
「どう? 決定でいいかしら?」
「なんか、整いすぎているような……」
絵に描いたような美女。意図的に作られたがゆえの違和感がある。こんな浮世離れした人間が存在していいはずがない。逆に不気味で、怖いとすら思えてしまう。
「そうねぇ、自然にしてあげると――」
メラ先生はモニターにタッチして、目にも留まらぬ速さで両手を動かす。参考画像が瞬く間に修正されていく。
「――こんな感じ?」
「わあ……」
感嘆の声を上げる私の胸の
――この人になりたい。
SNSに自撮りを上げるインフルエンサーたちも、腰を抜かすほどの出来栄えだ。お金なんていくらかかってもいい。悪魔とだって契約してみせよう。私を……新しい自分を手に入れたい。
ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。
「無料カウンセリングはここで終わり」
「え? やっぱり……」
騙されていたのだろうか。
たとえ大金を使って名医による手術を受けたところで、こんなまるっきり別人になれるはずがない。
自宅から診察室に移動した仕組みはわからないけれど、非日常的なトリックで期待だけ持たせて、金を搾り取る新手の詐欺だったのかもしれない。
「あら、勘違いしないでね。ホームページに書いてある通り、あなたが頑張れば、必ずこの姿になれるわよ?」
しかし、その疑念はすぐに払拭された。
「ほ、本当に……? やります。私、何でもします!」
「そうこなくちゃ! 契約成立でいいわね?」
「はい、お願いします!」
嬉しい。両手で顔を覆い隠す。
メラ先生はぶつぶつと呟きながら、またキーボードを叩き始めた。
「えーっと、初診料とデザイン検査料でしょ。異世界通行費に職業処方……か。ミヤビさん、あなた運動は得意?」
「いえ。健康のために走ったりはしますけど……」
「サポートが必要かもね。動物は好き?」
「はい、特にワンちゃんが」
聞きなれない言葉が多く、質問の意図がよくわからない。やはりここは普通の美容クリニックとは違うようだ。
モニターに四匹の動物が表示された。
左から順に小型、中型、大型犬、そして尾が三つ又に分かれた狐。ペット動画を漁りに漁り、世界中の珍しい犬種も知っている私だが、そのどれもが初見であった。
「可愛い……」
「ミヤビさんと相性がいいのはこの
「こ、この子がいいです!」
食い気味に選んだのは、もちろん大型犬。〝シャーマルヴォルフ〟と記載されているが、これが犬種だろうか。
グレートピレニーズに似ている。優しそうで、ふさふさとした体毛が銀色に光り輝いている。額の形のせいか、困り顔に見えた。
「スマホ貸して?」
「どうぞ……」
メラ先生は、受け取ったスマホでモニターに触れる。直後、強制的に再起動に入ったかのように画面が消えた。
すると、スマホ全体が薄っすらと赤い光を纏う。
【ダウンロード 1%】
文字が表示された。
数字がゆっくりと増えていく。
「あ、あの。先生、何かダウンロードされてるんですけど?」
「うちの予約に使うアプリとか、あなたが綺麗になるのに役立つアプリとか、色々ね。そんなに不安がらなくても大丈夫よ」
せめてやる前に説明してほしかった。見たこともない現象が起こっているのだから、心配になるのは当然だ。
アワアワしていると、やがてスマホが眩い光を放つ。ダウンロードが完了したようだ。
「はい、まずは情報管理アプリを開いてみて?」
返却されたスマホを起動すると、ホーム画面の最後のページに見覚えのないアプリがいくつかあった。
腰に手を当て、胸を張る女性がシルエットになっているアイコンをタップ。青色のウインドウが現れた。
――――――――――――――
【ミヤビ・キムラ】
レベル1
【ステータス】
体 3
魔 1
感 1
美 0/962
【職業】
魔物使い
従魔枠 0/1
【スキル】
・テイム
・自動翻訳
・ストレス発散
・基礎魔術
【貯金】
3,821,091円
――――――――――――――
ゲームやアニメで見たことがある表記。文字を押すと、詳細が確認できた。
体――肉体の強度を示す
魔――体内の魔力量及び、顕現させた魔術の強度を示す値。
感――感覚の強度を示す値。
美――目指すべき姿に必要となるポイント。
魔物使い――従魔としたモンスターを操ることが可能。情報管理アプリを用いて、あなた好みに従魔を育成できる。
私はただの会社員。魔物使いなどという職業は聞いたことがない。……いや、これも空想物語にはあったか。
肉体強度だの魔力だの。まるで、これから冒険に旅立とうとするファンタジー世界の主人公だ。魔物を育て、魔物とともに戦えと言われている気が――
「いやいや、まさか。私がモンスターを倒すなんてあるわけ……」
「ふふっ、そのまさかよ?」
「え、ええええぇ……?」
「スマホに転移アプリってのが入ってるんだけど、地球とは別の世界を行き来できるようになるの。それでね――」
メラ先生は、モニターに画像を表示させながら説明を始めた。
ダンジョン美容クリニックが、どのようにして人の姿を変えるのか。それには、レベルという仕組みが関係している。
動物でも植物でもない邪悪な存在――魔物。モンスターとも呼ばれるのだが、多くはダンジョンで生まれ、群れを成して街を襲う。
モンスターは、倒すことで〝グロウ〟という粒子に変わり、討伐者とその仲間に吸収される。一定数貯まればレベルが上がり、各種ステータスの値が増え、さらに好きに割り振れる
美の値が増えるほど容姿が美しく変わるのだが、その方向性をカウンセリングで調整してある。最大値まで上げることで、理想の姿になれるというわけだ。
モンスターが稀にドロップする魔物食材を食べることでも、美の数値が上昇する。いくらレベルが高くても、ステータスの振り方が美に偏りすぎていたら、強いモンスターは倒せない。
体に多め、感に少しがステータス振り分けの基本。魔術を伸ばしたいのであれば、魔の値を増やしてもいいだろう。
私は魔物使い。従魔がモンスターを倒してもよし。従魔にヘイトを稼がせて、自分がとどめを刺してもいい。
「――理解できたかしら?」
「システムはなんとなく……」
「では、テイムを使ってみましょう」
右手を掲げ、親指に中指を押し付けるメラ先生。そして、パチンと弾く。乾いた音とともに、体毛が銀色の大型犬が現れた。オフィスチェアの横でお座りしたまま、不思議そうに首を傾げている。
「ど、どうすれば?」
「この子とミヤビさんの心を繋げるイメージで、テイムと唱えてみて。契約をお願いするの」
テイムしろと言うのだから、このシャーマルヴォルフもモンスターなのだろう。ハッハッと舌を出しながら口角を上げ、つぶらな瞳で私を見つめている。
早く遊んでくれとでも懇願しているのだろうか。邪悪な魔物……とてもそうは思えない。
「おっきなワンちゃん……」
大型犬をペットにするという長年見てきた夢。少し変わって従魔になってしまったが、近しいものがある。
今すぐ、あの子に触れてみたい。だが、焦りは禁物だ。失敗したら二度目があるのかわからない。
祈るように手を組み、未来の従魔と目を合わせる。深く、深く……心を探るように、奥底を覗き込む。
そして、叫んだ。
「――テイム!」
シャーマルヴォルフの足元に魔法陣が生じた。そこから緑色の光が立ち昇ると同時。細い糸くらいの、意思疎通が図れる見えない通路ができた。そう感じるのだ。
――お願い。大切にするから、私の従魔になって!
これでもかと強い気持ちを送った。
「ワンッ!」
応えてくれた。従魔の鳴き声に、嬉しさが現れている。
主人の私だからこそわかる。テイムが成功したようだ。
「よかったぁ……」
シャーマルヴォルフは立ち上がり、こちらに移動してくる。私の右足にぴたりと体をくっつけて座った。
「ふ、ふおぉ……」
もう辛抱たまらん。銀色の毛皮をわっしゃわしゃと撫で回す。柔らかく、手触りのいい毛並み。顔を
「ミヤビさんの貯金とスキルなら、装備はこんなところかしらね」
メラ先生が再び指を鳴らす。
目の前に長い木の棒が現れた。ゆっくりと私の方へ倒れてくるそれを、ワタワタしながら掴む。棒の下を見ると、
与えられた武器は、まさかのロングメイス。持ち上げてみると、ずっしり重い。三キロはあるだろう。いくら私が非力だとて、遠心力を乗せた金属球を叩きつければ、かなりの威力になる。人間の頭蓋など簡単に砕いてしまいそうだ。
さらに、服装が変わっていた。部屋着の上に、革製のボディアーマー。飴色で艶がある。少々硬めだが、袖がないので動きやすい。
「スキル……」
四つあるうちの該当しそうな一つを確認してみた。
ストレス発散――攻撃時、溜めこんだストレスを乗せることで、肉体の強度が上昇する。
なるほど、モンスターを相手にストレス発散しろと。戦闘経験皆無の女に、ロングメイスをぶん
だからといって、心は折れない。あの理想の姿を手に入れるためなら、命を懸けることすら惜しくないのだから。
「次の予約は一ヵ月後でお願いね。お会計いいかしら」
「えっ、終わりですか……?」
「もう、心配性なんだから。知らない方が楽しめることもあるのよ」
そう言って、メラ先生は片目を閉じて微笑む。
いやいや、可愛くウインクされても。異世界についての説明が不十分だし、魔術についても聞いていない。まだまだ質問したいことが山ほどある。
それに、会計と言われても財布を持ってきていない。急に診察が終了したことを告げられて戸惑う。
「じゃ、350万円。タッチ決済でお願いね。はい、拳を合わせて」
メラ先生は拳を突き出した。
「こ、こうでしょうか……?」
言われるがままグータッチ。脳内で、チャリンッと不思議な音が鳴った。
まさかと思い情報管理アプリを見てみると、貯金が提示された分だけしっかり減っている。明日、銀行の口座も確認してみよう。カードも携帯も使わずに支払いができるなら、便利でもあり恐ろしい。
それより、初診でこの金額だ。月に一度、この場所を訪れることになる。次回以降、彼女の収入では払えそうにない。
「先生、次から分割払いになりませんか? もうお金がなくて……」
「あー、気にしないで。ちゃんと後で貰うから。心配せずに、また来月受診してね。それじゃ、バイバーイ」
楽しそうに手を振るメラ先生。
次の瞬間には自宅に戻されていた。隣で、シャーマルヴォルフが尻尾を振りながら見上げている。
時刻は十九時半。テーブルの上に並んだ食べかけの料理は、もうすでに冷めてしまっていた。