一夜明けて朝――スマホのアラームが鳴る。
いつもより温かいベッドの中で目を覚ます。
「おはようシャマル」
腕の中に、銀色のもふもふ。
よかった。ダンジョン美容クリニックは夢じゃなかったんだ。
時刻は朝の五時、まだ薄暗い。布団から抜け出し、部屋の電気をつける。
「さて、どうしよ……」
大型犬の散歩は一日に二回が基本。夜まで待ってもらうわけにはいかない。
クローゼットを開けて中を確認してみる。旅行用の大きなボストンバッグがあった。
いやいや、これはさすがに……でも、これしかなさそう。
「シャマルくん、ちょっといいかなぁ?」
首を傾げて不思議がるシャマルをバッグに詰め込む。チャックが閉まらず、わっさわさに毛がはみ出している。
「これは犬じゃない。毛皮のコートよ」
ビニール袋と水を汲んだペットボトルを用意。七十キロくらいありそうなボストンバッグを担いで、いざ出陣だ。アパートを出る。
「走ろっか!」
朝の爽やかな空気を胸一杯に吸い込み、走り出す。
体が軽い。一歩が力強く、体がぐんと前に進む。昨日は集中しすぎて気付かなかったけど……というか、ステータスって地球でも反映されてる?
そうじゃなきゃ、シャマルを軽々持ち上げられたのもおかしいよね。なんだか自分の体じゃないみたい。
四十分ほど走って、散歩を終了した。トイレを済ませたシャマルも満足そうだ。
家に戻り、会社に行く準備をする。
「よし、今日の朝食はスライムとコーヒーね!」
とんでもないことを口にしているのは自覚している。でも、一刻も早く試してみたい。スライム皮の干物は、昨晩から水に漬けて冷蔵庫に入れてあった。
クラゲみたいに膨らんだスライムを取り出し、短冊状に切っていく。一口つまんでみると無味無臭。
そういえば、黒蜜ときな粉があった。ボウルに盛り付けて、コーヒーを用意したら完成だ。
「シャマルの朝ご飯はこれね」
散歩中にコンビニで買ったドッグフードを、お皿によそってやる。鳥のささみとチーズが入ったカリカリだ。食べてくれるだろうか。水とタオルを準備して見守る。
その懸念は
「どう、美味しかった?」
この顔……可もなく不可もなくといったところか。グルメな子に育たないことを祈ろう。
さあ、いよいよ私の食事だ。
ボウルから溢れんばかりのスライム。量にして、ざっと一リットルはあるだろう。黒蜜をかけたらダークマターとなった。きな粉をかけることで、やっと食べ物らしさを取り戻す。
「
箸でつまんで口の中に放り込む。とぅるんぷるんとしたスイーツと考えれば悪くない。いや、かなり美味しい。
だが、時間というのは有限である。八時前には家を出たい。このままでは間に合いそうにない。
「やるしかないわね……」
ボウルを傾け、卵かけご飯を食べるようにして流し込む。
――おらああああぁ!
これが女子力。幸い、目撃者は一匹だけだ。情けない主人を許しておくれ。
コーヒーを合間に挟み、優雅な朝食を演出しておく。その後に訪れるドルルルッという豪快に吸引する音は聞かないでほしい。
「ふぅ」
お腹がパンパンだ。スライムの討伐に成功した。クエストが発生してもおかしくない戦いだった。
これで美のステータスが増えているはず。情報管理アプリを確認してみよう。
――――――――――――――
【ミヤビ・キムラ】
レベル3
【ステータス】
体 8
魔 3
感 3
美 5/962
BP 6
【職業】
魔物使い
従魔枠 1/1
【スキル】
・テイム
・自動翻訳
・ストレス発散
・基礎魔術
【貯金】
318,768円
――――――――――――――
レベルが上がってステータスが増えている。
今の私なら、腕相撲をしたら課長の腕をへし折れるかもしれない。いずれ機会があれば、圧倒的なパワーをお見せするとしよう。
あぁ、貯金が……コンビニで使った分までしっかり減っている。現実を見せつけられるって辛い。質素な生活を心がけよう。
そうだ、嬉しい現実もあるではないか。モンスター食材を食べたことで、美が五ポイント増えている。まだ最大値にはほど遠いが、何かしら変化があるかもしれない。
食器を洗い、バスルームへ。シャワーを浴びる前に、鏡を覗き込む。顔の角度を変えながら、くまなくチェック。
「んー、どうなんだこれは?」
残念だが、いつも通り……か?
いや、ちょっと待って。
「あれ、右の頬にシミがあったはずだよね……?」
消えている。間違いなく消えている!
小さな変化だが、着実に前に進んでいる!
――私は可愛い。私は仕事ができる。
魔法の呪文を唱えておく。
「メラ先生ありがとー!」
ルンルン気分で、鼻歌まじりにシャワーを浴びる。
凄い、私が始まった。
浴室を出て、髪を乾かしながらシャマルに話しかける。
「ふふん。シャマルくん、私の変化がわかるかしら?」
ダメだこの子、首を傾げている。女心がわかるジェントルマンにはほど遠い。お手やお座りの前に、女性の褒め方を教えるべきかもしれない。
スーツに着替えて、ドレッサーの前に腰かける。
しばらく気を遣っていなかったせいで、髪がボサボサだ。近いうちに美容室を予約しよう。
今日はバッチリ化粧していく。スキンケアから始まり、リキッドファンデで下地を作る。コンシーラーなんて使ったのはいつぶりだろうか。
やり方を忘れていなくて安心した。昼休みに、最新のメイクを勉強しておこう。
全体的に大人っぽく……どんどん私が仕上がっていく。アイシャドウは秋らしくブラウン系にしようか。楽しくなってきた。
二重にして、カラコンを入れる。この目、いつもの何倍大きいの?
「うん、メイクをしても平凡。でもいいのよ、今の私にできるのはここまでなんだから」
準備は完了。今日は元気にいくぞ。
シャマルに留守番をお願いして、家を出た。
*****
オフィスの扉を開けて、中に入る。
「おはようございます!」
みんなに聞こえる声で挨拶して、目が合った人に笑顔で会釈。もちろん、憎たらしい課長にも同様に。
昨日までは、誰からも注目を浴びないよう小さく呟き、縮こまりながら席についていた。急にこの変わりようだ。みんな私の顔を見て、ギョッとした表情を浮かべているのも当然だろう。
自分のデスクに座り、背筋を伸ばす。パソコンを開いて、予定を整理しておく。午前中に二件、午後に一件のアポがある。それに加えて、ずっと温めていた計画を実行に移そうと思う。
うちの会社は、デパートをメインに取引している。新規顧客の獲得に重きを置いているが、基本はルートセールスだ。売り上げを落としてしまっては元も子もない。
営業先は自由。つまり、個人経営の小さな雑貨店でも、担当者が管理できるなら問題ないわけだ。誰も手を出したくない東京中のそんな店を、あえて狙う。それが私のプラン。やる気、元気、ミヤビで、少しずつ数字を伸ばしていきたい。
松下さんがオフィスチェアを滑らせて近づいてくる。私に体を密着させると、耳元で囁いてくる。
「魔法が効いたみたいですね」
うふふと可愛らしく目を細めて笑っている。
「いいきっかけになりました。遅れを取り戻すために、今日からちょっと無理をしようかと」
「なんか、目がキラキラしてますよ。いいじゃないですか、その意気です。もしかして、魔法以外にもいいことありました?」
「実は、犬を飼い始めたんですよ。大家さんには内緒なんですけどね」
「えー、見たい見たい! 写真とかないんですか?」
「今度撮ってきますね」
松下さんから元気をもらっていると、始業のチャイムが鳴った。朝礼の時間だ。
私は営業一課――海外から輸入した雑貨を扱う、九人からなるチームに所属している。課長の机の前に整列して、今日の行動目標を一人ずつ発表していく。松下さんから始まり、私は決まって最後。なぜって、いじられ役だからね。
さあ、順番が回ってきた。胸を張り、力強く発言する。
「既存の取引先三社とラインナップ更新の打ち合わせ。その後、新規二件にアポを取り、可能なら本日伺います」
周囲が「おお!」と騒めく。だが、課長は椅子にふんぞり返って笑った。山のようなお腹がタプタプ揺れている。
「木村くぅん? ヒーローじゃないんだからさぁ。根暗女がちょっと変身したからって、担当施設も満足に――」
「今まで大変ご迷惑をおかけしました! 結果で示してみせます!」
私は話を遮り、決意を表明した。
課長なんて、汚い言葉を吐くだけのスライムと同じ。もう怖くなんてない。昨日までの自分に戻る方が、よっぽど恐ろしい。
「あっそ。じゃ、頑張ってねぇ。なーんか調子に乗ってるみたいだけどさぁ。クレームがきたら、わかってるぅ?」
「これからの私を見てください! 以上です!」
頭を深く下げ、強制的に会話を終わらせた。
席に戻る。説明資料として使うカタログを各施設分用意して、対象のページに付箋を貼っていく。目を瞑り、頭の中で会話を想定しながらプレゼンの練習を始めた。
うちの商品は、機能性よりデザインで勝負している。ターゲットは女性で、可愛いものが多い。デパートのマネージャーさんには、お客様の購買意欲を高めるための戦略なんかをお伝えしている。
よし、そろそろ出発しよう。必要なものを全てカバンにしまい、立ち上がる……と、また松下さんが耳打ちしてきた。
「さっきの木村さん、すごかったです。課長の顔ったら、面白かったですね」
「あんなの、一発殴れば倒せますから」
キョトンとした顔の松下さんの前で、グッとガッツポーズをして立ち去る。
そうよ。スライムなんてロングメイスで一発なんだから――
……って、あれ? ちょっと待って?
いつのまにか課長=スライムになっていた。松下さんにとんでもないことを言っちゃった。
自分の発言のマズさに気づいたのは、会社を出た後のことだった。