プロローグ/1話
2020年5月30日。
シンオウ地方、ポケモンリーグスタジアム。
スタジアムを埋め尽くす観客たちの歓声が、会場全体を揺らしていた。
シンオウ地方が、かつてないほどの盛り上がりを見せている。
実況「シンオウチャンピオン防衛戦!」
実況の声がスタジアム中に響き渡る。
実況「数多の挑戦者を退けてきた絶対王者セナ選手に挑むのは、今、最も勢いのある若き挑戦者、ルシア選手です!」
実況「セナ選手は直近の発言で大きな批判を集める一方、その強さは誰も否定できません!」
実況「その絶対王者にルシア選手がどう立ち向かうのか!シンオウ中がこの一戦を見守っています!」
ルシアはゆっくりと持ち場へ歩き出した。
頭の上にはペロッパフ。
通路を抜けると、視界いっぱいに広がるバトルフィールド。
その向こう側に1人の青年が立っている。
つまらなそうに、退屈そうに立っている。
シンオウチャンピオン、セナ。
ルシアはぎゅっと拳を握る。
やっとここまで来た。
目の前に立っている人は私の憧れの人。
勝ちたい人。
私の夢。
2年かけてここまで来た。
私はこの人に勝ちたい。
ルシアは呼吸を整えると、ゆっくりと顔を上げる。
でも、セナとは目が合う事はなかった。
セナは俯きがちのまま、手元だけを見つめている。
その視線がルシアやペロッパフへ向けられることはない。
その瞳には何も映っていなかった。
審判の声がフィールドに響く。
審判「使用ポケモンは6対6!」
審判「それでは両者、最初のポケモンを!」
歓声が爆発する。
ルシアは再び正面を見据えた。
シンオウチャンピオン100連勝をかけた防衛戦。
セナVSルシア。
シンオウの歴史が変わろうとしていた。
♢♢♢
2007年9月。
シンオウ地方、ミオシティ。
ミオジムの一室で一人の少年がモニターを見つめていた。
セナ、9歳。
隣にはリオルが座っている。
セナと同じように画面へ視線を向けていた。
モニターにはカントー地方のポケモンリーグで行われた対戦の映像が流れていた。
映っているのは2人の少年。
少年「リザードン!ブラストバーン!」
少年「カメックス!ハイドロカノン!」
リザードンの放った灼熱の炎と、カメックスの砲口から撃ち出された猛烈な水流が真正面から激突した。
白い蒸気がフィールドを覆い尽くす。
蒸気が薄れた先に見えたのは、膝をついたカメックスの姿だった。
巨体がゆっくりと傾き、そのまま地面へ崩れ落ちる。
静かな映像だった。
実況も観客もいない。
ただ、フィールドに立つ2人の少年とポケモンたちが映し出されている。
少年が静かに拳を握った。
審判「カメックス戦闘不能。」
審判「よって勝者!挑戦者レッド!」
勝利を告げる声が響く中、レッドは拳を握り締めたまま、倒れたカメックスを見つめていた。
セナは何も言えなかった。
この人は、僕と同じくらいの歳でカントーチャンピオン。
羨ましい。
かっこいい。
美しい。
僕は画面の向こうにいる少年の名前すら知らない。
どんな人なのか。
どうやってここまで勝ち上がってきたのか。
何も知らなかった。
でもそれで良かった。
興味もないから。
ただ、僕が欲しいものをこいつはもっている。
僕にとってはなんでも良かった。
僕が欲しかったのは、ポケモンバトルの強さじゃない。
自分が自分であるための証明。
自分の価値。
あの人はチャンピオンになって自分の価値を証明した。
誰にも否定できない勝利で。
僕も欲しい。
僕にも「価値」が欲しい。
セナとリオルは、いつまでも静かにモニターを見つめ続けていた。
チラーミィがセナの背中をよじ登ってくる。
小さな体で器用に肩を越えると、そのまま頭の上へ収まる。
そして楽しそうに小さく鳴いた。
セナには両親がいない。
ミオジムの近くにある民家で、セナはリオル、チラーミィ、そしてマナと4人で暮らしていた。
学校には通っていない。
理由はシンプルだった。
楽しくない。
それだけ。
代わりに、セナはミオジムの手伝いをしながら暮らしていた。
だからこそ、セナにとってポケモンバトルは身近にあった。
だから、なんとなく分かる。
彼がどれだけすごいことを成し遂げたのか。
もちろんすべてわかるわけじゃない。
それでも、彼がどれほど強いのかは、9歳のセナにもなんとなく分かった。
トウガン「セナ。」
セナはモニターから顔を上げて振り返る。
ミオジムのジムリーダー、トウガンが立っていた。
トウガン「ポケモンバトル、してみないか?」
セナ「……え?」
セナは思わず聞き返す。
ポケモンバトル。
僕が?
今まで何度もバトルを見てきた。
でも自分で戦ったことは一度もなかった。
セナはしばらくかたまった。
ふと隣に座っていたリオルへ視線を向ける。
リオルもセナを見つめ返してきた。
言葉を交わしたわけではない。
それでもなんとなく伝わった。
やってみたい。
僕もそうだった。
今までたくさんのバトルを見てきた。
もしかしたらうまくできるかもしれない。
セナ「やりたいです。」
そう答えるとセナは椅子から立ち上がった。
やるなら勝ちたい。
トウガン「ヒョウタ!頼めるか?」
ヒョウタ「セナくんと?やる!」
ヒョウタが嬉しそうに立ち上がる。
セナはゆっくりとバトルコートへ踏み出した。
ヒョウタさん。
僕より3歳年上で、いつもジムのことを教えてくれる。
遊びに連れて行ってくれたりもする。
学校は嫌い。
でもヒョウタさんは嫌いじゃなかった。
僕はコートを挟んでヒョウタさんを見た。
目の前にはリオルが立っている。
楽しそうに拳を上げると、ズガイドスが出てくるのを待っている。
ヒョウタ「俺、強いからね!負けないよ!」
ヒョウタさんと視線がぶつかった。
やるなら負けたくない。
絶対に負けない。
楽しい、そんな気持ちはない。
立つのなら負けられない。
ヒョウタさんのズガイドスがコートへ姿を現した。
僕のリオルと向かい合う。
昼下がりのミオジムに挑戦者の姿はない。
代わりに、ジムトレーナーたちが次々とバトルコートの周りへ集まってきた。
トウガン「それでは、バトルスタート!」
トウガンの声がジムに響きわたる。
ヒョウタ「ズガイドス!ずつき!」
開始の合図と同時にズガイドスが地面を蹴る。
勢いよく距離を詰めると、硬い頭がリオルの体を正面から捉えた。
リオルの小さな体が大きく吹き飛ばされた。
セナ「……ッ!」
リオルは地面に弾かれながらも、すぐに体をひねって体勢を立て直す。
そしてそのまま踏みとどまる。
倒れなかった。
トウガン「……お。」
今の頭突きを真正面から受けて倒れない。
トウガンは興味深そうにリオルを見つめる。
セナは立ち上がったリオルを見た。
リオルの顔を見れば分かる。
こいつだって負けたくない。
僕だけじゃなかった。
それなら全部使え。
勝つために。
セナは前を向く。
セナ「リオル!でんこうせっか!」
リオルが地面を蹴った。
一気に加速し、ズガイドスへ一直線に突っ込んでいく。
ヒョウタ「避けろ!ズガイドス!」
ズガイドスが素早く体を逸らす。
リオルの突進は空を切り、そのままバトルコートに転がる岩へ激突する。
衝撃で岩が砕け、大小の破片が地面へ散らばった。
セナ「……。」
この岩、使える。
セナ「リオル!その崩れた岩を投げつけろ!」
トウガンが目を見開いた。
そんな指示は聞いたことがない。
リオルは迷わず足元の岩を拾い上げると、ズガイドスへ向かって思い切り投げつけた。
ヒョウタ「……え!?」
尖った岩がズガイドスの足首に突き刺さる。
ズガイドスは体勢を崩し、その場に膝をつく。
セナ「はっけい!」
セナが言い終わる時には、リオルは地面を蹴っていた。
膝をついたズガイドスの背後へ一気に回り込み、その背中へ腕を押し当てる。
次の瞬間、蒼い衝撃波が放たれた。
至近距離から放たれたはっけい。
いわタイプのズガイドスにとって、かくとうタイプの技は効果抜群だった。
しかも無防備な背中からまともに受ける。
ズガイドスはそのまま前のめりに倒れ、静かに目を閉じた。
トウガン「……ズガイドス、戦闘不能。」
静まり返ったバトルコートに、トウガンの声が響いた。
ヒョウタは倒れたズガイドスを見つめたまま、しばらく動かなかった。
セナもリオルをじっと見つめる。
そして小さく息を吐いた。
『え、初バトルだよな?』
『ヒョウタが負けた?』
『リオルもよく立ったよな。』
『岩を投げつけるなんて見たことないぞ。』
静まり返っていたバトルコートに、ジムトレーナーたちのざわめきが広がり始めた。
セナはその声に、そっと耳を澄ませる。
僕とリオル、もしかして才能ある?
ヒョウタさんに勝った。
でも、この勝利が当たり前じゃないことくらい分かる。
僕たちは天才なのかもしれない。
もっと強くなれるかもしれない。
セナ9歳。
ここまでの人生で、何一つ持っていなかった。
背は小さい。
足も遅い。
顔がかっこいいわけでもない。
友達と仲良くすることも苦手。
人生が楽しいと思えたこともあまりない。
お父さんも、お母さんもいない。
だから、何かが欲しかった。
誰にも負けない自分だけの何かが。
そして今日、セナは気づいてしまった。
ポケモンバトル。
リオルと2人で強くなれば手に入る。
ポケモンバトルでの最強。
僕はこれが欲しい。
♢♢♢
トウガン「……お前、すごいな。」
トウガンがセナへ声をかけた。
セナ「……ありがとうございます。」
セナ「ポケモンバトル、楽しいかもしれません。」
嘘だった。
別に楽しくない。
でもやる。
セナは足元にいたリオルを抱き上げる。
リオルは腕の中で楽しそうに笑っていた。
僕は決めた。
ポケモンバトルに魂を売る。
僕達なら最強まで辿り着ける。
♢♢♢
その日の夕方、セナはリオルとチラーミィを連れて家へ帰り着いた。
マナ「おかえりー!」
セナ「ただいまー。」
マナの声に返事をすると、セナはそのまま自室へ向かう。
そして扉を閉めた。
マナさん。
僕より5歳年上のお姉さんだった。
家族ではないけれど、一緒に暮らしている。
僕とリオル、チラーミィ、そしてマナさん。
マナさんにも両親がいなかった。
だから一緒に暮らしている。
世間的にも、それほど珍しいことではないらしい。
僕にもマナさんにも両親はいない。
一人だった。
でも決定的に違うことがある。
マナさんは何でもできる。
背も高い。
しかも可愛い。
僕とは違う世界の人間だった。
夕食はいつもマナさんと2人で食べていた。
マナ「トウガンさんから聞いたよ、バトルしたんだって?」
セナ「うん、勝った。」
マナ「えー! すごいじゃん!」
マナさんは大袈裟に笑ってた。
セナ「リオルがすごいだけ。」
すると、リオルは得意げに笑いながらマナさんの頭によじ登った。
マナさんは頭の上のリオルに手を伸ばし、優しく触れながら笑いかけた。
マナ「でもセナもすごいでしょ!」
マナ「天才かもね!」
セナ「うん。」
僕が頷くと、マナさんがこちらを見た。
少し目を細める。
マナ「……調子乗ってる?」
セナ「ううん?」
セナ「でも僕も思った。」
セナ「天才だと思う、僕たち。」
マナ「ならよかったですわー。」
マナさんは楽しそうに笑った。
多分信じてない。
でもそれでいい。
僕たちが天才なのは、僕たちだけがわかってればいい。