ルシア「……ムックル、ありがと。」
ムックルは苦しそうに目を細めた。
そして光に包まれてボールへ戻る。
ルシアはゆっくりと顔を上げた。
手に持ったボールが小さく震えていた。
ピカチュウ。
タイプ相性はいい。
でも、目の前にいるのはスターミー。
……ピカチュウであのスターミーと戦える?
小さな迷いが生まれた。
モウカザルなら戦えるかもしれない。
勝てるかもしれない。
なんとかしてくれるかもしれない。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎった。
ルシアは大きく息を吸うと、ゆっくりと吐いた。
……大丈夫。
ピカチュウで勝つ。
そう決めたんだから。
ルシアは迷いを振り払うように、モンスターボールを投げた。
光が弾ける。
小さなピカチュウがルシアの前に着地した。
ピカチュウは振り向くと、ルシアを見上げて頷いた。
ルシア「……うん。」
ルシアも小さく笑った。
もう下がれない。
ピカチュウと勝ちにいく。
ルシアとピカチュウ。
2人は目の前のスターミーに向かって、同じ方向を向いた。
♢♢♢
『ピカチュウ?』
『相性いいけど鍛えられてなくない?』
『スターミーだぞ。』
そんな声が観客席から漏れていた。
ルシアは聞こえないふりをした。
……嫌だった。
私が心配するのはいい。
でも、誰かも知らない人にそんなこと言われたくない。
胸の奥で何かが燃え上がった。
絶対に負けたくない。
もう、不安も後悔もない。
ルシア「勝とう!ピカチュウ!」
ピカチュウは小さく鳴いた。
カスミ「攻めるよ!スターミー!」
スターミーのコアが光った。
ピカチュウ。
そしてスターミー。
ジム戦も、いよいよ終盤に差し掛かろうとしていた。
審判「バトル再開!」
カスミ「スターミー!ハイドロポンプ!」
スターミーの正面に激しい水流が集まっていく。
そして、一気にピカチュウへ向けて放たれた。
ルシア「避けて!ピカチュウ!」
ピカチュウは地面を蹴り、一歩目を踏み出そうとした。
遅れる。
ピカチュウの動きは、ほんの一歩遅かった。
激しい水流が、その尻尾を捉えた。
ピカチュウは勢いよく吹き飛ばされ、何度も地面を跳ねた。
ルシア「ピカチュウ!」
ルシアの声がバトルコートに響く。
ピカチュウはゆっくりと体を起こし、立ち上がった。
ルシア「まだ!ピカチュウ!でんきショック!」
ピカチュウは小さな足に力を込めた。
地面を踏み締め、全身から電撃を撃ち出す。
カスミ「スターミー!避けて!」
スターミーが素早く姿勢を下げた。
電撃はスターミーを捉えきれず、そのまま背後のバトルコートの壁に激突した。
凄まじい爆発音が響いた。
カスミ「……え?」
ルシア「……え?」
カスミのすぐ横。
バトルコートの壁が大きく凹み、黒焦げになっていた。
ルシアは固まったまま見つめていた。
……私、ピカチュウのことを勘違いしてたのかもしれない。
ピカチュウにしては鈍臭い。
動きも遅い。
でも、それだけじゃなかった。
この子の電撃は全てを壊せる。
破壊の電撃。
ピカチュウもルシアと同じように黒くなった壁を見つめていた。
カスミの額を汗が伝う。
……なに、あれ。
ムックルの次はなんなの?
あんなの食らったら一撃で終わる。
だったら、動きを止める。
カスミ「スターミー!サイコキネシス!」
スターミーのコアが光った。
その瞬間、ピカチュウの体が見えない力に捕らえられた。
ピカチュウが歯を食いしばる。
ルシア「ピカチュウ!」
ルシアは動きを封じられたピカチュウを見つめた。
次の瞬間、ピカチュウの体が地面に叩きつけられる。
小さな体が何度も地面を跳ねた。
それでも倒れなかった。
ピカチュウは歯を食いしばると、必死に踏ん張る。
今にも泣き出しそうな顔だった。
それでも倒れなかった。
ルシア「…あ。」
ルシアは気づく。
初めてピカチュウと出会った時のことを思い出した。
群れの最後尾でつまずいて、転がっていた。
ストライクに襲われた時もそうだった。
蹲って、何度も攻撃を受けながら耐えていた。
……多分、これがこの子の個性なんだ。
人間と同じ。
走るのが速い人もいれば遅い人もいる。
頭がいい人も悪い人もいる。
背が高い人も低い人もいる。
みんな違う。
ピカチュウだって同じなんだ。
スピードがあるピカチュウ。
パワーがあるピカチュウ。
同じポケモンでもそれぞれ個性がある。
だったら、この子の強みは。
破壊の電撃。
そして倒れないフィジカル。
そこまでわかればやることは決まった。
♢♢♢
ルシア「ピカチュウ!」
ピカチュウが小さな拳を握った。
ルシア「でんきショック!」
カスミ「スターミー!ハイドロポンプ!」
スターミーの正面から激しい水流が放たれ、ピカチュウへ襲いかかった。
ピカチュウは一歩も動かなかった。
その場で踏ん張ると、体から巨大な電撃を放つ。
激しい電撃がピカチュウを包み込んだ。
ハイドロポンプが迫る。
しかし、水流はピカチュウ本体に届く前に電撃と衝突した。
その瞬間、水流が弾け飛んだ。
大量の水飛沫が四方へ飛び散る。
カスミ「…なによそれ。」
ルシア「……いいね!ピカチュウ!」
ピカチュウは涙目のまま小さく頷く。
その姿を見ながら、ルシアは確かな手応えを感じていた。
観客席の後方、赤い帽子を被った青年がルシアとピカチュウを見つめていた。
青年もピカチュウを持っている。
だからわかる。
……あんなピカチュウ、見たことがない。
少なくとも自分のピカチュウとは似ても似つかなかった。
カスミ「スターミー!接近して!」
スターミーが高速で回転しながら、ピカチュウとの距離を詰めていく。
カスミは拳を握る。
遠くからじゃ威力が足りない。
だったら近づく。
最高火力をぶち込んで終わらせる。
攻めて、攻めて、攻めまくる。
強気で攻める。
いつもそうやって勝ってきた。
ルシア「ピカチュウ!尻尾で受けて!」
ピカチュウが背中を向ける。
そして、迫ってくるスターミーに尻尾を突き出した。
激しくぶつかる。
ピカチュウの尻尾とスターミーが真正面から押し合った。
カスミ「……ッ。」
……なんで押し切れないの?
ピカチュウよ。
相手はただのピカチュウなのに。
……この子、怖い。
早く終わらせないと、負ける。
カスミ「スターミー!至近距離でハイドロポンプ!」
ルシア「ピカチュウ!でんきショック!」
その時だった。
ピカチュウが歯を食いしばった。
小さな両手に、電気の塊が生まれ始める。
ピカチュウは尻尾でスターミーの体を受け止めながら、必死に踏ん張っていた。
ルシア「……え?」
ルシアはピカチュウから目を離さなかった。
何が起きているのかわからない。
でも、ピカチュウは頑張ってる。
それだけはわかる。
カスミの顔から血の気が引いた。
……でんじほう。
なんでこのレベルのピカチュウが使えるの?
しかも、今じゃなければ脅威じゃなかった。
でんじほう。
凄まじい威力を誇る代わりに命中率が低い技。
…でも、この距離なら避けられない。
ルシア「いけ!」
ピカチュウが大きく吠えた。
超至近距離。
両手に集まった電撃が放たれ、スターミーを巻き込んだ。
スターミーは勢いよく吹き飛ばされる。
そして、何度も地面を跳ねた。
そのままバトルコートの壁に叩きつけられると動かなくなる。
カスミは小さく息を吐いた。
スターミーに目を向ける気力もなかった。
ゆっくりと視線を落とす。
審判「スターミー、戦闘不能。」
審判「よって勝者、挑戦者ルシア!」
観客たちも、ルシアとピカチュウから目が離せなかった。
アイドルのバトル。
駆け出しトレーナーのバトル。
そう聞いて見に来たはずだった。
それなのに、とんでもないものを見せられた。
誰もすぐに言葉にできなかった。
ルシアはゆっくりと一歩を踏み出すと、ピカチュウに向かって走り出す。
ボロボロになった小さな体を、両腕で抱き上げた。
ルシア「ピカチュウ!頑張った!」
ピカチュウの目から涙がこぼれ落ちた。
ルシアはその頭をゴシゴシと撫で続けた。
……この子、怖かったんだと思う。
それでも戦った。
そして勝った。
モウカザルだけじゃない。
ムックルもピカチュウもみんな戦える。
ルシアはその場に座り込んだまま、ピカチュウの頭を撫で続けていた。
ピカチュウはされるがままになりながら、ゆっくりと目を細めていた。
♢♢♢
青年はゆっくりと立ち上がると、口元を緩めた。
レッド「……めちゃくちゃだな。」
いつかあの子が強くなるなら、その時は戦ってみたい。
今は、それだけ。
青年は歓声に包まれる駆け出しトレーナーの姿を背に、ゆっくりと歩き出す。
そしてハナダジムを後にした。
♢♢♢
カスミはスターミーの体を優しく撫でると、ボールへ戻す。
そして、ルシアの元へ歩き出した。
カスミ「あたしの負けね。これ、あげる。」
カスミはルシアの前に立つと、ブルーバッジを差し出した。
ルシア「……ありがとうございます。」
ルシアは両手でバッジを受け取った。
腕の中のピカチュウも、そのバッジを覗き込む。
小さな瞳が大きくなった。
カスミ「さっきのはでんじほう。」
カスミ「近くだから当たったけど遠くからだと全然当たんないから。」
ルシア「……。」
カスミ「知らないと思ったから教えてあげただけよ!」
カスミはぷいっとそっぽを向いた。
どこか悔しそうだった。
ルシア「……でんじほう。」
ルシアはカスミから聞いた技の名前を、もう一度ゆっくりと口にした。
カスミ「頑張んなさいよ。」
カスミ「シンオウチャンピオンに勝つんでしょ。」
ルシア「はい!」
そこだけは迷わなかった。
カスミ「あたしに勝ったんだから、絶対勝ちなさいよね!」
カスミはもう一度ルシアを見た。
そして、悔しそうに、それでも少し照れくさそうに笑った。
@sinnoh_battle
ルシア、カスミ突破したぞ
@stella_news
え、今2ヶ月目?速くない?
@idol_fan_17
ネタじゃないの?
@kanto_watcher
シンオウではあんまり話題になってないけど、Poketubeには動画上がってる
@poke_movie
見た
あのムックルなに?
@electric_fan
ピカチュウも知らないんだけど
@battle_follow
ちょっと追うか
@sinnoh_league
セナは無理でもそこそこ強くなるかもね
♢♢♢
シンオウ地方、ナギサシティ、cutie project事務所。
ユナとリン、そしてシャワーズとリーフィアは、レッスンの合間に水を飲んでいた。
8月のナギサシティはとにかく暑い。
レッスンを終えた2人の額にも汗が浮かんでいた。
ルシアがいなくなってから、ユナとリンにはそれぞれ多くの仕事が舞い込んでいた。
モデルとしての仕事。
撮影や取材。
そして2人でのライブ。
忙しい日々の中でも、レッスンは欠かさなかった。
リン「もう2ヶ月か。」
ユナ「……はやいねぇ。」
リン「……最近、楽しい?」
何気なく投げかけられた質問に、ユナの肩がぴくっと跳ねた。
正直に言えば楽しくない。
私たちを取り巻く環境はすっかり変わってしまった。
Stellaの周年ライブは、小さなライブハウスで行った。
ライブの数だって減った。
その代わりに増えたのはモデルの撮影やテレビの取材だった。
リンとユナ。
ルシアがいなくなったからといって、2人の価値が変わったわけじゃない。
Stellaとしての活動は少しずつ止まりつつあった。
でも、個人としてのリンとユナは違った。
2人は今もいろんな場所から必要とされていた。
リン「……私は楽しくない。」
ユナが返事をするより先にリンが口を開いた。
リン「私、アイドルになりたかったのに。」
リンは悔しそうに唇を噛んだ。
リンは、アイドルの仕事を心から愛していた。
ステージに立って、笑顔で踊る。
自分の姿を見た誰かが、笑顔になってくれる。
たくさんの人を幸せにする。
リンにとって、アイドルは生きる理由だった。
だからこそ、ルシアを許せなかった。
ルシアが自分の夢を追いかけて、一歩を踏み出した瞬間。
リンの夢は、終わりへ向かう最初の一歩を踏み出していた。
ユナは何も言えずに俯いた。
リンの気持ちは知っている。
だからこそ、胸が痛んだ。
隣には、アイドルを本気で愛しているリンがいる。
でも、私は違う。
私はルシアがいたから始めた。
それだけだった。
そして今も、ルシアが帰ってくる場所を守るためだけにここに立っている。
リンとは違う。
もちろんStellaは好き。
それは嘘じゃない。
でも、私にはルシアのように夢を追いかける力もない。
リンのように本気で打ち込む覚悟もない。
私は、ルシアのために生きている。
ここにいない、ルシアのために。
♢♢♢
ユナ「……ルシア、帰ってくるよ。」
リンがユナへ向き直った。
ユナ「……絶対帰ってくる。」
ユナ「だから、私たちでStellaを守ろう。」
ユナは小さく笑うと立ち上がった。
リンは目を丸くする。
それでも、ユナの顔を見ているうちに、少しずつ頬が緩んだ。
リン「……うん。」
ユナ「3人でまた、Stellaやろうよ。」
ユナ「それまで、私がStellaを守る。」
ユナは足にぐっと力を込めた。
今、Stellaを守れるのは私だけ。
私が守る。
私が、ルシアの帰ってくる場所を守る。
私が。
私が。
ユナは事務所へ続く扉を開いた。
次は、モデルの取材だった。