2018年11月。
もう24時を過ぎている。
ユナは布団の中で目を瞑っていた。
ユナ「……寝付けない。」
目を閉じていても、意識が落ちていかない。
体は疲れている。
今日は小さなライブがあった。
レッスンもあった。
モデルの撮影もあった。
間違いなく疲れている。
それなのになぜか寝付けなかった。
目を閉じても頭は休んでくれない。
明日の仕事はなんだっけ。
新曲の振り付けはどうだったっけ?
明日の現場、何時だっけ。
考えなくていいことが次々と頭に浮かんでくる。
気づいたら朝になっていた。
♢♢♢
ユナは無理やり体を起こす。
1日くらいなら誰にでもある。
大丈夫。
ユナは目の下の隈を化粧で隠すと家を出た。
でも、次の日も同じだった。
朝になると体が重い。
鉛のように重かった。
それでもユナは休まなかった。
ライブもやった。
撮影もやった。
取材もやった。
やれている。
問題ない。
疲れているだけ。
すぐ治る。
ユナは体の違和感を見て見ぬふりをした。
♢♢♢
ユナは無意識のうちに少しずつ変わっている。
リンとも会えば話す。
ユイだって気にかけてくれていた。
それなのにユナは少しずつおかしくなっていく。
ユナはもともと人一倍責任感が強かった。
Stellaを休む。
仕事を休む。
そんな考えはユナの中にはなかった。
ルシアがいない。
だから、ルシアが帰ってくるまでStellaを守る。
ルシアだって頑張ってる。
それなのに、私が休むなんておかしい。
ユナは前を向いた。
ルシアのために私がStellaを守る。
その使命感だけがユナを動かしていた。
♢♢♢
2018年11月。
ナギサシティ、ナギサホール。
Stellaのライブ開始まであと5分。
会場は満員だった。
舞台裏では、リンとリーフィア、そしてユナとシャワーズが開演を待っていた。
ユナ「……。」
なんか息が上手く吸えない。
ユナは何度も深呼吸を繰り返した。
……あれ。
呼吸がおかしい。
その様子に気づいたリンがユナへ視線を向けた。
リン「……ユナ?」
ユナ「……うん。大丈夫。」
ユナは小さく笑った。
今日は2曲だけ。
『タイムライド』
そして『もっと、キラッと』
大丈夫。
歌える。
踊れる。
リン「それならいいけど。」
リン「満員だよ。楽しみだね。」
リンは楽しそうに笑った。
ユナはその横顔を呆然と見つめていた。
……リン、楽しそう。
それだけだった。
開演を待つ歓声が聞こえてくる。
ユナは重くなった足を動かし、ステージへ向かう。
一歩踏み出すと、青とミントグリーンのペンライトが視界いっぱいに広がった。
隣にはリンが立っている。
リーフィアとシャワーズも、それぞれの定位置へ駆けていく。
その瞬間、ふっと視界が揺れた。
軽い立ちくらみがした。
私は小さく息を吐く。
大丈夫。
ライブが始まればきっと忘れる。
私は観客へ向かって笑顔を浮かべる。
歓声がさらに大きくなる。
いつも通り。
大丈夫。
何度も自分に言い聞かせる。
今日のライブは2曲。
1曲目は『タイムライド』。
Stellaを結成してからずっと歌い続けてきた曲。
今はリンと2人で歌っている。
リーフィアとシャワーズも音楽に合わせて踊り始めた。
……あれ。
体が重い。
足が少し動かしづらい。
それでも私は笑顔を作ったまま踊り続けた。
大丈夫。
気のせい。
そんなこと考えてる暇なんてない。
リンが隣で歌っている。
私も歌う。
踊る。
何度も練習した振り付けだから体が覚えている。
……動けてる。
少しだけ頭が痛い。
でも、曲は止まってくれない。
青とミントグリーンのペンライトが揺れている。
また視界が揺れた。
私は足に力を込める。
大丈夫。
まだ、歌えてる。
リンは楽しそうに歌っていた。
私もやらないと。
頑張れ、私。
やるって決めたんだから。
『タイムライド』が終わった。
私はリンと向き合い、笑顔を作った。
……よし。
ちゃんとできた。
次は『もっと、キラッと』。
もう一度、気合いを入れ直す。
私はゆっくりと正面へ顔を向けた。
その瞬間だった。
膝からふっと力が抜ける。
踏ん張ろうとした。
でも足が動かなかった。
体がゆっくりと前へ傾いていく。
止めなきゃ。
まだ次の曲がある。
私は足に力を込めようとした。
……入らない。
ユナ「……あ。」
声が漏れた。
何が起きているのかよくわからなかった。
私はゆっくりとリンへ顔を向ける。
リンがこちらを見ていた。
……あれ。
ごめん、リン。
ごめん、ルシア。
私、無理かも。
体が前へ倒れていく。
最後に見えたのは、ファンの人でも、ルシアでもなかった。
私に向かって手を伸ばすリンの姿だった。
♢♢♢
ナギサホール。
満員の観客席から悲鳴が上がった。
ステージの上で、ユナが倒れた。
リンは咄嗟に手を伸ばす。
けれど、ユナの体を支えることはできなかった。
リン「……ユナ?」
ユナは動かなかった。
リンはその場に膝をついた。
リン「ユナ!」
呼びかけても返事はなかった。
さっきまで隣で歌っていた。
笑っていた。
いつも通りだった。
それなのに。
リンは倒れたユナを見つめたまま動けなかった。
客席では、何が起きたのかわからない観客たちが立ち上がり始めている。
ユイ「ユナ!」
ユイはステージへ向かって走った。
倒れたユナ。
その隣で膝をつくリン。
ユイは2人の姿から目を離せなかった。
Stellaのライブは、そのまま中断された。
♢♢♢
私は病院のベッドで目を覚ました。
白い天井が、ぼんやりと視界に入ってきた。
……あれ。
ここ、どこだろう。
体が重かった。
少し顔を動かすと、ベッドの横にユイさんが座っていた。
ユイ「ユナ!」
私が目を開けたことに気づくと、ユイさんはすぐに立ち上がった。
そして、私の肩に手を添え、そっと抱きしめてくれた。
そばにはお医者さんも、看護師さんも立っていた。
……病院だ。
そこでようやく、自分がステージで倒れたことを思い出した。
ユナ「……ごめんなさい。」
なんか、言葉が先に出た。
私がライブをダメにした。
ルシアの帰る場所。
リンの愛していた場所。
そして、ユイさんの夢。
私が全部、ダメにしてしまった。
ちゃんとやるって決めたのに。
ルシアが帰ってくるまで、私が守るって決めたのに。
……できなかった。
私は布団の上でぎゅっと拳を握った。
情けなかった。
悔しかった。
でも体には力が入らなかった。
ユイさんに抱きしめられたまま、私は俯いていた。
ルシアが旅に出てから、私が頑張らなきゃって思ってた。
ルシアが帰ってきた時にもっと大きなStellaになっていたかった。
だから頑張ってきた。
なのに全部私が壊しちゃった。
リンに申し訳ない。
ファンのみんなにも。
全部私のせい。
私は結局ダメなんだ。
ルシアがいないと何もできない。
Stellaひとつ守れなかった。
情けなくて、悔しくて、なんだか笑えてきた。
お医者さんは、疲労が原因だって言っていた。
たぶんその通りなんだと思う。
でも、そんなの言い訳だ。
疲れていたから倒れました。
そんな理由で、みんなが楽しみにしてくれていたライブを終わらせていいわけがない。
ユイさんは「気にすることない」って言ってくれた。
でも、私はそう思えなかった。
私がStellaを止めてしまった。
その事実だけが、何度も何度も頭の中で繰り返される。
私はもう、ダメになっちゃった。
【シンオウニュース】
「Stella LIVE IN NAGISA」中止 メンバーのユナが公演中に倒れ、緊急搬送
2018年11月
シンオウ地方・ナギサシティで開催された「Stella LIVE IN NAGISA」が、メンバーのユナが公演中に倒れる緊急事態を受け、中止となった。
会場となったナギサホールは満員。リンとユナの2人によるライブが行われていた。
Stellaの代表曲『タイムライド』を歌い終えた直後、ユナがステージ上で突然倒れた。
ユナはそのまま病院へ緊急搬送され、ライブは中止となった。
倒れた原因については、過度なストレスと過密スケジュールによる疲労とされている。
ルシアの活動休止以降、Stellaは2人体制で活動を継続。ライブの開催数が減少する一方、ユナとリンはモデル撮影やテレビ取材など、個人での活動も続けていた。
今回の緊急搬送を受け、Stellaの今後の活動についても注目が集まっている。
現時点で、今後のライブ開催や活動継続については明らかになっていない。
@stella_live_08
やっぱりおかしいと思ってた
明らかに働かせすぎでしょ
@idol_watch_21
社長何してるの?
@stella_fan_17
結局ルシアがいないとダメじゃん
@sinnoh_music
ルシアは何やってるんだよ
@kanto_battle_39
カントーで頑張ってるよ
Poketube見ろよ
@stella_support
そういう問題じゃないでしょ
セナに勝つとかいう絵空事のためにStellaは壊れかけてるんだけど
@poke_days_07
仕方ないだろ
誰が悪いとかそういう話じゃなくない?
@yuna_fan_12
ユナだけが被害者じゃん
@leafia_love
リンは大丈夫なの?心配なんだけど
@stella_news_24
とにかくルシア、今すぐ何か言えよ
♢♢♢
ナギサシティ、cutie project事務所、社長室。
ユイは机に肘をつき、深く項垂れていた。
顔を上げる気力もない。
ライブが中止になったからじゃない。
そんなことはどうでもよかった。
ユナに無理をさせすぎた。
その事実だけが頭から離れない。
ルシアが活動を休止した。
その穴を埋めなければならない。
Stellaを止めるわけにはいかない。
そんな焦りがいつの間にか自分の中にあった。
ユナはいつも笑っていた。
大丈夫。
そう言ってどんな仕事も引き受けた。
ユイも気づいていた。
もしかしたら無理をしているんじゃないか。
そう思ったことは何度もある。
それでもユナならやれる。
この子なら乗り越えられる。
そう思ってしまった。
今になって振り返れば、ユナが背負うにはあまりにも重すぎる仕事量だった。
ライブ、レッスン、取材、撮影、全部を休むことなく続けさせていた。
ユイはゆっくりと両手で顔を覆った。
私はプロデューサー失格だ。
タレントを守るのが仕事だった。
夢を叶えさせるのが仕事だった。
なのに、一番近くにいた私が。
誰よりも先に気づかなきゃいけなかった私が、気づけなかった。
ユナの「大丈夫」を信じてしまった。
その結果。
私が。
私がユナを壊した。
♢♢♢
ルシア「……え。」
ルシアはスマートフォンの画面を二度見した。
ユナ、ライブ中に転倒。
「Stella LIVE IN NAGISA」中止。
頭が真っ白になった。
気づけば、ユイへ電話をかけていた。
数回の呼び出し音。
やがて電話が繋がった。
ユイ「もしもし。」
ルシア「ユナは大丈夫なの!?」
思わず声が大きくなった。
隣ではモウカザルも心配そうにルシアを見上げていた。
ユイ「大丈夫よ。」
ユイ「今は体調も回復してる。」
その言葉に、ルシアは少しだけ胸を撫で下ろした。
それでも電話越しにもわかる。
ユイの声はひどく疲れていた。
ルシアは唇を噛んだ。
ユイ「……ルシア。」
ユイ「約束の半年まで、あと1ヶ月でしょ。」
ユイ「バッジも7個集めたんでしょう?」
ルシア「……はい。」
ユイ「だったら、まずは最後までやりなさい。」
ユイ「Stellaのことは、半年の期限が来た時に改めて話しましょう。」
ルシアは黙ってユイの言葉を聞いていた。
ユイ「私がどうにかする。」
ユイ「今は、あなたのできることをやりなさい。」
ルシアはゆっくりと目を閉じた。
そして、小さく頷いた。
ルシア「……わかった。」
ルシア「ユナをお願いします。」
ユイ「ええ。」
ルシアは静かに通話を切った。
♢♢♢
ルシアはモウカザルの頭にそっと触れると、立ち上がった。
多分、私が旅に出なければ。
Stellaにいればこんなことにはなってない。
ユナが体調を崩すところなんて見たことがない。
倒れるほど無理をするなんて考えられなかった。
わからない。
でも、多分、きっと私のせいだ。
ルシアは歯を食いしばった。
涙が溢れそうになる。
でも、違う。
私がやることは泣くことじゃない。
帰ることでもない。
私は間違ってない。
この選択は無駄じゃない。
それを証明することだ。
ルシアはポケモンセンターの扉を開くと、外へ一歩踏み出した。
私は止まれない。
目指すのはチャンピオンロード。
約束の期限まであと1ヶ月を切っていた。
♢♢♢
ポケモンリーグ、チャンピオンルーム。
チラチーノの尻尾が、セナの頭を軽く叩いた。
約束の時間だった。
今日は元チャンピオン、シロナとの会食が入っている。
セナは小さく息を吐いた。
……めんどくさい。
……行きたくない。
シロナさんは、多分気遣ってくれている。
チャンピオンとしての仕事だって丁寧に教えてくれる。
感謝はしている。
でも面倒だった。
ご飯なんて、1人で食べられる。
マナさんが家を出てからはずっと1人で暮らしていた。
寂しさを感じたこともない。
だから気持ちはありがたい。
でも行きたくない。
セナはゆっくりと体を起こした。
……ただ、ここまで僕のためにしてくれる人の善意を無下にしたら、いよいよ終わりだと思う。
さすがに僕もそこまでクズじゃない。
セナは扉に手をかけた。
サイズの合わないTシャツ。
丈の合っていないスウェット。
そしてチラーミィをあしらったスリッパ。
いつも通りの格好のまま、セナはエントランスへ降りていった。
♢♢♢
ポケモンリーグ、エントランス。
多くのトレーナーが行き交う中、シロナは新チャンピオンを待っていた。
ここ最近、セナがチャンピオンに就任してから、シンオウのバトル文化は少しずつ変わりつつあった。
防衛戦30連勝。
それだけなら、おかしなことではない。
シロナ自身も10年間、チャンピオンの座を守り続けてきた。
ただ、セナとルカリオは異質だった。
シロナ自身も、あのルカリオを倒せなかった。
そして今の挑戦者たちは、ルカリオに攻撃を当てることすらできていない。
シロナは、これまでの防衛戦をすべて映像で確認していた。
30戦。
いずれも6対6のフルバトル。
セナとルカリオは、合計180体ものポケモンを倒していた。
その中で、ルカリオに攻撃を当てられたポケモンは、わずか2体。
7戦目の挑戦者が使用したリザードン。
そして、19戦目の挑戦者が使用したマニューラ。
ルカリオを捉えたのはその2体だけだった。
Poketterの反応にも、その変化は顕著に表れている。
最初は、新チャンピオンの誕生に沸いていた観客たち。
しかし、彼らも少しずつ興味を失っていった。
もうセナがどう勝つかではない。
挑戦者が何分持つか。
そんな悪辣な話題すら増え始めていた。
挑戦者にも人生がある。
ここまで強くなってきた道がある。
シロナは知っている。
彼らがどれほどの努力を重ね、ポケモンたちとともに、この場所まで辿り着いたのかも知っている。
それなのに、セナの圧倒的な強さがそのすべてを初めからなかったかのように否定してしまう。
そして、セナはその事実をひけらかさない。
侮辱することもしない。
偉そうに振る舞うこともない。
ただ、崩れ落ちる挑戦者を、憐れみの目で見つめるだけだった。
シロナは小さく息を吐いた。
自分たちが作り上げてきたシンオウのバトル文化が、少しずつ壊れ始めていた。
壊れ始めたのは、セナだけではなかった。
♢♢♢
シロナはエントランスに降りてきたセナへ視線を向ける。
そして、ほんの少し目を細めた。
上下ともに真っ黒な寝巻き。
足元には、チラーミィをあしらったスリッパ。
自分との会食も、防衛戦も、いつもこの格好で来るから困ってしまう。
それでもこの子は悪くない。
ただ、圧倒的に強い。
そして不器用なだけ。
この子がチャンピオンとして過ごせるように。
シンオウの顔として振る舞えるように。
そのために、自分が支える。
セナがどんな人間だろうとそれは変わらない。
シロナはセナに向かって歩き出す。
ナギサシティのレストラン、予約の時間まであと少しだった。