僕はミオジムの外へ出ると、モンスターボールを開いた。
中からグライオンが姿を現す。
僕の手持ちは、まだ4匹だけだった。
ルカリオ、グライオン、チラーミィ、そして黄色い色違いのリオル。
グライオンと色違いのリオルは、この11年間で仲間になった。
グライオンも、出会った頃はまだグライガーだった。
今では立派に進化し、僕と一緒に戦えるまでに成長している。
もちろん、グライオンもリオルも戦える。
でも、僕が目指しているのは世界最強。
無敗の王者。
だから決めていた。
シンオウチャンピオンになるまでは、ルカリオ以外をバトルに出さない。
僕とルカリオ。
2人でシンオウチャンピオンになる。
グライオンも、チラーミィも、リオルもみんな納得している。
グライオンが僕の腕に手をかけた。
頭の上には、いつものようにチラーミィが乗っている。
グライオンに身を預けると、ゆっくりと体が地面から離れた。
高度が上がり、見慣れたミオシティの街並みが眼下に広がっていく。
グライオンは僕を掴んだまま、次のジムへ向かって飛び立った。
♢♢♢
セナは、瞬く間にシンオウ地方で話題になり始めた。
ミオジムのトウガン、クロガネジムのヒョウタ、ハクタイジムのナタネ。
わずか1週間ほどで、3人のジムリーダーが相次いで敗れた。
異常な速さだった。
しかも、セナがバトルで使用したポケモンはルカリオのみ。
ほかのポケモンを繰り出すことなく、次々とジムを突破する。
そして、勝利後の姿も印象的だった。
当然のようにジムバッジを受け取りながら、その直前には安心したように小さく笑う。
そんなセナとルカリオの姿が、Poketterで少しずつ話題になっていた。
@sinnoh_battle_fan
セナってトレーナーのバトル見た?
@poke_watch_21
見た。秒殺だった。
@milky_puff
セナって可愛いよね? 何歳なんだろ。
@sinnoh_days
20歳だって。
@choco_mint_07
え、全然見えない! 15歳くらいだと思ってた。
@gym_challenger
次はキッサキジムに挑戦するらしいよ。
♢♢♢
キッサキジム前。
セナとグライオンは、ゆっくりとジムの前に降り立った。
セナはイヤフォンを外し、音楽を止めた。
聴いていたのは、アイドルグループ「Stella」の『タイムライド』。
Stellaは、解散した「Lune」の元メンバーがプロデュースするアイドルグループだった。
セナもマナの影響で、こうした音楽を聴くようになっていた。
好きな曲を聴き、気持ちを整える。
それがセナのルーティンになっていた。
イヤフォンをしまうと、セナはジムの扉に手をかけた。
キッサキシティジムリーダー、スズナ。
次はこいつだ。
セナはいつも通りバトルコートに立った。
頭の上にはチラーミィが乗っている。
セナ本人よりも真剣な顔で、向かい側に立つスズナを見つめていた。
今日は公開ジム戦だった。
キッサキジムの観客席には、セナの試合を見ようと20人ほどの観客が集まっている。
その視線が注がれる中、セナとスズナはコートを挟んで向かい合った。
スズナ「君、話題のトレーナーだよね! 強いって!」
スズナ「だけど私も気合い、入ってるから!」
スズナ「そこんとこ、見せたげるから覚悟しちゃってよね!」
スズナはそう言うと、モンスターボールを握った。
セナも静かにボールを構える。
審判「使用ポケモンは3体! それでは両者、ポケモンを!」
スズナ「出てきて! マンムー!」
セナ「ルカリオ。」
2体のポケモンがフィールドに姿を現した。
大きな牙を持つマンムーと、その正面に立つルカリオ。
互いに視線を向け、睨み合う。
セナの表情は変わらなかった。
その頭の上で、チラーミィだけが眉間にしわを寄せている。
審判「それでは、バトルスタート!」
スズナ「マンムー! こおりのつぶて!」
マンムーが力強く踏み出した。
その前方に巨大な氷の結晶が形作られ、鋭い先端をルカリオへ向ける。
次の瞬間、結晶が勢いよく撃ち出された。
セナ「グロウパンチ。」
ルカリオが拳を固く握る。
迫り来る氷の結晶に対し、一歩も退かずに拳を高速で振り抜く。
拳が結晶の正面を捉えた瞬間、氷に亀裂が走った。
巨大な結晶は粉々に砕け散り、無数の破片がコートへ降り注ぐ。
スズナ「……すごいじゃん。」
スズナの口から小さな声が漏れた。
セナは何も返さなかった。
セナ「行くよ。ルカリオ。」
ルカリオが静かに頷いた。
セナ「ルカリオ。しんそく。」
ルカリオが地面を蹴った。
一気に加速すると、マンムーとの距離を瞬く間に詰め、その巨体の横を駆け抜けた。
スズナ「え!? なに!?」
スズナもマンムーも、反応が止まった。
セナ「バックステップ。」
マンムーの背後で急停止したルカリオが、再び地面を蹴る。
勢いよく跳びあがると、マンムーの正面へ着地した。
スズナ「……。」
スズナは絶句した。
戦場で思考が止まる。
その一瞬で、勝負は決まってしまう。
そう思わせるだけの圧力が、セナとルカリオにはあった。
セナ「牙を掴んで投げ上げろ。」
ルカリオがマンムーの牙を両手で掴んだ。
そのまま体を沈め、勢いをつけて一気に持ち上げる。
マンムーは反応できず、踏ん張ることもできなかった。
巨大な体が地面から離れ、そのまま宙へ投げ上げられる。
スズナ「マンムー!」
スズナが目を見開いた。
そんなの、知らない。
なにこれ。
私、こんなバトルやったことない。
セナ「はどうだん。」
ルカリオが拳を前へ突き出した。
放たれた波動の塊が撃ち出される。
そして、空中で身動きの取れないマンムーを捉えた。
マンムーの巨体が、地面に叩きつけられる。
マンムーは倒れたまま、体を起こすことができなかった。
審判「マンムー、戦闘不能。」
審判「ルカリオの勝ち!」
セナとルカリオは、当然のように正面を見つめていた。
その頭の上で、チラーミィだけが目をぱちぱちさせている。
スズナはその場に立ち尽くしていた。
観客席に集まった20人ほどの観客も、息を呑んだままフィールドを見つめている。
誰も声を上げない。
セナ「……次、どうぞ。」
セナの冷たい声が、静まり返ったキッサキジムに響いた。
♢♢♢
キッサキジム、観客席。
1人の少女が、バトルコートに立つセナを見つめていた。
ミユ、15歳。
キッサキシティに住む中学生だった。
横にはニンフィア。
ミユの子供の時からのパートナーだった。
ミユはポケモンバトルを愛している。
そして、セナに出会ってしまった。
ミユはここまでのジム戦をすべて見た。
相手の意表を突く発想。
ルカリオの攻撃力とスピード。
そして、勝利した直後にセナが見せる、小さな笑顔。
そのすべてに魅了されていた。
ミユ「……すごい。」
思わず声が漏れた。
それ以上、言葉が出てこなかった。
フィールドでは、ルカリオとグレイシアが向かい合っている。
ミユは視線を逸らすことなく、バトル再開の合図を待っていた。
審判「バトル再開!」
ミユは大きく目を見開く。
一瞬たりとも見逃したくなかった。
ルカリオがフィールドを駆け抜けた。
はどうだん。
しんそく。
グロウパンチ。
次々と繰り出される技は、どれもすごかった。
波動の威力も、目で追うのがやっとの速度も、拳を振るう動作の一つ一つも。
自分のバトルとは比べものにならなかった。
ミユはスズナへ視線を向ける。
その顔には冷や汗が伝っていた。
フィールドに立つグレイシアも、歯を食いしばっていた。
ミユはスズナの強さを知っている。
歳も近く、一緒に遊ぶこともある。
だからこそ分かる。
こんなスズナの顔は今まで見たことがない。
それでも、スズナとグレイシアは必死に食らいついていた。
グレイシアの放ったれいとうビームが、ルカリオを捉える。
少しずつ、ルカリオの動きを追えるようになっていた。
セナ「ルカリオ。」
セナの声に応じ、ルカリオが一気に距離を詰めた。
スズナ「グレイシア! ふぶき!」
グレイシアが大きく息を吸い込む。
周囲の空気が急激に冷え込む。
次の瞬間、猛烈な吹雪がルカリオへ襲いかかった。
セナ「はどうだん!」
それでも、ルカリオは止まらない。
吹き荒れる冷気の中を突き進む。
セナもルカリオも、迷わなかった。
ルカリオが拳を突き出すと、蒼い波動の塊が吹雪を突き抜けた。
吹雪を切り裂きながら、一直線にグレイシアへ向かう。
はどうだんがグレイシアを捉えた。
グレイシアの体が大きく弾かれ、地面へ叩きつけられる。
スズナ「……グレイシア。」
スズナの握り締めていた拳から、ゆっくりと力が抜けた。
審判「グレイシア、戦闘不能。」
審判「ルカリオの勝ち。」
観客席で、ミユは小さく息を吐いた。
本当に強い。
吹雪を受けながら、はどうだんを撃ち込んで倒してしまった。
どうしてあんな動きができるのか。
どうしてあんなに強いのか。
それでも、とにかく強い。
ミユはセナを見た。
セナとルカリオは、まっすぐスズナを見つめていた。
♢♢♢
セナはルカリオの背中を見つめていた。
右足が凍りついている。
セナ「……ルカリオ、大丈夫?」
ルカリオは振り返り、小さく頷いた。
その姿を見て、セナはわずかに笑った。
よかった。
ここで弱音を吐くようなら、王にはなれない。
ルカリオが望むなら。
僕が必ず、王座まで連れていく。
一方、スズナは最後のモンスターボールを握り締めていた。
信じられない。
この人、いったい何なの。
歳だって、そんなに変わらないはず。
私は18歳で、この人は20歳。
たった2歳しか違わない。
それなのに、まるで勝てる気がしない。
見ている世界が違う。
ジムリーダーは本来、挑戦者の実力を試す立場。
そのはずだった。
スズナは拳を強く握る。
違う。
もう、試すなんて偉そうなことを言っていられない。
私が倒しに行く。
せめてルカリオだけでも倒す。
スズナ「お願い! ユキメノコ!」
モンスターボールが開き、光の中からユキメノコが姿を現した。
その体がふわりと浮かび上がり、スズナの隣に並ぶ。
スズナは顔を上げた。
正面に立つセナと視線がぶつかる。
スズナ「とっておきのポケモンで相手、してあげるんだから!」
声が震えていた。
それでも、スズナは前を向く。
震えたっていい。
喰らいつく。
審判「バトルスタート!」
審判の声が響き、観客たちの視線が一斉にバトルコートへ集まった。
挑戦者を応援するような空気ではない。
このトレーナーとルカリオは、次にどんなバトルを見せてくれるのか。
観客席は、そんな期待に包まれていた。
セナ「ルカリオ。ラスターカノン。」
ルカリオが拳に力を込めた。
はどうだん、グロウパンチ、しんそく。
ここまで見せた技は、すべてゴーストタイプのユキメノコには効かない。
状況はシンプル。
ラスターカノンをユキメノコに当てる。
ルカリオの拳から、鋼鉄のエネルギーが放たれた。
銀色の光線が一直線にユキメノコへ迫る。
スズナ「避けて! ユキメノコ!」
ユキメノコが素早く体を逸らした。
姿勢を低くすると、銀色の光線がその頭上を通り過ぎていく。
セナ「……。」
セナはわずかに目を細めた。
頭の上のチラーミィも、同じようにユキメノコを見つめている。
ラスターカノンの発射が遅い。
あまりにも遅かった。
普段のルカリオならあり得ない。
セナはルカリオの足元へ視線を落とす。
右足が凍りついたままだった。
グレイシアの遺した凍結が、ルカリオの瞬発力を奪っている。
スズナ「ユキメノコ!シャドーボール!」
ユキメノコの前方に影の塊が生まれる。
そしてルカリオへ向かって撃ち出された。
セナ「避けろ!」
ルカリオが地面を蹴った。
横へ踏み込むと、影の塊がすぐ傍を通り過ぎていく。
攻撃は外れた。
それでも、セナの額には冷や汗が浮かんでいた。
まずい。
遅い。
遅すぎる。
このままじゃ捉えられる。
セナは小さく息を吐いた。
嫌な予感が脳裏をよぎった。
ポケモンバトル。
トレーナーの指示に従い、ポケモンたちが戦う。
使える技、ポケモンのコンディション、相手との相性。
その時々で勝敗を分ける要素はいくらでも存在する。
どれほど強いトレーナーでも、負ける時は負ける。
運が勝敗を左右することだって珍しくない。
それでも、セナは自分の敗北を許さなかった。
ジムリーダーを相手に、たった1体のポケモンで2体を撃破。
そして今、3体目のポケモンとも戦っている。
それだけでも十分に異常なことだった。
ただ、セナにとっては違った。
11年間、鍛えてきた。
セナ自身も、ルカリオも。
誰にも負けないと信じられるところまで強くなり、勝てると確信して旅に出た。
一戦たりとも落とすつもりはない。
だからこそ、セナを恐怖が支配していた。
敗北への恐怖。
11年間、一度も許そうとしなかった敗北が、すぐそこまで迫っていた。
ルカリオが苦しそうに膝をつく。
セナはその背中を見つめていた。
冗談だろ。
負けるのか?僕が。
ここまでやってきたのに。
ルカリオももう限界だ。
本当に、僕が負ける?
スズナ「ユキメノコ!シャドーボール!」
ユキメノコが高く飛び上がった。
スズナは拳を強く握る。
いける。
ルカリオだけでも落とせる。
セナは顔を上げた。
スズナの声が、やけにはっきりと耳に響いていた。
目が覚めたような気がした。
違う。
僕は負けない。
負けるわけがない。
ここまでやってきた。
セナはゆっくりと口を開く。
セナ「ルカリオ。」
ルカリオは返事をしなかった。
それでも、膝をついたままの体に力を込めた。
セナ「蹴り飛ばせ。」
セナが飛ばした指示は、たった一言だった。
迫り来るシャドーボールを蹴り飛ばす。
スズナ「発射!」
スズナも、もう引けなかった。
ここで決める。
ユキメノコがシャドーボールを撃ち込んだ。
ルカリオは左足に力を込める。
そして、膝をついた体を支えると、凍りついた右足を勢いよく振り抜いた。
影の塊が右足の凍結部分に炸裂する。
衝撃で氷が砕け、破片が周囲へ飛び散った。
ルカリオが苦痛に顔をしかめた。
セナ「……それ。」
セナは小さく笑った。
氷は砕けた。
あとは一撃。
一撃でいい。
全力を叩き込め。
セナ「ラスターカノン!」
セナの声が震えた。
ルカリオは地面を蹴り、ユキメノコとの距離を一気に詰めた。
そのまま腕を伸ばし、ユキメノコの体へ押し当てる。
スズナ「……。」
スズナは何も言えなかった。
完敗だった。
怖い、この人。
そして今の私は、この人に勝てない。
スズナは呆然と目の前の光景を見つめていた。
♢♢♢
次の瞬間、ルカリオの腕から銀色の光が放たれた。
至近距離で炸裂した鋼鉄のエネルギーが、ユキメノコを捉える。
ユキメノコの体がゆっくりと落下し、そのまま地面に横たわった。
審判「ユキメノコ、戦闘不能。」
審判「よって勝者、挑戦者セナ!」
審判の声がキッサキジムに響き渡った。
セナは笑えなかった。
負けかけた。
怖い。
負けるのが怖い。
セナの頭を占めていたのはそれだけだった。
スズナが何かを言っている。
けれど、その言葉は何一つ頭に入ってこなかった。
セナは震える手でジムバッジを受け取った。
そのままジムの出口へ向かい、扉を開く。
1人になりたかった。
♢♢♢
セナはキッサキジムの外へ出た。
キッサキシティには雪が降っていた。
冷たい雪が静かに降り積もる中、セナはすぐに歩き出すことができなかった。
その場に立ち尽くしたまま、呆然と雪景色を見つめる。
僕は何を間違えた?
何が悪かった?
どこが甘かった?
なんで負けかけた?
疑問は尽きない。
そして、一つの結論に辿り着いた。
全部だ。
僕が甘い。
ルカリオは頑張っている。
僕が不甲斐ない。
僕がもっと早く気づいていればよかった。
技構成だって変えられた。
これまで費やしてきた時間なんて関係ない。
負ける可能性を、すべて消せ。
いらないものを全部捨てろ。
そこまで考えがまとまると、セナはもう迷わなかった。
頭の上に乗っていたチラーミィが、心配そうにセナの顔を覗き込んだ。
セナはポケットからスマホを取り出した。
Poketterの通知を切る。
Stellaの通知も同じ。
好きなアイドルグループ。
それでも、迷わず通知を切った。
続いて連絡先を開く。
不要な連絡先を、一つずつ削除していった。
トウガンも。
マナも。
全部切った。
ノイズはすべて捨てる。
セナはスマホをしまうと、イヤフォンを取り出した。
思い切り腕を振りかぶり、遠くへ投げ捨てる。
イヤフォンは雪の中へ落ちた。
これもいらない。
全部いらない。
最後に残ったのは、スマホの裏に挟んでいた1枚のチェキだった。
ルシア。
Stellaの中で一番好きなメンバーのチェキ。
写真の中では、ルシアがヒコザルと頬を寄せ合い、楽しそうに笑っていた。
セナはチェキを取り出した。
これも捨てようと、手を動かしかける。
セナ「……。」
雪の中に捨てるのは、さすがに心が痛む。
セナはしばらくチェキを見つめると、裏返してスマホに挟み直した。
全部捨てた。
これでいい。
これでもっと強くなれる。
セナは安心したように息を吐くと、雪の降る街を歩き始めた。