人は誰しも過ちを犯す。だが、罪を犯した生徒にもやり直す機会が必要であり、過去の行いだけでその子のすべてを決めつけてはいけない。それが私の考えであり、先生として、大人として果たすべき責任なのだと思う。
だが、それにも限度というものがあるらしい。
『……申し訳ありません、先生。今回の件を受けて、クサハさんの外出期間を短縮する案が出ているんです』
まず初めに端末の向こうから聞こえてきたのは、監原ミスズの困り果てたような声だった。
“……昨日の強盗事件のこと?”
『はい。も、もちろんあの子が強盗犯を制圧してくれたこと自体は感謝しています。ただ、その際の行動が少し問題になっていまして……』
私は机の上に置かれた報告書へ視線を落とした。
昨日、アイスクリーム屋で起きた強盗事件。三人組の不良生徒をクサハが圧倒的な力で制圧した一件だが、問題はその後の彼女の発言。
『……わたしぃ……やり返しただけだよぉ……?』
あの言葉には、罪悪感も後悔もなかった。彼女は善悪を理解していないのではなく、理解したうえで自分の行動を選んでいるのだ。
“……それで、外出期間はどうなるの?”
『当初は二週間を予定していましたが、早ければ明後日にも帰還させるべきだという意見が出ています』
“でも七囚人の一人にも会えていないんだけど……”
『しかし、彼女の施設外活動が七囚人よりもリスクが高い、との判断らしく……』
ミスズは小さく息を吐き、改まった声で話を続ける。
『……先生。あの子を外へ連れ出すこと自体、局内では相当な反対があったんです。彼女が大人しく収監されている理由は、決して我々の警備が優れているからではありません』
“そう言えば看守が必要ないとか……どうしてなの?”
『そもそも彼女を止める手段が無い、と言うのが一つと……もう一つ。彼女本人が外に出る気が無いんです』
一見ただの模範囚だ、とも取れるその言葉には、含まれた意図があるように思えた。
そう言えば収監された経緯についても、私はほとんど何も知らない。アロナに調べてもらった記録では、トリニティに入学してから僅か半年ほどで除籍処分を受けたことしか分からなかった。
“……ミスズ。クサハは、以前何をしたの?”
『……それは』
電話のノイズの奥、長い沈黙が続いた。
『先生。トリニティの正義実現委員会をご存じですよね?』
“……うん”
『あの子を確保するため、当時は正義実現委員会だけでなく、SRTやヴァルキューレまで動員されたんです』
“……え?”
思わず、素っ頓狂な声が漏れてしまう。
『ごめんなさい。これ以上は、まだお話しできません。ただ一つだけ、お願いがあります』
“お願いって?”
『あの子に、外の世界を好きになりすぎないでほしいんです』
その言葉を最後に、通話は終了する。私は端末を置き、隣の部屋へ視線を向ける。クサハはまだ眠っているはずだ。
……一体、あの子は何をしたのだろう。
そんな疑問を抱いたとき、再び端末が振動した。
『先生! ヴァルキューレから緊急連絡です!』
"……アロナ?”
『七囚人の一人が予告状を出したそうです! 差出人は……「慈愛の怪盗」です!』
***
午前十一時四十分。
中央区画にある美術館は、ヴァルキューレの警備車両によって取り囲まれていた。
予告状には、正午ちょうどに「藍色の空」を頂戴すると書かれていた。その「藍色の空」が意味するのは、恐らく『蒼天の夜』と名付けられた絵画だろう。星々が雲に隠れ鈍い藍色に染まる夜空と、その中で唯一輝く北極星を描いた作品、記された名前にも特徴が一致する。
ヴァルキューレ側は展示室には厳重な警備が敷かれ、武装した生徒が何人も配置されており、一般客の立ち入りまで制限する徹底ぶりであった。
「……せんせぇ、すずしいねぇ……」
“……そうだね”
隣ではクサハが満足そうに顔を緩めていた。ここへ来るまでは私の背中で暑いだの疲れただのと騒いでいたが、冷房の効いた館内に入ってからは幾分か元気になったらしい。
「……あの絵ぇ、きれい……」
“……クサハもそう思う?”
「……ん、おそらの色ぉ、かわいいなぁって……」
彼女は相当な頻度で、色々な物に興味を持つ。
昨日のアイスクリームといい、しばらく牢屋の中に居た彼女にとって、外の世界にあるものの多くが興味の対象なのだろう。
だが、その前……収監される以前はどうだったんだろうか。
彼女は見て来たはずだ。普通の生徒と同じ世界を、青春を。しかし彼女はまるで、生まれた時から俗世から隔絶されていたような興味の持ち方をする。
……日向夏クサハにとって、この世界はどのように映っていたのだろう。
そんなことを考えていると、突如館内放送から軽やかな音楽が流れ始めた。弦楽器を主旋律に据えたそれは、たちまち美術館をパレード会場に変えてしまう。
『皆様、ご機嫌よう』
聞き覚えのある声が、音楽の後ろから高らかに響いた。
『本日はこのような素晴らしい舞台をご用意いただき、誠にありがとうございます。これほど熱烈な歓迎を受けるとは、怪盗冥利に尽きますね』
パチン、と館内の照明が一斉に消灯した。
周囲から悲鳴が上がり、警備員たちが一斉に身構えたが、暗闇が続いたのはほんの数秒。
そして、照明が復旧したとき……
「慈愛の怪盗、ただいま参上いたしました」
展示室中央に、一人の少女が立っていた。
清澄アキラ。七囚人の一人にして、キヴォトス屈指の怪盗である。
「全員、構えろ!」
ヴァルキューレの生徒たちが武器を向けるが、彼女は慌てる様子もなく、むしろその状況を楽しむように優雅な一礼を披露した。
「ふふ……どうやら誤解なさっているようでして」
「……誤解?」
「ええ。そう言えば皆様、時計はご覧になりましたか?」
私はすぐに左手首に巻いた腕時計を確認する。
針が指していたのは12時02分……そうだ、彼女が指定していたのは正午ちょうど。ならば何故彼女はここに現れ、まだ絵画はここに残っているのか?
もう一度照明が消え、パリンと言う音の後光が戻る。
絵画を保管していたはずのガラスケースは粉々に砕け散り、地面には砕けたガラス以外の何も存在していない。
盗まれていたのだ、彼女が来るよりも前に。
アキラは帽子の縁へ指先を添えた。
「それでは皆様、ごきげんよう」
“……待って、アキラ!”
私が声を上げると、彼女の体が魔法にかかったかのようにぴたりと止まった。
「……おや? そのお声は」
こちらを振り返ったアキラは、先程までが嘘のようにぱっと表情を明るくし、私の方へと駆け寄ってくる。
「まあ、先生ではありませんか! このような場所でお会いできるなんて、何という素敵な偶然でしょう!」
“……久しぶりだね。少し話を聞いてくれるかな?”
「ええ、もちろん。先生のお話でしたら喜んで」
“……矯正局へ戻ってきてほしいんだ”
アキラの笑顔がほんの僅かに曇る。周囲は気付かないであろうそのほんの僅かを、私の目は確かに捉えていた。
「いくら先生の願いとは言え、そのお願いを聞き入れるわけにはまいりません。私にはまだ、盗むべき美術品が残っていますので」
“……理由があるからといって、盗んでいいわけじゃないよ”
「ふふ。先生のおっしゃることはもっともです。ですが、美しさを理解されないまま暗い倉庫に閉じ込められている作品を、私には見過ごせません」
照明が作り出す極光の中、彼女は綺麗に一礼をする。
「申し訳ありません、先生。私は、私の美学に従わせて頂きます」
“……気持ちは分かった。でも、やっぱり盗みは駄目だよ”
「……残念です。では、少々荒っぽい舞台になってしまいそうですね」
「ねぇ……せんせぇ……」
その瞬間、背後から場違いな声が聞こえた。
騒音に大半がかき消され、聞き取ることに難儀するほどか細く、眠たげな声。
「……おはなしぃ、まだ終わらないのぉ……?」
“……クサハ?”
私の隣に立った少女を見て、アキラがありえない物でも見たかのように顔を驚かせ、一歩後ずさる。
「……これはまた、随分と珍しいお連れ様ですね」
「……だれぇ?」
「日向夏クサハ。まさか、貴女が外に出ているとは」
「どっかで会ったぁ……?」
アキラは一瞬黙った後、ただただ目の前の光景がおかしいかのように笑う。
「ふふっ、これは失礼。私は七囚人が一人、慈愛の怪盗、清澄アキラです」
「……あぁ……逃げちゃった子ぉ……」
「ええ。その通りです」
アキラは前屈みになり、クサハに視線を合わせ微笑んだが、その視線には明らかな警戒が浮かんでいた。
「先生。まさか、彼女を私の捕縛に?」
“……うん”
「……なるほど。それはまた、随分と大胆な判断ですね」
「……せんせぇ。あの子ぉ、捕まえたらいいんだよねぇ……?」
“……うん。でも、できれば話し合いで……”
「……んー……よくわかんないけどぉ、捕まえてくるねぇ……」
私の隣から、「待って」の一言を発する暇も無いまま彼女の姿が消えた。
***
次に目にしたのは、展示室の奥へ飛び退くアキラと、彼女が立っていた場所で砕け散る装飾柱だった。
「……っ!」
「……あれぇ、よけたぁ……?」
クサハは不思議そうに首を傾げた。
その声には敵意も緊張もない。言葉通り、ただ目の前の相手が思ったより素早く動いたことに驚いているだけなように思えた。
「正面からのお相手は少々難しそうですね」
アキラが杖を構えると、展示室に白い煙が広がる。
先程まであれほどに存在感を放っていた白い服は、煙の中では正反対に目立たない。この隙に逃げるつもりなのだろう。
だが次の瞬間、充満した煙が二つに"割れた"。
同時に訪れたのは身体ごと吹き飛ばされそうになる程の爆風。
「……みえたぁ」
それが何度も何度も、色々な方向から吹き荒れる。
煙の隙間から微かに見える残像で、クサハが四方の壁を使いながら展示室中を跳ねているのだと気付いた。
気付いたと同時に、恐ろしかった。
こんな事をできる生徒は他に居るのだろうか。キヴォトスでも指折りの強者である、ネルやツルギ、ホシノやヒナですらこんな動きをしている所は
見た事がない。
もう一つ残像が見えた。アキラの衣装が放つ、月光のような白い影。
クサハが飛びかかるたび、アキラはは身体を空中で捻り、さながら曲芸のような動きでギリギリいなし続けていた。
しかしだんだんと、その影は勢いを落としていく。
恐らくクサハの攻撃が掠り続けているのだろう、体力の消耗と痛みが彼女の動きを鈍くしていた。
間も無く煙が完全に明けると、アキラが壁に手をつきながら絶え絶えの息を整えていた。
その数歩先には、クサハが立っている。
「……ねぇ、もう帰ろぉ……?」
「……申し訳ありませんが、それはできません」
どれだけ消耗しても変わらない、覚悟に満ちた笑顔でアキラは答えた。
「まだ、私にはやるべきことがございますので」
「……ふぅん……」
クサハは首を傾げ、一歩、また一歩と距離を縮める。
「……じゃあぁ、できなくしてあげよっかぁ……」
その瞬間、反射的に私の身体が動いた。
“クサハ! 待って!”
先程まで意識の外にあったのではないかと思うほど微動だにしなかった身体が、走ってクサハの方を掴む。
どうも私は、生徒の事とでもならないと前に進めないタチらしい。
「……んぅ?」
“そこまでしなくていい! アキラを捕まえるだけでいいんだ!”
「……でもぉ、逃げちゃうよぉ……?」
“それでも、必要以上に傷つけちゃ駄目だよ!”
クサハは黙り込んだ。
その間、アキラは私たちを交互に見つめている。
「……んー……わかったぁ……」
***
結局、アキラはヴァルキューレ公安局によって身柄を確保され、矯正局に再収容される事となった。
その重要な役割を担ったのは、日向夏クサハ。今回の一件は、彼女の有用性を示すと同時に、危険性を強く補強する物にもなった。
「……せんせぇ……」
“……クサハ?”
「……つかれたぁ……」
振り返ると、彼女は既に壁へ寄りかかっていた。
呼吸は少し荒く、細い肩が小さく上下している。数十分前まで七囚人を圧倒していたとは思えないほど弱々しい姿だった。
“……大丈夫? どこか痛い?”
「……んー……ねむいだけぇ……」
私は慌てて倒れそうになった彼女の身体を支える。
すると、クサハは満足そうに笑った。
「……せんせぇ、えらかったぁ……?」
“……うん。最後にちゃんと言うことを聞いてくれたのは、偉かったよ”
「……んふふ……」
クサハは嬉しそうに微笑む。
「……じゃあぁ、ごほうびぃ……」
“……ご褒美?”
「……アイスぅ……」
……またそれか、と少し呆れたため息をつく。
同時に、日向夏クサハと言う生徒が、ただの少女に戻ったようで、ホッとしている自分がいた。
***
午後3時。
美術館近くの小さな喫茶店で、私たちは遅めの昼食を取っていた。
もっとも、クサハが食べているのは昼食ではなく、先ほど約束したアイスクリームである。
「……おいしぃ……」
満足そうに頬を緩めるクサハを眺めながら、私は先ほどの戦闘を思い返していた。
あれほどの力を持ちながら、彼女はどうしてこんなにも弱々しいのだろう。
そして、彼女の過去には一体何があったのか。
「……せんせぇ……」
“どうしたの?”
「……きょうの子ぉ、なんで帰りたくなかったのぉ……?」
“……アキラのこと?”
アイスを乗せたスプーンを口の端に咥えながら、ゆっくりとクサハは頷く。
なんと返すべきか悩んだ末、私は少し濁して意見を話した。それが何故かはわからない。
“……外の世界に、やりたいことがあったからじゃないかな”
「……やりたいことぉ……?」
“うん。だからといって脱獄していいわけじゃないけど、彼女にとってはそれほど大切なことなんだと思う”
「……ふぅん……」
クサハはしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと呟く。
「……わたしより、弱かったのにねぇ……」
“……え?”
「……なのにぃ……あの子ぉ、逃げられたんでしょぉ……?」
私はそれに、一言たりとも答えられなかった。
彼女はアイスクリームを一口食べると、いつものように穏やかに微笑む。
「……なのにぃ、わたしは逃げちゃだめなのぉ……?」
“……クサハ。アキラが逃げたことは、正しいことじゃないんだよ”
「……んー……」
“だから今日捕まえたんだ。自分のしたことには、ちゃんと責任を持たないといけないからね”
「……そっかぁ……」
その表情を見ながら、私は今朝のミスズの言葉を思い返した。
『あまり、外の世界を好きにならないでくれるといいのですが』
……どうして、そんなことを言ったのだろう。
そして、もし明後日に帰還することが決まったら、私は彼女に何と説明すればよいのだろうか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、私は目の前の少女を見つめる。
クサハはそんな私の心配など知る由もなく、幸せそうにアイスクリームを食べ続けていた。