237cm×237cm、西方向に大きな窓が一つ。
コンロとユニットバスが備え付けられた、真ん中に机があるだけの真っ白な部屋。
ここが私の世界。
そして牢獄なんだ。
***
私は学校にいつも遅刻する。
起き上がるのも体力が要るし、ドアを開けるのも死にものぐるい。
私が家に着くのはいつも日が落ちた後。
信号を待つだけで息が切れるし、1分歩けば10分休まないと。
だから私は放課後を知らない。
起きて、学校に行って、帰って、寝る。それだけで1日が終わってしまう。学校生活の記憶はほとんどない。まるで学校が終わった瞬間に記憶が消されているのではないかと言うほどに、綺麗さっぱり無くなっちゃう。
私が生きていると言えるのは、この狭苦しい部屋の中だけ。
この中で私は、ただただ息苦しいまま生きている。
***
たまにお腹が減る。
部屋の布団で転がっていると、いきなり胃がヒリヒリとし始めて、ただでさえ薄い身体の中身が無くなったような感覚の後、お腹の奥がぐうーって鳴るの。
そういう時は頑張って起き上がり、机の上に乗せた段ボールから、ゼリー飲料を手に取った。コンロは存在しているが、私に取ってはただの置物でしか無い。
食事とはもっと楽しい物らしい、と言うことだけは知っている。
下校時、アイスクリームを食べ歩いている同級生を見た事がある。その時の彼女らは、とても美味しそうにアイスを頬張っていた。私が初めて知った美味しいは、他人から教わったものだったんだ。
***
勉強は得意。でも得意なだけで好きじゃない。
3ヶ月に一度、通学カバンの底に溜まったぐちゃぐちゃの答案を、ビニール袋にまとめて捨てに行く。紙の一枚一枚にはどれも端から端までの赤丸と、90から100までの数字が書いてある。
まるで工場で生産されたみたいなそれを眺めていると、少し嫌な気分になった。
努力も何もしていない、ただ生まれつきできるだけの事に、私は価値を感じない。勉強もそうだ。私の頭が良いのはただ頭が良いと言うだけなのに、それが価値かのように褒めてくる。
100点の答案より、1カップのアイスクリームの方が私にとっては価値のあるもの。
だからなのか、答案を捨てに行くときは身体が軽い。
いつも手こずっているドアは簡単に押し開けられるし、ゴミ箱の蓋だって軽く持ち上げられる。嫌なものを無くすと言うのは、私にとって最高の瞬間なんだ。
***
いつも通り、通学路の半分くらいを歩き終わったある日の事。
いきなり現れた人に、いきなり声をかけられた。
黒い体に黒い服、真反対に真っ白な目と口。「なんとでもお好きにお呼びください」と言われたので、私は彼?の事を墨汁さんと呼ぶ事にした。
「では単刀直入に、貴女の身体に興味があるのです」
「……へんたいさんなのぉ……?」
「いえ、そう言う意味では無くですね……」
話の為案内されたカフェの席で、彼はメニュー表片手にそう言った。
私の返答に、記号的でしかない目と口が明らかに動揺しているのがわかる。
「まずは何か注文しましょう。コーヒーでも、それかアップルジュースでも」
机の上に開かれたメニュー表に目をやる。
そこには、国語でも数学でも理科でも社会でも教わらないような、聞いた事もない横文字が沢山並んでいた。
「……アイスクリームはぁ?」
「ありますよ。それにしましょうか」
すんなりと頼めた事に驚きながら、こくりと頷く。
数分経った後、彼の分の「えすぷれっそ」と、私が頼んだアイスが届いた。
アイスはかつて見たよりも細長く、白い色をしたホースを巻いたような形をしている。記憶力には自信がある方だ。と言う事は恐らく、このアイスとあの時のアイスは別の種類なのだろう。
少しがっかりしながら、恐る恐る口に運ぶ。
瞬間舌が感じたのは、形容し難いなめらかさと冷たさ。それに癖になる甘み。私が知る中で例えるなら、なんと言うか、暖かい冬みたいだった。
「クックック、美味しそうに食べるのですね」
思わず顔に出ていたのだろう。私は何故か、それがちょっぴりだけ恥ずかしかった。
「では改めて本題ですが、貴女の身体には特別な力が宿っています。私はそれを調査研究し、今後の探求に活かしたいのです」
アイスを半分くらい食べ終わった頃、墨汁さんはコーヒーカップを置いて、改まって話を再開する。
「私が身を置いている組織はこの世にある未知の事象、物体、ひいては存在を探求する事を目的としていましてね。貴女の持つ力と言うのは、我々の興味を強く引くものなのですよ」
話がややこしくってよく分からないが、つまりは研究者として私の事を調べたい、みたいな事なんだろう。
それ自体には何も問題は無かった。私の身体が何かの役に立つならそれは喜ばしい事だから。
でもそれとは別に、何で彼が私を必要としたのかが、とってもとっても知りたかった。
「そのぉ……ちからってなんなのぉ……?」
「我々が『神秘』と呼んでいる、目に見えないエネルギーの様な何かです。キヴォトスの生徒は皆持っているものではありますが、貴女の場合は少し違う」
「……どんなぁ……?」
「正確に言えば他にも違う生徒は居るのです。1つは特殊性……例えばどんな暗号も解いてしまったり、とてつもない第六感が働いたり。そして一般的に強者と言われる生徒たち、彼らは単純に神秘の総量が膨大です」
特殊性と総量。たぶんそれぞれの具体例を複数見て、研究してきたのだろう。
「そして貴女は、その両方を兼ね備えている。特殊な神秘が溢れるほど湧き出ている……奇跡と言わざるを得ないのです」
「でもぉ……わたしぃ、そんなに強くないよぉ……?」
「ええ、まさにそこが特殊性なのですよ。常に溢れているわけではない、しかし不規則にキヴォトスでも圧倒的な量の神秘が発現する。その仕組みさえ判明すれば、自在に力を操ることも可能かもしれませんよ」
それはつまり、この虚弱体質からの解脱を意味する。
もう学校に遅刻することも、暗闇の中帰路につくこともないのだ。
だが、私にとってはそんな将来の希望よりも……
「どうですか?協力して下さるのであれば、待遇も特別な物にしましょう。登下校の送迎や日常生活の手助けまで……」
「いいよぉ」
まさかこれほどすんなり行くとは思わなかったのか、墨汁さんはきょとんとした様子である。
落ち着かせるためか、コーヒーカップを口に運んだ。
「アイスおいしかったからぁ……いい」
私にとって一番大切なのは、今。
今嬉しければ他の事はなんだって、どうだっていいの。
ちなみに黒服さん、墨汁呼びは流石に気に入っていない。
クサハとの初接触が中等部卒業よりちょっと前の頃なので、ホシノと同時期に目を付けている