オーバーロード ヴァルハラ編   作:たなたなああ

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原作開始前 1

二一二六年、夏。

 

アーコロジーの外縁にある集合住宅の一室で、鈴木悟はヘッドギア型の専用端末を前に、もう十分近く座り込んでいた。

 

窓の外は、いつもと同じ灰色だった。空と呼ぶにはあまりに濁った膜が都市を覆い、昼なのか夕方なのか判然としない。外出時に欠かせない人工肺は、玄関脇のフックに掛けてある。帰宅してすぐに外したフィルターの匂いが、まだ部屋の空気にうっすらと残っていた。

 

「……高かったよな、これ」

 

誰に言うでもなく呟いて、端末の側面を指でなぞる。

 

DMMO-RPG『ユグドラシル』。

 

職場の休憩室で、同僚が熱っぽく語っていたゲームだ。九つの世界、数千を超える職業、自由すぎるほど自由なキャラクター作成。脳内ナノコンピューターと神経接続して、五感ごと異世界に没入できるという。

 

娯楽にこんな金を使うのは、生まれて初めてだった。

 

小学校を出てすぐに働き始めた。母は過労で死んだ。父の顔は覚えていない。友人と呼べる相手もいない。会社と部屋を往復するだけの毎日に、何か一つくらい、自分のためのものがあってもいいのではないか。そう思って、気づけば購入ボタンを押していた。

 

悟は深く息を吸い、ヘッドギアを被った。

 

首筋の接続端子に、かすかな痺れが走る。

 

視界が、白く弾けた。

 

 

・

 

キャラクター作成画面は、想像していたよりもずっと広大だった。

人間種、亜人種、異形種。種族の選択肢だけで何十ページにも及ぶ。悟はしばらくスクロールを続けた

 

あと、ある一点で指を止めた。

 

異形種、アンデッド系統。

 

――スケルトン・メイジ。

 

理由を問われても、うまく答えられなかっただろう。ただ、華やかなエルフや屈強なドワーフの立ち絵を見ても、どれもしっくりこなかった。肉も皮も持たない骸骨の姿のほうが、なぜか自分に似合っている気がした。

 

キャラクター名の入力欄で、カーソルが点滅する。悟は少し考えてから、キーボードに指を走らせた。M、o、m、o、n、g、a。モモンガ。

 

特に意味はない。昔、図鑑で見た小さな動物の名前だ。夜の森を、膜を広げて滑空する生き物。

 

《この名前でよろしいですか?》

 

「はい」

 

《それでは、ユグドラシルの世界へようこそ》

 

光が収束する。足元に地面の感触が生まれ、風の音が耳に届き、草と土の匂いが鼻腔を満たす――鼻腔などない骸骨の身体であるはずなのに、確かにそう感じた。

 

最初の街の、外れの草原だった。

 

モモンガは自分の両手を見下ろした。白く乾いた指の骨。ローブの袖から覗く腕も、骨だけでできている。

 

「すごい……本当に、別の世界だ」

 

声を出した、その瞬間だった。

 

頭の奥で、何かが、ひび割れた。

 

 

・

 

 

最初に来たのは、音だった。

 

無数の声。笑い声。怒鳴り声。誰かが自分の名前を呼んでいる。

 

『モモンガさん!』

 

『ギルド長、こっちです!』

 

『お疲れ様でしたー!』

 

次に、映像が来た。

 

黒く巨大な墳墓。十の階層。燃え盛る溶岩の河、氷結した白銀の大地、鬱蒼と茂る巨大樹、玉座の間を彩る四十一の旗。

 

知らない。知らないはずだ。今日、初めてログインしたばかりなのだから。

 

なのに、知っている。

 

旗の一枚一枚に、誰が描かれているのかを知っている。たっち・みー。ウルベルト・アレイン・オードル。ペロロンチーノ。ぶくぶく茶釜。タブラ・スマラグディナ。ヘロヘロ。やまいこ。ブルー・プラネット。武人建御雷――。

名前と一緒に、その人の声と、癖と、好きだったものと、最後にログアウトした日のことが、次々と押し寄せてくる。

 

『ギルド:アインズ・ウール・ゴウン』

 

その名前を思い出したとき、胸の奥が――胸などない骸骨の身体の奥が、焼けるように痛んだ。映像は止まらない。最後の夜。サービス終了の日。玉座の間で、ひとり。

 

誰も来なかった。いや、ヘロヘロだけが少し顔を出して、疲れた声で謝って、すぐに去っていった。残ったのは自分だけ。動かないNPCたちに囲まれて、終わりを待っていた。

二十三時五十九分五十九秒。

 

そして――終わらなかった。

 

ログアウトできない。コンソールが開かない。NPCたちが、喋り始めた。『モモンガ様』白いドレスの女が、跪いている。黒い翼。金色の瞳。アルベド。自分が、最後の最後に、遊び半分で設定を書き換えてしまった守護者統括。

 

『モモンガ様を愛している』

 

違う。それは、俺が書いた言葉だ。彼女の意思じゃない。

 

映像が加速する。

 

見知らぬ草原。燃える村。カルネ村。剣を振り上げる騎士たち。エンリ・エモット。ガゼフ・ストロノーフ。冒険者モモン。漆黒の剣。エ・ランテル。シャルティアが、虚ろな目でこちらを見ている。精神支配。ワールドアイテム。殺した。自分の手で。復活させるために金貨を五億枚――。リザードマンの集落。王都の炎。ゲヘナ。帝国。カッツェ平野で、たった一つの魔法で十八万の命が消えた光景。

 

魔導国。

 

アインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 

それが、俺の名前だった。

 

「――っ、が、あ……っ!」

 

モモンガは草原に膝をついた。骨の指で頭蓋を掴む。痛みはない。ユグドラシルに痛覚は実装されていない。それなのに、頭が割れそうだった。

 

十二年。

 

十二年分のプレイの記憶と、その先の――ゲームではない、本物の異世界で過ごした年月の記憶。二つが、溶け合いながら、一人の男の中に流れ込んでくる。

視界の端で、赤い警告ウィンドウが明滅していた。

 

《警告:脳波に重大な異常を検出しました》

 

《安全のため、強制ログアウトを実行します》

 

世界が、暗転した。

 

 

・

 

 

気がつくと、悟は自室の床に倒れていた。

 

ヘッドギアは頭からずれ落ち、コードが首に絡まっている。全身が汗でぐっしょりと濡れていた。心臓が、痛いほど脈打っている。

 

「……はっ、はぁっ……」

 

這うようにして洗面所へ行き、胃の中のものを全部吐いた。鏡に映るのは、見慣れた自分の顔だった。痩せて、顔色が悪く、目の下に隈のある、どこにでもいる二十代の男。骸骨ではない。

 

当たり前だ。

 

当たり前なのに、その顔を見て、悟は奇妙な違和感を覚えた。

 

肉がある。皮膚がある。瞬きをする目がある。

 

何年も――何年もの間、こんな顔を持っていなかった気がする。

 

「……夢、か?」

 

声に出してみて、すぐに首を振った。

 

夢にしては、あまりにも細部まで覚えすぎている。ナザリック第九階層の、自室の家具の配置。セバスが淹れる紅茶の香り。デミウルゴスが献策するときの、眼鏡を押し上げる仕草。コキュートスの冷気。アウラの笑い声。マーレのおどおどした返事。

パンドラズ・アクターの、あの大仰な敬礼。

 

「うっ……」

 

思い出しただけで、なぜか顔が熱くなった。あれを作ったのは、確かに自分だ。中二病全開の、若気の至りの結晶。

 

そして、それをまだ作っていないことも、悟には分かっていた。

 

今日は、二一二六年。ユグドラシルのサービス開始から、まだ間もない。

 

アインズ・ウール・ゴウンは存在しない。その前身であるクラン「ナインズ・オウン・ゴール」すら、まだない。ナザリック地下大墳墓は、どこかのフィールドで、誰にも攻略されずに眠っている。

モモンガは、今日生まれたばかりの、レベル1のスケルトン・メイジにすぎない。

 

悟は洗面台の縁を握りしめた。

 

「……戻ってきた、のか?」

 

あの最後の夜の、さらに先。異世界で魔導王として過ごした年月の、どこかで。何が起きたのかは、霞がかかったように思い出せない。記憶の最後の部分だけが、ぽっかりと抜け落ちている。

 

ただ、確かなことが一つある。

 

十二年後、ユグドラシルは終わる。

 

そして、その終わりの瞬間に、ナザリックは異世界へ転移する。

 

 

・

 

 

その夜、悟は一睡もしなかった。

 

床に座り込み、会社の備品から持ち帰った紙のノートを広げる。端末にメモを残すことは避けた。理由はうまく説明できない。ただ、デジタルの記録はどこで誰に見られるか分からない――そういう警戒心が、自分のものではない誰かの思考のように、自然と浮かんできた。

 

ボールペンを握る手が、わずかに震える。

 

一行目に、こう書いた。

 

『転移までに、やるべきこと』

 

しばらく、ペン先が紙の上で止まった。何から書けばいいのか分からない。やるべきことは山ほどある。だが、焦って全部を同時にやろうとすれば、必ずどこかで破綻する。

 

――冷静になれ。

 

不意に、そう思った。

 

アンデッドの精神抑制のような、感情を強制的に平坦にされる感覚ではない。ただ、何年も魔導王として振る舞ってきた男の、身に染みついた思考の癖だ

った。

 

まず状況を把握する。手札を確認する。優先順位をつける。

 

悟はゆっくりと書き始めた。

 

『一、仲間を集める』

 

これが最優先だ。アインズ・ウール・ゴウンは、四十一人のギルドメンバーがいて初めて成立した。自分一人では、ナザリックを攻略することすらできない。たっち・みーさん。ウルベルトさん。ペロロンチーノさん。茶釜さん。みんな、まだこのゲームのどこかにいるはずだ。あるいは、これからやってくる。前回と同じ出会い方をするとは限らない。だが、少なくとも最初の一人との出会いだけは、はっきりと覚えている。

 

『二、ナザリック地下大墳墓の攻略』

 

場所は覚えている。ヘルヘイムの毒沼地帯。初見殺しの罠の配置も、ボスの行動パターンも、記憶の中にある。前回は九人で挑んで何度も全滅した。今回は、もっと上手くやれる。ただし、あまり早すぎてもいけない。レベルが足りなければ、知識があっても勝てない。

 

『三、資金の確保』

 

ユグドラシル金貨。転移後、補充のきかない最重要資源だった。拠点の維持費、NPCの復活費、傭兵モンスターの召喚。シャルティアを復活させたときに消えた五億枚のことを思い出し、悟は唇を噛んだ。転移までの十二年で、貯められるだけ貯めておく。

 

『四、ワールドアイテムへの対策』

 

ペン先が、強く紙に食い込んだ。ケイ・セケ・コゥク。傾城傾国。シャルティアを支配した、あのワールドアイテム。異世界のスレイン法国が、なぜあれを持っていたのか。それはつまり、自分たち以外のプレイヤーが、過去にあの世界へ渡っていたということだ。ワールドアイテムに対抗できるのは、ワールドアイテムだけ。守護者全員に持たせることは不可能でも、せめて何人かには――。

 

『五、NPCの強化』

 

転移するなら、拠点NPCの力は強大だ。

転移後の世界では、100lvのNPCに比肩する存在はほぼ見当たらなかった。

脅威に感じたのは、「アインズ」が戦闘した白金鎧とマーレが撃破した法国の秘匿戦力と追われるハーフエルフの少女のみだ。

まだまだ隠れている戦力がいる可能性はあるが、拠点NPCを追加で作成できるなら大きな戦力upに繋がるだろう。確か記憶の片隅に拠点NPC作成用のワールドアイテムがあるはずだ。

 

『六、NPCの設定』

 

ここで、手が止まった。アルベド。最後の夜、タブラさんが書いた膨大な設定の末尾――「ちなみにビッチである」という一文を消して、「モモンガを愛している」と書き換えた。暇つぶしの、ほんの出来心で。その結果、彼女の心がどうなったのかを、悟は知っている。あの一文が、彼女の何を奪ったのか。何を歪めたのか。全部ではなくても、知っている。悟は長い間、そのページを見つめていた。それから、ゆっくりと書いた。『今度は、誰の設定も、勝手に書き換えない』

 

 

・

 

明け方近くになって、ノートは十ページ近くに及んでいた。

 

アインズ・ウール・ゴウンのメンバーの名前と、覚えている限りのビルド。ナザリック各階層の構造と、配置したトラップの一覧。転移後の世界で警戒すべき勢力。竜王たち。法国の漆黒聖典。白金の竜王。八欲王の遺産。

 

そして最後のページに、悟は一つだけ、大きく丸で囲んだ項目を書き加えた。

 

『仲間が、辞めないようにする』

 

前回、四十一人いたメンバーは、最後には四人しかログインしなくなった。

 

仕事が忙しくなった人。結婚した人。体を壊した人。ただ、飽きてしまった人。誰も悪くない。ゲームとはそういうものだ。現実の生活がある以上、仕方のないことだった。分かっている。

 

それでも。最後の夜、玉座の間に一人きりで座っていたときの、あの静けさを、悟は二度と味わいたくなかった。

 

もし本当に、もう一度やり直せるのなら――。

 

今度は、みんなと一緒に、最後の日を迎えたい。

窓の外が、わずかに明るくなっていた。濁った空の向こうで、見えない太陽が昇り始めている。悟はノートを閉じ、机の引き出しの奥にしまった。そして、もう一度ヘッドギアを手に取った。

 

 

・

 

 

再ログインは、驚くほど何事もなく完了した。

 

頭痛もない。記憶の奔流もない。ただ、昨夜とは違う感覚があった。

 

身体が、軽い。

 

いや、レベル1のスケルトン・メイジの身体は、相変わらず貧弱だ。魔法も第一位階のものが数種類あるだけ。だが、その使い方を、身体が知っている。詠唱のタイミング。MPの配分。敵の行動の予兆。何千時間、何万時間とこの世界で戦ってきた記憶が、骨の指先にまで染みついている。

 

モモンガは草原を歩き出した。

 

最初の街から少し離れた、初心者向けの狩り場。前回は、ここで何度も死んだ。異形種は人間種のプレイヤーから狙われやすい。「異形種狩り」と呼ばれる悪質なPKが、この時期のユグドラシルでは横行していた。

 

だからこそ、ここに来た。

 

記憶が正しければ――。

 

「おい、見ろよ。骸骨がいるぜ」

 

背後から、声がした。

 

振り返ると、三人の人間種プレイヤーがこちらを見

ていた。軽装の戦士が二人と、弓を持った狩人が一人。頭上に表示されたレベルは、いずれも二十前後。レベル1の自分では、逆立ちしても勝てない相手だ。

 

「異形種だ。狩っとこうぜ」

 

「初期装備じゃん。ドロップしょぼそう」

 

「いいんだよ、経験値になれば」

 

笑い声が上がる。

 

前回のモモンガは、ここで何も分からないまま殺された。何度も、何度も。リスポーンするたびに待ち伏せされ、ゲームを辞めようかと本気で考えた。

 

今回は違う。

 

モモンガは、静かに彼らを見返した。

逃げる必要はない。勝つ必要もない。ただ、時間を稼げばいい。

 

「……三人がかりで、レベル1の初心者を狩るのか」

 

自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。

それは、鈴木悟の声ではなかった。何十万の兵の前で、何国の王の前で、揺らぐことなく語ってきた、

 

魔導王の声だった。

 

戦士の一人が、一瞬たじろいだ。

 

「な、なんだよ、偉そうに」

 

「いや、事実を確認しただけだ。気にしないでくれ」

 

モモンガは一歩、横へずれた。狩人の射線から外れ

る位置。次の一歩で、戦士二人の間合いの外側。

 

「てめぇ……!」

 

剣が振り下ろされる。予備動作は大きく、軌道は単純だった。モモンガは最小限の動きでそれを躱した。レベル差がある以上、一撃でもまともに受ければ終わりだ。だが、当たらなければ関係ない。二撃目。三撃目。矢が一本、ローブの裾を掠める。「なんで当たんねぇんだよ!」

 

焦った声が上がる。

 

その瞬間、草原の向こうから、銀色の光が走った。

風を裂く音。金属が噛み合う甲高い響き。

 

気づけば、モモンガの前に、一人の騎士が立っていた。

 

純白の全身鎧。陽光を受けて輝く剣と盾。兜の奥の表情は見えない。だが、その立ち姿だけで、彼がこの場の誰よりも強いことが分かった。―ああ。モモンガの、存在しないはずの喉の奥が、詰まった。

 

「三対一で初心者狩りとは、感心しないな」

 

低く、よく通る声。

 

正義の味方、という言葉をそのまま形にしたような男。

 

前回、この世界で最初に手を差し伸べてくれた人。

 

アインズ・ウール・ゴウンの、全ての始まり。

 

たっち・みー。

 

PKたちは、彼の頭上のレベル表示を見て、顔色を変えた。何か捨て台詞を吐こうとして、結局何も言えずに逃げていく。

 

騎士は剣を収め、モモンガのほうを振り返った。

 

「大丈夫でしたか? この辺り、異形種狩りが多いんですよ」

 

聞き慣れた、少し照れくさそうな、優しい口調。

 

モモンガは、すぐには返事ができなかった。

 

言いたいことが、あまりにも多すぎた。ありがとう。また会えた。あなたがいなくなったあと、ずっと寂しかった。あなたが作ったセバスは、あなたによく似た、立派な執事になりました――。

 

そのどれも、今の彼には意味が分からない言葉だ。

 

だから、モモンガはただ、深く頭を下げた。

 

「助けていただいて、ありがとうございます」

 

「いえいえ。それより、さっきの避け方、すごかったですね。本当に初心者ですか?」

 

「……ええ。昨日、始めたばかりです」

 

嘘ではない。

 

この身体でこの世界に立つのは、確かに昨日が初めてだった。

 

たっち・みーは少し首を傾げてから、ふっと笑ったようだった。

 

「実は今、異形種同士で集まって、身を守るためのクランを作ろうと思ってるんです。まだ俺一人しかいないんですけど。よかったら、一緒にどうですか?」

 

ナインズ・オウン・ゴール。

 

九人の、自殺点。

 

まだ名前もない、最初の一歩。

 

モモンガは顔を上げた。骸骨の顔に表情はない。それでも、頭上には自然と、笑顔のエモーションが浮かんでいた。

 

「――はい。ぜひ、よろしくお願いします」

 

十二年後の、終わりの日のために。

 

そして今度こそ、誰一人欠けることなく、その日を迎えるために。

 

骸骨の魔法詠唱者は、差し出された白銀の籠手を、そっと握り返した。

 

 

・

 

 

「モモンガさん、次はどうしますか?」

 

「そうですね…」

 

モモンガは尋ねてきた彼の装備に目をやる。

 

純白の鎧を纏い、赤きマントを翻すその姿は、まさしく聖騎士の名に相応しい威容を誇っていた。

全身を覆う白銀の装甲は、見る者に一切の穢れを許さぬ清廉さと、揺るぎなき堅牢さを感じさせる。胸部中央には巨大なサファイアが嵌め込まれ、深き蒼の輝きを放っていた。

 

それは白亜の鎧に鮮烈な彩りを添えると同時に、彼の存在をひと目で印象づける象徴でもある腕から脚に至るまで隙なく覆われた装甲は、優雅な意匠を保ちながらも、戦場における実用性を損なうことはない。手には純白の盾を携え、背には燃え立つような赤きマントを纏う。

 

その布地は、まるで風そのものを従えているかのように、彼の動きに合わせて雄々しくはためいていた

その身に宿るのは、単なる防具の性能ではない。

ユグドラシルの公式武術大会を制した者にのみ許される、ワールドチャンピオンの証。

神器級をも凌駕し、ギルド武器にさえ匹敵すると謳われる至高の装備である。

 

(ワールドチャンピオンであるたっち・みーさんもいるしそろそろいいかもしれないな)

 

「ワールドアイテムを集めに行くのはどうでしょう?」

 

「ワールドアイテムですか?」

 

「ええ、なんでも拠点用npcのlvを一切使用せずに作成可能になるそうです。

まあ、無限に作成可能とはいかず作れるのは1体のみのようですが。その代わり他のワールドアイテムよりも入手難易度が容易になってて個数も多めに配置されているようです。 

皆が集まったらナインズ・オウン・ゴール初のワールドアイテム獲得へと洒落込みませんか?」

 

「私は良いと思いますよ。まだまだギルドは発展途上ですし拠点用lvを使わずにnpcが作成出来るとなったら戦力upにも繋がりますしね。

取り敢えず、皆の意見を聞いて行くとなったら装備を整えて行くとしますか。

ワールドアイテムが置いてある場所って言ったら強い敵も居るでしょうし少しワクワクしますね!」

 

「そうと決まったら、皆に意見を聞きに行きますか。」

 

(もしこれで無事にワールドアイテムを入手できたら、これで転移後の秘(・)策(・)の1つ目は成就しそうだな

たっち・みーさんには騙してるみたいで少し悪いがワールドアイテムを複数入手して皆に渡るようにするから利益面で見たら良い思い出来るし悪いことでもないはずだ)

 

 

 

 

 

 

少し時間が経ちモモンガはあることに思い至る。

 

 

(もしたくさんゲットできたらペロロンチーノさんがヤバいnpcを作らないように注意しないと……

シャルティア以上の怪物が生まれるかもしれない)

 

 

・

 

 

「……その台詞、先週も聞いた気がするんだけど?」

 

「今回は違う! 攻撃力、機動力、そして浪漫! すべてを兼ね備えた完璧な構成だ!」

 

「へえ。それで、今回はいくら使ったの?」

「…………」

 

「沈黙は肯定と受け取るわよ?」

 

「いや、違うんだ姉さん! これは投資だ! 未来への投資!」

 

「ゲームの装備に?」

 

「ゲームの装備に!」

 

「胸を張って言うことじゃないでしょう……」

 

ペロロンチーノは咳払いを一つすると、気を取り直したように胸を張った。

 

「それでギルド長、今日はどういった方針で行く?

戦闘なら俺の最強装備が火を吹くぜ!」

 

「そうですね、今日はアイテムを集めに行きませんか?」

 

「ワールドアイテムか?前のワールドアイテムは良かったよな。あれのおかげでシャルティアたんに並ぶ最高傑作が…」

 

「あの子の設定今からでも変更してくれない?」

 

「なんでだよ、姉ちゃん」

 

「趣味が悪いわよ」

 

モモンガは咳払いし、場を一旦仕切り直す

 

「来週から始まる期間限定イベント、もう見ました? 〈仮初めの人の子〉。報酬で、異形種が一定時間だけ人間種になれる『人化』アイテムが手に入るんです」

 

 

「あー、公式で告知されてたやつ」 ペロロンチーノが翼をばさりと鳴らした。

 

 

「でもあれ、ドロップ率えげつないって噂ですよ。掲示板じゃ、『運営の集金イベント』って叩かれてるし」

 

「そうなんですよ。だから、みんなで集めたいなって」 

 

モモンガは、用意してきた資料をウィンドウで共有した。妙に丁寧な表と、イベントボスの攻略メモがぎっしり書き込まれている。

 

「……モモンガさん、これ何時間かけて作ったんです?」と、ぷにっと萌えが呆れ半分に言った。

 

「いや、まあ、残業のあとにちょっとずつ……」

 

「ちょっとの量じゃないでしょ、これ」 

 

ぶくぶく茶釜が、ぷるぷると身体を揺らして笑った。

 

「でもさ、正直、人化してまでやりたいことある? 見た目が人間になるだけでしょ」

 

「それが、違うんです」 

 

モモンガの声に、少しだけ熱がこもる。

 

「人化してる間は、人間種専用の都市に入れる。異形種狩りのPKにも狙われにくくなる。俺たちアインズ・ウール・ゴウンって、ずっと異形種だけで固まって、人間の街には入れなかったじゃないですか。一度くらい、みんなで堂々と人間の都を歩いてみたいなって」

 

「……観光かよ」と、ウルベルトが鼻で笑った。「悪のギルドが、人間の街で観光とはな」

 

「ウルベルトさん、人間の街の大聖堂、まだ見たことないですよね。あそこ、上層の天窓から落ちる光のエフェクトがすごいらしいですよ。悪魔として、聖堂で高笑いするスクショとか――」

 

「……ほう」 

 

山羊の悪魔の耳が、ぴくりと動いた。

 

「乗せられてるぞ、ウルベルトさん」と、たっち・みー。

 

「黙れ。俺は悪の美学として興味があるだけだ」 

 

円卓に笑い声が広がる。だがその一方、円卓の端で黒色の粘体が縮こまっていた。

 

「モモンガさんすみません、仕事が急に入って行けなくなりました」

 

「あ……」 

 

一瞬だけ、モモンガの言葉が途切れた。 。

 

「大丈夫ですよ」 

 

モモンガは、すぐにいつもの明るい声に戻した。

 

「ヘロヘロさんの分は、俺が集めておきます。人化アイテム、インベントリに入れておくので。いつか時間ができたら、一緒に街に行きましょう」

 

「……モモンガさん、そういうとこですよ」

 

「え、何がです?」

 

「いえ。ありがとうございます」 

 

ヘロヘロのアバターが、小さく頭を下げた

 

やまいこが、どすんと机を叩くモーションを取った

 

「よし、決めた。ボクは週末全部突っ込む。生徒のテスト採点、平日に片付けるから」

 

「姉ちゃん、俺らも行こうぜ。人化したら、俺の好みのキャラデザ見せてやる」

 

「あんたの好みとか一番聞きたくないんだけど」

 

たっち・みーが立ち上がった。

 

「イベントボスの前衛は任せてくれ。ただし、土日の夜だけな。娘が寝てからになる」

 

「十分です!」 

 

ぷにっと萌えが、ウィンドウを閉じた。

 

「ドロップ率の悪さは、周回効率で殴りましょう。役割分担表、私が作り直します。モモンガさんのは丁寧すぎて逆に見づらい」

 

「ひどい」

 

 最後に、ウルベルトが大仰にマントを翻した。 

 

「……勘違いするなよ。大聖堂で悪の高笑いをするためだ。それ以外の理由はない」

 

「はいはい」

 

(この時間が永遠に続けば良いのに…いつか終わりが来ると知っていて今も終わりが近づいているのを知っているのにそれでも望まずにはいられない…)

 

モモンガの胸に楽しいという気持ちが溢れている一方で寂寥感や喉の渇きのような苦しさが胸の内を締め付けている。

 

(仲間が去ったあとの現実なんて、金持ちだけが息のしやすい、灰色の世界でしかない。 骨の身体で生きる未来を夢見るくらい、許されてもいいはずだ)

 

(ともあれ、二つ目の秘(・)策(・) はこれで成った

後1つの秘策を準備したら転移後大分有利に進められるかもしれないな)

 

「モモンガさん、どうしたんですか?そこでずっと止まってますが」

 

「たっち・みーさん、なんでもないですよ。少し考え事をしていただけです」

 

「悩むのはモモンガさんらしいですけど、ひとりで抱え込まないでくださいね」

 

白銀の騎士は軽く手を挙げ、仲間たちの待つほうへ歩いていった。

 

その背中を、モモンガは黙って見送った。

 

知っている。あの背中が、いつかこのゲームから去

っていくことを。笑い声で満ちていた円卓の間が、少しずつ静かになっていくことを。最後の夜、玉座の間に一人きりで座ることになる自分を。骨の指を、ゆっくりと握りしめる。

 

まだ、何も始まっていない。ナザリックも、四十一の旗も、守護者たちも。何もかもが、これからだ。だったら。

 

「……今度こそ」

 

小さく呟いて、モモンガは歩き出した。

仲間たちの待つ場所へ。

 

十二年後の、終わりの日へ。

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 




傍点の使い方がわかりません 
これでちゃんと出来てるのかな?
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