あのオフ会が終わりナザリックに来るギルドメンバーがまばらになった頃、モモンガはもはや日課となっているNPCとの会話を今日も試みていた。
「さて、今日も始めるか」
最初に向かうのは、いつも同じ場所だ。第九階層の通路。磨き上げられた大理石の床の先に、セバス・チャンが直立している。白髪を後ろに撫でつけた、背筋の伸びた老執事。「セバス、来たぞ」
返事はない。
セバスは前を見つめたまま、微動だにしない。
「今日はヘロヘロさんが残業だそうだ。転職してからは珍しいんだがな。新しいプロジェクトの立ち上げで、少し忙しいらしい」
モモンガは、セバスの隣に並んで立った。
「それでも、日付が変わる前には帰れると言っていた。前の会社では考えられなかったそうだ。……たっちさんにも、伝えたかったな。ヘロヘロさんは元気にやっている、と」
白い手袋に包まれたセバスの手は、きちんと腰の後ろで組まれている。たっち・みーが、執事とはこう立つものだと、何度も調整していた姿勢だ。
「また明日な」
モモンガは軽く頷いて、次へ向かった。
第六階層。天井の星空の下、巨大樹の根元で、アウラとマーレが並んで待機している。姉は腰に手を当てて胸を張り、弟は杖を両手で抱えて少しうつむいている。
「アウラ、マーレ。今夜も変わりないようだな」
モモンガは、根元の苔むした岩に腰を下ろした。
「茶釜さんは、今度は劇場版の主役だそうだ。ペロロンチーノさんが、また自分のことのように掲示板で宣伝していたぞ。あの人は、本当にお姉さんが好きだな」
アウラの尖った耳が、待機モーションでぴくりと動く。ただのアニメーションだ。分かっている。
「マーレ。今日も、星がきれいだな」
ブルー・プラネットが作った空。本物の星座と同じ配置の、もう現実では誰も見られない夜空。モモンガは、しばらく黙って天井を見上げていた。
第五階層の氷河では、コキュートスに武人建御雷の近況を話した。
「建御雷さんは、リアルで剣道の道場に通い始めたらしい。お前の構えも、少しは変わるかもしれんな」
四本の腕を持つ蟲の武人は、氷の彫像のように静かだった。第七階層の溶岩のほとりでは、デミウルゴ
スの前で、少しだけ長く立ち止まった。
「ウルベルトさんからは、今週も連絡がなかった」
赤いスーツの悪魔は、眼鏡の奥で目を閉じている。
「最後にメッセージが来たのは、二か月前だ。『生きてるから心配すんな』……それだけだ」
モモンガは、自分の骨の指を見下ろした。
「心配するなと言われると、余計に心配になるものだな」
溶岩が、ごぼりと音を立てた。
「……また来る」
第一階層から第三階層の墳墓を抜け、シャルティアの霊廟に立ち寄る。銀髪の吸血鬼は、ペロロンチーノの趣味がこれでもかと詰め込まれたドレスの裾を広げて、優雅に佇んでいる。
「先月ペロロンチーノさんが来たとき、お前のところで一時間は話し込んでいたな。何を話していたのかは、聞かないでおくが」
宝物殿では、パンドラズ・アクターが大仰な敬礼の待機モーションを繰り返していた。
「……やはり、それは恥ずかしいな」
モモンガは額に手を当てた。自分で作ったNPCなのに、いまだに直視できない。
「まあいい。お前がいてくれて助かっている。ここの管理は、本当に大変だからな」
軍服の埴輪顔は、何も答えずに、もう一度敬礼をした。
第九階層の通路を進む。突き当たりの一室。扉を開けると、照明を落とした薄闇の中に、ひとりの女が立っていた。深い藍色の短い髪。氷を削り出したような白い頬。蝙蝠の翼を思わせる黒い外套が、すらりとした身体を首から下まですっぽりと覆っている。ジュデッカ。自分の手で作った、二人目のNPCだ。
「ただいま、ジュデッカ」
返事はない。
表情パーツを「無」に設定した顔が、冷たい視線でこちらを値踏みしているように見える。何度見ても、この感覚には慣れない。
モモンガは、彼女の外套の裾に目をやった。今日も、ちゃんと着ている。
「……ペロロンチーノさんには、結局、見られていないな」
小さく息を吐く。安堵なのか、少し惜しいのか、自分でもよく分からない。あの人なら、外套の下を見た瞬間に大爆笑のエモーションを出して、三日はそのネタで引っぱっただろう。今はあまりナザリックにログインしていない。胸の奥が少しだけ寂しくなった。
モモンガは、彼女の背後に回った。外套の奥で後ろ手に組まれた両腕。その手首に嵌められた、拘束具めいた腕輪。罪人として自らを縛りながら、なお処刑人として刃を振るう。設定文の一行目に書いた言葉を、モモンガは今夜、少し違う気持ちで思い出していた。
「……シャルティアを、守ると約束した」
腕輪に、そっと骨の指を触れる。
「前の俺は、守れなかった。それどころか、この手で――」
言葉が、途中で止まる。
ジュデッカは、何も答えない。罪人の腕輪を嵌めたまま、ただ静かに立っている。
「罪を背負ったまま、それでも刃を振るう、か」
モモンガは、彼女の正面に戻った。藍色の髪の奥で、白い横顔が薄闇に浮かんでいる。
「俺も、そういうふうにやるしかないんだろうな」
自嘲気味に呟いて、モモンガは扉に手をかけた。「また明日な」振り返ると、薄闇の中で、藍色の髪がかすかに光った気がした。
玉座の間へ寄る。アルベドは、いつものように玉座の脇に控えていた。白いドレス。黒い翼。金色の瞳は、どこも見ていない。モモンガは、彼女に何も話さない日もある。
今夜も、そうだった。ただ、玉座の前で少しだけ立ち止まり、彼女がタブラの作ったままの姿でそこにいることを確かめて、静かに背を向けた。
第九階層の奥、「暖炉の家」の扉を開ける。
薪のはぜる音。橙色の灯り。部屋の空気が、ほかのどの階層よりも柔らかい。暖炉の前に、彼女は立っていた。白い髪に、黒い一筋。黒衣のロングコート。その肩から紅い布が流れ落ち、炎の色を映してゆらめいている。そして、赤い十字の瞳。
「ただいま、クロワ」
自分が創ったNPCにだけ、モモンガは「来たぞ」ではなく、そう言うことにしていた。返事はない。分かっている。それでもモモンガは、暖炉脇の椅子に腰を下ろした。仲間たちのNPCには近況を報告する。けれど、彼女には、報告するべき創造主がいない。創造主は、ここにいる自分だけだ。だから、ここでは自分の話をする。
「今日も会社で残業でさ。課長が、締め切りを一日前倒しにしてきたんだ」
炎が揺れる。
「でも、帰りの電車で明日のことを考えてたら、少しだけ楽になった。明日もここに来て、みんなのところを回って、最後にお前のところに来るんだなって」
クロワは、暖炉の炎を見つめている。
正確には、見つめているように配置されたまま、動かない。モモンガは、しばらく黙っていた。サービス終了まで、あと何年か。数える必要はない。日付も時刻も、全部知っている。
その日が来たら、この子たちは目を覚ます。
セバスはたっち・みーのように誰かを助けようとし、デミウルゴスはウルベルトのように悪を語り、アウラとマーレは茶釜の声を思い出すように笑うだろう。そして、彼女は。
「……お前は、どんな声で話すんだろうな」設定欄には、声のことは何も書いていない。書かなかった。それだけは、彼女自身に決めてほしかった。薪が崩れて、小さな火の粉が舞い上がった。ほんの一瞬、紅い布の端が、風もないのに揺れた気がした。モモンガは、椅子から立ち上がった。
「おやすみ、クロワ。また明日な」
そうして自分が作成したNPCや仲間が作成したNPCのもとに日課の報告をこなす内に訪問しに行くNPCも最後になってくる。
「ふぅ……今日は話すことも多くてかなり時間がかかったな。最後はあの子のところに行くかぁ……」
最初、モモンガはNPCに話しかけるのが怖かった。この子たちが、いつか目を覚ますことを知っていたからだ。異世界で向けられた忠誠の眼差し。
自分の手で殺したシャルティア。一行で歪めてしまったアルベドの心。声をかければ、また至高の御方として「神算鬼謀を持つNPC達の絶対支配者」が近づく気がして、守護者たちの前を足早に通り過ぎることしかできなかった。
けれど、誰もいない夜に一言だけ話しかけてみると、何も起きなかった。
その当たり前に、心の底から安堵した。それから少しずつ言葉が増え、仲間たちが込めた細部に気づくたび、ひとりで笑うようになった。ここでは、至高の御方でいる必要はない。ただの鈴木悟でいていい。そう思えた日から、怖さは楽しみに変わった。
しかし、そう思えるようになった今でもあの子に話しかけるのは躊躇してしまう。
それでもパンドラズ・アクターにさえ近況を話しにいっているのに一人だけ仲間はずれにするのはナザリックに最後まで残るものとしての矜持が許さなかった。
ナザリック内を自由にテレポート出来るモモンガは第九階層の「暖炉の家」からリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使って第二階層にテレポートする。
目的地はシャルティアの居室、「死蝋玄室」の隣の隣にある部屋である。
モモンガがその部屋に着き扉を開けるとモモンガの視界にもはや見慣れた光景が広がる。
まず目についたのは壁に貼り付けられた大量のポスターやブロマイド、写真だ。
部屋中に所狭しと貼り付けられ余白が見られないほど丹念に貼り付けられている。
そして、ポスターやブロマイドに書かれている人物はキメ顔や多彩な決めポーズを披露する骸骨だ。
最新のトレンドであるポーズや普通にピースをしている写真までどれも一つとして同じものがないのは撮影者か撮影されている人物の強いこだわりを感じるだろう。
ベッドに目を移せば骨の形をした抱き枕や骸骨の抱き枕、モモンガの内部に埋め込まれている通称「モモンガ玉」を模した抱き枕までがある。
おまけに地面には骸骨がプリントされているカーペットまでもが敷いてある。
ここまで語れば誰がモデルにされているは一目瞭然だろう。
しかし決してこの形相はモモンガの本位ではないとは言っておこう。
全てはモモンガがペロロンチーノのとのpvpに負け、「勝者が敗者の言う事を何でも聞く」それの結果がこれというわけだ。
ペロロンチーノとのpvpに負けペロロンチーノの言いなりになったモモンガは言われるがまま色々なポーズを取りそれをペロロンチーノがユグドラシル内のカメラ機能を使いナザリック内で撮影会が開かれた。
ギルドメンバーと談笑する様子や模擬戦をする様子まで写真は100枚以上に上り、撮影会は3日間に渡り中々の長期間になった。
始めは撮影会に辟易としていたものの自然体での写真をペロロンチーノのがただ撮影するフェーズに移行してからは普通に楽しい時間を過ごしているだけになっていたのでギルドメンバーの引き留めや転移後に備えた策など他にやることがあったモモンガは時が経つにつれ撮影会の記憶自体を忘れていった。
それが蓋を開けてみればこうなっていたわけだ。
「何回見てもこの光景は羞恥心が湧き上がる……ここまでアンデッドの精神抑制に頼りたくなったのはユグドラシルのサービスが始まって以来この部屋だけと言えるな」
モモンガはため息をついてからベッドに腰掛ける一人の人物に目を向ける。
最初に目に入るのは、傘だった。晴れ間がのぞいているというのに、彼女は閉じることなく、それを肩に預けている。
黒い布地に繊細な縁取りが施された、まるで舞踏会に持ち込まれるような優雅な傘。武器にも、装飾品にも見える。どちらなのか、彼女自身が決めかねているかのようだった。肩から羽織っているのは、白いコートだ。
雨粒ひとつ寄せつけないような清潔な白が、路地の薄暗さの中で、そこだけ光を集めている。その下に覗くのは、黒と青を基調とした衣装。深い夜の色と、その夜を切り裂く青が、互いを引き立てるように重なっている。胸元には、紫のリボンがひとつ。きちりと結ばれたその色が、モノトーンの装いの中で唯一の温度を持っていた。
腰には光沢のある黒いベルトが巻かれ、細い身体の線をくっきりと際立たせている。髪は、夜を溶かしたような黒。風が吹くたびに、毛先が傘の縁をかすめて揺れる。整った顔立ちは、人形のように静かだった。表情を崩さず、まっすぐに前を見つめる瞳。
けれど、その奥には、誰か一人のことだけを考えているような、ひたむきな熱が灯っている。
古い屋敷の肖像画から抜け出してきた令嬢だと言われても、きっと誰も疑わないだろう。
「ビビアン、今日も近況を話しに来たぞ」
「モモンガさんにプレゼントっす!」
半年ほど前、ペロロンチーノはそう言って、この部屋にモモンガを案内した。扉を開けた瞬間に目に飛び込んできた光景を、モモンガは今でも忘れられない。自分の顔、顔、顔。その中央で、日傘の少女が優雅にベッドに腰掛けていた。
「……ペロロンチーノさん、これは」
「モモンガさん専属の推し活NPCっす!ギルド長、いつも頑張ってるじゃないっすか。だから、全力で応援してくれる子を作りました!」
設定欄を開いて、モモンガは頭を抱えた。怪盗の乙女としての、意外なほど凝った来歴。物静かで礼儀正しい性格。傘と霧を操る戦闘スタイル。そして、最後の一行。
『ちなみに、モモンガ様を推しとして崇めている』
「消してください、これ」
「えー、嫌っすよ。そこが一番大事なとこなんで」
結局、その一行は今もそこにある。ギルドメンバーのNPCの設定は、ギルド長なら書き換えることができる。消そうと思えば、いつでも消せた。けれど、モモンガは消さなかった。――今度は、誰の設定も、勝手に書き換えない。あの誓いは、こういう一行にも適用されるのだ。
たとえ、それが自分にとってどれほど恥ずかしいものであっても。そういうわけで、ビビアンもまた、毎晩の日課の巡回先に含まれている。
「……やはり、この部屋は落ち着かないな」
モモンガは、天井の横顔と目が合ってしまい、そっと視線を逸らした。
ビビアン・バンシーそれがペロロンチーノのから彼女に名付けられた名前である。
彼女の設定にはこう書かれている。
夜霧の中から現れ、狙った獲物は決して逃さない怪盗の乙女。普段は物静かで礼儀正しいが、内に燃えるような情熱を秘める。
ちなみに《モモンガを推しとして崇めている》
モモンガはベッドに腰掛けるビビアンの隣に座り横から話しかける。
「いつもビビアンにここで近況を話しているが毎回、ビビアンがどんな反応をしているのかを考えるのが少し怖い反面楽しい。でも今でも俺を推しとして崇める設定を残すのがビビアンの為になっているのか疑問に思う。はっきり言ってNPCの設定を勝手に書き換えないというルールは俺のエゴだ。転移後の設定が適応された後で申し訳ないが文句はいくらでも受け付ける。だからもう少しだけ待っていてくれ」
こうはいったが転移後の世界にもビビアンが楽しめる要素はきっとあるはずだ。
聖王国にいるネイア・バラハとはきっと仲良くなれるだろう。
「ビビアンが生きやすくなる国作りでも今のうちに考えておくか」
そう呟いたモモンガはベッドから立ち扉の方へ足を進める。
扉のドアノブに手を掛けたところでビビアンに振り返り最後に話しかける。
「ビビアン、また近況を話しにここに来る。お前の姉のシャルティアも元気にやってるぞ。二人が話しているのを見るのが楽しみだ。それではな」
ビビアンは、日傘を肩に預けたまま、静かに前を見つめている。モモンガが背を向けかけた、その時だった。
《ペロロンチーノさんがログインしました》
視界の端に、システムメッセージが流れた。
「……え」
時刻は、二十三時を回っている。
ペロロンチーノがこんな時間にログインするのは、ここ最近では珍しい。
《ペロロンチーノさんからメッセージ:モモンガさーん、今どこっすか?会いに行きまーす》
返事をする前に、位置確認のアイコンが点滅した。まずい。よりによって、この部屋で。
「待っ――」声を上げたのと、扉の前に転移の光が弾けたのは、ほぼ同時だった。
扉が開いた。金色の鎧に、大きな翼。鳥の頭部を持つバードマンが、いつもの軽い調子で顔をのぞかせた。
「お疲れっすー、モモンガさん。いやー、久しぶりに来たら誰もいなくて――」
ペロロンチーノの言葉が、途中で止まった。鳥の頭が、ゆっくりと部屋の中を見回す。自分が作った、肖像画だらけの部屋。自分が作った、日傘の少女。そして、その少女の前で、片手を軽く挙げたまま固まっている、ギルド長。沈黙が、落ちた。
「…………」
「…………」
ペロロンチーノの頭上に、エモーションアイコンが浮かんだ。目を輝かせる、きらきらした顔だった。
「……モモンガさん」
「ち、違うんです」
「何も言ってないっすよ、俺」
「いや、これは、その――」
「今、ビビアンに話しかけてましたよね?」
「…………」
「『おとなしく待っていろ』って言ってましたよね?」
モモンガは、額に骨の手を当てた。
(なんでよりによって、作った本人に……!)
(いや、誰に見られても終わってるけど……!)
一瞬、
頭の中が真っ白になり、次の瞬間、すっと冷静になった。現実の身体ではない。アンデッドの精神抑制など、ユグドラシルには存在しない。それでも、羞恥が限界を超えると、人はどこか遠くから自分を眺めるような心地になるらしい。
「……日課なんです」
観念して、モモンガは言った。
「日課?」
「毎晩、ナザリックのNPCのところを全員回ってるんです。セバスから始めて、守護者たちのところを順番に。ギルドのみんなの近況を、その人が作った子に話してるんです」
「全員っすか?」
「全員です。ビビアンも、ペロロンチーノさんが作った子なので」
ペロロンチーノは、しばらく黙っていた。
それから、頭上に大爆笑のエモーションが浮かんだ。
「ぶははははっ! マジっすか! じゃあモモンガさん、毎晩この部屋来てるんすか!? この自分だらけの部屋に!?」
「笑わないでください!」
「無理っす無理っす! 天井の横顔とか、毎晩見てるんすか!?」
「なるべく見ないようにしてます!」
バードマンは翼をばたつかせながら、床を転げ回る勢いで笑っていた。モモンガは、もう何も言い返せなかった。
ようやく笑いが収まったのは、それから数分後だった。
「はー、はー……いや、すみません。久しぶりにこんな笑いました」
「……それは、よかったです」
モモンガの声は、自分でも驚くほど平坦だった。ペロロンチーノは、ビビアンの前に立ち、その姿をしげしげと眺めた。
「でも、嬉しいっす。正直、作ったはいいけど、モモンガさん、この部屋に二度と来ないと思ってたんで」
「……最初は、そのつもりでした」
「ですよね」
「でも、設定は消せなかったので」
ペロロンチーノが、首を傾げた。
「消せたじゃないっすか。ギルド長権限で」
「消せましたけど、消しませんでした」
モモンガは、ビビアンを見上げた。
「ペロロンチーノさんが作った子なので。俺が勝手に変えていいものじゃないと思ったんです。……たとえ、あの一行でも」
ペロロンチーノは、何も言わなかった。頭上のエモーションが、ゆっくりと消える。しばらくして、彼はぽつりと言った。
「……モモンガさんって、本当に真面目っすね」
「よく言われます」
「いや、褒めてるんすよ」
ペロロンチーノは、ビビアンの日傘の先に、そっと触れた。
「実はこの子、ただの悪ふざけで作ったわけじゃないんすよ」
「え?」
「いや、八割は悪ふざけっす。モモンガさんが困る顔見たかったのは本当なんで」
「やっぱり」
「でも、残りの二割は、ちょっと真面目な理由があって」
ペロロンチーノは、天井の横顔を見上げた。
「モモンガさんって、いつもみんなのこと見てるじゃないっすか。誰がログインしてないとか、誰が最近元気ないとか。イベントの日程合わせて、新人の面倒見て、揉め事あったら間に入って」
「……ギルド長なので」
「でも、モモンガさんのこと見てる人って、いないなって思ったんすよ。みんな、モモンガさんに甘えてばっかりで」
ペロロンチーノは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「だから、一人くらい、モモンガさんのことだけ見てる子がいてもいいかなって。モモンガさんを全力で応援して、モモンガさんのことだけ考えてる子が」
モモンガは、何も言えなかった。壁一面の自分が、急に違って見えた。笑うためだけに作られた部屋だと思っていた。実際、八割はそうなのだろう。けれど、残りの二割は。
「……ずるいですよ、それ」
やっと出てきたのは、それだけだった。
「何がっすか」
「そういうこと言われたら、この部屋、もう嫌いになれないじゃないですか」
ペロロンチーノの頭上に、満足げに笑うエモーションが浮かんだ。
「それが狙いっす」
ペロロンチーノは、ビビアンの部屋を出ると、少しだけ歩きませんかと言った。
「ちょっと、付き合ってもらっていいっすか。第二階層まで」
「シャルティアのところですか」
「はい」
リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で転移する。第二階層。死蝋玄室。薄暗い霊廟の奥、蝋燭の灯りに照らされて、銀髪の吸血鬼が佇んでいた。漆黒のボールガウンの裾を優雅に広げ、真紅の瞳を伏せている。
ペロロンチーノは、シャルティアの前に立ち、しばらく何も言わなかった。モモンガは、少し離れたところで、その背中を見ていた。この背中を、知っている。前回、ペロロンチーノは、いつの間にかログインしなくなった。最後の挨拶はなかった。気づいたときには、もう何か月も彼のログイン表示を見ていなかった。
そして、前回のナザリックに、ビビアンはいなかった。今回のペロロンチーノは、半年前に、わざわざモモンガのためにNPCを一体作った。自分がいなくなったあとも、モモンガのことだけを見ている誰かを。あれは、もしかしたら。モモンガには、分かってしまった。
「……モモンガさん」
ペロロンチーノが、振り返らずに言った。
「俺、ユグドラシル、引退します」
霊廟の蝋燭が、静かに揺れた。分かっていたはずなのに、実際に言葉にされると、胸の奥が締めつけられた。
「……そうですか」
やっと出てきたのは、それだけだった。ペロロンチーノは、ようやくこちらを振り返った。頭上のエモーションは、困ったように笑う顔だった。
「すみません、急で」
「いえ。……ビビアンは、そのために?」
ペロロンチーノは、一瞬固まった。それから、観念したように肩をすくめた。
「バレました?」
「なんとなく」
「半年前から、ぼんやり考えてたんすよ。辞めるかもなーって。で、その時に思ったんです。俺がいなくなったら、モモンガさん、また一人で全部抱え込むんだろうなって」
ペロロンチーノは、シャルティアの隣の石段に腰を下ろした。モモンガも、その隣に座った。
「だから、置き土産っす。悪ふざけ八割の」
「……二割が重すぎますよ」
「ははっ」
「理由、聞いてもいいですか」
「もちろんっす。むしろ、聞いてほしくて」ペロロンチーノは、自分の翼の先を指でいじっていた。「この前のオフ会、覚えてます?」
「覚えてますよ」
忘れるはずがない。アーコロジーの中の、小さな個室レストラン。初めて見た、仲間たちの本当の顔。
「あの時、たっちさんが結婚の報告したじゃないっすか。姉ちゃんは、新しいアニメの主役決まったって話してて。やまいこさんは、担任持つことになったって。みんな、すげえ楽しそうに、自分の話してて」
「はい」
「俺、あの場で、何も話すことなかったんすよ」
モモンガは、オフ会の光景を思い出していた。明るく場を回す茶釜の隣で、居心地悪そうに縮こまっていたペロロンチーノ。ゲームの中ではいつも誰より騒がしいのに、あの日だけは、ほとんど口を開かなかった。
「仕事は、まあ、適当にやってて。給料は普通で、特に夢もなくて。家帰ったらユグドラシルやって、エロゲやって、寝る。それだけ」
ペロロンチーノは、乾いた笑いのエモーションを出した。
「それでいいと思ってたんすよ。でも、あの日、帰りの電車で、急に怖くなって。このまま十年経っても、俺、たぶん何も変わってないなって」
モモンガは、黙って聞いていた。その気持ちは、痛いほど分かった。鈴木悟もまた、あのオフ会で
「普通の会社員です」
としか言えなかった。
「それで、考えたんすよ。俺、何がしたいんだろうって。で、分かったんです。俺、作るのが好きなんだなって」
「作る?」
「シャルティア作ってる時が、一番楽しかったんすよ。外見いじって、設定考えて、口調とか、ああでもないこうでもないって。ビビアン作ってる時も、正直めちゃくちゃ楽しかった。モモンガさんの困る顔想像しながら」
「最後のは余計です」
「ははっ。……だから、ゲーム作る側に行こうと思って。ちっちゃい会社なんすけど、シナリオライターの見習いで、拾ってもらえることになって」
「……すごいじゃないですか」
心からの言葉だった。
「給料めっちゃ下がるんすけどね。しかもその会社、ユグドラシルの競合タイトル作ってるとこで。さすがに、ライバル会社のゲームやりながら働くのはまずいかなって」
ペロロンチーノは、頭を掻いた。
「あと、中途半端にログインして、ちゃんと遊べないの、嫌なんすよ。だったら、ちゃんと区切りつけたくて」
霊廟の中に、しばらく沈黙が流れた。前回のペロロンチーノが、なぜ何も言わずに去ったのか。今なら、少しだけ分かる気がした。言えなかったのだろう。区切りのつけ方が、分からなかったのだろう。
今回のペロロンチーノは、ちゃんと言いに来てくれた。それどころか、半年も前から、去ったあとの自分のことまで考えてくれていた。
「ペロロンチーノさん」
モモンガは、顔を上げた。
「最初に決めたこと、覚えてますか。ギルドができたばかりの頃」
「……来られる時に来ればいい、来られない時は無理しない、ってやつっすか」
「はい。あれ、今でも変わってないです。ペロロンチーノさんが、自分の人生のために決めたことなら、俺は、それが一番いいと思います」
「……モモンガさん」
「それに、引退って言っても、アカウントは消さないでしょう? だったら、いつでも戻ってきてください。何年後でもいいです。ナザリックは、ずっとここにありますから」
ペロロンチーノの頭上に、何のエモーションも浮かばなかった。鳥の頭が、少しだけうつむく。
「……ずるいっすよ、それ」
声が、わずかに震えていた。
「さっきの仕返しっすか」
「そうかもしれません」
ペロロンチーノは、翼で顔を覆った。画面の向こうで、彼がどんな顔をしているのか、モモンガには見えない。けれど、分かる気がした。自分も、同じ顔をしているから。
それから二人は、しばらく他愛のない話をした。オフ会の料理が意外とうまかったこと。茶釜が会計のときに全員分おごろうとして揉めたこと。ヘロヘロが乾杯の前から寝かけていたこと。ふと、ペロロンチーノが言った。
「そういえば、ウルベルトさん、来てなかったっすね」
モモンガの指が、わずかに止まった。
「俺、あとで知ったんすけど、交通費とか、けっこうきつかったらしくて。なんか、それ聞いて、すげえ申し訳なくなったんすよ。俺らだけで、楽しくやっちゃってて」
ペロロンチーノは、少し考えるように首を傾げた。
「モモンガさん、ウルベルトさんのこと、たまに気にしてあげてもらえません?あの人、絶対自分から弱音吐かないじゃないっすか」
「……分かりました」
モモンガは、静かに頷いた。自分が見送る側になっても、誰かを気にかけている。この人も、やっぱり優しい人だ。
時計は、深夜一時を回っていた。
「そろそろ、落ちますね」
ペロロンチーノが立ち上がった。それから、シャルティアの前に立ち、その銀髪にそっと手を伸ばした。触れる直前で、指を止める。
「シャルティア。お前の創造主は、ちょっと出かけてくる」いつもの軽い調子だった。
「モモンガさんの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」シャルティアは、真紅の瞳を伏せたまま、何も答えない。ペロロンチーノは、モモンガのほうを振り返った。
「モモンガさん。シャルティアのこと、よろしくお願いします。あと、ビビアンも」
その言葉を聞いた瞬間、モモンガの胸の奥で、何かが軋んだ。前回の記憶がよみがえる。異世界の荒野。虚ろな目でこちらを見つめるシャルティア。ワールドアイテムによる精神支配。そして、自分の手で、彼女を殺した戦い。ペロロンチーノが、この子をどれほど大切に作ったのかを知っていながら。
「……はい」
モモンガは、深く頷いた。
「必ず、守ります。二人とも」
自分でも驚くほど、強い声が出た。ペロロンチーノは、少しだけ首を傾げた。
「いや、そんな重く受け止めなくても……ゲームのNPCっすよ?」
「分かってます」
それでも、とモモンガは心の中で付け加えた。それでも、今度こそ、守る。
「あ、そうだ」
ペロロンチーノが、ぽんと手を打った。
「ビビアンの設定、最後の一行、消したくなったら消していいっすからね。作った本人の許可ってことで」
モモンガは、少しだけ考えた。天井の横顔。壁一面の肖像画。日傘の少女。そして、八割の悪ふざけと、二割の本気。
「……消しませんよ」
「え、マジっすか」
「ペロロンチーノさんが作った子なので」
ペロロンチーノは、しばらく固まっていた。それから、今日一番の大爆笑のエモーションが、頭上に浮かんだ。
「モモンガさん、やっぱ最高っすわ」
「じゃあ、また」
ペロロンチーノは、「さよなら」とは言わなかった。「はい。また」モモンガも、言わなかった。金色のバードマンが、片手を挙げる。転移の光が、霊廟の薄闇を一瞬だけ白く染めた。
《ペロロンチーノさんがログアウトしました》
システムメッセージが、静かに流れて、消えた。モモンガは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……聞いたか、シャルティア」
彼女の前に立つ。
「お前の創造主は、夢を見つけたそうだ。ゲームを作る側に行くらしい。お前を作った時が、一番楽しかったからだと。……誇っていいぞ。お前は、あの人の人生を変えたんだ」
真紅の瞳は、何も見ていない。それでもモモンガは、もう少しだけ、そこに立っていた。
日課の巡回を、もう一度だけやり直した。第九階層。ビビアンの部屋。扉を開けると、自分だらけの部屋の中央で、日傘の少女がベッドに腰掛けていた。さっきまでと、何も変わらない。白いコートに、黒と青の装い。紫のリボン。黒い日傘。けれど、モモンガの目には、もう少しだけ違って見えた。
「ビビアン」
自分の顔に囲まれながら、モモンガは彼女の前に立った。
「お前の創造主が、引退した」
日傘の少女は、静かに前を見つめている。
「あの人は、自分がいなくなったあとのために、お前を作ったらしい。俺のことを、見ている誰かがいるように、と」
天井の横顔と、目が合った。今度は、逸らさなかった。
「……悪ふざけ八割、だそうだ」
小さく笑う。
「残りの二割は、ちゃんと受け取った。だから、お前も、あの人が書いたお前のままでいろ」
ビビアンは、何も答えない。それでいい、とモモンガは思った。
その夜、日課の最後に、暖炉の家の扉を開けた。薪のはぜる音。橙色の灯り。暖炉の前に、クロワが立っている。白い髪に、黒い一筋。黒衣に、紅い布。赤い十字の瞳。
「ただいま、クロワ」
モモンガは、暖炉脇の椅子に腰を下ろした。
「……今日は、いろいろあった」
炎が揺れる。
「ビビアンに話しかけてるところを、ペロロンチーノさんに見られた」
言ってから、思い出して、骨の手で顔を覆った。
「毎晩あの部屋に行ってることまで、全部ばれた。天井の横顔のことまで言われた」
クロワは、暖炉の炎を見つめている。
「でも、笑ってくれたよ。あんなに笑ってるペロロンチーノさん、久しぶりに見た」
モモンガは、しばらく黙っていた。
「それから、引退するって」
薪が、小さく崩れた。
「前は、何も言わずにいなくなった人なんだ。気づいたら、もういなかった。……今回は、ちゃんと言いに来てくれた。夢を見つけたって。それに、半年も前から、自分がいなくなったあとのことまで考
えてくれてた」
炎の向こうに、自分だらけの部屋が浮かんだ。
「俺のことを見ている誰かが、いるように、だそうだ」
小さく、息を吐く。
「……ずるいよな。あんなの、ただの悪ふざけだと思ってたのに」
クロワは、何も答えない。けれど、その沈黙が、今夜はなぜか、ひどく優しく感じられた。
「寂しくなるな」
モモンガは、天井を見上げた。ここには、自分の写真は一枚もない。
ただ、暖炉の灯りが、木の梁を柔らかく照らしているだけだ。それが、ありがたかった。
「おやすみ、クロワ。また明日な」
扉を閉める直前、振り返る。赤い十字の瞳が、暖炉の炎を映して、静かにこちらを向いていた。いつもと同じ角度。いつもと同じ、待機モーションの、決まった向き。それでも今夜は、見送られている気がした。
ビビアン・バンシー役職:ナザリック地下大墳墓 隠密・潜入担当住居:第二階層 一室(壁一面にモモンガ様)属性:中立〜悪(カルマ値:-150)種族:異形種(ヴァンパイア)製作者:ペロロンチーノレベル構成(総計100)種族レベル:20ヴァンパイア:10ハイ・ヴァンパイア:10職業レベル:80ローグ:15シーフ:10ファントム・シーフ:15カースメーカー:15ダンサー:10パラソル・マスター:15