小さい頃に将来の夢は?と聞かれたことがあるだろうか。
私は当時、なぎら健壱になりたいと答えた。散歩して、好き勝手昼間から飲んで遊んでお金をもらえているように見えたからだ。
ただ、別に芸能人になろうとしたわけではなく、大学を出てサラリーマンになった。会社は10年程度勤めた。
改めて、なぎら健壱の番組を見ると、別に好き勝手楽しくできるわけではなく、撮れ高を意識している「仕事」なのだなと分かるようになった。
会社を辞めたのは人間関係の不満や給与面の不満があったからではない。もちろん多少の不満はあったものの、まあこんなものだろうとは思う。
ただ、運良く辞められるほどのお金に恵まれたからだった。
3年前、NVIDIA株で数千万円を儲けていた私は、約1000万をキオクシア株に投資をした。絶対にメモリ関連銘柄が上がるという確信があったからだ。
結果は50倍に膨れ上がり、会社を辞める決心がついた。全ての利益を長期成長型の高配当株に投資し、早期退職した。
今は年間で1500万円程度の額が手取りとして得られ、そのお金で暮らしている。
配当は年々増加しているため、手元に残るお金は更に増え続けている。
悩みはもちろんある。苦しんでいる方から比べれば大したことがないのだろうが。要は、何もないのだ。
会社を辞める前は、ずっと休みたい気持ちで一杯だった。趣味の漫画や小説も書きたかった。
いざ会社を辞めるとどうだろうか。何も書く気が起きない。やはり稼ぐという前提がないと何も気持ちが湧かないのかもしれない。
なぎら健壱のように散歩もしてみた。好き勝手昼間から飲み。好き放題しゃべるだけ。カメラも回っていないので本当に法律とマナーの範囲内で好き勝手なのだ。
最初は楽しかったのだが、1ヶ月もすると飽きてしまった。海外に出て同じようなことをやっても1ヶ月程度で飽きてしまう。結局アジアで5か所、ヨーロッパで15か所、北米で3か所同じようなことを繰り返したところ、2年ほどでとうとうこの好き勝手散歩ツアー自体が自分のなかで面白みの無いものになってしまった。
仕事に戻ることも検討した。だがやはり「面白みがない」ことと「苦痛」は別次元のレベルであるため、やはり仕事は選択肢に入らなかった。
大学に入ることも検討した。これはありかと思ったが、結局は職業になることを前提に学ぶところと感じてしまい、趣味で学ぶというふうにはなれなかった。
今は何をしているか、というと海辺に家を買い、砂浜で毎日ゴミ拾いをし、海を眺める生活を続けている。これがなかなかいい。
毎日何しようと考えなくていいし、心地よい達成感もある。少し気が乗った時は、浜辺から投釣りをする。あまり釣れないが、海を眺めているだけでいいのだ。
会社員の仕事や飲み歩きは人と話すということは大前提だ。自由業の小説家や漫画家でさえ人と関わらなければならない。大学を含む学校もそうだ。基本人と関わる内容だ。
もちろん今も買い物で人と接することはある。だがそれは海を眺めている時間に比べれば、限りなく0に近いものだ。
もしかすると、私は人と接したくなかったのかもしれない。人といるときには全く気づくことはなかったのだが。
人と関わる生活と、人と関わらない生活。どちらにも飽きてしまったとき、果たして次は何があるのだろうか。