数週間前、岸井昇は知り合いのブリーダーから猫を譲ってもらった。品種は長ったらしい名前であったので聞き取れなかった。要は見た目で選んだ。
猫は、日に日に賢くなっていっているようで、一昨日は私のスマホのロックを勝手に解除し、動画を見ていた。
昨日はGoProを勝手に持ち出し、近所の周りを散歩した様子を撮影していた。
「きゃーかわいい!」職場の同僚はその猫の写真を見ると黄色い声を上げた。欲しい回答は違う内容だったのだが。
「この猫、少し大き過ぎない?」あからさまな誘導で聞いてみる。
「そう?そんなことないと思うけど」そんなことあるから聞いているのだが。
「ちょっと大きいけどこんなものじゃない?」と別の同僚。
「君たちは猫を飼った事はあるか?」期待した回答があまりにも得られないので聞いてみる。
「ない」2人は首を横に振った。聞く人を間違えたようだ。
猫の体長は1.5mに達していた。体長は尻尾の長さを含めない。胸から脚までの長さが1.5mあるという事だ。体感ではヤギぐらいの大きさだ。一般的な猫の成長は早いというが、これは早すぎだろう。
仕事の帰りに、譲ってもらったブリーダーに直接聞いてみることにした。
「お!ナノちゃんの調子どうですか?」ブリーダーの西野はやたら明るい。ナノとは猫の名前だ。買ったその場でつけた。
「元気ですよ。ただこんな感じで⋯」ナノの写真を見せる。
「大きくなりましたね。ナノちゃんじゃなくて、ヘクトちゃんになってますね」上手いことを西野がいう。ヘクトだから10倍か。
「岸井さん、青い餌ちゃんと食べさせてます?」
「青い餌⋯?何でしたっけ」全く思い出せない。
「うっそお!ちゃんと説明したじゃないですか!」西野は2種類の餌の袋を取り出し、説明し始めた。
「赤い袋は普通の餌です。一般的な猫用ペットフードと変わらないので、使い切った後はウチの店で買わなくてもいいです」
「重要なのはこっち。青い袋。特殊な餌です。ナノちゃんの種、クソデカビガーザンタイガー種はデカくなりすぎるので、この餌を定期的に与えないとダメなんです」
聞いていた⋯ような気がする。もしかしたら仕事のメールの内容を考えながら聞いていたのかもしれない。
「思い出しました?」西野はこちらをまじまじと覗き込んできた。
「ええまあ。すみません、多分聞いたのに忘れていました」
「よろしいですか?青い餌の適正量は、猫ちゃんの個体差で変わります。最初は3粒で様子を見て少しずつ量を変えていってくださいね」
「やりすぎると豆粒ぐらいに小さくなるということですか」
「理論上はそうなります。まあでも賢い種なので、ある程度自分で食べて調整しますよ」
「今回デカくなっちゃったのは⋯?」
「あのですねえ!生まれて数ヶ月程度の猫ちゃんですよ!まだ自分で判断ができないんですよ」怒られてしまった。反論できない。飼い主としての義務を果たしていなかった。
「まあ、今度から気をつけてくださいね 青いのは最初3粒ですからね!」西野に念を押され、謝りながらそそくさと退散する。
「あ、伝えるの忘れてた。あの種は元々賢いけど、デカくなればなるほど賢くなるんだよなあ。小さい子でもそうなのかな。」西野は独り言のようにつぶやいた。
家に帰ると、更に巨大化したナノが待ち構えていた。天井に頭がつきそうだ。
「みょおおおお」鳴き声が野太い。
遠隔で暖房を入れていたはずだが、なぜか寒い。外から風が全開で入ってきているようだ。部屋の奥に進むと窓ガラスが全て割れていた。カーテンはボロボロに引き裂かれていた。
タンスは倒され、中身が飛び出ていた。ナノがやったのか。
どんどん餌を食べていき、ナノはビルを超える大きさになり、街を破壊しはじめた。逃げ惑う人々。
「あーあだから言ったじゃないですか」西野が呆れている。
「お客さん、終点です」駅員に起こされ、駅の表示を見ると、終点に着いていた。大分寝ていたようだ。幸い終点の1つ横の駅が最寄りであるため助かった。
おそらく先程のは夢だ。かなりリアルな夢だったが。と考えながら、自転車に乗り、最寄り駅から住んでいるマンションに向かう。
マンションに着いた。パトランプがやたら眩しい。住んでいるマンションにパトカーが3台も止まっていた。規制線が張られている。私の部屋の窓ガラスが割れているのが見えた。もしかすると先程の内容は夢ではなかったのだろうか。
「岸井昇さん?」コートを着た男から声を掛けられた。
「警視庁特別捜査課の森野です」警察手帳を見せられた。ああ、ナノが何かやってしまったのだろうか。
「何度かお電話させていただきましたが、お忙しかったようで。」森野は電話を掛けていたようだ。スマホを見ると不在着信が多数入っていた。
「ああ、すみません。電車で寝ていて」
「いいんです、いいんです。直接今お話がきけるのでね」森野はにこやかに話していた。
「でですね、こちらの猫ちゃんの飼い主は岸井さんでしょうか」写真を見せられた。ナノだ。
「はいそうです」逃げたかったが、どうせ警察が調べればバレることだろう。
「うちのナノ、いや猫が何か・・・?」もう楽になりたかった。
「ナノちゃん!いやもう大手柄で!本当に!信じられないほどの活躍ですよ」森野は手を広げ、信じられないと言ったポーズをしていた。
状況がよく分からなかった。
森野から聞いた内容はこうだ。
ナノはウチに入った空き巣をまず撃退し、上の階の強盗も撃退し、縛られている老婦人を助けた。
その後、強盗グループの匂いを頼りに、その胴元、そこから関係した暴力団、トクリュウグループのアジト、詐欺集団…等を合計334拠点を壊滅させたらしい。
正直全く信じられなかったが、ナノが首にGoProを付けており、そのGPSと映像からナノの功績が分かったとのことだった。
映像は迫力満点の破壊シーンだった。IMAX映画にしたらウケそうだ。
「いやあ、クソデカビガーザンタイガー種はですね、非常に賢いことが知られていまして」森野は猫に詳しいのだろうか。興奮しつつ早口で解説していた。
「警察猫としての採用もあると他の部署の者から聞いておりましたが、いやはや凄い。早く採用したほうがよいですね」
森野の話は終わり、解散となった。後日表彰されるらしい。住んでいた部屋は窓が割れているので、マンションの空いている部屋を特別にいただけることになった。上の階のオーナーの老婦人のご好意だ。
「あの、そういえばナノは?」森野に聞いてみる。
「え?どういうことです?」森野は当惑した様子で、逆に質問されてしまった。どういうことなのだろうか。
「あちらに…」森野が指さした先にはマンションよりも大きい、いやデカいな。デカいナノがいた。
大きすぎて気づかなかった。そんなこともあるのか。
「のおおおおおおん」野太い声が響いた。
先程の夢のほうが現実味があったのかもしれない。
ええと、まずは、青い餌を3粒渡すか。ブリーダーの西野の言葉を思い出していた。