二次創作『岸辺露伴露伴は動かない』   作:きぬごし

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本作はドラマ『岸辺露伴は動かない』の影響を受け制作した二次創作ドラマの脚本を小説化したものです。

脚本の小説化にあたり、本文の一部にAIを利用した部分があります。ご了承ください。


#02 blood-B

岸辺露伴は動かない― blood-B ―

 

 

一 プロローグ

 

「コラボ?」

 

 喫茶店で泉京香から持ちかけられた話に、僕は思わず聞き返した。

 

「そうなんですよ! 今話題になっている歌手や作曲家、作詞家、イラストレーターなんかを起用して、楽曲をメディアミックス展開する企画なんですって! 最近人気の音石さんが楽曲提供で、なんとAdoが歌うんですよ! すごくないですか!?」

 

 泉はいつものように、こちらの返事を待たずに話を進めていく。

 

 僕はコーヒーを一口飲んだ。

 

「へえ……。で、僕は何をするんだ?」

 

「露伴先生には、楽曲のイメージキャラクターをデザインしてもらいたいんです! そのキャラクターのアニメでミュージックビデオを作るらしいですよ! 制作は神風動画!」

 

「ふぅん……」

 

 なかなか面白い企画だ。

 

 音楽という、僕が普段漫画を描く際に扱うものとは異なる表現媒体。その世界観をキャラクターという形に落とし込む。しかも、アニメーションとして動かすところまで含めての依頼だ。

 

 漫画家として、興味がないわけではない。

 

 だが、僕が気になったのは別のことだった。

 

「……じゃあ、作詞は?」

 

「え? なんですか?」

 

「作詞だよ。まだ聞いていない。誰がやるんだ?」

 

「あ、作詞ですね。たしか……赤井……なんだったかなぁ……」

 

「ちょっと待て!」

 

 思わず声が大きくなった。

 

「もしかして、赤井千草か!?」

 

「えっ? 先生、知ってるんですか? そんな作詞家、聞いたことなくって……」

 

「作詞家じゃあない! 詩人だ!」

 

 僕はテーブルに身を乗り出した。

 

「文学界では百年に一人の天才と言われている。事実、天才なんだよ。まだ若いのに、あんなわずかな数の言葉だけで、あそこまで自分の世界観を表現できる人間は他に見たことがない!」

 

 赤井千草。

 

 その名を初めて知ったのは、数年前に読んだ文芸誌だった。

 

 初めて作品を読んだときの衝撃は、今でも覚えている。

 

 言葉の選び方が尋常ではない。

 

 比喩が独創的なのはもちろん、文章のリズムそのものが、まるで生き物の呼吸のように変化する。静かな文章の中に突然、激しい感情が噴き出す。かと思えば、たった一行の言葉で、読者の心に底知れない空白を残す。

 

 僕は詩というものに精通しているわけではない。

 

 だが、創作者の才能を見抜くことには自信がある。

 

 赤井千草は本物だった。

 

「露伴先生がそこまで褒めるなんて、珍しいですね……」

 

「特にここ最近の勢いが尋常じゃないんだ。まぁ、僕はそれ以前の作品も好きだがね」

 

 泉は少し驚いた顔をしたあと、何かを思い出したように手を叩いた。

 

「あ、そうそう! 実は、その赤井千草さんから、露伴先生と直接会いたいってお話があるんですけど……どうします?」

 

「……なんだって?」

 

「打ち合わせをしたいそうです。ただ、千草さん、飛行機がダメみたいで……こちらから会いに行かなきゃいけないんですよね」

 

「別に構わない」

 

 僕は即答した。

 

「会いに行くよ。で、どこなんだ?」

 

「北海道です」

 

「……北海道」

 

 窓の外に目を向ける。

 

 そのときの僕は、まだ知らなかった。

 

 これから会う詩人が、僕の人生において、ある意味で最も不愉快で、そして最も興味深い体験をもたらす人間になることを。

 

 

二 天才詩人

 

 冬の小樽は、S市とは空気が違った。

 

 駅を出た途端、頬を刺すような冷気が肌にまとわりついた。街を歩くと、古い石造りの建物や、年月を重ねた煉瓦の壁が目に入る。港町らしい異国情緒をまとった街並みだ。少し足を延ばせば運河があり、倉庫群の向こうには冬の海が広がっている。潮の匂いを含んだ風が吹くたび、雪の冷たさとは違う、湿り気のある寒さがコートの隙間に入り込んできた。

 

 観光地として整えられた街ではあるが、そこかしこに古い時代の名残が残っている。

 

 僕はコートの襟を立て、指定された喫茶店へ向かった。

 

 店は、観光客で賑わう通りから少し外れたところにあった。雪の積もった窓辺に小さな看板が出ていて、木製の扉の向こうから、淡い照明とコーヒーの香りが漏れている。

 

 扉を開けると、外の冷気が背中から離れ、暖房の温もりが頬を包んだ。

 

 店内には、コーヒー豆を挽く音と、食器の触れ合う小さな音が響いていた。窓際には数組の客が座っていたが、店の奥は仕切りによって区切られ、外からは中の様子が見えないようになっている。

 

 僕が店内を見回していると、カウンターの向こうにいた店員がこちらに気づいた。

 

「いらっしゃいませ。岸辺露伴様でいらっしゃいますか?」

 

「ああ。待ち合わせなんだが」

 

「赤井様がお待ちです。こちらへどうぞ」

 

 店員は軽く頭を下げ、店の奥へと案内してくれた。

 

 通路を進むと、仕切りの向こうに小さな個室が並んでいる。その一番奥の部屋の前で、店員が足を止めた。

 

「こちらでございます」

 

 扉が開かれる。

 

 個室の中には、一人の女が座っていた。

 

 僕が入ると、彼女は振り返った。

 

「露伴先生、初めまして。赤井千草です。わざわざ北海道まで来ていただき、ありがとうございます」

 

 思っていたよりも、ずっと若い。

 

 文芸誌で見た写真と変わらない美しい顔立ちだったが、実物には、写真では伝わらない独特の雰囲気があった。

 

 華奢な身体。落ち着いた物腰。そして、相手の反応を見逃すまいとするような、妙に鋭い目。

 

「初めまして。こちらこそ、お声かけいただいて本当に光栄です」

 

「いいでしょう、このお店。注文のとき以外は、この部屋に誰も来ないから打ち合わせに最適なんですよ」

 

「ええ。雰囲気も落ち着いていて、いい感じだ……」

 

 僕が椅子に腰を下ろすと、千草は鞄から一枚の紙を取り出した。

 

「来ていただいて早速なんですが、今回の楽曲の企画に向けて、詩を書いてみたんです。ぜひ見てくれませんか?」

 

「いいんですか? じゃあ、早速読ませてもらおうかな……」

 

 差し出された紙を受け取り、僕は目を落とした。

 

 そして。

 

「……!」

 

 思わず、息を呑んだ。

 

 文字を追う。

 

 いや、追う必要すらなかった。

 

 言葉が、音になって頭の中へ流れ込んでくる。

 

 激しく刻まれるリズム。重低音のうねり。荒々しく、それでいて緻密に構成された言葉の連なり。

 

 行を読み進めるたびに、頭の中で音楽が形を持っていく。

 

「すごい……」

 

 僕は、紙を握る手に力が入るのを感じた。

 

「これは曲だ……ロックですね。文字なのに音が聞こえてくるようだ……! 激しくリズミカルなビート、グルーヴ感……特に歪みの効いたギターの音色……!」

 

 僕は顔を上げた。

 

「スピーディーな指運びに感じる……ライトハンド奏法のイメージですか!?」

 

 千草の顔が、ぱっと明るくなった。

 

「さすが露伴先生! まさか、そこまで分かってくれるなんて、本当に嬉しい!」

 

「いや、さすがなのは千草先生でしょう。まさか、ここまで凄いとは……」

 

 僕は再び詩に目を落とした。

 

「詩から生命力を感じます」

 

 お世辞ではない。

 

 心の底から、そう思った。

 

 この言葉には、何かを生み出そうとする人間の衝動が、そのまま刻み込まれている。

 

 技術だけではない。

 

 技巧を超えたところにある、表現者としての執念。

 

 僕が漫画を描くときに求めているものと、通じる何かがあった。

 

「ありがとうございます!」

 

 千草は嬉しそうに笑った。

 

 その笑顔を見て、僕も自然と頬が緩んだ。

 

 これほど自分の作品を理解してくれる人間がいる。

 

 それだけで、創作者にとっては十分に価値のある出会いだ。

 

 ……しかし。

 

「ところで……露伴先生」

 

 千草の声が、わずかに低くなった。

 

「血液型は……B型……ですよね?」

 

 彼女の目つきが変わった。

 

 先ほどまでの柔らかい笑顔は消え、こちらの反応を探るような鋭い視線が向けられる。

 

「え……あ、はい。そうですね。B型です」

 

「良かったー!」

 

 途端に、彼女は弾けるような笑顔を見せた。

 

「やっぱりそうですよね! 私、B型と超相性いいんですよ! 露伴先生は絶対B型だと思ってました! いやー、良かった! 思った通りBで!」

 

「……なぜ、僕がB型だと?」

 

 僕の質問に、千草はさも当然という顔で答えた。

 

「露伴先生って、こだわりが強いですよね? ホットサマーマーサのキャラクターデザインで、だいぶ揉めたらしいじゃないですか」

 

「……なぜ、それを?」

 

「編集部に聞きました」

 

 僕は思わずため息を漏らした。

 

 編集部は、僕がホットサマーマーサのキャラクターデザインを一度了承したにもかかわらず、後になってから急にゴネ始めた、と思っているようだ。

 

 あれは僕の気まぐれでも、単なるわがままでもない。

 

 過去に巻き込まれた怪異の事件で、僕は自分の身体を別の人格に乗っ取られたことがある。自分の身体でありながら、自分の意思が通じない。自分の顔でありながら、自分ではないものがそこにいた。

 

 あのときの感覚は、思い出すだけでも不快だ。

 

 そして、そのせいで、僕はこだわり抜いて作り上げたホットサマーマーサのキャラクターデザインの変更を承諾せざるを得なくなった。

 

 それを、僕が後になって駄々をこねた、という話にされているのが不愉快だった。

 

 しかも編集部は、そのことを僕の承諾なく千草に話したらしい。編集部に守秘義務というものはないのだろうか。

 

 千草は、そんな僕の心中など知らず、得意げに話を続けた。

 

「強いこだわりはB型の特徴ですよね。それと、コミックス巻頭の作者写真を見て思ったんですけど……結構、思いつきで旅行してません? あと、家にある本や小物なんかの資料も高価なものが多い。取材のためなら、お金に糸目をつけないタイプですよね」

 

 千草は指を折りながら続けた。

 

「自由奔放で浪費家。これもB型の特徴です」

 

「まぁ、確かにそうだが……」

 

「山まで丸ごと買っちゃうくらいですからね!」

 

 彼女は楽しそうに笑った。

 

「そして何より、常に新しく独創的なアイデアで作品を作り続けている。間違いなく露伴先生はB型ですよ! B型って個性的で才能に秀でた人が多いじゃないですか! やっぱり一緒に仕事するならBじゃないと!」

 

 僕は、目の前の女を見つめた。

 

 ……妙だな。

 

 血液型占いが好きな人間なら、世の中にいくらでもいる。

 

 だが、この女の話し方には、単なる占い好きとは違う何かがあった。

 

 僕がB型であることを、異様なほど重要視している。

 

 まるで、それが仕事の成否を決める絶対条件であるかのように。

 

「……もし、僕がB型じゃなかったら、どうしたんですか?」

 

「え?」

 

 千草の笑顔が止まった。

 

「いや、露伴先生は絶対B型だから大丈夫ですよ!」

 

「そうですか」

 

「……でも、そうですね」

 

 彼女の目が、再び鋭くなった。

 

「もし、露伴先生がB型じゃなかったら……」

 

 その先の言葉は、続かなかった。

 

 店内の時計が、時刻を知らせる音を鳴らしたからだ。

 

「あっ、すいません!」

 

 千草は、はっとしたように笑顔を取り戻した。

 

「こんなくだらない話で時間を使ってしまって! 早く仕事の打ち合わせをしないとですね!」

 

 そのとき、個室の扉が開いた。

 

「ご注文、お決まりでしたか?」

 

 店員が注文を取りに来たのだ。

 

「ええと……」

 

 千草がメニューを開く。

 

 僕は先に譲った。

 

「ああ、千草先生。お先にどうぞ」

 

「えっ?」

 

 彼女は、僕を見た。

 

 そして、少しだけ眉をひそめた。

 

「露伴先生。今の、なんかB型っぽくないですよ?」

 

「……え?」

 

 僕は聞き返した。

 

「B型っぽくない? 今のがですか?」

 

「ええ。B型だったら普通、先に自分の注文をしませんか?」

 

「……まぁ、レディーファーストってやつですよ」

 

「なら、いいけど……。あ、私、コーヒーで」

 

「じゃあ、僕も同じで」

 

 その瞬間だった。

 

「また!」

 

 千草が、声を上げた。

 

「B型なら、相手に合わせず自分の注文をしますよ!」

 

「……」

 

 僕は、ゆっくりと彼女を見た。

 

「たまたま注文が一緒だっただけですよ」

 

「そうですかぁ?」

 

「……痛ッ」

 

 不意に、手の甲に痛みが走った。

 

 僕は反射的に左手を見た。

 

 小さな切り傷ができている。

 

 傷口から、赤い血が滲んでいた。

 

「……なんだ?」

 

 いつ切った?

 

 紙で指を切ったような、浅い傷だ。大したものではない。

 

 しかし、ついさっきまで、こんな傷はなかったはずだ。

 

「どこかに引っ掛けたのか……?」

 

 僕が呟くと、千草はいたずらな笑みを浮かべながら言った。

 

「B型っぽくないことをするからですよぉ!」

 

「……は?」

 

「B型は私との相性が最高なんだから、ちゃんとB型してくださいよ!」

 

「何ですか、それは」

 

 僕は傷口をハンカチで押さえた。

 

「確かに、血液型診断は僕も嫌いじゃあないが、この傷とは何の関係もないですよ」

 

「そうですかぁ? 結構、大事ですよ? 血液型」

 

 千草は、にこにこと笑っていた。

 

 僕は返事をしなかった。

 

 窓の外では、雪が静かに降り始めていた。

 

 運河へ向かう人々の影が、白く霞んだ通りをゆっくりと流れていく。

 

 その景色を眺めながら、僕は考えていた。

 

 ……この女は、いったい何なんだ……

 

 

三 血液型

 

 打ち合わせは、順調に進んでいた。

 

 千草は、作曲を担当している音石明との打ち合わせで出た話を、熱心に説明してくれた。

 

「それで、曲についてなんですが、実は既に音石さんとも打ち合わせをさせていただいたんです。編集部からも提案があった通り、キャッチーでアップテンポな曲が良いと、私は思うんです」

 

「キャッチー……」

 

「そうです。音石さんには最初、『客ウケを狙うのか』って反対されました。でも、私は違うと思うんです」

 

 彼女は、身を乗り出した。

 

「作ったものが、たまたまウケたんじゃあなく、狙うターゲット層を決めたうえで、ウケる作品を作るのがプロです。そのうえで、自分らしさを出すべきなんです。だから私は、キャッチーで行くべきだと考えます」

 

 そして、まっすぐ僕を見た。

 

「露伴先生……! どう思いますか!?」

 

 僕は少し考えた。

 

 音楽の専門家ではない僕が、作詞家と作曲家の間で決まった方針に口を出すのも、妙な話だ。

 

「二人でそう決めたのなら、それでいいんじゃあないですか?」

 

 沈黙が落ちた。

 

 千草は、僕の顔をじっと見ていた。

 

「……露伴先生」

 

「何です?」

 

「今……また、B型っぽくないですよ」

 

「……」

 

 僕は、額に手を当てた。

 

「またそれですか。いい加減にしてほしいなぁ」

 

「B型なら、自分の意見はストレートに言うはずです。しかも露伴先生ですよ? 客ウケを狙ったキャッチーな作品作りなんて、簡単に受け入れるわけがない……」

 

「いやいやいやいや」

 

 僕は、思わず苦笑した。

 

「作詞と作曲のプロフェッショナルが決めたことに、音楽に素人の僕が意見するのはおかしいでしょう。それに、千草先生の意見も一理あると思ったんだ」

 

「本当に……?」

 

「ええ」

 

「……そうですか」

 

 千草は、どこか納得していないような顔をした。

 

 僕は、いい加減うんざりしてきた。

 

「だいたい、さっきからB型、B型と言っているが、血液型と性格に関連性がないことは、医学的にも……」

 

「ぐっ……!」

 

 突然、腕に鈍い痛みが走った。

 

「……腕が?」

 

 僕は袖を捲った。

 

 そこには、見たこともない痣が浮かんでいた。

 

 青紫色の鬱血が、腕を締めつけるように広がっている。

 

「なんだ……これは……?」

 

 指先が冷たくなった。

 

 身体の調子がおかしい。

 

 だが、これは単なる体調不良で説明できるものではない。

 

 千草は、そんな僕を見ながら、呆れたように息を吐いた。

 

「だから言ってるでしょ、露伴先生。ちゃんとB型らしくしないから、バチが当たったんですよ」

 

「……血液型は関係ないと、何度も言ってるじゃあないですか」

 

 僕は、痣を手で押さえた。

 

「血液型については過去何度も研究されてきたが、性格との関連性は証明されていない。血液型診断なんてものは、ただの思い込み……いや、信仰みたいなもんだ」

 

 言いながら、僕は立ち上がった。

 

 これ以上、ここにいるのは危険だ。

 

 何が起きているのか分からないが、いったん距離を取るべきだろう。

 

「僕はただ体調が悪いだけです。打ち合わせの途中で申し訳ないが、今日はホテルに戻らせてもらう。ここの代金は僕が払いますので」

 

 財布を取り出した。

 

「ほら、またB型らしくない!」

 

 千草が叫んだ。

 

「だから!血液型は関係ないと何度も言って……」

 

 激しい頭痛が走った。

 

「ぐっ……!」

 

 視界が揺れる。

 

 身体から力が抜け、僕は椅子に崩れ落ちた。

 

「B型は自分から支払いをしたりしないんですよ。ねぇ露伴先生」

 

 千草が冷ややかに言った。

 

 僕は机に手をつき、体を起こした。

 

 ついた手のすぐ横に血溜まりがある。

 

「……っ、何だ……この血は?」

 

 顔を上げると、鼻の下に生温かい感触があった。

 

 指で触れてみる。

 

 血だ……鼻血が出ている。

 

 ぽたり、と一滴。

 

 机の上に落ちた。

 

 続いて、もう一滴。

 

「あーあ。だから言ってるじゃないですか。B型っぽくしてないと大変なことになりますよ。」

 

 千草がため息混じりに言った。

 

「なんだと……それはどういう…」

 

 その時、机の血溜まりが、妙な動きを始めた。

 

「……?」

 

 机の上に広がった血液が、ゆっくりと移動している。

 

 重力に従って垂れるのではない。

 

 まるで、何かに引き寄せられるように、一定の方向へ進んでいく。

 

 その先にいたのは、赤井千草だった。

 

 彼女は鞄から一枚の紙を取り出し、血液が進む先へそっと置いた。

 

 血が紙の上に広がる。

 

 そして。

 

 文字になった。

 

「……なんだ、これは」

 

 僕は、呆然と呟いた。

 

 赤い血が、紙の上で文字を形作っていく。

 

 一文字、また一文字。

 

 まるで、見えない筆が文章を書いているかのようだった。

 

 千草は、その様子を嬉しそうに眺めていた。

 

「僕の血が……文字に……」

 

「そうなんですよ。こうやって血が文字になって、詩になるんです」

 

「……」

 

「できるようになったのは、ここ一年くらいなんですけどね」

 

 僕は、彼女の顔を見た。

 

 先ほどまで感じていた違和感が、一気に形を持ち始める。

 

「まさか……君にもギフトがあるのか?」

 

「ギフト?」

 

 千草は首を傾げた。

 

「ああ、なるほど。そう、これが私に身についた能力。ギフトです」

 

 そして、嬉しそうに笑った。

 

「露伴先生にもあるんですね?」

 

 ……まずい。

 

 僕は、ゆっくりと息を吸った。

 

 目の前の女は、僕と同じように、常識では説明できない能力を持っている。

 

 そして、その能力を使って、僕の身体に何らかの異常を起こしている。

 

「……まさか」

 

 僕は、机の上の詩を見た。

 

「さっき見た詩も……」

 

「さすが露伴先生。察しがいいですね」

 

 千草は、悪びれもせずに答えた。

 

「あれは、作曲家の音石明さんから作った詩です」

 

「……殺したのか?」

 

「殺しませんよ。仕事のパートナーですからね」

 

 千草は、まるで何でもないことのように言った。

 

「まぁ、貧血で入院したみたいですけど」

 

「……」

 

 僕は、言葉を失った。

 

 あの詩に感じた生命力。

 

 あの言葉の奥にあった、凄まじいまでの衝動。

 

 僕は、あれを彼女自身の才能だと思った。

 

 だが、違ったのか?

 

 他人の血を使い、他人を犠牲にして生み出されたものだったのか?

 

「だから、露伴先生も殺したりしないので安心してください」

 

 千草は微笑んだ。

 

「詩を作るのに、ちょっと協力してもらいたいだけですから」

 

「……ふざけるなよ」

 

 僕は、震える手を彼女へ向けた。

 

「くらえ! ヘブンズ・ドアー!」

 

 能力を発動させる。

 

 だが。

 

 何も起こらなかった。

 

「……なに?」

 

 僕は、自分の指先を見つめた。

 

 いつもなら、相手の人生を本に変えるあの感覚がある。対象の記憶や経験が、文字となって目の前に現れるはずだ。

 

 だが、今は何もない。

 

 能力が発動しない。

 

 僕の意識が鈍っているわけではない。狙いを誤ったわけでもない。

 

 千草は、きょとんとした顔で僕を見た。

 

「なんですか、今の? ヘブンズ・ドアー?」

 

 そして、何かに気づいたように手を叩く。

 

「ああ、これか! 露伴先生の能力!」

 

 彼女は、血の文字が書かれた紙を持ち上げた。

 

 そこには、こう記されていた。

 

 ――天国の扉。

 

「……!」

 

 その文字を見た瞬間、僕は悟った。

 

 僕の能力が、消えたわけではない。

 

 奪われているのだ。

 

 血液と一緒に、僕の身体から能力そのものを引き剥がし、あの紙の血文字に閉じ込めている。

 

 手の甲の傷も、腕の痣も、鼻血も、偶然起きたものではなかった。

 

 千草は、僕の身体を傷つけ、血を流させる。そして、その血を使って詩を作るだけではなく、血に宿る何かを取り込んでいる。

 

 それが彼女の能力なのだ。

 

 僕が彼女にヘブンズ・ドアーを使おうとしたとき、何も起きなかったのもそのためだ。

 

 そして今、その事実を突きつけるように、僕自身の能力の名が血で書かれている。

 

「でも、使えないみたいですね」

 

 千草は笑った。

 

 僕は、歯を食いしばった。

 

 ……こんなことが。

 

 この僕の能力が、血と一緒に奪われているだと?

 

 だが、考えている暇はなかった。

 

「露伴先生は、B型っぽくしていれば大丈夫ですから。」

 

 千草は、楽しそうに言った。

 

「さあ、打ち合わせを続けましょう、楽しみだなぁ」

 

 彼女は、僕の前に新しい紙を置いた。

 

 その白い紙が、ひどく不吉なものに見えた。

 

 

四 B型

 

 どれだけ時間が経ったのか、分からない。

 

 僕は床に這いつくばっていた。

 

 手の傷は痛み、腕の痣は熱を持ち、頭は割れるように痛む。

 

 机の上には、紙が何枚も置かれている。

 

 そして、その紙に書かれた血文字は、僕の記憶や経験にまつわるもの。

 

 僕から奪われたものだ。

 

 目の前には、赤井千草が立っていた。

 

「ほら、またB型っぽくない。ちゃんとしてくださいよ、露伴先生」

 

「わ……分かった……」

 

 自分でも驚くほど、か細い声だった。

 

「B型らしく、だな……分かった、B型らしくするよ、すまなかった……」

 

 千草の表情が曇った。

 

「……B型は、そんなにすんなり謝ったりしません」

 

「……」

 

 僕は絶句した。

 

 何を言っても、何をしても、彼女の求めるB型らしさから外れてしまう。

 

「……くそ。どうすればいいんだ……」

 

「あーあ……」

 

 千草は、心底がっかりしたように息を吐いた。

 

「なんか、ガッカリです。露伴先生」

 

 僕は顔を上げた。

 

「先生はもっと凄い人だと思って、期待していたのになぁ……」

 

 期待だと……?

 

 何を言っているんだ、この女は。

 

 湧き上がってくる怒りに、僕は拳を握りしめた。

 

「大丈夫ですか? ちゃんと仕事する気あります? やる気がないんじゃあないですか?」

 

「……やる気が……ない?」

 

「ええ。全くやる気が感じられないです! 全然B型らしくしないし! 私と仕事する気あります? 手を抜いているんじゃあないですか?」

 

 ……手を抜いている?

 

 この岸辺露伴が?

 

 仕事の手を抜いているだと?

 

 僕は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 身体の痛みは消えない。

 

 視界も、まだぼやけている。

 

 だが、頭の中にあった混乱は、少しずつ消え始めていた。

 

「……分かった」

 

 僕は呟いた。

 

「もう限界だ……絶対に許さないからな……」

 

「許さないって、何を! 悪いのは露伴先生ですよね!」

 

「違うね」

 

 僕は、床に手をついて身体を起こした。

 

「君は僕に、一緒に仕事をする気があるのか、と聞いた。だが、君の方こそ、僕と一緒に仕事をする気があるのか?」

 

「そりゃ、ありますよ! だって……」

 

「なら、B型っぽい行動を強制させるようなことはしないんだよ!」

 

 僕は、彼女を睨みつけた。

 

「B型に束縛的なことをしちゃいけないのは常識だろ。そもそも、君はB型ってものが分かっているのか?」

 

「もちろん、分かって……」

 

「だったら!」

 

 僕は声を張り上げた。

 

「僕の仕事にケチをつけるのも間違いだ! B型は自分で自由に行動する! 自分のこだわりに口を出されたら、B型がどうなるか分かっているだろ!」

 

「でも……」

 

「でもじゃあない!」

 

 僕は、さらに一歩踏み出した。

 

「誰になんと言われようが、僕は! 自分の意思で! 自分で決めて! 自分が満足できる仕事をする!」

 

 千草の目が、大きく見開かれた。

 

「……すごい」

 

 彼女の声が震えた。

 

「すごい……B型っぽい……」

 

「何がB型だ!」

 

 僕は吐き捨てた。

 

「そもそも、僕は血液型性格診断なんて信じていないんだ!」

 

 千草が、息を呑む。

 

「知っているか? ゴリラの血液型はみんなB型だそうだ。だから、ゴリラはみんな同じ性格なのか? そんなにB型と仕事がしたいなら、ゴリラと仕事をすればいい!」

 

「……っ」

 

「何より、能力で詩を作っていたのが納得いかないね!」

 

 僕の声が、個室に響いた。

 

「僕は君の詩に感動したし、憧れてすらいた! だが、他人を犠牲にして作品を作っているなんて……創作者の恥だね、ガッカリしたのは僕のほうだ!」

 

 千草の顔から、笑顔が消えた。

 

「そ……そんな……」

 

 彼女は、首を振った。

 

「私は……違う……違うんです、露伴先生……」

 

「何が違うんだ?」

 

「私は……ただ……」

 

 彼女は、すがりつくように僕の手を掴んだ。

 

「ギフトがなくても、君の作品は素晴らしかったと、僕は思う」

 

 その言葉に、千草は動きを止めた。

 

 僕は、彼女の目を見つめた。

 

「君の言葉には、確かに才能があった。僕が最初に読んだ詩に感動したのは、事実だ。」

 

 僕は彼女の手を振り払った。

 

「だがね」

 

「なぜ自分の才能を信じない? 他人の血を使わなければ、詩を書けないとでも思っているのか?」

 

 千草の唇が震えた。

 

「他人の血で作った詩に価値がある、素晴らしいと、本気で思っているのか?」

 

 沈黙。

 

 千草は、呆然と僕を見つめていた。

 

「答えられないのか、残念だよ……それが分からないうちは話にならない。初心に戻ってやり直すんだな」

 

 千草の目から光が消えていく。

 

 それと同時に、僕の体に僅かな力が蘇る。

 

 手の傷が、少しずつ薄くなっていく。

 

 腕に浮かんでいた痣も、まるで何かが溶けるように消えていった。

 

 そして、机の上に置かれていた、血で書かれた紙。

 

 そこに記されていた『天国の扉』の文字が、ゆっくりと薄れていく。

 

「……そんな」

 

 千草は、震える指で紙に触れた。

 

「文字が……消えていく……」

 

 僕は、その文字を見つめていた。

 

 僕の能力を奪い、血の文字として紙の上に閉じ込めていた力が、弱まっている。

 

 血で書かれた文字が消えていくにつれ、身体の奥に、長く失われていた感覚が戻り始めた。

 

 指先に力が宿る。

 

 千草の能力が、僕の血と一緒に奪ったものを、今、手放しつつある。

 

 いや。

 

 彼女が能力を維持できなくなっているのかもしれない。

 

 血液型という、彼女が絶対視していた価値観。

 

 それを維持するために必要だった、歪んだ理屈。

 

 そして、他人の血を使って詩を作るという行為。

 

 それらを支えていたものが、今、音を立てて崩れている。

 

 血で書かれた『天国の扉』の文字は、最後の一画まで薄れ、紙の上から消えた。

 

 その瞬間、僕の中で何かが、確かに繋がった。

 

 能力が戻った。

 

 僕のヘブンズ・ドアーが。

 

「……ああ」

 

 千草は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 その表情には、先ほどまでの鋭さはなかった。

 

 ただ、ひどく無防備な笑顔が浮かんでいた。

 

「……さすが露伴先生……」

 

 彼女は、僕を見つめた。

 

「思っていた通り……あなたは最高の人だ……」

 

 その瞬間。

 

 千草の顔が、紙のようにめくれた。

 

 皮膚が、ページのように開いていく。

 

 頬がめくれ、額がめくれ、顔全体が一冊の本のように変わっていく。

 

 そして。

 

 千草の身体は、音もなく崩れ落ちた。

 

 僕は、しばらく動けなかった。

 

 床に倒れた彼女と、開かれた本のような顔を見つめながら、ようやく息を吐いた。

 

「……やれやれ」

 

 僕は、額を押さえた。

 

 またしても、とんでもない事件に巻き込まれてしまった。

 

 しかも、今回は、わざわざ北海道まで来たというのに。

 

 ……まったく。

 

 僕は、机の上に残された詩の紙を見た。

 

 そこに書かれた言葉は、もうなかった。

 

 あの詩から溢れ出る生命力も、もう感じられない。

 

 しかし、彼女の才能は、本物だ。

 

 今後、詩人として千草がどうなっていくのか。

 

 それは分からない。

 

 それを決めるのは、誰でもない。

 

 彼女自身だ。

 

 

五 エピローグ

 

 数週間後。

 

 僕は、いつもの喫茶店で泉京香と打ち合わせをしていた。

 

 外では、静かに雪が降り続いている。

 

「すごいですよ、例のコラボ! こないだ発表されただけなのに、連日トレンド一位ですよ!」

 

「へえ、そうかい」

 

「千草先生も絶好調らしくて! 以前にも増して作品が生き生きしてるって評判なんですって!」

 

「そりゃ良かったね」

 

 僕はコーヒーを飲んだ。

 

 千草が、あのあとどうなったのか。

 

 詳しいことは知らない。

 

 ただ、彼女の作品が以前にも増して評価されているという話だけは、耳に入ってきていた。

 

 ……それでいい。

 

 創作者にとって、作品が評価されることは悪い話ではない。

 

 まして、彼女には才能がある。

 

 能力に頼らず、自分自身の言葉で詩を書き続けているのなら、それ以上に望ましいことはないだろう。

 

 僕はカップを置いた。

 

「……」

 

 泉が、何かを思い出したように鞄を探り始めた。

 

「あ、そうそう。話は変わるんですけど、私、最近、血液型占いにハマってるんですよ!」

 

「……」

 

 嫌な予感がした。

 

 泉は一冊の本を取り出し、ぱらぱらとページをめくった。

 

「えーっと、B型は……自由奔放で、こだわりが強くて……」

 

「……」

 

「露伴先生って、絶対B型ですよね?」

 

 僕は、彼女を見つめた。

 

 ……どうして、こうなるんだ。

 

 もう血液型など、うんざりだ。

 

 僕は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「はぁ……B型は、自分から支払いをしたりしないらしいぞ」

 

「あ! 分かりますぅ! B型あるあるですよねぇ!」

 

「じゃあ、ここの支払いはよろしく」

 

 僕は上着を手に取った。

 

「えっ、露伴先生? どうしたんですか?」

 

「帰る」

 

「え!? なんで? ねえ、ちょっと露伴先生!」

 

 僕は振り返らなかった。

 

「露伴先生ってば! 待ってくださいよ!」

 

 背後から、泉の声が追いかけてくる。

 

 僕は店の扉を開け、外へ出た。

 

 冷たい風が頬を撫でる。

 

 ……まったく。

 

 血液型で人間の性格が決まるなんて、馬鹿げた話だ。

 

 人間は、そんな単純なものじゃあない。

 

 生まれてから積み上げてきた経験、それをとり巻く環境、人との関わり、それらが人を、人間というものを作っていく。

 

 僕は漫画家だ。

 

 人間を描く仕事をしている。

 

 だからこそ、断言できる。

 

 人間の本質を、たった四つの血液型に分類できるはずがない。

 

 人間には、そんなものには縛られない、無限の可能性があるのだ。

 

 僕は歩きながら、口元をわずかに緩めた。

 

 雪は、もう降っていなかった。

 

 冬の空は、どこまでも青かった。




お読みいただきましてありがとうございました。

元になった映像作品が気になる方は、ぜひ動画もご覧ください。
https://youtu.be/SQtVw7bKg5o
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