「――よし!」
私は拳を握りしめ、森の中で大きく伸びをした。深く息を吸っても胸は痛まない。少し走ったくらいでは息も切れないし、心臓が苦しくなることもない。
気持ちいい。本当に、気持ちいい。
「ふふっ……あははっ!」
嬉しくて、思わず笑い声が漏れた。前の人生では、走ることすら怖かった。少し無理をすれば身体に負担がかかり、いつ倒れてもおかしくなかったからだ。でも、今は違う。私は両足に力を込め、地面を蹴った。
タッ、タッ、タッ!
木々の間を駆け抜ける。足が軽い。身体が思いどおりに動く。もっと走りたい。もっと動きたい。今までずっと我慢してきたものが、一気に溢れ出してくるようだった。
「ははっ! すごい、すごいよこれ!」
しばらく走り回ったあと、私はようやく足を止めた。少しだけ息が弾んでいるけれど、胸はまったく苦しくない。それどころか、まだまだ動けそうだった。
「……せっかくだし、やっちゃおうかな」
私は両足を肩幅より少し広く開き、片足を前に出した。顎を引き、両手を顔の前に構える。懐かしい構えだった。前世で何千回、何万回と繰り返してきた動き。もう二度とできないと思っていたものだ。
「……ふぅ」
息を吐き、左手をまっすぐ伸ばす。
シュッ!
続けて右。
シュッ、シュッ!
左、右、左。軽く足を踏み替えながら、拳を繰り出す。ジャブからストレート。そこから左フックへつなぎ、頭を振って相手の反撃を避ける。さらに一歩踏み込み、左右のボディーブローを打ち込んだ。
もちろん、目の前に相手はいない。ただのシャドーボクシングだ。それでも、楽しかった。
「ふふっ……!」
思わず頬が緩む。身体が動く。思い描いたとおりに拳が走る。それだけで、こんなに幸せな気持ちになれるなんて。
「……ああ、もう! 最高じゃん!」
誰も見ていない森の中で、私はしばらく拳を振り続けた。
前世では、体調が悪くて練習できない日も多かった。身体を休めながら試合の映像を見て、頭の中で何度も動きを繰り返したこともある。それが今はどうだろう。何度拳を振っても、息が乱れない。少し疲れてきた気はするけれど、胸が痛むこともなかった。
「……うぅ、嬉しい」
目の奥が熱くなった。でも、いつまでも泣いているわけにはいかない。せっかく健康な身体を手に入れたのだ。これからは、今までできなかったことをたくさんやる。美味しいものを食べる。知らない場所へ行く。友達だって作りたい。それに、ボクシングも続けたい。
今度は、お金を稼ぐためだけじゃない。自分が好きだから、自分がやりたいから、拳を振るうのだ。
「よーし……!」
私は改めて拳を構えた。そこで、ふと思った。
「そういえば、私って今、何歳なんだろう?」
自分の身体を見下ろす。小さな手に、細い腕。どう見ても大人ではない。前世の私は、死ぬ直前まで少女と呼べる年齢だったけれど、今の身体はそれよりもずっと幼い気がする。
「うーん、十歳くらい?」
正直、よく分からない。鏡もないし、自分の顔だって水たまりで見ただけだ。
「まあ、十歳くらいってことにしておこう!」
……いや、適当すぎるか。
そもそも、ここはどこなんだろう。さっき見えた大きなお城に、尖った耳、長い金色の髪。どう考えても前世の世界ではない。魔法とか、魔物とか、そういうものが存在する世界なのかもしれない。
「……魔物、かぁ」
口に出してから、私は少し考えた。もし本当に魔物がいるのなら、気をつけなければいけない。前世のボクシングは、人間と戦うための技術だ。相手の動きを読み、攻撃を避け、隙を突く。体格差があっても、技術と工夫で勝機をつかむ。
でも、相手が人間ではなかったら? そもそも、拳が通用するのだろうか。
「……まあ、何とかなるでしょ!」
我ながら楽観的だと思う。でも、せっかく健康な身体になれたのだ。何もせずに怖がっているなんてもったいない。
私は軽く拳を打ち合わせ、森の奥へと歩き出した。この世界がどんな場所なのか、少しずつ知っていこう。
そう思っていた。
――ほんの数分前までは。
「……ん?」
足を止めた。何か聞こえた気がする。
ガサッ。
草木が揺れる音。私はそちらへ顔を向けた。
ガサガサッ。
……大きい。
何かがいる。しかも、かなり大きい。
背中に嫌な汗が流れた。いやいや、待ってほしい。私は今、転生したばかりなのだ。異世界に来て、健康な身体を手に入れて、ようやくこれからというところなのだ。いきなり危険な目に遭うのは、さすがに展開が早すぎないだろうか。
そんなことを考えていると、茂みの向こうからそれが姿を現した。
「…………え?」
熊。
最初はそう思った。けれど、すぐに違うと分かった。
大きすぎる。
四本足で立っているのに、頭の位置が私の背丈を軽く超えている。全身を覆う黒い毛並み。太い腕。口元から覗く鋭い牙。そして、額には小さな角が一本生えていた。
魔物だ。
どう見ても魔物だった。熊に似ているけれど、普通の熊じゃない。
そいつは私を見つけると、低く唸った。
「グルルルル……」
私はゆっくりと後ずさった。
……うん。逃げよう。
そうだ。逃げるのが正解だ。相手は巨大な熊型の魔物。対して私は、十歳くらいのエルフの少女。いくら前世でボクシングをやっていたからといって、勝てる相手ではない。
そもそも、ボクシングは人間同士が拳で戦う競技だ。牙も爪もある魔物と戦うためのものじゃない。
「……じゃ、じゃあね!」
私は踵を返した。
その瞬間。
「グオオオオオッ!」
「ひゃあああああっ!?」
魔物が吠えた。そして、突進してきた。
「ちょっ、待って待って待ってぇぇぇっ!」
私は必死に走った。後ろを振り返る余裕なんてない。
ドドドドドッ!
地面が揺れる。足音が近づいてくる。
「速い速い速いっ! 何なのあれぇっ!?」
あっという間に距離を詰められた。横目に見えた巨大な影に、私は思わず悲鳴を上げる。
「いやぁぁぁっ!」
振り向きざまに飛び退く。直後、魔物の前脚が地面を叩いた。
ドゴォンッ!
土と草が派手に舞い上がった。
……うそでしょ。
今のを食らっていたら、どうなっていた? 考えたくもない。
私は荒い息を吐きながら、魔物と向かい合った。いや、正確には向かい合うしかなかった。後ろは木々が密集している。逃げようにも、相手の巨体なら木をなぎ倒して追ってきそうだ。
それに、私はまだ走れる。
健康な身体を手に入れたばかりなのだ。ここで簡単にやられるわけにはいかない。
「……落ち着け、私」
自分に言い聞かせる。
相手は大きい。力も強い。爪や牙だってある。まともに攻撃を受けたら、一発で終わるだろう。
なら、どうする?
私は魔物の動きを観察した。前脚が地面につくたび、巨体が大きく揺れる。突進の直前には頭が低くなり、勢いをつけるために後ろ脚へ体重が乗る。
……なるほど。
「意外と、分かりやすい?」
いや、そんなことを言っている場合じゃない。
私は拳を構えた。
ボクシング。前世で私が生きるために身につけた技術だ。
ボクシングは、ただ拳を相手に当てればいいというものじゃない。相手との距離を測り、攻撃を避け、隙を見つける。足を使って位置を変え、自分に有利な距離で戦う。相手の得意な距離で戦わず、自分の得意な距離に持ち込む。
そして、私が最も得意としていたのが――インファイトだった。
相手の懐へ潜り込み、近距離で打ち合う戦い方。リーチの長い相手には懐へ入り、長い腕を振り回しにくい距離で攻撃する。近づくまでが難しいけれど、そこまで入ってしまえば、こちらにも勝機が生まれる。
もちろん、相手が人間なら、という話だけど。
「……やるしかないか」
魔物が前脚を振り上げた。
来る!
私は横へ跳んだ。
ドゴォンッ!
地面が砕ける。
すぐさま反対側へ踏み込んだ。魔物の身体の横。攻撃を終えたばかりで、体勢が崩れている。
今しかない。
「せぇいっ!」
私は拳を握り、魔物の脇腹へ打ち込んだ。
ドスッ!
……硬い。
「いったぁっ!?」
拳がじんじんと痺れた。
何これ!? 毛皮の下、筋肉が分厚すぎる! 人間の身体とはまるで違う。普通に殴っても、こっちの拳が壊れそうだ。
魔物が唸り、身体をひねった。
「わっ!」
私は慌てて後ろへ飛び退いた。危なかった。今の一撃で倒せるなんて、もちろん思っていなかった。けれど、ここまで硬いとは予想外だ。
正面から殴り合うのは無理。
なら、もっと工夫するしかない。
私は一度距離を取り、拳を握り直した。
前世でも、体格の大きな相手と戦うことはあった。リーチが長く、パンチが重い相手。真正面から打ち合えば、こちらが不利になる。だからこそ、私は相手の懐へ潜り込む技術を磨いてきた。
相手が腕を伸ばした瞬間に頭を外へずらす。肩の動きを見てパンチを避け、踏み込む。攻撃をもらわずに近づき、相手が力を発揮しにくい距離で拳を打ち込む。
そして、私の得意技はもう一つ。
ボディーブロー。
腹部へのパンチだ。
人間なら、腹に強い一撃を受ければ呼吸が乱れ、動きが鈍ることがある。顔面へのパンチほど派手ではないけれど、相手の体力を削り、戦う力を奪うための重要な技術だ。
ただし、魔物にも同じことが通用するとは限らない。
「……試すしかないよね」
魔物が再び吠えた。今度は、私も逃げなかった。
相手が突進してくる。私はぎりぎりまで引きつけ、地面を蹴った。
巨体が迫る。あと少し。もう少しだけ。
魔物が前脚を振り上げた瞬間、私は身体を横へ滑らせた。風圧が頬をかすめる。そのまま懐へ潜り込む。
「ここっ!」
左の拳を、魔物の脇腹へ打ち込んだ。
ドスッ!
すぐに右。
ドゴッ!
さらに左。
ドスッ!
連続したボディーブロー。
人間相手なら、一発ごとに呼吸や姿勢を崩させることを狙う。でも、こいつは違う。毛皮も筋肉も厚い。拳を当てても、手応えが浅い。
それでも、打ち続けた。
一発で倒れないなら、何発でも打つ。
相手が大きいなら、そのぶん動きを観察する。拳が通じないなら、通じる場所を探す。前世の私は、そうやって勝ち続けてきた。
「まだまだぁっ!」
右、左、右。
魔物が身体をひねり、私を振り払おうとする。私はすぐに頭を振り、その動きに合わせて足を踏み替えた。
インファイトの強みは、ただ近づいて殴ることじゃない。相手の動きに合わせて位置を変え、攻撃を避けながら自分のパンチを当て続けることだ。
もちろん、相手が熊のような魔物だなんて初めてだけど!
「ちょっとくらい、効いてよぉっ!」
私は最後に、身体をひねって右拳を突き込んだ。
今までよりも深く。魔物の脇腹、その奥へ。
ドゴンッ!
「グオオオオオッ!?」
魔物が大きく吠えた。そして、よろめいた。
……効いた!
何が決め手になったのかは分からない。けれど、確かに今の一撃で動きが鈍った。
私はすぐに距離を取った。追撃はしない。相手の反撃が届く場所に居続けるのは危険だ。まずは様子を見る。
魔物は荒い息を吐きながら、こちらを睨んでいた。その腹部が、わずかに上下している。
「……そっか」
私は小さく呟いた。
こいつも生き物だ。どれだけ大きくても、どれだけ頑丈でも、身体の構造がまるで違うとは限らない。なら、狙う場所を変えればいい。
私はもう一度、拳を構えた。
今度は魔物の動きが少し遅くなっている。突進してくる魔物を横へ避け、前脚が地面を叩いた瞬間に踏み込む。左、右、左。脇腹へ拳を打ち込む。
魔物が身体をよじる。私は頭を引いて爪をかわし、空いた場所へ潜り込んだ。
「これで――!」
腰を回し、右拳を振り抜いた。
ドゴォッ!
魔物の巨体がぐらりと傾いた。
「グ……オ……」
膝が地面につく。私は拳を構えたまま、息を止めた。
倒れる?
それとも、まだ動く?
魔物は何度か身体を揺らしたあと、ついに横倒しになった。
ドスンッ!
地面が揺れた。
静かになった森の中で、私はしばらく動けなかった。
倒した。本当に? あの巨大な魔物を?
「…………勝った?」
返事はない。
「……勝ったぁぁぁぁっ!」
私は両手を突き上げた。
「やった! やったよ! 私、勝った! 熊みたいな魔物に勝ったぁっ!」
嬉しかった。とにかく嬉しかった。
前世では、どんなに練習しても、身体の調子が悪ければ思うように動けなかった。試合に勝てた日でさえ、帰り道には疲れ果てていたこともある。
それが今はどうだろう。魔物と戦って、あれだけ動き回ったのに、まだ立っていられる。もちろん疲れてはいる。でも、胸は痛くない。
私は胸に手を当てた。
ドクン、ドクン。
心臓が動いている。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。神様なのか、この身体なのか。それとも、もう一度生きる機会をくれた何かに向けてなのか。ただ、言わずにはいられなかった。
「……私、今度こそ生きるからね」
そう呟いてから、私はふと気づいた。
「……あれ?」
身体が、妙に涼しい。
いや、涼しいというか……風が直接、肌に当たっているような。
私はゆっくりと、自分の身体を見下ろした。
そして。
「………………え?」
固まった。
もう一度、見下ろす。
見間違いじゃない。
服がない。
一枚も。
「………………は?」
私は自分の腕を見た。脚を見た。お腹を見た。そして、慌てて両手で身体を隠した。
「い、いやいやいやいやっ!?」
声が裏返った。
「な、なんで!? なんで裸なの!? 私、いつ脱いだの!? 脱いでないよね!? そもそも服なんて着てなかったっけ!?」
思い返してみる。
前世の記憶。病院。リング。死。森。
……そういえば。
転生してから、自分の身体が健康なことに夢中で、服のことなんてまったく気にしていなかった。
というか、気づかなかった。
「うそでしょぉぉぉっ!?」
私はその場にしゃがみ込んだ。
恥ずかしい。
いや、誰も見ていない。周りには木しかない。さっきの魔物だって倒れているだけだ。
だから大丈夫。
大丈夫……だよね?
「……うぅ」
顔が熱い。誰かに見られたわけでもないのに、穴があったら入りたい。そもそも、どうして裸なんだろう。転生するときって、普通は服くらい一緒についてくるものじゃないの?
いや、普通が何なのかは知らないけど!
「神様ぁっ! いるなら説明してよぉっ!」
森に私の叫び声が響いた。当然、返事はなかった。
「……もうっ!」
私は頬を膨らませた。
とりあえず、服を探さなければ。葉っぱでも、布でも、なんなら魔物の毛皮でもいい。とにかく、この状況をどうにかしなければ!
「あ、あの……」
そのとき、背後から声がした。
「…………え?」
私は凍りついた。
今の、誰?
聞き間違い? いや、絶対に誰かの声だった。
恐る恐る振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
赤い髪。尖った耳。整った顔立ち。私と同じ、エルフだ。青年は片手に弓を持ち、倒れた魔物と私を交互に見ていた。
そして、戸惑ったように口を開いた。
「……あの、君がこれを倒したの?」
「…………」
私は答えられなかった。
だって。
だって、そんなことより。
「………………っ!」
私は勢いよく両手で顔を覆った。
「きゃああああああああっ!!」
森に、今日一番の悲鳴が響き渡った。
「えっ!? あっ、ご、ごめん! 僕、何もするつもりは……!」
青年が慌てて背を向ける。
「見たぁぁぁっ! 今、絶対見たでしょぉぉぉっ!」
「い、いや、その……目の前にいたから、少しだけ……!」
「言い訳しないでぇぇぇっ!」
「ご、ごめん! 本当にごめん!」
青年の声も、だんだん悲鳴じみてきた。
……ごめんなさい。
でも、仕方ないじゃない!
転生して早々、魔物と戦って、裸のまま知らない男の人に遭遇するなんて、誰が想像できるの!?
私は顔を真っ赤にしながら、周囲を見回した。
服。何でもいいから服!
葉っぱでも、布でも、なんなら魔物の毛皮でもいい!
とにかく、この状況をどうにかしなければ!
「あ、あの……これ、使ってくれる?」
青年が、背を向けたまま口を開いた。
「僕の上着なんだけど……。その、よかったら着て。僕はあっちを向いているから」
そう言って、何かを後ろへ差し出した。
上着だった。
私はそれをひったくるように受け取ると、慌てて身体に巻きつけた。
「…………」
着た。
服を着た。
助かった。
私はその場にへたり込んだ。
「よかったぁ……」
心の底から安堵した。
青年がゆっくりと振り返る。今度はちゃんと服を着ている。いや、上着を巻きつけただけだけど。それでも、さっきよりはずっとマシだ。
青年は私を見て、ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった。少しは落ち着いたかな?」
「…………」
私は顔を上げた。
「……今のこと、忘れて」
「えっ? あ、うん……できるだけ、そうするよ」
「できるだけ!?」
「ご、ごめん! 忘れる! 絶対に忘れるから!」
青年は慌てて両手を上げた。
私は膝を抱え、顔を埋めた。
……もう嫌だ。
魔物を倒したときは、あんなに格好よく決められたのに。どうしてこうなった。
転生初日。熊型の魔物を撃破。その直後、全裸でエルフの青年と遭遇。
……うん。
最悪だ。
「……帰りたい」
ぽつりと呟く。
「えっ……どこに?」
「……何でもない」
前世には戻りたくない。でも、せめて服を着てから人と出会いたかった。
私は上着の裾をぎゅっと握りしめた。その横で、青年が倒れた魔物を見て、改めて驚いたように呟く。
「でも、本当に君が倒したんだよね? あの魔物を……すごいな。僕だったら、逃げることしかできなかったと思う」
「…………」
私は顔を上げた。
そうだ。この人は誰なんだろう。そして、ここはどこなのだろう。聞きたいことは山ほどある。
……あるのだけれど。
「……その前に」
私は青年をじっと見つめた。
「服、貸してくれてありがとう」
「あっ、うん。どういたしまして。僕の服でよければ、いくらでも使ってくれていいから」
青年は少し照れくさそうに笑った。
「僕はレオン。君の名前を聞いてもいいかな?」
私は少し考えた。
前世の名前を名乗るべきなのだろうか。それとも、この身体には別の名前があるのだろうか。
……分からない。
でも、名前くらいは自分で名乗ってもいいはずだ。
私は小さく息を吸った。
「私の名前は――」
そうして、私は新しい世界で初めて、誰かと向き合った。
もっとも、そのときの私の頭の中は、魔法や魔物や異世界のことよりも、
『この人、あとで絶対に裸のことを思い出すんじゃないかな』
という不安でいっぱいだったのだけれど。