「私の名前は、リリア! 今度こそ健康に生きる、病気知らずのインファイター!」
胸を張ってそう名乗る。レオンから借りた服は少し大きく、袖が手の先まですっぽりと隠れてしまっていた。
レオンは一瞬きょとんとしたあと、少し照れくさそうにはにかんだ。けれど、すぐに私から視線をそらす。
……あれ? なんだか顔が赤くない?
熊の魔物を倒したあとの出来事。私もそれを思い出すと、急に恥ずかしくなってきた。
「えっと……よろしくね、レオン!」
「は、はい!リリアさん、よろしくお願いします!」
お互いに顔を赤くしたまま、ぎこちなく挨拶を交わした。
……うう、なんだか変な感じ!
元気よく返事をしたレオンを見て、私は首を傾げた。
「……ねえ、なんで敬語なの?」
「えっ?」
「森で会った時は普通に話してたじゃん」
「そ、そんなことないですよ!最初から敬語でした!」
「嘘だ!絶対違うもん!」
「ち、違わないです!」
レオンはむきになって言い返したあと、はっとしたように口を閉じた。
なんだか、子供っぽい。
私とそんなに年が離れているようには見えないのに、どうして急にかしこまってしまったんだろう。
「もう!敬語じゃなくていいのに!」
「で、でも……そういうわけにはいかないんです」
「むぅ……」
私は頬を膨らませた。
せっかく仲良くなれそうだと思ったのに、これじゃあ距離があるみたいで嫌だ。
「……まあ、いいけど」
「ありがとうございます!」
「なんでそこだけそんなに元気なの!?」
思わず声を上げると、レオンはきょとんとした顔をした。
なんだか調子が狂う子だ。
私はため息をつきながら、遠くに見える大きな城を指さした。
「あのお城に行くんだよね?」
「はい。あそこが僕たちの住んでいる場所です」
「へえ。あんな大きなお城に住んでるんだ」
「えっと、そうですね。お城の中に住んでます」
「お城に住んでるのすごいなぁ」
「いや、僕は全然すごくないですよ」
レオンは困ったように笑った。
それにしても、本当に大きなお城だ。森の中から見えていた時も大きいと思ったけれど、近づくにつれて、その大きさがよく分かる。
あんな場所に人が住んでいるなんて、前世では考えられなかった。
いや、そもそもここは異世界なんだろうけど。
「ところで、レオン。この熊、どうするの?」
私は背負っている魔物を揺らした。
大きくて重いけれど、運べないほどじゃない。前世の私だったら、こんなことは絶対にできなかっただろう。
健康な身体って、最高だ!
「お城まで運ぶつもりです。でも、重くないですか?僕が代わりに持ちますよ」
「大丈夫!私が倒したんだから、私が運ぶ!」
「そ、そうですか……。でも、疲れたらすぐに言ってくださいね?」
「うん!」
レオンは心配そうに私を見ていたけれど、私は気にせず歩き出した。
早くお城を見てみたい。それに、これからどんな生活が待っているのか、楽しみで仕方がなかった。
やがて森が開け、目の前に大きな町が広がった。
石造りの建物が並び、道にはたくさんの人が行き交っている。よく見ると、みんな私と同じように長く尖った耳を持っていた。
「わあ……!ここって、エルフの町?」
「はい、そうです」
やっぱり!
私もエルフに転生したんだ。
町の人たちはレオンの姿を見つけると、次々に頭を下げた。
「レオン様、お帰りなさいませ」
「ご無事で何よりです、レオン様」
「……レオン様?」
私は隣を歩くレオンを見つめた。
「ねえ、レオン。みんな、あなたのことを様付けで呼んでるけど」
「あっ……」
「もしかして、偉い人なの?」
「い、いえ。そんなに偉くないですよ」
「でも、レオン様って呼ばれてるよ?」
「そ、それは……家の事情というものがありまして」
レオンは少し慌てた様子で答えた。
何か隠している気がする。
でも、無理に聞くのも悪いし、今は黙っておこう。
私たちは町を抜け、大きな門をくぐった。門の向こうには、立派な城がそびえ立っている。壁は高く、入口には武装したエルフたちが立っていた。
本当にお城だ!
私はきょろきょろと辺りを見回しながら、レオンの後についていった。
通されたのは、広々とした部屋だった。奥には二人の男性がいる。一人は落ち着いた身なりの年配の男性。もう一人はレオンより少し年上に見える青年で、赤みがかった髪をしていた。
「父上、兄上。ただいま戻りました」
「おお、レオン。帰ったか」
青年が笑顔で手を振った。
「お帰り、レオン。森に行くって聞いていたから、少し心配していたんだぞ」
「すみません、兄上。ちょっと色々ありまして……」
「色々?」
青年が私の背負っている熊の魔物を見て、目を丸くした。
「そいつは一角熊じゃないか。どうしたんだ?」
「それが、リリアさんが倒したんです」
「えっ、この子が?」
青年は驚いた顔で私を見た。
その一方で、父親らしき男性は眉をひそめていた。
「この娘が倒しただと?」
低い声だった。
「はい、父上。リリアさんが倒したんです!」
レオンは力強く頷いた。
レオンの父は熊の魔物を眺め、それから私へ視線を戻した。まるで、私が何か悪いことでもしたかのような目だった。
「ふむ……。今は冬眠の時期だ。冬眠中の魔物が弱っていたところを、運よく仕留めたのだろう」
「ですが、父上。リリアさんは素手で……!」
「レオン。お前は倒した瞬間を見ていたのか?」
「そ、それは……」
「見ていないのなら、何があったか正確には分からないはずだ。まさか、見知らぬ娘の言葉をそのまま信じたわけではあるまい?」
「リリアさんは嘘なんかつきません!」
「ほう。ずいぶんと信頼しているのだな。つい先ほど知り合ったばかりだというのに」
レオンの父は薄く笑った。
「お前は昔から他人の言うことを信じすぎる。もう少し人を見る目を養った方がいいぞ」
「うっ……。す、すみません」
レオンは悔しそうに俯いた。
レオンの父は今度は私に目を向けた。
「まあ、幼い娘が無事に帰ってこられたのは幸運だったな。自分の力を過信して、次は命を落とすことのないように」
心配しているような言い方だった。
けれど、その目は少しも笑っていなかった。
私が何かを成し遂げたことを、最初から認めるつもりがない。そんなふうに感じた。
「……はい」
私は短く答えた。
別に褒めてほしかったわけじゃない。でも、初対面でそんな言い方をしなくてもいいと思う。
「私はアルベルト。この城の主だ」
アルベルトは名乗ると、すぐに視線をそらした。
「こちらは長男のルークだ。まあ、お前が今後関わることもあるだろう」
「俺はルーク。よろしくな、リリア」
兄のルークは、アルベルトとは違って気さくに笑いかけてくれた。
「はい!よろしくお願いします、ルークさん!」
「ははっ、そんなにかしこまらなくていいぞ」
優しそうな人でよかった。
私はほっと胸を撫で下ろした。
ところが、続いてアルベルトから尋ねられた質問に、私は困ってしまった。
「リリア、お前はどこの家の者だ?」
「えっと……」
どこの家と言われても、答えようがない。
私はこの世界のことを何も知らないし、自分がどこで生まれたのかすら分からないのだ。
「その……遠くから来ました!」
「遠く?」
「はい!すっごく遠くです!」
自分でもひどい答えだと思う。
ルークは不思議そうに首を傾げたけれど、それ以上は追及してこなかった。
一方、アルベルトは露骨にため息をついた。
「つまり、帰る場所もなく、身元もはっきりしないということか」
「……はい」
「ずいぶんと厄介な娘を拾ったものだな、レオン」
「父上!そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!」
レオンがすぐに反論した。
「リリアさんは何も悪いことをしていません。素性が分からないからって、そんな言い方をする必要はないでしょう!」
「お前は黙っていなさい」
「うっ……」
アルベルトに睨まれ、レオンは悔しそうに口を閉じた。
私は思わず俯いた。
せっかく新しい人生を手に入れたのに、また居場所がないのかな。
前世でも、私は病気になって家族に見捨てられた。生きるために必死で拳を振るって、ようやく手に入れた時間も、最後には失ってしまった。
今度こそ、誰よりも健康に生きる。
そう決めたばかりなのに。
「……父上、俺から提案があるんだが」
沈黙を破ったのは、ルークだった。
「なんだ?」
「リリアを、うちのメイドとして雇うのはどうだ?」
「メイドだと?」
「住む場所と食事を用意できるし、本人も働ける。身元が分からなくて怪しいというなら、しばらく俺の目の届くところに置いておけばいいだろう?」
アルベルトはしばらく考え込んだあと、私を見た。
「お前が責任を持つというのなら、好きにしろ。ただし、城で働く以上、相応の働きはしてもらう。役に立たない者を養う余裕はないからな」
「分かった。ありがとう、父上」
ルークはそう言うと、私に向き直った。
「リリア、どうだ?メイドの仕事をする気はあるか?」
メイド。
住む場所に、食事。それに仕事があるなら、お金だって稼げるかもしれない。
何より、これからどうやって生きていけばいいのか分からなかった私にとって、願ってもない話だった。
「やります!ぜひ、働かせてください!」
思わず身を乗り出して答えてしまった。
ルークは楽しそうに笑った。
「ははっ、いい返事だ。じゃあ、詳しいことはあとで説明するよ」
「ありがとうございます、ルークさん!」
「ルークでいい。そんなにかしこまらなくていいからな」
「はい!ルーク!」
「よし、それでいい」
そのやり取りを見ていたレオンが、なぜか少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「……兄上、リリアさんにはずいぶん優しいんですね」
「ん?なんだ、レオン。お前も優しくしてやればいいだろ?」
「ぼ、僕は十分優しくしています!」
「そうか?さっきからずっと敬語じゃないか」
「そ、それは……」
レオンは言葉に詰まった。
私は思わず笑ってしまった。
「そうだよ!森で会った時は普通に話してたのに!」
「リリアさんまで!?」
「だって、本当のことだもん」
「うぅ……。そ、それは森だったからです」
「どういうこと!?」
「と、とにかく!今はこっちの方がいいんです!」
顔を赤くして言い張るレオンに、ルークは声を上げて笑った。
「はははっ。なんだ、レオン。お前、そんなに慌てることもあるんだな」
「兄上、笑わないでください」
「悪い悪い」
そう言いながらも、ルークはまだ笑っていた。
私はそんな二人を見て、また笑った。
さっきまで緊張していたのが嘘みたいだ。
もちろん、アルベルトのことは少し苦手だ。あの目も、あの言い方も、できればもう向けられたくない。
それでも、今は住む場所ができた。
私は誰よりも健康に生きると決めたのだ。
もう、病気に怯えることもない。身体が動かなくなる恐怖に震えることもない。
だから、これからは前を向いて生きていこう。
この世界で、思いっきり。
その後、ルークはメイドを呼び、私の身の回りのことを頼んでくれた。
お城の中を案内してもらいながら、これから暮らす部屋へと向かう。廊下は広く、壁には綺麗な絵が飾られていた。歩いているだけで、なんだか別世界に来たような気分になる。
「ここがリリアの部屋だ。着替えも用意してあるから、まずはそっちに着替えてみるといい」
案内してくれたメイドが、一着の服を差し出した。
黒いスカートに白いエプロン。頭には小さなカチューシャもついている。
「これが、メイド服……!」
前世でも、メイド服を着る機会なんてなかった。まさか異世界に転生して、初めて着ることになるなんて。
私はさっそく着替えることにした。
しばらくして、姿見の前に立つ。
そこには、いつもと違う自分が映っていた。
「……おお」
思わず声が漏れる。
黒いスカートに白いエプロン。長い耳がぴょこんと飛び出しているのも、なんだかエルフらしくて悪くない。
スカートの裾をつまんで、くるりと回ってみた。ふわりと広がるスカートが、なんだか新鮮だった。
「私、結構似合ってるんじゃない?」
そんなことを考えていると、部屋に入ってきたレオンと目が合った。
「どうかな?」
「えっ……か、可愛いと思います」
レオンは顔を赤くして、慌てて目をそらした。
「ふふっ、ありがと!」
私は笑いながら、もう一度姿見に目を向ける。
うん。悪くない。むしろ、かなり気に入った。
よし、可愛い服着て、一生懸命お仕事頑張るぞ!
――こうして、元病弱エルフのメイド生活が始まった。