その日の放課後。
私は、昇降口で悠人君を待っていた。
一緒に帰る約束をしていたのだ。
教室から出てくる人の流れを眺めながら、私は鞄の持ち手を握り直した。
今日、彼に話そう。
朝のこと。
ノートのこと。
優香のこと。
今までだったら、たぶん話さなかったと思う。
心配をかけたくない。
面倒だと思われたくない。
そんなことを考えて、結局は自分一人で抱え込んでしまう。
でも、昨日、彼は言ってくれた。
何かあったら言ってほしい、と。
なら、少しくらい頼ってもいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、悠人君がやってきた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
本当は、少し前から待っていた。
けれど、こういうときは、そう答えるものなのだろう。
二人で校門を出る。
帰り道は、いつもと同じだった。
駅まで歩いて、途中の交差点を曲がって。
けれど、今日は少しだけ話しにくかった。
「……悠人君」
「ん?」
「あのさ……」
私は、言葉を探した。
「最近、ちょっと……嫌なことがあって」
彼は、すぐにこちらを向いた。
「嫌なこと?」
「……うん」
私は、鞄の中からノートを取り出した。
表紙に書かれた文字を見せる。
悠人君は、一瞬だけ黙った。
そして、眉をひそめた。
「……これ、誰が?」
「わからない」
「いつから?」
「今日の朝、教室に入ったら……」
言いながら、少しだけ声が小さくなった。
「……でも、たぶん、優香たちだと思う」
彼は、ノートを見つめたまま黙っていた。
怒っているのだと思った。
けれど、何に怒っているのかはわからなかった。
私に対してではない。
きっと、こんなことをする人たちに対してだ。
「……ごめんね」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
「……え?」
悠人君は、驚いたように私を見た。
「どうして謝るの?」
「だって……」
私は、ノートを握りしめた。
「私が、ちゃんとしてないから……。もっと普通だったら、こんなことにならなかったのかもしれないし……」
言いながら、自分でも嫌になった。
何を言っているのだろう。
自分がされたことなのに。
どうして、自分が悪いのだと思ってしまうのだろう。
でも、そう考えなければ、どうにもならなかった。
優香が悪い。
周りが悪い。
そう思うだけでは、明日も同じことが続くという現実を受け止められない気がした。
だから、いつの間にか、自分の方を責めるようになっていたのだ。
悠人君は、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かな声で言った。
「……魔理沙さん」
「……うん」
「それ、魔理沙さんが謝ることじゃないよ」
私は、顔を上げた。
「……でも」
「名前も、髪の色も、何も悪くないでしょ」
彼は、真っすぐに私を見ていた。
「誰かが気に入らないからって、こんなことをしていい理由にはならないよ」
「……」
「俺、こういうのは本当に嫌だ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
うれしかった。
自分のことを、ちゃんと見てくれている。
私が悪いわけではないと、言ってくれる人がいる。
それだけで、心が少し軽くなった。
でも、同時に、怖くなった。
「……悠人君」
「うん?」
「……あんまり、私のことで怒らないで」
自分でも、変なことを言っていると思う。
けれど、本心だった。
彼にまで嫌な思いをしてほしくなかった。
「私、こういうのには慣れてるから……。悠人君まで、何か言われたら嫌だし」
そう言うと、彼は少しだけ困ったような顔をした。
「……慣れてるって、言わないでほしいな」
「……え?」
「本当は、慣れなくていいことだと思うから」
その言葉に、私は何も言えなかった。
彼は、私の手を取った。
「でも、わかった。俺も、魔理沙さんが嫌がるようなことはしないようにする」
「……うん」
「ただ、何かあったら教えてほしい。何も知らないままだと、俺もどうしたらいいかわからないから」
私は、小さく頷いた。
「……わかった」
その返事は、今までよりも少しだけ素直なものになった。
この人に頼ってもいいのかもしれない。
そう思えた。