翌週の月曜日。
三時間目は、班ごとに分かれて行う授業だった。
先生が黒板に課題を書き、私たちは机を動かしてグループを作る。
私は、同じ班の女子三人に声をかけた。
「……あの、これ、どう分担する?」
一人が、こちらを見た。
「……ああ、そうだね」
そう答えたあと、彼女は隣の女子に向き直った。
「ねえ、これってどうする?」
私の方を見ようとはしなかった。
もう一人も、話に加わる。
三人で話が進んでいく。
私は、その場に立ったまま、しばらく待っていた。
……あれ?
私も、同じ班なのだけれど。
「……あの」
もう一度、声をかける。
すると、一人が面倒くさそうに振り返った。
「何?」
「私、何をすればいいかなって……」
「あー……じゃあ、適当にまとめといて」
それだけ言うと、彼女は再び隣の子との会話に戻った。
適当に。
何を。
どこまで。
聞きたいことはいくつもあった。
けれど、もう一度尋ねる勇気はなかった。
私は、渡された資料を見つめた。
何かを調べて、まとめればいいのだろう。
そう思って作業を始めた。
授業の終わりが近づいた頃、班の一人が先生のところへ発表用の資料を持っていった。
私は、自分がまとめたものを渡そうとした。
「あ、これも……」
「え? もういいよ」
彼女は、私の手元を見て、少しだけ笑った。
「何か、よくわからなかったし」
「……え?」
「別に、いいから」
彼女は、私の資料を受け取ろうとしなかった。
そのまま、先生のところへ行ってしまった。
私は、手元の紙を見つめた。
一生懸命まとめたものだった。
少しでも役に立てばと思って。
けれど、必要なかったらしい。
……まあ、いいか。
私は、その紙を鞄にしまった。
そのとき、後ろから小さな声が聞こえた。
「……何か、かわいそう」
誰かが言った。
「でも、関わらない方がいいよ」
別の誰かが答えた。
私は、聞こえなかったふりをした。
そうするしかなかった。
*
昼休み。
私は、玲夢と一緒に校舎裏のベンチに座っていた。
彼女は、私が話し終えるまで黙って聞いていた。
「……そんなことがあったの」
「うん」
「……本当に、腹が立つ」
玲夢は、握っていたペットボトルを机に置いた。
「アンタが何をしたっていうのよ」
「……何もしてないよ」
「そうでしょ?」
彼女は、少しだけ声を荒らげた。
「何もしてない人が、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのよ」
私は、答えられなかった。
本当に、そのとおりだったから。
「……先生には言った?」
「……ううん」
「言わなきゃ駄目よ」
「でも……」
「でも、じゃない」
玲夢は、私を見つめた。
「先生が何もしないかもしれない。でも、何も言わなかったら、何も起きなかったことにされるだけでしょ」
その言葉に、私は少しだけ息を詰めた。
何も起きなかったことにされる。
それは、ずっと私が恐れていたことだった。
ノートに落書きされても、何も言わない。
嫌なことをされても、黙っている。
そうすれば、誰にも知られずに済む。
誰にも迷惑をかけずに済む。
そう思っていた。
けれど、何も言わなければ、本当に何もなかったことにされてしまうのだ。
「……わかった」
私は、小さく頷いた。
「……今度、何かあったら、先生に言ってみる」
玲夢は、少しだけ表情を和らげた。
「うん。それでいいのよ」
そう言って、私の肩を軽く叩いた。
「それと、悠人君にもちゃんと話しなさいよ」
「……うん」
「一人で抱え込まないこと。約束」
「……約束する」
そう答えると、玲夢はようやく笑った。
「よし」
その笑顔を見て、私も少しだけ笑った。
この子がいてくれる。
それだけで、まだ頑張れる気がした。
*
その週の金曜日。
放課後の廊下で、私は優香に呼び止められた。
「ねえ、霧雨さん」
振り返ると、彼女は友達数人と一緒に立っていた。
いつもどおり、きれいに整えられた髪。
いつもどおり、余裕のある笑顔。
「……何?」
「ちょっと、話があるんだけど」
嫌な予感がした。
けれど、断れば、それはそれで何か言われるのだろう。
私は、黙って立ち止まった。
優香は、私の顔を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「朝倉君と、付き合ってるんだって?」
「……うん」
私は、できるだけ平静を装って答えた。
優香は、くすりと笑った。
「へえ。意外」
「……そう?」
「だって、霧雨さんって、そういうのとは縁がないと思ってたから」
周囲の女子が、小さく笑った。
私は、何も言わなかった。
「……ねえ」
優香が、一歩近づいてきた。
「朝倉君って、優しいもんね」
「……」
「誰にでも親切だし、困ってる人がいたら放っておけないし」
彼女は、そこで少しだけ首を傾げた。
「……だから、勘違いしちゃったの?」
心臓が、嫌な音を立てた。
「……勘違いって、何?」
「だって、そうじゃない?」
優香は、笑ったままだった。
「朝倉君って、霧雨さんのことをかわいそうだと思ってるだけかもしれないじゃない」
私は、息を止めた。
それは、私自身が何度も考えてきたことだった。
誰にも話していないはずの、不安。
それを、どうしてこの人が。
「……」
「もしかして、本気で自分のこと好きだと思ってる?」
彼女の声は、ひどく優しかった。
だからこそ、余計に怖かった。
「……私には、関係ないよ」
ようやく、それだけ答えた。
優香は、少しだけ目を細めた。
「ふうん」
しばらく私を見つめたあと、彼女は肩をすくめた。
「まあ、いいけど」
そして、私の横を通り過ぎようとした。
そのとき、彼女が小さく言った。
「……身の程くらい、わきまえた方がいいと思うけどね」
足が止まりかけた。
けれど、私は振り返らなかった。
振り返ってしまえば、何か言い返してしまうかもしれない。
泣いてしまうかもしれない。
だから、何も言わずに歩き続けた。
廊下の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
その光は、いつもと同じようにきれいだった。
なのに、どうしてだろう。
今日は、少しだけ眩しすぎる気がした。