九月に入って、学校では宿泊学習の話が持ち上がった。
三年生最後の大きな学校行事。
自然に囲まれた施設に泊まり、班ごとに森を歩いたり、野外活動をしたりするらしい。
教室では、その話題で持ちきりだった。
「ねえ、宿泊学習って、どこ行くんだっけ?」
「県の自然研修センターだって」
「森があるところ?」
「そうそう。ハイキングとかするらしいよ」
みんな、楽しそうに話していた。
私は、配られた資料に目を落とした。
宿泊施設の写真。
森の中を歩く生徒たち。
広い敷地の地図。
確かに、自然が多くて、気持ちよさそうな場所だった。
……みんなと一緒に泊まるのか。
そう考えると、少しだけ不安になった。
学校にいるだけでも、毎日いろいろなことがある。
まして、普段とは違う場所で、長い時間一緒に過ごすのだ。
何かあったら、どうしよう。
そんなことを考えていると、前の席から声がした。
「魔理沙さん」
顔を上げる。
悠人君だった。
「宿泊学習、楽しみだね」
「……うん」
私は、少しだけ笑った。
「そうだね」
彼は、私の表情を見て、首を傾げた。
「……あれ、あんまり楽しみじゃない?」
「えっ?」
「何か、ちょっと不安そうだったから」
……どうして、そんなことまでわかるのだろう。
私は、少しだけ迷ったあと、正直に答えた。
「……ちょっとだけね」
「そっか」
彼は、それ以上深く聞かなかった。
ただ、少しだけ声を落として言った。
「……でも、俺もいるから」
その言葉に、胸が温かくなった。
そうだ。
悠人君もいる。
玲夢もいる。
何かあったら、きっと相談できる。
今までと同じように。
私は、小さく頷いた。
「……うん。ありがとう」
彼は、いつものように笑った。
*
その日の放課後、班分けが行われた。
宿泊学習では、森の中を歩く活動や、施設の周辺で行う課題があるらしい。
班ごとに行動する時間も多くなるという。
先生が、黒板に名前を書きながら説明をしていた。
私は、自分の班が発表されるのを待っていた。
できれば、玲夢と同じ班になれたらいい。
でも、クラスが違う以上、それは難しいだろう。
悠人君と同じ班になれたら、それはそれでうれしい。
けれど、そうなったら、また何か言われるかもしれない。
……何を考えているのだろう。
せっかくの宿泊学習なのに、始まる前から不安になってばかりだ。
先生が、最後の班の名前を読み上げた。
「……以上だ。班を確認して、何かあれば申し出るように」
教室がざわつく。
私は、自分の班を確認した。
同じ班には、優香の取り巻きの女子が二人いた。
それから、ほとんど話したことのない男子が二人。
悠人君は、別の班だった。
……そっか。
少しだけ残念だった。
けれど、仕方がない。
班分けは先生が決めたことなのだから。
そう思っていると、優香がこちらを見ていることに気づいた。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、目が合うと、少しだけ口元を緩めた。
その笑い方が、なぜか気になった。
何かを知っているような。
何かを企んでいるような。
そんな顔だった。
私は、すぐに視線を逸らした。
……気のせいだ。
きっと、考えすぎなのだろう。
そう思うことにした。
*
宿泊学習のしおりが配られたのは、その数日後だった。
活動予定が細かく書かれている。
施設での説明会。
班別の自然観察。
夕食。
夜のレクリエーション。
そして、翌朝の散策。
私は、しおりを眺めながら、森の地図を確認していた。
施設の敷地の外れには、少しだけ細い道が伸びている。
そこには、小さな林と、古い建物がいくつか描かれていた。
『……こんなところもあるんだ』
思わず呟く。
すぐに、隣の席の女子がこちらを見た。
「何?」
「……あ、いや。何でもない」
私は、しおりを閉じた。
その女子は、少しだけ笑った。
「……変なの」
そして、友達の方へ戻っていった。
私は、しおりを鞄にしまった。
宿泊学習まで、あと二週間。
それまでに、何事もなければいい。
みんなと一緒に、普通に過ごせればいい。
森を歩いて、みんなでご飯を食べて、夜には友達と話をして。
そんな、ありふれた思い出を作れたら。
それだけで十分だった。
私は、窓の外を眺めた。
空は、少しずつ秋の色に変わり始めていた。
夏の終わり。
そして、新しい季節。
私は、これから先の日々に、ほんの少しだけ期待していた。
……まだ、この時点では。
宿泊学習が、私の中でどんな意味を持つことになるのか。
何も知らなかったのだから。