その日の夜。
私は、玲夢の家にいた。
「……で、告白されたと」
玲夢は、机の上に置いたお菓子の袋を開けながら言った。
「……うん」
「それで、まだ返事してないのね?」
「……うん」
「はぁ……」
彼女は、これ見よがしにため息をついた。
「アンタ、ほんっとに考えすぎ」
「だ、だって仕方ないだろ!」
思わず声が大きくなる。
「いきなり、好きだなんて言われたんだぞ!? どうすればいいかなんて、わかるわけないじゃん!」
「はいはい。わかったわかった」
玲夢は苦笑しながら、私の頭を軽く叩いた。
「でも、嫌じゃなかったんでしょ?」
「……それは」
「嫌だったら、そんなに悩まないと思うけど?」
返す言葉がなかった。
そうなのだ。
嫌ではなかった。
むしろ、うれしかった。
どうしようもなく、うれしかった。
ただ、うれしいだけで決めてしまっていいのかがわからなかったのだ。
「……私さ」
ぽつりと口を開く。
「本当は、すごくうれしかったんだ」
玲夢は、黙って聞いてくれた。
「私のことを好きだって言ってくれる人がいるなんて、思ってなかったから……。しかも、それが朝倉君だなんて」
言葉にすると、また顔が熱くなった。
「……なんか、夢みたいだった」
「そっか」
玲夢は、少しだけ笑った。
「よかったじゃない」
「……でも」
「でも?」
「……怖いんだよ」
私は、膝の上で両手を握りしめた。
「私と付き合ったら、朝倉君もいじめられるかもしれない。私のせいで、嫌な思いをするかもしれない……」
「……」
「それに、もし付き合って、いつか別れることになったら……。今までみたいに話せなくなったら、どうしようって」
自分でも、何を言っているのかわからなくなっていた。
まだ付き合ってもいないのに、別れるときのことまで考えている。
本当に、嫌になる。
「……アンタさ」
玲夢は、少しだけ真面目な顔になった。
「まだ始まってもいないのに、終わるときの心配してどうするのよ」
「……」
「もちろん、付き合ったら嫌なこともあるかもしれないし、喧嘩だってするかもしれない。でも、そういうのって、実際に付き合ってみないとわからないでしょ?」
私は、黙って頷いた。
「それに、朝倉君はアンタがいじめられてることを知ってるんでしょ?」
「……うん」
「そのうえで告白してくれたんじゃないの?」
「……たぶん」
「だったら、アンタが勝手に相手の気持ちまで決めつけるのは違うと思うけど」
その言葉は、昼間にも聞いたような気がした。
私は、本当に同じところをぐるぐると回っているらしい。
「……ねえ、玲夢」
「ん?」
「何か、こう……。付き合うべきかどうか、占いとかでわからないかな」
口にした瞬間、玲夢が目を丸くした。
そして、次の瞬間には笑い出した。
「ぷっ……! あはははは!」
「な、何だよ!」
「いや、だって……アンタが占いって……!」
「いいだろ、別に!」
私は顔を真っ赤にした。
玲夢はしばらく笑っていたが、やがて机の引き出しを開けた。
「……まあ、ちょうどいいものがあるけど」
「えっ?」
彼女が取り出したのは、小さな箱だった。
中には、何枚かのカードが入っている。
「これ、前に買ったタロットカード。あんまり使ってないんだけどね」
「……タロット?」
「そう。占いといえば、こういうのじゃない?」
玲夢はカードを机の上に並べた。
「ただし、当たるかどうかは知らないわよ?」
「……それでもいい」
今の私には、少しでも何かを決めるきっかけがほしかった。
「じゃあ、質問を決めて」
「質問?」
「そう。何を占いたいの?」
私は、しばらく考えた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……朝倉君と、付き合った方がいいのかな」
玲夢は、少しだけ笑った。
「はいはい。じゃあ、そういうことで」
カードを切る音が、静かな部屋に響く。
一枚、二枚、三枚。
玲夢は、私にカードを引くように促した。
私は、恐る恐る一枚目を引いた。
それから二枚目、三枚目。
机の上に並べられたカードを、二人で覗き込む。
「……えっと」
玲夢がカードの意味を確かめるように、手元の小冊子を開いた。
「一枚目は、恋愛に対して前向きな気持ち……。二枚目は、不安や迷い。三枚目は……」
彼女は、少しだけ言葉を止めた。
「新しい関係が始まる可能性、だって」
「……え?」
「まあ、ざっくり言うとね」
玲夢は、小冊子を閉じた。
「悪くないんじゃない?」
私は、三枚のカードを見つめた。
本当に、この占いが当たるのかはわからない。
そもそも、カードの意味だって、引く人や解釈によって変わるのかもしれない。
でも。
新しい関係が始まる可能性。
その言葉が、どうしても頭から離れなかった。
「……ねえ、玲夢」
「ん?」
「もしさ……付き合ってみて、うまくいかなかったら、どうしよう」
玲夢は、少しだけ考えてから答えた。
「そのときは、そのときじゃない?」
「……え?」
「最初からうまくいくかどうかなんて、誰にもわからないでしょ。恋愛に限らず、何だってそうよ」
彼女は、私の目を見た。
「でも、やってみたいって思ったんでしょ?」
「……」
「だったら、やってみればいいじゃない」
あまりにも単純な答えだった。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがすっと軽くなった気がした。
私は、ずっと考えていた。
付き合ったらどうなるのか。
周りに何を言われるのか。
彼を傷つけないか。
いつか別れてしまわないか。
そればかりで、肝心なことを忘れていた。
私は、どうしたいのだろう。
……答えは、もう出ていたのかもしれない。
「……私」
口を開く。
「朝倉君と、付き合いたい」
言葉にした瞬間、顔が熱くなった。
それでも、不思議とさっきまでのような迷いはなかった。
玲夢は、一瞬だけ驚いた顔をした。
そして、満足そうに笑った。
「うん。それでいいんじゃない?」
「……いいのかな」
「だから、アンタがそうしたいんでしょ?」
「……うん」
私は、頷いた。
もう一度、机の上のカードを見る。
占いが当たるかどうかなんて、正直、よくわからない。
でも、今回だけは。
このカードが、私の背中を少しだけ押してくれたような気がした。
「……ありがとう、玲夢」
「はいはい。お礼は、彼氏ができてからにしてよね」
「なっ……!」
彼女は、いたずらっぽく笑った。
「だって、まだ付き合ってないんでしょ?」
「そ、そうだけど……!」
「じゃあ、明日ちゃんと返事しなさいよ」
「……うん」
私は、小さく頷いた。
明日。
朝倉君に会ったら、ちゃんと伝えよう。
私も、あなたのことが好きだと。
一緒にいたいと思っていると。
不安なことはたくさんある。
きっと、これからも悩むことはあるだろう。
それでも。
今度は、自分の気持ちから逃げたくなかった。
その夜、家に帰ってからも、なかなか眠ることができなかった。
ベッドの上で寝返りを打ち、枕元の時計を見る。
まだ、夜の十一時。
明日の朝まで、あと何時間あるのだろう。
そう考えていると、自然と頬が緩んでしまう。
……本当に、馬鹿みたいだ。
こんなにも、明日が待ち遠しいなんて。
私は枕に顔を埋めた。
「……好きだなあ」
誰もいない部屋で、小さく呟く。
その言葉は、夜の静けさに溶けていった。
明日、彼に会える。
そして、私の返事を伝えられる。
そのことが、どうしようもなくうれしかった。
このときの私は、まだ知らなかった。
誰かを好きになることが、こんなにも幸せで、こんなにも怖いことなのだということを。
それでも、今だけは。
この小さな幸せを、信じていたかった。