魔法なんて、使えないけれど   作:dorakoishi

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7. はじめて

付き合い始めてから、三日が経った。

 

……三日。

 

たった三日である。

 

なのに、私には随分と長い時間に感じられた。

 

毎朝、学校に行くのが少しだけ楽しみになった。

 

休み時間に彼と話せるかもしれない。

 

帰り道が一緒になるかもしれない。

 

そんなことを考えるだけで、自然と足取りが軽くなる。

 

もちろん、学校そのものが楽しくなったわけではない。

 

教室では相変わらず、私に向けられる視線がある。

 

誰かが小さく笑い、誰かがひそひそと話す。

 

風見優香は、私を見かけるたびに意味ありげな目を向けてくる。

 

それでも、悠人がいるという事実は、私の中で大きな支えになっていた。

 

そして、付き合い始めて最初の土曜日。

 

私たちは、初めてのデートに出かけることになった。

 

行き先は、駅前のショッピングモールと映画館。

 

特別な場所ではない。

 

けれど、私にとっては、その日を迎えるまでが一大イベントだった。

 

*

 

朝。

 

私は、鏡の前で悩んでいた。

 

「……何着ていこう」

 

普段なら、服なんて着られれば何でもいいと思っている。

 

でも今日は違う。

 

せっかくのデートなのだ。

 

少しくらい、おしゃれをしてみたい。

 

けれど、あまり気合いを入れすぎても変に思われるかもしれない。

 

かといって、いつもと同じ格好ではつまらない。

 

……いや、そもそも、私が何を着ようと、彼は気にしないかもしれない。

 

いやいや、でも。

 

そんなことを延々と考えた結果、家を出る時間が近づいてしまった。

 

結局、白いブラウスに淡い水色のスカートを合わせ、髪をいつもより丁寧に梳かした。

 

鏡に映る自分を見る。

 

『……変じゃないよな?』

 

返事はない。

 

当たり前だ。

 

私は小さく息を吐き、鞄を持った。

 

『行ってきます』

 

*

 

待ち合わせの駅に着いたのは、約束の十五分前だった。

 

早すぎる。

 

わかっている。

 

けれど、家にいても落ち着かなかったのだから仕方がない。

 

改札前で人の流れを眺めていると、少し離れたところに悠人の姿が見えた。

 

紺色のシャツに、黒いズボン。

 

学校で見るときよりも、少しだけ大人っぽく見える。

 

彼も私に気づいたようで、手を上げた。

 

「おはよう、魔理沙さん」

 

「お、おはよう!」

 

彼は私の服を見て、少しだけ目を細めた。

 

「……その服、似合ってるね」

 

「えっ」

 

「かわいいと思う」

 

頭が真っ白になった。

 

「そ、そそ、そういうこと急に言うなよ……!」

 

思わず声が裏返った。

 

悠人は驚き、それから笑った。

 

「ごめん。嫌だった?」

 

「嫌じゃない!」

 

また声が大きくなった。

 

周囲の人が何人か振り向いたので、私は慌てて顔を伏せた。

 

悠人は、そんな私を見て楽しそうに笑っていた。

 

……もう。

 

本当に、ずるいと思う。

 

こんなことで喜んでしまう私も、私だけれど。

 

「じゃあ、行こうか」

 

「……うん!」

 

私たちは並んで歩き始めた。

 

付き合う前も、何度かこうして二人で話したことはある。

 

でも、今日は違う。

 

隣を歩いている彼が、私の彼氏なのだ。

 

そう考えるたびに、顔が熱くなってしまった。

 

*

 

映画館では、何を見るかを決めるだけで、しばらく時間がかかった。

 

「魔理沙さん、何か見たいのある?」

 

「うーん……」

 

私は上映案内を見上げた。

 

恋愛映画、アクション映画、アニメ映画。

 

どれも面白そうに見える。

 

「……せっかくだし、恋愛映画とか?」

 

「おっ、いいね」

 

「……え?」

 

「え?」

 

一瞬、二人とも黙った。

 

恋愛映画。

 

恋人同士で。

 

……なんだか、急に恥ずかしくなってきた。

 

「い、いや! 別に、そういう意味じゃなくて……!」

 

「うん?」

 

「……いや、何でもない」

 

何でもなくない。

 

むしろ、ものすごく意識している。

 

悠人は、そんな私を見て笑いをこらえていた。

 

「じゃあ、それにしようか」

 

「……うん」

 

チケットを買い、飲み物を買い、上映開始を待つ。

 

映画の内容は、思っていたよりもずっとよかった。

 

主人公の女の子が、好きな男の子に気持ちを伝えられずに悩む話だった。

 

……何だか、他人事とは思えなかった。

 

隣を見ると、悠人は真剣な顔でスクリーンを見ていた。

 

その横顔を見ていると、不意に、付き合う前のことを思い出した。

 

私は、ずっと悩んでいた。

 

好きだと伝えて、嫌われるのが怖かった。

 

今までどおりに話せなくなるのが怖かった。

 

でも、伝えたからこそ、今ここにいられる。

 

自分の気持ちを伝えることは、怖いことばかりではないのかもしれない。

 

映画が終わり、明るくなった館内で、悠人がこちらを向いた。

 

「……どうだった?」

 

「うん。面白かった」

 

「そっか。俺も」

 

少しだけ、沈黙が流れた。

 

それから、彼は小さく笑った。

 

「……主人公の気持ち、ちょっとわかる気がした」

 

「えっ?」

 

「好きって言うの、結構勇気いるんだなって」

 

私は、思わず彼を見つめた。

 

彼も、少し恥ずかしそうに笑った。

 

「……いや、今さらだけどね」

 

「……うん」

 

そうだ。

 

今さらなのだ。

 

私たちは、もう付き合っている。

 

なのに、こうして少しずつ、お互いのことを知っていく。

 

それが、何だか不思議だった。

 

*

 

お昼は、映画館の近くにある小さな洋食屋に入った。

 

私はハンバーグセット、悠人はオムライスを注文した。

 

「……ねえ、悠人君」

 

「ん?」

 

私は、注文した料理が届くのを待ちながら、少しだけ考えていたことを口にした。

 

「悠人君って、どうして私のこと好きになったの?」

 

彼は、少し驚いたようだった。

 

「どうしてって……」

 

「だって、私、そんなにいいところないし」

 

口にしてから、しまったと思った。

 

せっかく楽しいデートをしているのに。

 

何を聞いているのだろう。

 

でも、一度気になり始めると、どうしても止められなかった。

 

彼は、しばらく考えていた。

 

「……うまく言えないんだけど」

 

「うん」

 

「最初は、もっと話してみたいと思ったんだよね」

 

「……」

 

「教科書を貸したときも、ちゃんとお礼を言ってくれたし。話してみると、意外とよく笑うし」

 

「意外とって……」

 

「ごめん、ごめん」

 

彼は笑った。

 

「でも、学校で一人でいるときの霧雨さんを見てると、何か気になってさ」

 

その言葉に、胸が少しだけ痛くなった。

 

「……かわいそうだから?」

 

「違うよ」

 

悠人は、すぐに否定した。

 

「かわいそうだから付き合いたいなんて、思ってない」

 

私は、顔を上げた。

 

彼は、真剣な顔をしていた。

 

「俺は、魔理沙さんと一緒にいると楽しいし、もっといろんなことを知りたいと思った。それだけじゃ駄目かな?」

 

「……」

 

「それに、俺が好きになったのは、誰かにいじめられてる魔理沙さんじゃなくて、魔理沙さん自身だから」

 

言葉が、出てこなかった。

 

私は、ずっと気にしていた。

 

誰かに同情されているのではないか。

 

一人でいる私を見て、かわいそうだと思っただけなのではないか。

 

でも、彼は違うと言ってくれた。

 

私自身を好きになったのだと。

 

その言葉が、どうしようもなくうれしかった。

 

「……ありがとう」

 

気づけば、そんな言葉が口から出ていた。

 

「ん?」

 

「……何でもない」

 

私は、顔を伏せた。

 

本当は、もっといろいろと言いたかった。

 

けれど、うまく言葉にできなかった。

 

その代わりに、私は目の前に届いたハンバーグをひと口食べた。

 

……おいしい。

 

いつもと同じような料理なのに、今日は少しだけ違う味がした。

 

*

 

午後は、ショッピングモールを歩き回った。

 

本屋に寄って、雑貨屋を覗いて、ゲームセンターにも入った。

 

悠人はクレーンゲームが驚くほど下手で、私は隣で笑いすぎてお腹が痛くなった。

 

「……いや、今のは絶対取れたと思ったんだけどな」

 

「いやいやいや! 全然違うところに引っかかってたじゃん!」

 

「次こそはいける」

 

「さっきも同じこと言ってたぞ?」

 

そう言いながら、私もつい挑戦してしまう。

 

結果は、二人そろって惨敗だった。

 

それでも、楽しかった。

 

ただ一緒に歩いて、同じものを見て、くだらないことで笑う。

 

それだけなのに、どうしてこんなに楽しいのだろう。

 

夕方になり、駅へ向かう途中、悠人がふと立ち止まった。

 

「……魔理沙さん」

 

「ん?」

 

「手、つないでもいい?」

 

私は、少しだけ笑ってしまった。

 

「……さっきも聞いてたじゃん」

 

「いや、今日はまだ、ちゃんと聞いてなかったから」

 

「……何だよ、それ」

 

そう言いながらも、私は手を差し出した。

 

彼は、そっと私の手を握った。

 

温かい。

 

その温かさに、少しだけ安心する。

 

駅までの道を、二人でゆっくり歩いた。

 

夕焼けが、街並みを淡いオレンジ色に染めていた。

 

私は、この時間がずっと続けばいいと思った。

 

でも、同時に、少しだけ怖くもなった。

 

こんなに幸せでいいのだろうか。

 

いつか、この幸せがなくなってしまったら。

 

そのとき、私はどうなってしまうのだろう。

 

……まただ。

 

せっかく楽しい時間を過ごしたのに、私はすぐに悪い方へ考えてしまう。

 

そんな自分が、少し嫌になった。

 

けれど、隣を歩く悠人が、握った手にほんの少し力を込めた。

 

「……魔理沙さん?」

 

「……ん?」

 

「疲れた?」

 

「ううん。大丈夫」

 

私は、笑ってみせた。

 

本当は、少しだけ不安だった。

 

でも、今はまだ、その不安をすべて言葉にする勇気がなかった。

 

だからせめて、この手の温かさだけは、覚えておこうと思った。

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