夏休みが近づくにつれて、私たちは少しずつ一緒に過ごす時間を増やしていった。
休日に映画を見に行ったり、商店街を歩いたり、図書館で宿題をしたり。
特別なことばかりではない。
むしろ、何でもないことの方が多かった。
けれど、私にはその一つひとつが大切だった。
朝、悠人からメッセージが届く。
『おはよう。今日も暑そうだね』
それに返事をする。
『おはよう。もう溶けそうだよ』
『じゃあ、アイスでも食べに行く?』
『行く!』
そんなやりとりだけで、私はしばらく頬が緩んでしまう。
自分でも、単純だと思う。
でも、好きな人から連絡が来ることが、こんなにうれしいなんて知らなかった。
ただ、幸せな時間が増えるほど、別の不安も大きくなっていった。
学校では、相変わらず風見さんたちの存在が気になった。
悠人と話しているところを見られたら、何か言われるのではないか。
彼が私と一緒にいるせいで、周囲から何かされるのではないか。
そう考えると、つい彼から距離を取ってしまうことがあった。
ある日の帰り道。
いつものように並んで歩いていたとき、私は無意識に、彼の手から自分の手を離してしまった。
悠人が、不思議そうにこちらを見た。
「……どうしたの?」
「えっ?」
「何か、気になることでもある?」
私は、少し迷った。
けれど、もう隠してばかりいるのも嫌だった。
「……私と一緒にいるところ、誰かに見られたら嫌じゃない?」
「どうして?」
「だって……」
私は、俯いた。
「私と付き合ってるって知られたら、悠人君まで何か言われるかもしれないし」
少しの沈黙があった。
私は、彼の反応を見ることができなかった。
また、面倒だと思われたかもしれない。
せっかく付き合っているのに、こんなことばかり気にしていたら、嫌になるかもしれない。
けれど、悠人は静かに言った。
「……魔理沙さん」
「……うん」
「俺は、魔理沙さんと一緒にいたいから、一緒にいるんだよ」
私は、顔を上げた。
「誰かに見られるからって、隠れなきゃいけないとは思わない」
「……」
「もちろん、怖いと思う気持ちはわかるよ。俺だって、何もかも平気ってわけじゃないし」
彼は、少しだけ困ったように笑った。
「でも、だからって、魔理沙さんと一緒にいたくないわけじゃないから」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……ごめん」
「謝らなくていいよ」
彼は、もう一度私の手を取った。
「不安になったら、ちゃんと話して。俺も、できるだけ話すから」
私は、小さく頷いた。
「……うん」
この人は、きっと私を魔法のように変えてくれるわけではない。
いじめがなくなるわけでもない。
私が急に強くなれるわけでもない。
それでも、隣にいてくれる。
それだけで、少しずつ変われる気がした。
*
夏休みに入って間もない頃、玲夢から連絡が来た。
『今度、四人で遊びに行かない?』
四人。
私と悠人と、玲夢と、玲夢の彼氏。
実は、玲夢にも付き合っている男の子がいる。
名前は相馬蓮。
同じ学年の別クラスで、口数はあまり多くない。普段はどこか気だるそうにしているけれど、玲夢のことになると妙に行動が早い。
玲夢が困っていると、すぐに気づいて助けに行く。
そういうところが、彼女らしい相手だと思う。
私たち四人は、休日に駅前で待ち合わせることになった。
行き先は、少し離れたところにある大きな公園と、その近くのショッピングモールだった。
待ち合わせ場所に着くと、玲夢はすでに来ていた。
「遅い!」
「いや、まだ約束の時間前だろ!」
「細かいことはいいの!」
相変わらずだ。
その隣には、蓮が立っていた。
彼は、私たちを見ると軽く手を上げた。
「おはよう。朝倉、霧雨さん」
「おはよう」
「……おはようございます」
つい、少しだけかしこまった返事になってしまった。
蓮は気にした様子もなく、悠人に話しかけた。
「今日はどこから回る?」
「公園の方から行こうかと思ってるけど」
「了解」
そのやりとりを見て、玲夢が私の肩を軽くつついた。
「……ねえ」
「ん?」
「どう? 彼氏とのお出かけは」
「なっ……! いきなり何だよ!」
「ふふっ。顔、赤いわよ?」
「うるさい!」
玲夢は、楽しそうに笑った。
……もう、本当に。
この子には、どうしてこうも簡単にからかわれてしまうのだろう。
*
公園には、大きな池があった。
夏の日差しは強かったけれど、木陰に入ると風が通って心地よい。
私たちは売店で飲み物を買い、池の周りをゆっくり歩くことにした。
玲夢と蓮は、先ほどから何やら言い合っている。
「だから、あっちの道の方が近いって言ってるでしょ」
「いや、こっちの方が景色がいいだろ」
「景色より、暑さをどうにかしてよ!」
「じゃあ、そこのベンチで休めばいいじゃん」
「……それもそうね」
何だかんだで、二人は仲がよかった。
私は、悠人の隣を歩きながら、小さく笑った。
「……あの二人、いつもあんな感じなの?」
「らしいね」
悠人も笑った。
「でも、見てると面白いよね」
「うん」
そう答えながら、私は思った。
こうして誰かと一緒に出かけること自体、私には少し不思議なことだった。
以前の私は、休日になると家で一人で過ごすことが多かった。
両親は海外にいることが多く、帰ってくることもほとんどない。
近くに親戚がいることにはなっているけれど、日常生活は自分で何とかするしかなかった。
学校で嫌なことがあっても、家に帰れば誰かが話を聞いてくれる、というわけではない。
だから、休日に誰かと出かける約束をすることもなかった。
それが今は、三人も一緒にいる。
そのことが、少しだけ夢のようだった。
「……魔理沙さん?」
悠人が、こちらを見た。
「ん?」
「何か考えてた?」
「……ううん」
私は、笑った。
「ただ、楽しいなって」
彼は、一瞬だけ驚いたようだった。
それから、優しく笑った。
「……そっか。俺も楽しいよ」
私は、その言葉を聞いて、また少しだけ胸が温かくなった。
*
昼食のあと、私たちはショッピングモールに向かった。
ゲームセンターに入ると、玲夢が急に張り切り始めた。
「よし、勝負よ!」
「何の?」
「クレーンゲーム! 誰が一番景品を取れるか!」
「……またそれ?」
蓮が呆れたように呟いた。
「何よ、文句あるの?」
「いや、別に」
「じゃあ決まり!」
結局、四人でクレーンゲームに挑戦することになった。
玲夢は、最初こそ勢いがよかったものの、すぐに苦戦し始めた。
「……何で取れないのよ!」
「玲夢、アームの位置がずれてる」
蓮が横から言った。
「わかってるわよ!」
「いや、わかってないだろ」
「……もう一回!」
そう言って、彼女は財布から硬貨を取り出した。
私は、その様子を見て笑ってしまった。
すると、悠人が隣で小さく言った。
「……魔理沙さんも、やってみる?」
「えっ?」
「取れたら、何か一つあげるよ」
「……本当?」
「うん」
私は、少しだけ考えた。
そして、クレーンゲームの中にいる、小さなウサギのぬいぐるみを指さした。
「……あれがいい」
「了解」
彼は真剣な顔でゲームに挑戦した。
一回目。
失敗。
二回目。
また失敗。
「……難しいな」
「頑張れ、悠人君!」
思わず応援してしまう。
三回目。
アームがぬいぐるみの耳をつかみ、そのまま持ち上げた。
「……あっ!」
けれど、出口の直前で落ちてしまった。
「惜しい!」
私が声を上げると、悠人は苦笑した。
「……もう一回だけ」
四回目。
今度こそ、ぬいぐるみは出口まで運ばれた。
ころん、と小さな音を立てて、景品が落ちてくる。
「……やった!」
思わず、声が出た。
悠人がぬいぐるみを取り出し、私に差し出す。
「はい」
私は、それを両手で受け取った。
「……ありがとう!」
「どういたしまして」
彼は、少し照れくさそうに笑った。
玲夢が、そんな私たちを見てにやりと笑う。
「……へえ。ずいぶん仲がいいのね」
「なっ……!」
「いいじゃない、別に!」
「はいはい」
彼女は、楽しそうに笑った。
その隣で、蓮も小さく笑っていた。
何だか、少しだけ恥ずかしい。
でも、それ以上にうれしかった。
このぬいぐるみを見るたびに、今日のことを思い出せる気がしたから。
*
夕方、四人で駅に向かって歩いていたときのことだった。
ふと、玲夢が私の隣に並んだ。
「……ねえ、魔理沙」
「ん?」
「最近、よく笑うようになったわね」
私は、少しだけ驚いた。
「……そうかな?」
「うん。前は、笑ってても、どこか無理してる感じがあったけど」
彼女は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「今は、ちゃんと楽しそうに見える」
その言葉を聞いて、私は思わず俯いた。
うれしかった。
私が変わったことに、気づいてくれたのだから。
「……玲夢のおかげだよ」
「何よ、急に」
「だって……玲夢がいてくれたから、私、学校でも一人じゃなかったし」
玲夢は、少しだけ目を丸くした。
私は、続けた。
「悠人君のことだって、玲夢に相談できたから、ちゃんと返事できたんだと思う」
「……そっか」
彼女は、照れくさそうに頬を掻いた。
「まあ、アンタが幸せなら、それでいいわよ」
その言葉が、胸に染みた。
私は、思わず笑った。
「……ありがとう」
「だから、お礼はいいってば」
玲夢は、少しだけ笑ってから、私の肩を軽く叩いた。
「これからも、何かあったらちゃんと言いなさいよ」
「……うん」
そのとき、私は心の底から思った。
この時間が、ずっと続けばいい。
悠人と一緒にいられること。
玲夢と笑い合えること。
四人で、何でもない休日を過ごせること。
そんな当たり前のような幸せが、これからもずっと続いていけばいい。
本気で、そう思っていた。