魔法なんて、使えないけれど   作:dorakoishi

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葛藤
9. 新学期


楽しかった夏休みは、思っていたよりもあっという間に終わってしまった。

 

最後の日、私は机の上に並べた宿題を見て、深いため息をついた。

 

「……終わらない」

 

当然である。

 

計画的に進めていたつもりだったのだけれど、気づけば残っているものがいくつもあった。

 

もっと早くやっておけばよかった。

 

そう思っても、もう遅い。

 

結局、私は夜遅くまで宿題を片づけることになった。

 

翌朝、眠い目をこすりながら学校へ向かう。

 

夏休みの終わり。

 

久しぶりの教室。

 

久しぶりのクラスメイト。

 

そして、久しぶりに見る、風見優香の姿。

 

教室に入った瞬間、私は少しだけ息を止めた。

 

何かが変わっているわけではない。

 

机も、黒板も、窓から見える景色も、休み前と同じだ。

 

けれど、私の中には、確かに変わったものがあった。

 

悠人と付き合っている。

 

その事実が、私の中で大きな意味を持っていた。

 

私は、彼の席を見た。

 

悠人は、友達と話しながら、教科書を机に入れていた。

 

目が合う。

 

彼は、ほんの少しだけ笑ってくれた。

 

私も、笑い返した。

 

それだけのことだった。

 

ただ、それを見ていた人物がいた。

 

「……へえ」

 

風見優香だった。

 

彼女は、私と悠人の方を交互に見ていた。

 

その表情は、いつものように笑っていた。

 

けれど、その目だけは笑っていなかった。

 

私は、嫌な予感がした。

 

……まさか。

 

いや、でも。

 

まだ、何も知られていないかもしれない。

 

そう思いたかった。

 

けれど、朝の会が終わり、休み時間になった直後。

 

優香が、私の机の前に立った。

 

「ねえ、霧雨さん」

 

「……何?」

 

声が、少しだけ震えた。

 

優香は、にこやかに笑っていた。

 

「夏休み、楽しかった?」

 

「……普通、かな」

 

「ふうん」

 

彼女は、私の顔をじっと見た。

 

「……朝倉君とは?」

 

心臓が、嫌な音を立てた。

 

「……え?」

 

「夏休み、どこか行ったんでしょ?」

 

私は、何も答えられなかった。

 

優香は、それを見て、くすりと笑った。

 

「やっぱり」

 

「……」

 

「付き合ってるんだ?」

 

その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が変わった気がした。

 

近くにいたクラスメイトたちが、ちらちらとこちらを見始める。

 

誰かが、小さく囁いた。

 

「え、嘘……」

 

「霧雨と朝倉って、そういう関係だったの?」

 

「何で……?」

 

私は、何も言えなかった。

 

優香は、そんな私を見て、満足そうに笑った。

 

「へえ……そっか」

 

それだけ言うと、彼女は自分の席へ戻っていった。

 

けれど、私はわかっていた。

 

これで終わるはずがない。

 

優香が、私のことを簡単に見逃すはずがない。

 

彼女は、以前から悠人のことを気にしていた。

 

そして、私が彼を好きだということにも、薄々気づいていたのだろう。

 

そのうえで、私が本当に彼と付き合っていると知った。

 

……きっと、面白くないに決まっている。

 

私は、机の下で手を握りしめた。

 

どうしよう。

 

せっかく、少しだけ幸せになれたと思ったのに。

 

せっかく、もう少し頑張れると思えたのに。

 

また、何かが始まってしまうのだろうか。

 

*

 

その日の昼休み。

 

私は、いつものように教室の前で玲夢を待っていた。

 

彼女は、私の顔を見るなり、すぐに気づいたようだった。

 

「……何かあった?」

 

「……うん」

 

私は、小さく頷いた。

 

「優香に、バレた」

 

「……え?」

 

「悠人君と付き合ってること」

 

玲夢の表情が変わった。

 

「……そう」

 

彼女は、少しだけ考えるように黙った。

 

そして、私の肩に手を置いた。

 

「魔理沙。何かあったら、すぐに言いなさいよ」

 

「……うん」

 

「一人で何とかしようとしなくていいから」

 

その言葉に、私は小さく頷いた。

 

大丈夫。

 

まだ、何も起きていない。

 

そう自分に言い聞かせる。

 

でも、その日の放課後。

 

下駄箱を開けたとき、私は足を止めた。

 

中には、折り畳まれた紙が一枚入っていた。

 

誰が入れたのかは、わからない。

 

けれど、嫌な予感がした。

 

私は、周囲を確認してから、その紙を開いた。

 

そこには、たった一行だけ書かれていた。

 

『調子に乗るなよ、魔女』

 

……ああ。

 

やっぱり。

 

私は、紙を握りしめた。

 

手が、少しだけ震えていた。

 

夏休みの間、私は幸せだった。

 

悠人と一緒に過ごせた。

 

玲夢と笑い合えた。

 

自分にも、普通の恋愛ができるのだと思えた。

 

けれど、それは、私が学校で置かれている立場を変えてくれるわけではなかった。

 

風見優香は、まだそこにいる。

 

そして、彼女は私と悠人の関係を知ってしまった。

 

これから何が起こるのか。

 

今の私には、まだわからない。

 

ただ一つ、確かなことがあった。

 

――この夏が終わっても、私の世界は、まだ変わりきってはいなかったのだ。

 

*

 

『調子に乗るなよ、魔女』

 

紙に書かれていたのは、たったそれだけだった。

 

乱雑な字だった。誰が書いたのかなんて、考えるまでもないような気がした。

 

私は、しばらくその紙を見つめていた。

 

夏休みが終わった。

 

それだけのことなのに、どうしてこうも簡単に、以前の自分に引き戻されてしまうのだろう。

 

つい昨日まで、私は幸せだった。

 

朝起きて、悠人君からのメッセージを確認して、学校に行く。

 

休み時間に少し話せればうれしくて、帰り道に一緒になれれば、それだけで一日が特別なものになった。

 

休日には四人で出かけた。

 

玲夢にからかわれたり、蓮君の意外な一面を知ったり、悠人君と手をつないで歩いたり。

 

そんな何気ない時間が、私には本当に大切だった。

 

……それなのに。

 

私は紙を折りたたみ、鞄の奥にしまった。

 

捨てることもできたはずだ。

 

こんなもの、持っていたところで何の意味もない。

 

それでも、なぜか捨てる気にはなれなかった。

 

誰かに見せるためではない。

 

証拠として残しておくためでもない。

 

ただ、こんなものを見つけたこと自体を、なかったことにしてしまうのが嫌だった。

 

『……行こう』

 

小さく呟いて、私は下駄箱を閉めた。

 

廊下を歩く。

 

教室からは、いつものように声が聞こえていた。

 

笑い声。話し声。椅子を引く音。

 

どれも、夏休み前と何ひとつ変わらない。

 

変わったのは、きっと私の方なのだろう。

 

教室に入ると、悠人君がこちらを向いた。

 

「おはよう、魔理沙さん」

 

「……おはよう」

 

私は、できるだけ普段どおりに笑った。

 

彼は少しだけ目を細めた。

 

「……何かあった?」

 

「え?」

 

「いや、なんか……いつもと違う気がして」

 

どうしてこういうときだけ、すぐに気づいてしまうのだろう。

 

私は、思わず視線を逸らした。

 

「……何でもないよ」

 

そう答えると、彼は少しだけ黙った。

 

それから、無理に聞き出そうとはせずに頷いた。

 

「そっか。でも、何かあったら言ってね」

 

「……うん」

 

その一言に、私は少しだけ救われた。

 

いつか、ちゃんと話そう。

 

そう思った。

 

けれど、そのときの私は、まだ甘かったのかもしれない。

 

これから先、自分がどれほどのことを隠そうとしてしまうのか。

 

そして、隠すことそのものが、どれほど苦しくなっていくのか。

 

まだ、何もわかっていなかったのだから。

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