都市は残酷❗️
また、騙された。
手元に残った、何の役にも立たない紙切れを見つめながら、俺はため息をついた。
「……今度こそ大丈夫だと思ったんだけどな」
困っていると言われたから、手を貸した。
それだけの話だ。
少し金が必要だと言われて、後で必ず返すと約束された。
相手は随分と切羽詰まった様子だったし、嘘をついているようには見えなかった。
だから、信じた。
結果は、この通り。
財布は軽くなり、代わりに残ったのは、何の価値もない紙切れ一枚だった。
「はあ……」
我ながら、学習しないと思う。
これで何度目だろう。
次こそは気をつけようと決めるたびに、また誰かの話を信じてしまう。
この都市で、そんな生き方が危なっかしいことくらい分かっている。
人を簡単に信用するな。
見返りもないのに、他人を助けるな。
そんな忠告なら、何度も聞いてきた。
実際、忠告してくれた人たちの方が正しかったのだろう。
それでも。
「……本当に困ってたら、放っておけないしなあ」
独り言を呟いて、紙切れをポケットにしまった。
騙されたことは悔しい。
もちろん、腹だって立つ。
けれど、次に誰かが助けを求めてきたとき、俺はきっとまた迷うんだろう。
それが分かっているから、余計に情けなかった。
そんなことを考えながら、帰り道を歩いていたときだった。
「……ん?」
薄暗い路地裏に、人影が見えた。
壁にもたれるようにして、一人の子供が座り込んでいる。
最初は、休んでいるだけかと思った。
けれど、近づくにつれて、そうではないことが分かった。
服は汚れ、腕には擦り傷がある。
顔にも殴られたような痣ができていた。
「……大丈夫?」
声をかけた瞬間、鋭い目がこちらを向いた。
「……あ?」
随分と機嫌が悪そうだ。
いや、あれだけ怪我をしていれば、機嫌が悪くなるのも当然か。
「怪我してるみたいだけど」
「見りゃ分かんだろ」
「それは、まあ……そうだね」
正論だった。
少し返答に困っていると、子供は舌打ちした。
「何の用だよ」
「いや、困ってるのかなって」
「困ってねえ」
そう言い切った直後、子供が身体を動かそうとして、顔をしかめた。
……どう見ても困っている。
とはいえ、本人がそう言っている以上、無理に何かを聞くのもよくないだろう。
俺は少し考えてから、持っていた袋を開けた。
中には、帰り道に買ったパンが二つ入っている。
本当は明日の分にするつもりだったけれど、まあ、何とかなるだろう。
「これ、食べる?」
「……は?」
「パン。まだ食べてないから、よかったら」
差し出したパンを、子供はじっと見つめた。
それから、俺の顔を見る。
「……何が目的だ?」
「目的?」
「タダで食い物を寄越す奴がいるかよ」
「ああ、そういうことか」
なるほど。
確かに、この都市で見知らぬ相手から食べ物を渡されたら、疑うのが普通だろう。
ついさっき騙された俺が言うのも何だけど。
「別に、何もないよ」
「嘘つけ」
「本当だって。二つあるし、一つくらいなら大丈夫だから」
「……毒でも入ってんじゃねえのか」
「それは困るな。俺も食べるつもりだったし」
そう言って、もう一つのパンを袋から取り出す。
一口食べてみせると、子供は呆れたような顔をした。
「……馬鹿か、お前」
「よく言われる」
「褒めてねえぞ」
「うん、知ってる」
思わず笑ってしまった。
子供はますます不機嫌そうな顔になったけれど、差し出したパンから目を離さなかった。
お腹が空いているのだろうか。
そう思って、もう一度差し出す。
「いらなかったら、無理に食べなくてもいいよ」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、子供は乱暴にパンを受け取った。
「……借りにはしねえからな」
「うん?」
「施しを受けたつもりもねえ」
「分かったよ」
「……本当に分かってんのか?」
「うん。お腹が空いてたら、食べた方がいいと思うし」
「……意味分かんねえ」
そう言いながらも、子供はパンを口に運んだ。
よほど空腹だったのか、食べる手は早かった。
俺は少し離れた場所に腰を下ろし、自分のパンを食べ始めた。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
遠くから、人の声や何かがぶつかる音が聞こえてくる。
この都市では、珍しくもない音だ。
「……おい」
不意に声をかけられた。
「何?」
「お前、いつもこんなことしてんのか?」
「こんなこと?」
「知らねえ奴に食い物やったり、声かけたりだよ」
「いつもってわけじゃないけど……困ってそうな人がいたら、声はかけるかな」
「……馬鹿じゃねえの」
「さっきも言われたね」
「この都市で、そんなことしてたらいつか死ぬぞ」
随分と物騒な忠告だった。
けれど、その言葉には妙な実感がこもっていた。
きっと、この子も色々なことを経験してきたのだろう。
俺には想像できないようなことも。
「そうかもしれないね」
「……は?」
「でも、本当に困ってる人を見捨てたら、後で気になっちゃうから」
「自分が損してもか?」
「できれば損はしたくないけどね」
今日だって、騙されたばかりだ。
もう少し上手く生きられたらいいのにとは思う。
「でも、助けられるなら助けたいかな」
子供は、しばらく俺を見ていた。
何かを言いかけて、結局、口を閉じる。
「……変な奴」
「それも、よく言われる」
「だろうな」
初めて、少しだけ会話が続いた気がした。
それから、子供は食べ終えたパンの袋を握りしめ、立ち上がろうとした。
「……っ」
痛みが走ったのか、動きが止まる。
「無理しない方がいいよ」
「うるせえ。平気だ」
「でも、怪我が……」
「平気だっつってんだろ」
強い口調だった。
これ以上踏み込まれたくないのだろう。
俺は口を閉じた。
少しして、子供は壁にもたれ直した。
「……何で、何も聞かねえんだよ」
「え?」
「この怪我のこととか、俺が何してたのかとか」
言われてみれば、確かに何も聞いていなかった。
どうして怪我をしたのか。
誰にやられたのか。
名前だって知らない。
でも。
「……言いたくないこともあるだろ?」
子供がこちらを見た。
「誰にだって、話したくないことくらいあると思うし」
「……」
「言いたくなったら、教えてよ」
それだけ答えると、子供は何も言わなくなった。
少し、気まずくなっただろうか。
余計なことを言ってしまったかもしれない。
そう思っていると、小さな声が聞こえた。
「……勝手にしろ」
相変わらず、ぶっきらぼうだった。
けれど、最初に声をかけたときよりも、少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がした。
気のせいかもしれないけど。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るね」
立ち上がって、服についた汚れを払う。
「……おい」
「ん?」
「お前、またここに来んのか?」
思いがけない質問だった。
「うーん、どうだろう。帰り道だし、通ることはあると思うけど」
「……そうかよ」
子供は、それ以上何も言わなかった。
俺も、無理に話を続けようとはしなかった。
「じゃあ、またね」
返事はなかった。
けれど、背を向けて歩き出したとき。
「……気をつけろよ」
小さな声が聞こえた気がした。
振り返ると、子供はそっぽを向いていた。
「……うん。ありがとう」
そう答えて、俺は路地裏を後にした。
名前も知らない。
どこに住んでいるのかも知らない。
きっと、もう会うこともないのかもしれない。
それでも、不思議と嫌な気分ではなかった。
今日も騙されたし、財布も軽くなった。
散々な一日だったはずなのに。
最後に、少しだけいいことがあった気がした。
……まあ、あの子にとってもそうだったかは、分からないけど。
そのときの俺は、まだ知らなかった。
あの路地裏で出会った、名前も知らない子供が。
いつか、俺にとって忘れられない存在になることを。
プロジェクトムーンの非公式の都市の一人に生まれてをやって書きたくなりました ️