中指の家族になった。
そう言われても、実感など湧くはずがなかった。つい先ほどまで俺を地面に叩きつけていた男が、今では当然のように肩を貸しているのだから。
「おい、妹。ちゃんと歩けるか?」
「……歩ける」
「そうかい。なら、その足の震えは何だ?」
「うるせえ……」
男は呆れたように笑い、俺の腕を自分の肩へ回した。振り払おうにも、身体中が痛んでまともに力が入らない。
「無理すんな。今日から家族なんだからよ」
また、その言葉だ。
家族。こいつらは、まるで挨拶でもするかのようにその言葉を口にする。血のつながりどころか、名前すら知らない相手に向かって、よくもまあ簡単に言えるものだ。
俺には理解できなかった。
しばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。入口には紫の服をまとった連中が立っており、俺たちの姿に気づくなり声を上げた。
「兄貴、お帰りなさい!」
「おう! 新しい妹を連れてきたぞ!」
末兄が豪快に笑うと、周囲の視線が一斉に俺へ集まった。
「妹? この嬢ちゃんが?」
「随分と派手にやられてんな」
「そりゃそうだ。こいつ、兄貴にナイフを投げやがったんだぜ」
その瞬間、空気が変わった。
「……は?」
「兄貴に?」
先ほどまで笑っていた連中の顔から、表情が消える。何人かは無意識に腕の鎖へ手を伸ばしていた。
だが、末兄は気にした様子もなく口を開いた。
「もう済んだ話だ! こいつは今日から俺たちの妹だ。仲良くしてやれ!」
たったそれだけだった。
男たちは顔を見合わせると、先ほどまでの険しい表情をあっさりと消した。
「なんだ、そういうことか!」
「なら、まずは手当てだな。そんな状態じゃ倒れちまうぞ」
つい今しがた俺を睨みつけていた連中が、今度は心配そうに顔を覗き込んでくる。
何なんだ、こいつらは。
その切り替わりの早さに、薄気味悪いものを感じた。
建物の中へ入ると、俺は一室に通された。傷の手当てを受けている間も、組員たちは次々と顔を出し、勝手に自己紹介を始めた。中には食べ物を置いていく奴までいる。
「……毒でも入ってんじゃねえだろうな」
「入れるわけねえだろ。妹に何食わせる気だよ」
男は心底おかしそうに笑った。
どうやら冗談だと思われたらしい。俺としては半分くらい本気だったのだが。
翌日になっても、その扱いは変わらなかった。
食堂へ行けば誰かが隣の席を空け、廊下ですれ違えば傷の具合を尋ねられる。顔も名前も覚えていない組員が、当たり前のように食事を分けてくれることさえあった。
最初は何か裏があるのだと疑っていた。だが、いくら待っても誰も見返りを求めてこない。
ある日の昼食時、一人の男が俺の皿へ肉を一切れ放り込んできた。
「ほら、食え。怪我してんだから、ちゃんと栄養つけろよ」
「……自分の分だろ」
「俺はもう十分食った。それより、お前はまだ育ち盛りだろ?」
「……余計なお世話だ」
そう言いながらも、肉を口へ運ぶ。
男は満足そうに笑うと、何事もなかったように隣の組員との話へ戻っていった。
その横顔を眺めながら、ふと思う。
……悪くないかもしれない。
こいつらは騒がしいし、馴れ馴れしい。何かにつけて家族だと口にするのも、正直まだ慣れなかった。それでも、居心地が悪いかと聞かれれば、そうでもなかった。
少なくとも、ここでは誰も俺を邪魔者扱いしない。
それが少しだけ、不思議だった。
ただ、一つだけ気になることがあった。
ある日、食堂の隅で組員たちが何やら話し込んでいた。
「聞いたか? 昨日、うちの弟が外で殴られたらしいぜ」
「誰にだ?」
「どっかのチンピラだとよ。肩がぶつかったとか、そんなくだらねえ理由らしい」
話を聞いていた男たちの表情が、みるみる険しくなっていく。
「……そいつ、どこの誰だ?」
「さあな。今、調べさせてる」
「分かったら教えろよ。家族に手ぇ出して、ただで済むと思わせるわけにゃいかねえ」
誰も、殴られた本人がどうしたいのか尋ねなかった。怪我の具合を気にする声はあっても、仕返しをするべきかどうか疑問を口にする奴はいない。
まるで、最初から答えが決まっているかのようだった。
「家族がやられたんなら、仕返ししねえとな」
その一言に、周囲の連中が当然のように頷く。
俺は箸を止めた。
家族を大切にすること自体は、理解できる。俺だって、あいつが傷つけられたら黙っていられない。あいつを殴った連中の顔は、今でも忘れていなかった。
だから、こいつらの怒りが分からないわけじゃない。
ただ、何かが違う。
あいつが傷つけられたとき、俺は自分の意思で怒った。
けれど、こいつらは誰かに命令されたわけでもないのに、同じ言葉を口にし、同じ結論へたどり着く。
そこには迷いも、ためらいもなかった。
家族だから。
ただ、それだけで十分らしかった。
俺は再び食事へ視線を落とした。
この場所の居心地が悪くないと思ったばかりなのに、胸の奥に小さな棘が残っていた。
数日後。
傷がある程度癒えた頃、俺は末兄に呼び出された。
部屋へ入ると、末兄はいつものように椅子に腰掛け、周囲の組員たちと談笑していた。俺の姿を認めると、大きな手で招き寄せる。
「おう、来たか! 身体の調子はどうだ?」
「……もう問題ねえよ」
「そうか! そいつはよかった!」
末兄は豪快に笑い、俺の肩を叩いた。傷の残る身体に少し響いたが、文句を言うほどでもない。
「なら、そろそろ家族の証を刻んでもいい頃合いだな」
「……刺青か?」
「ああ。だが、その前に一つだけ、お前に覚えてもらわなきゃならねえことがある」
その言葉とともに、末兄の声から笑いが消えた。
「中指の家族になるなら、絶対に忘れちゃならねえことだ。何だか分かるか?」
突然の問いに、俺は眉をひそめる。
「……家族を守ることか?」
「それも大事だ。だが、もっと根本的なことがある」
末兄はゆっくりと立ち上がった。
「家族を裏切って、抜けようとすることだ」
「……は?」
思わず聞き返した。
末兄は俺を真っ直ぐ見つめていた。先ほどまでの豪快な笑みは、どこにもない。
「俺たちは家族だ。家族が困ってりゃ助ける。家族が傷つけられりゃ、全員で仕返しをする。どんなに小さな恨みだろうが、決して忘れねえ」
末兄は自分の腕に刻まれた刺青を指でなぞった。
「その代わり、家族を裏切ることだけは絶対に許さねえ」
室内が静まり返った。
ついさっきまで談笑していた組員たちも、誰一人として口を開かない。末兄の言葉に驚いた様子すらなかった。
「……抜けたら、どうなるんだ?」
俺が尋ねると、末兄はわずかに目を細めた。
「ちょうどいい。言葉で説明するより、見た方が早えな」
末兄は近くにいた男へ顔を向ける。
「準備はできてるか?」
「はい、兄貴。居場所は押さえてあります」
「よし」
末兄は満足そうに頷くと、再び俺へ向き直った。
「ついてこい、妹」
「……どこに?」
「今から、俺たちを裏切って逃げた元家族に会いに行く」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
末兄は笑っていた。いつものように、口元を大きく歪めて。
だが、その笑顔を見ても、少しも安心できなかった。
「家族になるってのがどういうことか、その目でしっかり見ておけ」
周囲の組員たちが一斉に立ち上がった。誰も疑問を口にしない。止めようとする者もいない。ただ当然の仕事へ向かうかのように、それぞれが腕に巻いた鎖を確かめていた。
俺はその光景を黙って見つめた。
数日前、こいつらは俺を家族だと言って迎え入れた。食事を与え、傷の手当てをして、名前も知らない俺を妹と呼んだ。
あのときの笑顔が嘘だったとは思わない。
むしろ、あれは間違いなく本心だったのだろう。
だからこそ、分からなかった。
家族を大切にするということと、裏切った家族を追い詰めるということが、こいつらの中では何の矛盾もなく並んでいる。
末兄が扉へ向かって歩き出した。
「ほら、行くぞ」
「……ああ」
俺はその背中についていった。
このときの俺は、まだ知らなかった。
中指が口にする「家族」という言葉の、本当の重さを。