義理より深く、鎖より強く   作:なかにし

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末兄の過去編です


閑話 恩人の背中

 昔の俺には、家族なんてものがなかった。

 

 親の顔も知らなければ、自分がどこで生まれたのかも分からない。物心ついた頃には、都市の裏路地で一人、生きていた。

 

 腹が減れば残飯を漁り、寒さに耐えられなくなれば廃材の陰で眠る。誰かに助けを求めたところで、返ってくるのは罵声か蹴りだけだった。

 

 だから、誰も信じなかった。誰にも期待しなかった。

 

 そんな俺を拾ってくれたのが、兄貴だった。

 

 ◇

 

「おい、ガキ。腹、減ってんだろ?」

 

 初めて会ったとき、兄貴は俺の前にしゃがみ込み、そう声をかけてきた。

 

「……うるせえ」

 

「がはは! 元気があっていいじゃねえか!」

 

 兄貴は豪快に笑うと、懐から包みを取り出した。中には、まだ温かいパンが入っていた。

 

「ほら、食え!」

 

「……いらねえ」

 

「そうか? 腹は鳴ってるみてえだがな!」

 

 何も言い返せずにいると、兄貴はまた笑った。

 

「心配すんな! 別に取って食いやしねえよ!」

 

 怪しい奴だと思った。この都市で、見ず知らずのガキに飯を分ける奴なんざ、まともじゃねえ。何か裏があるに決まっている。

 

 だが、腹の虫には勝てなかった。

 

 俺はパンをひったくるように奪い、夢中でかじりついた。

 

「がはは! いい食いっぷりだ!」

 

「……何がおかしい」

 

「いやなに、美味そうに食う奴を見るのが好きでな!」

 

 そう言って、兄貴は俺の頭を乱暴に撫でた。

 

 変な奴だった。

 

 それが、兄貴に対する最初の印象だった。

 

 ◇

 

 それからというもの、兄貴は何度も俺の前に現れるようになった。

 

 飯を持ってきたり、くだらねえ話をしたり。時には、他の連中を連れてくることもあった。

 

 そいつらは俺を見ると、弟だの家族だのと呼びやがった。

 

 最初は、その意味が分からなかった。

 

 血もつながっていない。昨日まで赤の他人だった奴らが、どうして家族なんだ?

 

 ある日、俺は兄貴に尋ねてみた。

 

「……なあ、兄貴」

 

「何だ?」

 

「何で俺なんかを拾ったんだ?」

 

 兄貴は一瞬目を丸くすると、いつものように豪快に笑った。

 

「がはは! 決まってんだろ!」

 

「……何がだよ」

 

「お前が一人だったからだ!」

 

「……は?」

 

「一人で飯を食うより、みんなで食った方が美味えだろ!」

 

 馬鹿じゃねえのか。

 

 そう思った。だが、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 

「お前も今日から俺たちの家族だ!」

 

 兄貴はそう言って、俺の背中を力強く叩いた。

 

 家族。

 

 その言葉が、妙に温かかった。

 

 誰かが俺の帰りを待っていてくれることも、腹が減ったと言えば飯を分けてくれることも、くだらねえことで笑い合うことも、全部初めてだった。

 

 俺は、いつしかこの場所が好きになっていた。

 

 兄貴が好きになった。弟妹たちが好きになった。

 

 だから、心に決めた。

 

 この家族を、何があっても守ろうと。

 

 ◇

 

 だが、都市ってのは残酷な場所だ。

 

 昨日まで一緒に飯を食っていた弟が、翌日には帰ってこなくなる。いつも俺をからかっていた妹が、冷たくなって運ばれてくる。

 

 そんなことが、何度もあった。

 

 そのたびに、俺は泣いた。誰よりも大声で、喉が潰れるほど泣いた。

 

 そして、涙が枯れると仕返しに向かった。

 

 家族を殺した奴らを見つけ出し、生きていることを後悔するほどの仕返しをした。

 

 何度も、何度も。

 

 気づけば、俺の身体には刺青が増えていた。仕返しを重ねるたびに力が増し、俺を慕う弟妹たちも増えていく。そして、いつしか俺は家族を率いる立場になっていた。

 

 だが、強くなればなるほど、俺は怖くなった。

 

 家族を失うことが怖かった。

 

 それ以上に、家族が死ぬことを、いつか当たり前だと思うようになっちまうことが怖かったんだ。

 

 また一人死んだ。また仕返しをする。新しい家族が増える。そして、また誰かが死ぬ。

 

 そんなことを繰り返しているうちに、いつか俺は、家族の死に涙を流せなくなるんじゃねえか。

 

 そう考えるだけで、たまらなく恐ろしかった。

 

 だから俺は、弟妹たちの仕返しを必要以上に引き受けるようになった。

 

 俺が戦えばいい。俺が傷つけばいい。俺が全部片づければ、あいつらは死なずに済む。

 

 そう信じていた。

 

 ◇

 

「……おい、お前」

 

 ある日、仕返しから戻った俺を兄貴が呼び止めた。

 

「また弟たちの仕事を取ったらしいな」

 

「……ああ」

 

「何でだ?」

 

「決まってんだろ。あいつらを傷つけたくねえからだ」

 

 兄貴はしばらく黙って俺を見つめていた。

 

「俺がやれば済む話だ。だったら、俺がやった方がいい」

 

「……そうか」

 

 兄貴は小さく息を吐いた。

 

「お前の気持ちは、痛いほど分かる」

 

「…………」

 

「俺だって、家族が傷つくのは嫌だ。死んじまうなんざ、もっと嫌だ」

 

 そう言うと、兄貴は首元に手を伸ばした。そこには、長さも太さも違う鎖が、何重にも継ぎ接ぎされていた。

 

「なあ、お前。何で俺がこいつをつけてるか、知ってるか?」

 

「……知らねえ」

 

「こいつはな、俺が家族から受け取ってきた義理と絆だ」

 

「……義理と絆?」

 

「おう。家族が増えるたびに、少しずつつなぎ足してきたんだ」

 

 兄貴は古びた鎖の一節を指で持ち上げた。

 

「この錆びた部分は、もう死んじまった弟からもらったもんだ」

 

 続いて、別の鎖へ指を滑らせる。

 

「こっちは昔世話になった兄貴から。そんで、こいつは初めて俺を兄貴って呼んでくれた妹からだ」

 

 兄貴は鎖をそっと握った。

 

「形も長さもバラバラだが、全部つながってるだろ?」

 

「……ああ」

 

「家族ってのは、そういうもんだ」

 

 兄貴は懐かしそうに笑った。

 

「生きてようが死んでようが、俺たちの絆は切れねえ。つないでいく限り、ずっと家族なんだよ」

 

 俺は、その不格好な鎖を見つめた。初めて、それがただの飾りじゃないことを知った。

 

「だから、お前が家族を失うのを怖がる気持ちは、痛いほど分かる」

 

「だったら……!」

 

「ああ、分かるさ。だがな」

 

 兄貴の声が、少しだけ厳しくなった。

 

「お前が全部背負ってどうする」

 

「……何?」

 

「お前が弟たちの仕返しを全部引き受けちまったら、あいつらはいつ強くなるんだ?」

 

「俺が守ればいいだろ!」

 

「いつまでだ?」

 

 その言葉に、俺は口を閉じた。

 

「お前がいつまでも、あいつらの前に立っていられると思ってんのか?」

 

「……それは」

 

「俺たちは、いつ何が起こるか分からねえ都市に生きてる。だからこそ、弟たち自身が強くならなきゃならねえんだ」

 

 兄貴は俺の胸を指で叩いた。

 

「本当に家族を思うなら、傷つくことも許してやれ」

 

「……傷つくことを、許す?」

 

「ああ。転ぶことも、失敗することもな。お前が全部片づけてたら、あいつらは何も学べねえ」

 

 兄貴は笑った。

 

「お前は後ろで見てりゃいい。あいつらが帰ってきたら手当てしてやれ。失敗したら叱ってやれ。うまくやったら、思いっきり褒めてやれ」

 

「……それだけでいいのか?」

 

「それだけじゃねえ。それが大事なんだ」

 

 兄貴は俺の背中を力強く叩いた。

 

「お前が後ろにいる。それだけで、弟たちには力が湧いてくる」

 

「…………」

 

「本当に守りたいなら、あいつらが成長する機会を奪うな」

 

 俺は何も言えなかった。兄貴の言葉は、痛いほど胸に刺さった。

 

 俺は家族を守っているつもりだった。

 

 だが、本当は、また誰かを失うのが怖くて、あいつらが前に進むのを邪魔していたのかもしれない。

 

「……兄貴」

 

「何だ?」

 

「俺にも、できると思うか?」

 

 兄貴は一瞬驚いたような顔をした。それから、いつものように笑った。

 

「当たり前だろ!」

 

 そして、俺の頭を乱暴に撫でた。

 

「何せ、お前は俺の自慢の弟だからな!」

 

 まったく、この人には敵わねえ。

 

 俺は俯き、少しだけ笑った。

 

 ◇

 

 それから俺は、少しずつ変わっていった。

 

 弟妹たちに仕返しを任せるようになった。もちろん、最初は気が気じゃなかった。

 

 怪我をして帰ってくる奴もいれば、失敗して泣きながら戻ってくる奴もいた。そのたびに、俺は拳を握りしめた。

 

 俺が行けば、こんな目には遭わなかった。

 

 そう思うこともあった。

 

 だが、そのたびに兄貴の言葉を思い出した。

 

『本当に守りたいなら、あいつらが成長する機会を奪うな』

 

 だから、俺は待った。

 

 帰ってきた弟妹たちの傷を手当てし、失敗した理由を一緒に考えた。そして、うまく仕返しを果たしたときには、思いっきり褒めてやった。

 

 そうしているうちに、弟妹たちは少しずつ強くなっていった。

 

 ああ。

 

 兄貴の言っていたことは、こういうことだったんだな。

 

 ◇

 

 だが、そんな日々も長くは続かなかった。

 

 ある日、俺たちは大きな抗争に巻き込まれた。

 

 敵の数は多く、戦いは何日も続いた。弟妹たちも必死に戦い、俺も前に出た。

 

 そして、兄貴も。

 

 普段は俺たちを見守っていた兄貴が、最前線に立った。

 

「お前ら! ここが踏ん張りどころだぞ!」

 

「「「おおおおっ!」」」

 

 兄貴の声が響く。それだけで、家族たちの士気が上がった。

 

 すげえ。

 

 やっぱり、兄貴はすげえ。

 

 俺も、あんなふうになりてえ。

 

 そう思った。

 

 戦いは激しかった。何度も押し返され、何度も立て直した。だが、俺たちは諦めなかった。

 

 そして、ついに敵の最後の一人が倒れた。

 

「……勝ったぞ!」

 

 誰かが叫んだ。

 

「俺たちの勝ちだ!」

 

 弟妹たちが歓声を上げる。

 

 俺も思わず拳を突き上げた。

 

「がはは! やったな、兄貴!」

 

 振り返った、そのときだった。

 

 兄貴が、ゆっくりと膝をついた。

 

「……兄貴?」

 

 慌てて駆け寄ると、兄貴の身体は血で濡れていた。

 

 今まで気づかなかった。あの人は、ずっと致命傷を隠して戦っていたんだ。

 

「……おい、兄貴」

 

 俺は兄貴の肩を支えた。

 

「何やってんだよ」

 

 兄貴は、いつものように笑った。

 

「……はは。どうだ、俺の弟たちは」

 

「……何?」

 

「……強くなっただろ?」

 

 俺は唇を噛んだ。

 

「……ああ。強くなったよ」

 

「そうか……そりゃあ、よかった」

 

「……おい、立てよ」

 

 俺は兄貴の身体を抱え起こそうとした。

 

「勝ったんだぞ。帰って、みんなで飯食うんだろ?」

 

「……ああ。そうだな」

 

「だったら立てよ! 俺が肩貸してやるからよ!」

 

 兄貴は静かに首を振った。

 

「……悪いな」

 

「……何がだよ」

 

「どうやら、俺はここまでみてえだ」

 

「ふざけんな!」

 

 思わず怒鳴った。

 

「何言ってんだよ! あんたがいなくなったら、俺たちはどうすりゃいいんだ!」

 

 兄貴は、俺を見上げた。

 

「……お前がいるだろ」

 

「……は?」

 

「お前なら、大丈夫だ」

 

 兄貴は震える手で、首元の鎖を外した。

 

 何重にも継ぎ接ぎされた、不格好な鎖。

 

 それを、俺の手に握らせた。

 

「……こいつを、お前に預ける」

 

「……何言ってんだよ」

 

「先に逝った家族のこと……忘れねえでやってくれ」

 

「……そんなもん、あんたが持ってろよ」

 

 俺の声が震えた。

 

「俺には、まだ早えよ……!」

 

 兄貴は小さく笑った。

 

「……はは。頼んだぜ」

 

 その手が、俺の手を包む。

 

「……兄貴」

 

 その言葉を最後に、兄貴の手から力が抜けた。

 

「……兄貴?」

 

 返事はなかった。

 

「……おい」

 

 俺は兄貴の身体を揺すった。

 

「……起きろよ」

 

 それでも、返事はなかった。

 

「……兄貴ぃっ!」

 

 俺は泣いた。喉が潰れるほど泣いた。周りの弟妹たちも泣いていた。

 

 勝ったはずだった。家族を守れたはずだった。

 

 なのに、俺たちの一番大切な兄貴は、もう帰ってこなかった。

 

 ◇

 

 兄貴の葬儀が終わった後、俺は一人、鎖を見つめていた。

 

 長さも太さも違う鎖が、何重にも継ぎ接ぎされている。

 

 兄貴が生きてきた証。兄貴が守ってきた家族との絆。

 

 俺は、その鎖を首に下げた。

 

 重かった。

 

 鎖そのものの重さじゃねえ。そこに込められた想いが、重かったんだ。

 

 そして、俺は新しい鎖を用意した。

 

 兄貴の鎖に、継ぎ足すことはしなかった。できなかったんじゃねえ。したくなかったんだ。

 

 この鎖は、兄貴が背負ってきたものだ。兄貴が愛し、兄貴が守り、兄貴が失ってきた家族との絆だ。

 

 そこに俺のものを勝手につなぎ足すなんざ、兄貴の生き方を汚すような気がした。

 

 俺が背負うべきものは、俺自身で背負う。

 

 だから、俺は新しい鎖を用意した。最初につないだのは、兄貴を想う一節だった。

 

 その鎖を握りしめながら、俺は兄貴の墓の前で誓った。

 

「……兄貴。あんたの鎖は受け取った」

 

 風が吹き、二本の鎖が小さく音を立てる。

 

「だが、あんたの地位まで受け取るつもりはねえ」

 

 俺は墓石を真っ直ぐに見つめた。

 

「俺は俺の力で上に行く。俺の家族を守って、俺自身の鎖をつないでいく」

 

 兄貴は、俺に家族を託してくれた。

 

 だが、俺はまだ、あの人みたいに立派な兄貴じゃねえ。だからこそ、誰かに与えられるんじゃなく、自分の力でそこまでたどり着きたかった。

 

「……いつか末兄になったとき、胸張ってあんたに報告してやるよ」

 

 そう言って、俺は墓に背を向けた。

 

 ◇

 

 それから、長い年月が流れた。

 

 俺は何度も仕返しに向かい、何度も傷を負った。家族を守れたこともあれば、守れなかったこともあった。

 

 自分の判断を悔やみ、眠れねえ夜を過ごしたことだってある。

 

 それでも、俺は立ち止まらなかった。

 

 兄貴が教えてくれたように、弟妹たちの背中を支えた。仕返しを任せ、傷ついて帰ってきた奴には手当てをした。失敗した奴には叱り、成功した奴には思いっきり褒めてやった。

 

 そうしているうちに、俺を慕う家族は少しずつ増えていった。

 

 俺の鎖も、一節、また一節と長くなっていく。

 

 そして、ある日。

 

「……おめでとうございます、末兄!」

 

 家族の一人が、そう言って頭を下げた。

 

 周りの弟妹たちも、次々と声を上げる。

 

「末兄! おめでとうございます!」

 

「これからも、よろしくお願いします!」

 

 俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 

 末兄。

 

 あの日、兄貴の墓の前で誓った言葉が、頭をよぎる。

 

 俺は首元の二本の鎖に触れた。古い鎖と、新しい鎖。

 

 どちらも、あの日より重く感じられた。

 

「……がはは!」

 

 俺は大きく笑った。

 

「おう! 任せとけ!」

 

 そして、目の前の家族を見渡した。

 

「俺がお前らの兄貴だ! 何かあったら、遠慮なく頼ってこい!」

 

 弟妹たちが歓声を上げた。

 

 その笑顔を見て、俺はようやく実感した。

 

 兄貴。

 

 俺も、ここまで来たぜ。

 

 ◇

 

 末兄になってからも、俺の考えは変わらなかった。

 

 家族は何よりも大切だ。だからこそ、裏切りだけは絶対に許せなかった。

 

 ある日、俺の弟の一人が中指を裏切った。家族の情報を外へ流し、姿を消そうとしたんだ。

 

 捕まった弟は、俺の前で震えていた。

 

「……末兄」

 

 その声を聞いた瞬間、胸が痛んだ。

 

 覚えている。

 

 こいつが初めて家族になった日のことを。一緒に飯を食ったことを。怪我をして帰ってきたとき、俺が手当てしてやったことを。

 

 全部、覚えている。

 

 だが、裏切りは許せねえ。

 

 家族を裏切るってのは、他の家族を危険にさらすってことだ。俺が見逃せば、今ここにいる弟妹たちを守れなくなる。

 

「……兄貴、すみません」

 

 弟は泣いていた。

 

「俺、怖くなって……」

 

「……そうか」

 

 俺は静かに答えた。

 

「……末兄、どうか……」

 

 その声を遮るように、周りの弟妹たちが怒りを露わにした。

 

「末兄! こいつは家族を売ったんです!」

 

「簡単に終わらせるなんて、許せません!」

 

 その怒りは、分かる。俺だって、裏切りを許すつもりはねえ。

 

 だが。

 

「……下がってろ」

 

 俺は弟妹たちに告げた。

 

「こいつの始末は、俺がつける」

 

 震える弟の前に立ち、静かに問いかける。

 

「……最後に、何か言いてえことはあるか?」

 

「……ごめんなさい」

 

 弟は涙を流した。

 

「……兄貴」

 

 俺は目を閉じた。

 

 そして、一撃で終わらせた。

 

 弟が苦しむ時間は、ほとんどなかった。

 

 ◇

 

「……末兄」

 

 後ろにいた弟分が、俺に声をかけた。

 

「どうして、一撃で終わらせたんです?」

 

「…………」

 

「裏切り者には、もっと苦しみを与えるべきじゃ……」

 

「……ああ。そうかもしれねえな」

 

 俺は首元の二本の鎖に触れた。

 

「だがよ、あいつは俺の弟だったんだ」

 

 弟分は黙ったまま、俺を見つめていた。

 

「一緒に飯を食った。馬鹿みてえに笑った。怪我したときは俺が手当てしてやった」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……だからって、裏切りを見逃すわけにはいかねえ」

 

 少しの沈黙の後、俺は続けた。

 

「せめて、苦しまねえようにしてやる。それくらいしか、もう兄貴らしいことをしてやれねえんだよ」

 

 弟分は何も言わなかった。俺も、それ以上は話さなかった。

 

 ただ、首元の鎖を握りしめた。

 

 また一人、失っちまったな。

 

 俺は自分の鎖に、新しい一節を継ぎ足した。

 

 裏切りは許さねえ。だが、あいつが俺の弟だった時間まで、消えるわけじゃねえ。

 

 だから、忘れねえ。

 

 あいつのことも。俺が、この手で終わらせたことも。

 

 全部、背負っていく。

 

 ◇

 

 末兄になって、しばらく経ったある日。

 

 俺は久しぶりに兄貴の墓を訪れた。

 

 首元の二本の鎖が、風に揺れる。

 

「……よう、兄貴」

 

 俺は墓石の前にしゃがみ込んだ。

 

「随分と待たせちまったな」

 

 返事はない。だが、俺は構わず話し続けた。

 

「がはは! 俺もとうとう末兄になっちまったぜ!」

 

 首元の二本の鎖を握りしめる。

 

「……少しは、あんたの背中に近づけたか?」

 

 目を閉じると、昔のことが思い浮かんだ。

 

 初めて食わせてもらったパン。初めて家族と呼ばれた日。初めて、誰かの帰りを待った夜。

 

 そして、最後に見た兄貴の笑顔。

 

「……俺は、まだまだあんたみたいにはなれねえよ」

 

 俺は小さく笑った。

 

「家族を失うのは、今でも怖え。裏切られりゃ、胸が痛む。自分の判断が正しかったのか、分からなくなることだってある」

 

 風が吹き、二本の鎖が小さく触れ合った。

 

「でもよ、それでいいんだよな?」

 

 兄貴の言葉を思い出す。

 

『本当に守りたいなら、あいつらが成長する機会を奪うな』

 

 あの日、俺は兄貴の背中を追いかけることを決めた。

 

 だが、今は少しだけ違う。

 

 俺にも、守るべき家族がいる。俺の背中を見て、ついてきてくれる弟妹たちがいる。

 

 だから、いつまでも兄貴の背中を追いかけているだけじゃいられねえ。

 

 今度は、俺があいつらに背中を見せる番なんだ。

 

「……見ててくれよ、兄貴」

 

 俺は立ち上がり、墓石に背を向けた。

 

「俺も、あんたに負けねえくらい、立派な兄貴になってみせるからよ!」

 

 そう言って歩き出す。

 

 帰れば、弟妹たちが待っている。

 

 今日もきっと、くだらねえことで喧嘩している奴がいるだろう。怪我をして帰ってくる奴もいるかもしれねえ。

 

 だったら、帰って手当てしてやらねえとな。

 

 そして、みんなで飯を食うんだ。

 

 あの日、兄貴が俺にしてくれたように。

 

「がははは!」

 

 俺は笑った。

 

 首元で、二本の鎖が音を立てる。

 

 一本は、兄貴が生きた証。

 

 もう一本は、俺が生きてきた証。

 

 俺はその二本を胸に、家族の待つ場所へと歩いていった。




末兄の外伝制作中です
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