あの日から、俺はあの路地裏で、あいつと何度も顔を合わせるようになった。
最初のうちは、顔を合わせても大した会話はなかった。
俺が声をかければ、面倒くさそうな顔をされる。
食べ物を差し出せば、決まって「借りにはしねえからな」と念を押される。
……どうやら、あいつの中ではそれが重要らしい。
「よう」
「……またお前か」
「うん。また俺だよ」
「暇なのか、お前」
「まあ、暇といえば暇かな」
「……変な奴」
初めて会ったときから、あいつの口の悪さは変わらなかった。
ただ、以前と違うこともある。
最初は俺が近づくだけで警戒していたのに、最近では、俺が路地裏に顔を出しても露骨に追い払おうとはしなくなった。
食べ物を持っていけば、文句を言いながらも受け取る。
俺が話をすれば、興味がなさそうな顔をしながらも、最後まで聞いている。
少しずつではあるけれど、警戒されなくなってきたのかもしれない。
そう考えると、なんだか嬉しかった。
もっとも、本人に言ったら怒鳴られるだろうから、黙っておくことにした。
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その日も、俺はいつもの路地裏へ向かっていた。
特に用事があったわけではない。
ただ、あいつがいるかもしれないと思っただけだ。
……別に、会いに来たわけじゃない。
自分にそう言い訳しながら路地を曲がると、案の定、壁際に座り込んでいる姿が見えた。
「よう。今日は早いな」
「お前が遅えんだよ」
「え、待っててくれたの?」
「んなわけあるか!」
即座に怒鳴られた。
どうやら、違ったらしい。
俺は苦笑しながら、手に持っていた包みを見せた。
「今日は食べ物、持ってきたよ」
「……別に頼んでねえぞ」
「うん。俺が勝手に持ってきただけだから」
「……お前、ほんっとにお人好しだな」
「そうかな?」
「そうだよ」
あいつは呆れたようにため息をついた。
それでも、差し出した食べ物は受け取ってくれた。
こうして見ると、初めて会った頃よりずいぶんと素直になった気がする。
……いや、食べ物を受け取ることを素直と言っていいのかは、よく分からないけれど。
「そういえば、怪我はもう大丈夫?」
何気なく尋ねると、あいつは一瞬だけ顔をしかめた。
「……もう何ともねえよ」
「そっか。よかった」
「お前に心配されるようなことじゃねえ」
「でも、最初に会ったときは、結構ひどい怪我だっただろ?」
「……」
あいつは答えず、手に持った食べ物に視線を落とした。
少しだけ、空気が変わった気がした。
何か聞かれたくないことでもあるのだろうか。
そう思い、俺はそれ以上追及しないことにした。
誰にだって、話したくないことくらいある。
無理に聞き出したところで、相手を困らせるだけだ。
俺は話題を変えようと、適当な話を始めた。
ところが。
「……あのときのこと、気にならねえのか?」
突然、あいつが口を開いた。
「え?」
「俺が、あんな怪我してた理由だよ」
思わず目を瞬かせた。
正直に言えば、気にならないわけではなかった。
けれど、本人が話したくなさそうだったから、聞かないでいただけだ。
「気にはなるけど……話したくないなら、別にいいよ」
「……そうかよ」
あいつは少しだけ黙った。
それから、どこか不機嫌そうな顔のまま、ぽつりと話し始めた。
「……友達が、悪い大人に絡まれてたんだよ」
「友達?」
「ああ。そいつ、食い物を取り上げられそうになっててさ」
あいつは苛立たしそうに舌打ちした。
「見て見ぬふりなんかできるわけねえだろ。だから、助けようとした」
「……それで、あの怪我を?」
「そうだよ。あいつら、見た目よりずっと強くてな。結局、俺までボコボコにされた」
言葉の端々から、悔しさが伝わってきた。
自分が怪我をしたことよりも、友達を助けきれなかったことが許せない。
そんな様子だった。
「……友達は大丈夫だった?」
俺が尋ねると、あいつは少しだけ顔を上げた。
「何とか逃げられた。……けど」
そこで言葉が途切れた。
「俺が、もっと強けりゃよかったんだ」
その声は、いつもの威勢のよさとは違っていた。
俺は何も言えなかった。
簡単に「そんなことない」と言うのも違う気がしたし、かといって、何も言わずにいるのも落ち着かなかった。
少し考えてから、俺は口を開いた。
「でも、助けようとしたんだろ?」
「あ?」
「友達を見捨てないで、助けようとしたんだろ。それって、すごいことだと思うよ」
あいつは、きょとんとした顔で俺を見た。
「……何言ってんだ、お前」
「え? いや、普通にそう思っただけだけど」
「助けられなかったんだぞ」
「うん」
「俺が弱かったせいで、あいつを危険な目に遭わせたんだ」
「……そっか」
俺は少しだけ考えた。
きっと、俺が何を言っても、あいつの悔しさが消えるわけじゃない。
だったら、無理に慰める必要はないのかもしれない。
「じゃあ、次は助けられるくらい強くなればいいんじゃないかな」
「……は?」
「今は無理でも、これから強くなればいい。そうすれば、次は守れるかもしれないだろ?」
あいつはしばらく黙っていた。
そして、やがて小さく鼻を鳴らした。
「……簡単に言いやがって」
「そうかな?」
「そうだよ。強くなるってのは、そんな簡単なことじゃねえ」
「うん。それはそうだと思う」
俺は頷いた。
「でも、何もしなかったら、ずっと変わらないだろ?」
あいつは俺の顔をじっと見つめた。
その目には、まだ悔しさが残っていた。
けれど、それだけではない何かも、ほんの少しだけ見えた気がした。
「……お前って、本当に変な奴だな」
「よく言われるよ」
「それ、気に入ってんのか?」
「まあ、最近はちょっと」
「馬鹿じゃねえの」
そう言いながら、あいつは小さく笑った。
初めて会ったときには見られなかった表情だった。
俺はそれが、なんだか嬉しかった。
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