「……さて」
彼女は僕の顔をしばらく眺めると、満足そうに笑った。
「色々と積もる話もあるだろうが……まずは、お前のことを家族に紹介するか」
「……家族?」
「ああ。俺の大切な家族だ」
そう言って、彼女は背後に控えていた中指の男たちへ振り返った。
「おい、お前ら。ちょっとこっち来い」
「はっ! 何でしょう、姉貴!」
男たちが一斉に集まってくる。
彼女は僕の肩をぐいっと抱き寄せた。
「わっ……! ど、どうしたの?」
「いいから、黙って聞いてろ」
彼女は楽しそうに笑い、弟分たちへ告げた。
「紹介する。こいつは俺の恩人だ」
そして、一拍置いて続けた。
「……それと、俺の大切な家族でもある」
「……家族、ですか?」
男たちの間に、わずかなざわめきが広がった。
それも無理はないだろう。
僕は中指の人間ではないし、彼らとは今日初めて会ったばかりだ。
それなのに、彼女は僕を家族だと言った。
「そうだ。俺がまだ弱かった頃、こいつには何度も助けられた」
彼女は僕の肩を抱いたまま、どこか誇らしげに続ける。
「こいつがいなけりゃ、今の俺はいねえ。俺にとっては、それくらい大切な奴なんだよ」
「そ、そんな……大げさだよ」
「大げさじゃねえって」
彼女は僕の顔を覗き込み、にやりと笑った。
「お前は忘れてるかもしれねえが、俺は全部覚えてるからな」
「……そっか」
あの頃のことを、彼女も覚えていてくれた。
それが嬉しくて、僕は思わず笑ってしまった。
すると、男たちの一人が遠慮がちに口を開いた。
「……あの、姉貴」
「あ?」
「その……本当に、この方が姉貴の恩人なんですか?」
「そう言ってんだろ」
「ですが……」
男は僕をちらりと見た。
そして、思わずといった様子で呟いた。
「こんな弱そうな奴が、ですか?」
その瞬間だった。
「……おい」
彼女の声が、低くなった。
先ほどまで僕の隣で楽しそうに笑っていた彼女の表情から、すっと笑みが消える。
「……今、何つった?」
「え……?」
男は戸惑ったように顔を上げた。
「い、いえ! その、姉貴ほどのお方が、こんな九級フィクサーに助けられたというのが、少し意外で……」
「……そうか」
彼女は静かに答えた。
だが、その声には明らかな怒気が含まれていた。
「だったら、一つ教えてやる」
彼女は僕の肩から腕を離すと、男の前へ歩み寄った。
「俺はこいつを、家族だと言ったんだ」
「…………!」
「それがどういう意味か、分かってんのか?」
「は、はい……!」
「だったら、何でそんな言葉が出てくる?」
男は何も答えられなかった。
彼女はさらに一歩近づく。
「弱そうだから何だ? 九級フィクサーだから何だ?」
「い、いえ! 決して侮辱するつもりでは……!」
「侮辱するつもりがなきゃ、何を言ってもいいってのか?」
その声は、もはや先ほどの穏やかなものではなかった。
周囲の男たちが、一斉に口を閉じる。
彼女は男を睨みつけたまま、低い声で続けた。
「……今回は見逃してやる」
「…………!」
「お前も俺の弟分だ。家族だからな」
そこで一度、言葉を区切る。
「だが、次はねえぞ」
男の肩がびくりと震えた。
「こいつへの侮辱は、俺への侮辱でもある」
彼女は男の目をまっすぐに見据えた。
「……覚えておけ」
「は、はいっ! 申し訳ありませんでした、姉貴!」
男は勢いよく頭を下げた。
周囲の弟分たちも、誰一人として口を開こうとしなかった。
僕は慌てて彼女のもとへ駆け寄った。
「ま、待って! 僕は別に気にしてないから!」
「……あ?」
彼女が振り返る。
その瞬間、先ほどまでの険しい表情が少しだけ和らいだ。
「お前は気にしてなくても、俺が気にするんだよ」
「でも、悪気があったわけじゃないと思うし……」
「……ったく」
彼女は呆れたように笑った。
「本当に変わってねえな、お前は」
そう言って、僕の頭をぽんぽんと撫でる。
「分かったよ。お前がそう言うなら、今回はこれで終わりだ」
「……ありがとう」
「礼を言われるようなことじゃねえよ」
彼女は笑った。
その笑顔は、つい先ほど弟分を睨みつけていた人物と同じとは思えないほど穏やかだった。
僕は少しだけ安心した。
けれど、彼女の背後にいる弟分たちは違った。
彼らは皆、目の前の光景を信じられない思いで見つめていた。
中でも、長く彼女に仕えてきた一人の男は、奇妙な違和感を覚えていた。
――何だ、今のは。
姉貴は、家族を何よりも大切にする。
それは間違いない。
弟分が傷つけられれば怒り、侮辱されれば仕返しをする。
家族のためなら、どんな相手にも立ち向かう。
それこそが、自分たちの知る姉貴だった。
だが。
――何かが違う。
男は、少年の頭を撫でる姉貴を見つめた。
あんな表情を、見たことがあっただろうか。
あんなにも嬉しそうに、誰かの隣で笑う姿を。
そして何より。
――俺たちに向ける「家族」と、あのフィクサーに向ける「家族」は……本当に同じものなのか?
姉貴が自分たちを大切にしてくれていることは、疑っていない。
だが、目の前の少年に向ける感情には、それとは明らかに違う何かが混じっている。
家族への愛情。
恩人への感謝。
それだけでは説明できない、もっと深く、重い何か。
「……おい」
突然、彼女がこちらを向いた。
男は思わず背筋を伸ばす。
「はっ!」
「何ぼさっとしてんだ。帰るぞ」
「りょ、了解です!」
彼女はそれだけ言うと、再び僕へ向き直った。
「さて、お前。これから時間あるか?」
「え? うん。所長に連絡はしないといけないけど……」
「所長?」
「ああ。僕が所属してる事務所の所長なんだ。すごくお世話になってて……」
「……へえ」
彼女は笑った。
「随分、そいつのことを信頼してるんだな」
「うん! 僕にフィクサーとしての戦い方を教えてくれた人なんだ」
「……そうか」
彼女はにこりと笑った。
その笑顔を見て、弟分の男はなぜか背筋に冷たいものを感じた。
――……ああ。
男はようやく理解した。
姉貴にとって、あの少年は。
ただの家族などではない。
もっと特別な、何かなのだ。
そんな弟分の視線にも気づかず、彼女は僕の肩を抱き寄せた。
「じゃあ、連絡が終わったら飯でも食いに行こうぜ」
「……ご飯?」
「ああ。何年も会ってなかったんだ。積もる話くらいあるだろ?」
「……うん!」
僕は笑って頷いた。
「僕も、君に聞きたいことがいっぱいあるんだ」
「はっ。俺もだよ」
彼女は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、さっきまでの恐ろしい光景が少しだけ遠ざかった気がした。
けれど、僕はまだ知らなかった。
彼女が僕と過ごせなかった年月を、どれほど強く取り戻そうとしているのか。
そして、彼女にとっての「家族」という言葉が、僕に対してだけはまったく違う意味を持っていることを。
弟分たちが去り際に振り返ると、姉貴はまだ少年の隣にいた。
血に濡れた外套のまま、何でもない話をしている。
その横顔は、先ほどまで仕返しを執行していた人物と同じとは思えないほど穏やかだった。
「……なあ」
若い弟分が、小声で隣の男に尋ねた。
「あのフィクサー、本当に姉貴の家族なんですかね?」
「……ああ」
長く彼女に仕えてきた男は、しばらく考えてから答えた。
「少なくとも、姉貴はそう思ってるんだろうな」
「……でも、何か変じゃありませんでした?」
「…………」
男は答えなかった。
代わりに、もう一度だけ振り返る。
少年が何かを話すたびに、姉貴は楽しそうに笑っていた。
まるで、長年失くしていた宝物をようやく取り戻したかのように。
――家族、か。
男は心の中で呟いた。
自分たちも、確かに姉貴の家族だ。
それは疑いようがない。
だが、あの少年は違う。
同じ言葉で呼ばれていても、そこに込められた感情の重さが、まるで違っていた。
そして男は、ふと思った。
――もし、あのフィクサーが姉貴の前からもう一度いなくなったら。
そのとき、姉貴はどうなってしまうのだろう。
考えただけで、背筋が冷たくなった。
「……余計なことは考えるな」
男は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「俺たちは、姉貴の家族だ。それで十分だろ」
そう言って、男は歩き出した。
背後では、まだ少年と姉貴の楽しそうな声が聞こえていた。
その声が、いつまでも続けばいい。
男は、心からそう願った。