黒胡椒の収穫の時期になると、街の者は皆ソワソワし始める。
なんたって年に一度の収穫祭に、通常一隻しか来ない貿易船が二隻もやってきて、さまざまな異国の品々や異人たちが収穫祭を楽しみに訪れるのだ。
特にこの時期は胡椒が大量に採れるため、道具屋でも比較的安価で販売が行われる。それゆえに、街には自然と人が集まってくるのだった。
異人の侵入に備え、城の兵たちもいつにも増して厳重な警備に当たる。
それ故に、指南役であるカムイもこの1週間だけは隣村のレーベまで出向という形になっていた。
「アルタ! 俺のいない間、修行を怠るなよ!」
「チェ、いいなぁカムイさん。僕も連れてってくれよ」
「俺は遊びに行くわけじゃないんだ。ポポスさんだって観光客相手に手が足りなくて困っているだろう。武器屋でも胡椒を売るんだからな」
「たまには俺だってもっと外に出かけたいよ」
そこに、仕込みの手を止めたポポスがやってきた。
「アルタ。収穫祭のアリアハンは人でごった返す。もしお前に何かあったら、オルデガ様に合わせる顔がない。カムイ殿と一緒に連れていってもらいなさい」
「えっ、本当かい!?」
アルタは目を輝かせると急いで家に戻り、旅の支度を整えて、腰にカムイから買ってもらった剣を据えた。
「カムイさん! 俺も連れていってくれよ! ポポスのおじさんが、一緒にいろって!」
「なっ……! 途中で魔物も出るかもしれんぞ。最近はアリアハン大陸でもちょくちょく魔物の目撃があるからな……。まぁいい、これも武者修行の一環だ!」
レーベへの道のりは、徒歩で2日かかる。
途中、1回野宿をする必要があった。
カムイとアルタは、数名の近衛兵と共にアリアハンを発った。
「カムイさん! 俺、この橋から向こう岸へ行くの初めてだよ!」
「アルタ、はしゃいでるのも今のうちだ。疲れて泣き言を言うんじゃないぞ」
原野を越えて森を抜け、遠くに街あかりが小さく見えはじめたが、レーベへの道のりはまだ遠かった。
「はぁ……もう歩けない……。休みなしだもの」
「だから言っただろう。しょうがない、今日はここで野宿とする。みんな、準備してくれ」
ある者は火を焚き、ある者は食事の支度をする。
「比較的安全だと言われているアリアハンだが、夜にはどんな魔物が出るかわからん。警戒を怠るなよ。交代で見張りをつける。食事を取れる者は先に取っておくがいい」
ぱちぱちと爆ぜる炎を見つめながら、アルタはポツリとつぶやいた。
「父さんもこうやって野宿したり、歩き疲れたり、焚き火を見て癒やされたりしたのかな……」
カムイは、毎日厳しく修行をつけている相手が、まだ14歳の子供であることを改めて感じ取っていた。
「あぁ……。オルデガ様はいつも、こうして一人で焚き火を眺めていらしたのだろう。そして、まだ腹の中にいたお前のことを想っていたに違いない。……世界を守りたいと国を出たが、実際はイル様とお前を守りたかったのさ」
焚き火の温もりに包まれながらアルタがウトウトとしはじめたその時、茂みの奥から、食事の匂いを嗅ぎつけた不穏な気配が忍び寄ってきた。
――これって、昔の森に入った時に感じた恐怖……。
薬草を採りに出かけたあの日に味わった、あの冷たい恐怖だ。
「アルタ、気をつけろ! 何匹いるかわからん、剣を構えろ!」
暗闇のなかに、赤く光る無数の目が浮かび上がる。
ゴクリと、アルタは息を呑んだ。
「カムイ様! 一角うさぎの群れが10時の方向から来ます!」
「来やがったか!」
カムイが鋭く剣を抜き放つ。
「アルタ! これは訓練じゃないぞ、やられる前に叩き切れ!」
震える手を押さえながら、アルタは必死に剣を構えた。
「見張りの男が襲われたぞ!」
誰かの叫び声を合図に、戦闘が始まった。
イノシシほどの巨体を持つ一角うさぎが、額の鋭い角を剥き出しにして、兵士の盾を凹ませるほどの勢いで突進してくる。
「バラモスの眷属か……! 気をつけろ!」
カムイが次々とウさぎを叩き切り、兵士たちも必死に応戦するが、アルタはあまりの光景に恐怖で足をすくわれ、動けずにいた。
――これが魔物。これが本当の戦い……!
バコタや修行で剣を交えてはいたが、人間同士の争いとは比べ物にならないほどの殺気と恐怖だった。
その時、一頭の一角うさぎがカムイの隙を縫って、アルタをめがけて一直線に突進してきた。
「くっ……来るなっ!」
慌てて剣を振るうが、ぶ厚い毛皮に覆われたモンスターの皮膚に、未熟な剣は弾かれて届かない。
「アルタ! 基本を忘れたか! 腰を据えて、身体全体で剣を振れ!」
「ううぁぁーーっ!」
必死の叫びと共に振り抜いたアルタの一撃が、一角うさぎの首を跳ね飛ばした。
初めての戦い。初めて命を奪う感覚……。自分は少しは強くなっていると思い込んでいたアルタは、魔物と戦うことの過酷さと、その底知れぬ恐怖を思い知らされるのだった。
「アルタ、大丈夫か! 顔が真っ青だぞ、手の力を抜け!」
「だ……だめだ、カムイさん……剣が……離れない……」
腰を抜かしたアルタは、そのままガクリと糸が切れたように気を失ってしまった。