仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー リメイク版   作:水野芽生

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その10:引っ越し先は、どこですか

 

 ──2013年6月中旬/鳥取県境港市

 

 1.町が変わるということ

 

 町というものは、少しずつ姿を変えていく。

 

 新しい店ができることもあれば、昔からあった店が閉まることもある。道路が広くなり、駐車場が増え、古い建物が取り壊されて、その跡地にまったく違うものが建つ。

 

 前世で会社員をしていた頃も、そうした変化を何度か見てきた。

 

 久しぶりに訪れた場所で、昔よく利用していた喫茶店がなくなっていたり、何もなかった土地に大きな商業施設が建っていたりすると、少し不思議な気分になるものだ。

 

 ただし、それを一概に悪いことだとは思わない。建物は古くなるし、町の人々が必要とするものも変わっていく。

 

 問題は、その変化によって何が失われるのか、ということだろう。

 

「……あれ?」

 

 六月のある放課後。

 

 僕は、水木しげるロードから少し外れた通りで足を止めた。

 

 隣には六花がいる。今日は二人で文房具を買いに来た帰りだった。

 

「どうしたの、蓮?」

 

「いや、あそこ」

 

 僕が指さしたのは、古い木造建築だった。

 

 表通りに面した部分は、かつて何かの商店だったらしい。大きなガラス戸の向こうに、使われていない棚や古い机が見える。隣には小さな倉庫があり、その奥へ細い路地が続いていた。

 

 ずいぶん年季の入った建物だが、少なくとも以前は、周囲の景色に自然に溶け込んでいた。

 

 ところが今日は、入口の近くに新しい看板が立っている。

 

 ──建物解体工事のお知らせ。

 

「ああ、取り壊すんだ」

 

「そうみたいだね」

 

 看板には、建物の老朽化に伴う解体工事であること、工事開始は約三週間後であること、作業中の安全確保と近隣住民への注意事項が書かれていた。

 

 ごく普通の工事案内だった。

 

「結構古そうだもんね」

 

 六花が建物を見上げた。

 

「うん。仕方ないのかも」

 

 屋根瓦の一部は色が変わっているし、外壁にも傷みが見える。補修すればまだ使えるのかもしれないけれど、その費用がどれほどかかるかは分からない。建物の所有者にも事情があるだろう。

 

「……でも、ちょっと寂しいね」

 

「そうだね」

 

 そのときだった。

 

『……どうしよう』

 

 小さな声が聞こえた。

 

 建物の奥からだったような気がする。

 

『おうち、なくなっちゃう』

 

 今度は、はっきり聞こえた。

 

 幼い子供の声だった。

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、ゆっくりと六花を見た。

 

 彼女も、こちらを見ていた。

 

「……聞こえた?」

 

「うん」

 

 六花は頷き、少し困ったように笑った。

 

「……これ、もしかして」

 

「……うん」

 

 古い商店。取り壊しの看板。そして、誰もいないはずの建物の奥から聞こえた声。

 

 ……ああ。

 

 何となく、分かってしまった気がする。

 

 この街には、人間の住民票を持たない住人がいる。それも、決して少なくない数が。

 

 人間が使っていない建物が、誰にとっても空き家とは限らない。

 

 2.住民票のない一家

 

「……ああ、あそこか」

 

 松浦源三さんは、僕たちの話を聞くと、少しだけ眉をひそめた。

 

 翌日の土曜日。

 

 僕と六花は、源三さんの家を訪れていた。灯吉に約束のラムネも持ってきたけれど、今は別の話をしているところだった。

 

「取り壊しのこと、ご存じだったんですか?」

 

「うむ。少し前から話は聞いておった。だが、いよいよ決まったようじゃな」

 

「やっぱり、あそこには妖怪が住んでるんですか?」

 

「おるよ。何組か、昔から住み着いておる」

 

 源三さんは湯呑みを置いた。

 

「困ったのう。そろそろ相談せねばと思っとったところじゃ。引っ越し先のことじゃよ」

 

 やはり、そういう話だったらしい。

 

「でも、源三さんが全部引き受けるのも大変ですよね」

 

 六花が言った。

 

「そうなんじゃ。あそこに住んでおる連中は、みんな暮らし方が違うからのう」

 

 源三さんは少し考えてから、僕たちへ向き直った。

 

「せっかくじゃ。少し会ってみるかね?」

 

「……いいんですか?」

 

「向こうが構わんと言えばな」

 

 六花も賛成したので、僕たちは源三さんと一緒に古い建物へ向かうことになった。

 

 ただし、建物の中へ勝手に入るわけではない。源三さんが先に住人へ連絡し、安全な場所で会う手筈を整えてくれた。

 

 ……何というか。

 

 妖怪と会うときにも、ちゃんとアポイントメントが必要らしい。

 

 前世の社会人経験が、思わぬところで役に立ちそうだった。

 

 待ち合わせ場所は、建物の裏手にある小さな庭だった。

 

 表通りからは見えにくいが、塀の内側には古い木と石灯籠が残っている。

 

 源三さんが声をかけると、庭の奥から二つの影が現れた。

 

 猫だった。

 

 いや。

 

 正確には、猫に似た妖怪だった。

 

 一匹は、茶色と白の毛並みをした、少し大柄な猫。もう一匹は、黒っぽい毛並みの、すらりとした猫。

 

 どちらも尻尾が二本ある。

 

 ……。

 

 …………。

 

 猫又だ。

 

「こんにちは。源三さんからお話は伺っています」

 

 茶白の猫が、丁寧な日本語で挨拶した。

 

 ……喋った。

 

 普通に喋った。

 

 妖怪なのだから当たり前なのかもしれない。でも、実際に猫の口から人間の言葉が出てくると、やっぱり驚く。

 

「初めまして。佐藤蓮です」

 

「小鳥遊六花です!」

 

 慌てて頭を下げると、茶白の猫又は少しだけ目を細めた。

 

「私は茶々丸。十八歳です」

 

「小夜と申します。十六歳です」

 

 黒い猫又も頭を下げる。

 

 猫又というと、何十年も生きた猫が変化した存在という印象があった。けれど、生まれながらの猫又もいれば、別の経緯で猫又になるものもいるという。

 

 そして、この二匹は夫婦だった。

 

「それから……」

 

 小夜さんが、後ろを振り返った。

 

「こま。ご挨拶なさい」

 

 庭木の陰から、小さな影が現れた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 小さい。

 

 ものすごく小さい。

 

 手のひらに収まりそうな、三毛猫の子供だった。

 

 ただし、その尻尾は二本に分かれている。

 

 ちょこん。

 

 小さな猫又は僕たちの前へ座り、胸を張った。

 

「こま、いっちゃい!」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、思わず笑ってしまった。

 

 六花は、すでに目を輝かせている。

 

「……かわいい!」

 

 小さな猫又は、さらに得意そうになった。

 

「こま、いっちゃい!」

 

「うんうん。一歳なんだね!」

 

「いっちゃい!」

 

 どうやら、そこは譲れないらしい。

 

 茶々丸さんが、少し照れくさそうに笑った。

 

「娘なんです。最近、自分の年齢を言えるようになりまして」

 

「まだ少し舌足らずですけど」

 

 小夜さんも、優しそうに目を細めていた。

 

 父親十八歳、母親十六歳、娘一歳。

 

 種族によって成長の仕方が違うのだから、人間の年齢感覚をそのまま当てはめることはできない。それは、灯吉のときに学んだばかりだった。

 

「……こまちゃん、こんにちは」

 

 声をかけると、小さな猫又は僕を見上げた。

 

「こんにちは!」

 

 それから、少しだけ首を傾げる。

 

「おにいちゃん、ねこ?」

 

「……え?」

 

「ねこ?」

 

「……僕? 人間だよ」

 

 こまは、しばらく僕を見つめた。

 

 そして。

 

「にんげん!」

 

 嬉しそうに叫んだ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ああ。

 

 駄目だ。

 

 可愛い。

 

 これは、かなり可愛い。

 

 隣では、六花が完全に頬を緩めていた。

 

「蓮、見て! 尻尾二本ある!」

 

「……うん。見えてる」

 

「すごいねぇ」

 

 六花がしゃがんでこまの顔を覗き込むと、こまは嬉しそうに二本の尻尾を揺らした。

 

 ……何だろう。

 

 僕たちは今、妖怪と会っているはずなのに。

 

 どうしてこんなに和やかなのだろう。

 

 3.猫又なのに、猫とは話せない

 

「……ねえ」

 

 こまが、突然僕の方を向いた。

 

「おにいちゃん、ねこしゃん、しってる?」

 

 ……猫さん?

 

「普通の猫?」

 

「うん! ねこしゃん!」

 

 茶々丸さんが、少し困ったように笑った。

 

「実は、この子、普通の猫とお話ししてみたいらしくて」

 

「……お話?」

 

「この辺りに、ときどき野良猫が来るんです。こまは、その子と仲良くなりたいらしいんですが……」

 

 小夜さんが、娘の方を見た。

 

 こまは、胸を張っている。

 

「こま、こんにちはっていう! でも、ねこしゃん、にゃーっていう!」

 

 ……。

 

 …………。

 

「……それは、そうだね」

 

 普通の猫は、日本語を話さない。当たり前のことである。

 

 しかし、こまは猫又だ。それなら、猫の言葉も分かるのではないだろうか。

 

「こまちゃん、猫の言葉は分からないの?」

 

 尋ねると、こまはきょとんとした顔をした。

 

「……ねこのことば?」

 

「うん」

 

 少し考えてから、元気よく答える。

 

「こま、にほんご!」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、思わず固まった。

 

 六花が吹き出した。

 

「あははは!」

 

 こまは、不思議そうに首を傾げている。

 

 小夜さんが、申し訳なさそうに説明してくれた。

 

「この子、今のところ日本語しか話せないんです。私たち猫又も、みんなが猫の言葉を自由に話せるというわけではありませんし」

 

「普通の猫とは、身体の動きや匂い、鳴き声の調子で、ある程度気持ちを読み取れます。でも、それは人間の言葉みたいに会話できるという意味ではないんですよ」

 

 茶々丸さんも頷いた。

 

 なるほど。

 

 考えてみれば、当たり前かもしれない。猫又と普通の猫は、同じ存在ではないのだ。

 

「……でも、こまちゃんはお話ししたいんだね」

 

「うん!」

 

 こまは、庭の塀の方を見た。

 

「ねこしゃん、こんにちはっていう!」

 

 何とも微笑ましい。

 

 つい笑ってしまったけれど、その横で、茶々丸さんと小夜さんは少しだけ表情を曇らせていた。

 

 ……ああ。

 

 そうだった。

 

 今日は、猫又の一家を見に来ただけではない。

 

 この家には、取り壊しの予定があるのだ。

 

 そして、この一家は、もうすぐ住む場所を失うかもしれない。

 

 4.家のない住人たち

 

「……実は、この建物にはほかにも住人がいるんじゃ」

 

 源三さんが言った。

 

 僕たちは、庭の縁側へ移動した。建物の中は老朽化が進んでいるため、今日は立ち入らない。

 

 源三さんによれば、以前は別の商店が使っていた建物らしい。その店が閉まってからも、裏手の倉庫や離れは、何人かの妖怪たちの住まいになっていた。

 

 もちろん、誰も住んでいないからといって、勝手に占拠してよいという話ではない。以前の所有者は彼らの存在を知っていて、使っていない部分に住むことを黙認していたそうだ。

 

 ところが、その所有者が亡くなり、建物は親族へ引き継がれた。新しい所有者は、建物の老朽化を理由に取り壊しを決めた。

 

 ごく普通の事情だった。

 

「……じゃあ、取り壊す人が悪いわけじゃないんですね」

 

「そうじゃ。古い建物をいつまでも残せるとは限らんしのう。ただ、住んでおる連中にとっては困った話じゃ」

 

 猫又の一家のほかにも、小さな妖怪が何人か暮らしているという。

 

 軒先の雨垂れを好む小妖怪。それから、古い木製の敷居に結び付いた付喪神。

 

 どちらも、普段は人間の前に姿を現さない。人間に悪さをしているわけでもなく、ただ静かに暮らしていただけだった。

 

 けれど、建物が取り壊されれば、そのまま住み続けることはできない。

 

「……みんな、引っ越し先は決まってないんですか?」

 

 六花が尋ねた。

 

「まだじゃ。わしの家で一時的に預かることはできる。だが、みんなを長く住まわせるとなると、ちょいと難しい。暮らし方が違うからのう」

 

 猫又の一家には、乾いて暖かい場所が必要だろう。一方、雨垂れを好む妖怪なら、湿った場所の方が暮らしやすいかもしれない。古い敷居に結び付いた付喪神については、そもそも移動できるのかという問題がある。

 

 全員を同じ部屋へ入れれば解決、という話ではないらしい。

 

「……引っ越しって、大変ですね」

 

「人間も同じじゃろ?」

 

「……確かに」

 

 前世では、引っ越しを経験したことがある。荷物をまとめ、契約を確認し、住所変更の手続きをして、新しい生活環境を整える。それだけでも相当な手間がかかった。

 

 まして、妖怪たちの場合は、住民票すら持っていない者が多い。普通の不動産屋へ行って部屋を借りることも、簡単ではないだろう。

 

「……源三さん。お母さんに相談してみてもいい?」

 

 六花が言った。

 

「ホシノさんに?」

 

「うん。こういう相談、結構受けてるから」

 

 確かに、小鳥遊ホシノはただの骨董店主ではない。高い霊的能力を持ち、超常社会の事情にも詳しい。骨董店『界』には、妖怪や神秘に関係する客も訪れるらしい。

 

「……それは助かるのう」

 

 源三さんは、ほっとしたように笑った。

 

「じゃあ、帰ったら聞いてみる!」

 

 今回は、六花のお母さんが頼りになりそうだ。

 

 ただ、どうやら問題を解決するのに必要なのは、怪異を倒す力ではないらしい。

 

 ……むしろ、不動産や引っ越しの知識の方が重要そうだった。

 

 5.骨董店『界』、相談受付中

 

「うへぇ……そりゃあ困ったねぇ」

 

 骨董店『界』の奥にある小さな応接室で、ホシノさんは話を聞いていた。

 

 源三さん。茶々丸さんと小夜さん。そして、僕と六花。

 

 こまは、小夜さんの前脚の間に収まって丸くなっていた。何とも可愛い光景だった。

 

「建物の取り壊し自体は、もう決まってるんだねぇ」

 

「はい」

 

 茶々丸さんが頷いた。

 

「所有者の方にも事情がありますし、工事をやめてほしいとは言えません」

 

「うんうん」

 

「ただ、私たちも娘がいますから……」

 

 小夜さんが、こまの頭を優しく舐めた。こまは、気持ちよさそうに目を細めている。

 

「……できれば、安全なところへ引っ越したいんです」

 

「そりゃそうだよねぇ」

 

 ホシノさんは頷き、少しだけ考えるような顔になった。

 

「……源三さん。ほかの子たちは?」

 

「二組ほどじゃ。それぞれ、暮らしやすい場所が違う」

 

「そっかぁ」

 

 しばらく黙ってから、ホシノさんはゆっくりと口を開いた。

 

「……じゃあ、まずは住む場所の条件を整理しよっか」

 

 ……。

 

 …………。

 

 内容自体は当たり前だ。引っ越し先を探すなら、条件を整理する。前世で仕事をしていた頃にも、何度もやったことがある。

 

 しかし、小鳥遊ホシノが、眠たげな顔で、妖怪たちの住居条件を整理しようとしている。

 

 ……何とも不思議な光景だ。

 

「まず、猫又のご一家。乾いてて、暖かい場所がいいんだよねぇ?」

 

「はい。できれば、外へ出られる小さな庭があると助かります。それから、人通りが多すぎないところだと……」

 

「うんうん」

 

 ホシノさんは、紙へ何かを書き込んだ。

 

「雨垂れの子は?」

 

「湿り気のある場所がよい。だが、建物そのものが必要なわけではない」

 

「じゃあ、雨水の流れる場所があればいいのかな。敷居の付喪神は?」

 

「今の敷居を、できればそのまま移したいと言っとる」

 

「なるほど。じゃあ、解体前に所有者へ確認しないとねぇ」

 

 実に手際がよい。

 

 強い霊能力を持っているからといって、こういう仕事ができるとは限らない。けれどホシノさんは、必要な条件を整理し、関係者へ確認し、無理のない方法を探している。

 

 骨董店主として、普段からこういう相談にも慣れているのかもしれない。

 

「……お母さん、すごいでしょ?」

 

 六花が、小さな声で言った。

 

「……うん」

 

 これは、素直にすごいと思う。

 

 6.子供たちにも、できることがある

 

「……それでねぇ。蓮君、六花。二人にもちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

 

 しばらくして、ホシノさんが僕たちへ向き直った。

 

「何ですか?」

 

「候補の場所を見て、使いやすそうか一緒に考えてくれる?」

 

 少し驚いた。

 

「僕たちが?」

 

「うん。もちろん、契約とか難しい話は大人がやるよ。でも、実際に暮らす場所って、細かいところが大事だからねぇ。窓の位置とか、日当たりとか、荷物を置く場所とか」

 

 それなら、僕たちにもできることがあるかもしれない。

 

「やる!」

 

 六花が元気よく手を挙げた。

 

「うへへ。頼もしいねぇ」

 

 ホシノさんは笑い、それから少しだけ真面目な顔になった。

 

「ただし、工事予定の建物には勝手に入らないこと。危ない場所へ行くのも駄目だよぉ」

 

「はーい!」

 

「分かりました」

 

 妖怪の引っ越しを手伝うからといって、危険な建物へ入る必要はない。大人に任せるべきことは、大人に任せる。そういう判断も必要だろう。

 

「……それと。二人とも、無理して何とかしようとしなくていいからねぇ」

 

 僕と六花は、顔を見合わせた。

 

「……はい」

 

「はーい」

 

 ホシノさんは、満足そうに頷いた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 この人、普段は眠たげでのんびりしているけれど、やっぱりかなり頼りになる大人だ。

 

 7.新しい家を探す

 

 それから数日間、引っ越し先探しが始まった。

 

 中心になったのは、源三さんとホシノさんだった。

 

 源三さんは、妖怪たちの生活圏やそれぞれの性質に詳しい。ホシノさんは、人間社会との調整や、超常社会の事情を知る人々との連絡を担当した。

 

 とはいえ、これは危険な怪異の事件ではない。誰かが戦って片付けるような話ではないのだ。

 

 必要なのは、住む場所と、関係者の同意と、引っ越しの準備である。

 

 ……何とも現実的だった。

 

 僕と六花は、放課後に少しだけ手伝った。新しい家の間取りを紙に描いたり、日当たりのよい場所を確認したりする。

 

 建物の安全性を判断するのは大人の仕事で、僕たちはあくまで補助である。

 

「……こっちの窓、午後は日が入るね」

 

「うん。猫又の家族にはよさそう」

 

「でも、夏は暑くなりすぎないかな」

 

「それはあるかも」

 

 候補になっているのは、水木しげるロードから少し離れた住宅街にある、古い町家の離れだった。

 

 以前は網の修理や道具の保管に使われていたらしいが、今はほとんど使われていない。

 

 建物は古いけれど、きちんと手入れされている。小さな庭があり、日当たりも悪くない。

 

 何より、所有者が超常社会の存在を知っている人だった。源三さんの古い知り合いでもあるという。

 

「ここなら、しばらく住んでもらっても構わないよ」

 

 所有者の女性は、そう言って笑っていた。

 

 細かな条件については、源三さんとホシノさんが相談して決める。僕たちは、その会話を少し離れたところから聞いていた。

 

「……よかったね」

 

「うん」

 

 どうやら、猫又の一家については、引っ越し先が見つかりそうだった。

 

 雨垂れを好む妖怪、古い敷居に結び付いた付喪神、それに引っ越しのための荷物の運搬と、問題はまだ残っている。

 

 ……まあ、全部を一度に解決する必要はない。一つずつ、できることから進めればいいのだろう。

 

「……何かさ。これ、会社の仕事みたいじゃない?」

 

 六花が言った。

 

 僕は、思わず笑った。

 

「……確かに」

 

「関係者調整、条件確認、移転計画」

 

「……進捗管理もあるね」

 

「あはは! 懐かしいなあ」

 

「僕は、あんまり懐かしくないかな。仕事のこと思い出すから」

 

「それはそう!」

 

 二人で笑った。

 

 まさか、小学四年生になってから、妖怪の引っ越し計画に関わることになるとは思わなかった。

 

 ……人生、本当に何があるか分からない。

 

 8.お引っ越しの日

 

 六月下旬。

 

 工事が始まる前に、妖怪たちの引っ越しが行われた。所有者との話し合いも済んでいる。

 

 猫又の一家は、古い町家の離れへ。雨垂れを好む小妖怪は、別の水辺へ。敷居の付喪神は、所有者の許可を得て、古い木材ごと別の建物へ移ることになった。

 

 建物の解体作業そのものは、専門の業者が行う。妖怪たちの移動も、大人たちが中心になって対応していた。

 

 僕と六花は、安全な場所で荷物の整理を手伝うだけだった。

 

「……これ、どこに置けばいい?」

 

「その布は、こまの寝床に使うものです」

 

 茶々丸さんが答えた。

 

 ふわふわした、柔らかい布だった。どうやら、こまのお気に入りらしい。

 

 その本人はというと。

 

「……こま?」

 

 さっきまで、ここにいたはずなのだが。

 

「あれ? どこ行った?」

 

 六花も首を傾げた。

 

 そのときだった。

 

「ねこしゃーん!」

 

 庭の方から、小さな声が聞こえた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ああ。

 

 嫌な予感がする。

 

 僕と六花は顔を見合わせ、庭へ向かった。

 

 そこには、灰色と白の毛並みをした、少し大きな猫がいた。首輪はついていない。近所を歩き回っている猫らしい。

 

 その前に、二本の尻尾を持つ小さな三毛猫が座っていた。

 

「ねこしゃん! こんにちは!」

 

 こまだった。

 

 ……。

 

 …………。

 

 普通の猫は、こまを見た。

 

 そして。

 

「ニャー」

 

 鳴いた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 こまは、目を丸くした。

 

「……?」

 

 それから、もう一度。

 

「こんにちは!」

 

「ニャー」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、思わず口元を押さえた。六花が、肩を震わせている。

 

 こまは、少し困った顔になった。

 

「……ねこしゃん?」

 

「ニャ」

 

「こま、こんにちはっていう!」

 

「ニャー」

 

 ……。

 

 …………。

 

 駄目だ。

 

 可愛い。

 

 あまりにも可愛い。

 

 こまは、とうとう首を傾げた。

 

「……なんで?」

 

 僕は、しゃがんだ。

 

「こまちゃん」

 

「……れんおにいちゃん」

 

「普通の猫は、日本語が分からないんだよ」

 

 こまは、しばらく僕を見つめた。

 

「……にほんご?」

 

「うん」

 

「ねこしゃん、にほんご、しらない?」

 

「そうだね」

 

 こまは少し考えた。

 

 そして。

 

「……こま、にほんごしかしゃべれない」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、思わず笑ってしまった。六花も、とうとう吹き出した。

 

「あははは!」

 

「……こまちゃん、そうだね」

 

 何とか笑いを抑えると、こまは少し不満そうだった。

 

「ねこしゃんと、おしゃべりしたい」

 

 ……。

 

 …………。

 

 どう説明すればいいのだろう。

 

 同じ猫の姿をしていても、同じ言葉を話せるとは限らない。猫又と普通の猫は、違う存在だ。

 

 それでも、仲良くなれないわけではない。

 

「……こまちゃん。おしゃべりできなくても、友達になれるかもしれないよ」

 

 こまは、目を瞬かせた。

 

「……ともだち?」

 

「うん」

 

 普通の猫は、こちらをじっと見ている。警戒している様子はあるけれど、逃げるほどではないらしい。

 

「でも、無理に近づいちゃ駄目だよ。嫌がるかもしれないから。まずは、こんにちはって言って、向こうがどうするか見てみよう」

 

「……うん」

 

 こまは素直に頷き、再び普通の猫を見た。

 

「こんにちは!」

 

 普通の猫は、しばらくこまを眺めていた。

 

 それから、ゆっくりと近づいてきた。

 

 こまの少し手前で立ち止まり、鼻をひくひく動かす。そして、小さく鳴いた。

 

「……ニャ」

 

 こまは、目を輝かせた。

 

「……!」

 

 そのまま、ぴょんと跳ねそうになったところで、六花がそっと声をかけた。

 

「こまちゃん、ゆっくりね」

 

「……うん!」

 

 こまが身体を低くすると、普通の猫は少しだけ近づき、匂いを確かめるように鼻を寄せた。

 

 それから、ゆっくりと離れていく。

 

 こまは、しばらくその背中を見ていた。

 

「……れんおにいちゃん! ねこしゃん、へんじした!」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、少しだけ笑った。

 

「……そうだね」

 

 正確には、言葉で返事をしたわけではない。相手の存在を確かめに来ただけなのかもしれない。

 

 けれど、こまにとっては、それで十分だったらしい。

 

「……ともだち!」

 

「よかったねぇ、こまちゃん」

 

「うん!」

 

 六花に頷いて、こまは二本の尻尾を勢いよく揺らした。

 

 ……何だろう。

 

 引っ越し作業の途中なのに、僕はものすごく平和な気分になっていた。

 

 9.新しい住所

 

 夕方。

 

 猫又の一家は、無事に新しい家へ移った。

 

 古い町家の離れ。小さな庭。日当たりのよい窓。そして、こまの寝床になる柔らかな布。

 

 必要なものは、ひととおり揃っていた。

 

「……本当に、ありがとうございました」

 

 茶々丸さんが、深々と頭を下げた。

 

「源三さん、ホシノさん。お世話になりました」

 

 小夜さんもそれに続く。

 

「何、困ったときはお互いさまじゃ」

 

「うへへ。よかったねぇ。いいところが見つかって」

 

「はい」

 

 こまはというと、新しい部屋を走り回っていた。

 

「おうち! こまのおうち!」

 

 畳の上をちょこちょこと歩き、窓の方へ向かう。外には、小さな庭が広がっている。

 

「ねこしゃん、くる?」

 

「どうだろうね。近くに猫が住んでいるかもしれないよ」

 

「……ねこしゃん!」

 

 茶々丸さんの答えに、こまはまた嬉しそうになった。

 

 ……。

 

 …………。

 

 猫又の一家には、人間の住民票がない。

 

 それでも、ここは確かに彼らの家だった。

 

「……よかったね」

 

「うん」

 

 六花は頷き、少しだけ笑った。

 

「何か、引っ越しの仕事が終わったみたいだね」

 

「……確かに」

 

 前世の社会人経験が、少しだけ役に立った気がする。

 

 もっとも、実際に大変なことをしてくれたのは、源三さんとホシノさんだった。僕たちは、ほんの少し手伝っただけである。

 

 それでも、誰かの役に立てたなら、悪くない。

 

 そう思った。

 

 10.引っ越し先は、ここです

 

 数日後。

 

 古い商店の解体工事が始まった。

 

 作業員たちが安全柵を設置し、周辺の確認を行っている。

 

 そこに暮らしていた妖怪たちは、すでに全員移動している。それぞれ、新しい生活の場所が見つかった。

 

 すべてが以前と同じというわけではない。住み慣れた場所を離れることは、誰にとっても簡単ではない。

 

 それでも、今のところ、彼らは無事に暮らしている。

 

「……何か、あっという間だったね」

 

 放課後、僕と六花は、工事現場の前を通りかかった。もちろん、安全柵の外から眺めるだけだ。

 

 建物の一部は、すでに取り壊されていた。

 

「……そうだね」

 

 古い建物がなくなり、新しい建物ができる。町は少しずつ変わっていく。

 

 それ自体は、珍しいことではない。

 

 ただ、今回のことで、僕は少しだけ考え方が変わった気がする。

 

 人間が使っていない建物でも、誰かが暮らしているかもしれない。そして、妖怪だからといって、住む場所がなくなれば困ることに変わりはない。

 

「……ねえ、蓮。今度、こまちゃんのところ行こうよ」

 

「……うん。いいね」

 

「ラムネも持っていく?」

 

「猫又の子供って、ラムネ飲めるのかな」

 

「お父さんとお母さんに聞いてみればいいじゃん」

 

「……確かに」

 

 二人で笑って、僕たちは歩き始めた。

 

 六月の風が、少し湿っている。梅雨は、まだしばらく続きそうだった。

 

 その夜。

 

 新しい家の小さな窓辺で、こまは外を眺めていた。

 

 庭には、六月の月明かりが差している。茶々丸さんと小夜さんは、部屋の奥で荷物を片付けていた。

 

「こま、そろそろ寝る時間だよ」

 

「はーい!」

 

 元気よく返事をしたけれど、こまは窓から離れない。

 

 庭の方に、何かが見えたからだ。

 

 茶色い縞模様に、長い尻尾。普通の猫だった。

 

 昼間に見た猫とは違う。けれど、こまにとっては同じことだった。

 

「ねこしゃん!」

 

 小さな声で呼びかける。

 

 普通の猫は、こちらを見た。

 

「ニャー」

 

 こまは、嬉しそうに笑った。

 

「こんにちは!」

 

「ニャ」

 

「こま、いっちゃい!」

 

 ……。

 

 …………。

 

 普通の猫は、しばらくこまを眺めていた。

 

 それから、興味を失ったように庭の向こうへ歩いていった。

 

 こまは、その背中を見送り、満足そうに呟いた。

 

「……ねこしゃん、またね」

 

 小夜さんが、そっと娘の隣へ来た。

 

「お友達、できそう?」

 

「うん! ねこしゃん、にゃーっていう!」

 

「そうだね」

 

「こま、にほんご!」

 

「うんうん。でも、仲良くなれるといいね」

 

「うん!」

 

 こまは、二本の尻尾を揺らした。

 

 新しい家。新しい庭。新しい景色。そして、新しい友達になるかもしれない猫。

 

 引っ越しというものは、少し寂しい。けれど、悪いことばかりではないらしい。

 

「……おかあしゃん」

 

「なあに?」

 

「ここ、こまのおうち?」

 

 小夜さんは娘の顔を見て、優しく頷いた。

 

「そうだよ」

 

「……ずっと?」

 

 少しだけ、間があった。

 

 どんな建物でも、永遠に残るとは限らない。どんな暮らしでも、変わることがある。それは、小夜さんも知っていた。

 

 けれど、今この子に伝えるべきことは、もっと簡単なことだろう。

 

「……うん。これから、ここで一緒に暮らそうね」

 

 こまは、ぱっと顔を輝かせた。

 

「うん!」

 

 母親の身体へ顔を埋めるこまを、小夜さんは優しく抱き寄せた。荷物の整理を終えた茶々丸さんも近づいてきて、三匹の猫又が窓辺で寄り添った。

 

 外では、普通の猫が一匹、庭を横切っていった。

 

 もちろん、その猫は日本語を話さない。こまも、猫の言葉を話せない。

 

 それでも、同じ庭を眺めることはできる。同じ日差しを浴びることもできる。

 

 いつかは、言葉を交わさなくても仲良くなれるかもしれない。

 

 そんな可能性が、この小さな家にはあった。

 

 同じ頃。

 

 僕は、今日の出来事をノートに書き留めていた。

 

 ──猫又の一家、引っ越し完了。

 

 ──父・茶々丸、十八歳。

 

 ──母・小夜、十六歳。

 

 ──娘・こま、一歳。

 

 そこまで書いて、少し考える。

 

 そして、最後に一行を付け加えた。

 

 ──こまちゃん、日本語しか話せない。普通の猫とおしゃべりしたいらしい。

 

「……ふふっ」

 

 思わず笑ってしまった。

 

 前世では、妖怪というものは物語の中の存在だった。恐ろしいもの。不思議なもの。人間とは違う力を持つもの。そういう印象が強かった。

 

 しかし、今の世界で出会った妖怪たちは、ずいぶん違う。

 

 ラムネが好きな浜灯。

 

 酒屋の常連である化け狸。

 

 引っ越し先を探す猫又の一家。

 

 そして、普通の猫と話してみたい一歳の子猫又。

 

 ……みんな、ちゃんと生活している。

 

 それだけのことなのだ。

 

 僕はノートを閉じた。

 

 明日も学校がある。六花とも会うだろう。そして、また何か面白いことが起きるかもしれない。

 

 ……まあ、できれば平和なことがいい。最近は、少々驚くことが多すぎる。

 

 布団へ入ると、窓の外では、六月の雨が降り始めていた。

 

 境港の町には、今日もたくさんの家がある。

 

 人間の家。妖怪の家。そして、誰にも知られていない小さな住まい。

 

 住民票に名前が載っていなくても。

 

 地図に住所が書かれていなくても。

 

 そこに帰る誰かがいるなら、きっとそれは家なのだろう。

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