仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー リメイク版   作:水野芽生

12 / 12
その12:三つの住所と、四つ目の山

 

 ──2013年7月上旬/鳥取県境港市・黒山

 

 1.黒山という、少しばかり困った山

 

 鳥取県境港市には、黒山という山がある。

 

 地元の人間にとっては、別に珍しい存在ではない。市街地から南西へ目を向ければ見えるし、天気のよい日には緑に覆われた山肌を眺めることもできる。

 

 山麓には住宅や田畑があり、古い神社や祠も点在している。散策路の整備された場所もあれば、一般人の立ち入りが制限されている区域もある。

 

 夏になれば虫が鳴き、秋になれば木々が色づく。冬には雪が降ることもある。

 

 そういう意味では、ごく普通の山だった。

 

 ただし。

 

 黒山には、普通ではない場所が少々多すぎた。

 

 例えば、北側の古い登山道。

 

 地図では一本道のはずなのに、歩いているうちに分岐が増えることがある。何も知らない登山者が迷い込むと、同じ石灯籠の前へ二度戻ってくる場合があった。

 

 南斜面の一部では、方位磁針が妙な方向を指すことがある。

 

 これだけなら、磁性を持つ岩石の影響とも考えられる。しかし、その付近では磁気測定器に目立った異常がないにもかかわらず、方位磁針だけが動く事例も報告されていた。

 

 西側には小さな湖がある。

 

 そこでは、風が吹いていないのに水面の一部だけが波立つことがある。もっとも、地下水の流れや地形の影響という可能性もあるため、湖の現象がすべて超常的だと確認されているわけではない。

 

 さらに、山中には古い洞窟がいくつかあった。

 

 地質学的には特別珍しくない洞窟もあれば、内部の空間配置が測量結果と一致しない洞窟もある。

 

 ある調査班が入り口から約百メートル進んだ地点で折り返したところ、帰路の歩行距離が明らかに長かったという報告もあった。

 

 暗い洞窟での距離感は当てにならない。しかし、同じ現象を複数の調査方法で確認した記録まで存在していた。

 

 問題は、こうした現象に統一的な説明がついていないことだった。

 

 呪術師の中には、黒山の一部で特殊な呪力の反応を観測した者がいる。

 

 西洋魔術の研究者は、それとは異なる種類の空間異常を報告していた。

 

 妖怪たちは、山中に人間の知らない住人がいることを知っていた。

 

 SCP財団の研究者は、いくつかの区域について独立した異常性を確認している。

 

 しかし、それらがすべて同じ原因によって発生しているという証拠はなかった。むしろ、違う仕組みの現象が、たまたま同じ山へ集中しているようにも見えた。

 

 そういうわけで、黒山は超常社会の関係者から、少々面倒な土地として認識されている。

 

 危険な区域はある。しかし、山全体が危険というわけではない。

 

 妖怪も暮らしている。だが、そこにいる妖怪がすべて危険なわけではない。

 

 神社も祠もある。しかし、山の宗教的な性質について、すべての神職や研究者が同じ見解を持っているわけではなかった。

 

 要するに。

 

 黒山というのは、調べれば調べるほど分からないことが増える山なのである。

 

 そして、二〇一三年七月。

 

 その黒山へ、また一つ、新しい不可解なものが現れた。

 

 ◇

 

 2.昨日まで、そこに神社はなかった

 

「……あれ?」

 

 七月三日、水曜日。

 

 午前六時二十二分。

 

 黒山の東側にある管理道を歩いていた男性が、足を止めた。

 

 市内で山林の管理業務に携わっている、森田という五十代の男性だった。

 

 彼は週に何度か、この付近を巡回している。倒木の有無。道の状態。危険な箇所の確認。それから、無断で立ち入った者がいないかどうか。

 

 そうした仕事を長年続けてきた。

 

 だから、目の前の光景がおかしいことには、すぐに気づいた。

 

「……神社?」

 

 管理道の先。

 

 昨日まで木々が密集していたはずの場所に、石段があった。

 

 数十段ほどの石段。その先には、朱色の鳥居。さらに奥には、古風な社殿が見える。周囲には杉の木が立ち並び、境内らしい空間が広がっていた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 森田は、しばらく動かなかった。

 

 黒山に神社があること自体は珍しくない。古い祠もあるし、地元の人間が管理している社もある。

 

 しかし、ここには昨日まで何もなかった。少なくとも、鳥居や社殿など存在していなかった。

 

「……おいおい」

 

 森田は、ゆっくりと周囲を見回した。

 

 管理道は変わっていない。右手には、いつもの大きな岩がある。左手には、数年前に倒れた木の切り株が残っている。

 

 そこまでは、昨日と同じだ。

 

 ところが、その先の景色だけが違う。

 

 山の斜面へ続いていたはずの細い道が、いつの間にか神社の石段へ接続していた。

 

 しかも、鳥居は明らかに古い。社殿にも、風雨にさらされた年月が感じられる。一晩で建てられた新築の神社には、とても見えなかった。

 

「……これは、あれか」

 

 黒山で長く働いている人間には、いくつかの心得がある。

 

 知らない道を見つけても、むやみに入らない。

 

 昨日と景色が違っていたら、まず立ち止まる。

 

 そして、明らかにおかしなものを見つけたら、決められた連絡先へ報告する。

 

 森田は携帯電話を取り出した。

 

 電波は届いている。よかった。少なくとも、ここはまだ普段の山道とつながっているらしい。

 

「……もしもし。森田です。黒山の管理道で、ちょっと確認してほしいものがありまして」

 

 少し間を置く。

 

「いや、倒木じゃありません」

 

 森田は、もう一度鳥居を見た。

 

 そして、静かに続けた。

 

「……神社が一つ、増えてるんです」

 

 ◇

 

 3.博麗霊夢、鳥取県に到着する

 

 同じ頃。

 

 その神社の縁側では、一人の若い女性が茶を飲んでいた。

 

 黒髪。赤と白を基調とした装束。大きな髪飾り。

 

 年齢は二十代前半ほどに見える。

 

 そして、その顔には、何とも言えない不満が浮かんでいた。

 

「……長野じゃない」

 

 女性は、湯呑みを置いた。

 

 博麗霊夢。

 

 博麗神社の神職である。神職資格はすでに取得しており、若いながらも祭祀や神社の管理を任されている。

 

 ただし、その神社には一つだけ、非常に面倒な特徴があった。

 

 博麗神社は、時々移動するのである。

 

 しかも、社殿だけではない。鳥居、石段、社務所、境内の一部。そうしたものを含めて、神社の敷地そのものが別の場所へ移ることがあった。

 

 通常、その移動先は長野県内の三か所に限られている。

 

 北信地方の杉林。中信地方の高原に近い山麓。そして、南信地方の古い集落の外れ。

 

 それぞれに博麗神社が現れる場所があり、霊夢もその移動に慣れていた。

 

 移動の周期は完全に一定ではない。数か月同じ場所に留まることもあれば、比較的短い間隔で別の場所へ移ることもある。

 

 しかし、基本的には三か所の間で収まっていた。

 

 ところが。

 

「……何で鳥取なのよ」

 

 霊夢は、もう一度携帯電話の画面を確認した。

 

 表示されている位置情報は、鳥取県境港市付近。念のため別の方法でも確認したが、結果は同じだった。

 

 電波状況には多少の不安定さがあるものの、少なくともここが長野県ではないことは確かだった。神社の周囲には、見覚えのない山林が広がっている。

 

「……困ったわね」

 

 霊夢は、小さくため息をついた。

 

 昨夜、寝る前には確かに長野県にいた。いつもどおり社務所の戸締まりを確認し、翌日の予定を整理し、床に就いた。

 

 それが、朝起きたら鳥取県である。

 

 しかも、神社ごと。

 

 ……いくら何でも、移動距離が大きすぎないだろうか。

 

 少なくとも、こんな移動が起きたという記録を、霊夢は知らなかった。

 

「……参拝者、どうするのよ」

 

 普段の移動先なら、神社の事情を知っている近隣住民もいる。参拝に来る人もいれば、祭祀について相談してくる人もいる。

 

 ところが今回は、黒山という見知らぬ山の中だ。

 

 予定していた参拝者が来られるはずもないし、予約されていた祈祷についても連絡が必要だった。

 

「……まずは電話ね」

 

 霊夢は携帯電話を手に取った。

 

 ◇

 

 4.二度目の人生でも、神職だった

 

 博麗霊夢には、前世の記憶がある。

 

 ただし、前世の彼女は、幻想郷の巫女だったわけではない。

 

 そもそも、この世界には幻想郷という場所が存在しない。少なくとも霊夢が知る限り、そのような土地も、そこへ通じる結界も存在していなかった。

 

 前世で暮らしていたのは、電車が走り、携帯電話が普及し、インターネットが使われている、普通の現代日本である。

 

 そして、前世の彼女は女性神職だった。

 

 それも、神社の祭祀や運営に長く関わり、高い位階を持つまでになった人物だった。

 

 だから、今の人生でも神職の道を選んだのは、ある意味で自然なことだった。

 

 もちろん、前世で神職だったからといって、今世で資格が自動的に与えられるわけではない。必要な教育を受け、所定の課程を修め、資格を取得した。

 

 若くして神職として活動できているのは、前世の知識が役立ったこともあるが、今世でもきちんと学んできた結果である。

 

 もっとも。

 

 その努力と、神社が勝手に移動する問題は、まったく別だった。

 

「……はあ」

 

 霊夢は、今日何度目か分からないため息をついた。

 

 前世でも神職。今世でも神職。自分でも、ずいぶん一貫した人生を送っていると思う。

 

 しかし、前世の神社は移動しなかった。

 

「……普通の神社って、やっぱり便利だったのね」

 

 霊夢は、しみじみと呟いた。

 

 そのとき。

 

「すみませーん!」

 

 石段の下から声がした。

 

 見ると、作業服姿の男性が立っていた。その少し後ろには、別の男性もいる。

 

「……はい? どちら様でしょうか」

 

 霊夢は立ち上がった。

 

 作業服の男性は、少し困ったような顔をした。

 

「突然すみません。山林管理の関係で、この辺りを巡回している者なんですが……こちらの神社について、少し確認させていただきたくて」

 

 霊夢は、数秒間黙った。

 

 それから、静かに頷いた。

 

「……そうでしょうね。こちらも、ちょうど説明が必要だと思っていたところです」

 

 ◇

 

 5.神社が増えた、という報告

 

「……神社ですか」

 

 日本国超常省機動執行委員会、山陰地区現地事務所。

 

 栗原薫は、電話の向こうから聞こえてきた報告に、少しだけ目を閉じた。

 

 六月の終わりには、地域の妖怪社会との連絡協力体制について会議を開いたばかりだった。地域で解決できる問題を、地域の人々と協力して解決する。そうした方針を確認したところだった。

 

 そして、七月。

 

 今度は、山の中に神社が現れたという。

 

「……建物が一つ増えた、という理解でいいですか?」

 

『はい。鳥居と石段、それから社殿があります』

 

「昨日までなかったんですね?」

 

『少なくとも、昨日の巡回では確認していません』

 

「なるほど」

 

 栗原は、机の上にある黒山の地図へ目を向けた。

 

 立ち入り制限区域。過去に異常が報告された地点。妖怪の生活圏として知られている場所。調査が完了していない区域。地図には、いくつもの印が付けられている。

 

 今回の神社が現れた場所は、それらの境界に近かった。

 

「……分かりました。現地へ職員を向かわせます」

 

 電話を切り、栗原は島田へ声をかけた。

 

「島田君。黒山で、新しい案件です」

 

「……何が出たんですか?」

 

「神社です」

 

「……はい?」

 

「神社が一つ、増えたそうです」

 

 ……。

 

 …………。

 

 島田は、しばらく黙っていた。

 

「……黒山ですよね?」

 

「ええ」

 

「……またですか」

 

 栗原は苦笑した。

 

「そういう土地ですからね」

 

 ◇

 

 6.黒山は、一つの異常ではない

 

 午前十時半。

 

 栗原と島田が現地へ到着した。

 

 今回は、武装した大人数の部隊は動員していない。現時点で、神社が危険な存在だという証拠はなかったからだ。

 

 まずは現場を確認し、関係者から事情を聞く。必要なら、専門家へ連絡する。先日の会議で確認した方針どおりの対応だった。

 

「……あれですか。立派ですね」

 

 管理道の先に現れた鳥居を見て、島田が呟いた。

 

 朱色の鳥居。苔の生えた石段。古風な社殿。小さな社務所。そして、周囲を囲む杉林。

 

 遠目には、何十年も前からそこにあった神社のように見える。しかし、調査資料には何も記載されていなかった。

 

「……地形はどうなっているんでしょう」

 

「そこが、少し気になりますね」

 

 栗原は、携帯端末に表示された地図を確認した。

 

 この付近は、以前にも測量上の問題が報告されている。ただ、今回の神社が現れた地点そのものに、同様の現象があったという記録はない。

 

 神社の転移と黒山の異常が関係しているのかどうかは、まだ分からない。

 

「……栗原さん。黒山って、結局何なんでしょうね」

 

「分かりません」

 

 島田は、少し驚いた顔をした。

 

「……分からないんですか?」

 

「ええ。少なくとも、全部を説明できる人はいないと思います。呪術で説明できそうな現象もあれば、西洋魔術の研究者が調べている場所もある。妖怪たちが昔から暮らしている区域もある。でも、それらが全部同じ原因によるものだとは確認されていません」

 

 栗原は、山の方を見た。

 

「だから、黒山全体を一つの異常として扱うのは危険なんです」

 

「……つまり、今回の神社も、まずは独立した現象として調べるべきだと」

 

「そういうことです」

 

 栗原は頷き、石段へ目を向けた。

 

「……では、行きましょうか」

 

 ◇

 

 7.博麗神社の事情聴取

 

「……つまり、普段は長野県にあるんですね?」

 

「はい」

 

 社務所の一室で、栗原は霊夢から事情を聞いていた。

 

 赤と白の装束を着た若い女性は、年齢に似合わず落ち着いた受け答えをする人物だった。

 

「正確には、長野県内の三か所を移動しています。北信、中信、南信に、それぞれ普段の移動先があります」

 

「移動する時期は決まっているんですか?」

 

「完全には決まっていません。ただ、通常はその三か所から外れません」

 

「では、今回の黒山への移動は予定外だったと」

 

「そうです。私も、朝起きて驚きました」

 

 ……。

 

 …………。

 

 島田は、少しだけ霊夢を見た。

 

 ずいぶん平然としている。朝起きたら神社ごと別の県へ移動していたという状況なら、普通はもっと取り乱しそうなものだ。

 

 普段から神社が移動することには慣れているのだろう。それでも、今回のような出来事は初めてらしい。

 

「……あの。神社が移動するときって、何か前触れはあるんですか?」

 

 島田が尋ねると、霊夢は少し考えた。

 

「あるときもあります。境内の風向きが変わったり、普段とは違う音が聞こえたり。場合によっては、祭祀の最中に空気の感じが変わることもあります。でも、毎回同じではありません」

 

 移動条件が一定ではない。しかも、今回は通常の移動先から外れている。

 

 なかなか厄介な案件だった。

 

「……博麗さん。この神社、現在は普通の物理空間に存在しているという理解でいいですか?」

 

 栗原が尋ねた。

 

「はい。少なくとも、普段からそうです。神社が移動すること自体は異常ですが、移動先では普通に参拝者が来ますし、物を運び込むこともできます。社務所も本殿も、普通に触れます」

 

「分かりました」

 

 重要な点だった。

 

 博麗神社は、どこか別の幻想世界から突然現れた幻影ではない。現実の土地に存在し、物理的な建物として扱える神社である。

 

 ただし、その場所が時々変わる。その仕組みについては、まだ分からないことが多い。

 

「……それにしても。ここって、どんな山なんですか?」

 

 霊夢が言った。

 

 栗原と島田は、同じような顔になった。

 

「……何です?」

 

「……説明が少し難しい山です。いろいろな超常現象が報告されているんですが、それぞれの仕組みが違う可能性がありまして」

 

 霊夢はしばらく黙っていた。

 

 それから。

 

「……ああ。なるほど」

 

 妙に納得したような声を出した。

 

「何か分かりましたか?」

 

「いえ。ただ、朝から境内の外が変だとは思っていたので。神社の中はいつもどおりなんですけど、外へ出ると、何というか……」

 

 霊夢は、少し言葉を探した。

 

「場所によって、違う種類の違和感があるんですよ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 栗原は、静かに頷いた。

 

 どうやら、霊夢も黒山の奇妙さに気づいているらしい。

 

「……しばらく、この周辺の立ち入りについて相談させてください」

 

「分かりました。私も、知らない山を勝手に歩き回るつもりはありませんから」

 

 霊夢はあっさりと頷き、小さく付け加えた。

 

「……それに、まずは参拝者への連絡を何とかしないと」

 

 栗原は、思わず笑った。

 

 なるほど。この人は、本当に神職なのだ。

 

 ◇

 

 8.SCP財団とGOC、再び黒山へ

 

 午後一時。

 

 黒山の山麓に、数台の車が集まっていた。

 

 SCP財団の水瀬沙耶。世界オカルト連合の御子柴明日香。そして、超常省の栗原薫。

 

 先日、地域連絡会議で顔を合わせたばかりの三人である。

 

「……またお会いしましたね」

 

「ええ。今回は、山の中に神社が増えました」

 

 水瀬の言葉に、栗原は苦笑した。

 

「報告書は読みました。長野県内を移動する神社、という話は以前から聞いていましたが……」

 

「ご存じだったんですか?」

 

「ええ。GOCにも、博麗神社に関する資料はあります」

 

 御子柴は、薄型端末を取り出した。

 

「ただ、通常の活動範囲は長野県内の三か所です。鳥取県への移動は、少なくとも私が確認した資料にはありません」

 

「財団の記録でも同様です。博麗神社については以前から情報収集が行われていますが、神社が移動するという事実だけで、直ちに危険だと判断されているわけではありません」

 

 水瀬が付け加えた。

 

「今回も、今のところ被害はありません」

 

「それなら、まずは安全確認ですね」

 

 御子柴が言った。

 

 神社が予想外の場所へ移動しただけなら、壊すべき対象ではない。まずは状況を確認する必要がある。

 

 建物が危険なものなのか。周囲に影響を与えているのか。あるいは、黒山の何らかの現象によって、神社が移動させられたのか。

 

「……それにしても。黒山って、本当にいろいろありますね」

 

 水瀬が山の方を見た。

 

「一つの地域で、これだけ性質の違う現象が確認される場所は、そう多くありません」

 

「……そうなんですか」

 

 島田が尋ねると、水瀬は少し考えた。

 

「ええ。ただし、世界中に同じような場所がないわけではありません。問題は、どうして集中しているのかが分からないことです」

 

 黒山には、古い信仰の痕跡がある。妖怪たちの生活圏もある。呪術的な反応が確認された区域もあれば、空間の異常が疑われる区域もある。

 

 そして今度は、長野県内を移動していた神社が、突然この山へ現れた。

 

 偶然なのだろうか。それとも、何か関係があるのだろうか。

 

 まだ分からない。

 

 ただ一つ確かなのは、黒山について調べなければならないことが、また増えたということだった。

 

 ◇

 

 9.小鳥遊ホシノ、山へ来る

 

「うへぇ……相変わらず、変な山だねぇ」

 

 午後二時半。

 

 博麗神社の境内に、小柄な女性が現れた。

 

 小鳥遊ホシノである。普段の眠たげな表情は変わらないが、今日は少し動きやすそうな服装をしていた。

 

「ホシノさん。ありがとうございます」

 

「いやいや。ちょうどお店も落ち着いたところだったからねぇ」

 

 ホシノは笑い、境内を見回した。

 

 鳥居。社殿。石段。周囲の杉林。そして、その外側に広がる黒山の森。

 

「……なるほどねぇ」

 

「何か分かりますか?」

 

 水瀬が尋ねた。

 

「うーん。少なくとも、神社そのものは普通に機能してる感じかなぁ。神社としての祭祀の場が、ちゃんと成立してるって意味。ただ、外の山とは、ちょっと感じが違うねぇ」

 

「どう違うんです?」

 

 御子柴が顔を上げた。

 

「……それが、説明しにくいんだよねぇ。同じ種類の力が強いとか弱いとか、そういう話じゃないと思う」

 

 水瀬は頷いた。

 

 黒山では、異なる超常体系の現象が同じ地域に集中している。だからといって、それらをすべて一つの尺度で測定できるわけではない。ホシノも、その違いを感じ取っているらしい。

 

「……あら」

 

 社務所の方から、霊夢が現れた。

 

「こんにちはぁ」

 

「こんにちは。博麗霊夢です」

 

「小鳥遊ホシノです。近くで骨董店をやってるんだよぉ。今日はちょっと様子を見に来たの」

 

 霊夢は頷き、ホシノの顔を少しだけ見つめた。

 

「……あなた、神職ですか?」

 

「いやいや。おじさんは神職じゃないよぉ」

 

「……そうですか。でも、神社のことには詳しそうですね」

 

「まあ、少しはねぇ」

 

 ホシノが笑い、霊夢も小さく笑った。

 

 何となく、互いに普通ではない何かを感じ取っているようだった。

 

 しかし、それですぐに相手のことが分かるわけではない。呪術と神秘と神道の祭祀は、それぞれ異なる背景を持っている。似た現象があったとしても、同じ仕組みだとは限らない。

 

 だからこそ、話し合う必要がある。

 

「……ところで。ここへ来る前は、長野県にいたんだって?」

 

「そうです」

 

「大変だったねぇ」

 

「……本当に。朝起きたら、鳥取県だったんです」

 

 霊夢は、少しだけ遠い目をした。

 

 ホシノは、数秒間黙った。

 

 それから。

 

「……うへへ。それは、なかなか大変だねぇ」

 

 霊夢も、つられて笑った。

 

「ええ。予定が全部狂いました」

 

 ◇

 

 10.博麗霊夢という、現代の神職

 

「……ところで、博麗さん。今後の予定について、どうお考えですか?」

 

 栗原が尋ねた。

 

「まず、通常の移動先へ戻れるか確認したいです。ただ、戻る方法が分からない以上、しばらくここで生活することになるかもしれません」

 

「その場合、必要な支援について相談しましょう」

 

「ありがとうございます」

 

 霊夢は、丁寧に頭を下げた。

 

 彼女は若い。しかし、巫女装束を着た少女というだけではない。神職としての資格を持ち、実際に祭祀を執り行っている。

 

 社務所の管理。参拝者への対応。神社の維持。祭礼の準備。

 

 そうした仕事を、普段から一人でこなしていた。必要なときには協力者もいるが、博麗神社のように移動する神社では、普通の神社とは違う苦労も多かった。

 

「……あの。神社が移動するたびに、生活も大変じゃないですか?」

 

 島田が、少し遠慮がちに尋ねた。

 

「……大変ですよ」

 

 即答だった。

 

「……ですよね」

 

「電気や水道の接続も確認しないといけませんし、郵便物も面倒です。移動する時期によっては、予定していた祭祀の日程を調整する必要もあります。それに、参拝者への連絡もありますから」

 

 霊夢は、少しだけため息をついた。

 

「普通の神社なら、建物がどこかへ行ったりしないでしょう?」

 

 ……。

 

 …………。

 

「……そうですね」

 

 島田は、深く頷いた。何とも説得力のある言葉だった。

 

 栗原も、思わず笑った。

 

「今回は、こちらでも必要な連絡をお手伝いします」

 

「助かります」

 

 霊夢は少しだけ表情を緩め、それから思い出したように付け加えた。

 

「……あと、できれば携帯電話の電波状況を何とかしたいんですが」

 

「……確認してみます」

 

「お願いします」

 

 霊夢は、実に真面目な顔で頭を下げた。

 

 神社が長野県から鳥取県へ移動し、超常現象の集中する黒山へ流れ着いた。その原因は、まだ分からない。

 

 しかし、当面の問題は、連絡と生活環境の確保だった。

 

 ……何とも現実的である。

 

 ◇

 

 11.山の外で待っている子供たち

 

 その日の夕方。

 

 骨董店『界』では、六花が母親の帰りを待っていた。隣には蓮がいる。二人とも学校帰りだった。

 

「……お母さん、今日は黒山に行ってるんだって。さっき電話があったの」

 

 六花が言った。

 

「黒山? 何かあったの?」

 

「うん。神社が一つ増えたらしいよ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 蓮は、ゆっくりと六花を見た。

 

「……神社が?」

 

「うん」

 

「……増えた?」

 

「そう」

 

 六花は、何とも楽しそうだった。

 

「……六花。最近、この街で『増えた』とか『現れた』って言葉を聞くと、嫌な予感がするんだけど」

 

「あはは! 分かる!」

 

「……で、どんな神社なの?」

 

「えっとね。博麗神社っていうんだって」

 

 ……。

 

 …………。

 

 蓮は、ぴたりと動きを止めた。

 

「……え?」

 

「博麗神社」

 

 ……。

 

 …………。

 

「……博麗? ……あの、博麗?」

 

 六花は、少しだけ笑った。

 

「たぶん、蓮が考えてる博麗だと思うよ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 蓮は、静かに両手で顔を覆った。

 

 五条悟。小鳥遊ホシノ。言峰綺礼。アレクサンドル・プルチノフ。

 

 そして今度は、博麗神社。

 

「……何なんだよ、この世界」

 

 六花は、とうとう声を上げて笑った。

 

「あははは! また言ってる!」

 

「……だって。今度は、博麗霊夢までいるの?」

 

「うん。お母さんが会ったって」

 

 ……。

 

 …………。

 

 蓮は、深くため息をついた。

 

 いや。待て。落ち着こう。

 

 前世で知っていた『東方Project』には、幻想郷という場所が存在していた。博麗霊夢は、その幻想郷の境界に関わる巫女として描かれていた。

 

 しかし、五条悟と小鳥遊ホシノが結婚している世界だ。原典の設定をそのまま当てはめるわけにはいかない。

 

 まずは情報を確認しよう。

 

「……六花。幻想郷って、あるの?」

 

「ないよ。少なくとも、この世界には存在しないんだって」

 

 ……。

 

 …………。

 

「……じゃあ、博麗神社だけ?」

 

「そうみたい。長野県の中を三か所、行ったり来たりしてる神社なんだって」

 

 幻想郷は存在しない。しかし、博麗神社は存在する。しかも、長野県内を漂流している。

 

 ……何だそれ。

 

 いや、何だそれという言葉しか出てこない。

 

「……霊夢さんは?」

 

「今も神職をやってるんだって。ちゃんと資格も持ってるらしいよ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 なるほど。

 

 この世界の博麗霊夢は、普通に神職として生活しているらしい。ただし、神社が移動する。しかも、今回は黒山へ流れ着いた。

 

 ……うん。十分すぎるほど変だ。

 

「……蓮。黒山には、しばらく勝手に行かない方がいいって。お母さんも、ちゃんと調査が終わるまでは近づかないでって言ってた」

 

 六花が、少しだけ真面目な顔になった。

 

「……それは分かる。了解」

 

 この街には、いろいろな不思議がある。しかし、小学四年生の子供が危険な場所へ勝手に入ってよいわけではない。そこは、前世で社会人だった二人だからこそ、よく理解していた。

 

「……でもさ。いつか、ちゃんと会ってみたいね」

 

「うん! ……霊夢さん、どんな人なんだろう」

 

 蓮は、ゆっくりと空を見上げた。

 

 前世で知っていた博麗霊夢と、今の世界で実際に生活している博麗霊夢。きっと、同じところもあれば、違うところもあるのだろう。

 

 それは、実際に会ってみなければ分からない。

 

「……楽しみだね」

 

「うん!」

 

 ◇

 

 12.四つ目の住所

 

 その夜。

 

 博麗神社の社務所では、霊夢が机に向かっていた。

 

 目の前には、今日一日で増えた書類が並んでいる。

 

 超常省への連絡記録。神社の所在地に関する確認事項。今後の安全管理についての打ち合わせ内容。それから、長野県側の関係者へ送る連絡文書。

 

 ……。

 

 …………。

 

「……面倒くさい」

 

 霊夢は、思わず呟いた。

 

 前世でも神職だったから、神社の仕事が祭祀だけではないことはよく知っている。書類仕事も、会計も、関係者との調整も、行事の準備もある。

 

 神社が移動する場合には、さらに面倒なことが増える。

 

 ……それでも、まさか鳥取県へ来るとは思わなかった。

 

「……黒山、ねぇ」

 

 窓の外へ目を向けると、境内には静かな夜の空気が広がっていた。鳥居の向こうには、黒山の森がある。

 

 昼間に見た限りでは、特別危険な場所には見えなかった。木々があり、土があり、虫が鳴いている。普通の山林だ。

 

 しかし、何かが違う。それも、一つではない。

 

 場所によって、違う種類の気配がある。神職としての経験から感じ取れるものもあれば、どうにも説明しにくいものもある。

 

 ……そもそも、一つの何かがあるという考え方自体、間違っているのかもしれない。複数の異なる現象が、同じ場所へ集まっている。そういう可能性もある。

 

 そして、博麗神社がここへ流れ着いた理由も、まだ何も分からない。

 

 偶然なのか。黒山の何らかの異常に引き寄せられたのか。あるいは、博麗神社自身の移動現象に、今まで知られていなかった性質があるのか。

 

 どれも、まだ仮説にすぎない。

 

「……まあ、いいか」

 

 霊夢は、小さく息を吐いた。

 

 今すぐ答えを出す必要はない。まずは神社の状態を確認し、参拝者へ連絡し、必要な祭祀を続け、安全を確保する。

 

 それが、今の自分にできることだった。

 

 霊夢は、机の上の小さな手帳を開いた。博麗神社の移動記録が書かれている。

 

 北信。中信。南信。普段の三か所。

 

 その下へ、新しい一行を加えた。

 

 ──二〇一三年七月三日。鳥取県境港市、黒山。予定外の移動。

 

 しばらくその文字を眺めてから、霊夢は少しだけ笑った。

 

「……四つ目、か」

 

 長野県内の三か所を漂流していた博麗神社に、突然四つ目の所在地ができた。少なくとも、今はそういうことになっている。

 

 もっとも、ここが正式な移動先として定着するのかどうかは、まだ分からない。明日の朝には、また長野県へ戻っているかもしれない。しばらくこの山に留まることになるのかもしれない。

 

 ……何とも不便な話だ。

 

 黒山の森は静かだった。風が木々を揺らし、遠くで虫が鳴いている。何かが動いたような気もしたが、今は気にしないことにした。

 

 少なくとも今夜のところは、神社は無事だった。社殿にも異常はない。社務所も、いつもどおり使える。

 

 それなら、まずは休むことが大切だろう。

 

「……明日も仕事だし」

 

 霊夢は手帳を閉じ、少し冷めていたお茶を一口飲んだ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 そのときだった。

 

 境内の向こう。鳥居の外側から、かすかな音が聞こえた。

 

 鈴のような音だった。

 

 しかし、博麗神社の鈴ではない。

 

 霊夢は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 風に揺れた金属の音だろうか。それとも、山の中に別の祠でもあるのだろうか。

 

 しばらく耳を澄ませたが、音はすぐに消えた。

 

 ……。

 

 …………。

 

「……まあ、明日でいいか」

 

 今すぐ確かめに行く必要はない。この山には、まだ知らないことが多すぎる。だからこそ、慎重に行動した方がいい。

 

 霊夢は立ち上がって社務所の戸締まりを確認し、いつものように寝室へ向かった。

 

 ◇

 

 同じ夜。

 

 黒山の麓では、境港市の灯りが静かに輝いていた。

 

 港では船が行き来し、住宅街では人々が眠りにつく。

 

 佐藤酒店も、すでに店じまいを終えている。

 

 骨董店『界』では、ホシノが娘の六花と今日の出来事について話していた。

 

 超常省では、栗原が博麗神社に関する報告書をまとめている。SCP財団も、GOCも、それぞれ必要な情報を記録していた。

 

 そして、黒山の中腹。

 

 昨日まで何もなかったはずの場所に、一つの神社が建っている。

 

 朱色の鳥居。古い石段。静かな社殿。

 

 幻でもなければ、幻想郷から現れた建物でもない。現実の土地に建つ、現実の神社である。

 

 ただし、昨日までは長野県にあった。そして今日は、鳥取県境港市の黒山にある。

 

 なぜ、そうなったのか。今は、誰にも分からない。

 

 黒山には、まだ知られていない現象がある。博麗神社にも、まだ解明されていない性質がある。

 

 その二つが、たまたま交わっただけなのか。あるいは、何か別の事情があるのか。

 

 答えは、まだ出ていなかった。

 

 ただ、一つだけ確かなことがある。

 

 黒山という山に、新しい住人が一人増えた。

 

 それも、前世と今世の両方で神職を務めてきた、少々変わった若い女性である。

 

 博麗霊夢。博麗神社の神職。

 

 彼女は今夜も、現代日本の一人の娘として、普通に眠っている。

 

 そのすぐ外側に、何十年も、あるいは何百年も前から存在しているかもしれない不可解な山が広がっていることを、まだ十分には知らないまま。

 

 ……そして。

 

 黒山の奥深くでは、今夜もいくつかの説明のつかない現象が起きていた。

 

 それらが博麗神社の到着と関係しているのかどうかは、分からない。少なくとも、現時点で断定できる者はいなかった。

 

 だから、明日も調査は続く。

 

 神社の位置を測り、周囲の地形を確認し、関係者から話を聞く。危険な場所には近づかず、分からないことを一つずつ確かめていく。

 

 そんな地味な仕事が、また始まるのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。