仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー リメイク版   作:水野芽生

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その4:ありえない家族の、ありふれた午後

 

 ──2013年5月/鳥取県境港市

 

 1.骨董店へのお使い

 

 世の中には、知らない方が幸せなことがある。

 

 少なくとも、僕はそう考えている。

 

 前世ではそれなりに長く社会人をやっていたし、知らなくていいことまで知ってしまった結果、面倒な仕事が増えた経験も一度や二度ではない。

 

 だから、今の人生ではなるべく平穏に暮らしたい。

 

 学校へ通い、友達と遊び、両親の店を手伝い、毎日ちゃんとご飯を食べて、夜になったら布団で眠る。

 

 それで十分だ。

 

 ……そのはずだった。

 

「蓮、ちょっとお願いしていい?」

 

 五月のある火曜日。

 

 学校から帰ってきた僕は、母さんに呼び止められた。

 

「何?」

 

「ホシノさんのお店に、これ届けてもらえる?」

 

 差し出されたのは、小さな紙袋だった。

 

 中には焼き菓子の箱が入っている。

 

「ホシノさん?」

 

「ほら、小鳥遊さんのお母さん。骨董店をやってらっしゃる」

 

「ああ」

 

 小鳥遊六花。

 

 僕と同じ境港第二小学校、四年二組の女子である。

 

 銀色の髪が毛先へ向かって淡いピンク色に変わる、いかにもアニメの登場人物みたいな美少女だ。

 

 もっとも、見た目が目立つだけで、本人は明るく社交的な、ごく普通の女の子……と、言い切るには少々気になるところがある。

 

 先日の夢みなとタワーでは、海上に現れた奇妙な白いものから、僕を助けてくれた。

 

 あのとき彼女が何をしたのかは、まだ分からない。

 

 ただ、僕と同じものを見ていたのは確かだった。

 

 その後も普通に学校で話しているけれど、あの出来事について詳しく聞いたことはない。

 

 聞きたい気持ちはある。

 

 あるのだが、藪をつついて何が出てくるか分からない以上、慎重に行動するに越したことはない。

 

「お母さん、ホシノさんと仲いいの?」

 

「時々お買い物に来てくださるし、六花ちゃんのお母さんだもの。お店にも何度かお邪魔してるわよ」

 

「そうなんだ」

 

「この前、お菓子をいただいたから、そのお返し。お店は分かる?」

 

「水木しげるロードの方だよね」

 

「そうそう。『界』っていう骨董店。六花ちゃんに聞けば案内してくれると思うけど」

 

 僕は紙袋を受け取った。

 

 特に断る理由もない。

 

 水木しげるロードの周辺なら、徒歩で行ける距離だ。

 

「分かった。届けてくる」

 

「ありがとう。あんまり遅くならないようにね」

 

「はーい」

 

 僕は玄関で靴を履き、紙袋を手に取った。

 

 このときの僕は、まだ何も知らなかった。

 

 母さんから頼まれた、ただのお使い。

 

 行き先は、クラスメイトの家が経営する骨董店。

 

 何の変哲もない、小学生の放課後である。

 

 ……今になって思えば、あの紙袋を受け取る前に、もう少し詳しく話を聞いておくべきだった。

 

 いや、聞いたところで、信じられたかどうかは怪しいけれど。

 

 ◇

 

 2.小鳥遊六花という同級生

 

 学校から帰る途中、小鳥遊さんと話す機会があった。

 

 今日の国語の授業について、である。

 

「いやあ、佐藤君って本当に勉強できるよね」

 

「そうかな」

 

「そうだよ。今日の漢字テスト、また満点だったでしょ」

 

「まあ、うん」

 

「すごいなあ」

 

 小鳥遊さんは素直に感心しているようだった。

 

 僕としては、少し申し訳ない気持ちもある。

 

 前世の記憶があるので、小学四年生の漢字テストで苦労することはあまりない。

 

 もちろん、字が上手かどうかは別問題だ。

 

 僕の書いた漢字には、時々、大西先生から「もう少し丁寧に」と赤字が入る。

 

 知識があっても、手先の器用さまで大人になるわけではないらしい。

 

「小鳥遊さんだって、ほとんど満点じゃない」

 

「えへへ。まあね」

 

 彼女は嬉しそうに笑った。

 

 それから、少しだけ考えるような顔になる。

 

「でもさ、佐藤君って、たまに説明の仕方が大人っぽいよね」

 

「……そう?」

 

「うん。先生みたいっていうか、会社の先輩みたいっていうか」

 

 心臓が一瞬、妙な動きをした。

 

 会社の先輩。

 

 なぜ小学四年生の女子から、そんな表現が出てくるのだろう。

 

「会社の先輩って……小鳥遊さん、そういう人と話したことあるの?」

 

「え?」

 

 彼女は一瞬、目を瞬かせた。

 

 それから、にこっと笑う。

 

「テレビとかで見たことあるじゃん」

 

「……ああ、なるほど」

 

 実に納得のいく説明だった。

 

 納得のいく説明ではあるのだが。

 

 何だろう、この微妙な引っかかりは。

 

「そういえば、小鳥遊さん」

 

「何?」

 

「今日、家の方に行ってもいい?」

 

「……えっ?」

 

 彼女が立ち止まった。

 

 僕も立ち止まる。

 

 小鳥遊さんは、少しだけ目を丸くしていた。

 

「えっと、うち?」

 

「うん。お母さんから、お使いを頼まれて」

 

「あ、そういうことね!」

 

 彼女は笑った。

 

「びっくりした。急に遊びに来たいって言われたのかと思った」

 

「それでもいいけど」

 

「いいよ、全然。今度遊びに来なよ」

 

「じゃあ、今度ね」

 

「うん!」

 

 何とも気楽な会話だった。

 

 僕は紙袋を見せる。

 

「ホシノさんに、お菓子を届けてほしいって」

 

「ああ、お母さんに?」

 

「うん」

 

「じゃあ、私も一緒に帰ろっか。ちょうどその方向だし」

 

 そういうわけで、僕は小鳥遊さんと一緒に彼女の家へ向かうことになった。

 

 この段階では、まだ何もおかしくない。

 

 むしろ、非常に健全な放課後である。

 

 ◇

 

 3.骨董店『界』

 

 水木しげるロードは、平日の午後でもそれなりに賑わっていた。

 

 観光客が妖怪のブロンズ像の前で写真を撮り、土産物店の軒先には鬼太郎や目玉おやじのグッズが並んでいる。

 

 境港市の観光名所として、僕も小さい頃から何度も来ている場所だ。

 

 ただ、前世の記憶を持つ身としては、少し不思議な気分になることもある。

 

 この世界には、本当に妖怪が存在するのだろうか。

 

 そう思わせる出来事は、時々ある。

 

 例えば、先日配達へ行った松浦源三さんの家。

 

 あの家の奥で見た小さな影は、今でも少し気になっている。

 

 もっとも、だからといって妖怪が実在すると断言できるわけではない。

 

 今のところ、僕が実際に見たのは妙な海上の人影と、正体不明の小さな影くらいだ。

 

「こっちだよ」

 

 小鳥遊さんが横道へ入った。

 

 観光客の多い通りから少し外れると、辺りは急に静かになった。

 

 古い家屋が並び、庭先には鉢植えが置かれている。

 

 その一角に、落ち着いた外観の建物があった。

 

 木造の二階建て。

 

 軒先には控えめな看板が掛けられている。

 

 ──骨董店『界』。

 

「ここ?」

 

「うん。うちのお店」

 

 小鳥遊さんは慣れた手つきで引き戸を開けた。

 

「ただいまー!」

 

 店の中には、古い家具や陶器、掛け軸、木箱などが並んでいた。

 

 少し薄暗いけれど、清潔で、何となく落ち着く雰囲気がある。

 

 古い木材と紙の匂いがした。

 

 壁には年代物らしい時計が掛かり、奥の棚には小さな置物が並んでいる。

 

 ……おお。

 

 これは、なかなか雰囲気がある。

 

 前世でも、骨董店に入った経験はそれほど多くなかったけれど、こういう場所は嫌いではない。

 

「お母さーん、お客さんだよー」

 

 小鳥遊さんが奥へ声をかけた。

 

 すると、店の奥から、少し眠たげな声が返ってきた。

 

「うへぇ……お客さん?」

 

「佐藤君! 学校の!」

 

「ああ、蓮君かぁ」

 

 足音が近づいてくる。

 

 僕は入口の近くで姿勢を正した。

 

 同級生の親御さんに初めて会うのだから、ちゃんと挨拶しなければならない。

 

 そう思っていた。

 

 思っていたのだが。

 

「いらっしゃい。おじさんが六花のお母さんだよぉ」

 

 店の奥から現れた女性を見て。

 

 僕の思考は、停止した。

 

 ◇

 

 4.ピンク色の、見覚えがありすぎる母親

 

 小柄な女性だった。

 

 身長は、僕より少し高いくらいだろうか。

 

 ピンク色の髪。

 

 左右で色の異なる瞳。

 

 童顔で、どこか眠そうな表情。

 

 ゆったりした服装に、気だるげな立ち方。

 

 そして。

 

「いやあ、今日はおじさん、ちょっと眠くてねぇ」

 

 その口調。

 

 その雰囲気。

 

 その顔。

 

 僕は知っている。

 

 いや、知っているどころではない。

 

 前世で、何度も見たことがある。

 

 画面の中で。

 

 ゲームの中で。

 

 そして、インターネット上にあふれていた、ありとあらゆる画像や動画の中で。

 

 ──小鳥遊ホシノ。

 

 スマートフォン向けゲーム『ブルーアーカイブ』に登場する、あの小鳥遊ホシノである。

 

 僕は固まった。

 

「……?」

 

 ホシノさんは首を傾げた。

 

「どうしたの、蓮君?」

 

「……あ」

 

「ん?」

 

「……ええと」

 

 何か言わなければならない。

 

 僕はそう思った。

 

 思ったのだが、脳が正常な処理を拒否している。

 

 だって、そうだろう。

 

 前世で知っていた架空のキャラクターが、目の前にいるのである。

 

 しかも。

 

 そのキャラクターが。

 

 僕のクラスメイトの。

 

 お母さんをやっている。

 

 ……いや、待て。

 

 落ち着こう。

 

 この世界には、前世と違うことがいろいろある。

 

 銀髪やピンク髪の人間だって、珍しいながら普通に存在している。

 

 だから、たまたま似ているだけかもしれない。

 

 名前が同じなのも、偶然だ。

 

 小鳥遊という苗字だって、実在する。

 

 ホシノという名前だって、別にありえないわけではない。

 

 そうだ。

 

 偶然だ。

 

 きっと偶然に違いない。

 

「佐藤君?」

 

 隣で小鳥遊さんが、不思議そうに僕を覗き込んだ。

 

「顔、すごいことになってるよ」

 

「……そ、そう?」

 

「うん。なんか、びっくりしたカエルみたい」

 

 それは、あまり嬉しくない例えだった。

 

 しかし、今の僕には反論する余裕がなかった。

 

 ホシノさんは、そんな僕を見て小さく笑う。

 

「うへへ。そんなに緊張しなくていいよぉ。六花のお友達なんだから、ゆっくりしてって」

 

「……は、はい」

 

 僕は、どうにか返事をした。

 

 それから、母さんに頼まれた紙袋を差し出す。

 

「あ、あの。母から、これを……」

 

「おや?」

 

 ホシノさんが紙袋を受け取った。

 

「佐藤さんから?」

 

「はい。この前のお礼だそうです」

 

「ああ、そんなの気にしなくていいのにねぇ。ありがとう、蓮君」

 

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

 その表情が。

 

 あまりにも。

 

 あまりにも、あのゲームのホシノそのままだった。

 

 ……待って。

 

 無理。

 

 これ、無理。

 

 僕は心の中で頭を抱えた。

 

 こういうとき、どういう反応をするのが正解なのだろう。

 

「あなたはゲームのキャラクターですよね」と尋ねる? 

 

 駄目だ。

 

 完全に変な子供だと思われる。

 

「先生はどこですか」と聞いてみる? 

 

 もっと駄目だ。

 

 相手に意味が通じる保証がない。

 

 だいたい、なぜ僕はこの人が本物の小鳥遊ホシノだと決めつけているのか。

 

 名前と容姿と口調が一致しているだけではないか。

 

 ……いや。

 

 十分すぎるほど一致している気がするのだが。

 

「六花、蓮君にお茶でも出してあげなよ」

 

「はーい」

 

「あ、いえ、そんなお気遣いなく」

 

「まあまあ、遠慮しなくていいよぉ」

 

 ホシノさんは、実にのんびりした声で言った。

 

 僕は、まるで借りてきた猫のように頷いた。

 

 そのときだった。

 

 店の奥から、別の声が聞こえた。

 

「ただいまー!」

 

 男性の声だった。

 

 明るく、よく通る声。

 

 ホシノさんが振り返る。

 

「あ、帰ってきた」

 

 小鳥遊さんが嬉しそうに顔を上げた。

 

「パパ!」

 

 ……パパ? 

 

 僕は、何となく嫌な予感がした。

 

 いや。

 

 なぜ嫌な予感なのか、自分でも分からない。

 

 ただ、何というか。

 

 非常にまずい方向へ話が進んでいるような気がする。

 

 足音が近づいてきた。

 

 そして。

 

「お、六花。おかえり! あれ、今日はお友達?」

 

 店の奥から現れたのは。

 

 白髪。

 

 長身。

 

 整った顔立ち。

 

 黒いサングラス。

 

 それから、どう考えても見覚えのある、あまりにも特徴的な雰囲気。

 

 僕は、その顔を見上げた。

 

 相手も、僕を見下ろしていた。

 

「こんにちは。六花のパパでーす」

 

 男は、にこやかに笑った。

 

「五条悟っていいます。よろしくね」

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 僕の頭の中で、何かが音を立てて崩れた。

 

 ◇

 

 5.五条悟が、父親をやっている

 

 五条悟。

 

『呪術廻戦』。

 

 六眼。

 

 無下限呪術。

 

 特級呪術師。

 

 最強。

 

 僕の脳内に、関連する情報が猛烈な勢いで流れ込んできた。

 

 駄目だ。

 

 落ち着け。

 

 情報を整理しろ。

 

 これは夢ではない。

 

 僕は今、鳥取県境港市にいる。

 

 時代は2013年。

 

 僕は小学四年生。

 

 目の前には、五条悟がいる。

 

 それから、その隣には小鳥遊ホシノがいる。

 

 そして二人の間に立っているのは。

 

 小鳥遊六花。

 

 僕のクラスメイト。

 

 ……。

 

 …………。

 

 何で!? 

 

 危うく声に出しかけた。

 

 いや、正確には、喉から変な音が漏れた。

 

「……ひょっ」

 

「ん?」

 

 五条悟が首を傾げた。

 

 僕は両手で口を押さえた。

 

 その動作を見た小鳥遊さんが、とうとう吹き出した。

 

「あははは! 佐藤君、何その声!」

 

「……いや、その」

 

 違う。

 

 違うんだ。

 

 僕は別に、変な声を出そうと思ったわけではない。

 

 ただ、目の前にいる人物の情報量が多すぎて、処理しきれなかっただけなのだ。

 

 五条悟がいる。

 

 小鳥遊ホシノがいる。

 

 しかも夫婦。

 

 娘までいる。

 

 そして娘は、僕のクラスメイト。

 

 ……何だこれは。

 

 何というクロスオーバーだ。

 

 前世でこんな設定の二次創作を見かけたら、作者に「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。

 

 いや、別に組み合わせが悪いという意味ではない。

 

 むしろ、二人とも強いし、何だか相性がよさそうな気もする。

 

 けれど、そういう問題ではないのだ。

 

 何で僕の現実にいるんだよ。

 

「……大丈夫?」

 

 五条悟が、少し屈んで僕の顔を覗き込んだ。

 

 僕は反射的に背筋を伸ばした。

 

「は、はい!」

 

「おお、元気いいね」

 

 五条悟は笑った。

 

 その笑い方まで、僕の知っている人物そのものだった。

 

 駄目だ。

 

 認めよう。

 

 これは、たまたま似ているだけの人間ではない。

 

 少なくとも僕の認識では、五条悟その人である。

 

「佐藤君、どうしたの?」

 

 小鳥遊さんが尋ねた。

 

「うちのパパ、そんなに怖い?」

 

「えっ」

 

 僕は慌てて首を振った。

 

「いや、怖いというか、その……」

 

「その?」

 

「……びっくりした」

 

「何に?」

 

 そこを聞かれると非常に困る。

 

 だって、説明できないではないか。

 

「前世で読んでいた漫画の最強キャラクターが、今、同級生の父親としてお菓子の箱を持って立っているからです」

 

 ……言えるか! 

 

 絶対に言えるわけがない。

 

「……背が高くて」

 

 僕は、どうにか理由をひねり出した。

 

「え?」

 

「五条さん、すごく背が高いから……」

 

 一瞬の沈黙。

 

 それから。

 

「……ぷっ」

 

 五条悟が吹き出した。

 

「あははは! そっか、背が高いからびっくりしたんだ!」

 

 笑い始めた。

 

 ものすごく楽しそうだった。

 

 ホシノさんまで口元を押さえて笑っている。

 

「うへへ。確かに、この人でっかいからねぇ」

 

「いやあ、僕も背が高くてよかったよ。こんなに驚いてもらえるなんて!」

 

「パパ、そんなに喜ぶところじゃないでしょ」

 

「だって六花、面白いじゃん」

 

「もう!」

 

 小鳥遊さんは呆れた顔をしていた。

 

 僕は、ただただ立ち尽くしていた。

 

 目玉が本当に飛び出すとしたら、今がその瞬間だったと思う。

 

 しかし、人間の眼球というものは、幸いにもそう簡単に飛び出さないらしい。

 

 それだけが救いだった。

 

 ◇

 

 6.この家の、お茶の時間

 

「まあまあ、せっかく来たんだから座ってよ」

 

 五条悟に勧められ、僕は店の奥にある居間へ通された。

 

 畳敷きの部屋で、低いテーブルが置かれている。

 

 窓の外には小さな庭が見えた。

 

 古い日本家屋らしい、落ち着いた空間だった。

 

 ただし、そこに座っている人間の顔ぶれが、まったく落ち着かない。

 

 五条悟。

 

 小鳥遊ホシノ。

 

 小鳥遊六花。

 

 ……いや、本当に何なんだ、この家族。

 

「蓮君、甘いもの好き?」

 

 五条悟が尋ねてきた。

 

「え、あ、はい」

 

「よし。じゃあ、これ食べよう」

 

 彼は持っていた紙袋から、洋菓子の箱を取り出した。

 

 中には、色とりどりのケーキが入っている。

 

「パパ、また買ってきたの?」

 

 六花が言った。

 

「またって何さ。今日はちゃんと理由があるんだよ」

 

「理由?」

 

「美味しそうだったから」

 

「それ、いつもと同じ理由じゃん」

 

 ホシノさんが、眠たげな声で突っ込んだ。

 

「うへぇ。昨日も甘いもの買ってきてたよねぇ」

 

「昨日のは昨日の。今日のは今日の」

 

「そういう問題かなぁ」

 

 僕は、目の前の会話を聞きながら、何とも言えない気分になっていた。

 

 五条悟が。

 

 普通に家族と。

 

 ケーキのことで話している。

 

 しかも、娘に注意されている。

 

 ……いや、考えてみれば、別におかしくはない。

 

 どれほど強い人間だって、家に帰れば家族と食事をする。

 

 甘いものが好きなら、菓子を買ってくることもあるだろう。

 

 それだけの話だ。

 

 頭では分かる。

 

 分かるのだが。

 

 前世で知っていた人物が、こんなにも自然に家庭生活を送っている光景には、どうにも慣れない。

 

「蓮君、どれにする?」

 

 ホシノさんが皿を差し出した。

 

「ええと……これで」

 

「はいはい。どうぞぉ」

 

「ありがとうございます」

 

 僕は小さく頭を下げた。

 

 小鳥遊さんが隣に座る。

 

「佐藤君、さっきからずっと緊張してるね」

 

「……そうかな」

 

「うん。いつもより声小さいし」

 

 確かに、その自覚はある。

 

 普段なら、もう少し普通に話せるはずだ。

 

 しかし、今日は無理だ。

 

 目の前にいる二人が、どうしても前世の知識と結び付いてしまう。

 

「蓮君って、六花と同じクラスなんだよね」

 

 五条悟が尋ねた。

 

「はい。四年二組です」

 

「へえ。学校は楽しい?」

 

「はい。友達もできましたし」

 

「よかったよかった」

 

 彼は満足そうに頷いた。

 

「六花、学校の話はよくしてくれるんだけどさ。最近は佐藤君の名前も結構出るんだよね」

 

「えっ」

 

 僕は小鳥遊さんを見た。

 

 彼女は、一瞬だけ目を丸くした。

 

「パパ!」

 

「ん?」

 

「そういうこと言わなくていいから!」

 

「えー、何で?」

 

「何でも!」

 

 五条悟は楽しそうに笑った。

 

 ホシノさんは、のんびりとお茶を飲んでいる。

 

「うへへ。まあ、仲良くしてくれてるみたいで、おじさんも嬉しいよぉ」

 

「お母さんまで!」

 

 小鳥遊さんは少し頬を膨らませた。

 

 僕は、その様子を見ていた。

 

 何だろう。

 

 思っていたのと、ずいぶん違う。

 

 いや、前世で知っていた五条悟とホシノの性格を考えれば、むしろ自然なのかもしれない。

 

 ただ、こうして一つの家庭に収まっている姿を見ると、不思議な感覚になる。

 

 この二人は、本当に夫婦なのだ。

 

 そして小鳥遊さんは、本当に二人の娘なのだ。

 

 そう思うと、今まで何気なく接していたクラスメイトの存在が、急に恐ろしくなってきた。

 

 ……待て。

 

 父親が五条悟で。

 

 母親が小鳥遊ホシノ。

 

 その娘。

 

 小鳥遊六花。

 

 ……あれ? 

 

 もしかして。

 

 あの子。

 

 とんでもない存在なのでは? 

 

 僕は、そっと隣を見た。

 

 小鳥遊さんは、普通にケーキを食べている。

 

「ん? どうしたの?」

 

「……いや」

 

 彼女は首を傾げた。

 

「佐藤君も、早く食べなよ。美味しいよ」

 

「う、うん」

 

 僕はケーキに手を付けた。

 

 美味しかった。

 

 実に美味しかった。

 

 しかし、味を楽しむ余裕があったかと聞かれれば、正直、微妙だった。

 

 ◇

 

 7.父親と母親

 

「そういえば、蓮君」

 

 ホシノさんが、ふと思い出したように言った。

 

「この前の社会科見学、ちょっと気分悪くなったんだって?」

 

 僕は顔を上げた。

 

「あ、はい。でも、もう大丈夫です」

 

「そっかぁ。よかったよかった」

 

 彼女は安心したように笑った。

 

「六花から聞いてたから、ちょっと心配してたんだよねぇ」

 

「……そうだったんですか」

 

「うん。あの子、帰ってきてから結構気にしてたし」

 

「お母さん!」

 

 小鳥遊さんが、また抗議の声を上げた。

 

「別に、そんなに気にしてないもん!」

 

「うへへ。そうだったっけ?」

 

「もう!」

 

 五条悟が、そんな二人を見ながら口を開いた。

 

「まあ、何ともなくてよかったよ。海の近くは風も強いし、ああいう展望施設って、体調が悪くなる子もいるからね」

 

「はい」

 

「でも、何か変だと思ったら、無理しないで大人を呼んでね」

 

 それは、ごく普通の助言だった。

 

 僕は頷いた。

 

「分かりました」

 

 五条悟は満足そうに笑った。

 

 その顔を見ていると、どうにも不思議な気分になる。

 

 前世の僕は、この人物を知っていた。

 

 漫画の中で、圧倒的な力を持つ呪術師として。

 

 しかし、今ここにいる五条悟は、娘の友達にケーキを勧め、体調を心配する普通の父親だった。

 

 その両方が、同じ人物の中に存在している。

 

 何だか、少しだけ面白い。

 

「……五条さんって、普段は何のお仕事をされてるんですか?」

 

 僕は、思い切って尋ねてみた。

 

 すると、五条悟は少しだけ考えるような顔をした。

 

「うーん。いろいろかな」

 

「いろいろ?」

 

「教育関係とか、調査とか。ちょっと特殊な仕事もしてるよ」

 

「……特殊な仕事」

 

「まあ、普通の会社員とは少し違うかもね」

 

 彼はそう言って笑った。

 

 僕は、心の中で頷いた。

 

 そりゃそうだろう。

 

 普通の会社員であってたまるか。

 

「パパ、説明がざっくりしすぎ」

 

 小鳥遊さんが言った。

 

「えー、そう?」

 

「そうだよ。蓮君、困ってるじゃん」

 

「そんなことないよね?」

 

 突然話を振られた。

 

「……ええと」

 

 僕は少し迷った。

 

「面白そうなお仕事ですね」

 

 我ながら無難な回答だったと思う。

 

 五条悟は笑った。

 

「でしょ?」

 

 どうやら満足したらしい。

 

 ホシノさんが、横から口を挟んだ。

 

「でも、仕事であっちこっち行くからねぇ。もうちょっと家にいてくれると、おじさんは助かるんだけど」

 

「いやあ、それは僕も思ってるんだよ」

 

「本当かなぁ」

 

「本当本当」

 

「じゃあ、今週末はちゃんと家にいる?」

 

「……たぶん」

 

「ほらぁ」

 

 ホシノさんは、呆れたように笑った。

 

 小鳥遊さんも、同じような顔をしていた。

 

 僕は、またしても不思議な気分になった。

 

 五条悟が。

 

 妻に。

 

 週末の予定を確認されている。

 

 ……。

 

 何だか、妙に現実的だ。

 

 それも、僕の知っている現実とは少し違う方向で。

 

 ◇

 

 8.本物という言葉

 

 お茶の時間が終わり、僕はそろそろ帰ることにした。

 

 母さんからは、あまり遅くならないようにと言われている。

 

 それに、今日は宿題も残っている。

 

 小鳥遊さんは少し残念そうだったが、すぐに頷いた。

 

「じゃあ、また明日ね」

 

「うん。学校で」

 

「気をつけて帰ってね」

 

「ありがとう」

 

 僕は立ち上がり、ホシノさんと五条悟に頭を下げた。

 

「今日はありがとうございました」

 

「うへへ。またおいでよぉ」

 

「そうそう。六花のお友達なら大歓迎!」

 

「はい」

 

 僕は返事をした。

 

 それから、玄関へ向かおうとした。

 

 そのときだった。

 

 ふと、壁に掛けられた写真が目に入った。

 

 家族写真だった。

 

 今より少し幼い小鳥遊さん。

 

 その隣に立つ、ピンク色の髪の女性。

 

 そして、白髪の長身男性。

 

 三人とも、楽しそうに笑っている。

 

 ごく普通の家族写真だ。

 

 ただし、写っている人物が普通ではない。

 

 僕は、その写真を見つめた。

 

 ……本物だ。

 

 小さく、そう思った。

 

 いや、思ったつもりだった。

 

 しかし。

 

「……本物?」

 

 隣から声がした。

 

 小鳥遊さんだった。

 

 僕は、ぎくりとした。

 

「え?」

 

「今、本物って言った?」

 

 ……しまった。

 

 声に出ていたらしい。

 

 これは非常にまずい。

 

「……あ、いや」

 

「何が本物?」

 

 小鳥遊さんは不思議そうに首を傾げていた。

 

 僕は必死に考えた。

 

 何か。

 

 何か、自然な説明はないだろうか。

 

 そして、頭の中に浮かんだのは、実に苦しい言い訳だった。

 

「……家族写真が」

 

「家族写真?」

 

「うん。何か、すごく自然で」

 

 我ながら、意味が分からない。

 

 何だそれは。

 

 自然な家族写真が本物だというのは、どういう説明なのだ。

 

 しかし、小鳥遊さんは少しだけ考えたあと、ふっと笑った。

 

「……そっか」

 

「うん」

 

「ありがと」

 

 彼女は、そう言った。

 

 僕は少し驚いた。

 

「……何でお礼?」

 

「何となく」

 

 小鳥遊さんは笑っていた。

 

 その顔が、ほんの少しだけ大人びて見えた。

 

 それから、彼女は玄関の方を指さす。

 

「ほら、帰るんでしょ?」

 

「あ、うん」

 

「じゃあ、また明日」

 

「また明日」

 

 僕は手を振り、店を出た。

 

 五月の夕方。

 

 水木しげるロードの方から、観光客の声が聞こえてくる。

 

 僕は少し歩いてから、振り返った。

 

 骨董店『界』。

 

 古い日本家屋。

 

 落ち着いた看板。

 

 何とも普通の、町の骨董店。

 

 しかし。

 

 あの中には、五条悟と小鳥遊ホシノがいる。

 

 しかも、夫婦で。

 

 娘までいる。

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、両手で顔を覆った。

 

「……何なんだよ、この世界」

 

 誰も聞いていないのを確認して、小さく呟く。

 

 前世で知っていた漫画やゲーム。

 

 その登場人物たちが、実際にこの世界で生活している。

 

 少なくとも、そう考えなければ説明できないものを、僕は今日見てしまった。

 

 しかも、その二人は仲のよい夫婦で、娘を育てている。

 

 僕のクラスメイトを。

 

 ごく普通の小学四年生として。

 

「……マジかぁ」

 

 ため息が出た。

 

 これは、いよいよ平穏な生活が怪しくなってきたのではないだろうか。

 

 いや、待て。

 

 まだ決まったわけではない。

 

 僕が知らなかっただけで、この世界では普通のことなのかもしれない。

 

 五条悟が結婚していてもいい。

 

 小鳥遊ホシノが母親になっていてもいい。

 

 そもそも、僕が前世で知っていた物語と、この世界の歴史が同じである保証などない。

 

 この二人が、僕の知っている作品から突然現れたのだと考える必要もない。

 

 むしろ、最初からこの世界に生まれ育った人間なのだろう。

 

 ……そう考える方が、まだ理解できる。

 

 理解できるのだが。

 

 どうして、その二人が結婚したのか。

 

 どうして境港に住んでいるのか。

 

 どうして、その娘が僕のクラスメイトなのか。

 

 疑問は尽きなかった。

 

 もっとも。

 

 それを今すぐ調べる必要はない。

 

 僕は、そう考えることにした。

 

 何しろ、まだ小学四年生なのだから。

 

 知らないことがあったって、別にいいだろう。

 

 ……ただ。

 

 明日から、小鳥遊さんの顔を普通に見られる自信が、少しなくなった。

 

 ◇

 

 9.佐藤家の夕食

 

「ただいまー」

 

「おかえり。ちゃんと届けられた?」

 

 家に帰ると、母さんが声をかけてきた。

 

「うん。ホシノさんに渡したよ」

 

「あら、よかった。何か言ってた?」

 

「ありがとうって」

 

「そう。じゃあ今度会ったとき、私からもお礼を言っておくわ」

 

 母さんは満足そうに頷いた。

 

 僕は靴を脱ぎ、居間へ向かう。

 

 父さんは新聞を読んでいた。

 

「おう、蓮。お使いご苦労さん」

 

「うん」

 

「五条さんのところ、行ってきたのか」

 

 ……。

 

 僕は足を止めた。

 

「……父さん」

 

「ん?」

 

「五条さん、知ってるの?」

 

「そりゃ知ってるさ。小鳥遊さんの旦那さんだろ」

 

 何でもないことのように答えた。

 

 僕は、しばらく父さんの顔を見つめた。

 

「……あの、白髪の?」

 

「そうそう。背が高い人だな」

 

「……サングラスの?」

 

「かけてることが多いな」

 

「……五条悟さん?」

 

「そうだよ」

 

 父さんは首を傾げた。

 

「どうした?」

 

 僕は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……普通の人?」

 

 父さんは少し考えた。

 

「普通っていうか、ちょっと変わった人ではあるな」

 

 ……そりゃそうだろう。

 

「でも、いい人だぞ」

 

「……そうなんだ」

 

「六花ちゃんのことも大事にしてるし、奥さんとも仲がいい。仕事は忙しいみたいだけどな」

 

 父さんは新聞を畳んだ。

 

「何かあったのか?」

 

「いや、別に」

 

「ならいいけど」

 

 父さんは笑った。

 

「びっくりしたか? あの人、背が高いからな」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、天井を見上げた。

 

 今日、僕が五条悟に驚いた理由は、どうやら身長のせいということで処理されるらしい。

 

 まあ、いい。

 

 そういうことにしておこう。

 

「……うん。びっくりした」

 

「そうかそうか」

 

 父さんは満足そうだった。

 

 母さんが台所から顔を出す。

 

「何の話?」

 

「蓮が五条さんの背の高さにびっくりしたんだと」

 

「あらまあ」

 

 母さんが笑った。

 

「確かに大きいわよねえ。ホシノさんは小柄だから、並ぶと余計に目立つのよ」

 

「そうそう」

 

 父さんも笑った。

 

 僕は黙っていた。

 

 ……うん。

 

 両親は、何も知らない。

 

 少なくとも、僕が今日驚いた本当の理由は知らない。

 

 しかし、彼らは五条悟とホシノを、普通に近所の知り合いとして受け入れている。

 

 それが、何だか不思議だった。

 

 前世で知っていた最強の呪術師と、圧倒的な防御能力を持つ少女。

 

 そんな二人が結婚し、子供を育て、町の人々と普通に付き合っている。

 

 それは、僕の知っていた物語にはなかった光景だ。

 

 けれど。

 

 今の僕の両親にとっては、ごく普通の日常なのだ。

 

「蓮、ご飯できたわよ」

 

「はーい」

 

 僕は椅子に座った。

 

 食卓には、いつもの夕食が並んでいる。

 

 父さんが今日の配達の話をして、母さんが店の売上について答える。

 

 僕も学校の話をする。

 

 何でもない、普通の家族の時間だった。

 

 その安心感に、少しだけ救われた。

 

 ……まあ。

 

 明日、小鳥遊さんにどんな顔をして会えばいいのかは、まだ分からないけれど。

 

 ◇

 

 10.小鳥遊家の、夜の会話

 

「……ねえ、パパ」

 

 その夜。

 

 骨董店『界』の居間で、六花は父親に声をかけた。

 

 五条悟は、ソファに座って何やら資料を読んでいた。

 

「ん? どうしたの、六花」

 

「今日の佐藤君、変だったよね」

 

「ああ、蓮君?」

 

「うん」

 

 六花は少し考えながら続けた。

 

「パパとお母さんを見た瞬間、すっごいびっくりしてた」

 

「そうだねえ」

 

 悟は笑った。

 

「僕の背が高かったからじゃない?」

 

「絶対それだけじゃないと思う」

 

「えー、何で?」

 

「何となく」

 

 悟は資料を置いた。

 

 そして、娘の顔を見た。

 

「……何か気になる?」

 

「うん。ちょっと」

 

 六花は頷いた。

 

 佐藤蓮。

 

 同じ四年二組の男の子。

 

 頭がよくて、落ち着いていて、ときどき妙に大人びたことを言う。

 

 それに、今日の反応。

 

 母親を見たとき、明らかに何かを思い出したような顔をしていた。

 

 父親を見たときには、もっとすごかった。

 

 あれは、単に背の高い大人を見て驚いた顔ではない。

 

 何か、知っているものを見つけたような。

 

 そんな顔だった。

 

「……佐藤君さ」

 

 六花は、少し声を落とした。

 

「パパとお母さんのこと、前から知ってたのかな」

 

 悟は少し考えた。

 

「どうだろうね」

 

「……分かんない?」

 

「分かんないよ。初めて会った子だし」

 

 そう答えてから、彼は少し笑った。

 

「でも、面白い子だったね」

 

「でしょ?」

 

 六花は、思わず嬉しそうに言った。

 

 悟はそれを見て、さらに笑った。

 

「お、嬉しそう」

 

「別に!」

 

「そう?」

 

「そう!」

 

 そこへ、ホシノが居間へ入ってきた。

 

「うへぇ……何の話?」

 

「六花が、今日の蓮君のこと気にしてるんだって」

 

「パパ!」

 

「ほうほう」

 

 ホシノは眠たげな顔のまま、娘の隣へ座った。

 

「蓮君ねぇ。いい子だったじゃん」

 

「うん。いい子だよ」

 

 六花は素直に頷いた。

 

「でも、ちょっと不思議で」

 

「そっかぁ」

 

 ホシノは、しばらく考えるような顔をしていた。

 

 それから、娘の頭を軽く撫でる。

 

「まあ、人にはいろいろあるからねぇ」

 

「……うん」

 

「気になることがあっても、無理に聞かなくていいんじゃないかな」

 

 六花は顔を上げた。

 

「どうして?」

 

「だって、友達なんでしょ?」

 

「……うん」

 

「なら、話したくなったら話してくれるかもしれないし。話さないなら、それはそれでいいじゃん」

 

 ホシノは、のんびりした声で続けた。

 

「おじさんは、そう思うけどねぇ」

 

 六花は、しばらく黙っていた。

 

 それから、小さく頷いた。

 

「……そっか」

 

「うん」

 

 悟も笑った。

 

「まあ、僕もそう思うよ。気になることがあったら、まずは普通に仲良くなればいいんじゃない?」

 

「……普通に?」

 

「そう。普通に」

 

 六花は少し考えた。

 

 佐藤君は、変わった男の子だ。

 

 今日、自分の両親を見て、とんでもなく驚いていた。

 

 しかも、帰り際には、家族写真を見て「本物」と呟いていた。

 

 その言葉が、どうにも気になる。

 

 けれど。

 

 今すぐ答えを出す必要はないのかもしれない。

 

 同じ学校に通っている。

 

 同じクラスにいる。

 

 話す機会は、いくらでもある。

 

 なら、これから少しずつ知っていけばいい。

 

「……うん」

 

 六花は笑った。

 

「そうする」

 

「よし!」

 

 悟は満足そうに頷いた。

 

 それから、突然立ち上がる。

 

「じゃあ、今日はもう一個ケーキ食べようか!」

 

「えっ」

 

 ホシノが顔を上げた。

 

「パパ、さっき食べたじゃん」

 

「まだ残ってるし」

 

「うへぇ。また太るよぉ」

 

「大丈夫大丈夫!」

 

「何が大丈夫なのさ」

 

 六花は呆れた。

 

 けれど、その顔には笑みが浮かんでいた。

 

 今日も、いつもどおりの家族の夜だった。

 

 父親は少し騒がしく、母親はいつも眠そうで、娘は二人に振り回されている。

 

 それでも、三人は仲がよかった。

 

 外の世界がどれほど複雑でも、この家の中では、ごく普通の家族でいられる。

 

 六花は、そんな自分の家が好きだった。

 

 ◇

 

 同じ夜。

 

 佐藤蓮は、自分の部屋で机に向かっていた。

 

 宿題は終わっている。

 

 明日の準備も済ませた。

 

 あとは寝るだけだった。

 

 しかし。

 

 どうにも、今日の出来事が頭から離れない。

 

 五条悟。

 

 小鳥遊ホシノ。

 

 その娘、小鳥遊六花。

 

 何度考えても、意味が分からない。

 

 いや、意味が分からないというより、前世の知識が邪魔をしているのかもしれない。

 

 この世界では、彼らは最初から一つの家族として存在している。

 

 それが事実なのだ。

 

 ならば、僕の知っていた物語と違っていても、何もおかしくない。

 

 そう考えれば、少しは落ち着く。

 

 ……落ち着くのだが。

 

「……いや、やっぱ無理だろ」

 

 僕は机に突っ伏した。

 

 五条悟と小鳥遊ホシノが夫婦。

 

 しかも、二人とも普通に娘を可愛がっている。

 

 その娘が、僕のクラスメイト。

 

 そして、あの子は先日、海の上の怪異から僕を助けてくれた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 何だか、非常に嫌な予感がする。

 

 この世界は。

 

 僕が思っていたよりも、ずっと。

 

 ずっと、いろいろなものが混ざり合っているのではないだろうか。

 

 もしそうだとしたら。

 

 他にも、前世で知っていた人物がいるのかもしれない。

 

 漫画の登場人物。

 

 ゲームのキャラクター。

 

 小説の主人公。

 

 アニメの登場人物。

 

 ……。

 

 …………。

 

 考えるのをやめよう。

 

 今、そんなことを考えても仕方がない。

 

 僕はまだ小学四年生だ。

 

 明日も学校がある。

 

 宿題もある。

 

 友達もいる。

 

 両親も、元気に店を営んでいる。

 

 それで十分だ。

 

 そう。

 

 十分なのだ。

 

「……寝よう」

 

 僕は電気を消し、布団へ入った。

 

 目を閉じる。

 

 しかし、脳裏には、どうしても今日の光景が浮かんでくる。

 

 五条悟がケーキを持って笑っている。

 

 小鳥遊ホシノが眠たげにお茶を飲んでいる。

 

 そして、その間で小鳥遊六花が、二人に突っ込みを入れている。

 

 ……。

 

 …………。

 

「……何なんだよ、あの家族」

 

 僕は、布団の中で小さく呟いた。

 

 返事をする者はいない。

 

 窓の外では、境港の夜風が静かに吹いていた。

 

 今日も、何でもない一日が終わる。

 

 ただし。

 

 僕の中の「何でもない」という言葉の意味は、今日一日で、かなり大きく変わってしまった気がした。

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