仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー リメイク版   作:水野芽生

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その6:未来は、複数形

 

 ──2013年5月/鳥取県境港市

 

 1.元社会人、放課後に集まる

 

 人生を二回経験した人間は、普通の人間よりも賢くなるのだろうか。

 

 少なくとも、僕の場合はそうでもなかった。

 

 小学四年生の算数なら困らないし、社会科の教科書に書かれている内容も、大抵は知っている。けれど、だからといって世の中のすべてを理解しているわけではない。

 

 前世で知らなかったことは、今世でも知らない。

 

 しかも、前世で知っていたはずのことが、今の世界では役に立たない場合もある。

 

 例えば、五条悟が小鳥遊ホシノと結婚している理由は、いくら考えても分からない。

 

 その娘である小鳥遊六花が、僕と同じ転生者だった理由についても、さっぱり分からなかった。

 

「……というわけで、資料を用意しました」

 

「おおー」

 

 翌日の放課後。

 

 境港第二小学校の図書室で、僕は一冊のノートを開いた。

 

 向かい側に座っているのは、六花である。

 

 昨日、お互いに前世の記憶を持っていると分かってから、僕たちは名前で呼び合うようになった。

 

 だからといって、何か劇的に変わったわけではない。

 

 今日も一緒に給食を食べたし、休み時間には中島たちと遊んだ。六花は高橋さんや森川さんとも普通に話していたし、僕も田村と理科の話をした。

 

 ただ、放課後に二人で話したいことができた。

 

 しかも、なかなか他人には聞かせられない話である。

 

「何それ。会議?」

 

 六花が笑った。

 

「まあ、元会社員同士だし」

 

「やめてよ。私、もう仕事の会議とかしたくないんだけど」

 

「僕も」

 

 二人で笑う。

 

 前世で社会人だった人間が転生すると、小学校の授業が楽になる代わりに、昔の仕事を思い出して妙な気分になることがある。

 

 少なくとも、僕たちはそうだった。

 

「じゃあ、今日の議題は?」

 

 六花が、わざと改まった口調で尋ねた。

 

「僕たちの前世が、本当に同じ世界だったのかどうか」

 

「……なるほど」

 

 昨日の会話で、僕たちはお互いの前世をある程度確かめ合った。どちらも日本で働いていて、漫画やゲームについても共通の知識があった。

 

 だから、最初は同じ世界の出身だと思ったのである。

 

 けれど、よく考えてみれば、それはまだ証明されていない。

 

「ほら、今の世界にも日本はあるし、境港もあるでしょ」

 

「うん」

 

「でも、前世で知ってた境港とは違うところがある。黒山なんて、僕の記憶にはなかったし」

 

「私も。あんな山、前世の境港にはなかったよ」

 

「なら、ほかの歴史も違うかもしれない」

 

 六花はノートを覗き込んだ。

 

「それで、調べようって?」

 

「そういうこと」

 

「……いいね。ちょっと面白そう」

 

 僕は鉛筆を持った。

 

 ノートの一番上には、こう書いてある。

 

 ──前世の記憶についての確認事項。

 

 我ながら、ずいぶん事務的な題名だった。

 

「もっと面白い名前にしない?」

 

 六花が言った。

 

「例えば?」

 

「異世界転生者研究会、とか」

 

「嫌だよ。そんなの見つかったら大変じゃん」

 

「あはは、確かに!」

 

 僕はノートを一枚めくった。

 

 まずは、簡単なところから確認しよう。

 

 そう思っていた。

 

 この時点では、予想もしていなかった事実にぶつかることになるとは、考えてもいなかった。

 

 2.同じ漫画、違う世界

 

「じゃあ、まずは漫画とかゲームから」

 

 僕が言うと、六花は頷いた。

 

「『呪術廻戦』は両方知ってるよね」

 

「うん」

 

「『ブルーアーカイブ』も」

 

「知ってる」

 

「じゃあ、あとは……」

 

 僕たちは、覚えている漫画、アニメ、ゲーム、小説の名前をいくつか挙げていった。

 

 六花は前世でもゲームが好きだったらしく、僕より詳しいジャンルもあった。一方で、僕の方が詳しい作品もある。

 

 共通して知っている作品もあれば、片方だけが知っている作品もある。

 

 もっとも、そこまでは何も不思議ではなかった。同じ日本に住んでいた人間でも、趣味が違えば知らない作品はいくらでもある。

 

「……じゃあ、私の世界にも『呪術廻戦』はあったし、蓮君の世界にもあったんだね」

 

「そうなるね」

 

「でも今の世界には、本物のお父さんがいる」

 

「……その話は、まだ心臓に悪い」

 

 僕が正直に言うと、六花は吹き出した。

 

「まだ慣れない?」

 

「昨日よりはマシになったけどね」

 

「お父さん、普通にいい人だよ?」

 

「知ってる。ケーキご馳走になったし」

 

「でしょ?」

 

 六花は嬉しそうに笑った。

 

 今の世界の五条悟は、前世で知っていた漫画の登場人物と、名前も容姿も能力もよく似ている。

 

 けれど、今の世界には今の世界の歴史がある。

 

 五条さんは、この世界で生まれて育ち、勉強して、ホシノさんと出会って結婚した。漫画の中から現れたわけではない。

 

 少なくとも、そう考えるのが自然だ。

 

「……でも、こういう話ってさ」

 

 六花が言った。

 

「ちょっと危ないよね。前世で知ってた作品の設定を、そのまま今の人に当てはめちゃうと」

 

「……それはあるね」

 

「お父さんのこともそうだけど、今の世界では違う人生を歩んでるかもしれないし」

 

「うん」

 

 あの二人が一緒に暮らしている姿は、前世の僕には想像できなかった。

 

 しかし、それが今の世界の現実である。漫画の知識だけで彼らの人生を判断するのは間違いだろう。

 

「……つまり、攻略本にならないってことか」

 

 僕が言うと、六花が笑った。

 

「そうそう。しかも攻略対象の人生が、そもそも違うかもしれない」

 

「それは困るなあ」

 

「困るでしょ」

 

 二人で笑った。

 

 けれど、これは冗談で済ませていい話でもなかった。

 

 今の世界には、超常的な力が実在している。呪術も、神秘も、妖怪もいる。そして、それらが関わる社会も成立している。

 

 前世の物語の知識は、何かの役に立つかもしれない。

 

 だが、それだけを頼りに行動すれば、思わぬ間違いを犯すこともあるだろう。

 

「じゃあ、次。歴史の話をしよう」

 

「お、来ましたねぇ」

 

 六花が、少しふざけた声で答えた。

 

「元銀行員の知識が試されるやつだ」

 

「……銀行員だって、歴史の専門家じゃないからね?」

 

「知ってるよ」

 

 僕たちは笑いながら、次の項目へ進んだ。

 

 3.二つの二月二十四日

 

 最初は、ごく普通の話だった。

 

 日本の歴代首相。世界的な経済危機。東日本大震災。それから、国際情勢。

 

 僕たちの記憶は、大筋では一致していた。

 

 細かい数字や人名については曖昧な部分もある。前世で社会人だったからといって、新聞記事を一字一句覚えているわけではない。

 

「……じゃあ、比較的新しい話にしようか」

 

「いいよ」

 

「ロシアのウクライナ侵攻」

 

 その言葉を出した瞬間、六花の表情が少し真面目になった。

 

「……うん」

 

 遠い国で起きた戦争。

 

 前世では、毎日のようにニュースで取り上げられていた。多くの人が命を落とし、住む場所を追われ、世界中の政治や経済にも大きな影響を与えた出来事だった。

 

 銀行で働いていた六花にとっても、無関係ではなかっただろう。

 

「始まった日、覚えてる?」

 

「もちろん。二月二十四日」

 

「うん」

 

 僕も頷いた。

 

「年は?」

 

 六花は、少し不思議そうな顔をした。

 

「二〇二二年でしょ?」

 

 ……。

 

 僕は、鉛筆を止めた。

 

「……え?」

 

「え?」

 

 六花が首を傾げる。

 

「どうしたの?」

 

「……二〇二二年?」

 

「うん。二〇二二年二月二十四日」

 

 僕は、しばらく彼女を見つめた。

 

 聞き間違いではない。はっきり聞こえた。

 

「……六花」

 

「何?」

 

「僕の記憶だと、二〇二三年なんだけど」

 

 ……。

 

 …………。

 

 六花は、ぴたりと動きを止めた。

 

「……はい?」

 

「二〇二三年二月二十四日。ロシアがウクライナへの大規模な侵攻を始めた日」

 

 六花は口を少し開いたまま固まり、それから、ゆっくりと首を振った。

 

「……いや、待って。二〇二二年だよ?」

 

「僕の記憶だと、二〇二三年」

 

「……一年違うじゃん」

 

「そうなんだよね」

 

 僕たちは顔を見合わせた。

 

 細かい記憶違いなら、あり得ると思っていた。日付を一日間違える。発表された年を取り違える。そういうことなら、別に珍しくない。

 

 しかし、これは少々大きすぎる。

 

「……蓮君、本当に二〇二三年?」

 

「うん」

 

「何か別の出来事と間違えてない?」

 

 僕は少し考えた。

 

 前世で覚えていたニュースの年を、一年ずらして記憶している可能性はある。

 

 しかし。

 

「……いや、間違いないと思う。二〇二三年の二月二十四日。朝からニュースが大騒ぎになってたし、会社でも話題になった。その後もずっと報道が続いてた」

 

「……」

 

「もちろん、記憶が絶対に正しいとは言い切れないけど。少なくとも、僕は二〇二三年だって覚えてる」

 

 六花は、しばらく考えていた。

 

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……私の世界では、二〇二三年の二月二十四日は」

 

「うん」

 

「侵攻が始まってから、ちょうど一年の日だったよ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 背筋に、冷たいものが走った。

 

 六花の記憶では、二〇二二年に侵攻が始まり、翌二〇二三年には開始から一年が経過していた。

 

 僕の記憶では、二〇二三年二月二十四日が侵攻開始の日だった。

 

 どちらも、はっきりと覚えている。単なる数字ではない。その日のニュースや、周囲の人々の反応まで覚えている。

 

「……これって」

 

 六花が呟いた。

 

「……うん」

 

 僕たちは、同じ世界の記憶を持っているわけではないのかもしれない。

 

 その可能性が、初めて現実味を帯びてきた。

 

 4.記憶違いでは済まない話

 

「……ちょっと待って。整理しよう」

 

 六花が言った。

 

「私の前世では二〇二二年二月二十四日にロシアの全面侵攻が始まった。蓮君の前世では、二〇二三年二月二十四日。でも、どっちも『呪術廻戦』や『ブルーアーカイブ』が存在する日本だった」

 

「そう」

 

 六花は腕を組んだ。

 

 小学四年生の女の子が、放課後の図書室で国際情勢について考え込んでいる。客観的に見ると、なかなか妙な光景だった。

 

 もっとも、僕も同じような顔をしているだろう。

 

「……記憶違いの可能性は?」

 

「ゼロじゃないと思う。でも、私はかなりはっきり覚えてる」

 

「僕も」

 

「じゃあ、同じ世界の出身じゃない?」

 

「……そう考える方が自然かもしれないね」

 

 僕はノートに二つの年を書いた。

 

 蓮の前世──2023年。

 

 六花の前世──2022年。

 

 たった一年。

 

 けれど、その一年は、あまりにも大きな違いだった。

 

「……並行世界ってこと?」

 

「可能性はある。でも、僕たちの記憶の方に何か事情があるのかもしれないし」

 

 僕は鉛筆を置いた。

 

 世界が複数あるのか。時間の流れが違うのか。それとも、記憶そのものに何か異常があるのか。

 

 考え始めると際限がないし、今の僕たちには確かめる方法がない。

 

「……でも、変な感じ」

 

 六花が言った。

 

「同じ日本で働いてて、同じ漫画やゲームを知ってるのに、歴史が違うなんて」

 

「……そうだね」

 

 前世の僕たちは、互いを知らなかった。同じ世界に住んでいたのかどうかさえ分からない。

 

 それなのに、今は同じ境港市に生まれ、同じ学校へ通い、同じクラスで机を並べている。しかも、前世と今で、性別まで逆になっている。

 

 ……偶然にしては、ずいぶんできすぎている気もする。

 

 けれど、だからといって、何か大きな運命があると決めつけるのも早い。

 

「……まあ、今すぐ結論出す必要はないよね。分かってることだけ、書いておこう」

 

「了解」

 

 六花は僕のノートを覗き込み、少し笑った。

 

「……何か、本当に仕事の会議みたい」

 

「やめてよ。僕もそう思ってた」

 

 二人で小さく笑う。

 

 ただ、その笑いには、先ほどまでとは少し違うものが混じっていた。

 

 前世のことを共有できる友達を見つけた。

 

 けれど、その前世さえ、同じものではなかったらしい。

 

 ……何とも、奇妙な話である。

 

 5.図書室にいる、もう一人の世界

 

「……あのさ」

 

 しばらくして、六花が言った。

 

「せっかくだし、今の世界の歴史も確認しようよ。前世とどれくらい違うのか」

 

 確かに、それは重要だった。

 

 前世の記憶だけを比べていても、今の世界については分からない。僕たちが暮らしているのは二〇一三年の日本だが、前世で知っていた二〇一三年と同じとは限らない。

 

「……じゃあ、国際情勢から見てみようか」

 

「いいね」

 

 境港第二小学校の図書室には、子供向けの百科事典や地図帳、年鑑などが置かれている。最新のものばかりではないけれど、世界の国々について調べるには十分だった。

 

 僕は国際関係の本を一冊取り出し、六花は別の棚から地図帳を持ってきた。

 

 机へ戻り、本を開く。

 

 最初に調べたのは、ロシアだった。

 

 さっきまでその話をしていたから、というだけで、特に深い理由はない。

 

 ……ないはずだった。

 

「……あれ?」

 

 ページを開いた六花が、小さな声を上げた。

 

「どうしたの?」

 

「……蓮君、これ見て」

 

 彼女が指さしたのは、ロシア連邦の概要を紹介する欄だった。

 

 国土面積。人口。首都。主要産業。

 

 そして、国家元首。

 

 ──ロシア連邦大統領 アレクサンドル・プルチノフ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、思わず首を傾げた。

 

「……誰?」

 

 六花が、こちらを見た。

 

「……え?」

 

「いや、誰、この人」

 

 写真には、がっしりした体格の男性が写っている。

 

 短く刈り込んだ髪に、鋭い目つき。いかにも体力がありそうな、強面の中年男性だった。

 

 正直、政治家というより、格闘技の選手か軍人のように見える。

 

「……ロシアの大統領って、プーチンじゃなかったっけ」

 

 僕が言うと、六花はなぜか妙な顔をした。笑いを堪えているようにも見える。

 

「……蓮君。プルチノフって、知らない?」

 

「知らない」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 六花は、しばらく僕を見つめた。

 

「……『ライドンキング』って漫画、知らない?」

 

「……何それ」

 

「えっ」

 

「漫画? 知らないなあ」

 

 六花は、今度こそ完全に固まった。

 

 それから。

 

「……あはははは!」

 

 突然、笑い始めた。

 

「えっ、何?」

 

「いや、ちょっと待って!」

 

 六花は口元を押さえながら、肩を震わせている。

 

「何がそんなに面白いの?」

 

「だって……あはは、プルチノフ……!」

 

 どうやら、何か非常に面白いことが起きているらしい。

 

 しかし、僕にはさっぱり分からない。

 

「……説明してくれない?」

 

「ごめん、ごめん!」

 

 六花は何とか笑いを収め、声を落として説明し始めた。

 

「私の前世にね、『ライドンキング』っていう漫画があったの。そこに、アレクサンドル・プルチノフっていう大統領が出てくるんだよ」

 

「……大統領?」

 

「そう。プルジア共和国っていう架空の国の大統領」

 

 僕は本を見た。そこには、ロシア連邦大統領と書かれている。

 

「……ロシアじゃないの?」

 

「前世の漫画ではね」

 

 六花は頷いた。

 

「ものすごく強い、武術の達人みたいな大統領で、いろんなものに乗りたがる人なんだけど……」

 

「……待って。何に乗るって?」

 

「いろいろ」

 

「いろいろ?」

 

「うん。馬とか、動物とか、まあ、いろいろ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、もう一度写真を見た。

 

 がっしりした体格。鋭い目つき。確かに、普通の政治家とは少し違う雰囲気がある。

 

 しかし。

 

「……そんな漫画のキャラクターが、今のロシア大統領なの?」

 

「そうなんだよねぇ」

 

 六花は、何とも言えない顔で頷いた。

 

 僕は、しばらく黙っていた。

 

 ……なるほど。

 

 五条悟と小鳥遊ホシノが夫婦になっている世界だ。今さら、漫画の大統領がロシアを統治していても、驚くべきではないのかもしれない。

 

 ……いや。

 

 驚くわ。

 

 普通に驚くわ。

 

「……何なんだよ、この世界」

 

 思わず呟くと、六花はまた笑い始めた。

 

「蓮君、それ昨日も言ってなかった?」

 

「言った」

 

「今日も言うんだ」

 

「たぶん、これからも何回か言うと思う」

 

「あはは!」

 

 図書室なので、大声で笑うわけにはいかない。六花は必死に声を抑えていた。

 

 僕も、つられて笑ってしまった。

 

 ……まったく。

 

 この世界、どこまで混ざっているんだろう。

 

 6.僅差の大統領選挙

 

「……でも、ちょっと待って。この人、いつから大統領なの?」

 

「えっと……」

 

 六花がページをめくると、二〇一二年のロシア大統領選挙についての短い説明があった。

 

 有力候補の一人は、ウラジーミル・プーチン。僕たちが前世で知っていた、あの政治家である。

 

 しかし、この世界では選挙結果が違っていた。

 

 僅差で勝利したのは、アレクサンドル・プルチノフ。

 

 二〇一三年現在、ロシア連邦大統領の職にあるのは彼だった。

 

「……へえ。プーチンさん、負けたんだ」

 

「そうみたいだね」

 

 前世で知っていた歴史では、ウラジーミル・プーチンはロシアの政治に非常に大きな影響力を持っていた。

 

 しかし、今の世界では、現在の大統領は別の人物である。

 

「……これって、かなり大きな違いだよね」

 

 僕が言うと、六花は真面目な顔になった。

 

「うん。相当大きいと思う」

 

「二〇一二年の選挙結果が違うなら、その後の国際情勢も変わるかもしれない」

 

「そうだね。でも、どう変わるかは分からないよ」

 

「……確かに」

 

 僕たちは、しばらく本を見つめていた。

 

 二人とも、前世でロシアによるウクライナ侵攻を経験している。ただし、その開始年さえ一致しない。そして今の世界では、ロシアの大統領がプルチノフである。

 

 三つの世界が、それぞれどんな歴史をたどるのか。僕たちには予測できない。

 

「……ねえ、蓮君」

 

 六花が言った。

 

「もしかして、今の世界では、あの戦争が起きない可能性もあるのかな」

 

 僕は、すぐには答えられなかった。

 

 その可能性はある。政治家が違えば、政策も、国際関係も変わるかもしれない。

 

 しかし、一人の政治家が違うだけで、すべての問題が解決するとも限らない。国家間の対立には、長い歴史や複雑な事情がある。それを一人の人物の存在だけで説明することはできないだろう。

 

「……分からない。でも、起きると決まってるわけでもないと思う」

 

 六花は、少しだけ表情を緩めた。

 

「……そっか。そうだよね」

 

 僕は、前世のニュースを思い出していた。

 

 戦争。避難する人々。破壊された街。失われた命。

 

 前世では、画面越しにしか知ることのできなかった出来事だった。けれど、画面の向こうにも、実際に生活している人間がいた。

 

 今の世界でも、同じだ。

 

 未来に何が起きるか分からないからといって、軽々しく考えてよい話ではない。

 

「……とりあえず、この世界のロシアについては、今の情報をちゃんと見て判断した方がいいね。前世で知ってた人と同じ名前でも、同じことをするとは限らないし」

 

「……そうだね」

 

 六花は頷き、それから少しだけ考えるような顔をした。

 

「……でもさ。プルチノフ大統領が本当に漫画の人みたいだったら、ちょっと面白いよね」

 

 ……。

 

 …………。

 

 僕は、本の写真を見た。

 

 強面の大統領。がっしりした身体。いかにも格闘技に強そうな雰囲気。

 

「……少なくとも、腕相撲は強そうだね」

 

「そこ!?」

 

「いや、だって」

 

「あははは!」

 

 しばらく二人で笑った。

 

 もちろん、この世界のプルチノフ大統領が、漫画の登場人物と同じ性格をしているとは限らない。

 

 前世では架空の共和国の大統領だった人物が、今の世界では選挙に勝ってロシアの大統領になっている。それだけでも、すでに相当な違いである。

 

 けれど、そんな人物が実際に存在するという事実は、どうしても面白かった。

 

 ……面白いと言っていいのかは、分からないけれど。

 

 少なくとも、僕の前世の常識は、今日もまた一つ通用しなくなった。

 

 7.同じ現在、違う未来

 

 図書室の時計が、午後四時を指していた。

 

 そろそろ帰らなければならない。僕たちは本を棚へ戻し、ノートを閉じた。

 

「……結構、いろいろ分かったね」

 

 六花が言った。

 

「うん。でも、分からないことも増えた」

 

「……それはそうだね」

 

 僕は少し考えた。

 

「じゃあ、僕たちって、別々の世界から来たのかもしれないんだね」

 

「……そうだね」

 

 六花は頷いた。

 

「でも、今は同じ世界にいる」

 

 僕は顔を上げた。

 

 彼女は、いつもの明るい笑顔を浮かべていた。

 

「同じ境港市に住んで、同じ学校に通って、同じクラスにいる。だったら、前世が違ってても、別にいいんじゃない?」

 

 少しだけ、驚いた。

 

 確かに、そう考えることもできる。

 

 前世が同じ世界だったかどうかは、今のところ分からない。けれど、僕たちは今、同じ場所にいる。それは確かな事実だった。

 

「……そうだね。今の世界では、同じクラスの友達だし」

 

「そうそう。しかも、元社会人同士!」

 

「……それは、あまり自慢にならない気がする」

 

「えー、何で?」

 

「だって、普通の小学四年生は、社会人経験なんて必要ないでしょ」

 

「……あはは、確かに!」

 

 二人で笑いながら、図書室を出た。

 

 廊下には、まだ何人かの児童が残っている。体育館の方からは、クラブ活動の準備をする上級生たちの声が聞こえてきた。

 

 何でもない、小学校の放課後だった。

 

 8.前世の知識と、今の宿題

 

「……そういえば、蓮君。今日の算数の宿題、もうやった?」

 

 校門へ向かう途中、六花が言った。

 

「まだ」

 

「私も。帰ったらやらなきゃね」

 

「……うん」

 

 さっきまで、僕たちは世界の歴史について話していた。

 

 ロシアの大統領。ウクライナ侵攻。前世の違い。並行世界の可能性。それから、漫画の登場人物が実際に政治家をやっているという、非常に奇妙な事実。

 

 それなのに、今の僕たちには算数の宿題がある。

 

 何とも現実的な話だ。

 

「……世界がいくつあっても、宿題はなくならないんだね」

 

 僕が言うと、六花は大笑いした。

 

「あははは! それ、名言かも!」

 

「そうかな」

 

「うん。異世界転生者の名言!」

 

「……そんな名言、嫌だなあ」

 

 笑いながら歩いていくと、校門の近くで中島が松本と何か話していた。高橋さんと森川さんも、少し離れたところにいる。

 

「あ、六花!」

 

 高橋さんが手を振った。

 

「何してたの?」

 

「ちょっと調べもの!」

 

「何の?」

 

 六花は少し考えてから、にこっと笑った。

 

「世界の歴史!」

 

「……えっ。六花って、社会科好きだったっけ?」

 

「うん。結構好きだよ」

 

「へえー」

 

 高橋さんは感心したようだった。

 

 嘘は言っていない。確かに、僕たちは世界の歴史について調べていた。その理由が少々普通ではないだけだ。

 

「佐藤!」

 

 今度は中島が声をかけてきた。

 

「お前、今日も図書室いたのか? 何してたんだよ」

 

「ちょっと調べもの」

 

「また勉強かよ! お前ら、ほんと勉強好きだな」

 

「そんなことないよ」

 

 僕が答えると、六花が横から言った。

 

「そうそう。宿題は普通に嫌いだし」

 

「そこは一緒なんだな!」

 

 中島が笑い、僕たちも笑った。

 

 何だか、少し安心した。

 

 この世界には、前世で知っていた漫画やゲームの登場人物が実際に暮らしている。歴史も、地理も、僕たちの記憶とは違っている。呪術や神秘が存在し、妖怪たちが普通の街の中で生活している。

 

 けれど。

 

 中島は、今日も野球が好きだ。

 

 高橋さんは、友達とのおしゃべりを楽しんでいる。

 

 森川さんは本を読んでいるし、田村は相変わらず理科の話が好きだ。

 

 そして、僕たちは小学四年生として、明日も学校へ来る。

 

 そういうことは、何も変わらない。

 

 ……いや。

 

 変わらないというより。

 

 今の僕たちにとって、それが現実なのだ。

 

 9.まだ書かれていない未来

 

 その夜。

 

 佐藤酒店の二階で、僕は机に向かい、今日のノートを開いていた。

 

 前世の共通点。前世の相違点。今の世界との違い。そして、今後の確認事項。

 

 我ながら、ずいぶん真面目な資料だった。

 

 ……まあ、こういうところは前世の職業病なのかもしれない。

 

 僕は、ノートの一番下に新しい項目を追加した。

 

 ──前世の知識を、今の世界の未来予測として扱わないこと。

 

 書いてから、少し考えた。

 

 前世の記憶は、役に立つ。

 

 今の世界に存在していない技術や文化について、何か知っている可能性もある。これから起きる出来事について、参考になる情報を持っているかもしれない。

 

 けれど、それをそのまま未来の出来事として信じることはできない。

 

 僕たちの前世でさえ、歴史が食い違っていた。そして、今の世界では、そもそもロシアの大統領が違う。

 

 未来がどうなるかなんて、分かるはずがない。

 

「……そっか」

 

 僕は、小さく呟いた。

 

 未来は、まだ決まっていない。少なくとも、僕たちの知っている形に決まっているわけではない。

 

 それは、少し怖いことでもある。前世の知識が通用しないなら、何が起きるか分からない。

 

 しかし同時に、少しだけ面白いことでもあった。

 

 前世の物語では、五条悟と小鳥遊ホシノが夫婦になることなどなかった。

 

 けれど、今の世界では二人は結婚し、娘を育てている。そして、その娘は僕の友達だ。

 

 それは、僕が前世で知っていた物語には存在しなかった未来である。

 

 ……いや、今の僕たちにとっては、すでに過去の出来事なのだけれど。

 

 考えていると、少し頭がこんがらがってきた。

 

 僕は苦笑し、ノートを閉じた。

 

 明日も学校がある。宿題は終わった。両親は元気で、店もいつもどおり営業している。そして、六花という友達がいる。

 

 今のところ、それで十分だった。

 

 僕は部屋の電気を消し、布団へ入った。

 

 前世で知っていた未来。

 

 六花が知っていた未来。

 

 そして、今の世界にこれから訪れる未来。

 

 その三つが同じものになる保証は、どこにもない。

 

 けれど。

 

 だからこそ。

 

 これから何が起きるのか、少しだけ楽しみだった。

 

 同じ頃。

 

 骨董店『界』の二階で、六花はベッドに寝転んで天井を見上げていた。

 

 蓮君の前世。自分の前世。そして、今の世界。

 

 同じ漫画やゲームを知っているのに、歴史が微妙に違っている。しかも、前世で漫画の登場人物だった大統領が、普通にロシアの国家元首になっている。

 

「……ふふっ」

 

 思い出すと、また少し笑ってしまった。

 

 蓮が『ライドンキング』を知らなかったのは、ちょっと意外だった。

 

 でも、漫画の趣味なんて人それぞれだ。知らない作品があっても、何もおかしくない。

 

 それよりも、今日、一つ嬉しかったことがある。

 

 前世が違う世界だったかもしれないと分かっても、蓮はあまり気にしていなかった。

 

 驚いてはいた。考え込んでもいた。

 

 けれど、最後には普通に笑っていた。

 

 それが、何だか嬉しかった。

 

「……蓮君、面白いなぁ」

 

 六花は、小さく呟いた。

 

 机の上には、社会科の教科書が置いてある。

 

 日本。ロシア。アメリカ。中国。それから、たくさんの国々。

 

 前世でも知っていた名前が並んでいる。けれど、その中身は、必ずしも同じではない。

 

「……まあ、いっか」

 

 分からないことは、これから少しずつ調べていけばいい。今すぐ全部を理解する必要はない。

 

 何しろ、今の自分には時間がある。

 

 それに、一緒に調べてくれる友達もいる。

 

 六花は部屋の電気を消し、布団に潜り込んだ。

 

 窓の外には、五月の夜空が広がっている。遠くでは、港の灯りが小さく輝いていた。

 

 この世界の未来は、まだ書かれていない。

 

 そして、その未来を生きていくのは、今の自分たちなのだから。

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