仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー リメイク版 作:水野芽生
──2013年5月/鳥取県境港市
1.休日の佐藤酒店
世界最強の呪術師は、休日に何をしているのだろうか。
前世で『呪術廻戦』を読んでいた頃、そんなことを考えた記憶はあまりない。
五条悟といえば、六眼と無下限呪術を持つ特級呪術師であり、作中でも屈指の実力者だった。いろいろと問題のある性格ではあったけれど、その能力だけは疑いようがない。
まあ、僕の知っている設定が、今の世界でもすべて同じとは限らないのだが。
そして、その五条悟は現在、鳥取県境港市で妻と娘の三人暮らしをしている。
妻は小鳥遊ホシノ。
娘は小鳥遊六花。
なお、娘は僕のクラスメイトであり、前世では山陰合同銀行に勤めていた男性の転生者である。
……こうして文章にしてみると、なかなか意味不明な家庭だと思う。
もっとも、それを言い始めたら、前世では女性会社員だったのに今は小学四年生男子をやっている僕だって、他人のことは言えない。
人生、何があるか分からないものである。
「蓮、そっちの箱、数合ってるか?」
「あ、うん。ちょっと待って」
五月の日曜日、午前十時過ぎ。
僕は佐藤酒店の店内で、飲料の在庫を確認していた。学校が休みなので、朝から店を手伝っている。
父さんは配達用の品物を整理し、母さんはレジの周りで伝票を確認していた。
日曜日の午前中は、平日とは少し客層が違う。まとめ買いに来る家族連れもいれば、町内の集まりに使う飲み物を注文する人もいる。観光客が道を尋ねに来ることもあって、小さな店ながらそれなりに忙しかった。
「よし、こっちは大丈夫。父さん、麦茶は全部あるよ」
「おう、ありがとう」
父さんは頷き、相変わらずビールケースを軽々と持ち上げた。
前世の僕は、どちらかというとデスクワークが中心だった。だから、身体を使う仕事を長年続けている人には、素直に感心してしまう。
「蓮、そこ終わったら休憩していいぞ」
「うん」
僕はメモを置き、冷蔵ケースから麦茶を一本取り出した。
今日は少し暑い。五月も後半になると、天気のよい日には初夏らしい陽気になる。
外では、観光客らしい人たちが水木しげるロードの方へ歩いていた。遠くから自転車のベルが聞こえる。
何とも平和な休日だった。
そう。
この時点では。
「こんにちはー!」
店の入口から、やたらと明るい声が聞こえた。
反射的に顔を上げる。
そして。
「……あ」
麦茶のペットボトルを握る手が止まった。
白い髪。
黒いサングラス。
長身。
そして、妙に楽しそうな笑顔。
「どうもどうもー! お邪魔しまーす!」
五条悟だった。
その隣には、小柄なピンク色の髪の女性。
「うへぇ、今日は暑いねぇ」
小鳥遊ホシノ。
さらに、その後ろから銀色の髪の少女が顔を覗かせた。
「あっ、蓮!」
小鳥遊六花。
……。
…………。
僕は、そっとペットボトルを棚へ戻した。
最強一家、来店。
平穏な日曜日が、急に別の意味を持ち始めた。
◇
2.背の高い、近所のお父さん
「あら、五条さん! いらっしゃい」
母さんが嬉しそうに声をかけた。
「今日はご家族で?」
「そうなんですよー。珍しく三人とも予定が合ったんで。せっかくだから、みんなで買い物に行こうかなって」
悟さんは笑いながら答えた。
「まあ、いいですねえ」
「うへへ。おじさんは家でのんびりでもよかったんだけどねぇ」
ホシノさんが眠たげな声で付け加える。
「ホシノ、それ朝も言ってたじゃん」
「だって休日だよぉ。休日っていうのは、お休みする日なんじゃないのかなぁ」
「だから今日は仕事してないでしょ?」
「お買い物も結構体力使うからねぇ」
「お母さん、まだ家からそんなに歩いてないじゃん」
六花が突っ込んだ。
悟さんは笑い、ホシノさんは大きな欠伸をする。母さんも楽しそうに笑った。
……ああ。
いつもの光景だ。
いや、僕にとってはまだ二度目なのだけれど、五条家ではこれが普通なのだろう。
「お、悟さん。いらっしゃい!」
奥から父さんが出てきた。
「どうも、佐藤さん!」
「今日は休みかい?」
「ええ。久しぶりにまとまった休みが取れまして」
「それはよかったなあ。いつも忙しそうだし」
「いやあ、本当に。家族サービスもしないとね」
ホシノさんがすかさず口を挟む。
「家族サービスって言うなら、まず休日に仕事の電話へ出るのを減らしてほしいんだけどねぇ」
「今日は出ないって!」
「本当かなぁ」
「本当本当!」
「パパ、先週もそう言ってたよ」
「六花まで!?」
父さんが大笑いした。
「ははは! どこの家も似たようなもんだな!」
「佐藤さんも、休みの日に配達してるじゃないですか」
「うちは自営業だからなあ。休みと仕事の境目が曖昧なんだよ」
「それ、分かります」
悟さんがしみじみと頷いた。
……。
…………。
五条悟が。
僕の父親と。
休日の仕事について愚痴を言い合っている。
しかも、内容が非常に現実的だ。
考えてみれば、彼も三十代半ばの社会人なのだから、そういう話をすることはあるだろう。
それでも、前世で知っていた人物が町の酒屋で普通に世間話をしている光景は、何度見ても不思議だった。
「蓮」
六花が近づいてきた。
「また変な顔してる」
「……そう?」
「うん。この前うちに来たときと同じ顔」
僕は慌てて表情を戻した。六花はくすくす笑っている。
「もう知ってるんだから、そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「いや、知ってるのと慣れるのは別だから」
「ふふっ、そっか」
……うん。
この子、完全に僕の反応を面白がっているな。
まあ、逆の立場だったら僕も笑ってしまうかもしれない。仕方がない。
◇
3.五条悟、酒店で悩む
「さて、何を買おうかな」
悟さんが店内を見回し、真っ先に向かったのは菓子の棚だった。
……だろうね。
何となく予想していた。
「あ、これ美味しそう。ホシノ、これどう?」
彼は、小さな箱に入った焼き菓子を手に取った。
「うへぇ、また甘いもの?」
「いいじゃん。今日は休みなんだし」
「昨日も食べてたでしょ」
「昨日の分はもう食べたから」
「……その理屈は、ちょっとおかしくないかなぁ」
六花が笑った。
「パパ、こっちのゼリーも美味しそうだよ」
「お、いいね!」
「……六花まで」
ホシノさんは、呆れたように二人を見ている。
……本当に、甘いものが好きなんだな。
前世で知っていた五条悟の特徴の一つだったけれど、今の世界でも変わらないらしい。
悟さんは焼き菓子とゼリーを一つずつ手に取り、さらに飲料の棚へ移動した。
「佐藤さん、これってまだあります?」
「ああ、そっちの炭酸飲料? 冷えてるのもあるよ」
「本当ですか!」
悟さんは嬉しそうに冷蔵ケースへ向かった。
……。
…………。
僕の前世の知識では、この人はとんでもなく強い呪術師だったはずなのだが。
今は、冷たい炭酸飲料を見つけて喜んでいる。
まあ、それはそれでいいのだけれど。
「おじさんは麦茶でいいよぉ。あと、炭酸水も何本か欲しいかな」
「はいはい。六花は?」
「私はりんごジュース!」
「了解!」
悟さんが、次々と商品を籠へ入れていく。
母さんが笑いながら言った。
「五条さん、本当に甘いものお好きなんですね」
「ええ、大好きです!」
「うちも少し置いてるけど、専門のお菓子屋さんほど種類がなくて」
「いやいや、こういうところで見つけるお菓子もいいんですよ」
悟さんは真面目な顔で答えた。
「思いがけず美味しいものに出会うと、得した気分になるじゃないですか」
「それは分かります」
僕も、少しだけ頷いた。
前世でも、コンビニやスーパーで偶然見つけたお菓子が思いのほか美味しいと、ちょっと嬉しかったものだ。
そう考えると、五条悟も別に特別なことをしているわけではない。休日に家族と買い物を楽しんでいるだけである。
……それなのに、何だろう。
この妙な緊張感は。
「そういえば、蓮君!」
突然、悟さんがこちらを向いた。
「は、はい!」
「この前のドッジボール、六花のボール取ったんだって?」
……。
…………。
あ。
そっちの話題が来るのか。
◇
4.あのドライブシュートの後日談
「いやあ、六花から聞いたよ!」
悟さんは、楽しそうに笑っていた。
「すごいじゃん! うちの娘、結構ボール投げるの上手いんだよね」
「……はい」
僕は曖昧に頷いた。
上手い。確かに、上手かった。
ただ、男子チームを次々と沈めていったあのドライブシュートを、上手いという言葉で済ませていいのかどうかは、少し疑問がある。
「でも、あれを取ったんでしょ?」
「……たまたまです」
「いやいや、たまたまでもすごいよ」
「本当に、偶然だったんです」
「そう?」
悟さんは少し考えた。
「でも、六花が言ってたよ。ちゃんと前へ出て、勢いを逃がしてたって」
……。
…………。
僕は六花を見た。
彼女は、何とも嬉しそうな顔をしている。
「だって、本当のことだもん。蓮、あのとき結構かっこよかったよ」
……。
…………。
少しだけ困った。
こういうのは、面と向かって褒められると反応に困る。前世でも、仕事以外で正面から褒められることには、あまり慣れていなかった。
「……ありがとう」
どうにか答えると、六花は満足そうに笑った。
その様子を見て、ホシノさんが口を開いた。
「うへへ。六花、ちゃんと相手が取れるように投げたんだよね?」
「投げたよ!」
「ほんと?」
「ほんとほんと! 呪……」
そこまで言いかけて、六花はぴたりと止まった。
……。
…………。
僕と六花は、同時に顔を見合わせた。
危ない。
非常に危ない。
今、何か言いかけたよね?
店には父さんも母さんもいる。二人は普通の人間で、超常社会の事情については、少なくとも僕が知る限り詳しくない。
ここで呪術だの神秘だのという話を始めたら、いろいろと面倒なことになる。
六花は、小さく咳払いした。
「……普通に投げたもん!」
ホシノさんは、そんな娘を見て目を細めた。
「はいはい。分かってるよぉ」
悟さんも笑っていた。
僕は、心の中で安堵の息を吐いた。
……いや、待て。
この二人、絶対分かってるよね。
分かってて、何も言わないんだよね。
……やっぱり、五条家は恐ろしい。
◇
5.着痩せする男
そのとき、店の裏口から父さんの声がした。
「蓮、ちょっと手伝ってくれるか?」
「はーい!」
今日は飲料の納品があり、父さんが商品を倉庫へ運んでいるところだった。台車には、ビールケースや清涼飲料の箱が載っている。
僕が運べるのは軽い箱くらいだが、商品の数を確認したり、置き場所を整理したりする仕事はある。
「こっちの箱、棚に入れればいい?」
「ああ、頼む」
父さんが大きなケースを持ち上げた、そのとき。
「お、荷物運びですか?」
背後から声がした。
振り向くと、悟さんが裏口から顔を覗かせていた。
「悟さん?」
父さんが言った。
「よかったら手伝いますよ」
「いやいや、お客さんにそんなことさせられないよ」
「大丈夫ですよ。こう見えて力仕事は得意なんで」
父さんは少し迷ったようだったが、結局、笑って頷いた。
「じゃあ、ちょっとだけお願いしようかな」
「任せてください!」
悟さんは上着を脱いで店の隅へ置いた。その下は、薄手の長袖シャツだった。
そして、袖を肘のあたりまでまくり上げる。
……。
…………。
僕は、目を瞬かせた。
あれ?
ちょっと待って。
悟さん、こんな身体だったっけ?
普段は、ゆったりした服を着ていることが多い。背が高く、すらりとした体格なので、僕は勝手に細身の男性だと思っていた。
前世の漫画で、かなり鍛えられている描写があったことは知っている。
しかし、実物を見ると印象が違った。
肩幅が広い。胸板にも厚みがある。袖をまくった腕には、はっきりと筋肉が浮かんでいた。
しかも、ただ大きいだけではない。無駄のない、しっかり鍛えられた身体だった。
いわゆる、着痩せするタイプである。
……。
…………。
普通にマッチョじゃん!
僕は、思わず心の中で叫んだ。
いや、普通というには、かなり鍛えられている気がする。日常生活でちょっと身体を動かす程度では、ああいう筋肉にはならないだろう。
「これ、どこへ運べばいいですか?」
「ああ、奥の棚の横へお願いします」
「了解です」
悟さんはケースを持ち上げた。
無理に力を込める様子もなく、腰を安定させて持ち上げ、そのまま倉庫の方へ運んでいく。
父さんが感心したように言った。
「いやあ、悟さん。結構鍛えてるんだな」
「まあ、仕事柄、身体は動かすんで」
「スポーツでもやってたのかい?」
「昔から、格闘技とかいろいろ」
……。
…………。
格闘技。
いろいろ。
うん。
間違ってはいない。
間違ってはいないのだが。
その『いろいろ』の中身が、普通じゃないんだよ!
僕は、心の中で頭を抱えた。
悟さんは次のケースを持ち上げ、父さんも一緒に荷物を運び始めた。
背の高い二人の男性が、倉庫と裏口を行き来する。
何とも平和な光景だった。
……いや、本当に平和なのだ。世界最強クラスの呪術師が、町の酒屋で飲料のケースを運んでいるだけなのだから。
別に何も起きていない。
何も。
……。
…………。
やっぱり、どう考えてもおかしい。
「蓮君?」
悟さんがこちらを向いた。
「どうしたの? さっきから僕のこと見てるけど」
……しまった。
また見すぎた。
「……あの。すごく鍛えてるんですね」
正直に言うと、悟さんは少しだけ驚いた顔をして、それから、にっと笑った。
「お、分かる?」
「……はい」
「いやあ、蓮君、見る目あるねえ!」
何だか、やたらと嬉しそうだった。
……この人、褒められるの好きだな。
少し呆れたけれど、実際にすごい身体なのだから仕方がない。
背後から、ホシノさんの声がした。
「うへぇ、悟くん。何か得意そうだねぇ」
振り向くと、ホシノさんと六花が裏口に立っていた。
「だってホシノ、蓮君が僕の筋肉を褒めてくれたんだよ」
「はいはい。よかったねぇ」
「何その反応!」
「だって、普段から鍛えてるの知ってるし。それより、荷物運びすぎて佐藤さんのお仕事取っちゃ駄目だよぉ」
「分かってるって!」
父さんが笑った。
「いやいや、助かるよ。悟さん、仕事早いなあ」
「ははは、こういうのは慣れてますから」
六花が、妙に楽しそうな顔で僕の隣に来た。
「……蓮。びっくりした?」
「……うん」
「ふふっ。パパ、着痩せするんだよね」
「……知ってたけど、想像以上だった」
「でしょ?」
彼女は少し自慢げだった。父親が鍛えられていることを自慢したくなる気持ちは分かる。実際、かなり立派な身体だったし。
五条悟が、術式だけでなく基礎的な身体能力も相当に高いことは、知識としては知っていた。
けれど、目の前で見て、ようやく実感した。
しかも本人は、それを特別なことだと思っていないらしい。
……恐ろしい。
何が恐ろしいって。
その人物が今、うちの父さんと仲良く飲料のケースを運んでいることである。
◇
6.小さなお母さん
「さて、おじさんも何か手伝おうかなぁ」
ホシノさんが言った。
父さんは慌てて首を振った。
「いやいや、ホシノさんまで手伝わなくていいですよ! 重いものばかりですから」
「うへへ。大丈夫ですよぉ」
ホシノさんは少しだけ首を傾げ、近くの清涼飲料の箱へ手を伸ばした。
「これ、どこに置けばいいですかねぇ」
「あ、それは……」
父さんが答えるより早く、彼女は箱を持ち上げた。
……。
…………。
僕は、目を瞬かせた。
ホシノさんの身長は、百四十五センチほどだろうか。僕より少し高いくらいで、成人女性としてはかなり小柄だ。見た目も、どちらかといえば華奢である。
しかし彼女は、十キロ以上はありそうな箱を、ごく自然に持っていた。全然苦しそうではない。
……ああ。
そうだった。
この人も、普通ではなかった。
前世の『ブルーアーカイブ』の記憶を考えれば、むしろ当然かもしれない。
ただ、実際に見ると、やっぱり衝撃がある。
「ホシノさん、大丈夫ですか?」
父さんが心配そうに尋ねた。
「大丈夫ですよぉ。これくらいなら」
「いやあ、意外と力持ちなんですね」
「うへへ。昔から、ちょっとだけ身体は丈夫なんです」
……。
…………。
ちょっとだけ。
また出た。
五条家の「ちょっとだけ」。
どうにも信用できない。
「ホシノ、それこっちに置いて」
「はいはい」
ホシノさんは箱を指定された場所へ運んだ。
力任せに持ち上げるのではなく、重心を安定させ、無駄のない動きで運んでいる。
……なるほど。
この夫婦、二人とも身体の使い方が上手い。それも、かなり。
「お母さん、私も手伝う!」
六花が言うと、ホシノさんはすぐに首を振った。
「六花は軽いものだけねぇ」
「えー」
「えー、じゃないよ。重いものは大人に任せなさい」
「はーい」
そのやり取りを聞いて、僕は少し安心した。
六花自身の身体能力を考えると、重い箱を運べないわけではないのだろう。けれど、今は普通の小学生として扱われていて、本人もそれを受け入れている。
それが、何だか少しよかった。
「蓮、そっちの軽い箱お願い」
「うん」
僕は、個包装の菓子が入った小さな箱を棚へ運んだ。
隣では、五条悟がケースを運び、小鳥遊ホシノが別の箱を整理している。そして、僕の父さんが全体の配置を確認していた。
不思議な光景だった。
けれど、悪くない。
むしろ、何となく楽しかった。
◇
7.普通の両親、普通ではない両親
荷物の整理が終わると、母さんがお茶を用意してくれた。
店の奥の小さな休憩スペースで、僕たちはしばらく休むことになった。
「いやあ、悟さん。助かったよ」
「いえいえ、こちらこそ。いい運動になりました」
「それにしても、若い人は体力があるなあ」
「佐藤さんだって、相当ありますよ」
「ははは、毎日荷物運んでるからな」
父さんも悟さんも笑った。
片方は、町の酒屋を営む普通の父親。
もう片方は、呪術界でも屈指の実力者で、西洋魔術まで学んでいるという人物。
けれど今の二人は、ただの近所の父親同士だった。仕事の話をして、家族の話をして、荷物運びについて笑っている。
それが、妙に印象的だった。
「蓮君は、よくお店を手伝うんですか?」
悟さんが尋ねた。
「はい。休みの日とか、時間があるときに」
「偉いねえ。うちの六花なんて、店番頼むとすぐお菓子食べ始めるから」
「パパ! ちゃんと手伝ってるでしょ!」
「手伝ってるね。でも、お菓子も食べてるじゃん」
「それは休憩!」
ホシノさんが笑った。
「うへへ。まあ、六花はちゃんと頑張ってくれてるよぉ」
「でしょ!」
なるほど。
この家の力関係が、何となく分かってきた気がする。
悟さんがふざける。六花が突っ込む。ホシノさんが、のんびりした顔で全体をまとめる。
実に安定した家庭である。
「そういえば、六花ちゃん。学校はどう?」
母さんが声をかけた。
「楽しいです!」
「それはよかった。蓮も最近、学校の話をよくするのよ」
「……母さん」
嫌な予感がした。
母さんは気にせず続ける。
「特に、六花ちゃんの話が増えたわね」
……。
…………。
ちょっと待って。
そういうことは、本人の前で言わなくていいから。
「へえ!」
悟さんが、嬉しそうに身を乗り出した。
「蓮君、うちの六花の話するんだ!」
「……まあ、同じクラスですし」
「そっかそっか!」
ものすごく楽しそうだった。
……しまった。
この人、絶対こういう話題が好きだ。
ホシノさんも、口元を緩めている。
「うへへ。六花も蓮君の話、よくするからねぇ」
「お母さん! それ言わなくていいって!」
「だって本当じゃん」
「もう!」
僕たちは、顔を見合わせた。
今、僕たち二人だけが妙に居心地の悪い思いをしていて、周囲の大人たちは全員楽しそうだ。
非常に不利な状況である。
「……蓮」
六花が、小さな声で言った。
「大人って、こういう話好きだよね」
「……うん」
前世では、僕たちも大人だった。親戚の集まりや職場の雑談で、子供や若い人の話題が妙に盛り上がることは知っている。
けれど、まさか自分たちがその対象になるとは。
「……因果応報ってやつかな」
僕が呟くと、六花が吹き出した。
「ふふっ、何それ」
「いや、何でもない」
僕たちは、こっそり笑った。
◇
8.大人の事情
休憩が一段落した頃、父さんは店へ戻り、母さんもレジを確認しに行った。
悟さんとホシノさんは、まだ少しお茶を飲んでいる。六花は、僕と一緒に菓子の棚を眺めていた。
「……ねえ、蓮。今日のパパとお母さん、どう?」
彼女が小さな声で言った。
「……どうって?」
「普通でしょ?」
僕は少し考えた。
身体能力は、確かに普通ではない。悟さんは着痩せするだけで、実際にはかなり鍛えられていたし、ホシノさんも小柄な外見からは想像しにくい力を持っている。
しかし、それ以外はごく普通の夫婦だった。
買い物へ来て、何を買うか相談して、夫が甘いものを欲しがり、妻が呆れ、娘が横から突っ込む。近所の店主と世間話をして、少し荷物運びを手伝う。
それだけだ。
「……うん。普通だね」
六花は、少し嬉しそうに笑った。
「でしょ? 私、こういう休日好きなんだよね。お父さん、普段は仕事で忙しいし。お母さんも店のこととか、いろいろあるから。でも、休みが合うと、こうやって一緒に出かけたりするんだ」
その横顔を見れば分かる。
六花は、二人のことが大好きなのだろう。
「……いい家族だね」
僕が言うと、六花は少しだけ驚いた顔をして、それから、にこっと笑った。
「うん!」
前世で、仕事に追われる大人の生活を経験した。だから、家族と過ごす休日がどれほど貴重なのかは、少し分かる。特に、仕事が忙しい人間にとっては。
今の僕は、まだ小学四年生だ。こういう日常を、あと何年続けられるのかは分からない。
だからこそ、今の時間を大切にしたいと思った。
「……そういえば」
ふと思い出した。
「六花のお父さんって、普段は具体的にどんな仕事してるの?」
「うーん。いろいろ」
「……またそれ?」
「だって、本当にいろいろなんだもん」
六花は笑った。
「呪術関係の仕事もあるし、教育の仕事もあるし、相談を受けることもあるし。結構忙しいよ。でも、家に帰ってくると、あんな感じ」
休憩スペースの方を見ると、悟さんがホシノさんと何か話していた。ホシノさんが少し呆れたような顔をして、悟さんが笑っている。
確かに、世界最強クラスの呪術師には見えない。ただの、少し騒がしい父親である。
「……でもさ。お父さん、仕事のときは結構真面目なんだよ。ちゃんとやるときは、ちゃんとやる」
前世で知っていた五条悟も、普段は軽い態度を取ることが多かったけれど、必要な場面では非常に真剣になる人物だった。
今の世界でも、その部分は変わっていないらしい。
「……そっか。いいお父さんだね」
「でしょ?」
六花は、嬉しそうに笑った。
◇
9.夫婦の距離感
買い物を終えた頃には、昼近くになっていた。
悟さんは菓子や飲料を入れた袋を持ち、ホシノさんは小さな紙袋を提げている。六花は、自分のりんごジュースを大切そうに持っていた。
「いやあ、佐藤さん。今日はありがとうございました!」
「こちらこそ。荷物運びまで手伝ってもらって悪かったね」
「いえいえ、楽しかったですよ」
「またいつでも来てください」
「もちろんです!」
僕は、店の入口まで三人を見送った。
外には明るい五月の日差し。観光客が何人か通りを歩き、遠くから車の音が聞こえる。
ごく普通の日曜日だった。
「じゃあ、次はどこ行こうか」
悟さんが言うと、ホシノさんは少し考えるような顔をした。
「うへぇ……そろそろお昼じゃない?」
「そうだね。何食べたい?」
「おじさんは、あんまり重くないものがいいかなぁ」
「じゃあ、あそこの店行く?」
「ああ、あそこならいいかもねぇ」
「私、うどん食べたい!」
六花が元気よく口を挟んだ。
「お、いいね! じゃあ、うどんにしようか!」
「やったー!」
休日に買い物へ出かけ、お昼に何を食べるか相談し、娘がうどんを食べたいと言えば、両親がそれに付き合う。
何とも平和な光景だった。
「蓮君!」
悟さんが、こちらへ声をかけた。
「また遊びにおいでよ! 六花も喜ぶし!」
「パパ! そういうこと言わなくていいから!」
「えー、何で?」
「何でも!」
悟さんは、また楽しそうに笑った。
ホシノさんが、呆れたように夫の腕を軽く叩く。
「悟くん、あんまりからかわないの」
「はーい」
僕は、思わず笑ってしまった。
何だか、分かってきた気がする。
この家では、五条悟が一番強いとは限らない。少なくとも、家庭内の力関係という意味では。
……いや。
その話は、深く考えない方がいいかもしれない。
「じゃあね、蓮! また明日!」
「うん。また明日」
手を振り合って、三人は並んで歩き始めた。
背の高い白髪の男性。小柄なピンク髪の女性。その間を歩く、銀色の髪の少女。
見た目だけなら、なかなか目立つ家族だった。
けれど、周囲の人々は特に気にした様子もない。
……不思議な世界だ。
でも、悪くない。
僕は、そう思った。
◇
10.最強とは、何か
その日の午後。
「いやあ、悟さん、いい身体してたなあ」
店番をしながら、父さんが言った。
「……うん」
「普段は細身に見えるけど、かなり鍛えてるんだな。格闘技やってたって言ってたけど、相当やり込んでるんじゃないか?」
……。
…………。
相当やり込んでいる。
確かに、間違っていない。
ただ、その「相当」の規模が、父さんの想像を大きく超えている気がする。
「……たぶんね」
「俺も、まだまだ鍛えないとなあ」
「父さんも十分すごいよ」
「そうか?」
「うん」
これは本心だった。
父さんは毎日店を営み、重い荷物を運び、家族を養っている。超常能力があるわけでも、特別な武術を使えるわけでもない。けれど、健康で、働き者で、頼りになる。
僕にとっては、十分に立派な父親だった。
「ははは、ありがとうな」
父さんは嬉しそうに笑い、僕の頭を撫でた。
……そうだ。
強さというものには、いろいろある。
五条悟は、呪術師として非常に強い。小鳥遊ホシノも、普通の人間では考えられない力を持っている。
けれど、僕の両親だって別の意味で強い。毎日働いて、家族を守り、店を続けている。それは決して簡単なことではない。
僕は、そんな両親のことが好きだった。
「蓮、ちょっとこっち手伝ってくれる?」
「はーい」
母さんに呼ばれて、僕は立ち上がった。
今日も、佐藤酒店はいつもどおり営業している。お客さんが来て、商品が売れて、配達があって、店じまいの時間になる。
そして、五条悟と小鳥遊ホシノも、同じように日常を送っている。
この世界には、呪術も、神秘も、妖怪もいる。前世で知っていた漫画やゲームの登場人物たちが、普通に生活している。
それでも、休日に家族と買い物へ行くという行為は、何も変わらないのだ。
◇
11.帰り道の最強夫婦
一方、その頃。
五条家の三人は、昼食を終えて帰路についていた。
六花は、買ってもらった小さな菓子の袋を大切そうに持っている。悟は買い物袋を二つ提げ、ホシノはその隣をゆっくり歩いていた。
「いやあ、今日は楽しかったね!」
「うん!」
六花が元気よく頷き、ホシノも笑った。
「うへへ。たまには、こういう休日もいいねぇ」
「たまにはって、僕だってできれば毎週こうしたいんだけど」
「なら、お仕事減らしたら?」
「……それは難しい相談だね」
「ほらぁ」
ホシノは呆れたように笑い、悟も苦笑した。
仕事が忙しいのは事実だった。
呪術師としての任務。教育関係の仕事。魔術や霊的事象に関する相談。そして、超常社会の中で生じるさまざまな問題。
彼の能力を必要とする場面は、少なくない。
何でも一人で引き受けるつもりはなかった。そんなことをすれば、身体がいくつあっても足りない。
それでも、時には予定外の仕事が入る。今日のように、何事もなく家族と過ごせる休日は、案外貴重だった。
「……まあ、でも。今日はよかったよ」
悟は、少しだけ声を落とした。
「六花も楽しそうだったし」
少し前を歩く娘は、道端の店先に飾られた小さな置物を眺めていた。銀色の髪が、五月の陽光を受けて柔らかく輝いている。
「最近、学校の話が増えたよね」
「そうだねぇ。新しいクラス、楽しいみたいだし」
「いい友達もできたみたいだね」
悟は笑った。
「蓮君?」
「うへへ。そうだねぇ」
二人は、少しだけ顔を見合わせた。
「……悟くん。今日、佐藤さんのお店で楽しそうだったね」
「そりゃあ、楽しかったよ」
「荷物運びまでして」
「いい運動になったし」
「うへへ。褒められて嬉しかったんでしょ」
悟は一瞬だけ黙り、それから笑った。
「……まあ、ちょっとね。だって、蓮君がすごく素直に褒めてくれたんだもん。最近、ああいう反応ってあんまりないからさ」
ホシノは、少しだけ目を細めた。
五条悟という人物は、超常社会では非常に有名だった。能力も、実績も、立場も知られている。だからこそ、彼に向けられる反応は極端になりやすい。
尊敬。警戒。期待。時には、恐怖。
しかし、佐藤酒店では違った。
店主は彼を近所の知り合いとして扱い、普通に荷物運びを頼んだ。その息子は、単純に鍛えられた身体を見て感心していた。
それだけだった。
悟は、そういう時間が嫌いではなかった。
「……まあ、いいじゃん。今日は休みなんだし」
「うん」
ホシノは頷き、少しだけ歩みを緩めた。
「……ねえ、悟くん。今度のお休みも、できれば三人で過ごそうね」
悟は妻の顔を見て、にこっと笑った。
「もちろん」
「うへへ。約束だよぉ」
「はいはい」
そのとき。
「パパー! お母さーん! 早くー!」
少し先を歩いていた六花が振り返った。
「はいはーい!」
悟が手を振り、ホシノも、のんびりと歩き始めた。
背の高い父親。小柄な母親。元気な娘。
境港の住宅街を歩く、ごく普通の家族だった。
もちろん、その正体を詳しく知っている者から見れば、決して普通の家族ではない。
呪術師として非常に高い実力を持ち、西洋魔術にも通じた父親。
神秘と霊的能力に優れ、普段の眠たげな姿からは想像もつかない強さを持つ母親。
そして、両方の資質を受け継ぎ、まだ成長の途中にある娘。
しかし、彼らにとって大切なのは、それだけではなかった。
家族として暮らすこと。休日に一緒に食事をすること。娘の学校生活を聞き、友達ができたことを喜ぶこと。
そうした時間もまた、彼らの人生の一部だった。
少なくとも今日という日については、五条悟も、小鳥遊ホシノも、誰かと戦う必要はなかった。世界の危機を救う必要もなかった。
家族と一緒に買い物へ出かけ、近所の酒屋で少し荷物運びを手伝い、昼食にうどんを食べただけである。
それで十分だった。
◇
その日の夜。
僕は、自分の部屋で今日のことを思い返していた。
五条悟。小鳥遊ホシノ。そして六花。
……やっぱり、すごい家族だ。
特に、悟さんの身体は印象的だった。普段は細身に見えるけれど、肩や腕の筋肉を見れば、長年身体を使ってきたことが分かる。
ホシノさんも、小柄なのに妙に力持ちだった。
あの夫婦、二人とも普通じゃない。
ただし。
「……普通の家族、なんだよね」
小さく呟いた。
強いことと、普通に生活することは、別に矛盾しない。
呪術師であっても、休日には買い物へ行く。神秘を持っていても、家族と昼食を食べる。そして、その娘は学校でドッジボールをして、友達と笑っている。
前世で知っていた五条悟は、最強の呪術師だった。
けれど、今日見た五条悟は、単に強いだけの人物ではなかった。
妻を大切にし、娘を可愛がり、近所の人々と普通に付き合っている。酒屋の荷物運びを手伝って、筋肉を褒められると嬉しそうに笑う。
……最強って、案外こういうものなのかもしれない。
少なくとも、休日の五条悟は、僕が想像していたよりずっと普通の人だった。
……ただし。
あの筋肉だけは、どう考えても普通じゃなかったけれど。
布団に入りながら、僕は小さく笑った。
明日、六花はきっと、今日の僕の反応を思い出して笑うに違いない。
……まあ、いいか。
それも、悪くない。
僕は目を閉じた。
窓の外では、境港の夜風が静かに吹いていた。
世界最強の呪術師が町の酒屋で買い物をしていても、この街では、それが一つの日常なのだった。