第一話 才能のない少年
俺には、おそらく才能がないんだろう。
そう思うようになったのは、いつからだっただろうか。
剣を握り始めた頃は、そんなことを考えもしなかった。
ただ、強くなりたかった。
誰よりも速く剣を振り、誰よりも遠くへ行き、いつか自分も、あの人たちのようになれるのだと信じていた。
神の目を授かった人間たち。
風を操り、炎を生み出し、常人には到底届かない力を振るう者たち。
彼らは、まるで世界そのものに選ばれたかのようだった。
そして、俺の周りにいる人間たちもまた、次々とその仲間入りを果たしていった。
……俺を除いて。
「そこまでよ」
木剣が、俺の首元でぴたりと止まった。
「……参りました」
俺は両手を上げた。
目の前にいる少女は、構えを解くと、小さく息を吐いた。
金色の髪が風に揺れる。
腰元には、淡い緑色の輝きを放つ神の目。
ジン。
俺の幼馴染であり、いつか必ず追い越すと決めている相手だった。
「今の勝負、最後の踏み込みが少し遅かったわ。あなたなら、もう少し早く反応できたはずよ」
「いやあ、そうは言ってもね。風を使われると、こっちはどうにもならないんだよねえ」
「それを理由にしてはいけないわ。相手がどんな力を持っていても、対応する方法はあるはずだから」
「うーん。正論だ。耳が痛いね」
俺は頭をかいた。
その向こうでは、赤い髪の少年が腕を組んでいる。
ディルックだ。
「そもそも、最初の攻防で体勢を崩しすぎだ。あれでは、相手が誰であろうと勝てない」
「おっと、ディルック先生のありがたいお言葉だ。これはノートに書き留めておかないと」
「ふざけるな」
「はいはい」
俺は笑いながら、地面に落ちた木剣を拾い上げた。
悔しくないわけではない。
むしろ、悔しくて仕方がなかった。
昨日より強くなった。
先週よりも、先月よりも。
自分では、確かに成長していると思う。
それなのに、二人との差は埋まらない。
ジンは風の力を使い、俺の剣の軌道を見切る。
ディルックは炎の力をまとわせ、俺の攻撃を正面から押し返す。
二人が一歩進むたびに、俺は二歩、三歩と先を行かれたような気持ちになった。
「……なあ、ジン」
「何?」
「僕って、才能ないのかな?」
彼女の表情が変わった。
「どうして、そんなことを言うの?」
「だってさ。僕が一年かけて身につけたことを、二人はもっと簡単にやってしまう。僕が必死になって避ける攻撃を、二人は元素の力で押し返してしまう」
俺は手のひらを見つめた。
何度も豆が潰れ、何度も皮が剥けた手。
剣を握るためだけに、少しずつ硬くなった手だ。
「努力すれば追いつけると思ってたんだけどねえ。どうやら、世の中そう甘くないらしい」
「……」
「ま、だからってやめるつもりはないけど。強くなるのは楽しいしね。へへへ」
わざと軽い調子で言ってみせた。
ジンは笑わなかった。
彼女は俺の手を見て、それから、まっすぐに俺の目を見た。
「あなたは、誰よりも努力しているわ」
「おや、褒められた」
「茶化さないで」
少しだけ、声が強くなった。
「私は、あなたが毎日どれだけ鍛錬しているか知っている。何度負けても、翌日にはまた剣を握っていることも」
ジンは言葉を選ぶように、一度口を閉じた。
「だから……自分には才能がないと、簡単に決めつけないでほしいの」
その言葉に、俺は一瞬だけ返事を忘れた。
彼女は真面目だ。
いつだってそうだった。
誰かを励ますために、根拠のないことを言うような人ではない。
だからこそ、その言葉が嬉しかった。
「……そっか」
俺は笑った。
「じゃあ、もうちょっと頑張ってみるかな」
「ええ。私でよければ、いつでも稽古に付き合うわ」
「いやあ、助かるよ。次は勝たせてもらうからね」
「望むところよ」
ジンが微笑む。
俺も笑い返した。
けれど、心の奥に残った疑問が消えることはなかった。
俺には、何かが足りない。
それが何なのか、まだわからない。
*
その夜。
俺は自室のベッドで、ぼんやりと天井を見つめていた。
明日も鍛錬をする。
明後日も、その次の日も。
いつか二人に追いつくために。
いつか、神の目を持つ者たちと肩を並べるために。
……いや。
本当は、そんな綺麗な理由だけじゃない。
ただ、悔しかったのだ。
自分だけが何も持っていないことが。
どれだけ努力しても、生まれ持った力の差を埋められないことが。
「……はあ」
寝返りを打った、そのときだった。
枕元に、何かが置かれていることに気づいた。
小さな装飾品。
透明な石を囲むように、金属の装飾が施されている。
見覚えがある。
いや、見覚えがあるどころではない。
何度も、何度も見つめてきたものだ。
神の目。
「……え?」
俺は上半身を起こした。
それを手に取り、何度も裏返す。
石の中には、風も炎も、水も、何の元素の輝きも見えなかった。
けれど、形は間違いなく神の目だった。
「なんだ、これ……」
誰かのいたずらだろうか。
そう思いながらも、俺はその石から目を離せなかった。
神の目は、神に認められた者に授けられるという。
ならば、これは。
「……僕の?」
胸の奥が、熱くなった。
嬉しさなのか、驚きなのか。
それとも、ようやく自分もみんなと同じ場所に立てるのだという安堵なのか。
わからなかった。
ただ、ひとつだけ確かなことがあった。
「……よし」
俺はベッドから飛び起きた。
「これで、もっと強くなれる」
石を握りしめる。
その瞬間、俺は勝手に納得していた。
これは、風でも炎でも水でもない。
今まで知られていなかった、新しい元素なのだ。
名前をつけるなら――物理。
物理属性の神の目。
きっと、そういうことなのだろう。
……使い方がわからないのは、まだ俺が未熟だからだ。
何も起きないのも、きっとそのせいだ。
そう考えれば、今までの自分にも説明がついた。
才能がないわけではない。
ただ、自分の力を理解できていないだけなのだ。
俺はその夜、久しぶりに明日が来るのを待ち遠しく思った。
そして、翌朝から、鍛錬の時間をさらに増やした。
*
それから、しばらくの時が流れた。
モンドの城門。
俺は荷物を背負い、旅立つ準備を整えていた。
目の前にはジンとディルックがいる。
二人とも、以前より少しだけ大人びて見えた。
「本当に、行ってしまうのね」
ジンが言った。
「うん。いつまでもここにいたら、二人に追いつけないからね」
「そんなことはないわ」
ジンはすぐに答えた。
「あなたは、確実に強くなっている。私も、ディルックも、それは認めているわ」
「おやおや。ディルック君も? いやあ、これは嬉しいね」
「調子に乗るな。まだまだ鍛錬が足りないと言ったんだ」
「はいはい。相変わらず厳しいねえ」
俺は笑った。
それから、少しだけ真面目な顔になる。
「でも、もっと強くなりたいんだ。ここで二人と稽古をするだけじゃ、見えないものもあると思うから」
ジンは、俺の腰にある神の目へと視線を落とした。
「……旅先では、無理をしないで。強くなることも大切だけれど、命を失ってしまっては意味がないわ」
「わかってるよ。僕は慎重な男だからね」
「あなたの言う慎重が、どこまで信用できるのかしら……」
ジンが小さくため息をついた。
「本当に、気をつけてね」
その声には、騎士としての忠告だけではないものが混じっていた。
俺はそれに気づかないふりをして、笑った。
「もちろん。ちゃんと帰ってくるよ」
「約束よ」
「約束」
俺たちは拳を軽くぶつけた。
ディルックは腕を組んだまま、短く言った。
「帰ってきたら、また相手をしてやる」
「そのときは、負けないからね」
「期待しておこう」
俺は二人に背を向け、歩き出した。
振り返ると、ジンがまだこちらを見ていた。
俺は手を振った。
彼女も、小さく手を振り返した。
いつか、必ず。
誰もが認めるほど強くなって、帰ってくる。
そうすれば、今度こそ。
自分が何者なのか、胸を張って言える気がした。
*
……今頃、どこにいるのかしら。
ふと、そんな言葉が心に浮かんだ。
あれから、ずいぶんと時間が経った。
彼は今も、剣を振っているのだろうか。
相変わらず、強くなることばかり考えて。
負けても笑って、悔しくないふりをして。
それでも翌朝には、何事もなかったように鍛錬を始める。
……本当に、昔から変わらない人。
私は、あの夜のことを思い出す。
枕元に置いた、小さな石。
あれが彼にとって、どれほど大きな意味を持つのか。
私は、わかっていたはずだった。
本物ではない。
元素の力など、宿っていない。
それでも、あの子が自分には何もないと思い込んでしまうのが、嫌だった。
何度も努力して、何度も負けて。
それでも笑って、平気なふりをする。
本当は、誰よりも悔しがっているくせに。
だから私は、嘘をついた。
あの子のためだと、自分に言い聞かせて。
……でも、本当にそうだったのだろうか。
私自身、あの子に笑っていてほしかっただけなのかもしれない。
あの夜、彼が神の目を見つけたとき、どんな顔をしたのだろう。
嬉しそうに笑ったのだろうか。
それとも、泣いてしまったのだろうか。
私は、その顔を見ることができなかった。
今さら、真実を告げることもできない。
もし、いつか知られてしまったら。
彼は、私を許してくれるだろうか。
……いいえ。
許してもらえるかどうかなんて、今は考えるべきではない。
ただ、無事でいてほしい。
どこか遠い国で、無茶をしていないといい。
ちゃんと食事を取って、眠って。
自分の身体を大切にしていてほしい。
強くなりたいという願いを、私は否定したくない。
あの子がどこまで行けるのか、見てみたいとも思う。
だからこそ。
どうか、生きて帰ってきて。
「……約束、忘れないでね」
誰にも聞こえない声で、私はそう呟いた。
主人公
「いやあ、僕なんてまだまだだよ。ジンやディルックに追いつくどころか、足元にも及ばないしね。……だからこそ、もっと強くならなきゃいけないんだ。へへっ。」