「……全部、忘れさせて……」
「……へ?」
豊川祥子のその一言を拒めなかった。
多くを失っても必死に生きようとする中、かつての居場所と感じていたバンドCRYCHIC。
春日影はその象徴だった。
初めてのそして最後になってしまった自分達だけの歌。
祥子が自分達の歌だと自分達の心の叫びとまで称した皆んなとの繋がりの証。それが今はCRYCHICがもう戻らないことの証明のように燈達が新しいメンバーと共にステージで響かせる。
CRYCHICはもう過去にしか存在しない。もう手を伸ばしても届かない水面に映る月。綺麗で輝いて見えて近くにあった筈なのにもう手の届かない場所に浮かんで消えない思い出。
そこに自分もいた。
先が見えない不安の中で誤魔化すように必死に何かを叫びたくて目的も何もなく公園でギターを弾いて歌っていた自分を見つけてくれた2人の少女に誘われて。
最初は乗り気じゃなかった。
自分以外は女の子しかいなくて、自分もどうして音を奏でるのかわからなくなっていた。そんな自分がいてもいいのかと。
素直に楽しめなくて上手く馴染めるか不安で感情表現が不器用で表情が顰めっ面でいる事が多かった。
けど、居心地は悪くなかった。
燈は必死に考えた歌詞をノートにして見せてくれて。
立希はぶっきらぼうな言い方だったけれどよく相談に乗ってくれた。
そよは一番気を使ってくれた。人の気持ちを察するのが得意だったのだろう、感情表現が苦手な自分とメンバーとの間をよく取り持ってくれて。
睦はお互いに似たもの同士で気が合ったのだろう。お互いに喋らなくても何処か通づるところがあって気づけば彼女が隣にいる事が多かった。
祥子はもっと堂々となさってくださいと誰よりも自分の歌を信用してくれた。
初めてだった。ここにいたいと自分から居場所に感じたのは。ずっと続くと、このメンバーとなら進んでいけると根拠なんてない。ただそう思って疑わなかった。
それがあんな終わりになるなんて思わなかった。
初ライブが終わって皆んな有頂天で……気づくべきだった。あの時、祥子だけがライブが終わった後に携帯を見つめて顔に影がかかっていることに。
もしかしたら、何かが変わったかもしれない。
いや。どのみち何も変わらなかったのかも…。
たらればの話などもう意味はない。
CRYCHICはもうない。
それだけが紛れもない自分達の現実。
春日影の歌が刃のようにその事実を自分達の心臓に突き刺すような感覚に襲われて眩暈がする。
もう受け入れた筈なのに。
あれは過去のことだと。
もう関係ない。
全部終わったこと。
ならなんでこの目はこんなに熱くて、こんなに苦しいんだろう。
動けないでただステージを見つめている自分と睦の横で祥子が駆け出した。
あの日の光景が重なった。
CRYCHICを抜けると宣言した彼女を追いかけて雨の中で泣きじゃくる彼女に何もできずに立ち尽くす。
今度はもう同じ事はしなたくない。
結局これもいい訳なんだろ。
もうここに入れない。いたくない。
逃げ出したい。息が詰まる。
全力で抜け出したい。
睦が自分に手を伸ばしたような気がしてけれどもう耐えられないと走り出す。
先に抜け出した彼女に追いついて手を掴んだ。
なんて言葉を掛ければいいかすらわからない。
自分も同じだと、逃げ出したのに気持ちの整理もつかない状態の自分に何ができるのかわからないけれどただ気持ちのままに体を動かした。
「……どうして、追ってきましたの?」
目元を赤くさせて必死に呼吸を整えてこっちに振り返る彼女を見て言葉に詰まる。
どんな言葉をかけたところで慰めにすらならない。
でも何かしたかった。
どうすればいいか答えなんてないけれど。
不器用な口を必死に震わせた。
「……もう……見ているだけは嫌だったから」
それを聞いた彼女は自分が掴んだ手を強引に振り解いて握り拳を作った両腕を自分に叩きつける。
威力は酷く弱々しく猫パンチと同等。
けれど言葉に籠っている感情はどんなものより強かった。
「だったら!!」
「……全部忘れさせて……」
何処か光を失って何かを決意した瞳で甘えるような声。
言葉遣いも崩れた普段の彼女から想像できない危うげで魅力的な何処か妖艶な声と表情に息を呑んだ。
さっきとは違う意味で体が動かない。
彼女の目がそれをさせないとこちらを見据えて射抜く。
「……へ?」
祥子が自分の首に腕を回して引き寄せる。
逃げろと叫ぶ自分。後戻りできない気がして拒もうとする自分。
また見捨てるのかと囁く自分。向き合えと彼女を見ろとここに縛り付ける自分。
複数の感情が一気に駆け巡って思考がフリーズする。
唇が合わさって視界が祥子で埋まる。
柔らかくて甘い味が広がった気がして。
ただ静かに受け入れた。
「……ん、」
「……真央…」
自室の布団。
一人暮らしのマンションの一室。
鈍くて気怠い体を起こす。
隣で寝息を立てながら自分の名前を呼ぶ祥子を起こさないように静かに布団から抜け出そうとする。
昨日の彼女を拒む理由もはなかった。それに…自分にそんな権利はないように思えた。
あの日雨の中で泣いている彼女に手を伸ばすことも出来なかった自分には。
「……行っちゃ……ダメ……」
彼女から伸ばされた手が自分の腕を捕まえる。
寝ぼけているのか本当は起きてるんじゃないかと彼女の目を見る。
安らかに微睡んでいる。今日までのことなど無かったかのように昔のような安らかで優しい寝顔。
「……祥子……離して」
「……ん、……」
起きる気配はない。
変わらず縋るように腕を握って離さない。消えてほしくないと縋り付くように。
望むならこのままでも構わなかった。バイトさえなければ。無慈悲に時間は迫ってくる。
困ったように顔を顰めた。
思案する。
起こすしかない。
もとよりそれしか無かったのだが。
少しばかりのため息を伴って声のトーンを落として優しく声をかける。
「……今日バイトあるから、ほら」
閉じられた目が揺れた。
ゆっくりと開かれ琥珀色の綺麗な瞳が覗いている。
今度はハッキリとした声で確かめるように自分の名前を呼んだ。
「……ん、真央?」
「そ、俺だよ……起きて」
祥子が体を起こそうとした時彼女自身の手が自分の腕を掴んでいることに気づいた。
今更気恥ずかしくなって手を離して慌てて起き上がる。
CRYCHICがもしあのまま続いていたら祥子とこんな関係になったのだろうか?CRYCHICが無くなって同じ傷を持って彼女の背負ったものを知って今の関係になったのを考えると………。
余計な事は考えないようにしようと思考をリセットする。
「……!、真央…これは、そのわたくし寝ぼけて…」
「……おはよう。寝坊助さん」
……今はこれでいい。
余計な事は考えないでいい。
傷を舐め合うような退廃的な雰囲気が今は居心地が良かった。こうしていれば忘れられる辛いことも全部。
「今日はこのあとバイト行っちゃって、夜はサポート入るから合鍵で戸締りよろしくね」
互いにテーブルで向かい合って朝ごはんを口にしながらこの後の予定を確認する。
カップの中のコーヒーを飲む祥子の仕草は品のあるお嬢様を感じさせた。実際に紛れもなく本来ならこんなところにいる事はないような立場の人間。豊川グループのご令嬢なのだから彼女からしたらこれぐらいなんて事ない日常の自然な動作なんだろう。
「……わかりましたわ……真央。昨日の話、しっかり考えてくださいまし」
カップをテーブルに置いて真剣な表情で改まって告げる姿には悲壮感を感じさせた。
昨日の話。燈達の春日影を聞いて覚悟を決めた祥子の道。Ave_Mujica、過去を振り切るため彼女の世界で観客を魅力するためのバンド。スカウトをかけるメンバーには睦も加える予定でそこに自分も来ないかという誘い。
まだ、踏ん切りがつかず答えは出せないまま。
未練……なんだろう。
彼女は否定するだろうが祥子もきっとそこは同じなんだと思う。
でなければ過去を振り切るためと言いながらバンドの形に固執する理由がない。
「……うん、わかってる……」
コーヒーが苦い。
今日の朝は特に。
どれだけミルクを入れても昨日の記憶で塗りつぶされる。波紋が広がるコーヒーに映る自分の瞳は酷く濁っている。
「それから……」
さっきまでの表情はなりを顰め年相応の少女のものに変わる。起きたばかりの彼女の表情に近い力の抜けた優しい顔。その顔に安心感を覚えてこっちも力を抜いた。
コーヒーをテーブルに置いて少し言葉に詰まる彼女の名前を読んで返答を待つ。
そうかからずに言葉が返ってくる。
「祥子?」
「……バイト、お気をつけて」
なんて事はない、ただの気遣いの一言と笑顔。
彼女が来るまで1人だったこの空間に慣れていたはずだった。出来ることならこのまま続いて欲しいと願う自分がいる。
これが今度は消えないことを願って……。
もうあの日と同じ結末に至ることだけは絶対にごめんだと。
「……うん、祥子も……気をつけて」
その日の夜。
「〜〜〜ッ皆んなー今日もありがとうーー!!」
ヘルプで入ったバンド。
そのライブを完走させてボーカル兼リーダーの女性がファンへと挨拶をする中、呼吸を整える。
固定ファンが多くいつもそれなりに客が入っている。この光景をCRYCHICで見たかったなと考える頭を振って少し早足でステージ裏に避難する。
「……」
疲れた。
最近は何かしていないと落ち着かなくてバイトのシフトを増やしてバンドのサポートの数を増やした。
気が紛れたのは確か。
けど、バンドを楽しいとあの日からは感じたことはない。
ギターと歌う事は好きだ。それに嘘はない。
けれど、CRYCHICの時に感じたものはもうどれだけやっても戻らない。
正体を掴めない虚しさがいつも胸に残って掴めないものに手を伸ばそうとしているようで吐き気がする。
「お疲れ、七宮くん。今日もありがとね、わざわざ休みの遅い時間に」
「……いえ、好きでやっているんで……」
嘘ではない、好きでやっていることだ疲れはするが苦痛はない。この人達ともそれなりの付き合いでそれなりに居心地がいい。
何度か正式にメンバーとして誘われた。
でも自分の中の何かが噛み合わない、あの日からずっと。
「暗いなーもっと愛想良くしないとモテないぞー少年。せっかく可愛らしい顔してるんだからもっと笑顔見せなきゃ」
余計なお世話だ。
生まれつきのこの顔しかない。
大学生のリーダーは自分の事を弟のように見ているみたいでそこだけは正直苦手だ。面倒臭い事になる前に帰ろうと荷物を纏めていく。
「……顔は生まれつきです」
ぶっきらぼうにそう言ってギターケースを担いで楽屋を後にしようと扉に向かう。リーダーは何処か呆れ顔で頬を緩めて手を振っていた。
振り返らず言葉だけを返して楽屋を去る。
今はライブ終わりの顔を他人に見せたく無い。きっと酷い顔をしていると思うから。
「……ほんと、可愛げないぞー…まあアンタらしいか。じゃあまたよろしくね」
「……お先に失礼します」
バタンとしまった扉を見つめながらリーダーと呼ばれた女性はボソッと漏らした。
「……ほんと、そんだけの腕持ってんだからもっといい顔しなよ少年……」
無愛想な少年に残念とため息を漏らして自身も帰宅の準備を進める。他のメンバーも準備を終わらせみんな帰っていき最後に自分だけが残った楽屋を見て意外と広かったんだなーと面白みのない感想を抱いている時に聞き慣れた可愛らしい声が聞こえて扉が開いた。
戸山香澄、花咲川女子学園高校。自身の母校の後輩でPoppin'Partyというバンドのギター&ボーカルを務めるポジティブ少女。
「千鶴さん!お疲れ様です!」
「お!香澄ちゃん。ポピパのみんなも!今日は来てくれてありがとね。どうだったうちらのライブは?」
いつも通り明るくハイテンションで感想を言葉にする香澄。さっきまで共にステージに上がっていたサポートギターの少年と真逆の明るさにこちらも笑顔になる。
あの少年もこの2割ほどでも明るさを発揮してくれればなどと希望が持てない観測を頭の中で広げていた。
そして、いや無理だなと1人で勝手に納得する。
「はい!凄かったです!キラキラドキドキでいっぱいで最高でした!」
年相応。いや他の平均的な高校生に比べたら少しエネルギッシュすぎるがこの前向きさが彼女の、ひいてはPoppin'Partyというバンドの強みなんだろう。
そんな事をぼやっと考えていると黒髪クールビューティー。中身はポピパ一のスーパード天然少女の花園たえが周りを見渡して何かを探している。
「……あの、ギター弾いてた子はどこに?」
「お、たえちゃん!なになに、七宮君に興味あんの?」
青春の匂いを感じ取り揶揄うように少年の名前を呼んだ。返ってきた反応は予想していたものとは違った。
「はい!気になります」
即答。
しかもストレートな答えに若干面食らう千鶴。
え、マジのやつと内心ほくそ笑んでいるとポピパのキーボード担当。市ヶ谷有咲がすかさずにツッコミを入れる。
千鶴はスムーズな流れに慣れているんだろうなという彼女の気苦労が見えて心の中で頑張れとエールを送った。
「端折るな!ギターの腕前が気になるんだろ!」
わかっていた。
どうせそんな事だろうと、つまらないなあと残念そうにため息を吐露する。
いつも無愛想にギターを弾く少年にも少しぐらい春が来て欲しいものだと。来たら盛大にいじり倒してやるのにと期待できない未来に苦笑いしそうになった。
「全く……千鶴さん、アイツ確か噂になってる一匹狼ですよね?」
「狼!何それカッコいい!」
「カッコいいか?てかちけえよ!」
香澄が目を輝かせて有咲の話題に飛びついた。
さながら飼い主に擦り寄る大型犬のように顔を近づけて返答の催促を促す。
落ち着かせるように手を翳して香澄の顔を遠ざけながらゆっくりと答えた。
「……最近噂になってたんだよ。ギターがすげえ上手いくせにサポートでしか弾かない一匹狼みたいなヤツがいるって」
「……狼か」
「?どうかしました千鶴さん」
少年の顔を思い浮かべる。
ギターが上手いくせに何処か遠くを見ているような目で音を奏でる愛想を何処かへ忘れてしまったような少年。
確かに行動は側から見ればそう言われて仕方ないのかもしれないと思いながら噛み合わない自分の少年への印象に思わず笑ってしまいそうになる。
「……いや、あの子の事。私も全部知ってるわけじゃないけど、それなりに一緒にバンドやってなんとなくどんなヤツかはわかるっていうか……その噂似合わないなって……狼というよりも」
何かから逃げるように打ち込む姿。
小柄で無愛想だけど放って置けないような弱々しさ。
「怯えた子犬みたいだなって」
その姿の方が狼よりも千鶴にとってははるかに合致する姿だった。
肌寒い風が頬を撫でる。
すっかり遅くなってしまったとギターケースを揺らしながら帰路に着く。
そんな中で真央は空を見上げていた。
今日は星がよく見える。
昔は大して興味はなくただそこにある光としか感じなかった。それを変えたのはCRYCHICの時にツインで共にボーカルをしていた高松燈。
彼女に星の魅力を教えられて気づけば自分も夜空を見上げるようになっていた。
今更と嘆く。
思い出したくないと、辛いだけだからといくら自分にいい聞かせても消えてくれない。消せるはずがないとわかっていたのに。
目を伏せればいい。
空なんて見上げなければいい。
だけれど体は吸い込まれるように空を見上げる。
あの日々に取り憑かれたように。
不器用に辿々しく夜空に指差しながら星座について語っていた彼女の顔。自分の知らない世界を頑張って必死に伝えようとする彼女に絆されてただ聞き入っていた夜。
自分が黙っていると弱々しく「面白くなかったよね…」としょげる燈が少し可愛く思えてそうじゃないと、面白くて聞き入っていただけと少しだけ微笑んで見せた。
よかったと胸を撫で下ろす彼女らしい仕草を覚えている。
CRYCHICが壊れたあの日、あれから会っていない。
どんな顔で会えばいいかわからない。
春日影を歌う彼女を見て尚更……。
(……止めよう。もう……祥子は今日お父さんのところだっけ……)
逃げるように空から目を逸らす。
今夜は風が強い。早く帰ろうと少しだけ早歩きになる。
ここからなら大して時間もかからない。家に帰って布団に顔を埋めてしばらく何も考えていたくない。
曲がり角を曲がってもう少し歩けばいいだけだ。
だと言うのに足が止まった。
現実から逃げるなと言うようにそこにいた少女を目にして体が動かなくなる。
「……久しぶり、真央くん」
長崎そよ。
CRYCHICのメンバーだった少女が酷く瞳を濁らせながらそこにいた。
次回、そよメイン。