「……久しぶり真央くん」
「……」
「昨日はありがとうね、ライブ来てくれて」
風の音だけが真央の耳には響いていた。
よく知る茶色のロングヘアが風に揺られている。
今一番会いたくなかった人物の1人。
ただ棒立ちで言葉を返せなかった。
「……睦が……きてほしいって」
かろうじて一言だけ。
可能なら逃げたい。昨日のライブの時のように。
「……でも来てくれた……ごめんねいきなり春日影弾いちゃったりして、びっくりさせちゃったよね」
春日影。
今の自分にとって聞きたくない言葉。
思い出したくない、いっそ忘れなれたらと思う思い出を呼び起こす言の葉。
目の前にいる彼女の顔も合わせて余計に記憶が溢れて辛い。ほっといてくれればいいのに……。
「ッ、気にしてない、だって……」
「……だって?」
「もう、終わったんだし……CRYCHICは」
自分にいい聞かせ続けていた。
諦めればいいと、どうしようもないことだと。あの雨の日に皆んなバラバラになって。祥子の事情も知ってどうすればいいかわからなくて。
結局、自分から逃げだした。
燈やそよ、立希とは連絡を絶って会うことも避けた。
終わったと思えば忘れてしまえばいいだけだ。所詮、中学生同士の集まり、子供の遊び。運命共同体だとなんだと着飾っても終わってしまえば一瞬。
どれだけ執着しても縋っても、自分を苦しめる毒。
手放せばいいだけだそんなもの。
それが出来たらどれだけ楽なものだろう。
「ッ!違うよ、終わってない!」
それが、そよの絶叫か自分の心の叫びかわからない。
両方なのかもしれない、なら本当に自分はどれだけ女々しいのだろうか。
「そよ?」
「終わってない!ただすれ違っただけ……皆んな、本当は戻りたいって……真央くんだってそう思ってる。そうでしょ?」
「……」
言葉に詰まった、否定しろと祥子のことを思うならと、だがどうしても出来ない。否定するなと強く拒む思いとぶつかって上手く口が動かない。
二律背反。
2人の自分。
どっちも消せない思い。
板挟みにされて潰されそうで息苦しい、どっちを選んでも傷つく結果になるのが怖くてまた逃げる。きっとまた自室で自己嫌悪に陥るんだろう。
押し黙る真央をみてそよは痺れを切らしたように詰め寄った。その目は必死に大切なものを取り戻したいと願いながら何かに取り憑かれたように澱んだ瞳だった。
「なんとか言って……お願いだから真央くんは味方になってよ」
目を合わせるのも怖くて目を逸らした。
肩を掴まれ揺らされた、真央の知っている彼女らしくない行動に恐怖を覚えて萎縮する。
こんな行動力の強い子だなんて思ってなかった。 CRYCHICの解散が彼女をここまでさせたんだろうか?彼女にとってもそれだけ大切だったと感じ自分だけじゃなかったことに心のどこかで安堵している事に舌打ちをしたくなった。
「……今のバンドは?立希や燈以外の人達はどうするの?」
そよは手を離して少しの沈黙を経てから話を続けた。
その様子が自分のよく知る彼女と違って目の前にいるのが本当に自分と一緒にCRYCHICをやっていた長崎そよなのか真央は思わず疑った。
「愛音ちゃんや楽奈ちゃんには感謝してるよでも」
「……2人ともCRYCHICには必要ないよね」
そんな言葉が彼女から出るなんて思わなくて言葉にすらならない空気の漏れた音が口から鳴った。
「なに、言って……そよなんだよね」
「?真央くんこそ何言ってるの」
相変わらず濁った瞳でこちらを見る彼女。
思わず当たり前の事実を確認するように呟いた。
別人に思えてならない、周囲の人間を大切にしていつも皆んなに優しかった彼女が簡単に他人のことを切り捨ててどうでもいいと言うような言動をすることを脳が拒んだ。
怯えて思わず後ずさる。
震えた声で問いを投げた。
「じゃあ、何でそんな自分勝手みたいなこと」
「ッ!」
そよが顔を歪ませる。
認めたくない事実を曝け出されて複数の感情がごちゃ混ぜになった顔だった。
もう限界。
逃げ出すように駆け出した。
そよの制止の声も聞かずただひたすらに全力で走ってその場を後にする。視界が揺れて歪んでいるのが走ってるせいなのか涙のせいかわからない。
「ッ待って!」
その言葉が届くことはなくそよが伸ばした手は何も掴むことはできず真央の消えていく背中をただ虚しく眺めるだけだった。
その後どうやって帰ってきたかも朧げなまま長崎そよは自室のベットで既読のつかないメッセージのスクロールを眺めながらポツリと呟く。虚しい独り言は部屋の空気に溶けて消えていく。
どうしてこうなってしまったのだろう。
ただ皆んなとCRYCHICを続けられていればそれでよかった。
初めて感じた暖かさ。
共に過ごすうちにかけがえのない居場所になっていた皆んなとの時間。
よりによってそれに気づいたのは全て失った後だった。
けれど取り戻せる。
壊れたならまたやり直せばいい。
きっと皆んなそれを望んでいるはずだと、自分と同じで皆んなにとってもあの日々は大切で手放したくないものだったはずだと。
根拠なんてない。
けれど共に過ごした時間、初ライブの時のみんなの顔がそれを確信させていた。
だから他人を利用することも構わないと思って行動した。何と思われたっていい。
あの宝物を取り戻せるなら何だって構わない。
CRYCHICはまだ終わりじゃないんだ。
必ずまた取り戻す。
結局、何一つ叶えることが出来なかった。
「……どうしてかな」
「私だけなのかな」
もしかしたら自分だけがそう感じていただけだったのかも。そう思うと虚しくて苦しくて胸が締め付けられる。
縋っていたのは自分だけだった。
皆んなも同じだと、そう言い訳して。
自分勝手。
真央の言葉が頭に響いて離れない。
正論だ。
千早愛音、要楽奈。
CRYCHICを再結成するために利用した。
望みが叶えば用済みだと見捨てるつもりでいた。
利己的、独りよがり。
居場所なんて無い、初めから1人だったように思えてだから縋っていたのかも。
「CRYCHICを取り戻したいって思ってるのは……」
疲れたと。
もうどうでもいいと。
自暴自棄になっている自分がいる。
何気なく携帯の写真をスクロールしていく。
CRYCHICの皆んなと撮った集合写真。
真央の写真。悪戯で撮った不意の一枚。
不器用で上手く笑えないことが多い少年が見せた柔らかい表情。
CRYCHICが大切だからと、いつもに比べて少し頬を緩ませて語った少年。
「嘘つき」
感情に任せて言葉を吐く。
「大切だって……言ったのに」
そこに籠った感情を言い表せない。
CRYCHICの中で真央だけに向けた黒い感情。
写真に映る彼の顔をなぞって片手でシーツを強く握る。
何故だか涙が溢れてくる。
毛布を頭まで被り自分だけの世界に閉じこもるように目を伏せて蹲る。
酷く疲れた体は睡魔に屈するように眠りに落ちていく。
この微睡が自分を癒してくれることを祈って。
酷く懐かしい夢を見ている。
七宮真央との初めて会った日のこと。
祥子ちゃんと睦ちゃんに連れられてきた同い年の男の子。可愛らしい顔をした小柄で男としては身長が低い方で持っていたギターケースがよりその弱々しい雰囲気を助長させた。
仏頂面で短く、ただよろしくと……そう呟いて大人しそうな子だなと言う印象。
けど2人が彼を連れてきた理由はすぐに納得した。
ギターとボーカルの腕。
けどそれ以上に音を奏でている顔が何処か楽しそうで一緒にやりたいとそう思わせる。そんな空間を彼が奏でる音が作り出していた。
そう時間が掛からずに彼は皆んなと馴染んでいた。
本人は否定するだろう。そよが助けてくれたからだと。
でも知ってる。
彼が自分から皆んなと関わりたいと、必死に出来ることを探してバンドにしても何にしても努力して向き合っていたこと。
自信が持てない燈ちゃんに寄り添って練習に付き合っていた。彼なりのやり方を教えたり。
無口な方だった睦ちゃんとは何処か気が合って彼女の気持ちを察してよくフォローしていた。
立希ちゃんとは最初こそギクシャクしていたけれどお互いに真剣にバンドに向き合うもの同士、どっちも不器用な口調だったけれど最後には打ち解けていた。
祥子ちゃんは積極的に彼に絡んでいった。睦が見つけてくれた新しい友達だと、彼の音楽を一番信用して心から一緒にバンドをしている事を楽しんでいた。
私は彼のことを放って置けなかった。不器用でけれど必死に皆んなとバンドをやろうとしている姿に絆されて弟がいればこんな感じだったのだろうかなんて事も思ったりして。一緒にいると楽しくて側で見ていたくて。
それがこの先も続く。
カラオケに行った。初めて睦ちゃんがパスパレが好きだと知って嬉しかった。皆んな思い思いの好きな歌を歌って距離が縮まった気がして胸がいっぱいになった事も。
それぞれのパート分けどんな楽器でどんなバンドにするのかまだ名前さえ決まっていなかったけどその時間が楽しくて祥子ちゃんが運命共同体とまで言った気持ちが少し理解出来てきた事も。
初めてスタジオでみんな揃って練習した時、まだまとまりがなくてバラバラだったけれど一緒に上達して一つにまとまっていく時は心が躍った。
初ライブ。
この先忘れないであろう情景。
不安だった燈の歌が響いて、真央が合わせるように歌って始めは不揃いだった音が一つの曲として完成して。
お客さんからの歓声とネットの反響があんなに嬉しいなんて思わなかった。
あんな事になるなんてわかるはずもなくただ胸が高鳴って皆んなで一つのCRYCHICになった日。
もう今となっては呪いになった傷跡。
酷い雨の日。
練習に姿を現さなくなった祥子ちゃんがきた時は本当に良かったと心の底から安堵して、けれど告げられたのは脱退の宣言。冷たく突き放すような物言いに立希ちゃんが反発して睦ちゃんの一言が止めになった。
私、バンド楽しいなんて思ったこと一度もない。
その真意はわからないけれど。結局祥子ちゃんと睦ちゃんが離れて真央くんとも連絡が取れなくなって……そうして一人一人いなくなっていって消えていった。
たった一回の初ライブがCRYCHICの最後のライブになった。
本当に大事で大好きな居場所だった事にその時気づいてもう手遅れだなんて思いたくなくて。
結局、拒絶された。
誰の手も掴めなかった。
一度壊れたものは治らない。人間関係なら尚更。
崩れたピースを集めようとして最後は2度と手に出来ないまでに粉々に砕けて終わった。
もういい。またあの虚しい日々に戻る、それだけだ。
またクラスの友達や母親の前でいい子のそよでいるだけの話。
けれどもうそれでいい。
もう全てどうでもいい。
バンドも何もかももう自分には関係のない事だと。
目覚めて全て諦めて新しい日々に生きればいいだけだ。
それでもう終わる。
皆んなのことも全部……。愛音や楽奈は元々見捨てるつもりだったのだ未練なてあるはずがない。
CRYCHICのことも、真央のことも諦めて手放すだけ。
本当に?
うるさい。
自分達が始めた事なのに?
関係ない。
もう、終わりにさせてほしい。もう傷つきたくない。
認めたくない現実を目にして涙を流したくない。
このまま眠らせて起こさないで。
この想いはもうこのままあの日の雨の中で思い出のまま記憶の奥でじっとしていてくれとひたすら願った。
朝、そよは鬱陶しい日差しがカーテンの向こうから照らしてきて鬱陶しい。錆びついた機械のように鈍くなった体を起こして特に何かするでもなくボーッとする。
メッセージに既読はつかなかった。
まあ、どうでもいいかと携帯をベットに投げ捨てる。
棚に飾っていたCRYCHIC時代の写真が目に入った。
どうでもいい。
どうでもいいはずだ。
でもそのままにするのが我慢ならなかった。
立ち上がって歩み寄って写真立てを伏せる。
そんなに嫌なら捨てればいい。写真立てから取り出してゴミ箱にでも投げ捨ててしまえばいい。
そう嘯く自分がいる事に嫌悪感が止まらない。
手放せない自分が本当に惨めで情け無くて。もう涙は枯れたのに……目頭が熱くなる。
真央の映る写真が目に入った。
ただ伏せるだけじゃ収まらない感情が溢れて衝動に任せて部屋にある絆創膏で写真に映る真央の顔を覆う。
過去に蓋をするように。
消えない執着を抑え込むように蓋をする。
そのままゆっくりと写真を伏せた。もう立てる事がないことを願いながら。
「……」
言葉にできない感情が渦巻いている。
終わりにしたいのに、終わらせたいのに。
ベットに向かって体を投げた。柔らかい衝撃を感じてスプリングの軋む音が鳴る。今日はもう動ける気がしなかった。
主人公の設定については次回