「…七宮真央です…その、よろしく……」
豊川祥子の提案を受けて最初は断ろうかと思った。
けれど奏多と出会って自分のやりたかった事を思い出してまた燈りかけた胸の熱を消したくなくて。もう一度だけ自分の心に素直をに従って見たくなった。
そう思っていたのに既に帰りたくなった自分がいる。
なんせ自分以外の紹介されたメンバーが皆んな女の子なんて聞いていないのだから。
どうせならここにくる前に教えて欲しかった。
そう思いながら胃がキリキリする感覚を覚えながらカフェの6人掛けのテーブル端で少し青くなった顔で下を向く。助けを求めたい……答える相手がいるとは思えないが。
「よろしくね、七宮くん。ごめんね男の子1人だけじゃ緊張しちゃうよね」
「……祥子ちゃんと説明しなかったの?」
長崎そよが真央を気遣うように語りかける。優しく緊張をほぐすような声に少しだけ気が楽になった。
そうしているうちに椎名立希がそんな様子に苦言を呈し祥子はしまったと落ち込んで謝罪を口にする。
「その……ごめんなさい、わたくしとした事が失念していましたわ」
「えっと…水、飲む?七宮くん?」
高松燈の気遣いが有難いと感じて真央は受け取ったコップの水を喉に流し込んだ。ため息を吐いてリラックスする様子を見て良かったと燈は少しだけ胸を撫で下ろした。
立希が腕を組んでその様子を見て聞こうと思っていた質問を投げかける。少し棘がある雰囲気に真央は声の音量を下げて答えた。
「で、お前何できんの?」
「、ギターと…ボーカル…昔バンドやってたからそれなりに自信はある……」
「それなりね」
目を細めて疑うような視線を向ける立希。
その様子に睦は庇うように会話に混じる。無口な彼女にしては珍しいとメンバーは視線を向けた。何より彼女が祥子以外にそこまで肩を持つのが意外だった。
祥子は幼馴染からのお墨付きだから大丈夫だと自信満々に胸を張る。
「実力は本物…大丈夫」
「そこはわたくしも保証しますわ、なんせ睦のお墨付きですもの」
これがファーストコンタクト。
皆んなと初めて会った日。
まだ何処か距離を感じて馴染みきれていかったけれどもう一度だけ見たいと願った夢を今度は手放さないようにと祈って。祥子がこのメンバーで運命共同体になろうと言った時、嬉しかったのを覚えている。
そうして新しい日々が始まった。
最初は不安を拭えない事が多い中でのスタート。まだ後悔も拭いきれていないけれど自分の中のほんの小さな夢に素直になって前へと進む日常。
意外と馴染むのにそう時間は掛からなかった。
初めの頃は少しギクシャクしていたけれどそよや睦、祥子が受け入れてくれて積極的に自分の手を引いてそれに任せて皆んなについていく。新しく出来た友達との日々、音楽が繋いでくれた縁。バンド練習や一緒に歩いた帰り道。
覚えている。
初めてスタジオで揃って練習した時のこと。
帰り道、コンビニで買って交換したお菓子。
燈に教えてもらった星座の名前。
強く焼きついた思い出達。
その日は祥子が強く要望して燈とツインでボーカルをやる事に決まった時の帰り道、燈は不安な表情のまま俯いていた。
元々、あまり明るい子じゃなかった。その日は普段に比べて余計に落ち込んで見える。
そんな燈にどう声をかければいいか悩みながらゆったりとした歩幅で燈に合わせながら帰り道を歩く。
「……大役、任されちゃったね」
「……そうだね」
そう言って燈がその場で立ち止まった。
顔を下に向け溜めていたであろう感情をゆっくり吐露するように言葉にしていく。その声は弱々しくて不安に潰されそうな少女の悲鳴に聞こえる。
「真央君は私でいいって思う?」
バンドにとっての顔役、フロントマンとして見られるボーカル。その片割れを任されたことの期待、この時の燈にとってはまだその重みに耐え切れるだけの自信がなかった。本当に自分なんかでいいのだろうか?
もっと適任がいるのではないだろうか?
本番で声が出なくなるかもしれない。
また自分のせいで迷惑をかけてしまうかもしれない。
怖い逃げたい。
そんな考えが燈の中にあった。
「なんで?」
問いを返す真央に頭の中の感情を言葉にしてコミュニケーションが苦手なりに燈は必死に口を震わせて形にしていく。真央は静かに聞いていた。
「だって、私……ステージで歌った事なんてないし。……全然上手くないよ、七宮君みたいに歌えないよ」
紛れもない本心。
カラオケで初めて真央や皆んなの歌を聴いて、練習の時も皆んなと比べてしまって余計に自分なんかが出来るのだろうか。そんな考えが頭から離れない。
人間になりたい。
他人と比べて感じてきた自分の感覚のズレ。
自分だけが世界から人の枠組みから外れているような孤独。自分に人並みのような感情があるのかすらわからなくなるような人がバンドで歌えるのか?
また、嫌われたくない。
そうやってずっと迷子でいる事を変えたい。けど怖くて進めない、そんな答えの出ない堂々巡り。
真央にどんな言葉を貰いたいかなんてわからないただ言葉にして感情を吐き出したかった。
「そんな事ないと思うよ」
否定だった。同情されてるように感じて肺に冷たい空気が入り込んで痛い。
「……どうして」
「今日、燈が書いたノート見せてもらったろ」
本当なら他人に見せるつもりはなかった自分の心の内を書き綴った今の皆んなが集まるきっかけになった燈にとっての心の叫び。
祥子が燈の家を訪れてそれを歌に変えてくれたことから全てが始まった衝動の書き殴り。ゆっくりと顔を上げて真央の目を見て嘘を探す。そこにあったのはあの日、ノートの詩をみて心の底から誉めてくれた祥子と同じものが宿っていると直感に近いものだったけれど信じて見たいとそう思わせてくれる優しい暖かさがあった。
「あの詩は燈しか書けない、だからきっと燈も歌わなきゃ駄目なんだと思うから……ごめん、偉そうに言って」
「……でも私じゃ……」
それだけで納得なんてしきれない。
そんな簡単に今まで感じたズレが消えるはずもなく一歩踏み出すに至れない。
やってみたいとは思っている。変わりたいと願っているからここにいる。
だから祥子に誘われてバンドをやろうと決心した。けれどいざステージの上で多くの人の目に晒されてる事を想像してこれまでの事を考えるとまた怖くなって足がすくむ。
真央は手を差し出した。
「出来ないことはこれから出来るようにしよう。僕もまだ練習しなきゃいけないことが多いけど……だから一緒に出来るようになろう」
「…出来る、かな…」
「…出来る、だから皆んなと一緒に頑張ろ」
慣れていないのだろう、首をすくめながら笑って見せた。燈はゆっくりとその手を掴んだ、不器用に弱々しく彼女なりに期待に応えようと前に進もうとする証。
暖かい、その手の熱を燈は忘れずに覚えている。
また別の日。
その日は学校から出た宿題の手伝いを睦にお願いしてもらっていた日。夕焼け空が映える時間、ひと段落して頼んでいたココアを飲み込む。
「ありがとね睦、手伝ってくれて」
「……別にこれくらい」
睦もお茶を飲み込んでグラスをテーブルに置いた。
祥子以外とこうして誰かと一緒の時間を共有する事になるなんて、そしてそれがここまで心地いいなんて思わなかった。だから疑問が出てくる。
彼は同じように思ってくれているのだろうか?
そもそも今日も何故自分なんだろうと。別段勉強は苦手じゃないしこのくらいなら苦にはならないし構わない。
真央のことも嫌いじゃない、むしろ誘ってくれて頼ってくれて少し嬉しいと感じる自分もいる。けれどそれが芸能人と女優の娘として見られているなら……。
彼にまでその目で見られるのは…嫌だ。
「……なんで私を誘ったの?」
「嫌だった?……」
「そうじゃないけど……」
本心は言えない。
上手く言葉にできる自信がない。失言になってしまいそうで言葉に詰まる、だからいつも本心を閉まってて偽りを演じて自分を守る。
だから友達の名前を出して誤魔化した。
「そよに祥、立希だっているのに」
ココアを飲んでから一呼吸置いて真央は答えた。
特に悩む様子を見せずあっけらかんと。
「これと言ってさ、理由なんてないけど」
「そう」
それを聴いて睦は安堵を覚えた。
若葉睦として見てくれている、バンドの皆んなと同じように。そんな気がして……。
だから気になる。自分が祥子と一緒に巻き込んだ事が迷惑じゃないだろうか?ずっとそれが気掛かりでけど今まで聞くのが怖かった。けどそのままにしておくのも嫌で今日は少しだけ勇気を出して聞いてみる。
「真央は迷惑じゃなかった?」
恐る恐る。
探るように問いかける。
聞いておいて自分で後悔している。
もし、迷惑だと思われていたら……。嫌われたくないと。不安を殺したいと安心させて欲しいと願うように顔を向けた。
「どうしたのさ突然」
「私が巻き込んだから」
2人の間に沈黙が流れて水の入ったコップの氷が音を鳴らしてその空気を強める。
周りにいるお客さんの喋る声。
ゆっくりと回転する天井のシーリングファン。
店員の足音。
それらの音だけが2人の耳に届く。
ゆっくりと真央は答えを返す。
優しい言葉と声だった。
「……迷惑だと思ってるならここにいないよ」
「……」
本当だろうかと晴れない不安が渦巻いている自分をよそに真央は言葉を続けていく。
「感謝してるんだ睦のお陰でまた自分に素直に慣れたから、ありがと睦」
そんな事ない。自分は何もしていない。
バンドをやることを選んだのは真央だ。自分はただあの時公園で必死になっていた彼の音を隣で聞きたくて、楽しそうに音を奏でる彼が羨ましくて。
だから幼馴染の祥子がバンドをやろうと言った時に彼のことが頭に浮かんで祥子に真央の音楽を聞かせてバンドに入れて欲しいと頼み込んだ。祥子は驚いて、睦がそこまで言う相手ならと何処か嬉しそうに快諾した。
実際に呼んで良かったと思っている。
迷惑だったかもと不安は消えてないけれど。
1人だけ男の子だったけど皆んなと上手くやっていて幼馴染の祥子も笑うことが増えて上手く顔に出せないけれど嬉しいとは思っている紛れもなく……でも。
「私、何もしてない……それに」
「……睦?」
自分のギターは皆んなと違って何もないように思えて素直に楽しいと思えなくて。皆んなみたいに感情が込められない、ここにいていいかわからない。
「なんでもない……真央」
「?何」
真央はどうなんだろう?
彼はいつも楽しそうだった。自分と同じであまり顔には出さないけれどギターもボーカルもやっている時はどちらも本当に楽しそうにしていて何処か一歩引いているけれど感情のこもった音を鳴らすそれを聞いていると余計に自己否定してしまう。
「真央は皆んなといてバンド楽しい?」
「そりゃ楽しいよ……睦は楽しくないの?」
図星を突かれたみたいでいつもの無表情が崩れそうになる。水の入ったグラスをギュッと握った。全く楽しいと思えていないわけじゃない、けれどどうしても皆んなと比較してしまって間近で聞くと余計に自分に自信が持てなくて誤魔化すように言葉を濁して伝えた。
「ッ!。……真央みたいには楽しめてない」
「僕みたいにって?」
「……ごめん私……」
余計なことを言ってしまった。
俯いてコップの中の水面を見る。
いつもと変わらない多くの人から綺麗だと言われてきた人形のような顔。
見飽きた無表情。
自分で嫌いになりそう。
「…睦はバンド、やめたい?」
それは違うと即座に否定する。
それだけは絶対にないと。
「違う、絶対」
「ならこれから楽しめるようになるよ」
その言葉が今はかえって辛い。
昔からそうだ。演じているだけで本心から何かを楽しいなんて思えたことがない。みんなが望む若葉睦を演じているだけ。ギターを弾いて変われると思った。
祥子と皆んなとならと、けれどその時間が今自分を苦しめている。
「私は……」
落ち着かせるよに言葉を続けていく真央。
飲み切ったココアのカップをテーブルに置く。
「……焦らないで行こう。ライブもまだなんだし」
そろそろ帰ろうと準備を始める真央。それに合わせるように睦も鞄を肩にかける。顔に影が差し込んだまま歩いていく。
「きっと見つかるよ」
まだ心からその言葉を信用できない。けれど彼と祥子、皆んなと一緒ならいつか……見つけて見たいと願った。
そうして店を出てすっかり日が落ちてしまった帰り道。
分かれ道で離れる前に睦は真央を呼び止める。
「真央」
「何」
なんだろうと振り返って睦に顔を向ける真央。
少し口ごもって言葉に詰まる睦を真央は焦らずに待った。夜風が睦の薄い緑色の髪を揺らす。
息を整え直して鞄の持ち手をギュッと握り直して短く一言感謝の言葉を告げる。
「今日ありがとう」
「……お礼言うの宿題手伝ってもらったこっちじゃない?ま、いっか…睦帰り気おつけてね」
そうして日は進んで多くの思い出を刻んでバンドの名前がCRYCHICに決まった。そしてライブの前日。
最後の調整を終えて祥子と2人だけの帰り道。
たわいのない雑談を重ねながらゆっくりと歩いていく。
車のライトが暗い街中を照らしながら過ぎ去る。
「いよいよ明日だね」
「ええ、いよいよですわね」
初めてのライブ。
最初は初対面で上手く纏まらない事が多かった。
皆んなで過ごすうちに少しづつ互いを理解していって音を重ねるたびに距離も縮まっていく。その日々が楽しくて今日まであっという間に感じる。
そして迎えた本番のライブ。皆んなで明日のために必死に練習してここまできた。
このメンバーでいいライブにしたい。全員が同じ気持ち。
「きっといいライブになる…いや絶対して見せるよ」
「きっとできると信じておりますわなんせ春日影は」
そこから先を真央が先取るように言葉にした。
「僕らの心の叫び…でしょ」
「ええ!きっと届く、燈が書いた歌詞もわたくし達の音も!お父様も来てくれますから絶対いいライブにして見せますわ」
父親、その言葉に体がぴくりと反応した。
全ての始まり、父の昔のバンド姿に憧れてのめり込むように練習して彼女達に出会った。
もし生きていたら自分も間違いなくライブに両親を呼んでいた、叶わなかったあの日の情景。
祥子にはそんな思いしてほしくないと、尚の事明日は成功させなければと拳を強く握った。
「…そうだね…なら絶対いいものにしなきゃ」
「真央?」
真央の変化した空気を察して心配するように顔を覗き込む祥子に大丈夫だと安心させるように慣れない笑顔を作って見せる。
そうして途中で歩きを止めて祥子に向き合うようにして一つの決心を告げる真央。
「なんでもないよ……祥子」
「僕らの思い出に残るものにしようこの先一生の」
その一言を聞いて胸に染み入るものを感じて心のそこから笑顔になる祥子を見て真央はこの笑顔が消えない事を切に願っていた。
そうして様々な思いが巡る中で行われたライブは大成功だった。
春日影が終わりお客さんからの歓声が心に響く。
数年ぶりに感じた感動に感情が溢れて涙になって流れそうになる。
涙を拭いながらステージ裏に戻っていく。
皆んなも同じだった。
「燈!真央!良かった…本当に最高だったよ!」
立希が泣きながら真央に近づいて燈に抱きつきながら片腕で真央の肩を叩く。
その様子に堪えたものが溢れそうになって強がって誤魔化した。立希はお前もだろうと肩をバンバンと強く叩いてくる。
「泣きすぎだよ立希も皆んなもッ……」
「お前だってッ泣いてんじゃん」
まだ出会ってそれほど長くないけれど多くの思い出を一緒に作ってかけがえのない時間になった熱が胸を焦がしてバンドをやってCRYCHICという居場所が出来て今日この日を迎えて。
きっと一生忘れない。
それほどに強く焼きついて離れない宝物。
「すごいよ、本当にすごいよCRYCHIC」
「言葉になりませんわ」
最初は昔の憧れに戻りたくて。
もう一度目指した世界に手を伸ばしたくて。
けど今は少し違う。
ここにいたい。
この居場所に皆んなとこの先も一緒に……。
そうなると思ってた。
疑う理由なんてなかった。
本当にそうなって欲しかったのに。
「CRYCHICを辞めさせていただきますわ」
雨粒が窓を叩く音だけが部屋に響いて世界が歪んでいく。聞き間違いだと思いたかった。
けれど彼女の一言をこの耳は正確に拾って脳へと情報を伝える、信じたくない。ありえないと彼女がそんな事を言った事実を魂が否定したいと叫ぶ。
けれど紛れもない事実。
初ライブの後祥子は姿を見せなくなった。
皆んな心配していた。
何があったのだろうと。
そんな中で雨が降る中スタジオでいつものように祥子以外のメンバーが集まって彼女を待つ中彼女は外で傘をさしていなかったのかびしょ濡れで部屋に現れた。
そうしてさっきの一言を発した。
理解できなくて理解したくなくて。
みんなの声が遠くなっていく。
まただ。
また壊れたと真央は崩れ落ちそうになる膝を必死に堪える。
そよが必死に話し合おうと呼びかけている。それを聞いてまだやり直せると壊れていないと何か言葉を発しようとした時に睦の一言で皆んな言葉を失って、真央も何も言えなくなった。
「私……バンド楽しいって思ったこと一度もない」
祥子が泣きながら雨の中を歩いていく。
あの後、どうすればいいか分からなくなって祥子が雨の中歩いていくのが見えてせめて傘を持って行こうとした時に彼女の泣きながら歩いていく姿と脱退を宣言した時の突き放す言動を思い出して、足が止まった。
そうして遠ざかる彼女の背中をただ見守ることしか出来ないまま雨の音が虚しく耳に響く。
それがCRYCHICの最後。
大切な宝物だったのに。
結局最後はいつも自分の手からすり抜ける。
いつも大切だと感じるものは消えて無くなる。
知っていたはずなのに。
理不尽は唐突にやってきて全て奪っていくことも。
あの日をずっと悪夢として夢に見る。
きっとこの悪夢は一生消えてくれないんだろう。
おまけ
主人公簡易プロフィール
名前:七宮真央(ななみやまお)
身長:163cm
誕生日:11月27日
特技:ギター、歌
好きな食べ物:辛いもの全般
宝物:母からプレゼントされたト音記号のアクセサリー