『ありふれた職業で世界最強 ―空間を越える黄金の精神―』 作:武藤 桜
ブルックスの宿屋
「…………」
「…………」
「…………」
ライセン峡谷からブルックスの町へ戻ったハジメたちは、宿屋の一室でぐったりとしていた。
全員ずぶ濡れ。髪から服まで水浸しで、せっかく攻略した大迷宮の達成感など吹き飛んでしまっている。
「……あのゴーレム」
ハジメが低い声で呟く。
「まだ根に持ってるの?」
ベッドに腰掛けたユエが尋ねた。
「当たり前だろ。あんな目に遭わされたんだぞ。しかも最後に『また来てね』だと? 誰が行くか」
「でも、重力魔法は手に入った」
「それはそうだが……」
ハジメは濡れた髪をタオルで拭きながら、ため息をついた。
シアはベッドの上で毛布にくるまっている。
「もう水に流されたくないです……」
「俺もだ」
「ハジメさん、今のは水だけに?」
「シア」
「はい、すみません」
そんなやり取りをしながら、ハジメたちはしばらく宿で休むことにした。
十分に疲れを癒やし、装備を整え直す。特にハジメは、ライセン大迷宮で手に入れた鉱石やアーティファクトを整理し、生成魔法で今後の旅に必要な道具を補充した。
数日後。
すっかりリフレッシュしたハジメは、次の目的地を確認していた。
「次はグリューエン大火山の大迷宮だな」
「その前にフューレンという都市へ向かうんだよね?」
「ああ。物資の補充もできるし、情報収集にも都合がいい」
ハジメは地図を広げる。
「ちょうど冒険者ギルドにフューレンまで向かう小隊の護衛依頼が出ている。これを利用しよう」
「依頼を受けるの?」
「移動するついでに報酬も貰える。悪くないだろ」
ユエとシアは頷いた。
こうしてハジメたちは冒険者ギルドで護衛依頼を受けることになった。
オットーの商談
護衛対象は、フューレンへ向かう商隊の小隊だった。
そのリーダーを務めるのは、オットーという男である。
「いやぁ、護衛を引き受けていただいて助かります。私はオットーと申します。どうぞよろしく」
「南雲ハジメだ。こっちはユエとシア」
「よろしくお願いします!」
シアが元気よく挨拶する。
オットーは二人の姿を見て、しばらく視線を向けていた。
そして、ハジメに近づくと声を潜める。
「ところで、南雲さん。少々ご相談があるのですが……」
「何だ?」
「その兎人族の女性、シアさんでしたか。彼女を私に譲っていただけませんか?」
ハジメの表情が変わった。
「……何だと?」
「もちろん、相応の金額はお支払いします。彼女ほどの容姿なら、買い手はいくらでも――」
「断る」
即答だった。
「え?」
「聞こえなかったか? 断ると言ったんだ」
ハジメはオットーを冷たく見据えた。
「シアは俺の仲間だ。売り物じゃねえ」
「しかし、商談として――」
「商談にもならねえよ。二度とその話をするな」
シアはハジメの背後で、驚いたように彼を見つめていた。
ユエも不機嫌そうにオットーを見ている。
オットーは困ったように笑い、話を切り上げた。
「……分かりました。失礼しました」
だが、ハジメの警戒は解けなかった。
「行くぞ、二人とも」
「うん」
「はい!」
雷竜
フューレンへ向かう道中。
一行は比較的順調に進んでいた。
ところが、街道の先から大量の魔物が現れた。
「魔物の群れだ!」
護衛の兵士が叫ぶ。
数は多く、商隊を取り囲むように迫ってきている。
「全員、戦闘態勢!」
オットーの指示で兵士たちが武器を構える。
ハジメは状況を確認し、ユエに視線を向けた。
「ユエ、試してみるか?」
「うん」
ユエは前へ出た。
ライセン大迷宮で手に入れた重力魔法。彼女はそれを自身の魔法と組み合わせ、新たな術式を構築していた。
「雷竜」
ユエが魔力を解き放つ。
次の瞬間、巨大な雷の竜が空中に姿を現した。
「なっ……!?」
兵士たちが驚愕する。
雷竜は咆哮するように轟音を響かせ、魔物の群れへ突進した。
重力魔法によって雷の進路と威力が制御され、逃げようとする魔物たちまで一気に巻き込んでいく。
閃光。
轟音。
そして、静寂。
魔物の大軍は一撃で全滅していた。
「……すげえな」
ハジメが感心したように言う。
「当然」
ユエは何事もなかったように戻ってきた。
シアは目を輝かせている。
「ユエさん、すごいです! あんなにたくさんの魔物を一度に!」
「重力魔法と雷魔法を組み合わせただけ」
「それができるのがすごいんですよ!」
一方、オットーや兵士たちは呆然としていた。
「い、今のは一体……」
「魔法だよ」
ハジメはあっさり答えた。
「……あれほどの魔法を、あの少女が?」
「何か問題でも?」
「い、いえ! とんでもない!」
オットーは慌てて首を振った。
その後、彼はハジメのところへやって来た。
「南雲さん。先ほどの件ですが、今後ともぜひ私どもと御贔屓にしていただけませんか?」
「シアの買取以外の話なら聞いてやる」
「もちろんです。もうあのような商談は持ち掛けません」
「なら許す。だが、今後俺の仲間に関して商談を持ち掛けるな。ユエもシアも、誰かに売り渡すつもりはない」
「承知しました」
ハジメはそれ以上追及せず、護衛を続けた。
フューレンの騒動
無事にフューレンへ到着したハジメたちは、まず町の様子を確認することにした。
フューレンは商業が盛んな大都市であり、多くの人々が行き交っている。
しかし、町の中でも亜人族への差別意識は根強かった。
「……ここもか」
ハジメが呟く。
「仕方ない。気にしない」
ユエは平然としているが、シアは周囲の視線に落ち着かない様子だった。
その時、太った男が護衛を引き連れて近づいてきた。
「おい、そこの女たち」
男はユエとシアを見比べ、下卑た笑みを浮かべる。
「そこの金髪の女と兎人族の女、俺に寄越せ」
ハジメは足を止めた。
「……何だって?」
「聞こえなかったのか? 俺はこの町の貴族だぞ。お前のような冒険者が逆らえる相手ではない。女二人を置いていけば、十分な褒美をくれてやる」
「断る」
「何?」
「二人とも俺の仲間だ。何度言わせる気だ?」
男の顔が赤くなる。
「貴様! 俺が誰だか分かっているのか!」
「知らねえし、知りたくもねえよ」
男の護衛が前へ出る。
「貴様、御主人様に向かって何という口を!」
護衛の男が剣に手を掛けた。
その瞬間、ユエとシアが動いた。
「邪魔」
ユエのスタンドが護衛の男へ一撃を放つ。
「うわっ!」
護衛は反応する間もなく吹き飛ばされた。
続けてシアもスタンドを発現させる。
「仲間を侮辱する人は、許しません!」
彼女の拳が護衛の身体を捉え、男は地面に転がった。
周囲の人々が騒然となる。
「な、何をする!」
貴族の男が後ずさる。
ハジメはゆっくりと近づいた。
「お前、さっき何て言った?」
「ひっ……!」
「俺の仲間を寄越せ、だったか?」
「わ、私は貴族だぞ! こんなことをしてただで済むと思うな!」
「そうかよ」
ハジメは一歩踏み込み、男の顔面に蹴りを叩き込んだ。
「ぐぶっ!」
男はその場で気絶し、地面に倒れた。
「……行くぞ」
「うん」
「はい!」
ハジメたちがその場を離れようとした時、騒ぎを聞きつけた冒険者ギルドの職員たちが駆けつけてきた。
「そこの方々! 少しお話を聞かせてください!」
ハジメは面倒そうに息を吐いた。
「……やっぱりこうなるか」
冒険者ギルドからの依頼
ギルドへ連れて行かれたハジメたちは、職員から事情を尋ねられた。
ハジメは貴族の男がユエとシアを要求し、護衛が襲いかかってきたため反撃したことを説明する。
職員は頭を抱えた。
「……なるほど。事情は分かりました。相手が相手ですので、こちらでも確認を取ります」
「好きにしろ」
職員はハジメたちの実力についても尋ねた。
ライセン大迷宮を攻略し、重力魔法を習得していること。魔物の大軍をユエ一人で撃退したこと。さらにシアも高い戦闘能力を持つこと。
ギルド側は、彼らが並の冒険者ではないと判断した。
そして、職員は一つの依頼を提示する。
「実は、数日前から行方不明になっている冒険者がいるのです。同行していた少年も一緒に行方が分からなくなっています」
「行方不明者の捜索か」
「はい。現在、詳しい状況を調べているところですが、通常の冒険者では難しい可能性があります。そこで、あなた方に依頼できないかと」
ハジメは依頼書に目を通した。
「……ウルの町か」
「ええ。まずはそちらへ向かっていただき、情報を集めていただければと思います」
ハジメは少し考えた後、条件を提示した。
「一つ条件がある」
「何でしょう?」
「今後、もし俺たちが国と敵対するようなことになった場合、ギルドには俺たちの後ろ盾になってもらいたい」
職員の表情が固まった。
「国と敵対……ですか?」
「そうだ。俺たちは今後、国の方針に従うつもりはない。場合によっては権力者と衝突することもある。その時、ギルドが俺たちを一方的に敵として扱わないことを約束してほしい」
職員はしばらく考え込んだ。
「……ギルドとしても、あなた方の実力と実績は無視できません。上層部と相談する必要はありますが、その条件を前向きに検討しましょう」
「なら、依頼を受ける」
ハジメは依頼書を受け取った。
「ウルの町へ向かうぞ」
ユエが頷く。
「分かった」
シアも元気よく返事をした。
「はい!」
こうしてハジメたちは、次の目的地であるウルの町へ向かうことになった。
グリューエン大火山の大迷宮へ挑む前に、まずは行方不明になった冒険者と少年を探す。
その先に待つものが何であろうと、ハジメたちの旅は止まらない。
「……さて、次はどんな面倒事が待ってるかね」
ハジメは肩をすくめ、町の出口へと歩き出した。
ユエとシアが、その後に続く。
三人の姿は、フューレンの喧騒の中へと消えていった。