『ありふれた職業で世界最強 ―空間を越える黄金の精神―』   作:武藤 桜

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第二話 奈落へ落ちる者――繰り返される悲劇

1.着実に成長する錬成師

オルクス大迷宮での訓練が始まってから、数日が経過していた。

 

迷宮内に響き渡る魔物の咆哮。剣戟の音。魔法が炸裂する轟音。

 

王国騎士団の指導の下、勇者である天之河光輝をはじめとしたクラスメイトたちは、異世界で生き残るための戦闘技術を磨いていた。

 

そして、その中でも異彩を放っていたのが、南雲ハジメだった。

 

「――そこだ」

 

ハジメの視線が、前方から飛びかかってきた魔物を捉える。

 

その瞬間、彼の傍らに人型のスタンドが出現した。

 

ハジメのスタンドが拳を振るう。魔物が反応するよりも早く、その身体が横方向へ弾き飛ばされた。

 

「よし、次!」

 

ハジメは倒れた魔物を確認すると、すぐさま次の敵へと向き直った。

 

「『空間交換』!」

 

彼の視界に収まる範囲内。最大一メートル四方の空間を切り取り、別の空間と入れ替える。

 

魔物が放った爪撃が、ハジメの身体を捉える直前に空を切った。

 

攻撃の軌道を見極め、交換によって位置をずらす。敵の体勢が崩れた瞬間、ハジメは踏み込んだ。

 

「おらぁっ!」

 

スタンドの拳が魔物の胴体を打ち抜く。

 

魔物が地面に叩きつけられ、動かなくなった。

 

「……ふう。こんなもんか」

 

ハジメは息を吐き、周囲を見回した。

 

スタンド能力を使いながらの戦闘にも、少しずつ慣れてきている。

 

杜王町での経験、イタリアでの死線、そして数々のスタンド使いとの戦い。それらを通じて培ってきた観察力と判断力は、この異世界でも十分に通用していた。

 

ただし、ハジメは自分の能力を万能だとは考えていない。

 

交換できる空間には限界がある。広範囲攻撃をすべて防げるわけでもなければ、視界の外から迫る攻撃に対応できるわけでもない。

 

だからこそ、彼は能力に頼り切らず、敵の動きと周囲の地形を注意深く観察していた。

 

「ハジメ君、すごいね!」

 

訓練を見ていた香織が駆け寄ってきた。

 

「スタンドを使うタイミングが、どんどん上手くなってる!」

 

「元々使っていた能力だからな。こっちの世界の魔物相手にも応用できるって分かってきた」

 

「それにしても、あの動きはすごいよ。相手の攻撃を避けるだけじゃなくて、次の攻撃まで考えて動いてるんだもの」

 

「まあ、杜王町でもイタリアでも、そうしなきゃ死ぬような場面が何度もあったからな」

 

ハジメは軽く肩をすくめた。

 

「それに、この世界じゃ魔物の攻撃力が洒落にならない。油断したら一発で終わりだ」

 

「……確かに、そうだね」

 

香織は真剣な表情で頷いた。

 

その会話を聞いていた雫も、感心したように口を開く。

 

「ハジメの能力は、使い方次第でかなり化けるわね。単純に攻撃を避けるだけじゃなく、敵の位置をずらしたり、味方の援護をしたりもできるんでしょう?」

 

「ああ。ただし、交換できるのは最大一メートル四方だ。巨大な魔物を丸ごと別の場所に飛ばしたり、広範囲の攻撃を全部無効化したりすることはできない」

 

「弱点を理解した上で使っている、ということね」

 

「そういうことだ」

 

ハジメは頷いた。

 

その様子を少し離れたところから見ていたメルドも、満足げに笑っていた。

 

「南雲は、やはり実戦向きだな。能力を過信せず、周囲をよく見ている」

 

「ありがとうございます、団長」

 

「その調子で経験を積めば、さらに強くなれるだろう」

 

「……まあ、死なない程度に頑張りますよ」

 

「ははは! その慎重さも大事だな!」

 

一方、少し離れた場所では、檜山大介が面白くなさそうにハジメを睨んでいた。

 

「……チッ」

 

彼はハジメが周囲から評価されていることが気に入らなかった。

 

異世界に召喚されてからというもの、ハジメは特別な職業を持たない錬成師でありながら、スタンドという不可思議な力を使い、着実に実力を伸ばしていた。

 

しかも、香織をはじめとしたクラスメイトたちからの信頼も厚い。

 

檜山にとって、それは面白くない現実だった。

 

「……何が錬成師だよ」

 

誰にも聞こえないよう、小さく吐き捨てる。

 

「調子に乗りやがって……」

 

その目には、嫉妬と憎悪が渦巻いていた。

 

そして、その感情が後に取り返しのつかない事態を引き起こすことになる。

 

2.勝手な行動

訓練は順調に進んでいた。

 

メルドの指示に従い、一行は慎重に迷宮を進んでいく。

 

ハジメは敵の配置や地形を確認し、必要に応じて仲間に警告を出していた。

 

「そこの床、踏むな。魔力の流れがおかしい」

 

「えっ?」

 

前を歩いていたクラスメイトが足を止める。

 

ハジメはしゃがみ込み、床の継ぎ目を観察した。

 

「……やっぱりな。罠だ。踏んだら何かが起きる仕掛けになってる」

 

「よく分かったな、南雲」

 

メルドが感心したように言った。

 

「いや、こういうのは何度も見てきたんで。罠ってのは、見落としたときに限って最悪のタイミングで発動するもんですから」

 

「なるほどな。よし、全員、南雲の指示に従って慎重に進め!」

 

「「「はい!」」」

 

一行はハジメの指示に従い、罠を避けて進んでいった。

 

……しかし。

 

「チッ、いちいち止まってんじゃねえよ」

 

檜山は苛立ちを隠そうともせず、列の後方で小さく呟いた。

 

彼にとって、ハジメが周囲から頼りにされている状況そのものが気に入らなかった。

 

自分だって、クラスメイトの一人なのだ。

 

それなのに、何をするにも南雲、南雲。

 

檜山の中で、歪んだ感情が膨れ上がっていく。

 

そして、彼は勝手な行動に出た。

 

「……こんなもん、さっさと通ればいいだろ」

 

誰にも相談せず、列から外れた檜山は、ハジメが警告していた場所とは別の床に足を踏み出した。

 

その瞬間だった。

 

――カチリ。

 

小さな音が響いた。

 

「……あ?」

 

檜山が足元を見下ろす。

 

次の瞬間。

 

「全員、伏せろ!!」

 

ハジメの叫びが迷宮に響き渡った。

 

床一面に魔法陣が走り、空間そのものが大きく歪む。

 

「なっ!? 何が起きた!?」

 

「転移魔法陣だと!?」

 

メルドが叫ぶ。

 

だが、発動した罠を止めるには遅すぎた。

 

光が一行を包み込み、視界が真っ白に染まる。

 

「うわあああああっ!!」

 

「きゃああああっ!!」

 

次の瞬間、全員の身体がその場から消失した。

 

3.第六十五階層――石橋の上の絶望

「ぐっ……!」

 

転移の衝撃に、ハジメは思わず膝をついた。

 

「……くそ、いきなり何だってんだ……!」

 

頭を振り、周囲を確認する。

 

そこは、先ほどまでいた迷宮の通路とはまったく違う場所だった。

 

薄暗い空間。遥か下方から吹き上げてくる冷たい風。

 

そして、足元には巨大な空洞を横切るように、細長い石橋が伸びていた。

 

「……石橋?」

 

ハジメは目を細めた。

 

左右を見れば、底の見えない奈落が広がっている。

 

橋の幅は決して広くない。複数人が並んで戦うには窮屈で、足場もところどころ傷んでいる。

 

「……ここ、どこだ?」

 

光輝が立ち上がり、周囲を見回した。

 

「全員、無事か!?」

 

「な、何とか……!」

 

「大丈夫です!」

 

クラスメイトたちが次々と返事をする。

 

メルドも素早く立ち上がり、周囲を警戒した。

 

「……転移罠か。ここまで強制的に飛ばされるとは……」

 

「団長、ここは何階層なんですか?」

 

誰かが尋ねる。

 

メルドは周囲の景色を確認し、表情を険しくした。

 

「……第六十五階層だ」

 

「「「ろ、六十五階層!?」」」

 

クラスメイトたちが一斉に声を上げた。

 

「待ってください! 俺たち、そんな深いところまで来る予定じゃ……!」

 

「分かっている。おそらく、何らかの転移罠に巻き込まれたんだ」

 

メルドが険しい表情で答えた。

 

「全員、慌てるな! まずは状況を確認して――」

 

そのときだった。

 

――ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!

 

石橋の向こう側から、地鳴りのような音が響いてきた。

 

「……何だ?」

 

ハジメが音の方向へ視線を向ける。

 

暗闇の奥で、巨大な影が動いていた。

 

岩のように巨大な身体。地面を踏みしめるたびに石橋が揺れ、空気が震える。

 

その姿を目にした瞬間、メルドの顔色が変わった。

 

「……ベヒモス……!」

 

「ベヒモス!?」

 

光輝が叫んだ。

 

ベヒモス。

 

オルクス大迷宮の深層に生息する、規格外の魔物。

 

その巨体から繰り出される一撃は、並の冒険者ならば防御することすらできない。

 

ましてや、まだ訓練中のクラスメイトたちが相手にできるような敵ではなかった。

 

「全員、戦闘態勢! だが、無理に倒そうとするな! あれはお前たちが相手にできる魔物ではない!」

 

メルドの指示が飛ぶ。

 

クラスメイトたちが武器を構え、魔法を発動する準備を整える。

 

しかし、ベヒモスは彼らを待ってはくれなかった。

 

「グオオオオオオオオオオッ!!」

 

咆哮とともに、巨体が石橋を踏み砕く勢いで突進してきた。

 

「うわあああああっ!!」

 

「逃げろおおおおっ!!」

 

パニックに陥るクラスメイトたち。

 

狭い石橋。左右は奈落。逃げ場は限られている。

 

その中で、ハジメは瞬時に判断した。

 

「――みんな、下がれ!!」

 

叫びながら、彼は前へ出た。

 

「ハジメ!?」

 

香織が目を見開く。

 

「何をする気だ!?」

 

光輝も叫んだ。

 

「こいつを止める!」

 

ハジメは短く答えた。

 

「このまま全員で逃げたら、誰かが足を踏み外す! ここは狭すぎるんだ!」

 

「でも、あんな魔物を一人でなんて――!」

 

「一人で倒すなんて言ってねえよ!」

 

ハジメは振り返らずに叫んだ。

 

「俺が時間を稼ぐ! その間に、みんなは橋の端まで下がれ! 勇者パーティはクラスメイトたちの援護に回れ! 魔法で牽制して、こいつの注意を引きつけろ!」

 

「……分かった!」

 

光輝は一瞬だけ迷ったものの、すぐに頷いた。

 

「全員、南雲の指示に従え! 魔法を使える者は援護を! 負傷者が出たら、すぐに後方へ下げるんだ!」

 

「待って、ハジメ君!」

 

香織が叫ぶ。

 

「無茶しないで!」

 

「分かってる!」

 

ハジメは一度だけ振り返り、口元を吊り上げた。

 

「俺を誰だと思ってるんだ?」

 

その言葉を最後に、ハジメはベヒモスへと向き直った。

 

4.空間操作、巨獣を抑え込む

「来いよ、デカブツ……!」

 

ハジメの背後にスタンドが出現する。

 

ベヒモスの巨体が、目の前へ迫っていた。

 

その巨体が石橋を踏み抜く勢いで突進してくる。

 

普通ならば、正面から受け止めることなど不可能だ。

 

だが、ハジメは退かなかった。

 

「――そこだッ!」

 

ベヒモスが前脚を振り下ろした瞬間、ハジメは空間を交換した。

 

攻撃の軌道がわずかにずれ、巨獣の一撃が石橋の側面を砕く。

 

破片が奈落へと落ちていく。

 

「……っ、やっぱり一発一発が重すぎる!」

 

ハジメは歯を食いしばった。

 

一メートル四方の空間交換で、ベヒモスの巨体そのものをどうにかすることはできない。

 

攻撃を完全に消し去ることもできない。

 

だから、攻撃の軌道をずらし、体勢を崩し、わずかな隙を作る。

 

その隙を使って、ハジメはベヒモスの動きを制限しようとした。

 

「おらああああっ!!」

 

スタンドの拳がベヒモスの顔面に叩き込まれる。

 

巨獣の頭部がわずかに揺れた。

 

「グオオオオオッ!!」

 

ベヒモスが怒りの咆哮を上げる。

 

「効いてねえってほどじゃないが……!」

 

ハジメは素早く後退し、次の攻撃に備えた。

 

「正面から殴り合うには、デカすぎるな……!」

 

それでも、ハジメはベヒモスの注意を引きつけ続けた。

 

巨獣の攻撃がクラスメイトたちへ向かえば、彼らはひとたまりもない。

 

だからこそ、ハジメは自分が前に立ち続ける必要があった。

 

「ハジメ君……!」

 

後方から香織が叫ぶ。

 

彼女は治癒魔法を準備しながら、戦況を見つめていた。

 

「私たちも援護しなきゃ!」

 

「分かってる!」

 

光輝が剣を構えた。

 

「魔法を使える者は一斉に牽制しろ! 南雲の負担を減らすんだ!」

 

「「「はい!」」」

 

クラスメイトたちが魔法を放つ準備に入る。

 

火炎弾、風刃、土の槍。

 

さまざまな魔法がベヒモスへ向けられた。

 

しかし、その瞬間。

 

「――待て!」

 

ハジメが叫んだ。

 

ベヒモスの巨体が、彼の方へ大きく傾いていた。

 

ハジメは空間交換を連続して使い、巨獣の突進を誘導していた。

 

ほんのわずかな位置のずれが、生死を分ける。

 

今、クラスメイトたちが放った魔法が、ベヒモスの動きを乱せば――。

 

「そいつの攻撃を止めるな! 今は俺が――!」

 

言い終える前だった。

 

光輝たちが放った魔法が、一斉にベヒモスへと殺到する。

 

だが、狙いは正確ではなかった。

 

ベヒモスの巨体が動いたことで、魔法の軌道がずれたのだ。

 

そして、そのうちの一つが――。

 

ハジメの背中を直撃した。

 

5.土煙の向こうに見えた顔

「――――ッ!?」

 

爆音が響いた。

 

炎と衝撃がハジメの身体を包み込む。

 

「ハジメ君!?」

 

香織の悲鳴が響いた。

 

「南雲!?」

 

光輝が叫ぶ。

 

魔法の爆発によって石橋の一部が砕け、周囲に大量の土煙が舞い上がった。

 

視界が遮られる。

 

誰も、ハジメの姿を確認できなかった。

 

「うそ……」

 

香織の顔から血の気が引いた。

 

「今の、ハジメ君に当たったの……?」

 

「そ、そんな……!」

 

光輝は呆然としていた。

 

「俺たちは、ベヒモスを牽制するつもりで……!」

 

「落ち着け、光輝!」

 

メルドが叫ぶ。

 

「今は状況を確認するんだ! 南雲が無事かどうか、確かめろ!」

 

「ハジメ君! 返事して!」

 

香織が必死に叫んだ。

 

「ハジメ君!!」

 

その声は、土煙の向こうへと消えていく。

 

そして――。

 

土煙の中。

 

ハジメは、膝をついていた。

 

「……っ、くそ……!」

 

全身に激痛が走る。

 

スタンドで攻撃を防ごうとしたものの、完全には間に合わなかった。

 

身体が痺れ、呼吸が乱れる。

 

「……何だよ、今の……」

 

ハジメは歯を食いしばり、顔を上げた。

 

土煙の向こうに、人影が見えた。

 

一瞬、誰なのか分からなかった。

 

だが、その表情を見た瞬間。

 

ハジメの脳裏に、杜王町で見た光景がよみがえった。

 

友達を殺した男。

 

他人の命を踏みにじりながら、平然と自分の欲望を満たしていた殺人鬼。

 

吉良吉影。

 

あの男を思い出させるような、薄ら寒い表情。

 

誰かが、こちらを見ていた。

 

その顔には、心配も、後悔も、罪悪感もなかった。

 

ただ、相手が傷つく様子を見ているような――。

 

そんな、ぞっとするほど冷たいものが浮かんでいた。

 

「…………」

 

ハジメの目が見開かれる。

 

「……お前……」

 

声が出なかった。

 

頭の中で、さまざまな可能性が駆け巡る。

 

本当に、ただの事故だったのか。

 

狙いが外れただけなのか。

 

それとも――。

 

「……まさか……」

 

土煙が、ゆっくりと流れていく。

 

だが、その顔は、もう見えなかった。

 

「……クソッ!」

 

ハジメは立ち上がろうとした。

 

しかし、その瞬間。

 

「グオオオオオオオオオオッ!!」

 

ベヒモスが再び咆哮を上げた。

 

魔法の牽制を受けた巨獣は、怒り狂ったように暴れ始めていた。

 

その巨体が、石橋を激しく踏みつける。

 

「――まずい!」

 

ハジメが叫んだ。

 

「全員、橋から離れろ!!」

 

だが、もう遅かった。

 

6.崩壊する石橋

――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!

 

石橋全体が大きく揺れた。

 

ベヒモスの巨体が暴れるたびに、石材が砕け、亀裂が走っていく。

 

「きゃあああああっ!!」

 

「うわあああああっ!!」

 

クラスメイトたちが悲鳴を上げた。

 

「全員、走れ! 崩れるぞ!!」

 

メルドが叫ぶ。

 

光輝は香織たちを誘導しようとした。

 

「こっちだ! 早く!」

 

「ハジメ君は!?」

 

香織が振り返る。

 

土煙の向こうに、ハジメの姿があった。

 

彼はまだ、ベヒモスの注意を引きつけようとしていた。

 

「ハジメ君!!」

 

香織が叫ぶ。

 

「早く逃げて!!」

 

ハジメは彼女の声を聞いた。

 

だが、ベヒモスの巨体が再び石橋を叩きつける。

 

その衝撃で、足元の石材が崩れた。

 

「――ッ!」

 

ハジメは空間交換を使おうとした。

 

しかし、身体が思うように動かない。

 

先ほどの魔法によるダメージが、想像以上に大きかったのだ。

 

「……くそっ、動け……!」

 

スタンドを呼び出し、何とか体勢を立て直そうとする。

 

だが、石橋はすでに限界だった。

 

大きな亀裂が、ハジメの足元から走っていく。

 

「ハジメ!!」

 

光輝が叫んだ。

 

その瞬間――。

 

――バキィィィィィン!!

 

石橋が崩壊した。

 

足場が消えた。

 

ハジメの身体が、宙へと投げ出される。

 

「――――ッ!?」

 

一瞬、時間が止まったように感じられた。

 

視界の中で、崩れ落ちる石橋の破片がゆっくりと回転していく。

 

遥か上方では、香織がこちらへ手を伸ばしていた。

 

「ハジメ君――――!!」

 

その声が、遠ざかっていく。

 

光輝が叫ぶ。

 

雫が顔を強張らせる。

 

メルドが手を伸ばす。

 

だが、誰の手も届かない。

 

ハジメは、奈落へと落ちていった。

 

「……くそ……!」

 

彼は歯を食いしばった。

 

スタンドを発現させ、空間交換で何とかできないかと考える。

 

だが、視界に入るのは、崩れ落ちる石材と、暗闇に包まれた奈落の壁だけだった。

 

交換できるのは、最大一メートル四方の空間。

 

この落下を止めるには、あまりにも条件が悪い。

 

「……こんなところで……!」

 

ハジメは必死に手を伸ばした。

 

だが、指先が掴むものは何もなかった。

 

上方の光が、どんどん小さくなっていく。

 

「……香織……」

 

声は、風に呑まれた。

 

「……ユエ……」

 

まだ出会っていない仲間の名前が、ふと脳裏をよぎる。

 

そして、最後に思い浮かんだのは――。

 

杜王町で笑っていた、友人たちの姿だった。

 

仗助先輩。

 

康一先輩。

 

億泰先輩。

 

そして、矢安宮重清。

 

「……また、かよ……」

 

ハジメの唇が震えた。

 

「……また、誰かを守れなかったのか……」

 

その言葉を最後に、彼の身体は暗闇の中へと消えていった。

 

7.残された者たち

「ハジメ君……?」

 

香織は、崩壊した石橋の縁に立ち尽くしていた。

 

目の前に広がるのは、底の見えない奈落。

 

そこへ、ハジメは落ちていった。

 

「……嘘……」

 

声が震える。

 

「……嘘だよね……?」

 

誰も答えられなかった。

 

「ハジメ君……! 返事してよ……!」

 

香織は叫んだ。

 

「ねえ……! いつもみたいに、冗談だって言ってよ……!」

 

だが、返事はない。

 

雫は唇を噛み締め、拳を握り締めていた。

 

光輝は、呆然と奈落を見つめている。

 

「……俺たちが……」

 

その声は、かすれていた。

 

「……俺たちの魔法が……南雲に……」

 

「光輝……」

 

誰かが声をかけた。

 

だが、光輝は自分の言葉を止められなかった。

 

「俺たちは、ベヒモスを牽制するつもりだった……! あいつを助けるために……!」

 

「分かっている!」

 

メルドが強く言った。

 

「今は、自分を責めるな! まずは生き残った者を守るんだ!」

 

「でも……!」

 

「南雲が何のために前に出たのか、忘れるな!」

 

メルドの声が、迷宮に響いた。

 

「奴は、お前たちを守るために戦っていたんだ! ならば、お前たちがここで全滅することこそ、奴の望まない結果だろう!」

 

その言葉に、光輝は唇を噛んだ。

 

香織は、まだ奈落を見つめていた。

 

「……ハジメ君……」

 

その目から、涙がこぼれ落ちた。

 

「……お願い……生きていて……」

 

彼女は祈るように呟いた。

 

だが、その祈りに答える声はなかった。

 

その一方で――。

 

檜山大介は、誰にも見られないように顔を伏せていた。

 

その表情に浮かんでいたものは、悲しみでも、恐怖でもなかった。

 

「…………」

 

彼は、ほんの一瞬だけ奈落を見下ろした。

 

そして、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。

 

「……これで……」

 

その先の言葉は、誰にも聞こえなかった。

 

だが、彼の目には、先ほど土煙の中で見えたものと同じ、冷たい色が宿っていた。

 

――まるで、杜王町で出会ったあの殺人鬼を思わせるような。

 

一方、奈落の底では。

 

ハジメの意識が、ゆっくりと闇に沈んでいこうとしていた。

 

その身体は、傷つき、血にまみれ、動かなくなりつつあった。

 

それでも、彼のスタンドは、まだ消えていなかった。

 

かすかに伸ばされた拳が、暗闇の中で震える。

 

ハジメは、まだ生きていた。

 

だが、この先に待つのは、彼がこれまで経験してきたどの戦いよりも過酷な日々だった。

 

そして、奈落の底での出会いが、彼の運命を大きく変えることになる。

 

――南雲ハジメの、もう一つの物語が始まろうとしていた

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