『ありふれた職業で世界最強 ―空間を越える黄金の精神―』 作:武藤 桜
「……ん」
意識が浮かび上がる。
ハジメが最初に感じたのは、全身を覆う鈍い痛みだった。焼け焦げた肌が引きつり、呼吸するたびに胸の奥が軋む。だが、ヒュドラとの戦いで感じていた死の淵のような苦痛は、幾分か遠のいていた。
「ハジメ!」
耳元で聞こえた声に、ハジメはゆっくりと目を開けた。
視界の先には、黄金の瞳を心配そうに覗き込むユエがいた。
「……ユエ」
「よかった。目を覚ました」
彼女は安堵したように息を吐き、ハジメの額に手を当てる。
「神水で傷を治した。けど、まだ無理は駄目」
「……ああ。助かった」
ハジメは身体を起こそうとしたが、ユエに肩を押さえられた。
「駄目」
「いや、もう大丈夫だって」
「駄目」
有無を言わせぬ声だった。ハジメは苦笑し、素直に横になった。
やがて、二人はヒュドラのいた広間の奥にある巨大な門を調べた。門の向こうには、迷宮の最深部とは思えないほど広大な空間が広がっていた。
そこにあったのは――巨大な邸宅だった。
「……迷宮の中に屋敷、ね」
ハジメは義手のない左腕を庇いながら、壁や床に刻まれた紋様を観察する。
「誰かがここで暮らしていたのか?」
「そうみたい。魔力の痕跡が残ってる」
ユエが頷く。
二人は邸宅の中を慎重に調べていった。家具や書物、魔法陣の刻まれた壁。長い年月を経ているはずなのに、部屋の多くは不思議なほど整然としていた。
そして、一際広い部屋に足を踏み入れた時――
「……これは」
中央に置かれた椅子。その上に、白骨死体が静かに座っていた。
まるで、誰かの訪れを待ち続けていたかのように。
ハジメは銃を構え、ユエも魔力を集める。
だが、敵意や魔物の気配はない。
白骨死体の前に刻まれた魔法陣が、二人の接近に反応して淡く輝いた。
「魔法が起動する……!」
ユエが警戒する。
次の瞬間、部屋全体が光に包まれた。
白骨死体の姿が揺らぎ、そこに一人の青年が映し出される。長い髪に眼鏡、穏やかな表情を浮かべた青年だった。
『やあ。ここまで辿り着いたということは、君たちは試練を乗り越えたのだね』
映像の青年は、少しだけ微笑んだ。
『僕の名は、オスカー・オルクス。この迷宮を作った者の一人だ』
ハジメは目を細める。
「迷宮の創設者……」
『まず、何故僕がこの迷宮を作ったのか。それを話そう』
青年――オスカーは、静かに語り始めた。
『大昔、僕たちはこの世界を支配する神の思惑を知った。神は人々を導いているのではない。人々の運命を弄び、自らの娯楽と都合のために世界を動かしていたんだ』
ハジメの表情が険しくなる。
『僕たちは、その支配を終わらせるために集まった。種族も、生まれも、育った場所も違う。けれど、神の支配を終わらせたいという志だけは同じだった』
『僕たちは世界を渡り歩き、仲間を集めた。やがて人々は、僕たちを「解放者」と呼ぶようになった』
オスカーの表情に、かすかな苦みが浮かぶ。
『けれど、神は僕たちを見逃さなかった。神託を利用し、僕たちを世界に害をなす反逆者として仕立て上げたんだ。本来守るべき人々が、神の言葉を信じて僕たちに刃を向けた』
映像の青年は、目を伏せた。
『仲間たちは次々と殺された。信じていた人々に、何も知らない人々に……。僕たちが救おうとしていた世界そのものに』
ユエの表情が冷たくなる。
ハジメは拳を握りしめた。
『何とか生き延びた僕たち、解放者の中心人物は、世界各地へ散ることにした。そして、それぞれが迷宮を作った』
『迷宮は、ただ人を殺すための場所じゃない。神の真実を知り、それでも神に抗う意志を持つ者を見つけるための試練だ。試練を乗り越えた者に、僕たちの知識と力を託すために』
オスカーは、部屋の奥に刻まれた魔法陣を示す。
『僕たちは、神に匹敵する魔法――神代魔法を迷宮に残した。神の支配を終わらせるための力だ』
ハジメは映像を見据えた。
「……つまり、神を倒すための力を、後世に託したってことか」
『そうだ』
オスカーは頷く。
『そして、君に伝えておきたいことがある』
青年の視線が、まっすぐハジメへ向けられた。
『僕も、君と同じスタンド使いだった』
「……!」
ハジメの目が見開かれる。
『他の迷宮を作った仲間の中にも、スタンド使いがいた。僕たちはスタンド能力を使い、神を倒しうる神代魔法や、それを用いたアーティファクトを作り上げた』
オスカーは穏やかに続けた。
『君がどのような力を持ち、どのような道を歩んできたのか、僕には分からない。けれど、ここまで来た君なら、きっと自分の意志で選べるはずだ』
映像が少しずつ薄れていく。
『君のこれからが、自由な意志の元にある様に願う』
最後の言葉を残し、オスカーの姿は消えた。
部屋に静寂が戻る。
直後、床に刻まれた魔法陣が一斉に輝いた。
「ハジメ、魔力が……!」
ユエが身構える。
だが、光は二人を包み込むだけだった。
頭の中へ、膨大な知識が流れ込む。魔法の構造、術式、生成の理論。そして、物質を生み出すための神代魔法――生成魔法。
ハジメは目を閉じ、流れ込む知識を受け止めた。
やがて光が収まる。
「……これが、神代魔法か」
ハジメは掌を見つめた。
「オスカー……あんたの意志、確かに受け取った」
その声には、静かな怒りが宿っていた。
杜王町で出会った吉良吉影。イタリアで対峙したディアボロ。自分の欲望や保身のために他者を踏みにじり、命を弄んだ者たち。
神の行いは、彼らと何が違うというのか。
人々の運命を勝手に決め、苦しみを与え、都合の悪い者を消し去る。
「……ふざけんなよ」
ハジメは低く呟いた。
「人の人生を勝手に弄んで、挙げ句の果てに自分に逆らう奴を反逆者扱いか。そんなゲスな真似をしてる奴が神だと?」
彼の拳が震える。
「俺は、そんな奴を認めねえ。神だろうが何だろうが、必ずぶっ倒してやる」
ユエはハジメの横に立ち、彼の手を握った。
「私も同じ。神の思惑なんて気に入らない」
黄金の瞳が、強い意志を宿す。
「ハジメと一緒に戦う。今度は、私も守られるだけじゃない」
ハジメは彼女を見つめ、静かに頷いた。
「ああ。一緒にやろうぜ」
二人は、オスカーの邸宅にしばらく滞在することにした。
地上へ戻った後、何が待ち受けているか分からない。神の支配に抗うというのなら、備えはいくらあっても足りなかった。
生成魔法を使い、ハジメは失った左腕の代わりとなる義手を作り上げた。金属と魔力を組み合わせたそれは、指先まで精密に動き、スタンド能力の操作にも支障がないよう設計されていた。
続いて、失った右目を補う義眼を作る。視界を補助する機能に加え、魔力や周囲の動きを感知する術式も組み込んだ。
「……よし。これなら十分使える」
ハジメは義手を握り、開き、動作を確かめる。
ユエは興味深そうに覗き込んだ。
「器用ね」
「生成魔法のおかげだ。これがなきゃ、もっと苦労してた」
その後も、二人は邸宅に残された資料や設備を調べながら、地上での旅に必要なものを整えていった。
ハジメは生成魔法でバイクや車を作り、移動手段を確保する。旅に必要な服や道具、食料を保存するための器具、武器の整備用品も用意した。
そして、空いた時間はスタンド能力の訓練に費やした。
瞬間移動は、空間を入れ替える能力の応用。理屈は理解できても、実際に自分自身を移動させるとなれば話は別だった。
初めのうちは、移動先との距離感が掴めず、着地に失敗して壁にぶつかることもあった。視界の端へ移動しようとして、身体の一部だけがずれかける危険な失敗もあった。
「……っ、くそ!」
ハジメは膝をつき、息を整える。
ユエがすぐに近寄った。
「大丈夫?」
「ああ。今のは距離の設定を間違えた」
「無理はしないで」
「分かってる。けど、使いこなせなきゃ意味がねえ」
ハジメは再び立ち上がった。
何度も試し、失敗し、感覚を修正する。
空間を捉える。移動先を定める。身体全体を一つの空間として認識し、そこへ滑り込ませる。
やがて、ハジメは瞬間移動を自在に制御できるようになった。
短距離なら連続して移動できる。攻撃を避けるだけでなく、相手の死角へ回り込むことも可能になった。空間交換と組み合わせれば、戦術の幅はさらに広がる。
「……これで、ようやく実戦で使えるな」
ハジメは息を吐き、ユエへ振り向いた。
「待たせたな」
「ううん。私も準備できてる」
ユエは旅装を整え、ハジメの隣に立った。
二人は邸宅の門の前に並ぶ。
長い奈落での戦いは終わった。だが、地上へ戻れば、そこから新たな戦いが始まる。
ハジメはユエを見た。
「ユエ。これから先、何があっても互いに守り合おう」
「うん。ハジメも、私を守って」
「当然だ」
「私もハジメを守る」
二人は手を取り合った。
そして、ハジメは地上へ繋がる転移魔法の術式に魔力を注ぎ込む。
魔法陣が輝き、足元から光が立ち上る。
奈落で出会い、共に生き延びた二人。
その先に待つ世界へ向けて――
ハジメとユエは、地上への転移を開始した。
地上への光が二人を包み込み、奈落の底に残された邸宅は、再び静寂に沈んでいった。