<兵士side>
敵の死体に目をやる。
泥のように纏わりつく、黒い深淵の残滓。
それに目を瞑れば、異形の奥に埋もれる、確かな肉の存在を感じられた。
連日の戦闘で刃こぼれした剣を投げ捨て、近場に落ちていた小型ナイフを拾う。
少々血脂が目立つが、贅沢など言ってられない。
想定よりも皮が硬い。
だからこそ、期待が膨らむというもの。
ぷつりと切れ込みから溢れ出した、どす黒い血液が地面を汚す。
取り出した肉塊は血生臭く、腐敗も進んでいる気配がした。
火を通せば何でも食えるという持論から、あまり気にせず調理を進める。
鼻腔と鼓膜をくすぐる肉の焼ける音と滴る肉汁。
見た目はほぼ炭同然の悍ましさだが、私の理性が訴えかけてくる。
これは美味い、と。
ナイフを当て、ゆっくりと引いていく。
プツッと外側の焦げた殻を破れば、鮮やかな赤みの残った断面。
燦々と輝く脂が、沸々と肉の表面を彩っている。
香辛料など便利な物は無い。
ただ、焼いただけ。
周囲に細心の注意を払い、それを口に運んだ。
独特な臭みはあるものの、歯応え抜群。
脂が少ない分、多少パサつきはあるが、確かな旨みが舌を刺激する。
噛む度に、解れた繊維と共に濃厚な肉汁が口内を満たした。
外側のカリッとした感触との対比で、次の一口が恋しくなる。
不要のエネルギーが胃に蓄積される無意味な行為だが、幸福感がそれを否定した。
さて次はローストか、はたまた煮込みか。
「そこで何をしている」
戦場で食事に夢中になってはいけない。
背後の存在が、いっそ敵であれば良かったものを。
最低限の証拠を素早く懐に隠し、用意していた台本を脳内で再生する。
「……供養を、しておりました」
胸に手を当て、少々気まずそうな顔を貼り付けた。
さりげなく身体を捻り、相手の視線が奥の穴へ向くように誘導する。
「彼等を、本陣へ運ぶ訳にはいきませんので」
視線を伏せ、自身の行いへの理解は得られない自覚を持っているように。
ついでに死体を慈しむように撫でた。
実際は蒸し焼き用の穴だが、こういった言い訳にも使える。
「敵を侮っている…訳では無いようだな」
随分私の顔も売れたものだ。
戦場でも、比較的目立つ活躍はしていた。
先日、大きめの空飛ぶ蜥蜴を討伐してからは神々の騎士からの覚えも早い。
死体を回収し、媚を売っていた甲斐がある。
まあ、仮にこの件を告げ口されたとしても支障はない。
私の戦い方が少々猟奇的なせいか、他の兵からの印象は酷く悪い。
隊に属しても、遠巻きにされ怯えられるか。
はたまた、妙に持ち上げられ、英雄の立ち回りを求められるか。
つまり、告げ口程度で揺らぐほど柔な悪評ではないのだ。
一方、幸か不幸か。
こうして単独行動していても、誰かに咎められる事は無かった。
見物客がいる為、形だけの埋葬を終え、見様見真似の供養をする。
一通りの作業を終え、焚火を消して振り返った。
何も干渉されなかったことから、ひとまずは赦しをもらえたと解釈したが。
そこに佇むのは、神々の騎士らしく、戦場では見慣れない白銀の鎧。
先程までの戦闘の激しさと、その強さを象徴する返り血。
堅実な性格を表すように、油断なく携えられた長剣と盾。
やはり、私よりも随分と体格が良い。
2メートルは優に超えている。
戦闘と食材調達が楽になりそうだと思った。
同時に、隠れて食事が取りにくそうだとも思った。
しかし。
胸元に、見慣れない階級章が一つ。
最悪の予想が脳裏を過ぎる。
いやいや。
こんな前線に、まさかそんな。
「……次はない。さっさと戻れ」
深く追求されるよりも前に、私は頭を下げてその場を離れた。
意思よりも先に動く肉体に、随分と戦場に毒された事を自覚する。
「これは…どうするべきか」
懐に隠した、歪な形の肉塊。
中途半端に終わった食事をいつ再開するか。
私の思考は、次なる戦火よりも、次の飢えへの満たし方へと既に切り替わっていた。
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<騎士side>
妙な人間の兵士がいる。
戦況報告に付随して、そんな情報が耳に入った。
曰く、その勇姿は英雄の如く。
曰く、残虐非道で無慈悲な狂人。
曰く、あれは、人ではない。
だが、深淵の脅威に比べれば些細なこと。
捨て駒同然の人間風情が、ただ一人何を為せようか。
そう侮っていた。
「…あの兵士が、龍を討っただと?」
部下の顔色からも困惑が伺える。
たかが人間が?
孤立した状態で?
尽きぬ疑問と裏腹に、眼前に差し出された証拠の品々が、その事実を無情に証明していた。
龍の単独撃破となれば、それ相応の褒美が与えられて然るべきものだが。
対象は人間。
それも、神々の喉元に届き得るほど強靭な。
手放すには惜しい。
しかし、警戒すべき強大な力。
もしも、逆らう意志を見せたならば。
その魂は、我らが王に献上する他あるまい。
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拍子抜けも良い所であった。
背後の気配に気付かず、無防備に背中を晒す愚かさ。
手にするのは、刃こぼれの酷い剣と心許ない小刀。
あろうことか、浅ましくも敵の亡骸に手を合わせ、祈りを捧げている。
化けの皮が剥がしてやろうと声をかければ、敵意などまるで感じず。
植物と相対しているような、奇妙な感覚。
所詮は、無力な人間か。
欲深く、偉大なる王の力に溺れる卑しい存在。
きっと卑怯にも見苦しい演技で身を蓋し、内にある醜い本性を隠しているに違いない。
いずれ、ボロが出るはずだ。
人間が、この凄惨な戦場で、高潔な魂を保ち続けられるはずがないのだから。
ーーだが。
その後、あの兵に関して得られた情報は、私の予測を少しずつ狂わせていく。
一つは、隊での孤立。
脅威的な戦闘力と猟奇的な残虐性が災いし、まともな連携が取れていないようだ。
それでも戦線が成り立っていたのは、ひとえにその兵士の活躍あってのものだろう。
次に、神々への忠誠心。
他の兵へ、如何に神々が偉大であるかを平然と説いて回っているらしい。
その狂信的なまでの姿勢も、同胞から孤立する要因の一つと言えた。
事実、戦場では神々の騎士を庇って自らが負傷したとの報告すら上がっている。
そして。
「あの兵士が回収した、我が騎士団の戦死者と遺品のリストです」
人間と違い、私たち神々の騎士には不死の加護など授けられていない。
あの奇跡は、力なき人間を戦力として消費し、飼い慣らすためのものだからだ。
一度きりの命。
それでも、限りある魂を削り、騎士達は戦場に立った。
神々の勝利を手にするために。
そんな誇り高き魂をもつ、我が同胞たちの遺品。
手渡された書面の見慣れた名に、少しだけ視線が止まった。
あの混沌とした戦場で、これほど数を、一人で回収したというのか。
その苦労は、一体どれほどのものか。
ふと、あの泥濡れの最前線で、件の兵士が口にした言葉を思い出した。
敵の亡骸にさえも死後の安寧を願うような。
そんな高潔な魂を持っていれば、あるいは。
「……もういい。ご苦労だった」
部下を下がらせる。
まだ決断するのは早いと己に言い聞かせながら、胸の奥でどうしようもない期待が渦巻いた。
人間にも、我ら騎士に劣らぬ、誇り高き魂を持つ者が居るのかと。
丁寧に汚れを拭き取られた戦友の遺品から、私は、何故だかどうしても目が離せなかった。
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あの兵士であった。
噂に違わぬ突飛した力で、敵陣を大きく荒らし回っている。
度重なる戦闘で武器が破損する度に、その場で新たな武器を拾って対応しているようだ。
その器用さと類稀な戦闘能力は、目を見張るものがある。
痛々しくも美しい勇姿。
されど、酷く狂気的であった。
ぼたぼたと痛々しく滴る自身の血飛沫に、その兵士はぴくりとも反応を見せない。
そればかりか傷の手当てもまともにせず、折れた剣先で臓物を抉り出す有様で。
噂の理由を納得すると同時に、私は微かな同情を覚えた。
隣に立つ私の部下が、小さな悲鳴を呑み込むのが見える。
これでは、孤立するのは当然か。
その時、戦況が急変した。
深淵の猛攻により、前線の騎士と人間の兵が分断される。
突如として周囲の兵を失った一人の騎士が、みるみる内に追い詰められていく。
「周囲の兵は左翼を固めろ!射手は援護射撃!」
すぐ指示を出す。
だが、この位置からでは後方支援が限界だ。
私が向かうか?
いや、距離がありすぎる、間に合わない。
敵の、次の決定的な攻撃が来る。
堪らず送った視線の、その先。
あの兵士が、爆炎の渦へと飛び出した。
絶体絶命の騎士を、その身で庇うように。
文字通りの、肉壁であった。
骨まで溶かす深淵の炎の中で、その兵士は立ち続け。
そして、あっけなく灰と化した。
「……ぁ、」
私の口から漏れた声は、あまりにも小さく、戦火に掻き消された。
炎が止む。
その上を、後方から進撃してきた兵達が無情に踏み荒らしていく。
庇われた騎士は、鼓舞するように声を上げた。
白く舞った灰に赤血が混じる。
兵を守れなかった鎧が歪んでいく。
高潔な魂が、濁って、汚く、踏み躙られる。
戦場とは得てしてそういうものだ。
理解している。
勝利のために仲間を見殺しにすることもあった。
死体の上を躊躇なく踏み進むこともあった。
ならば、何故。
私は、これほどまでに心を乱している?