<兵士side>
深淵との戦いを制し、神々は世界の主導権を握った。
人類は欲深い。
力を得れば、神々への心酔はやがて別の形へと変貌していく。
いずれ来たる反撃のため、生き残った人類は国を興し、互いに結束する必要があった。
広大で豊かな土地。
王の娘という高貴な血。
戦場で大きな戦果をあげた強き者たちへの褒美は、人類の反骨心と野心を巧みに煽った。
彼らは神々の罠に気付かず、その餌へと一斉に食らいついた。
いずれ味わう、檻の中での悪夢を知らずに。
しかし。
そんな強者たちの中でも、一際目立った動きをした兵がいた。
四肢の欠損をものともせず、敵の魂を奪い尽くし。
嗚咽するほどの血飛沫と臓物を浴びながら、瞬き一つせず。
ただ勝利のみを求める、貪欲で残酷なまでの合理性。
その狂気的な戦い方は、同胞からの激しい拒絶と、神々からの圧倒的な信頼を生んだ。
神々は、その者を英雄と呼んだ。
死して尚失われない高潔な魂を讃え、神々の王は直々に、これまでにない破格の褒美を約束したのだった。
神々の王に謁見するという、本来あり得ざる最高の名誉を前にして、その兵は静かに答えた。
「広大なる領地も、唸る金銀も、神々の血脈を継ぐ婚姻の誉も」
「私には恐れ多き、至高の奇跡」
「我が武功の報いに許されるのであれば…」
「偉大なる王の御剣として、その栄光の片隅に侍る」
「それこそが、我が魂の至上の本懐にございます」
神々の王は、その兵士を大層気に入り、神々の都で仕える命を与えたのだった。
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私の生活は劇的に変わった。
たかが人間に与えるには、些か広過ぎる一室。
隠れて極上の食事を愉しむにはもってこいの死角の多さ。
神々の騎士と同様の上質な装備。
これなら、多少の無茶な戦闘で壊れる心配もない。
神々から向けられる好ましい視線。
愛想を振り撒く可愛らしい飼い犬と同程度まで昇格した。
何より素晴らしいのは、多少の我儘なら通る立場になったお陰で、料理の幅が劇的に広がったことだ。
具沢山の温かいスープに、焼き立ての柔らかいパン。
香辛料を贅沢に使った肉料理に、添えられた色鮮やかな瑞々しい野菜。
最後は甘味で優雅に口直し。
それを、一日三食。
調達の手間は増えたが、その程度の苦労は寧ろ食欲を増進させる最高のスパイスだ。
加えて、深淵の残党を討伐するため、外の戦場に赴く機会もある。
ーーつまり、新たな食材調達のための口実を、わざわざ作る必要もない。
何もかもが、かつて想像していた以上の理想の生活。
夜食の用意にまで思考を巡らせる程に、私の日々は充実していた。
しかし。
ただ一つだけ、理想とは言い難い煩わしいものがあった。
「ここでの生活には慣れたか?」
「えぇ、おかげさまで」
あれだけ都中を連れ回されれば、嫌でも慣れる。
そう呟きそうになった口を、笑顔の仮面で閉じた。
戦場でもあれだけ質問攻めにしてきた騎士だ。
行動範囲が完全に重なるこの状況で、その頻度が増すのは想像に容易かった。
だが、それにしてもあまりに多過ぎる。
その反面、こちらが少々雑な返答をしても向こうは勝手に喜ぶため、最近の演技が手抜き気味なのは致し方ない。
「…近々、城下町で大規模な祭りがある」
「はあ。さようでございますか」
「守護騎士を称える名目でな。旅の曲芸師や即興劇、それに…御前試合も開催されるそうだ」
「はあ」
「此度の御前試合では、私ではなくカシアン殿が…いや、それよりもだ」
「はあ」
「……それで、だな。その…いや、無理強いするつもりは毛頭ない。断ってくれてもーー」
「あの、騎士様。断るも何も、肝心の本題を伺わないことにはお答えのしようがございません」
あまりの煮え切らない言葉の羅列に、堪らず待ったをかける。
誘うならさっさと誘ってくれ。
断りにくい空気を作るのはやめてほしい。
仕込みの時間が減る。
「…そうだな、すまない。実は、お前を祭りに誘おうと思ったのだ。だが、やはり迷惑だったな」
「え?ああ、いえ…」
「いや、いいんだ。気をつかわせて悪かったな」
案外、話のわかる奴じゃないか。
望んでいた通りの断りやすい言葉を相手から引き出せた。
ここで重ねるべきは、身分の違いを利用した定番の断り文句だ。
「ただ、今回の祭りのために、酒を用意したと聞いてな。加護を得る前の人間が飲んでいたという…」
話が変わった。
至急、予定変更だ。
「酒、ですか?」
私が明らかな興味を示したことで、会話は一気に進展していく。
諦めかけて沈んでいた騎士の声色が、目に見えて明るく跳ね上がった。
「嗚呼、ローレンの地を与えられた人間達からの品らしい」
その回答に、私は内心で深く納得する。
太古の昔、人類は神々への貢物として酒を納めていたらしい。
既に過去の記憶は薄れている為、不確かな情報ではあるが。
先の戦争で武功を挙げた人間の英雄たちが、神々から与えられた栄えある地で興した、友好の証とやらを示すための品なのだろう。
お互いに、面倒な腹の探り合いをしている最中なのだ。
だが、ローレンの地か。
あそこは土壌に鉄分が多く、育つ果実の酸味が強く出る。
もし貢がれたのが果実酒であれば、あの地独特の酸が熟成を経て、極上のキレを生み出しているに違いない。
私がこれまで手探りで自作してきた、あの酒に似た渋いだけのただ汁とは格が違うのだ!
それに、加護を得る前の人間が用いていた古代の製法。
ーーつまり、純粋な酵母の醗酵技術による、不純物のない本物の酒。
飲みたい。
あの肉の脂を洗い流すのに、これ以上ない逸品のはずだ。
私の脳内にある料理手帖を、猛烈な速度で捲る。
今仕込んでいる干し肉、あれを薄く削いで、そのローレンの酒と合わせたらどうなる?
考えるだけで、私の胃袋が歓喜に震えるような錯覚を覚えた。
「騎士様」
先程までのお断りムードをミリ単位で消去し。
今度は驚きと仄かな憧憬を微笑に含める。
「…それは、大変興味深いお話です。人間が神を仰ぎ、その信仰心から醸したという失われた味。戦場に明け暮れる私のような者には、少し眩しいモノに思えますが」
「そ、そうか!興味があるか!」
神々の騎士ともあろう者が、人間の反応一つでこうも一喜一憂するとは。
おめでたいというか、利用しやすいというか。
「それならば話は早い。その酒は、祭りの夜、大聖堂の特別席で振る舞われることになっていてな。私の同伴であれば、人間の身であるお前も堂々と席に並べ、いくらでも堪能出来る」
大聖堂か。
あまり目立つ位置に顔を晒すのは避けたかったが、背に腹は変えられない。
「……ですが、私のような無骨な者が、高貴な方々の隣に並んでは…」
身分の違いという便利な盾を使い回し、一歩引いて相手を立てる健気さを演出しておく。
こうして一歩退ってみせれば、この実直な騎士ならばーー。
「そう卑下するな。皆、お前を認めている。だから……その、共に来てはくれないか」
熱い眼差しが私を射抜く。
あまりに見つめられるものだから、誤魔化すように笑みを返した。
「ーー騎士様が、そこまで仰ってくださるのなら。喜んでお供いたします」
その返答に、騎士はまたしても言葉を失うほど喜んだ。
大聖堂の警備の配置を思い出しながら、どうやって酒樽を丸ごと盗み出そうかと作戦を組み立て始めていたその時。
「それと」
騎士は言葉を区切り、重々しく告げた。
「…その呼び方も不要だ。別に、名で呼んでも不敬にはならん」
これまた、いつの日か戦場で浴びた無言の圧力。
恐ろしい事に、この騎士は私がその固有名詞を口にするまで、ここから一歩も動かない構えのようだ。
それにしても、妙な勘違いをされている。
何故そこまで、私に名を呼ばせることに固執するのか。
原因を探ろうと、記憶の泥を辿っていけば、過去の戦場での出来事が脳裏に過ぎった。
確か、この騎士を背中で庇い、私が派手に出血死した後だったか。
蘇生後に神妙な面持ちで叱責された後、同じように「名で呼べ」と迫られたのだ。
だが、あの時は蘇生直後のせいか、記憶の一部が綺麗に吹っ飛んでいて。
よりにもよって、肝心の名前が思い出せないという危機に瀕していたのだった。
あの時は、「私のような末端の兵士が、高貴な神々の騎士の名を気安く呼ぶなど不敬にあたります」と頑なに拒み、なんとかその場を煙に巻いたのだが。
今回、同じ言い訳は通じない。
現在の私は武功を認められ、都においては表向きこの騎士とほぼ同等の座を与えられている。
人間の身である以上、血統の壁や偏見こそ残っているものの、階級としては互角。
そんな立場で「不敬だから」などと腑抜けた言い訳をすれば、却って侮辱と捉えられ、信頼を損ねかねない。
そう考え、名前を呼ぼうとした。
………あれ、蘇生後ではないはずだが。
一旦落ち着こう。
確かに私自身が名を呼ぶ機会は無かったが、他の神々が偶に呼んでいたではないか。
ほら、あー、少し長めの。
いや喉まで出てるんだ、別に言い訳ではなく。
ーー嗚呼、認めよう。
私はあろう事か、この騎士の名を二度忘れたのだ。
なんて情けない。
失敗を繰り返すなど、恥を知れ。
「……?」
まずい…!
自身を責め立てている場合ではない。
目の前の騎士が、不審がってソワソワし始めたではないか。
いっそ適当に呼んでみるか?
いや、万が一間違っていた時にどんな目に遭うか。
思い出せ、私の脳…!
確か、アから始まる、アル…、アルリエル?
いや、なんか違うな。
アルトリア?アルレ、うーん…アルフォンス。
駄目だ、どれもしっくりこない。
アルア、アルイ、アルウ、アルカ…。
「アル…様」
「……は」
「あ、っい、いえ!い、今のはお忘れに…っ!」
血の気が引く、とはまさにこのことか。
痛覚を失ったはずの全身の細胞が、一瞬で総毛立つのが分かった。
ゲシュタルト崩壊を起こし、焦燥の限界を迎えた私の口から出たのは最悪の妥協案。
不敬罪で即座に首をはねられても文句は言えない。
私は慌てて地べたに膝を突き、深々と頭を垂れた。
床を見つめる視界の裏で、脳細胞が焼き切れんばかりの速度で言い訳を探す。
どうする。
どうやって今の失言を撤回する。
「申し訳ございません、騎士様…っ!未だ私の不甲斐ない器がこの過分な地位に追いついておらず…!畏れ多さと緊張のあまり、あろうことかそのような、不遜な言葉が口を突いて…! 誓って他意はございません!」
余裕など微塵もない。
必死だった。
ここでこの騎士の不興を買い、地位を剥奪されでもしたらすべてが終わる。
私の静かな聖域が根底から崩壊してしまうのだ。
それだけは、何としてでも阻止しなければならない。
額から冷や汗が滲むのを感じながら、私はただ、必死に嵐が過ぎ去るのを待った。
しかし。
返ってきたのは、身のすくむような沈黙。
やはり駄目か。
私の言葉を信じていない。
頼むから処刑するにしても、あのローレンの酒を一口飲むまで待ってくれ。
そんな私の脳内の悲痛な請願をよそに、目の前の騎士は――。
「……アル、様」
胸元に手を当て、私の犯した最悪の失言を、まるで聖書の黄金律でも唱えるかのように、うっとりと反芻していた。
「お前は、私のことを、心の中ではそのように呼んでいたのか……?」
一つ、兵士自身も自覚していない致命的な誤算があった。
蘇生の代償として、とうの昔に情愛や情欲といった衝動は塵一つ残さず消滅している。
それ自体は把握していても、それによって他者から向けられる情念を認識する感受性の欠陥までは、予期していなかったのだ。
そのため、目の前の騎士が浮かべている眼差しの、あまりに熱い意味を読み取れずにいた。
「は?」
よって、飛び出すのは純粋な困惑。
これが、決定的なまでのすれ違いを生じる引き金となった。
兵士はズレた思考のまま必死に算盤を弾く。
まさか、私が分不相応な恋をしてるとでも勘違いされたのか?
それはまずい。
都の連中に関係を邪推されればどうなる。
神々の間に妙な噂が立てば、私の立場は「神々の騎士に擦り寄った卑しい人間」に格下げされ、私の自由に重大な支障をきたす。
何より、この騎士の輝かしい名誉に傷がつく。
この騎士が失脚すれば、私の最大の後ろ盾が失われてしまうのだ。
「 私はただ、騎士様の御名……アルベリヒ様、というあまりに崇高な響きを前に、己の分不相応な立場への恐怖が重なり、舌がもつれただけにございます! 重ねて申し上げますが、誓って、神々に誓って他意はございません!」
アルベリヒ…!
そうだ、アルベリヒだ!
クソ、ようやく思い出せた!
脳内で正解のピースが噛み合った安堵と怒りを、私はそのまま釈明の熱量へと変換し、喉が張り裂けんばかりに捲し立てた。
「他意はない、だと…?」
騎士は、熱い色彩を帯びた瞳をわずかに細めた。
「ならばなぜ、そこまで必死に否定する? お前が私をどう思おうと、怒りなどせんというのに」
「私のような者が、高潔な守護騎士の御名を、内々で崩して呼んでいるなどと他の神々や兵に知られれば、騎士様の威信に泥を塗ることになります! それだけは、我が身が引き裂かれようとも耐え難い不忠にございます!」
必死に、必死に泥縄の言い訳を並べ立て、これでもかと床に額を擦りつける。
「……どこまでも、私のことを考えてくれているのだな」
「はい?」
「自分の立場ではなく、私の名誉のために、そこまで必死に……。お前のその無欲で、あまりにも健気な忠義に、私はどう報いればいいのだ」
騎士は、私の手をそっと両手で包み込んだ。
その大きな手のひらは、感動のあまり小刻みに震えているようだった。
「良い。他者に聞かせる必要はない。だが、二人の時は、そのように呼べ。…いや、呼んでくれないか」
駄目だ、この騎士、話が通じない。
妙な勘違いをされたまま、特大の善意と同情で庇われる最悪の事態。
しかし、これ以上頑なに拒絶して機嫌を損ねるわけにはいかない。
ここで足掻くのは、逆にドツボにハマるだけだ。
私は抵抗を諦め、理性の天秤を元に戻した。
「……御心のままに、アル様」
私は、消え入りそうな、しかし主の命に逆らえず、恐縮しながらも受け入れた部下の声を、完璧な発声技術で絞り出した。
「やはり、その響きが良い」
満足げに私の肩に手を置く。
その体温を、私の冷え切った肉体は何も感じない。
ただ。
自分の選択が、決定的な破滅の引き金を引いてしまったことだけは確信していた。