<兵士side>
戦死した神々の騎士が眠る、都の厳かな墓所。
日課の墓参りをこなしながら、ここ数日間のろくでもない戦いを思い返し、小さく息を吐いた。
勿論原因は、不本意ながら我が伴侶となった例の騎士ーーアルベリヒである。
婚約という体で、正式な契約そのものは先延ばしにしたものの、実態はあまり変わらず。
私の元へ訪れる回数が増えたのは想定内。
調理スペースを圧迫するまでの贈り物は想定外。
恋に恋する乙女ではないのだから限度を知れと、頭の中で怒鳴りつける。
不相応だと断れば、遠慮していると別の品が贈られる。
感謝や喜びを伝えた日には、私の部屋は倉庫と化すだろう。
私は学んだ。
贈り物よりもあなたとの時間が欲しいと告げれば、ピタリと止まった。
ついでに、アルベリヒの予定も把握できたため、一石二鳥である。
それから、もう一つ。
突然、アルベリヒが距離をとり始めたことがあった。
まさか、不貞を疑われたのか。
あるいは、新しい伴侶の候補でも出来たのか。
私の食生活を脅かす不穏な影に、思わず背筋を凍らせた。
そもそも、人間を伴侶にするような奇特な趣味の持ち主だ。
愛人として、そこらの獣を紹介されても、さして驚きはしない。
寧ろ、神を連れてこられた時の方が恐ろしい。
まあ、結果として愛を疑われていた訳だが。
私は学んだ。
他の神々との接触が、アルベリヒを刺激する事は想定していた。
だから、アルベリヒと似たような視線を向ける変人は避けていたし、閉鎖空間で二人きりにならぬように、必ず第三者がいる場所を選んだ。
その上、会話の大半も、業務内容か間接的な惚気話である。
勘違いされたであろう会話も、アルベリヒへの贈り物の相談だったはずだ。
これほどまでに徹底して、ベタ惚れの伴侶を演じていたのだ。
今ここで私が弁明せずとも、周囲からいくらでも証拠が上がるだろう。
だから、不貞の疑惑自体は、さして心配していなかった。
本当に面倒だったのは、その先。
お前に相応しくないのは私の方だと、自己嫌悪に陥るアルベリヒへの対応である。
事情を聞き、そんな胸の内を明かされた私は、呆れに呆れた。
勝手に疑い、勝手に落ち込み。
あまつさえ、暫く距離を置こうなどと提案してきたのだ。
今でも人間という立場が気に入らず、私を引き摺り下ろそうと躍起になる者がいる。
この状況で、そんな隙を与えるような行動は出来ない。
まずは、いつもの慈愛に満ちた言動。
……効果なし。
ならばと、渾身の泣き落とし。
……逆効果、二度と使わん。
最後の手段。
口付けを落とし、愛の言葉を囁いた。
……効果あり。
次回から、どうしようもない時は用いる。
ふと、戦場で犬に懐かれた時のことを思い出した。
邪魔だと持ち上げれば、顔中舐め尽くされた。
味も良かったし、今度墓に供える花を見繕うついでに、また探してみるか。
新たな予定に少しだけ気分を良くし、私は昼食の用意に向かった。
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<騎士side>
初めて見る表情であった。
頬を染め、柔らかく細められた瞳。
小さく肩を揺らして、愉快そうに笑った。
「おぉ、アルベリヒ殿ではないか」
あの日見た、あの笑みを向けた相手。
「あまり、口を出すつもりは無かったが……少々、手綱が短いのではないか?」
それが、下世話で不愉快な口ぶりで貶め始めた。
「あれほど美しく可愛らしい人間だ。…つい、勘違いしてしまいそうでなぁ」
裏に潜む卑しく穢らわしい侮蔑と下心。
あの者の魂につけ込む下衆め。
「…お言葉ですが、リュート殿。あの者は、確かに愛らしいですが、それに劣らぬ強き魂の持ち主です。愛想はあっても、誰彼構わず尻尾を振る節操の無さは持ち合わせておりませんよ」
不躾な言葉で私を惑わす下劣な輩よりも、私はあの者を信じている。
最も醜く穢れる戦場で、誇り高く魂を保ち続けた。
恩義に報いる為に、自身の想いを押し殺せる強き者。
一時の情欲に溺れ、他者との誓いを破る人間ではない。
愚図の戯言を一刀両断し、私は背を向ける。
不貞など、始めから疑ってはいなかった。
あの者を貶める為の罠だと確信していた。
ただ、一つだけ。
私を心底不安にさせるのはーー
この愛が、私の独りよがりである可能性だ。
人間という身を負い目に感じ、不本意な婚姻を結んだのでは?
神からの求婚を断りきれず、応えたフリをしているのでは?
もし、あの者に人間の想い人がいたら。
もし、人間達との暮らしに未練があるなら。
いつか、そんな者が現れたら。
私の存在が、あの者を苦しめているのだとしたら。
私は、手放す選択をとれるだろうか。
…あの者の言葉を、愛を疑うなんて、馬鹿な事を考えるのはやめだ。
ありもしない妄想に囚われ、自尊心を満たすためだけの愛を求めて。
穢れた自身の魂を軽蔑し、隠そうとしてしまった。
そんな私の愚かな行動は、あの者の不信感を募らせる結果を生む。
口にするのが恐ろしかった。
釣り合わない醜い魂を見せたく無かった。
あの者の望む伴侶であり続けたかった。
だが、それ以上に偽りたくなかった。
「お前の、…愛を、疑ってしまった」
ぽつりと、弱い己を晒し出す。
選んだ言葉が悪かったのだろう。
あの者は、そんな私に不貞疑惑への弁明を始めた。
必死に言葉を紡ぎ、勘違いさせた己が悪いと泥を被る。
痛々しいまでの涙を流し、ただひたすらに。
自身を貶めないでくれ。
私を許さないでくれ。
「お前を泣かせてしまうなんて。……私は、伴侶失格だな」
今だけは、その優しさに苦しんだ。
「不貞を疑ったわけではないんだ。…すまない、辛い思いをさせてしまった」
ぽかんと、少し戸惑いの色を見せた。
座り込む身体を起こし、ゆっくりと事情を説明する。
「お前に非は一切ない。ただ、私の弱さ故だ」
並んで座ったソファと触れる左手の感触。
「いつも、私から求めてばかりであったと、…そう、思ってな」
握りしめる勇気が出ず、そっと膝に戻す。
「お前の優しさに甘え、自惚れ、あまつさえ今以上の愛を欲するなど…、不甲斐ない」
こうして隣に居てくれる幸せに満足できない傲慢さ。
約束を待たずして全てを欲してしまう強欲さ。
名実ともに自身のモノに出来ないことへの焦り。
自身以外へ向ける言葉や愛への嫉妬。
そのどれもが、恥ずべき醜い感情で。
「やはり、お前の魂は、どこまでも美しいな」
だが、どうか。
頬を濡らす涙だけは拭わせてくれ。
伸ばした手を受け入れるように。
伏せた瞳で、私に預けられた身体。
その愛らしさに、自惚れと罪悪感が全身を蝕む。
「それに比べて私は…、なんて醜い魂だ」
私が心の中で侮辱し、軽蔑した輩と何が違う?
そばにいては、この者の魂を穢してしまう。
そばにいては、この者を縛りつけてしまう。
「だからこそ、お前が愛おしくて仕方がない」
分かっているのに。
私は、私は。
「……手放したくない、ずっとそばに居て欲しい」
ここで突き放してくれれば、どんなに楽か。
ここで私を許さずにいてくれれば、どんなに救われるか。
嗚呼、私は卑怯者だ。
苦しむと分かっていても、手放せない。
私以外の幸せなど、求めて欲しくない。
ずっとそばで、私の愛だけを受け入れて欲しい。
「……だが、もしも、私がお前の枷になっているのなら」
ここで諦めることができれば。
「それは、あまりにも耐え難い」
お前は幸せになれるのだろうか。
「…だから、……その時は、この婚約を、……いや、この言葉は卑怯だな」
断ってくれ、なんて。
そんな甘い事を考えてしまうから。
「……なんと言えば良いか。私はただ、お前に幸せになって欲しいんだ」
そうだ。
どんな形であれ、幸せだというのなら。
そこに私が居なくても。
……綺麗事にもほどがあるな。
そんな事、認められないだろう?
檻に閉じ込め、飼い殺すだろう?
一方的で独善的で、暴力的なまでの愛を押し付けるだろう?
それこそ、私の独りよがりだとしても。
結局、相手に決断を委ね、自身を守ろうとしている。
納得出来る理由を欲している。
この者からの拒絶を受け入れられるように。
手放す決断を下せるように。
「…悪い、困らせてしまったな、……忘れてくれ」
もう一度やり直そう。
そんな気持ちには蓋をして。
どこまでも誠実であろう。
この者に、愛されるに相応しい魂であるために。
「…アル様。少しだけ、屈んでいただけますか」
沈黙を貫いていた状況が一変。
どこか呆れた顔で、されど熱を帯びた瞳で、そう言った。
情けなくなった私は、疑問に思う暇もなく。
身体を屈めて、ぱちりと、視線が交わって。
「ふふ、案外、可愛らしいお方だったのですね」
くらりと脳が揺れる。
触れた唇に残る熱が、じんわりと思考を焼いていく。
口付け。
それも相手から。
事実に置き去りにされた感情が今になって激動する。
羞恥と興奮、幸福に困惑。
焦りと喜び、その他諸々。
言葉にならず、無意味な開閉を繰り返す役立たずの口。
次を紡ぐよりも、現状を呑み込む事に精一杯であった。
「不甲斐ないのは私の方です。…言い訳を並べて、逃げてきたのですから」
密着した身体。
共鳴する鼓動。
回された腕の感触。
「愛してます。…二度と、手放さないで」
耳元で囁かれる愛の言葉は、私の心を満たして。
「…その、はしたない真似をお許し……いえ、違いますね」
嗚呼。
「お覚悟を」
私が手放す余裕など、始めから無かったのか。
「これで良いですか?殿下」
「嗚呼、ご苦労だった」
「…まったく。それほど気にかけているのでしたら、“ご友人”として接すれば…」
「五月蝿いぞ、リュート。わざわざ、惚気を聞きたい阿呆がいるか」
「分かっているのでしたら、私をダシにするのはおやめくださいね」
「嗚呼、次も頼むぞ」
「殿下ッ!!」
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<兵士side>
数日後。
そんな出来事の裏で、遂に人類は神へ反旗を翻す。
広大な土地で蓄えた資源と、強き人間の魂。
勝機はあった。
ーーが、時すでに遅し。
王の娘は、自らの魂を捧げた。
その地に、飢え続けるだけの永遠の檻を齎すために。
人間は、あの日の飢えを思い出した。
檻の中で、ただ神々を呪い、踠き、苦しんだ。
神々の王は、死による解放すら許さなかった。
飢えて、死んで、蘇生し。
また飢えて、死んで、蘇生する。
いつかの私が恐れた、終わりのない悪夢そのものであった。
私は、安堵した。
檻の外にいた己の幸運に。
神の奴隷であれた己の幸福に。
それでも神々に抗った、一部の愚かな人間。
かつての同胞の亡骸が山のように積み重なる。
戦いでは無かった。
あれは、ただの虐殺に等しい。
食材を漁る暇さえ与えられず、血の海を歩き続けた。
いつの間にか、隣にはアルベリヒがいた。
かける言葉を選べないのか、選ばないのか。
寄り添うように、ただそこにいた。
大方、同胞を手にかけた己へ同情しているのだろう。
どうせ、全てを忘れて蘇るというのに。
無駄に律儀な奴だと内心で悪態をつく。
私が落ち込んでいるのは、あの酒が美味かったからだ。
あれほどの味が二度と飲めないというのは、なんとも惜しい。
それ以上でも、それ以下でもない。
私は、ずっと、飢えに怯えているだけなのだから。
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<騎士side>
痣のある兵士。
不死者には珍しいその特徴は、どこか見覚えがあった。
脳裏に掠めた記憶の端で、一つの答えに辿り着く。
あの者の隊に居た兵士だ。
孤立し始めたあの者に対し、その自己犠牲的な行動を嗜めていた数少ない人間。
それを、あの者はただ茫然と眺めていた。
同胞を討たせてしまった。
深淵を手にかけるのとは訳が違う。
あの者が背負うであろう罪の重さに、私は胸を痛めた。
神々へ刃向かった報いを、この者に下させる必要は無かった。
私が王に掛け合うべきだった。
無意味な後悔が募るばかりで、かける言葉の一つも見つからない。
それどころか。
あの者が向ける視線の意味を考えてしまう。
やはり、人間に未練があったのではないか。
まさか、かつての想い人ではないか。
もしも、それが事実があったとするならば。
(……嗚呼、殺しておいて良かった。)
こんな醜い嫉妬心など、知りたくなかった。
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<兵士side>
あれから数百年。
神々の時代は、まさに全盛期を迎えていた。
檻に囚われ、飢え続ける人間の魂を貪ることで、神々はさらなる躍進を遂げる。
土地の大部分を神々が支配し、深淵と人間は世界の片隅の僅かな土地に追いやられた。
私の仕事は変わらない。
都を守り、残党を狩る。
深淵を狩り尽くすその時まで、きっと私は同じ事を重ねていくのだろう。
ーーしかし、何事にも、飽きはくるもので。
美しく上品だが、変わり映えのしない料理ではなく。
泥臭く、独特で、思わず口にするのを躊躇う、一言では美味いとは言い切れないような。
そんな刺激的な料理を、私の魂が求めていた。
だからこそ、都を覆い尽くす炎と、神々の引き裂かれるような悲鳴が、なんとも心地良かった。
檻の外で、あるべき誇りを取り戻した人間達の逆襲。
愚かにも慢心した神々の王は、死に物狂いで私を探すだろう。
私ほど上質な魂があれば、この戦況を覆すほどの力を生み出せる。
だから、逃げてしまおう。
荷物も持たず、身一つで。
従順な奴隷の演技も忘れて、駆け出してしまおう。
アルベリヒは、王の長子を逃すため、都を捨てる決断をした。
私は、忠義を果たす建前を守るため、都に残る決断をした。
しかし、あの騎士も大概に強情だった。
手を取れと言わんばかりに、私を繋ぎ止めようとしたのだから。
愚かな神だ。
この期に及んで、私がまだ、守るべき愛しい伴侶に見えているとでも言うのか。
私はもう、極上の餌でしかないだろうに。
馬鹿な神だ。
だから、私の曖昧な言葉にも頷いてみせる。
お前は私の本心など、数百年ただの一度も知らぬのに。
哀れな神だ。
そのまま、二度と振り返らずに。
こんな愚者のことなど、忘れ去ってしまえばいい。
ーー暫く歩いたその先で。
「あなたは…!」
聞き覚えのある声と風貌に、リュートと呼ばれた神を思い出した。
都に残る殿下の側近。
返り血のない綺麗な甲冑。
(成程、これは殿下の策略であったか。)
焦りを滲ませた声色で、足早に駆け寄られると。
「説明は後です。一刻も早く、ここから逃げなければ」
「陛下が私の魂を欲しているから?」
息を呑む音がした。
「何故それを…、いや、だからこそ、あなたはここを望んだのか…」
それは、忠義に対する仕打ちへの同情か。
はたまた、無知で愚かな信者への憐れみか。
「あなたが犠牲になる必要は」
「犠牲になるつもりなど、毛頭ございませんよ」
踵を返し、血の匂いが薄い場所を目指す。
「さぁ、こちらへ」
戦場と化した都に響く二つの足音。
神々の餌場は完璧ではなかった。
当初は、加護で消費した以上の膨大な魂が得られた。
魂を使い潰すまで死なず、勝手に増える聞き分けの良い餌。
危惧すべき人間の抵抗も、神の魂一つで永遠に封じ込められた。
まさに家畜。
この先千年の繁栄が約束されたも同然であった。
しかし。
不死の加護は、繁殖能力の低下という致命的な欠陥を生じさせた。
そして、誰かが開けた檻の穴。
想定を大きく上回る魂の消耗に対し、神々が打てる手は既になかった。
餌が無くなれば、次に起こるのは神々による共喰い。
限られた魂を求めて喰らい合い、敗れた者は腹の中か深淵と化す。
まさに地獄絵図。
家畜にする為に与えたはずの加護と、永遠の繁栄などという幻想に囚われた慢心。
そして、長子の裏切り。
神々の王も、所詮は同じ飢えた獣か。
長子は、人間という嘗ての同胞を選んだ。
飢えによる滅びよりも、人間によって討ち滅ぼされる結末を望んだか。
神々を正す道も残す、あの方らしい決断だ。
過ぎた力に溺れ、本来無かったはずの魂の飢えに苦しむ神々。
力を捨て、神々の奴隷になることで魂の飢えを克服した人間。
どちらが勝つにせよ、私はこの飢えを満たすだけ。
「貴方様に着いていけば、いずれは殿下と合流するのですか?」
「あ、ああ。勿論、アルベリヒ殿もいる」
「そうですか。それは困りましたね」
「何を……」
ばさりと、私と同じ鮮血が宙を舞った。
呻く隙を与えず、喉元を切り裂く。
ごぽごぽと血に溺れる前に、脈打つ心臓を貫いた。
小さな痙攣の後、ゆっくりと熱を失っていく。
私は、ずっと気になっていたのだ。
ただ逃げ出すだけなど、勿体無い。
成れの果てである深淵が、あれほど美味いんだ。
さぞ、私の舌を満足させる味なのだろう。
私は知っている。
神々の居場所も、人間の侵入経路も、何もかも。
他でもない神々自身が教えてくれたから。
この飢えを満たすには、きっと一つでは足りない。
人類が愚かにも見逃した分は、狩り尽くしてしまおう。
私は切り伏せた神の身体を見下し、愛おしい飢えに唇を舐めた。
まずは、シンプルな焼きから堪能しようか。
--------------
<騎士side>
逃げて、逃げて、逃げた先。
「アルベリヒ」
甲冑の金属音に混じって、殿下が私の名を呼んだ。
「父上は、何故人間に加護をお与えになったと思う」
その問いに、私は言葉にするのを少しだけ躊躇った。
神々に尽くした人間の魂が、どれほど高潔であったかを知っていたから。
「…戦力の補強と彼らを傀儡にする為です。蘇生の度に魂を摩耗させ、自我を奪うことで、不死の兵としての価値を高める」
だからこそ、その摩耗に耐え得る強き魂を、神々は讃え、そして恐れた。
殿下は振り返らずに続ける。
「では父上は、何故お前たち騎士を執拗に戦場へ送ったと思う」
「我が魂は、偉大なる王の盾としてーー」
「口減しだ」
脳が理解を拒んだ。
吐き出そうとした忠誠の言葉が思考の奥で詰まり、咀嚼し切れずにドロドロと絡み合っていく。
「父上は、不死の加護を与える過程で、己の魂の殆どを失った。そんな状態で、限られた魂を騎士如きに分け与える道理があろうか」
深淵の侵略により、人間の数も大幅に減っていた。
戦うほどに、神々の命数が衰退していく状況。
それを打破するための歪んだ策。
「父上は、それほどまでに、恐れていたのだ」
我々騎士の忠義と信頼を裏切ってでも、逃れたかった運命。
「我々が力を行使し続けた先。魂を使い尽くした果てで、何になると思う」
言葉にならなかった。
無価値な嗚咽だけが喉の奥から迫り上がって、吐き出される。
「深淵だ。魂を貪るだけの醜悪な獣に成れ果てる」
王にすべてを捧げた臣下にとって、それはあまりにも残酷な事実であった。
「だが、人間は違う。魂を使い尽くしても、成れの果ては、ただの物言わぬ亡霊だ」
深淵との戦闘において、これほどまでに都合の良い駒が存在するだろうか。
神々の王は、己の魂を削ってでも、人間のその強靭な力を欲した。
殿下は淡々と続ける。
「父上は、何故姉上と人間の婚姻を…いや、そもそも何故神々と人間は子を成せると思う」
聞いてはいけない、そう思った。
私の魂の根幹を揺るがすような、そんな予感。
だが、それが許されるほど、甘くはなかった。
「人間も我々と同じ神だからだ」
はるか昔。
深淵に堕ちる運命を変えるため、一部の神々は自ら神としての力を手放した。
行使する力そのものが無ければ、魂は汚染されず、形を保ったまま。
最後まで、気高く、誇り高く。
「そんな魂は、飢えた我々にとっても、この上なく魅力的だ」
殿下が酷く歪に笑う。
「だから、奪い尽くした。神としての尊厳を奪い、歴史を改変し、深淵と同じように貪り喰らった。ーー特に、あの戦場で、誰よりも輝くような、“強き魂”をな」
その魂は、永遠の飢えを味わう檻の中。
神々への叛逆に対する罰としては、あまりにも悲惨なものであった。
「それにな、アルベリヒ」
あの日と同じ、あの声で。
「父上も大層気に入っていたのだ、あの魂を。…喰らえば、百年の繁栄はくだらんからな」
ただ、呆然と。
その言葉を飲み込んでいく。
「どうする。あの人間の元へ戻るか。今なら間に合うかもしれんな」
その声は、酷く静かで、慈悲に満ちていた。
殿下はお優しい方だ。
すべてを知ってなお、私に騎士としての忠義を捨てる権利を与えてくださるというのか。
愛する者の元へ走る弱さを、ここでお許しになろうとは。
脳裏に焼き付く、どこまでも気高く美しい魂。
『あの時の約束を、覚えていますか?』
燃え盛る火の粉の中で、その言葉を私に突き返して微笑んだ。
『互いに全ての敵を屠り、本当の朝を迎えたその時に、私を迎えにきてください。私の名を呼んでくださるその日まで……私は、何百年でも待っていますから』
「今の私に、戻る場所などありません」
その覚悟を裏切るなど、私の魂が断じて許さない。
「偉大なる王の御剣として、その栄光の片隅に侍る。それこそが、我が魂の至上の本懐にございます」
「…アルベリヒ。その忠義に、我は必ず応えよう」
殿下はゆっくりと大剣を引き抜き、都の炎が映る夜空を見上げた。
「まずは、我々がこの世界に遺した負の遺産…深淵を、我が手で討たねばならん」
そして、クツリと喉の奥を震わす。
「これ以上、人間に我ら神々の尻拭いをさせていれば、王の名が廃るというものよ。神が起こした責任は、神である我が果たす」
その言葉は、初めて神々の誇りを取り戻したかのように誇り高く。
「感謝するぞ、我が忠臣よ。これでやっと、…民に報いる事ができる」
すべてが狂ってしまった世界の果てで。
互いの決意を胸に、深淵の王が待つ地へと歩き出した。