貞操逆転世界で戦友を作る方法   作:ピピピ

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第一話

「男は馬車の中にいてください」

 

 初陣で最初に受けた指示が、それだった。

 

 目の前の女騎士は、俺の叙任状と顔を交互に見比べ、最後にもう一度、叙任状を見た。

 紙の端には、女王陛下の印が押されている。

 

 いくら睨んでも消えませんよ、それ。

 

「リオ・アルト。二十歳。本当に、あなたが?」

「はい。昨日付で第七騎士団に配属されました」

「……式典用の名誉騎士ではなく?」

「実技も筆記も受けました。配置命令には、グレイ小隊の撤退支援と」

「私がエルナ・グレイです」

 

 知っている。

 

 灰色の瞳に、短く切った黒髪。

 長槍を持つ右手の甲には、古い傷が走っていた。

 鎧も外套も泥に汚れているが、槍の穂先だけは曇りなく磨かれている。

 

 槍術試験の会場に、彼女の模範演武の記録があった。

 三歩の間に、三人の試験官を転がしていた人だ。

 その人が今、頭痛をこらえるような顔で俺を見ている。

 

「事情は、移動しながら聞きます。ともかく救護馬車へ」

「俺も戦えます」

「あなたを見つけた敵がどう動くか、考えましたか」

 

 言い返しかけた口が止まった。

 城壁の向こうで、鈍い音がした。

 少し遅れて、石の崩れる音と悲鳴が届く。

 

 東の空が、朝焼けとは違う色をしていた。

 

 

   ***

 

 

 俺は、前世の記憶を持っている。

 日本という国で暮らしていた記憶と、寝る前に何度も読み返した、一冊の戦記小説の記憶だ。

 好きだったのは、大軍を蹴散らす英雄より、その隣にいる男だった。

 

 普段は同じ兵舎で暮らし、稽古では遠慮なく相手を転がす。

 まずい飯に一緒に文句を言う。

 戦場に出れば、短い合図ひとつで互いの死角を埋める。

 どちらかが倒れれば、もう片方が引きずってでも連れて帰る。

 

 そんな二人が、次の章ではまた、鍋の焦げをどちらが洗うかで喧嘩している。

 

 俺は、あれが欲しかった。

 だから剣と鎧のある世界に生まれ直したと気づいたとき、今度こそ、と思ったのである。

 

 ただし、少々、想定と違うことがあった。

 この世界では、男が極端に少ない。

 家を継ぐのも、武器を持つのも、求婚するのも、たいていは女だ。

 男は大事に育てられ、慎みを教えられ、よい家に迎えられることを期待される。

 

 俺が初めて木剣を握った日、母は泣いた。

 騎士試験に合格した日には、もっと泣いた。

 

 それでも十年鍛えて試験を通り、とうとう騎士になった。

 

 男の騎士は、俺一人だった。

 

 なお、今やっている戦争も、発端は王弟殿下の縁談だという。

 隣国の女王が断られ、それで諦めなかった結果、俺たちのいる国境の町が燃えている。

 

「敵は、あなた一人を捕らえるために追撃を続けるかもしれません」

 

 エルナさんは歩きながら言った。

 

「ここには負傷者がいます。逃げる速さを上げられない人たちです。あなたの腕前だけでは済まない」

 

 道の端に、折れた車輪が転がっていた。

 その向こうで、衛生兵が兵士の腕を縛っている。

 兵士は自分の足で立とうとして、立てなかった。

 

 俺は盾の持ち手を握り直した。

 

「……分かりました。救護馬車では、何をすれば」

「歩ける人を乗せないこと。動けない人から乗せること。馬車が詰まったら、人を下ろす前に呼んでください」

「了解です」

 

 彼女は一瞬だけ俺を見た。

 

「兜は、脱がないように」

 

 そう言い残して、東門へ戻っていった。

 俺は救護馬車の幌をめくった。

 

「乗るのを手伝います。肩を貸すので、つかまってください」

 

 差し出した手を、負傷した女兵士が呆然と見た。

 

 しまった。

 まただ。

 

 この世界の男は、そう気軽に女へ触れない。

 

「騎士です。救護の手伝いを命じられました」

 

 そう言うと、彼女は恐る恐る俺の腕をつかんだ。

 

 うん。

 ちゃんと説明すれば、分かってもらえる。

 

 

   ***

 

 

 町の西には川が流れていて、対岸へ渡るには石橋を使うしかなかった。

 橋の西詰では工兵が待機している。

 全員が渡ったら、橋脚に仕掛けた爆砕符を起動する手はずだ。

 

 俺は救護馬車の車輪を押し、ぬかるみを抜け、橋を渡った。

 運んだ兵士の数は、途中から数えられなくなった。

 重かった。

 人間は、鎧を着て、力を失うと、こんなにも重くなるのか。

 

 最後の馬車が橋を渡り終えたときには、腕が熱を持っていた。

 

「残りは!」

「グレイ小隊、四名!」

 

 誰かの叫びに振り返る。

 橋の向こうから、兵士が二人、負傷者を挟んで走ってきた。

 その後ろに、エルナさんがいる。

 

 長槍が横に振られた。

 追いつきかけた敵兵がたたらを踏む。

 その隙に彼女は三歩下がり、槍を構え直した。

 

 あの演武と同じだった。

 違うのは、相手が転がされても笑わないことと、彼女の左脚から血が流れていることだった。

 

 矢が刺さっている。

 

「援護射撃!」

 

 西詰の弓兵が矢を放つ。

 敵は盾を上げた。

 エルナさんが、また後退する。

 

 最後の負傷者が、西詰に辿り着いた。

 俺はその体を衛生兵に預けると、盾を上げて橋へ踏み出した。

 

「待て、橋を――!」

 

 背後で声がした。

 

「二人戻るまで、待ってください!」

 

 エルナさんも、こちらへ下がってくる。

 あと三歩で手が届く。

 

 その左膝が折れた。

 

 近くにいた敵兵が槍の柄を踏みつける。

 別の一人が、斧を振りかぶった。

 

 俺は石畳を蹴った。

 剣を抜き、盾を突き出す。

 

 訓練なら、何度もやった。

 

 間に合え。

 

 斧が落ちてきた。

 盾で受けた瞬間、左腕の骨が全部鳴った気がした。

 

 重い。

 

 訓練用の武器とは、まるで違う。

 だが、止まった。

 

 俺は盾の縁を押し上げ、相手の顎にぶつけた。

 のけぞった胴へ剣を突き入れる。

 刃が、途中で引っかかった。

 

 敵兵の顔が近くにあった。

 女だった。

 俺より、少し年上に見えた。

 

 口が開く。

 何かを言おうとしている。

 

 目が離せなかった。

 

「顔を上げろ!」

 

 耳元を、銀色の穂先が通り過ぎた。

 俺の右から迫っていた敵兵が崩れる。

 

 エルナさんだった。

 槍を取り戻した彼女が、俺の肩をつかんで引いた。

 さっきまで俺の頭があった場所を、剣が薙いだ。

 

「倒した敵を見るな。次を見ろ!」

「――了解!」

 

 剣を抜く。

 

 息がうまく吸えない。

 胃の奥がせり上がってくる。

 それでも顔を上げると、次の敵が見えた。

 

「盾を前に。私より出るな」

 

 短い指示が飛んだ。

 体が従う。

 

 剣を盾で受ける。

 すぐ脇から、彼女の槍が伸びる。

 敵が離れる。

 二人で下がる。

 

「三歩。……止まれ」

 

 俺たちが足を止めたところへ、槍が突き込まれた。

 盾で外す。

 踏み込んで返そうとした俺の腕を、彼女が止める。

 

「追うな」

 

 下がる。

 たった三歩が、ひどく遠い。

 

 剣が兜をかすめ、留め革が切れた。

 ずれた面頬の下から、冷たい空気が入り込む。

 

「男だ!」

 

 敵の一人が叫んだ。

 

「そっちは生け捕りにしろ!」

 

 後ろにいた兵士まで、こちらへ駆けてくる。

 エルナさんの言ったとおりだった。

 俺がいるだけで、敵の動きが変わる。

 

 盾を押す力が増した。

 足が滑る。

 左から、別の兵士が回り込もうとする。

 

 全部は受けられない。

 

「エルナさん」

「喋るな。息を使え」

「左、任せてもいいですか」

 

 返事まで、一拍あった。

 正面の敵が、盾を押してくる。

 

「俺は、この二人を止めます」

 

 左の敵は見なかった。

 怖くなかったわけがない。

 今も、そちらから刃が来る気がしている。

 

 けれど、俺が見た演武でも、さっき俺を助けてくれたときも、彼女の槍は一度も外れていなかった。

 

「……任せろ」

 

 エルナさんが、左へ動いた。

 俺は盾に体重を乗せた。

 左で、槍が風を切る。

 悲鳴が上がる。

 

 振り返らなかった。

 

「右を頼む、リオ!」

「任せてください!」

 

 初めて、名前を呼ばれた。

 その声で、もう一歩、足が動いた。

 

 橋の幅は狭い。

 敵の数が多くても、同時に剣を届かせられるのは二、三人だ。

 

 俺が止める。

 彼女が突く。

 

 彼女が足を引きずる分、俺が半歩前に残る。

 俺が前へ出すぎる分、彼女の声が引き戻す。

 

 最後の数歩で、味方の盾兵が駆け寄ってきた。

 

「こっちへ!」

 

 俺はエルナさんの腕を肩に回した。

 ほとんど倒れ込むように、西詰へ転がり込む。

 

「落とせ!」

 

 白い光が、橋の下から噴き上がった。

 地面が跳ねた。

 

 遅れて、腹の底を殴るような音。

 石の橋が中央から崩れ、濁った川へ飲み込まれていった。

 

 俺は、しばらく起き上がれなかった。

 

 

   ***

 

 

 後方の野営地で、俺は革紐と戦っていた。

 兜の留め革は切れたのに、籠手の留め革は丈夫だった。

 指が震えて、どうしても外せない。

 

「貸せ」

 

 エルナさんが、俺の前に腰を下ろした。

 左脚には包帯が巻かれている。

 骨には届いておらず、数日休めば歩けるという。

 

 彼女は黙って、籠手の紐をほどいてくれた。

 

「救護馬車に同行しろ、と命じたはずだが」

「最後の馬車は渡りました」

「だから、戻っていいと?」

 

 顔を上げる。

 灰色の目が、まっすぐ俺を見ていた。

 

「……置いていけませんでした」

 

 彼女はしばらく何も言わなかった。

 籠手が外れた。

 手首に赤く、革の跡が残っている。

 

「初陣か」

「はい」

「人を斬ったのも?」

 

 うなずく。

 あの敵兵の顔を、たぶん、忘れられない。

 

「今夜は、眠れないかもしれない。顔が浮かんでも、酒でごまかすな。水を飲め。何か食べろ」

「……はい」

「一人で抱えるな。話したくなったら、呼べ」

 

 彼女が水筒を差し出した。

 受け取って飲む。

 水が、少しだけ鉄の味をしていた。

 

「怖かったです」

 

 言うと、ようやく息が深く入った。

 

「見れば分かる」

「左から来たやつ、振り返りそうになりました」

「振り返っていたら、正面の二人に崩されていた」

「じゃあ、任せてよかった」

 

 そう言うと、彼女は視線を落とした。

 外した俺の籠手を、膝の上でひっくり返す。

 

「……よく、任せられたな」

「エルナさんだったから」

 

 籠手をひっくり返す手が止まった。

 

「試験場の記録、見たんです。今日も、俺が見えていなかった敵を倒してくれましたし。だから、この人なら大丈夫だって」

 

 俺が持っている根拠は、それだけだった。

 十分だと思った。

 

「私が、間に合わなかったら」

「俺が死んでました」

「簡単に言うな」

 

 声が、急に強くなった。

 俺は口を閉じた。

 エルナさんの指が、籠手の縁を強く握っていた。

 

「……すみません。助けてもらったのに」

「そういう話をしているんじゃない」

 

 彼女は息を吐いた。

 

「私も、お前が来なければ死んでいた」

 

 それから、ようやく顔を上げた。

 

「助かった。ありがとう」

 

 胸の奥が、熱くなった。

 

 男なのに偉い、でも。

 危ないから下がっていろ、でもなく。

 

 俺がそこにいたから、助かったと。

 

 そう言ってもらえた。

 

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

 頭を下げる。

 地面に視線を落としたまま、考えた。

 ここで礼を言って終わりにしたら、きっと後悔する。

 

「エルナさん。お願いがあるんです」

「……何だ」

「俺の戦友になってくれませんか」

 

 返事がなかった。

 顔を上げると、彼女は妙な表情をしていた。

 

「戦友……」

「はい」

「今日、一緒に戦っただろう」

「今日だけじゃなくて」

 

 うまく伝わっていない。

 

「これからも、という意味です。同じ隊で、普段から一緒に鍛えて。互いの癖を覚えて、いざってときに何も言わなくても動けるように」

 

 今日の俺は、指示されるばかりだった。

 剣を引くのが遅れた。敵を追いかけそうにもなった。

 

 彼女に救われた分だけ、次は俺も救えるようになりたい。

 

「また、背中を預けたいんです。あなたに」

 

 エルナさんの口が、少し開いた。

 閉じた。

 俺の顔を見て、それから、手元の籠手を見た。

 

「……男が、女に、そういうことをだな」

「嫌ですか?」

「嫌ではない」

 

 返事が速かった。

 

「ただ、お前は、もう少し考えてから相手を選ぶべきだ」

「考えましたよ。さっき、橋の上で」

 

 あそこより真剣に考えられる場所が、ほかにあるだろうか。

 彼女は片手で顔を覆った。

 しばらくして、くぐもった声がした。

 

「……槍を出した直後、左側が空く」

「はい?」

「私の癖だ。脚が治ったら、そこを埋める練習から始める」

 

 俺は、思わず立ち上がった。

 

「それじゃあ!」

「お前は盾で押したあと、右肘が開く。先にそっちを直す。今のままだと、何度でも私が拾うことになる」

「はい!」

「声が大きい」

 

 注意された。

 でも、仕方ないと思う。

 俺に、戦友ができたのだから。

 

 

   ***

 

 

 その日の夕方、もうひとつ問題が見つかった。

 

「宿舎、俺だけ別なんですか」

 

 兵站係が、当然でしょう、という顔をした。

 男の騎士が入ってくることを想定していなかったらしい。

 俺には町の宿の個室を借り、扉の外に護衛を置くという。

 稽古場からは遠いし、戦友は兵舎だ。

 

「エルナさんの部屋では駄目ですか」

 

 隣で、何かが落ちた。

 エルナさんが、渡された鍵を拾っている。

 

「……何を言った?」

「小隊長用の二人部屋なんですよね。片方、空いてるって」

「空いてはいるが」

「朝の鍛錬も一緒にできますし。脚が治るまで、荷物を運ぶのも手伝えます」

 

 兵站係が俺を見た。

 エルナさんを見た。

 もう一度、俺を見た。

 

「アルト卿。それは、同じ部屋で寝起きするという意味ですよ」

「はい」

「グレイ卿と」

「はい。戦友なので」

 

 普通なら、男女が同室などと言えば縁談の話になる。

 でも、エルナさんは俺を騎士として扱ってくれた。

 戦友になってくれ、と頼んで、了承もしてくれた。

 彼女となら、余計な誤解はないはずだ。

 

 兵站係は黙った。

 エルナさんも黙った。

 

 あれ。

 やっぱり、いきなり相部屋は図々しかっただろうか。

 

「もちろん、嫌なら別の部屋で――」

「嫌ではない」

 

 また速かった。

 エルナさんは咳払いをした。

 

「……ただし、寝台は別だ」

「当然でしょう」

「当然だな。うん。そうだ」

 

 兵站係が、帳面を開いた。

 

「グレイ卿が護衛と監督を引き受けるということで、よろしいですか。隊長にも届けますが」

「私が責任を持つ」

 

 そこだけは、橋の上と同じ、きっぱりした声だった。

 彼女は、握った鍵を見つめていた。

 

 

   ***

 

 

 エルナ・グレイは二十三歳になるまで、一度も男を自室に入れたことがなかった。

 

 今、いる。

 しかも、寝ている。

 隣の寝台で、すっかり気を抜いた顔をして。

 

 最初は話をしていたのだ。

 明日の訓練について。今日の戦いについて。

 リオの手がまた震えたので、温かい湯を飲ませた。

 

 やがて返事がゆっくりになり、彼は横になった。

 

『眠れそうか』

 

 尋ねたエルナに、彼は目を閉じたまま答えた。

 

『うん。君がいるから』

 

 それが最後だった。

 エルナは、寝台の端に腰掛けたまま動けずにいた。

 

 橋の上で、リオが背を向けた瞬間を思い出す。

 怖くてたまらないくせに、こちらを確かめようともしなかった。

 彼女が守ると、本当に信じていた。

 

 そして今も同じことをしている。

 この部屋にいる女が、どれほど必死に椅子一脚分の距離を守っているかも知らずに。

 

 寝返りを打ったリオの肩から、毛布がずれた。

 エルナは立ち上がり、それを戻した。

 指先が頬に触れそうになって、慌てて手を引く。

 

「……信じすぎだ、馬鹿」

 

 小さく言った。

 リオは起きなかった。

 

 彼女は机に戻り、翌日からの訓練予定を書いた。

 

 盾を押したあとの右肘。

 槍の間合いへの入り方。

 負傷時の交代。

 

 そこまで書いて、しばらく迷った。

 

 最後に一行、書き足す。

 女性に対する警戒心。

 さらに、その横へ小さく、最優先、と加えた。

 

 寝台から声がした。

 

「……エルナ」

 

 ペンが止まる。

 振り返ったが、彼は眠ったままだった。

 名前を呼んだだけらしい。

 

 エルナは両手で顔を覆った。

 明日までに、どうやって教えればいいのか考えなければならない。

 自分以外の女にも、こんなふうにしてはいけないと。

 

 ――自分ならいい、と思ってしまったことは、今夜は考えないことにした。

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