(一)
1996年、この年はレース体系が大きく変わる変革の年となった。
今までティアラ路線の三冠目として機能してきたエリザベス女王杯はシニア級に解放され、代わりにクラシック級限定レースとして秋華賞が新設された。
G1級競争としてはNHKマイルカップが春クラシックにおけるマイル路線の目標となるべく新設され、夏の中距離重賞であった高松宮杯が春の短距離G1に変更されて昇格した。
これらのG1競走とそれに繋がるステップ重賞の増加は、レースの専門化とスピード化を推し進めることとなり、それまでの出られるG1は全部出るという考え方から自身の適性を考慮して、欲しいタイトルを狙い撃ちというスタイルへの移行がみられるようになった。
有馬記念で惨敗したジェニュインも春の大目標は安田記念とし、中山記念を復帰戦に定めた。
───
「ダンス、貴方また二着なの?
三戦連続なんてここまで来るといっそ器用ね」
「なによー!しょうがないじゃない!
一回勝って流れを整えるの!
そのためには勝つまでやるのが早いのよ!」
無茶苦茶な理論だけど、それで三ヶ月連続出走できるのは体が強い証。
足首に常にじっとりとした違和感のある私からすれば本当に羨ましい話だ。
「ツヨシもダンスの爪の垢でも煎じてもらいなさいよ。
むしろ考えなしに動くのは貴方の得意技じゃないの?」
「あーっ!ジェニュ、それわたしのことバカにしてるでしょ!」
ポコポコ殴りかかるダンスの額を押さえつけて止める。
うにゃー!とジタバタしてる。かわいい。
なのに、もっとうるさいはずのあいつはツッコむでもなく、一緒になってからかうでもなく、ぼーっと押し黙っているから。
「ツヨシ…?」
「んあ? あー、ごめんお嬢、聞いてなかったわ」
めんごめんご、と言いながらダンスを抱え上げた態度はいつもと変わらない。
変わらないんだけど。
「…ねぇツヨシ、何かあったの?」
「いんや、単にレースのこと考えてただけだって。
お嬢の中山記念の後はあたしとダンスの産経大阪杯が控えてるからね」
ダンスを肩車しながらツヨシは答えた。
へんなお嬢、ってつぶやいてダンスとキャッキャッやっている。
急にアクセル全開にしないでよ、私が置いてきぼりじゃない。
───
有馬記念からおよそ三ヶ月。同じ中山の地で私は復帰戦を迎えた。
先行勢が入れ替わり立ち代わり、前がごちゃごちゃした展開を中団最内にてじっと息を潜めてチャンスを待つ。
最終直線で前がバラけた所を内ラチ沿いに抜け出して先頭に立つ。
綺麗に、完璧に立ち回った。
皐月賞以来の勝利は目前だった。
直線一気の加速で全てをひっくり返したのは、一つ上のサクラローレル先輩。
大怪我からの一年ぶりのレースだった。
ここに至った背景も素人目にもド派手な末脚も、人目を引きつけるには十分すぎて、小賢しく内を立ち回った私はまたしても引き立て役に甘んじるのであった。
───
中山記念から一日の休養日を挟んだ私は、安田記念への再始動のため、朝からツヨシの部屋へ。
いつもはこれくらいの時間にはコースに出てきている。さては寝坊かとノックをすれば、何故かトレーニング着ではなく制服姿のツヨシ。
「どうしたのよ?
走りに行くわ、早く着替えなさい。」
「…お嬢は早いな。今日は付き合えないから行ってきなよ」
ツヨシがあまりにもいつも通りだから、いつもと違うのがわかってしまった。
「ねぇ、何があったの?事情を説明なさい」
「あとで言うよ、あとで学園で」
「ツヨシ」
「……お嬢はさぁ、あたしの意見聞かないひと?」
「聞いてて無視する人よ」
根負けしたツヨシは苦笑いを浮かべながら私を部屋に通すと、ベッドを指差し、自身は椅子に腰掛ける。
「あたし引退するんだ」
ツヨシは明日の予定どうする?みたいなテンションで言った。
もう来ない競技生活の明日を。
(二)
「…なによ、それ」
私の声はきっと震えていて。
「実はさあ、やっちゃったんだ、屈腱炎」
ツヨシの声は妙に乾いていた。
屈腱炎。
ウマ娘の競技引退理由として繋靭帯炎と並ぶ不治の病。
フジもこれで引退を決めた。
「やんなっちゃうよなー。ダービー以降結果も出ないし、なんとか調子を戻そうとしてたんだけど、こんな仕打ちとかさー」
言葉が出なくて固まる私に、ツヨシはあっけらかんと続けた。
「年貢の収めどきってやつ?
あれ、でもあたし悪いことしてないし使い方間違ってんのか?」
うーん、と腕を組んで首を傾げる様は、その口から飛び出た発言と噛み合ってなくて、その態度に無性に腹が立った。
「…なによ、何なのよ…あなた、悔しくないの?
しっかりしなさいってネタにされてるのよ、最弱のダービーウマ娘ってバカにされてるのよ、見返しなさいよ。
リハビリでも、なんでもしなさいよ、戻って、来なさいよ!
そんな!なんでもないって顔をしないでよ!」
一度口を開けば止まらなかった。声を荒げて息を切らして、ツヨシに向けてまくしたてる。
「そうは言ってもさぁ、あたしとしても考えた結果でさぁ」
「うっさい!そんなことわかってるわよ!」
「えぇ…」
自分でも支離滅裂なのはわかっている。一転して黙って俯いた私に、ツヨシも隣に来て並んだ。
「ごめんなお嬢、相談しなくて」
ツヨシの言葉にふるふると首を振る。
「走れなくなるのは悔しいけどさ、あたしは安心して次の道に進んでいける。この先も続いていくからさ」
「がんばれよ。お嬢が納得できることを祈ってる」
そう言って頭を撫でられた。
ずるい。ツヨシのくせに。
ムカついたから、ツヨシの胸に頭突きする。
「ぐふっ」
汚い声で呻いたツヨシ。
私たちはこれでいい。
「…見てなさい」
「うん、見てるよ」
穏やかな声で応じたツヨシ。
私たちはこれがいい。
───
ツヨシは今後は自身のスキルを活かした仕事を探すということで、レースは引退、サポート科に転科ということになった。
「それで今日は一段と気合いがはいってるのね。
でも負けないわよ、ジェニュ」
「別にそんなんじゃないわよ。
ダンスこそようやく惜敗祭りを突破したのに残念ね、今日またその味を思い出させてあげるわ」
時は流れて安田記念。
軽口を叩きながらダンスと二人、通路を行く。お互い今日は人気もそこそこで挑戦者マインドで噛みつくつもりだ。
一番人気はトロットサンダー先輩、地方からの移籍組で昨年のマイルCS覇者。
ニ番人気は海外からの刺客、ディフェンディングチャンピオンのハートレイク先輩。
三番人気のタイキブリザード先輩はまだG1勝利こそないものの、短距離重賞制覇から有馬記念二着まで手広く実績を残している。
上位人気陣は推されるのもわかるそうそうたるメンツだ。
加えて今日はあの娘もいる。
「あっ!ジェニュインちゃん、ダンスちゃん、ボーノ♪」
「三人一緒のレースは初めてだね〜。お互いがんばろ〜ね♪」
同期のヒシアケボノ。デカい。
小柄なダンスと並ぶと倍くらいに大きく見える。
…空間が歪んでるのかしら。
「……じゃま。通路ふさがないで」
後ろから現れたタイキブリザード先輩も相当に大きいのだけれど、アケボノはそれ以上だ。
それにしても、アケボノとブリザード先輩に挟まれたダンスはあれね、捕まった宇宙人の画像みたいだわ。
思わず口元を押さえた私は、直後脇を支えられて伸びる猫状態でアケボノに運ばれていくダンスを見て決壊したのだった。
──
スタートダッシュから先頭に立ったアケボノが逃げてレースを引っ張る。
ブリザード先輩は中団、私とダンスは並んでその一列後方。
上位人気の二人は後方に控えたようだ。
後方でお互い警戒しあう中、アケボノの一人旅は続く。
最終コーナーを一人で抜けると、一馬身のリードを保って直線を粘り込む。
残り200で内を捌いた私、真ん中を抜け出したブリザード先輩、大外から脚を伸ばしたトロットサンダー先輩が三人並んでアケボノに迫る。
ただ私が追いすがれたのはここまで。先輩二人に振り切られ、アケボノを含む三人の決着を一歩後ろで見届けることとなった。
ハナ差の決着はトロットサンダー先輩に栄冠をもたらした。
二着はブリザード先輩、アケボノはクビ差の三着だった。
報道陣の前に残された三人の声を背中で聞きながら私はダンスと並んで帰りの通路を進む。
「お互い反省会ね。今の貴方にマイルは短いんじゃない?」
「末脚のキレは負けてないとおもうんだけどなぁ」
「マイルで後ろから行くなら、それこそトロットサンダー先輩並の脚がいるわ。あるいはもっと前につける先行力かしらね」
レース後の高揚と、じっとりと再び痛みを主張しだした足首。
その温度差が今の私がいる場所の厳しさを改めて実感させてくれた。