(一)
G1二勝目を挙げ、少しだけ前向きな気持ちになれた私は昨年のリベンジと有馬記念に参戦した。
もっとも気持ち一つでなんとかなるわけもなく、最下位惨敗。加えてレース後には足首が骨折してしまい、長期休養を余儀なくされた。
踏んだり蹴ったりで散々な目にあったのだが、ここまで来るといっそ開き直れた。
復帰までの期間を踏まえると来春の目標は安田記念か宝塚記念。
どちらにしても半年以上も期間が開くので、逆に焦らずじっくりリハビリに専念することができた。
「で、そうしてできた時間をもっと有意義に使うべきじゃないかな、お嬢?」
「書類仕事溜め込んでた寮長補佐さんには言われたくないわね」
まだ走れない、筋トレも制限されている、ということで若干暇を持て余した私は忙しそうにしているツヨシに絡むことにした。
ツヨシは自身の家事能力を活かすべく卒業後は寮母として学園に戻ってくることを画策しているらしい。
そのためにフジに頭を下げて頼み込んで、今は寮長補佐として細々とした雑用に取り組んでいる。
「だってさぁ何をやっても報告書とセットなんだよ?
家事はどんとこいなんだけどさぁ」
「でもフジは今までこなして来てたんでしょ?
あんまり迷惑かけるんじゃないわよ」
ほらこっちは終わったわよと、分担してた事務書類を突き返す。
「なんかさぁ、お嬢ちょっと優しくなった?」
「……いますぐお手伝い切り上げてもいいんだけど?」
「あーっ!ごめんって!そうじゃなくてさ」
相変わらずのツヨシの失言癖にこめかみを揉みながらため息をついた。
──
万全の状態で臨んだ安田記念はタイキブリザード先輩にクビ差の二着。
マイルCSでのいい感覚は残っていて、中団待機から外目を回して抜け出す。自分なりには満点の形だったが、最後はブリザード先輩にキレ負けた。
「おめでとうございます。今日こそ勝てたとおもったんですけど」
ブリザード先輩に話しかける。先輩とも、もうそれなりの付き合いになっている。悔しさはあったが、称賛の気持ちも本当だった。
「……ありがと」
先輩はいつものように素っ気なく答えると、なぜかじっと私を見つめてきて。
「褒めてもらってこんなときに言うことじゃないと思うけど、ボクそういうのは苦手だからさ」
「キミ、前みたいなギラギラがないよ」
じゃあね、と背を向けたブリザード先輩に私は自分でも気づいていなかった部分を突きつけられたみたいで、ただその背を見送ることしかできなかった。
───
「ギラギラしてない、か」
ブリザード先輩の言葉を思い出す。
安田記念の後に再び足首の調子が悪くなった私は宝塚記念を回避。
骨折は完治していたが、ここまでの慢性的なダメージの影響が出た。
秋シーズンは秋天を目標に、札幌記念と毎日王冠に出走を予定していた。
シニア二年目の半ばを過ぎて、徐々に終わりを考え出す頃だ、加えて私には足の怪我のこともある。
「…大人になった、ってことなのかしらね」
そうひとりごちながらも、脳裏によぎるのはあの日の決意。
私は“本物”になれたのか。
答えは出ていない。まだ、今は。
──
札幌記念は四着。
先着を許した前の三人とは斤量差があった。
それでも勝利したエアグルーヴからは三馬身離された。
勝負どころで後方から一緒に上がっていったが、彼女の加速に置いていかれた。
毎日王冠は五着。
状態は上向いていたが、前を塞がれて直線で進路を失った。
バブルとは位置取りの差が響き、他の先着された相手にも斤量差の不利があった。
どちらも完全な力負けではなかった。
次やればひっくり返せるかもしれない、そんなレースだった。
だからこそ強く実感してしまう、私は飛び抜けた存在ではないことを。
いや、本当はずっと前から分かっていた。
それでも負けん気を燃やして、必死にそこから目を逸らしてきていた。
ツヨシは私が優しくなったと言った。
ブリザード先輩はギラギラがないと言った。
「あぁ、そうか」
納得という諦観が胸に染み渡り、心を穏やかに変えていく。
「私、ここまでなんだ」
晴れやかな顔でスタンドに頭を下げた。
───
(二)
次の秋天を最後にしよう、そう決めた私は最後の心残りを果たすことにした。
私の人生のわだかまりで、抜けないトゲ。
喉につっかえた小骨ことフジキセキとの決着を。
「久しぶりだねジェニュイン。
まさかキミから声をかけてくれるなんて」
「貴方は現役時代からいつも人に囲まれていたもの。
私くらいはその手間を省いてあげているのよ」
嘘である。
ずっと意識していたし、ずっと避けていた。
「最近ツヨシが貴方の仕事を手伝っているでしょ?
ちゃんとできているかと思って」
ツヨシは自分の仕事はきっちりこなす。そんなこと私は誰よりも知っている。
本題に入るまでの時間稼ぎのような会話だ。
ちゃんと覚悟を決めてきたつもりだったが、思っていた以上に踏ん切りがつかない。
フジも察しているのかいないのか、敢えて急かすことはせず、私のワガママに付き合っている感じがする。
あぁ、その余裕ぶった態度が気に入らないっていうのに。
「……ねぇフジ、貴方はいつもそうね。華やかで、余裕があって、なんでもお見通しって感じで」
「誰かの期待を受けて、応える。
私はね、…貴方になりたかったの」
あれだけ一歩目が重かったくせに、動き出したら想いは溢れて。
「皮肉なものよね、ジェニュインなんて名前をいただいたのに。
私は私であることに自信が持てなかった」
「風の強い日は嫌いなの。
負けるもんかって身を縮こまらせて、ぎゅっと目をつぶって、手探りでたどり着いて。
……思い描いてたのとは違う所に立っているの」
鼻の奥がツンとなって上を向く。
見上げる秋の空はどこまでも青く澄んでいて。
「フジ、私はここまでみたい」
涙なんか見せてあげない。
背中を向けたまま、さらりと告げた。
──
「……ちょっと待って?」
フジは右手で額を押さえながら左の手のひらをこちらに向けている。
一目で動揺が伝わる珍しい姿にあら、と小さくつぶやいた。
「ジェニュイン、それはアレかい?
引退を決めたってことかい?」
いや、キミが決めたなら私にどうこう言う資格はないんだけど、いや、でも、とどうにもフジキセキらしくない歯切れの悪さだ。
「どうしたのよ、らしくないじゃない?
そんな態度取られたら、私だって気まずくなるでしょ」
「えぇ……、キミがそれを言うのかい?」
ため息ついて、髪をかき上げて。
今日だけでずいぶんと今まで見たことないフジを見せられている。
「言いたいことがあるなら、はっきりと言いなさい。
特別に聞いてあげるわ」
腕を組んで、フジに向き合う。
ちょっとだけ楽しくなってきたのは内緒だ。
「あー、うん、そうだね。
キミは微妙に自分のことには無頓着なヤツだよ」
深呼吸してフジは続けた。
「ジェニュイン、私はねキミの走る姿が好きだったんだ。
キミの艷やかな黒髪が風を受けて広がるのが、本当に綺麗で大好きだったんだよ」
フジの告白に、腕を組んだまま固まってしまった。
──
「フジ、ふざけてるのかしら?
今はナンパする場面じゃないわよ」
「まったくキミはさぁ…」
「とりあえず、キミのいちファンとして、引退するって言われてショックだったんだよ」
困ったように笑うフジは、いつもの調子を取り戻したように見える。
「あんなグダグダな貴方は初めて見たわ」
私の一言にずるっと足を滑らせたフジの姿に、さっきアレは本心だったと、そして今もなんとか取り繕っていると伝わってくる。
「……そりゃあそうだよ。普段ならもっとちゃんと準備するもの」
目を逸らして呟いたのは、私と変わらない同い年の少女の姿だった。
「……ふーん」
「ねぇフジ、さっき貴方になりたかったって言ったわよね?」
「前言撤回よ、やっぱり貴方みたいに軽いのはイヤだわ」
フジの胸をとん、と指で突きながら言ってやった。
───
迎えた秋天の舞台、取り巻く環境はまた変化していた。
春までの三強はマヤノとローレル先輩が引退し、マーベラスは怪我で休養中それらと渡り合っていたバブルが一番人気、次いでエアグルーヴ。
私は三番人気だった。
「バブルもこの一年でしっかり主役ね」
「とはいえ暫定王者の扱いですよ。
ここで期待に応えてこそです」
相変わらずの光っぷりに、目を細める。
とはいえ、今日はG1勝ちの三人が近走の実績で上から並んでいる。
ある意味シンプルに期待の大きさが形となっていた。
「そう言えばバブル、秋天で一番人気は勝てないってジンクスは知ってる?
今回は対象なんだから、頑張りなさい」
「意地が悪いですよ?
私は切り込み隊長。ジンクスだって挑んで来ます」
──
スタートから飛び出したのはクラシック級のサイレンススズカ。
自分のペースでぐんぐん前に進み、大逃げの形に持ち込んだ。
バブルは三番手、中団前目の内に私が、外にエアグルーヴが並んでポジションを取った。
スズカは先頭を保ったまま最終コーナーを抜け、単独粘り込みをはかる。
バ群の真ん中を割ってバブルが、大外からエアグルーヴが、最内を突いて私が前を狙う。
バブルとエアグルーヴは体を併せて前のスズカを捉えると、叩き合いで後ろを突き放していく。
スズカに脚を削られた私たちにはもう届かない。
遠ざかっていく背中に、歯を食いしばって最後の最後まで絞り出す。
外から伸びてきたロイヤルタッチに負けるもんかと首を伸ばしてゴールに飛び込んだ。
──
激戦を制したのはエアグルーヴ。
ティアラ路線から秋天を勝利するのは十数年ぶりの快挙だった。
新たな時代の到来に、真正面から挑んで敗れたバブル。
その背中を押して控室に向かう。
「また時代の魁が現れたのね。
最前線にいるのも楽じゃないわね」
「…ジェニュインさん」
「胸を張りなさい。成したことは無くならないんでしょ?」
あの日、自分を支えてくれた言葉をバブルに返す。
一番人気に応えられた去年のマイルCS。
三番人気に応えられた今日の秋天。
私だけの勲章
気づかせてくれたから。