目の前に広がる光景に、誰もが言葉を失っていた。
高い天井。整然と並ぶ本棚。奥へ続く長い通路。外から見た建物の大きさ以上に、内部は広く感じられた。
「ここが図書館か?」
ジュンが呟く。
その声に答えるように、奥から一人の女性が姿を現した。
「ようこそ、図書館へ。招待状を受け取ったゲストの皆様」
落ち着いた声だった。
女性は黒い服を身にまとい、こちらを静かに見渡している。表情に大きな変化はない。
「私はアンジェラ。この図書館の司書であり、管理人です」
「招待状を送ったのはお前か」
ジュンが尋ねる。
「ええ。皆様をお招きしたのは私です」
「ここは何の場所だ」
「図書館です。ここには数多くの本が収められています。そして、皆様が求める知恵、富、名誉、力も、ここで手に入れることができるでしょう」
「その代わりに試練がある、と招待状には書いてあったな」
「その通りです。図書館では、ゲストの皆様に試練を受けていただきます。試練を乗り越えれば、相応の報酬を得られます。しかし、失敗した場合は皆様自身が本となり、図書館に収められることになります」
その説明を聞き、若衆たちの間に小さなざわめきが起きた。
「本になるって……どういう意味だ?」
「冗談じゃないのか?」
「ここから出られるのか?」
アンジェラは彼らの反応を気にする様子もなく答えた。
「試練を受けずに帰ることはできません。招待状によって図書館に入った以上、皆様にはゲストとしての役割を果たしていただきます」
「帰ることもできないのか」
ジュンが低く尋ねる。
「少なくとも、試練を終えるまでは」
その言葉に、ジュンは黙り込んだ。
俺も周囲を見回す。
入口は見当たらない。いや、転移してきた場所に戻る手段があるのかすら分からない。親指の襲撃から逃げられたと思ったら、今度は正体の分からない場所に閉じ込められた。
どちらにしても、安心できる状況ではなかった。
ジュンはしばらくアンジェラを見つめたあと、後ろに控える若衆5人へ視線を向けた。
「お前たち、先に進め」
「えっ……?」
若衆の一人が戸惑った声を漏らす。
「通路の先を確認してこい。何があるのか、危険がないか調べろ」
「ですが、ここは……」
「命令だ」
短い言葉だった。
若衆たちは互いに顔を見合わせた。誰も進みたがっていないのは明らかだった。
「お前、先に行けよ」
「嫌だ。何があるか分からないだろ」
「でも、組長の命令だぞ……」
「分かってる。分かってるけど……」
誰も動こうとしなかった。
図書館の奥は静まり返っている。何かが潜んでいるのか、それとも本当にただの通路なのか。確かめる方法は、自分たちで進むことしかない。
若衆たちの足は、恐怖で床に縫い付けられたようだった。
「おい」
副組長が声をかけた。
五人が一斉に振り返る。
「何をしている。組長の命令が聞こえなかったのか」
「ですが、副組長……ここがどんな場所なのかも分からないんです」
「だから確認してこいと言われたんだろう」
「それは、そうですが……」
言い淀む若衆を見て、副組長の眉間に皺が寄った。
次の瞬間、鞘走る音が響いた。
副組長が刀を抜いていた。
刃先を若衆たちへ向けるわけではない。ただ、いつでも斬れる位置に構え、冷たい目で五人を見据えている。
「もう一度言う。進め」
「っ……!」
若衆の一人が息を呑んだ。
「ここで組長の命令に背くつもりか? それとも、俺に斬られてから進むか?」
誰も答えない。
副組長は刀を下ろさなかった。
「お前たちが恐れているのは分かる。だが、ここで立ち止まっていても状況は変わらん。さっさと行け」
若衆たちは顔を青くしながら、ようやく通路へ足を踏み入れた。
一人が進み、残りの四人も遅れて続く。
その背中が遠ざかっていくのを見ながら、俺は小さく息を吐いた。
副組長は刀を鞘に戻す。
「まったく、情けない連中だ」
その言葉に返事をする者はいなかった。
ジュンは何も言わず、先行した五人の姿を見送っていた。
俺も通路の奥を見つめる。
あの五人が戻ってくるかどうかは分からない。
ただ、少なくとも俺が先頭に立つ必要はなくなった。
若衆たちが廊下の奥へ進んでから、しばらく時間が経った。
最初の数分は、誰も口を開かなかった。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、俺たちはその場で待っていた。やがて足音も聞こえなくなり、廊下には静けさだけが残る。
五分ほど経っても、若衆たちは戻ってこなかった。
「……遅いな」
若頭の一人が呟いた。
「何かあったのでしょうか」
副組長は答えず、廊下の奥を見つめている。
さらに数分が過ぎた。
報告もなければ、争う音も聞こえない。単に道に迷っているだけなのか、それとも何かに遭遇したのか。それすら分からなかった。
「組長。そろそろ確認に向かった方がよろしいかと」
若頭の一人がジュンに声をかける。
ジュンは少しの間、廊下の奥を見ていた。
「……これ以上待っても仕方がない。全員、警戒を怠るな。進むぞ」
その言葉を合図に、俺たちは廊下を進み始めた。
先ほど若衆たちが進んでいった方向へ、慎重に足を運ぶ。
しばらく進むと、廊下の先にいくつかの人影が見えた。
最初に目についたのは、全身を機械に置き換えたような人物だった。関節が動くたびに、金属の擦れる音が小さく響いている。
その近くには、ツヴァイ協会の制服を思わせる服装の者がいた。さらに別の人物は、腕や身体に何重もの鎖を巻きつけている。中指の下部組織を連想させるような、物々しい姿だった。
少し離れた場所には、見慣れない高価そうな銃を携えた者もいる。
服装も、身体の構造も、武器もばらばらだった。
同じ組織に所属しているようには見えない。だが、彼らは互いに争う様子もなく、廊下の先に自然と立っていた。
そして、その全員がこちらに気づいていた。
「……あれも司書か?」
若頭の一人が小声で尋ねる。
「おそらくな」
ジュンは短く答えた。
俺は彼らの姿を一人ずつ観察した。
どれも都市で見かける人間の特徴を持っている。だが、これほど異なる装備や外見の者たちが、同じ場所に集まっている光景は妙だった。
先に進んだ若衆たちの姿は、まだ見当たらない。
「お前たちが新しい招待客か」
鎖を巻いた司書が、こちらに向かって声をかけてきた。