廃工場の入口に、四人のフィクサーが立っていた。
全員、フィクサー協会から派遣された調査員だった。依頼内容は、廃棄区画で相次いでいる失踪事件の調査と、現場に出没する正体不明の怪物の確認。
「……ここで間違いないんだよな」
先頭の男が、手元の資料と工場を見比べた。
「目撃情報はこの辺りに集中してる。武器や義肢がなくなってるって話もある」
「盗品の回収屋じゃないのか?」
「人間まで消えてるんだ。普通の盗品回収じゃ説明がつかない」
四人は武器を構え、工場の中へ入った。
床には金属片や破損した機械が散乱している。壁には何かを引きずったような跡が残り、奥へ進むほど、それらは濃くなっていった。
やがて、一人が床に落ちていたものを拾い上げた。
細い骨のような針だった。
「……骨か?」
「気をつけろ。何かいる」
その声に応えるように、工場の奥で金属が擦れる音がした。
四人が一斉にそちらを向く。
瓦礫の山が動いていた。
いや、瓦礫ではない。
赤黒い粘液の塊が、廃棄された機械や義肢を取り込みながら、ゆっくりと形を変えていた。頭部と心臓にあたる部分は、幾重にも重なった装甲で覆われている。その表面には、機械の装甲板や義肢の部品が無造作に接合されていた。
複数の触手が床を這う。
その先端には剣が握られていた。別の触手は鎖のように細長く伸び、さらに別の触手には銃口に似た穴がいくつも開いている。
「……何だ、あれ」
怪物がこちらを向いた。
四人のうち一人が銃を構える。
その瞬間、怪物が動いた。
「来るぞ!」
銃声よりも早く、鎖状の触手が床を滑った。
先頭の男の足に巻きつき、勢いよく引き倒す。直後、剣を握った触手が上から振り下ろされた。
男の身体が床に沈む。
「撃て!」
残る三人が一斉に攻撃した。
弾丸が赤黒い身体に突き刺さる。粘液が飛び散り、装甲の一部が砕けた。しかし、怪物の動きは止まらなかった。
傷口が盛り上がり、周囲の粘液が集まって塞がっていく。
その間にも、別の触手が伸びていた。
「再生するのかよ……!」
骨針が放たれた。
細い針が空気を切り裂き、二人目の肩と腹部を貫く。男が膝をついたところへ、剣を握った触手が迫った。
防御のために構えた武器ごと、身体が斬り裂かれる。
残った二人は後退した。
「撤退だ! まともにやり合える相手じゃない!」
一人が叫び、出口へ走る。
しかし、怪物は逃がさなかった。
床を這っていた触手が二人の足元に広がり、鎖が壁や天井を伝って退路を塞ぐ。片方は鎖に捕まり、もう片方は剣の触手を受け止めようと武器を構えた。
その判断は間違いだった。
剣は一度弾かれたものの、別の触手が横から襲いかかる。武器を握っていた腕が切り落とされ、続けて胴体が鎖に絡め取られた。
「やめろ! 来るな!」
怪物は止まらない。
切り落とされた腕も、落ちた武器も、赤黒い身体に取り込まれていく。
最後の一人は振り返らなかった。
仲間を助ける余裕などなかった。助けに戻れば自分も死ぬ。それだけは理解できた。
背後から金属の破砕音と、短い悲鳴が聞こえる。
出口まであと少し。
そのとき、骨針が背中をかすめた。
「っ……!」
肩に熱が走る。足がもつれ、地面に転がった。それでも男は立ち上がり、工場の外へ飛び出した。
鎖が追ってくる。
男は転がっていた鉄板の陰に身を隠し、息を殺した。武器を握ったまま、身体を動かさないようにする。
しばらくして、鎖の音が遠ざかった。
怪物は工場の入口まで出てこなかった。
男は自分の武器を見下ろした。
それを手放せば、襲われずに済んだのだろうか。
そんな考えが浮かんだが、確かめる勇気はなかった。
ただ、仲間三人が戻らないことだけは分かっていた。
---
協会の支部に、調査員の帰還が報告された。
帰ってきたのは四人のうち一人だけだった。
肩には骨針による傷が残り、全身は泥と血に汚れていた。彼は何度も同じ説明を繰り返した。
怪物は武器を持った人間を見つけると、先に攻撃してくる。
攻撃を受けても止まらず、身体を再生させる。
剣を使い、鎖で拘束し、骨のような針を撃ち出す。
さらに、倒した人間やその装備を取り込んでいた。
「……あれは、機械じゃない」
男は机に置かれた水を見つめたまま言った。
「機械の形をしているだけだ。こっちの攻撃を見て、動きを変えてくる。剣の扱いも素人じゃなかった。まるで、何人分もの経験を持っているみたいだった」
調査報告を聞いていた職員たちは、すぐには口を開かなかった。
生還者一名。死亡確認三名。
しかも、調査隊は怪物の正体を確かめることすらできていない。
「現時点で、通常の機械兵器や野良フィクサーの類ではないと判断します」
記録係が資料を閉じた。
「再生能力、装備の吸収、複数の武器を用いた戦闘能力。そして、武装した人間への先制攻撃。放置した場合、被害が拡大する可能性が高い」
「認定レベルは?」
「都市疾病では不十分でしょう。調査隊をほぼ壊滅させ、既存の戦力でも対処が難しい。現段階では都市悪夢に分類するのが妥当です」
その場にいた職員が、報告書の最後の欄に目を落とした。
そこには、対象の名称を記入する欄があった。
「呼称はどうしますか」
「特徴から付ければいい。廃棄区画に出没し、金属や義肢を取り込んで成長する怪物だ」
少し考えた後、職員は口を開いた。
「『廃棄殻』で登録しましょう」
記録係が、その名称を書き込む。
対象名称:廃棄殻
認定レベル:都市悪夢
危険性:高
備考:武装した対象への先制攻撃を確認。高い再生能力を有し、人体・武器・機械部品を吸収することで身体構造を変化させる。交戦時は複数人での対応を推奨。通常の武器による制圧は困難と推測される。
報告書は協会内で共有され、廃棄区画への立ち入りには警告が出された。
一方、その頃。
廃工場の奥では、赤黒い塊が新たな金属片を取り込んでいた。
三人分の武器と義肢は、すでにその身体の一部になっている。
頭部と心臓を覆う装甲は、以前よりも厚くなっていた。
怪物は周囲に人影がないことを確かめるように、触手を広げる。
生き残るために、まだ足りないものを探していた。
廃棄区画での調査隊壊滅から、数日が経過していた。
フィクサー協会の支部には、廃工場周辺で発生した事件の報告が次々と届いていた。
回収業者の失踪。廃材を運び出そうとした事務所の襲撃。武器を携帯していたフィクサーの消息不明。
現場に残された痕跡は、以前の調査隊が報告した怪物のものと一致していた。
「被害範囲が広がっていますね」
会議室で、報告書を読んでいた職員が言った。
「前回の調査隊が壊滅した場所から、さらに外側へ移動しているようです」
「移動しているというより、活動範囲を広げているのでは?」
「可能性はあります。現場からは大量の金属部品や義肢がなくなっています。身体の一部として取り込んでいるのでしょう」
別の職員が写真を並べた。
そこには、地面に残された深い溝や、壁に突き刺さった骨針が写っていた。
「前回の生存者は、怪物が武器を持った人間を優先して襲うと証言しています」
「ならば、武器を捨てれば襲われないのか?」
「その点は不明です。生存者は戦闘中に武器を失い、その後に距離を取ることができたと話しています。ただし、意図的に武器を捨てた場合にどう反応するかは確認されていません」
職員は写真を一枚、手に取った。
赤黒い塊の中心に、金属の装甲が幾重にも重なっている。
その周囲には、剣を握った触手、鎖のような腕、銃口の形をした突起が見える。
「都市悪夢に分類されている対象です。通常の調査員を送る段階は終わりました」
「討伐隊を編成しますか」
「ええ。複数の事務所から経験のあるフィクサーを集めます。遠距離攻撃、拘束、重火器、近接戦闘。それぞれの役割を分けた編成にしてください」
「討伐できる見込みは?」
「現段階では何とも言えません。ただ、放置するよりはましでしょう」
その日のうちに、討伐依頼が発行された。
参加条件は厳しく設定された。
過去に複数の都市悪夢級案件を経験していること。単独行動を避け、指揮官の指示に従えること。装備を失った際に備え、予備の武器を携帯すること。
集められたのは六人。
いずれも、これまでの実績から選ばれたフィクサーだった。
隊長を務めるのは、剣と銃を扱う男。残る五人は、重武器を持つ近接担当、狙撃手、拘束装備を使うフィクサー、爆薬の扱いに長けた男、そして防御と援護を担当する女だった。
彼らは前回の報告書を読み込み、怪物の能力を確認していた。
「まず、装甲を破る」
隊長が廃工場の見取り図を机に広げた。
「中心にある二つの殻が弱点かどうかは分からない。ただ、あそこを覆っている装甲が他の部分より厚いのは確かだ」
「再生能力は?」
「銃撃で傷をつけても、しばらくすると塞がるらしい。だから、一度に大きな損傷を与える」
爆薬担当が、小さなケースを机に置いた。
「これなら外装を吹き飛ばせる。何発か必要だが、あの大きさなら設置場所には困らないだろう」
「拘束は俺がやる。鎖状の触手を全部止められるとは思わないが、動きを鈍らせるくらいはできる」
「その隙に狙撃で銃口と剣を持つ触手を潰す」
隊長は全員を見た。
「相手は一体だ。数と連携はこちらが上。無理に近づかず、動きを止めてから仕留める」
「前回の連中は全滅しているんだろう」
重武器を持つ男が言った。
「だからこそ準備してきた。前の失敗を繰り返すつもりはない」
誰も反論しなかった。
隊長は資料を閉じた。
「明朝、現地に向かう。全員、生きて戻るぞ」
翌朝。
六人のフィクサーは、廃棄区画の外れに集まっていた。
工場の周囲には、使い物にならなくなった鉄骨や機械の残骸が積み上がっている。
前回の調査隊が訪れたときより、廃材の量は明らかに減っていた。
「噂どおりだな」
重武器の男が周囲を見渡す。
「ここらの金属が相当なくなっている」
「まだ近くにいる可能性が高い。警戒しろ」
隊長の指示で、全員が武器を構えた。
彼らは二人ずつ間隔を空けて進み、互いの死角を補うように配置を取った。
廃工場の入口には、巨大な何かが通ったような跡が残っていた。
床のコンクリートが削られ、壁の一部には金属製の何かが擦れた跡がある。
狙撃手が足元の針を拾った。
「これが報告にあった骨針か」
「触るな。現場に残しておけ」
「本当に骨なのか?」
「あとで分析に回せばいい」
彼らは慎重に進んだ。
工場の内部は静かだった。
機械の動く音も、人の声もない。ただ、奥の方から時折、金属同士がぶつかるような音が聞こえる。
狙撃手が足を止めた。
「前方、動きあり」
全員がそちらを向く。
積み上げられた廃材の陰で、赤黒いものが蠢いていた。
最初は、崩れた金属の山にしか見えなかった。
しかし、その一部が持ち上がる。
複数の触手が地面を押し、巨大な塊がゆっくりと姿を現した。
赤黒い粘液の身体。
頭部と心臓を覆う分厚い装甲。
装甲の隙間には機械部品が組み込まれ、油圧機構を備えた腕が何本も伸びている。
剣を握った触手が複数。床を這う鎖状の触手。銃口の形をした穴が並ぶ腕。
その姿は、廃棄された機械を無理やり一つにまとめたようだった。
「……あれが廃棄殻か」
隊長が低く呟く。
怪物の表面に、いくつもの突起が生まれた。
それらが一斉に六人へ向く。
「来るぞ。陣形を崩すな!」
最初に動いたのは狙撃手だった。
銃口を持つ触手へ照準を合わせ、発砲する。
弾丸が触手の先端を貫き、金属部品が弾け飛んだ。
続けて二発、三発。
銃口の一つが潰れ、内部の機構が露出する。
「射撃の精度は悪くない。狙った場所に当たっている」
「そのまま続けろ!」
隊長が叫ぶ。
拘束担当が装備を地面に打ち込んだ。
そこから伸びたワイヤーが廃棄殻の複数の触手に絡みつく。重武器の男は鎖を掴むと、力任せに引いた。
触手の一部が地面に押しつけられる。
「止まった!」
「爆薬を設置する!」
爆薬担当が前進した。
廃棄殻の身体に近づき、装甲の隙間へ小型の爆薬を投げ込む。
直後、隊長が叫んだ。
「離れろ!」
爆発。
工場の中に轟音が響き、赤黒い粘液が大きく飛び散った。
金属の装甲板が剥がれ、油圧機構の一部が破損する。廃棄殻の身体が大きく傾いた。
狙撃手が再び銃を撃つ。
露出した機械部品を正確に撃ち抜く。
「効いている!」
一瞬、隊員たちの間に安堵が広がった。
しかし、隊長だけは警戒を解かなかった。
「まだだ。動きを止めたと思うな」
その直後、飛び散った粘液が床を這い始めた。
散らばった赤黒い欠片が、一つずつ本体へ戻っていく。
剥がれた装甲板の周囲から粘液が盛り上がり、新しい金属片を引き寄せた。
傷ついた触手は、内部から機械部品を押し出すように形を整え始める。
「再生が早い……!」
「まだ壊れていないだけだ! 拘束を維持しろ!」
隊長の声が響く。
廃棄殻が身をよじった。
拘束ワイヤーが軋む。
重武器の男が引き続けるが、腕の筋肉が震え始めた。
「こいつ、どれだけ重いんだ……!」
鎖状の触手が床に食い込み、身体を引き寄せる。
ワイヤーが一本、また一本と切れていった。
「離れろ!」
拘束担当が叫んだ。
その瞬間、廃棄殻の触手が一斉に動いた。
剣を持った腕が床を滑り、重武器の男へ迫る。
男は武器を振り上げた。
金属同士が激突する。
剣の触手が弾かれる。
しかし、別の触手が背後から伸びていた。
鎖が男の胴体に巻きつき、身体を宙へ吊り上げる。
「くそっ、離せ!」
鎖が締まる。
彼の武器が手から落ちた。
隊長が駆け寄ろうとしたが、骨針がその進路を塞いだ。
数本の針が地面に突き刺さり、さらに数本が隊長の肩をかすめる。
「援護しろ!」
防御担当が隊長の前に出る。
重武器の男は、鎖に捕まったまま廃棄殻へ引き寄せられていった。
赤黒い粘液が広がる。
男の身体と鎧を覆い、鎖の隙間から中へ入り込んでいく。
声が途切れた。
やがて、男の身体は廃棄殻の一部に沈んだ。
その直後、廃棄殻の腕が一つ大きく膨らんだ。
新たな油圧機構が取り込まれ、触手の先端に強力な把持部が形成される。
隊長は歯を食いしばった。
「……倒した相手を、取り込んでいるのか」
4. 崩れる陣形
「予定を変更する。爆薬を追加しろ!」
隊長は声を張り上げた。
しかし、爆薬担当は動けなかった。
目の前で起きた光景に、足が止まっている。
「おい! 聞こえているのか!」
「分かってる……!」
男はケースを開け、残った爆薬を取り出した。
そのとき、狙撃手が叫んだ。
「銃口がこっちを向いている!」
廃棄殻の触手に並んだ穴が、一斉に開いた。
骨針が放たれる。
狙撃手は横へ飛び、柱の陰に隠れた。
骨針が柱を削り、壁に突き刺さる。
「射線を切れ!」
狙撃手は反撃のために姿勢を低くし、狙いを定めた。
だが、廃棄殻はすでに動いていた。
狙撃手の位置を把握したように、鎖状の触手が柱の周囲へ回り込む。
柱が揺れた。
「まずい、逃げろ!」
狙撃手が横へ転がる。
直後、柱が根元から崩れた。
瓦礫の中に身体が埋もれる。
起き上がろうとしたところへ、剣を握った触手が迫った。
狙撃手は銃を向けた。
一発だけ発砲する。
弾丸は剣の触手の根元を捉えたが、切断には至らない。
そのまま刃が落ちた。
銃が床に転がる。
狙撃手の身体は、赤黒い粘液に覆われていった。
廃棄殻の別の触手に、細い銃身が組み込まれる。
その触手は不自然なほど安定していた。
狙撃手が持っていた射撃用の装備も分解され、使える部品が本体へ吸収されていく。
廃棄殻の銃口が動いた。
先ほどまでよりも正確な動きだった。
「……射撃を覚えたのか?」
隊長の声が震える。
「そんなことがあるか!」
爆薬担当が叫び、残った爆薬を投げた。
爆発が起こる。
廃棄殻の側面が吹き飛び、粘液が飛び散る。
だが、今度は爆発の直後に反撃が来た。
骨針が爆薬担当の腕を貫く。
男がよろめいた。
「くっ……!」
防御担当が駆け寄り、彼を引きずるように後退させる。
その背後で、拘束担当が再び装備を展開した。
今度は一度に複数の触手を拘束するため、床と壁の間にワイヤーを張る。
廃棄殻の動きが一瞬止まった。
「今だ!」
隊長が走る。
剣を構え、露出した装甲の隙間へ斬り込む。
刃が粘液を裂き、内部の機械部品に届いた。
続けて二度、三度と攻撃する。
しかし、廃棄殻の中心にある殻までは届かない。
金属の装甲が重なり、刃を受け止めていた。
隊長が距離を取ろうとしたとき、廃棄殻の触手が動いた。
一本の剣が、隊長の剣を正面から受け止める。
別の剣が斜めから迫る。
隊長は後退しながらそれを弾いた。
「こいつ……!」
剣の扱いが変わっていた。
先ほどでの無秩序な振り回しではない。
相手の動きを見て、間合いを合わせ、隙を狙ってくる。
複数の腕が別々に動いているはずなのに、互いの動きを邪魔しない。
まるで、一人の熟練した剣士が何本もの腕を操っているようだった。
隊長の剣が弾かれる。
その瞬間、別の触手が腹部を打った。
隊長の身体が壁に叩きつけられる。
「隊長!」
防御担当が駆け寄った。
しかし、廃棄殻は追撃を緩めなかった。
鎖が二人の間に割り込み、防御担当の脚に巻きつく。
隊長は立ち上がろうとしたが、骨針が腹部に突き刺さった。
彼は膝をついた。
「……撤退しろ」
「何を言っている!」
「命令だ。生き残って報告しろ!」
防御担当は隊長を引きずろうとした。
だが、鎖がその手に絡みついた。
二人の身体が同時に引き寄せられる。
隊長は剣を持ったまま抵抗した。
防御担当は盾を構えた。
それでも、鎖は止まらなかった。
二人は赤黒い粘液の中へ沈んでいった。
5. 最後の一人
爆薬担当は、片腕を押さえながら出口へ走っていた。
拘束担当も、その後を追っている。
だが、廃棄殻の触手が二人を追いかけていた。
床を這う鎖が足元に伸びる。
「走れ!」
拘束担当が叫んだ。
爆薬担当は振り返り、残った爆薬を投げつけた。
爆発。
鎖状の触手が一部吹き飛ぶ。
その隙に、二人は工場の入口へ近づいた。
しかし、廃棄殻の銃口がこちらを向いた。
骨針が飛ぶ。
爆薬担当の背中に数本が突き刺さった。
彼は前のめりに倒れた。
拘束担当が振り返る。
「立て! 早く立て!」
男は動かない。
その身体から、武器と装備が引き剥がされていく。
拘束担当は、わずかに足を止めた。
それが命取りになった。
鎖が彼の腕に巻きつく。
手元の装備を起動し、拘束を解こうとする。
だが、廃棄殻の別の触手が装備ごと腕を掴んだ。
金属が歪む。
関節が砕ける。
男は叫びながら、床へ引きずり込まれた。
残ったのは、最後の一人だった。
防御担当でも、近接担当でもない。
隊長の指示を受け、後方で援護をしていた女だった。
彼女は工場の入口へ向かって走った。
背後から金属音が近づく。
廃棄殻の触手が伸びてくる。
彼女は振り返り、手にした銃を撃った。
弾丸が触手の一部を砕く。
しかし、動きは止まらない。
鎖が足元へ迫る。
彼女は横へ飛び、崩れた壁の陰に転がり込んだ。
直後、剣の触手が壁を切り裂く。
破片が頬をかすめた。
彼女は立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
もう一度、銃を構える。
残弾は少ない。
それでも撃たなければ、追いつかれる。
そのとき、廃棄殻の触手が銃を掴んだ。
引き寄せられる。
彼女は銃を握りしめたが、機械腕の力には敵わなかった。
銃が手から離れる。
床に落ちた銃は、触手に引きずられ、赤黒い身体へ沈んでいった。
彼女はその場に倒れ込んだ。
廃棄殻の触手が迫る。
逃げなければならない。
だが、武器を失った今、どうすればいいのか分からなかった。
怪物の複数の銃口が、彼女から離れた。
剣を握った触手も、鎖状の腕も、別の方向へ動いていく。
倒れた仲間たちの武器や装備を取り込むためだった。
彼女はそのわずかな変化を見逃さなかった。
武器を持っている者を狙っている。
ならば、今の自分は標的ではない。
確証はなかった。
だが、ここで動かなければ死ぬ。
彼女は銃を拾おうとしなかった。
立ち上がり、何も持たずに走った。
背後では、廃棄殻が仲間たちの装備を取り込んでいる。
鎖が床を這う音がする。
彼女は振り返らなかった。
工場を出て、廃材の山を越え、崩れた道路を走る。
何度も転び、そのたびに立ち上がった。
肩で息をしながら、遠くに見える建物へ向かう。
やがて、背後から音が聞こえなくなった。
彼女はようやく足を止めた。
六人で出発した。
戻ってきたのは、自分一人だった。
協会の支部に、討伐隊の生還者が到着したのは、その日の夕方だった。
女は治療室へ運ばれた。
肩と脚に傷があり、顔には疲労が色濃く残っている。
しばらくして、担当職員が事情を聞きに来た。
「討伐隊の状況を教えてください」
女は返事をしなかった。
水を飲み、何度か呼吸を整える。
「……全滅です」
「あなた以外は?」
「全員、取り込まれました」
職員は手元の記録を見た。
隊長を含む六名のうち、帰還したのは一名だけ。
「作戦は予定どおり進みましたか」
「最初は……うまくいっていました。狙撃で銃口を潰して、拘束して、爆薬も当てました。身体の一部を吹き飛ばせたんです」
「それでも倒せなかった?」
「再生しました。破壊した部分を戻すだけじゃありません。周囲の廃材を取り込んで、壊れた部分を補っていました」
「攻撃方法に変化は?」
女は少し考えた。
「ありました。最初は触手を振り回しているだけに見えました。でも、こちらの攻撃に対応してきたんです」
「具体的には?」
「剣の扱いが変わりました。最初は単純な攻撃だったのに、途中からこちらの剣を受けたり、別の腕と連携して攻撃してきたりしました。それに、狙撃手を取り込んだ後は、銃を持った触手の動きが正確になりました」
職員は顔を上げた。
「取り込んだ相手の能力を利用しているということですか」
「分かりません。でも、私たちが戦う前より、明らかに動きがよくなっていました」
「武器を持たない相手にはどう反応しましたか?」
女は少し黙った。
「私の銃を奪った後、怪物は私から離れました。その隙に逃げました」
「あなたを追わなかった?」
「少なくとも、武器を失ってからは追ってきませんでした。仲間の装備を取り込むことを優先したように見えました」
職員は記録を続けた。
「分かりました。治療を受けてください。詳しい聴取は後日行います」
「待ってください」
女が職員の袖を掴んだ。
「もう、あそこに人を送らないでください」
職員は答えなかった。
「次は六人じゃ足りない。もっと大勢でも、同じ結果になると思います」
「報告は上に上げます」
「違うんです」
女の手に力が入る。
「数の問題じゃない。あれは、戦えば戦うほど強くなるんです。私たちが持っていった武器も、装備も、全部あいつの身体になった。次に行く人間は、私たちより強くなったあれと戦うことになる」
職員は袖を引き抜いた。
「……必ず伝えます」
討伐隊壊滅の報告は、支部だけで処理できる内容ではなかった。
翌日、複数の関係者が集められ、緊急の会議が開かれた。
机の上には、二度の調査結果が並べられている。
最初の調査隊は四名中三名死亡。
討伐隊は六名中五名死亡。
いずれも、対象の正体を明らかにする前に壊滅していた。
「都市悪夢の対象に対して、二度も人員を失っています」
職員が報告した。
「しかも、二度目の討伐隊は十分な準備をしていました。遠距離攻撃、拘束、爆薬による集中攻撃。いずれも一定の効果はありましたが、対象の再生能力を上回ることはできませんでした」
「対象の成長については?」
「討伐隊の武器と装備を取り込んでいます。さらに、取り込んだフィクサーの戦闘技術を再現している可能性があります」
「人間の技術を吸収するのか?」
「正確には不明です。しかし、戦闘中に剣の扱いと射撃精度が向上したという証言があります」
会議室の空気が重くなる。
「このまま通常の討伐隊を送り続けても、被害が増えるだけでしょう」
「対象が廃棄区画から出てくる可能性は?」
「否定できません。すでに活動範囲は広がっています」
「ならば、早急に対処しなければならない」
別の職員が資料を閉じた。
「都市悪夢という認定では足りない。少なくとも、都市の星に相当する危険性として扱うべきです」
「正式な認定を変更するには、追加の確認が必要です」
「その確認のために、また人を送るのですか?」
職員は黙った。
討伐隊の生存者が残した証言が、机の上に置かれていた。
『戦えば戦うほど強くなる』
それが本当なら、確認のための交戦そのものが危険だった。
やがて、会議の結論が出された。
対象名称:廃棄殻
現行認定:都市悪夢
再評価:都市の星相当の危険性を有する可能性あり
対応方針:通常の討伐隊による再交戦を一時停止。上位戦力への協力要請を検討する。
記録係が最後の項目を書き込む。
「協力要請先は?」
責任者は少し考えた後、答えた。
「特色フィクサーです」
その言葉に、会議室の空気が変わった。
特色。
都市でも数えるほどしか存在しない、特別な実力を持つフィクサーたち。
通常のフィクサーが対応できない案件において、その名前が挙がることは決して珍しくない。
しかし、特色への依頼は簡単には通らない。
それだけの実績と、依頼を受ける理由が必要になる。
「今回の件で、協力を得られるでしょうか」
「少なくとも、二度の討伐隊壊滅と、対象の成長性を伝える価値はあります」
「それでも断られた場合は?」
「……そのときは、別の手段を考えます」
責任者は廃工場の写真を見た。
赤黒い塊。
何本もの武器を持つ触手。
幾重にも重なった装甲。
「もう、単なる怪物ではないな」
その頃。
廃工場では、赤黒い塊が新たな身体を作り上げていた。
討伐隊が持ち込んだ装備は、ほとんどが取り込まれていた。
重武器の機構は、以前よりも太く強力な腕へ組み込まれている。
狙撃手の銃器は、触手の先端に組み込まれた。銃身の周囲には新たな部品が取り付けられ、内部には骨針を射出するための構造が整えられていた。
拘束用のワイヤーも、鎖状の触手に加えられている。
爆薬の一部は取り込まれず、床に散らばったまま残っていた。
だが、爆薬によって破壊された装甲は、すでに修復されていた。
頭部と心臓を守る二つの殻は、さらに厚くなっている。
以前は金属板を重ねただけのように見えた外装も、今では機械の骨格と一体化していた。
剣を持つ触手が動く。
一本が前へ踏み出すように伸び、別の一本がその動きに合わせて刃を振るう。
狙撃用の銃口が、遠くの壁へ向いた。
骨針が一本放たれる。
針は壁の中央に突き刺さった。
もう一度。
今度は先ほどの針のすぐ隣に刺さる。
射撃の間隔は一定だった。
それが何を意味するのか、廃棄殻自身には分からない。
ただ、取り込んだものが使える形で残り、動作が繰り返されている。
それだけだった。
廃工場の入口付近に、武器を持った人影はない。
廃棄殻はゆっくりと身体を広げ、床に散らばった金属片を取り込んでいく。
今は戦う必要がない。
周囲に危険がないなら、身体を維持するために使えるものを集めればいい。
生き残るために。
ただ、それだけだった。
---
フィクサー協会からの依頼書が、ある特色フィクサーのもとへ送られた。
添付された資料には、二度の調査と討伐の記録がまとめられている。
対象名称、廃棄殻。
現行認定、都市悪夢。
再評価、都市の星相当。
依頼内容、対象の調査および必要に応じた排除。
最後のページには、討伐隊の生存者が語った言葉が記されていた。
『あれは、戦うほど強くなる』
資料を読み終えた特色フィクサーは、しばらく何も言わなかった。
やがて、依頼書を机の上に置く。
「……なるほど」
それだけ呟くと、廃棄区画の地図を手元に引き寄せた。
次に廃工場へ向かうのは、通常の討伐隊ではない。
廃棄殻が初めて、自分を殺し得る相手と向き合うことになるのかもしれなかった。