廃棄場には、風が吹き抜けていた。
折れた鉄骨が積み重なり、使い物にならなくなった機械や義肢が、あちこちに転がっている。かつて誰かの身体を動かしていた部品も、戦場で命を守った武器も、ここでは同じ廃棄物だった。
その山の中央に、異様なものがうごめいていた。
『廃棄殻』。
黒赤色の粘液で構成された巨大な身体には、金属板や義肢の一部が埋め込まれている。頭部と心臓部を覆う二重の殻は、何度も装甲を重ねたことで、元の形が分からないほど厚くなっていた。
背中から伸びる触手は、一本ごとに異なる役割を持っている。
剣を握る腕のようなもの。鎖となって地面を這うもの。銃身を備え、骨針を撃ち出すもの。さらに、油圧機構を取り込んだ太い腕まである。
それらは別々に動いているようでいて、互いの動きを補い合っていた。
先ほどまで、ここでは六人の精鋭フィクサーが戦っていた。
彼らの武器も、装備も、身体の一部も、今では廃棄殻の中にある。捕食によって得た剣技や射撃の精度、拘束の技術、強靭な肉体も、すでに怪物の一部となっていた。
廃棄殻にとって、それらは力を誇るためのものではない。
生き残るための道具だった。
武器を持つ者は、自分を殺せる可能性がある。だから先に襲う。相手が敵かどうかなど、考える必要もなかった。
廃棄場の奥で、粘液がゆっくりと広がる。
新たな人間の気配を感じ取ったのか、触手が一斉に持ち上がった。
***
廃棄場へ続く道路に、一台の車が停まった。
運転席から降りた男は、周囲を一瞥すると、後部座席から細身の片刃剣を取り出した。黒い外套を羽織り、装備は必要最低限。目立った装飾もなく、外見だけなら特別なフィクサーには見えない。
しかし、彼は特色フィクサーだった。
協会からの依頼を受け、この廃棄場へ派遣された上位戦力である。
彼は入口の前で足を止め、端末に表示された資料を確認した。
対象名称は『廃棄殻』。
武器を持つ人間を優先して襲う。捕食した相手から特定の長所を得る。機械や武器を取り込んで身体を作り替える。損傷しても再生する。
先行した討伐隊は全滅。後から派遣された精鋭六名も敗北し、生存者は一人だけだった。
その生存者は、武器を捨てることで怪物の追撃を逃れたという。
「武装した人間を狙う、か」
彼は端末をしまい、廃棄場の奥へ視線を向けた。
入口付近には、骨針が突き刺さった鉄板が転がっていた。壁には無数の針穴が残り、地面には何かを引きずった跡が続いている。
さらに奥へ進むと、切断された義肢や、砕けた装甲の残骸が目に入った。
「ここで全滅したらしいな」
彼は足元の骨針を拾い上げ、先端を確かめた。
人体の骨を加工したものらしい。鋭く削られ、射出するための機構に組み込まれている。
資料に記されていた能力と一致していた。
廃棄場の中央で、黒赤色の塊がうごめいた。
男は剣の柄に手を掛ける。
「……こいつが廃棄殻か」
その動きに反応し、怪物の身体が持ち上がった。
複数の触手が広がり、銃口のような穴が開く。
「話は通じそうにないか」
骨針が飛んだ。
男は身体をわずかに傾け、飛来する針の間を抜けた。数本が外套を掠め、背後の鉄板に突き刺さる。
続けて、剣を握った触手が横から迫った。
刃が振り抜かれる直前、彼は一歩踏み込む。剣先が頭上を通過した。
すれ違いざま、触手の付け根へ刃を走らせる。
金属と粘液が同時に断ち切られた。
切り離された触手が地面に落ちる。
しかし、怪物は止まらない。
別の触手が伸び、鎖が彼の足元へ走る。地面を這う鎖が足首に絡みつくより早く、男は鎖の接続部分を切断した。
そのまま怪物の側面へ回り込む。
刃が走った。
銃身を持つ触手が切り落とされ、骨針を撃ち出すための機構が地面へ転がる。続けて油圧機構の接続部を断ち切る。大きな腕のように動いていた触手が、力を失って垂れ下がった。
怪物の表面が盛り上がる。
切断された部分から黒赤色の粘液が溢れ、失われた触手を補おうとする。
だが、再生する前に、男の刃が次の接続部を断った。
「再生するなら、再生する暇を与えなければいい」
彼は怪物の動きを見ていた。
触手そのものではなく、動力を伝える部分。銃身ではなく、射出機構。鎖ではなく、それを引き戻す接続部。
一つずつ機能を奪っていく。
怪物は後退した。
足元の粘液を広げ、廃棄された機械の残骸へ伸ばしていく。鉄板や義肢を取り込み、失った部分を補おうとしていた。
「そうやって補充するのか」
男は追撃した。
だが、怪物はただ逃げていたわけではなかった。
新しく取り込んだ金属片が、触手の表面に浮かび上がる。切断された部分を補うように装甲が重なり、複数の触手が同時に動き始めた。
先ほどまでとは違う。
剣を持つ触手が、彼の踏み込みに合わせて動いた。
一撃目を避けた先に二撃目。さらに背後から鎖が迫る。
男は刃で剣を受け流したが、直後に別の触手が横腹を打った。
身体が宙に浮き、積み上げられた鉄屑へ叩きつけられる。
鈍い音が響いた。
彼はすぐに起き上がった。外套は裂け、脇腹から血が流れている。
「……なるほど」
怪物は、先ほどの攻撃を覚えていた。
同じように近づけば、同じように切られる。ならば、複数の触手を組み合わせて逃げ道を塞ぐ。単純な動きではあるが、確かに学習している。
黒赤色の塊が迫る。
今度は剣を振らず、触手そのものを叩きつけてきた。重い金属の塊が地面を砕く。男は横へ跳び、崩れた鉄板の陰に身を隠した。
骨針が飛ぶ。
鉄板を貫いた針が、彼の肩を掠めた。
怪物の触手が鉄板を持ち上げる。
その瞬間、男は鉄板の陰から飛び出した。
狙ったのは、剣を持つ触手ではない。
それを動かすために伸びた油圧機構だった。
刃が接続部を断つ。
剣を握った触手が動きを止めた。さらに、反対側から伸びてきた鎖を切り払い、怪物の正面へ踏み込む。
怪物は身体を大きく広げた。
無数の触手が一斉に動く。剣、鎖、金属の腕、骨針。すべてが彼を押し潰そうと迫ってきた。
男は後退しない。
最初の剣を避け、二本目を受け流す。鎖を踏み越え、金属の腕を切り落とす。骨針が頬を掠め、血が飛んだ。
それでも足を止めなかった。
怪物の攻撃が途切れた一瞬、彼は身体を低くして懐へ潜り込んだ。
刃が黒い表面を裂く。
装甲の隙間から粘液が飛び散った。
だが、まだ届かない。
頭部と心臓を守る二重の殻。そこだけは、周囲の装甲よりも厚く、硬く補強されていた。
怪物は残った触手をすべて引き寄せる。
黒い粘液が地面を覆い、廃棄物を取り込みながら膨張していく。切断された部品も、破壊された武器も、再び身体へ戻ろうとしていた。
男は一度距離を取った。
「最後の抵抗か」
怪物の身体が盛り上がる。
頭部を覆う殻の周囲に金属片が集まり、さらに厚い装甲を形成した。心臓を守る殻にも、鉄板や義肢の部品が重ねられていく。
怪物は防御に徹していた。
攻撃するためではない。
生き残るために。
男は剣を構え直す。
次の瞬間、怪物が突進した。
地面を削りながら、巨大な身体が迫る。複数の触手が彼を捕らえようと伸びた。
彼は一歩だけ横へ動いた。
怪物の巨体が通り過ぎる。
その側面を駆け抜けながら、刃を走らせた。残っていた油圧機構が断たれ、鎖の巻き取り部分が破壊される。さらに、身体を支える金属の接合部を切り裂いた。
怪物の巨体が傾く。
地面に倒れ込む前に、男は頭部へ回り込んでいた。
一撃目。
頭部の外側を覆っていた装甲が砕ける。
二撃目。
内側の殻に亀裂が走った。
怪物が暴れた。
残った触手が彼を薙ぎ払う。彼は刃で受けたが、衝撃を完全には殺しきれず、数歩後退する。腕に痺れが走った。
それでも、怪物に立て直す時間は与えなかった。
三撃目が振り下ろされる。
頭部を守っていた殻が割れ、黒赤色の粘液が噴き出した。
怪物は地面を這い、逃げようとする。
心臓を守る殻を地面の下へ隠すように、身体を縮めていく。周囲の鉄屑を取り込み、壊れた装甲を寄せ集めて防御を固めようとした。
男は追いかけた。
伸びてきた触手を切り払い、逃げ道を塞ぐ。怪物が新たな金属片を取り込む前に、粘液の広がる地面へ刃を突き立てた。
黒い身体が大きく揺れる。
心臓を守る殻が露出した。
そこには、まだ二重の防御が残っていた。
男は剣を握り直す。
怪物が最後の触手を伸ばす。
その先端には、かつて誰かが使っていた剣が握られていた。ぎこちない動きだったが、刃の軌道には確かな技術が残っている。
男はそれを見切った。
刃が交差する。
怪物の剣が弾かれ、持ち手の触手が切断された。
そのまま踏み込む。
一撃目で外側の殻を砕く。
二撃目で内側の殻に亀裂を入れる。
怪物は身体を震わせた。黒い粘液が周囲へ広がり、逃げようとする。だが、もう身体を支える力は残っていなかった。
最後の一撃が、心臓を守る殻を貫いた。
内部の核が砕ける。
怪物の動きが止まった。
触手が地面に落ち、鎖が力なく垂れ下がる。銃口のように開いていた穴も閉じていった。
それでも、黒赤色の粘液はわずかに動いていた。
地面を這い、逃げ道を探すように広がっていく。
男は剣を振り下ろした。
残った粘液が裂ける。
何度か刃を入れると、黒い塊は次第に動かなくなった。
廃棄場に静寂が戻る。
男はしばらくその場に立ち、怪物の残骸を見下ろしていた。
やがて剣を収める。
「……討伐完了だ」
通信機を取り出し、協会へ報告を入れる。
「対象の活動停止を確認。頭部と心臓部の殻は破壊した。残存する粘液にも再生反応はない。周辺の廃棄物への移動も確認できなかった」
短い沈黙の後、通信機から返答があった。
『了解しました。現地の安全確認を継続してください。確認が取れ次第、正式な討伐記録を作成します』
「分かった」
報告を終えた男は、もう一度だけ怪物の残骸を振り返った。
そこには、かつて人間だったものの面影はなかった。
ただの黒い塊。
廃棄場に捨てられた、使い道のない残骸だった。
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意識が消えていく。
黒い粘液の奥で、何かがかすかに浮かんだ。
薄暗い部屋。
滞納した家賃。
大家の怒鳴り声。
短剣を握る手。
黒雲会の事務所。
裏切った仲間の顔。
図書館の床に転がった死体。
どれも、遠い記憶だった。
自分が何者だったのか。
どうしてこんな姿になったのか。
もう、はっきりとは思い出せない。
ただ、一つだけ残っていた。
死にたくない。
生きていたい。
何を失ってもいい。何に変わってもいい。
だから、まだ終わりたくない。
黒い粘液が、最後の一滴まで動きを止めた。
その願いが叶うことはなかった。
かつて一人のフィクサーだった怪物は、廃棄場の片隅で完全に沈黙した。
生き残るために、何にでもなろうとした怪物は、最後まで生き残ることができなかった。
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数日後。
フィクサー協会の記録保管室には、一件の討伐報告書が届けられていた。
報告書には、廃棄場で撮影された写真が添付されている。
砕けた装甲。切断された義肢。散乱した武器の残骸。そして、その中心に広がる黒赤色の粘液。
写真の下には、担当した特色フィクサーの報告と、現地調査の結果が記されていた。
**フィクサー協会・討伐記録**
**対象名称:** 廃棄殻
**認定危険度:** 都市悪夢
**再評価:** 都市の星相当の危険性あり
**討伐担当:** 特色フィクサー
**討伐地点:** 第○区・廃棄場
**最終結果:** 討伐完了
**対象の特徴:**
黒赤色の粘液状の身体を持つ異形。頭部および心臓部を二重の殻で保護している。高い再生能力を有し、武器を所持した人間を優先的に攻撃する傾向が確認された。
対象は撃破した人間の身体や装備、周囲の廃棄物を吸収する能力を持つ。また、捕食した相手から特定の長所を獲得し、複数の能力を同時に使用することが可能。
交戦を重ねるほど戦闘能力が増大するため、通常の討伐部隊による継続的な交戦は極めて危険と判断されていた。
**過去の被害状況:**
廃棄場の作業員および複数のフィクサーの失踪が確認されている。
先行して派遣された討伐隊は全滅。後に編成された精鋭フィクサー六名の部隊も敗北し、唯一の生存者は武器を放棄することで逃走に成功した。
犠牲者の遺体および装備の大部分は対象に吸収されたものと推定される。
**討伐結果:**
特色フィクサーとの交戦により、対象の主要な攻撃機構および身体構造が破壊された。
頭部と心臓部を保護していた二重殻は完全に破壊され、内部の核も損壊。残存した粘液についても追加の破壊処理が行われた。
討伐後、対象の活動反応および再生反応は確認されていない。
**最終判定:** 討伐完了
**備考:**
対象は捕食によって能力を増強する性質を持ち、放置した場合、さらなる被害と危険度の上昇を招く可能性が高かった。
今回の討伐により、廃棄場周辺で発生していた失踪事件および武装人員への襲撃は終息したものと判断する。
本件について、追加の討伐部隊を派遣する必要はない。
**記録終了。**
報告書は確認を終えた職員によって閉じられ、保管棚へ戻された。
添付された写真の中で、廃棄殻はすでに動かない。
かつて何人もの人間を取り込み、彼らの技術や力を使って生き延びてきた怪物。その最期を知る者は、討伐を成し遂げた特色フィクサーと、記録を残した協会の職員だけだった。
やがて報告書は、数ある討伐記録の一つとして保管されることになる。
それ以上、語られることはなかった。